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するめいかさん、あっしらさん、如往さんとの議論を重ね、投稿してみる気になりました。
あるアメリカ人が標題の川柳のどこが良いのかさっぱり分からん、と解説を求めてきました。教養のあるしっかりとしたアメリカ人です。私は限られた言語能力を駆使しながら、説明を試みました。唐様の書道を当然の教養として身につけるほどの趣味道楽で身上を潰した三代目に呆れながらも、そこにはどこかしら温かい第三者の眼差しがある、この眼差しを共有することがこの川柳を味わう前提だと。ひとしきり解説を聞いた彼は、没落貴族の悲哀は本人が感じるべきものであり、それよりも身分の低い庶民がなぜ同情的に感じるのか分からん、と合点の行かない様子でした。
私は彼の感想を聞きながら、ああ、やはり日本人として生まれ、日本語を身につけ、日本で生活した者にしか分からない世界というものはあるのだな、と感じました。
長い日本の歴史を振り返ると、明治維新がいかに大きなエポックを画する出来事だったかが分かります。それまでも中国大陸や朝鮮半島やヨーロッパの一部の国との接触はありましたが、明治維新を経て初めて日本は他の諸国に対してどういうアイデンティティを主張するのかを厳しく問われることになりました。そして開国要求に対するカウンターリアクションとしての一連の日本のアイデンティティの主張は東亜太平洋戦争の敗北を通して全否定されました。
敗戦後、占領軍による統治、復興期、高度経済成長期、オイルショックに端を発する高度成長の終焉、バブル経済の生成と崩壊を経て現在に至っています。この間の特徴は、経済成長至上主義、平和主義、人権主義を中心とする米国流価値観への転換を図った時期であるとして良いと思います。バブル崩壊後の経済政策や金融・産業界の対応策を批判し、「失われた10年」という問題の捉え方をする向きもあれば、経済の不振だけでなくこれと関連した様々な日本社会の停滞、後退した側面に批判の焦点を当て、日本の現状を「第二の敗戦」であるとする論調も数多く見られます。
現状が様々な意味で混乱し、停滞し、大きな問題を抱えていることは私も強く感じるところです。そして複雑に絡み合った糸を解きほぐしてゆくには、日本の長い歴史を再度振り返り、明治〜敗戦、復興〜バブル後の停滞という二つの時期をじっくりと見つめる事が大切なのではないかと思うのです。
こうした営みは言葉を変えると「日本らしさとは何か」を何度も自己に問い掛けてみることでもあります。必ずしも西洋的論理で整理される明快な理論として提示することはできないかも知れません。冒頭に掲げたささやかな例は、しかし、「日本らしさ」というものが確かに存在し、必ずしも諸外国の人々に理解されるものとは限らないことを示している可能性があります。
私見によれば、「日本らしさ」(=日本民族の特質)は、明治−敗戦期に見られたごとく、アイデンティティを対外膨張的に他国に強要してゆく姿勢を良しとするものではありません。また、戦後期に見られたごとく、生煮えの外国思想を丸呑みして消化不良を起こすのも日本的洗練からはかけ離れた所業と言えます。
しかし、同時に、日本らしさというものは、西洋流のガチガチの論理で明快に提示できる教条的なものではないだけに、上述した二度にわたる錯誤のごときを招き入れやすい「壊れやすいガラス細工」のようなものである点も見逃すべきではないと感じます。
西洋の用意した論理の土俵で対決すると日本の文化の負けは目に見えているように思います。彼らから見ると日本の文化、モノの見方や感じ方などは東の外れの土民のたわごとに過ぎない、ということになるでしょう。私はそれでも良いと思います。日本らしさの良さを感じられるのは最高の贅沢です。これを再発見し、高め、強める作業を行うことが必要なのではないでしょうか。
勿論、経済的な意味での繁栄も手放すわけには行きませんから、諸外国とのお付き合いもほどほどに続け、紛争の種のない関係を作り上げることは必要だと思います。ただ日本的な価値や美点を声高に主張する必要はないと思います。どうせ外国人には理解不能な世界ですから。