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(回答先: 石井紘基『バトル・ロワイアル』国会で法規制を主張 投稿者 前田亜季ファン 日時 2002 年 10 月 26 日 10:59:25)
深作欣二監督 がん再発を告白
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映画「バトル・ロワイアルII」の企画発表会見でがんを告白した深作欣二監督(右)と息子の健太氏
映画「仁義なき戦い」シリーズなどで知られる深作欣二監督(72)が25日、骨がんであることを公表した。都内のホテルで行われた大ヒット映画の続編「バトル・ロワイアルII」の企画発表会見で明らかにしたもの。同作で通算61本目。深作監督は「なんとか最後まで持ちこたえたい。そこで燃え尽きたら一つの終えんとなるでしょう」と、命がけで撮影に挑む決意を語った。
会場で配布された「たとえこの闘いで生涯を終えようとも、わたしには一片の悔いもない」とのメッセージ。重苦しい雰囲気の中、つえをついた深作監督が、長男でプロデューサーの健太氏(30)、東映の岡田裕介社長(53)とともに登場した。
冒頭「健康上の理由というもったいぶった言い方ですが…」と切り出した。サングラスを外して目をぎゅっとつぶり「持って生まれた寿命というどうしようもないものがありましてね…」「この辺でいい加減往生するようだということもあったわけですから…」などと話すが言葉がうまくつながらない。見かねた健太氏が「6年前に手術した前立腺がんが、骨がんとして全身に転移しています」と代わって説明すると、報道陣からは大きなどよめきが起こった。
健太氏によると、前作の撮影が終了した00年夏、背骨など骨への転移が見つかった。現在は痛み止めの薬と放射線による治療を数カ月おきに行っている。直接命にかかわるという状態ではないという。
しかし、骨がもろくなっており骨折などのアクシデントに見舞われれば、そのまま動けなる恐れもあるため、担当医はドクターストップ。それでも戦時中に青春時代を過ごした深作監督は「この作品は初めての戦争アクション。自分の青春時代を“バトル・ロワイアル”という青春映画で撮りたい」とこの作品にこだわった。その強い意志を前にした健太氏や東映は「私たちももう一度深作監督とともに戦おう」と同作の製作を決めた。
現在、脚本の作成やオーディションを行っており、12月にクランクインする予定。冬場の寒さで痛みが増すことも予想される中、深作監督は腰にコルセットをつけたまま、決死のメガホンを取る。公開は来夏の予定。
◆深作 欣二(ふかさく・きんじ)1930年(昭5)7月3日、茨城県水戸市生まれ。53年に東映入社。61年、「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で監督デビュー。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで映画界に旋風を巻き起こし“アクションの深作”と呼ばれる。82年の「蒲田行進曲」では映画賞を独占した。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2002/09/26/01.html