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(回答先: 聖書が悪魔崇拝者によって書かれたという根拠(あっしらさんに質問) 投稿者 おいっす!! 日時 2003 年 3 月 10 日 01:19:50)
おいっす!!さん、こんばんわ。
>以前の投稿で、聖書が悪魔崇拝者によって書かれたと
>述べておられましたが、その根拠はどうしてでしょうか。
正統派研究者が、正面切って、巷間伝えられているかたちでのイエス・キリストの実在性を否定したり、福音書の内容に疑義を唱えることはほとんどありませんが、歴史書で公認されているイエス・キリストの生涯や福音書の成立に大きな疑念を抱いています。
イエス・キリストの生涯や福音書の成立が広く受け止められている内容と異なるのならば、それこそ信仰の基礎に関わる決定的なでっち上げが行われたことになります。
キリスト教は、福音書に書かれたイエス・キリストを救い主として信仰することが基礎だと思っています。
イエス・キリストが広くキリスト教徒が信じている存在とは違う人だと考えていることが、聖書が悪魔崇拝者によって書かれたと判断する根拠です。
福音書に書かれているイエス・キリストは、AD150年頃、エッセネ派で「義の教師」と呼ばれたイエス・キリストを素材にして再構成したものだと考えています。
エッセネ派も、メシアの到来を待望し、禁欲的な生活をおくっていました。
※ これについては、「死海文書の謎を解く」(ロバート・フェザー著・講談社)や「初期キリスト教」(マルセル・シモン著・文庫クセジュ・白水社)あたりが参考になります。
そして、福音書からは、ローマ教皇庁のような位階的教団組織や司祭階層を正当化することはできません。
(そのような組織論、隠遁的共同生活を宗としたエッセネ派ではなく、イスラエル神殿の司祭階級であったサドカイ派のものです)
このようなことから、いわゆるキリスト教は、滅亡したカルタゴや滅亡したイスラエルの生き残りがローマ帝国内で政治勢力を獲得する手段として作り上げたものだと思っています。
● ローマ帝国の紀元前後から100年ほどの歴史書がほとんど残っていない
紀元前や紀元後90年を過ぎた時代に書かれた歴史書は残っているのに、紀元前後からAD90年ほどの間に書かれた歴史書はほとんど残っていないそうです。
(スエトニウス(69〜140年)からやタキトゥス(55頃〜120年)は、AD90年前後からの歴史家。スエトニウスが異教徒としてはじめてキリスト教に言及した歴史家とされています)
歴史教科書にも書かれているように、同時代に書かれた歴史書がほとんど残っていない期間は、キリスト教が成立したとされるAD20年代・ピラト総督によってイエスが磔死・ユダヤ王国ローマ領・パウロの伝道活動・皇帝ネロによるキリスト教徒弾圧・ペテロとパウロの刑死・古代イスラエル壊滅など、ローマ・カソリックに連なるキリスト教の生成期と合致します。
ピラト総督がイエスを刑死させたという記録も、ローマ帝国側の史料としてはありません。
皇帝ネロが弾圧したとされる“キリスト教徒”がローマカソリックに連なる信徒集団であったかどうかも不明です。
ローマ帝国から圧迫を受けていた時期のユダヤ人のあいだで、熱心党と呼ばれるメシア待望運動が盛んでした。
メシアとはキリストのことですから、メシア待望運動が“キリスト教”と一括りにされてもおかしくはありません。
逆に言えば、ユダヤ人のメシア待望運動が、ローマ・カソリックに連なるものだったかどうかもわからないということになります。
キリスト教(教団)は、その後、313年のキリスト教公認、392年のキリスト教国教化という推移で思想的権威を確立します。
そうであれば、精神世界を支配するローマカソリック教団が、自己の成立に関わる歴史を封印してしまうことは可能です。
● フラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」にイエス・キリストの記述がない
「ユダヤ戦記」は、古代イスラエルの滅亡にいたる過程が詳しく書かれた同時代の歴史書とされています。
フラウィウス・ヨセフスは、サドカイ派(祭祀階級)の出身でローマ軍と戦う司令官になった人で、ローマ軍の捕虜になった後でローマ側に付き、イスラエルの神殿にこもった抵抗派に投降を呼びかけています。(ヨセフスはAD37〜100年頃)
「ユダヤ戦記」は、BC170年からAD70年までの古代イスラエルをローマ帝国との攻防を中心に記述したものです。
そして、この書は、神殿陥落を預言したイエスの正しさを証明するものとして、古代よりキリスト教徒に広く読まれているそうです。
しかし、「ユダヤ戦記」には、AD30年とされているイエスの刑死にまつわる記述は一切ありません。
その一方で、AD60年代にイエス・キリストという何かに取りつかれたような男が、イスラエルの崩壊を大声で叫びで回ったという記述があります。(それが書かれた部分が今手元にないので明日アップします)
参考書籍:「ユダヤ戦記」(3巻・ちくま学芸文庫)
● 福音書に書かれているイエス・キリストの行状が陳腐で人格が異様
福音書を読んで浮かび上がってくるイエス・キリストの人間像は異様なものです。
(4つの福音書で書かれている内容にズレが大きいということもそう考える要因だと思っています)
奇蹟をなしたという記述は問題ではありません。
4福音書に書かれているイエスは、支離滅裂な人格に思えて仕方ありません。
質素を重んじているというのは全体のトーンですが、時として大食漢で大酒のみという描写があったり、母親(マリアさんですね)からも息子はおかしくなったと思われていたという記述があったり、金銭欲もいいんだと受け取れる諭しがあったりします。
(母親の描写とローマ・カソリックのマリア崇拝との落差を感じます。EUの高校生向け共通歴史教科書の頭のほうに、わざわざ、イエスが金銭欲もいいんだと受け取れる諭しをしたこと引用して掲載しています)
このようなブレは、福音書編纂者が、意図的にイエス・キリストを貶める内容をさしはさんだことによって生じているのではないかと疑っています。
ローマカソリックが、司祭の説教だけで聖書を読ませなかったこともこのへんに由来しているのではないかと考えています。
おいっす!!さんも、教会に通われているとのことですから、4つの福音書(イエスの行状をまとめた部分)をイエスがどのような人となりだったかを考えながら読んで見られることをお勧めします。
新約聖書でパウロが書いたとされるものが「でっち上げキリスト教」の中核であり、ユダヤ終末論的色彩が強い「黙示録」を付加したのは悪魔崇拝的装飾だと思っています。
(ローマカソリック以降のキリスト教は、パウロ主義と言ってもいいものです)
勝手な想像ですが、パウロという人と「ユダヤ戦記」を書いたヨセフスが中心になって新約聖書を編纂したか、パウロ=ヨセフスが、エッセネ派の文書と自分の文書を織り交ぜながら編纂したのではないかと思っています。
(ユダヤ教徒だったパウロの回心とヨセフスのローマへの帰順がどうしても重なって見えます)
※ 「ユダヤ戦記」を読むとわかりますが、フラウィウス・ヨセフスは、実に能弁で思考力に富み、政治性も高い人です。
彼が自分で書いているイスラエルの神殿にこもったユダヤ人に投降を呼びかける演説は、感動的でかつ説得力に富むものです。
彼は、ユダヤ社会の歴史にも詳しく(「ユダヤ古代誌」6巻本・ちくま学芸文庫・こちらの書籍は未読です)、イスラエル神殿消滅後は死ぬまでローマにいたそうですから、新約聖書を編纂するチャンスがあった人です。
新約聖書はAD70年以降に編纂されたものだと考えられています。
おまけに、ヨセフスは、ユダヤ教祭祀階級の出身です。それならば、司祭階層を頂点としたローマ・カソリック的宗教組織をつくることも難なくこなせるはずです。