米国格付け会社による日本国債の格付け変更に対する懸念や疑念が市場の大きな関心となっている。スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は15日、日本国債を「AA−」へと1段階引き下げた。すでに見直し作業に入っているムーディーズも近く、判断を示すと見られており、もし、引き下げれば、「シングルA格」に転落する。
日本国債の相次ぐ格下げでは、政府の財政状況、進展が危惧される構造改革、政治状況、不良債権問題などが盛んに論じられてきたが、この稿では、競争力、倫理観など、日本国を支える、より根源的な面に焦点を当てて、日本企業や国家の信用力、信認を考える。
国産ロケット・H2A
今年1月に雪印食品の牛肉偽装事件が発覚した。それ以来、四国、熊本など全国で食品に関係する偽装事件が相次いでいるという。雪印食品は「再建」を断念して、解散を決め、親会社の雪印乳業も経営の危機に瀕している。
雪印問題が深刻化するなか、金融・資本市場関係者が見過ごしがちだが、日本の科学技術史上、重要な出来事があった。それは宇宙開発事業団によるH2A号機の打ち上げだ。
1998年以来、相次いで失敗していた国産ロケットの打ち上げだけに、関係者はH2Aに望みを託した。しかし、結果はまたしても満足できるものではなかった。打ち上げ自体は成功したが、衛星の一つが分離できなかったためだ。
メイド・イン・ジャパン
社債や株式投資などを通じて長く、日本企業を見てきた富国生命保険・有価証券部の櫻井祐記部長はこれを見せつけられて「何か、嫌な感じがする」と打ち明けた。
そして雪印問題。同社が引き起こした一連の不祥事の背後にあるものを考えると、これは会社固有の問題ではなく、日本の製造業の技術水準そのものが問われている事件だったのではないか、と思えてきたという。
雪印問題やH2Aの不満足な結果は、それを象徴しているに過ぎない。「メイド・イン・ジャパンの危機」。これが根本にある、というわけだ。
「製造業の技術水準の低下」、「国際競争力の低下」、「『恥の文化』に代表される隠す体質」、「倫理観の著しい低下」、「学力の低下」――。櫻井氏はまた、雪印問題の根は深く、現代の日本が抱えているこうした課題が、凝縮されているとも指摘した。
技術水準の足元が揺らいでいる
「失われた十年」。よく言われる言葉だ。また、日本経済の低迷は「必要とされるものをあまりにも多く造ってしまった」という供給過剰が本質であるという指摘が多い。過剰な債務、不良債権問題、地価の下落などは、いずれも「オーバーキャパシティ」が根源的な原因だ、と指摘する声も多い。
深刻な不況のなかで指摘されるのは、不良債権問題や構造改革など制度・資本に関わる問題や過剰債務による企業倒産で、製造業そのものの技術水準に対する危機感は少なかった。
しかし、「その製造業の技術水準がここにきて足元が揺らいでいる」(櫻井氏)。戦後、半世紀にわたり、世界史上でも稀な発展を遂げてきた日本の製造業が危ういところに来ている。
「キャッシュフロー黒字に目が奪われた」
日興ソロモン・スミス・バーニー証券・債券本部の阿竹敬之アナリストは「自動車メーカーに関して言うと、研究開発力、生産技術で決して他国に負けていないと思う。特に、トヨタのカンバン方式に代表される生産技術については、トップ・レベルであることは間違いないと思う」と確信する。
一方、「特に総合電機などのエレクトロニクスに関しては、相対的に技術力は低下してきていると感じている。バランスシートの改善、キャッシュフローの黒字化の方にばかり眼がいってしまい、肝心の投資に対して慎重になりすぎ、世界的な競争力を後退させてしまったような気がする」(日興ソロモンの水野辰哉アナリスト)との声も聞かれる。
総じて言えば、日興ソロモンの阿竹氏の言うように、日本の製造業の技術水準が依然として世界的なトップレベルにあることは確かだが、その足元が揺らいでいるというのもまた確かのようだ。
日本の競争力は26位―韓国が肉薄
それでは技術力も含めた国際競争力はどうだろうか。経済産業省は、日本の競争力に危機感を抱き、昨年11月に産業競争力戦略会議を招集した。戦略会議では「日本経済の厳しい状況を生み出している要因の一つとして、我が国の産業の一部が国際競争力を低下させていることも主要な要因の一つと考えられる」との認識を示している。
スイスに本拠を置く、国際経営開発研究所(IMD)の調査によると、日本の国際競争力は1990年代初頭に2−3位だったのが、2001年には26位。その凋落ぶりが際立つ。ムーディーズから3月に「A3」と格上げとなった韓国が 28位と肉薄する。
それでは、国際競争力と信用力の関係はどうだろうか? 日興ソロモンの阿竹氏は「トヨタに関しては、株主資本の厚さや、自動車部門の実質的な有利子負債がゼロであるなど、バランス・シートの強さもさることながら、国際的な競争力の強さが格付けに反映されていることは明らか」と説明する。
一方、「三菱自動車やマツダも技術面での国際競争力が決して低い企業ではないと考えるが、財務内容の悪さに加え、為替抵抗力、生産の効率性、販売網、継続的に新車を出していく能力、ブランド・イメージなどの国際競争力の面で見劣りすることが格付けに表れていると言えるだろう」という。
つまり、国際競争力と債務返済能力を示す信用力には「正の相関関係」があると結論づけることができる。これまでの議論をまとめると、日本の製造業では、技術力が足元で揺らいでいるうえ、経営効率、販売力などの総合的な国際競争力の面で米国(1位)、シンガポール(2位)、ドイツ(12位)などに大きな遅れをとっていると言える。
デフレ、倫理観を低下、犯罪率アップ
雪印問題では日本人の倫理観が大きく問われた。古来より、日本人は非常に倫理観が強い国民と言われてきた。おそらく、儒教、禅、武士道などの仏教思想や封建的な生き方が大きく影響しているせいだろう。
その一方で、日本人には「臭いものには、ふたをする」という「隠す文化」も強くみられる。富国生命の櫻井氏は「雪印問題には『恥の文化』が底流にある」と看破する。
日本は深刻な経済不況のなか、大きく低下した国際競争力を取り戻そうと急いだために、倫理観を犠牲にしてはいなかったのだろうか? 警察庁の調べによると、日本では不況の深刻化とともに犯罪率が過去最悪を記録しているという。
2001年の刑法に基づく犯罪は前年比約12%増の約273万人にも及ぶ。「窃盗、強盗、放火、強姦、暴行、傷害などが多い」(警察庁・広報部)という。「デフレは倫理観を低下させる」(櫻井氏)という言葉を裏付けるようだ。
財界総本山の凋落
経団連は、2000年3月に人材育成委員会(委員長:浜田広・リコー会長)がまとめた「グローバル化時代の人材育成について」を発表した。しかし、それには、かつての財界総本山の面影はもはや残っていない。
そこでは「教育訓練における競争原理の導入」、「教育の情報化」、「英語等のコミュニケーション能力の強化」、「インターネット時代にふさわしい教育法の開発」などを強調はしている。だが、倫理観など今の日本人にもっとも求められている面での問題提起が少ないからだ。
もちろん、多少は触れてはいるが、一歩、踏み込んだ議論はほとんどない。発表文では「プロ意識」という項目で、倫理観に触れているだけだ。そもそも「プロ意識の倫理観」とはなんだろうか? 倫理観とは、それ以上の崇高なものであり、人間にとって、もっと根源的なものではないのか。
アンビジブル・クライテリア
日興ソロモンの水野氏は「倫理観、特に経営者の倫理観と格付けとは相関関係があると思う。格付けを決める際、マネジメントについての評価がかなり影響するケースは結構あると思われる」。倫理観と企業の信用力の関係を強調する。
また、マネジメントについての評価によって、単に財務面の数字を比べた場合とは異なった結論が出された例もいくつかあった、と記憶しているという。
さらに、水野氏は「経営者が自分自身の倫理的基準を持っていないと、へたをすると企業を破滅へと導きかねないのであり、トップの倫理性の高さを『見えざる資産』に加えたいと思う」と語る。難解な財務分析と同時に経営面での倫理観の評価が実際に格付けに影響を与えるというのは興味深い。
詩聖・杜甫
技術力や国際競争力、倫理観の低下に加えて、最近、よく議論されるのは学力の低下。分数の掛け算さえも出来ない大学生もいると言われるなかで、「ゆとり」を重要視した新学習指導要領に基づく教育が4月からスタートした。しかし、その評判は芳しくない。
日本数学会の楠岡成雄理事長(東大大学院教授)は、個人的な見解としながらも、「ゆとりのある教育には疑問を感じる。また、学力の低下は、当然ながら製造業の技術水準を低下させるだろう」と警告する。文部科学省は「学習指導要領は、国が定める最低の基準」という見解を表明したが、国が教育に対する責任逃れだという批判も多い。
技術力、国際競争力、倫理観、学力――。いずれも一国の浮沈のかぎを握るほどの力を持つ、重みのある言葉だ。そのいずれもが、企業や国の信用力に直接、間接に結びついている。そのすべての面で日本は危機的な状況にある。
西暦755年、唐の玄宗皇帝の時代、安禄山の戦いに敗れた折り、詩聖杜甫は「国破れて山河あり。城春にして草木深し」と詠んだ。杜甫が偉大なのは、たとえ敗れても強い倫理観、正義感を持っていたからに違いない。
あらゆる面で閉塞状況にある日本では、杜甫のような豊かな情緒のある詩など出て来ないのではなかろうか? 信用力を超えて、今や、日本国の在りよう、あるいは国柄、国のかたちそのものが問われている。