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如往さんへのレス
投稿者 たこです 日時 2002 年 11 月 18 日 15:38:52:

(回答先: 「たこです」さんへ;議論・雑談4へのレスです。 投稿者 如往 日時 2002 年 11 月 17 日 08:48:08)

如往さん、ご回答有難うございます。

>さて、日本(人)を擁護すべく歴史を探索したと申し上げましたが、結果として遺憾ながら失意に駆られることのほうが多かったのです。

私も似たような行為で似たような結論に至った事があります。しかし、今は別の感慨を抱いています。日本人は決して没論理ではない。英霊や戦没者を忘れ去る冷血漢でもない。敗戦の廃墟から日本を建て直して行ったのは、あの戦争で生き残った人々でした。「戦争はコリゴリだ、これからは経済だ」などと簡単に割り切れるはずがない。それぞれが心にルサンチマンを抱え、罪悪感(例えば戦友は死になぜ自分は生き残ったかという)を抱え生きていったはずです。むしろその心の暗闇こそが発展の原動力になっていったのかもしれません(事実そういう手記は多く見られる)。

そのような人々が社会の中心にあった1951、52年当時の国民意思を後世の人間が軽々しく「天皇制を廃止にすら追い込めない没論理や蒙昧さ」として片付けることができるのかは、じっくり省察してみる必要があると思います。その時には、もう誰も天皇を神とは思っていないのですから。戦争責任というのは政治次元の話です。人々は日本における天皇の存在を政治次元と賢明にも(と私は思いますが)切り離す決断をしたのです。

>あっしら氏は、「たこです」さんに投じたと同じように、『自らが時宜に応じて国家構造や国家価値観の転換をできないというほど日本国民は、英国国民や米国国民より劣った人たちから構成されているのですか?』と、今でも自問自答されているのではと想像しています

あっしら氏の投稿には私も深い思索の跡を感じます。私は如往さんよりもさらに新参者ですから、あっしら氏の論考全てに目を通しているわけではありません。おいおい拝読させてもらおうと思っています。ここでは英米国民との優劣が取り上げられていますが、私の狭い交際範囲からしてもアングロ・サクソン民族のきちんと教育を受けている連中は確かに優秀だと感じられます。しかし、同様にドイツ人も優秀な者は優秀ですし、ユダヤ系だとさらに頭の回転の速い者が多い。中国人も凄いのがいる。元々頭脳のデキが違うのではないか、と思える民族は多く存在します。しかし、個人レベルはさておき、集団で考えた場合、日本はかなり良い線を行っていると思います。戦いは常に一騎打ちというわけではないので、日本は日本の良さを生かした行き方があるでしょう。歴史の総括の仕方や代表の選び方についてもそうです。

>ところで、「たこです」さんにとってドイツ国民に関する理解はさらに深耕させていく必要を感じます。何故ならドイツの歴史は日本より峻烈な他国支配と被支配の繰り返しです。その中で、例えば多くのドイツ国民(特に統合後の西ドイツ国民を中心に)は、ヒトラーを容認した自責を連綿と問うて来たはずです。そうでなければ、たとえ今日の経済発展状況がそれを可能にしたとはいえ、今頃になって当時の軍需関連企業に対して戦争被害諸国民への新たな補償を命ずる決議を成立させることにはならなかったでありましょう。

戦後ドイツ史にさほど詳しいわけではありませんが、「ヒトラーを容認した自責を連綿と問うて来た」というのはちょっと疑問です。むしろ、ヒトラーとナチスに全ての罪をかぶせ、自国民族を守ったというのが本当のところではないでしょうか。有名なヴァイツゼッカー演説もそのように読み取れます。今頃になって軍需関連企業の補償問題が出ているのもあくまでもナチスとの絡みが前提でしょう。ドイツを悪く言うつもりは全くありません。あの観念論を作り上げる頭脳を持った民族であるがゆえに、曖昧さが寸分も許されず、ジェノサイドを犯した’フォルクス’という汚名を被らないためにはそのような論理を考案するしかなかったのだとむしろ同情しています。ドイツ民族というのは頭脳明晰で、一途に走る国民だと思います。

>つまり、ロマン・ロランにとっては世界内存在としてのフランス(国民)を定立していく出発点に、言わば個人にとっては自我の確立の出発点に立つことと同義なのですが、残念ながら私達日本人はこのプロセスを有し得ない、ないしは個別的にも捨象したまま今日に到っているのです。

デカルトを生み出した国にはそれ相応の伝統と精神的土壌があったと解釈すべきです。日本はそうではありません。そうでない日本に同じ定規を当てようとすることが、現代日本の精神分裂的状況を生み出しているのだと考えます。彼らと我々は異なる。では彼らとは何か。我々とは何かを今一度究明しなければならないでしょう。

>何れにしても、私はローマ法王や天皇もその他の王も少なくとも象徴としての歴史的役割をその多くが既に終えていると見ていますので、国民が国の未来を展望しようとするとき、その存在の様態が如何ほどの根拠となり得るか疑念を覚えています。ですから、これまでにも繰り返して来たように、寧ろ日本(人)はそれらを手放すかあるいは封印して自決・自立の道を探求すべきと考えています。

天皇制を廃止してしまおうという精神的態度を取る事に決めた日本人に何が残るのか、そこをまず議論しないと、それこそ空虚な深みの無い民衆の群れが取り残されるだけになるのではないかと危惧します。

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