(回答先: 国破れて山河あり―消えるこの国のかたち(東京 4月24日ブルームバーグ) 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2002 年 4 月 24 日 12:10:26)
最近、世の中の価値を決めている基準に、疑問を抱くことが多くなりました。格付け会社の格付けというものが、いかなる基準で決められているのか? やはり、投資家の利益になるかどうかということが基準なのでしょう。でも、それなら、投資家栄えて従業員(国民)滅ぶ、ということになるのが当然の帰結のような気がします。
どんな企業がいい企業なのか? どんな国家がいい国家なのか?
従業員とその家族が幸せで、その生産品が消費者を幸せにして、生産活動が環境を破壊するのではなく逆に豊かにして、第三世界との経済格差を減少させていくような企業。その企業の活動が広がれば広がるほど、空気や水がきれいになって、飢えに苦しむ人たちが少なくなって、戦争に巻き込まれる人たちが少なくなって、倫理観を取り戻す人たちが増え、他者を傷つける人たちが減って、他者に愛をもって接する人たちが増えるような、そんな企業が求められているのではないでしょうか? そして、そういう観点で格付けをおこなう「格付け会社」が一つはあってもいいのではないでしょうか? まあ、理想論ですが・・・。
そういう観点で格付けをしたら、アメリカは最低でしょう。(ついでに、日本は下から3番目くらいか?)アメリカという国家の活動が地球上からなくなれば、それだけで200年くらい、地球環境の寿命は延びるのではないでしょうか?
とにかく、いろいろなものの基準を考え直すことが大事だと思います。たとえば、農地でも、化学肥料や農薬をつぎ込んで、エネルギーを投入しながら、その土地の土壌がもつ生産性を摩滅させるような農法を行っている田畑と、有機肥料を取り入れて、地域の有機廃棄物の処理をあわせて、少しは土壌のもつ生産性を引き出そうとしている農法を行っている田畑、肥料や農薬を極力投入せず、土地そのものの生産性と環境のもつ防除能力を極限まで引き出して「無から有を作り出している」田畑に分ける。そして、純粋な意味での生産性が高く、環境への負担が少ない田畑への課税額は少なくし、逆にエネルギーの投入量が多く、環境への負荷も高い田畑には、ペナルティとして課税額を高くするとか・・。さらに、アスファルトで舗装されている土地は、土壌の生産性を犠牲にし、さらに透水性の面でも貢献していないことから、高額の課税をかするとか・・、そういったことを考えてもいいのではないでしょうか。
農地がどんどん駐車場になっていく姿を見ていると、もうそろそろ自動車の生産も止めたほういいのではないか? 国破れて車あり・・になってしまうぞ、みたいな気になります。トヨタもホンダも元気ですが、あえて言えば、あまり元気であってほしくない企業のような気がします。ビール会社も、ローン会社も、パチンコ会社も、最近では携帯電話会社も、そしてそうした企業の広告で潤っているマスメディアも、所詮、日本人を依存症に追いやることで利益をあげているのであって、高く評価されるべきではないと思います。ビール会社とタバコ会社の広告費は、すべて国民の肺がんおよび肝臓疾患の治療費に回すとか、高速道路の建設費の請求書は、ぜんぶ自動車会社に回すとか(だって、道路が整備されることによって、地域経済と地域の共同体が破壊される一方で、自動車の売上がのびるのだから、血税で道路を作るのはナンセンスでしょう!)、そういう具合に利益や売上の背景にあるデメリットについては、当該企業に自分でけつを拭くようにさせれば、少しは変わってくるのではないでしょうか???・・なわけもなさそうですね。