現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: (キタノ)が北野映画をダンアツ!! 投稿者 前田亜季ファン 日時 2002 年 10 月 26 日 00:34:54)
旧日債銀の暴力団関連などへの融資残高1200億円
金融庁は30日、読売新聞社による行政文書の開示請求に対し、大手銀行など15行に総額7兆4592億円の公的資金の注入を決定した99年2月から国民銀行など第二地方銀行の破たん認定などを行った99年6月までの金融再生委員会議事録を公開した。
破たんした旧日本債券信用銀行の資産判定に関する資料の一部も公開され、総会屋や暴力団とつながりがあると見られる企業など「反社会的勢力」との関連が懸念される貸出先は34件、残高は1200億円に上っていた。
一方、再生委は、公的資金の注入にあたってリストラや再編について執ように各行に確約を迫るとともに、公的資金が返済不能になることや優先株の配当が不能になることに懸念を抱いていたことも分かった。
大手行への資本注入の直前の同年3月8日の再生委で行われた各行とのヒアリングでは、第一勧業銀行に対しては「(経営健全化計画で)具体的な業界再編にあまり触れていない」として、委員から口頭で説明を求められた。あさひ銀行は「健全化計画は国民に対する一種の約束事。ぜひ頭取はじめ、そのつもりでやって頂きたい」と念押しされた。
日債銀の貸出先に反社会的勢力が多数含まれていたことについては、同年3月5日の再生委で明らかにされた。柳沢委員長は「単なる経済的な(資産)判定だけでなく、社会的な判定もしないと、えらいことになる」と述べ、日債銀の融資先の実態に強い危機感を示していた。
関連特集 金融再生委 議事録公開
(2001年10月31日12:24)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20011031mh06.htm
第3章 大蔵官僚腐敗と不良債権処理
300億円献金事件と金丸信の不正蓄財
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
金庫番をつとめた岸田文武の妹と宮沢喜一(次期首相)の弟が結婚する義兄弟の関係がそこにあり、世に"300億円献金"と呼ばれる事件が起こった。岸田文武が自民党の金庫番となって、日本商工会議所会頭の石川六郎たちに、特別献金を迫ったのである。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
その300億円を一手に引き受けて党内に分配したのが、金丸信であった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
金丸信の個人資産が100億円を超えていたのだから。金丸信は、それらの不正蓄財を、選挙のたびに増やしてきたことが明かになっている。ゼネコンからの盆暮れの闇献金も、選挙と関係なく、膨大な額にのぼった。それらは、たとえば割引債として、日本債権信用銀行(日債銀)のワリシンや日本興業銀行(興銀)のワリコーを購入して無記名の債権に化け、ワリシンは86年に9億円、89年に8億円、90年に3億円、ワリコーは86年に 10億円、89年に10億円、〆めて、これだけで、40億円に達していた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
日債銀は頭取として権勢を誇った勝田龍夫が、すべての腐敗政治家に通じる閨閥にあった。 - 戦前の朝鮮銀行を母体行として、戦後1957年に日本不動産銀行として再出発し、 77年から日本債権信用銀行と改名されたが、その過程で児玉誉士夫や小佐野賢治が暗躍し、のちに述べる福島交通の小針暦二会長に融資するなど、政商の檜舞台として大がかりに使われてきた銀行である。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
自民党が大敗する89年参院選の数ヵ月前から、広域暴力団・稲川会の石井進・前会長が、大手証券会社を窓口として、東急電鉄株の買い占めという新しい事業に乗り出していた。このため東急株は急上昇したが、バブル崩壊のあおりを受けて、1年もたたずに半値近くに大暴落してしまい、石井前会長は絶体絶命の窮地に追いつめられていった。
ここに手を貸したのが、野村證券であった。
東京佐川急便の渡辺広康社長たちが、兜町の相場を動かす仕手集団「光進」の小谷光浩グループと一体となって、野村證券に開いた暴力団・稲川会の口座に資金を提供するという、壮大な投機のメカニズムができあがった。稲川会の系列企業の役員が、東京佐川の監査役として経営に参加するほど"深い関係"になっていた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
イトマン事件で述べたように、光進の小谷グループの子会社社長が設立した貴金属販売などをおこなう会社では、竹下内閣の運輸大臣をつとめた佐藤信二の秘書が、社長の椅子におさまっていた。さらにこの時、稲川会系の不動産会社「北祥産業」の債務約34億円を東京佐川急便が肩代りした。
その返済資金は、福島交通・会長の小針暦二グループが所有する不動産を、無償で担保にして調達されていた。前述の日債銀から、120億円の融資を受け、新幹線の白川駅予定地の周辺の土地を買い占めた男である。
小針会長はロッキード事件の田中角栄と密着した人物であり、蔵相時代の竹下登に、政治資金として、3億5000万円を無利子で貸与していた。自民党の副総裁をつとめた金丸信が、脱税容疑で逮捕されたのは93年だが、竹下登の長女が金丸信の長男と結婚し、竹下の近親者が、小沢一郎であった。
そればかりか、東京佐川の渡辺広康社長に、世界平和研究所という財団法人が、金を無心していた。この研究所の会長が、中曾根康弘であった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
光進の小谷光浩代表のボディー・ガードを勤めていたのが、稲川会の組員で、蛇の目ミシンの恐喝に、稲川会の名前が使われたこともある。この光進グループが、航空測量や土木設計などの事業をおこなう大手の国際航業を乗っ取るという事件が87年に起こった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
この事件では、のちの大蔵大臣・三塚博が小谷光浩の乗っ取り工作に関与していたことを、イトマン事件のところですでに述べたが、国際航業の役員から多くの政治家に対して、事前に債権などが優先的に譲渡されていた。
特にその債券売買では、中曾根康弘の側近名義での"相対取引"が明かになった。相対取引とは、店頭で売値を即決する方法である。証券会社を通さずに、特定の政治家のもとでは、このように特権的な取引きがなされていた。さらに稲村利幸・元環境庁長官の場合には、国際航業などの仕手戦に便乗して、およそ28億円という途方もない所得を手にしていた。
http://members.tripod.co.jp/saitatochi/35.html
石井議員刺殺:
特殊法人改革に火 「バトル・ロワイアル」論争
「日本にはベルリンの壁がある」。25日刺殺された石井紘基衆院議員は日ごろから日本経済は見えない部分が多すぎると憂えていた。初当選から1年後の94年、住都公団発注の工事はいつも子会社が落札する――そんな友人の情報が、「壁解体」に向け突き進むきっかけとなった。
石井氏はこの問題を同年10月の臨時国会で取り上げ、実態を暴露。道路公団の権益なども調べ、特殊法人改革に火をつけた。「党国会Gメン」を率い、KSD(中小企業経営者福祉事業団)をめぐる政府・与党のスキャンダルを追及した。
事務所を訪れると「ちょっと待って」と、常に埋もれる書類と格闘していた。最近は不良債権処理に絡むヤミ金融問題を調査していたようだ。
そんな石井氏が違う一面をのぞかせたのは、2000年末。深作欣二監督の中学生が殺し合う映画「バトル・ロワイアル」について、国会で「残虐シーンを見せつけていいのか」と追及。15歳未満は入場禁止となったが、「表現の自由」と「倫理」をめぐり論争を巻き起こした。
長引く不況に党内からは財政出動を求める声も起きている。が、石井氏は党の会合でこれをはねつけ、「構造改革路線」を維持した。周囲に「民主党が国債増発を言ってどうする。結局政策のバックボーンがないからだ」と嘆いた。
93年に旧日本新党から衆院に当選し、自由連合、旧さきがけを経て民主党に移った。政党を渡り歩いた分だけたくましさを身につけたのか、党執行部にも遠慮がなかった。鳩山由紀夫代表を「指導力に欠ける」と批判。先月の代表選では菅直人氏を支持した。その後の党 の混乱ぶりに「分裂新党にでもしなきゃ。民主党が忘れられちゃう」と 危機感を漏らしていた。 【吉田啓志】
[毎日新聞10月25日] ( 2002-10-25-23:09 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20021026k0000m010134000c.html