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無法の時代が到来した−法の論理に基づいて未来を覗きました
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/576.html
投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 3 月 02 日 20:19:09:

(法の論理に基づく結論)
 今回は、「法の論理」に基づいて未来予測を行います。
 結論は、「無法の時代の到来」です。
 ここで言う「無法」とは、「国家の無法」です。
 我々日本人は、無法の時代の幕を開ける主役の一人になってしまいました。
 (1) 近代的個人モデルと宗教戦争モデル
  近代は血みどろの宗教戦争の中から生まれてきたといわれています。 「万人の万人に対する闘争」つまり単なるエゴイズムの泥沼から生まれてきたわけではありません。 宗教戦争とは「異なる価値観を持った集団同士の殺し合い」です。 隣人の悪魔崇拝を許せない、殺してもかまわない、これが宗教戦争の論理です。 
  近代は、宗教戦争の論理を否定することによって生まれました。 近代世界では、隣人が悪魔崇拝者であったとしても、その振る舞いが「市民」の条件を満足していれば問題とはしません。 この近代論理にたどり着くためには、莫大な人命の損失が必要でした。
 (2) 近代的個人モデルと国家
 個人は、自らの欲望を満たすためにあらゆる合法的手段を駆使してかまいませんが、国家の法を犯すと罰せられます。 個人には尊厳と自由と基本的人権が認められます。 何を信じても違法行為に至らない限りはおとがめありません。 
 個人は、国家による監督下にあり、裁判を受ける義務と権利とを有しています。 この世界でも現実として宗教戦争は起こりますが、それは国家による処罰対象となります。
 (3) 近代的国家モデル
 これは、国家を近代的個人と類比的に考えるモデルといえば、最も分かり易いと思います。
 少し歴史に入りましょう。 ヨーロッパ19世紀は、「ナポレオン戦争後の戦後処理体制」と要約できます。 この時代に最も注目される点は、「近代的国家概念の確立」と考えています。 
 これは個人(市民)と対比すると分かり易いと思います。 個人が自分の運命を自分で決定し(自由と自治)、他人の尊厳を尊重し、他人の自由を邪魔しない。 個人同士が自由な意思に基づいて契約し、その契約を履行する。 個人は他人がいかなる思想信条を持っていようとも(例えば悪魔崇拝)、外面的に社会秩序破壊行動をとらない限り問題としない。 これが近代的な個人です。 
 国家も互いの尊厳を尊重し、自分の運命を自分で決定し・・・というわけです。 そこには当然国際紛争が起こりますし、軍事力行使(戦争)に至ることもあります。 しかし軍事力行使は、外交の下僕となり、厳格なシビリアンコントロールの下におかれるべきことになります。 非戦闘員の虐殺は行わず、捕虜もそれなりに人道的に扱われるべきと考えられました。 戦争は、国際紛争解決の手段ですから当然です。 
  市民と国家には重大な相違点があります。 それは、市民は国家によって裁判を受けるが(人間関係の決済を行う上位存在がある)、国家は他のものによって裁判を受けない(上位存在がない)自治の存在であるという点です。
  こうした近代概念の適用は、現実には欧州列強だけの話であり、外には植民地が広がっていました。 しかし、それなりに合理的、文明的な考え方であったと評価できます。 それなりに人類の知恵の結晶なのです。
 (4) 「近代国家」概念の破産
  第一次大戦は近代国家概念を破砕しました。 1914年に兵士は数週間でカタを付けるつもりで出征し、塹壕の中で肉塊に変じました。 戦争は外交の下僕ではなくなり、当初の戦争目的はどこかに行ってしまいました。 戦争は外交目的達成のための合理的行動ではなくなり、国家体制の総力戦となり、無意味な破壊虐殺行為となりました。 この戦争は、参戦国家の体制崩壊によって終結しました(ドイツ、ロシア革命)。 体制崩壊まで戦う。 これは不合理極まりない行動であり、合理的でも近代的でもありません。
 また、膨大な数の非戦闘員を殺戮した点も重要です。 これも近代的戦争概念からかけ離れたものです。 この戦争は、近代的国家も個人も殺戮し、実質上「無法」を現出したと言えます。
 ここにおいて、「近代」はある意味で破産しました。 これ以降は近代の変種ないし亜種にすぎないので、「現代」と呼ぶべきかもしれません。 「近代」の最重要の要素である「合理的行動」を喪失したからです。
 振り返ってみると、日露戦争は、最後の19世紀的戦争、つまり「近代戦争」であったと言えるのかもしれません。
 (5)  「正義」という名の「無法」の出現
 一次世界大戦によって文明の基礎を喪失した欧州は、国際連盟や反戦思想によって喪失した文明の再建を図ったようです。 しかし、この時点で重大な失敗がありました。 ドイツに対する巨額賠償金の請求です。 戦争の勝者が敗者に巨額賠償金を賦課する。 それではなぜ敗者は勝者に巨額賠償金を請求できないのでしょうか。 負けたからです。 それ以外の理由は存在しません。 この賠償金は、「正義」という名の「無法」の出現を意味しています。 アドルフ・ヒトラーを生んだのは、この賠償金の「利息」にほかなりません。 
 (6) 二度めの不渡り− 第二次世界大戦
  第二次世界大戦は、近代国家および個人の破産を確定した「二度めの不渡り」です。 これによって20世紀前半の大混乱期は一応終結し、とりあえずの安定が到来しました。 しかし、近代国家概念が破産したことは重要です。 国家は合理的であることをやめ、リヴァイアサンとなり、「市民」の頭上に爆弾を雨あられと降り注いだのです。
 (7) 戦後処理体制の欺瞞−正義は無法である
  しかし、戦後処理体制は、19世紀ナポレオン戦争のそれとはまったく異なり、人類の退化、退歩を示すことになりました。
  一例として「東京裁判」をとりあげましょう。 東京裁判では悪人どもを裁き、吊るしました。 結構でしょう。 しかし、これは正義ではありません。 むしろ「正義」とは反対の「無法」といえます。 まず、「公平の原則(衝平:law of equity)」に反しています。 公平の原則とは、法的主体が平等公平に裁かれなければならないという近代法の原則です。 東京裁判では原爆投下行為が裁かれていません。 次に、「クリーンハンズの原則」に反しています。と言うか、最初から踏みにじっています。 「クリーンハンズの原則」とは、「汚れた手で救済を求めることはできない」という近代法の原則です。 東京裁判では、連合国は原爆投下行為を行っていますので、手が汚れています。 従って、法的救済を求める権利がありません。
  それではなぜ連合国の残虐行為をさばくことはできなかったのでしょうか? 勝者だからです。 勝者は、単なる勝者ではなく、道徳的にも勝者となり、市民に対して残虐行為を行った場合にも、法的に裁かれない特権を得るに至ったわけです。 正義の名の下に残虐行為を行うことは、単なる残虐行為に比べて遥かに悪辣な行為です。 勝者がすべてをとる、これこそがまさに「無法」の定義です。 残念ながら、人類は一気に退歩してしまいました。
  (8) 価値観の問題
  第二次大戦の戦後処理は、いま一つの禍根を残しました。 価値観による戦争行為の正当化です。 利権をめぐる戦争は、ようするに損得の問題です。 しかし、価値観の問題とは、正義−悪魔という宗教戦争の論理です。
  米国は大戦に圧倒的に勝利し、世界の富の大半を所有する圧倒的な勝者となりました。 しかし、実はこのときに、現在起きている事態の萌芽があることがお分かりになると思います。 申し訳ありませんが、こういう論理下では、帝国の寿命はせいぜい70年くらいです(経済長期変動一回分)。
  (9) 国際連合の論理
  国際連合は、国家の上位機関ではありません。 単なる国家間の調整機関に過ぎません。 しかし、近代国家の暴走を抑制できなかったという反省の上に立って設定されているので、国家の暴走を止めるような(ある程度は有効な)「手続が法定」されている点が重要だと考えています。 そして、種々の異なる価値観を持った国が参加し、法定手続の上で議論、採決し、拒否権もあるので、「宗教戦争の抑止」という点ではとりあえず有効であったと評価できます。
 (10) 米国の行動がなぜ無法の時代を招くのか
  結論部分に入ります。 去年、米国大統領は、自らの判断で「ならず者国家」を名指し、攻撃し、武装解除すると述べました。 これは、国際連合の煩瑣な「手続」を無視して行動する意思を示しています。 
  これは戦後処理体制における「勝者が正義を占有する」という論理を純化し、再現したものであり、一種の無法に他なりません。
  次に、最近は、「価値観の相違」を理由として、悪魔的価値観を有する悪魔主義者「フセイン政権」を、その価値観のゆえに攻撃し、武装解除すると述べています。 私はフセインを弁護しようなんて毛頭思いません。 とんでもないヤローだと個人的には思っています。 しかし、「価値観」を理由として戦争を始めることは、上に書いた戦後処理の論理を純化し、再現したものに他なりません。 
 (11) 悪魔崇拝者排撃時に近代民事訴訟原則を守らない
  次に、米国による「悪魔崇拝者」排撃を「手続」面から検討します。
  結論は、近代民事訴訟手続を遵守していないというものです。
  ビンラディンは悪いヤツで、ツインタワーを破壊したそうです。 たぶんそうなんでしょう。 しかし、証拠開示手続はまともにとられていません。 
  これが特に問題なのは、状況証拠的に、ブッシュとビンラディンとがつながりがあるとか、CIAと接触したとか、もともと米国の飼い犬だったとか、いろいろと怪しい点があるからです。 ビンラディンは単なる悪役として担がれただけかもしれない、ビンラディンからの指揮命令系統は存在しなかったかもしれない、もしかするとビンラディンの上位命令系統があり、主犯は別だったのかもしれない。 この手の疑いは未だ残ったままです(ビン・ラディンの弁護じゃないですよ。 そこは誤解ないようにお願いします)。
  アフガニスタン政府は、米国に「一応の挙証」を要求しました。 米国は一切証拠を提示せず、爆弾投下を開始しました。 これはとんでもないことですよ。 証拠を開示せずに戦争開始。 ここまで横暴な政権は寡聞にして存じません。 イラクに関してはみなさまご存じのとおり。
  
  以上をまとめてみると、恐ろしい結論が出ます。
  「悪魔崇拝者」を自らの判断で攻撃してよいという「宗教戦争」の論理が、西洋近代史の終点に復活したのです。
  この論理は、1945年の時点で姿を現していましたが、ここにいたって全面化しました。 その上、自ら作り出した戦後処理体制−国連の軛を投げ捨てました。 国家単位での宗教戦争の復活、それは「人類史における最大の無法の時代」となることは明らかです。 歴史は一巡し、前回の宗教戦争を遥かにしのぐ犠牲者を生み出すものと考えられます。 

  (12) 蛇足  世界の警察官なんて論理はあり得ない
  以下は蛇足です。 世界の警察官− これは米国の自称に過ぎません。 いまだ近代国家の上位存在はありません。 まして、手続を法定した国連まで否定したわけです。 警察官とは、上位存在である国家の法定手続に従って治安を守るものです。 「国家の法」を守らずに警察行為を行う、これはマフィアです。 警察官ではあり得ません。 

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