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「竹中プロジェクト」は、ペイオフを2年延期して銀行破綻処理に向けた条件づくりを固めつつある。
(任期満了時点の総選挙との兼ね合いで考えれば、2年間でプロジェクトで完了させるという表明だとも言える)
「竹中プロジェクト」の目的は、銀行の一時国有化を経たメガバンクの外資への売却を通じた日本経済全体の“献上”であり、それを阻止できるかどうかが日本経済の命運を決するものであるという趣旨の書き込みを行ってきた。
しかし、そのような危険な政策であることを承知で、銀行の国有化という過程までは、それ自体が「デフレ不況」を解消するものではないが、「デフレ不況」を解消するための足掛かりになる政策である。
(デタラメ経済学者竹中大臣のように、「本当に必要な企業にカネが回るようになる」という嘘っぱちの足掛かりではない)
米国支配層の意向を受けた売国的「竹中プロジェクト」による“不良債権処理加速化”政策は、これまでうじうじと進めてきた金融問題打開政策の突破口となるものであり、えぐい目的のために汚い手で行われるとしてもそれを奇貨として活用すべきである。
「竹中プロジェクト」の最大の問題は、明示的ではないメガバンクの外資への売却云々を脇に置けば、不良債権処理加速化を行った後の青写真を提示しないまま、国家・国民経済の存亡に関わることを推し進めようとしていることにある。
目的が「デフレ不況」からの脱却であり日本経済の再生であるのならば、銀行の一時国有化を辞さずとする“不良債権処理”=過剰債務企業の破綻処理の後にどういう政策を実行するのかを示さなければならないのは自明である。
過程的段階的に細かく政策を示し、抜けている政策はないのかということを含め、それら政策の一つ一つの妥当性を政治の場と国民の場で論議しなければならないのである。
実作業にはいる前にそれを行わなければ、勝算も落としどころも持たないまま対米開戦を行った戦前の日本と同じ轍を踏むことになる、
銀行が保有資金の運用先に悩んでいるなかで、「本当に必要な企業にカネが回るようになる」という説明はまったくもって根拠にならないのである。
銀行の一時国有化を辞さずと言いながら、国有化した銀行をその後どうするかさえ示されていない。
ただただ、“不良債権処理加速化”と過剰債務企業の退場が必要であると叫んでいるだけである。
バブル形成とバブル崩壊で100兆円を超える不良債権=過剰債務を抱え、98年から本格化したデフレ・スパイラルのなかで不良債権=過剰債務をさらに増加させている銀行が、自力で再生することはできない。
国策の庇護を受けながらも70兆円ほどしか不良債権の処理ができていない銀行は、個別銀行の経営努力で乗り越えることができない「デフレ不況」という経済条件のなかで、ひたすら自身の生き残りに汲々としているだけである。
(このような状態にある銀行が生き乗っていることのほうが、ゼネコン・流通・不動産などの過剰債務企業が生き乗っているよりもずっと大きな悪影響を日本経済に与えている)
過剰債務企業を元凶とみなすのではなく、銀行が現在の経済的災厄を引き起こした元凶であるという認識を論議の出発点としなければ、問題解決に向けた道を歩み始めることはできない。
国債引き受け以外にまとまった運用先がない現状で銀行が機能や収益力を回復することはなく、そのような状況で生き残りを図る銀行ができることは、リスクに過敏になって、“貸し渋り”・“貸し剥がし”を行い、保有している預金でわずかばかりの運用益が手に入る短期国債を引き受けることくらいである。
銀行が保有する国債をはじめとした証券類を日銀が買い取ったところで、取り付け騒動に対応できるだけで、デフレが解消できるわけでも、銀行の財務状況が改善されるわけでもない。
(利息や配当が支払われる証券類が、銀行が保有していても利息さえ付かない日銀券に変われば、さらに財務状況が悪化する。日銀の当座預金口座に預けても無利息である)
銀行が保有している不良債権を実質簿価でRCCが買い取っても、銀行の重荷が軽くなるだけで、デフレが解消できるわけではない。
(預金という債務に対応する債権が回収困難債権から日銀券に変わるだけで自己資本が増加しないから、財務状況が改善されるわけでもない。自前の不良債権とは違って自己資本が減少しないメリットだけである)
RCCへの不良債権売却は、国民経済的循環構造から新たな不良債権を増加させることになり、究極的な「破綻=国有化」を避けることができない。
銀行が、本来の収益源である貸し出し先をなくし、国債と日銀券を貯め込んでいる経済状況は極めて深刻な未曾有の“異常事態”である。
日本経済は、銀行が保有している不良債権の買い取りで「金融システム」が安定化するわけでもなく、国費を投入した不良債権処理や資本増強を行っても「デフレ不況」が解消できるわけでもないほど苛酷で一筋縄ではいかない経済状況にある。
個別銀行が“資本の論理”で対処することができず、個別銀行が“資本の論理”で実施する生き残り策では日本経済全体が泥沼に引きずり込まれる経済状況であるが故に、生き残りに汲々とせず、国民経済の再生を第一義として経営を行える国有化銀行が必要なのである。
「一時国有化」を辞さずということは、旧長銀などと同じように、銀行の後始末に厖大な国費を投じるということである。
そこまでカネをかけた「国有銀行」を内外を問わず民間資本に超破格値で売却することは国家犯罪である。
1000億円強で売却した新生銀行がこれまでにいくら収益を上げ上場すると推定株価がいくらになるかを考えれば、その犯罪性は明瞭であろう。
(同じようなえげつない経営を行えとは言わないが、外資を太らせるよりは、同じ経営を行ったとしても、収益や株式売却益を国庫に入れたほうがいいに決まっている。新生銀行は上場すると1兆円近い株式時価総額になると予測されている)
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※ 参照書き込み
『日本経済が「国民経済」ではなくなる日 − “金融資本の論理”が支配する日本とは −』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/1214.html )
『小泉政権は「デフレ不況」の怖さを知らない − インフレは抑制できるがデフレは尋常な手段では解消できない −』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/1074.html )
『「銀行国有化」の先にある大災厄 − 「不良債権処理」で日本は経済的自立も失う −』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/1141.html )
『「米国依存構造」ではあったが経済は自立していた日本 − 銀行の外資化は甘いものではない −』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/1157.html )
『国有化銀行を「短期間では売却しない」という政治的国民的コンセンサスの形成が急務』
( http://www.asyura.com/2002/hasan15/msg/134.html )