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(回答先: Re: ユートピア 投稿者 招き猫 日時 2002 年 9 月 10 日 07:42:12)
少し、論点がずれているかもしれませんが御容赦を。
貴殿の投稿を拝読していて疑問に思った点を個人に限定して書きます。
経済の専門家ではないのでその点を含み置きください。
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仮に、個人のフローに対してはその考えが成り立ったとしても、個人のストックに関してはどうなのでしょうか?
現在の格差や無力感の蔓延は、むしろストック(遺産相続.親の職業などによる家庭環境格差.土地持ちかどうか.など)にこそあると思いますが...
理想社会は(先祖代代からの)ストックの議論抜きには語れないように考えます。
ストックの有無こそが経済格差の大元になっていませんか?
(その意味において、バブルはストックの有無を切実に国民に知らしめた出来事だったと思います)
個人的にはフローの格差より先祖からの積み重ねであるストックの格差の増大の方が、社会的影響は大きいと考えています。
なぜなら、本人の努力や幸運などによりフローが拡大する可能性は残されていますが、大きすぎるストックの格差は本人一代だけではどうしようもないものであることがしばしば見うけられるからです。
また、フローである収入にかかる累進課税等の強化は「頑張って稼ごう」「努力しよう」との気持ちを萎えさせ、やる気を阻害する要因になると考えます。
累進課税の強化は簡単ですし、世間の嫉みや嫉みに答える上で採り易い政策かも知れません。
しかし、人間は無意識のうちに合理的な選択をしています。
たくさん稼いでも手元に僅かな分け前しか残らないなら、少なく働こうとの選択をする人が増えてもおかしくありません。
仮に、国民が皆同じ年収を得る社会になったとしたら、その時こそ、ストックの多寡がモノを言います。
万一、このような選択をする国民が9割超になったら、国の税収は減り続け、国家として立ち行かなくなるのではありませんか?
このような人が増えつづけたら、国力自体が低下すると考えます。