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(回答先: バクダットでマイクを渡された場合。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 3 月 15 日 11:07:19)
Ddogさんの書き込みはいつも興味深く拝見させていただいています。(思想的な立場は反対のようですが)
Ddogさんの議論については、もっとも現実主義的で合理的な選択のように見えますが、そうでもないんじゃないか、というのが小生の感想です。
漠然としたものなので詳述は避けますが、後段で気になったところを書かせていただきます。
「国民を戦争の惨禍から守るのは、最高指導者にのみできる決断である」のはたしかですが、戦前の日本を見ればわかる通り、追いつめられた状況でとても不戦敗の決断を下すことはできないと思います。武士でなくとも、せめて一太刀入れて、あの世で溜飲を下げようと思うのは、古今東西そう変わりはないでしょう。もしできるとすれば、花道が用意されている場合だけです。ブッシュおよびその背後で動いているグループは、そうした花道を用意する気はないでしょうし、そもそも今回の道義なき戦争(まあ道義のある戦争なんていうものはないかもしれませんが)は、フセインが身を引けばすむというものでもなさそうです。
また、Ddogさんは、「昭和天皇が存在しなければ、本土決戦が実行され、原爆が東京大阪にも落とされ、戦争を終結させることはできなかった」と書かれていますが、戦争を始めたのも天皇です。天皇が始めたのだから、天皇が最終的に終結させるかたちをとったのは当然ではないでしょうか。最高責任者として、そのくらいのことをやってもらわないと困りますよね。
問題は、その後の責任の取り方です。責任の所在を曖昧にするやり方は(切腹などという儀式があったにもかかわらず)日本のお家芸とも言えるものですが、身の処し方を曖昧にすることによって、戦後の日本の成功もあったし、昨今の日本のようににっちもさっちもいかなくなる要因にもなっていると思います。責任を曖昧にしてきたから、自由主義史観な人々も出てくるし、旧ソビエトもびっくりの官僚主義国家もできてしまうのではないでしょうか。