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「匿名希望」氏の『榊原論文』( http://www.asyura.com/2002/hasan12/masg/480.html )に対するレスです。
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榊原論文の概要紹介ありがとうございます。
榊原氏については、今年正月のNHK衛星1の特別番組で「9・11以降の変化は、100年に一度、いやひょっとしたら数百年に一度の一大変化かも知れないと思っている」と発言していたのが印象的でした。
自身が現在の世界的変動は最終的に数百年に一度の大変動に結びつくと考えていたこともあって、榊原氏がどういうイメージを内面的に抱きながら発言しているのかなと興味を覚えました。
榊原氏の著書「新しい国家をつくるために」(中央公論新社刊)を買い求めることでその一端を窺い知ることはできましたが、添付データのほうに価値があるといった感じでした。(このボードでも最近書き込みがあったような江戸期の見直しもされていました)
数百年に一度の大変動を大混乱ではないかたちで乗り切るためには、まず数十年に一度の改革を実施し、次に百年に一度の改革という歴史遡行的手順をとることが必要だと考えています。(当然のこととして時間軸としては前に進みながらですが)
そのような過程的対応であれば、小混乱は起きるとしても、大混乱にはつながらなくてすみます。
少し具体的に書けば、「戦後世界構造の見直しと是正」→「産業資本主義世界化の意味捉え直し」→「近代の意義と近代をベースにした未来の展望に関する論議」という手順で、問題認識の共通化と矛盾を解消するための政策を見出す必要があると思っています。
歴史を現在から過去に少しずつ遡りながら現在的問題に結びついている阻害要因を見つけ、その是正策を実行して解決しながら、将来に向けて歩み続けるという流れが必要だと考えています。
この作業を怠って現在的問題を現在的現状分析に依拠した智恵のみで解決していこうとすれば、ますます矛盾が激化し、制御不能な混乱(経済的にも政治的にも)が発生すると予測しています。
先進国国民経済は、歴史的に上昇させてきた高い「労働価値」と蓄積された通貨的“富”を経済的基盤にしていることで、“ゴム風船”ではなく“紙風船”と言うことができます。
“紙風船”である先進国は、“ゴム風船2である発展途上国のように経済が一気にシュリンクすることはありません。しかし、日本を除く先進国が70年代から徐々に萎み始め、日本も90年代から徐々に萎んでいます。
そして、これまでのやり取りでも書いたように、輸出増加や政府支出による“紙風船”への空気の送り込みは限界に達しています。(需要サイドからの紙風船の活性化は困難になっているということ)
確実にやってくると考えている「世界同時デフレ不況」は、“紙風船”をひっぱたきさらに萎ませていくことになります。(この過程でいくつもの“ゴム風船”(発展途上国)が経済的に破綻します)
「世界同時デフレ不況」を経済合理的な政策で乗り切れるかそうでないかが、今後の世界史の大きな分岐点になると考えています。
概要をご紹介いただいた榊原氏の“政府紙幣”構想については、それだったら、数十兆円の赤字国債をさらに積み上げて同じことを実行したほうがよろしいと判断します。(“それだったら”というのは、“政府紙幣”を限定的なものと位置づけていることを意味します)
>・現在日本が直面しているデフレ経済はひょっとすると100年に一度の構造的なもの
>かも知れない。だとするとこれまでの政策運営の延長では適切な対処は不可能である。
従来的な政策運営の延長では不可能という趣旨だと思いますが、100年に一度の構造的な問題と捉えていることは、現状を一時的な問題としたり、バブル崩壊に原因を求めたり、経済思想=非自由主義に要因を見出したりする傾向が多いなかで極めて意義がある捉え方です。
100年に一度という重大な経済局面にあるという認識を、日本に限らず、世界の幅広い人々が共有する必要があると思っています。
>・日銀に対し、より積極的なオペレーションを求めそれが実行されると、金融政策の
>枠組そのものを破壊する恐れがある。それを避けるためには政府紙幣の発行が有効で
>ある。
日銀のオペレーションが現在の問題解決に無効であることはこれまでの歴史過程で明確になっています。(インフレターゲット論を唱える人はそれが理解できていません)
“政府紙幣”の流通に関する具体的な手法はわかりませんが、国民経済に2種類の通貨が併存する方が金融政策の枠組みをおかしくすると思えます。
数十兆円の政府紙幣と65兆円ほどの日銀券が混在している国民経済は、存立は可能だとしても異様な姿です。
>・政府紙幣を数十兆円規模で発行することにより、金融機関の不良債権問題と過大債
>務企業群の問題を一体的に処理し、日本経済再生の端緒とする。銀行や企業の経営陣
>の責任を問う事は当然だが、その程度問題としては、自由主義経済国家として節度の
>ある対応が必要。
>・政府紙幣の発行はこれ一度きりで二度目はなし。この制限により「財政規律の維
>持」問題は辛くも守られる。
政府債務をさらに積み上げることなく問題解決を図りたいという趣旨はよくわかりますが、おそらく30兆円ほどになる“政府紙幣”の発行を一回限りで発行するというのなら、30兆円の政府債務を“いったん”積み上げることで処理したほうが絶対的に好ましいと考えます。
政府債務で得た日銀券を普通株式のかたちで銀行に投入し、日本経済の再生を図り(実質銀行国有化ですから政策も遂行しやすくなります)、将来その株式を売却することで債務を返済を行うという自説のほうが、政治的にも経済的にも合理的です。
(“政府紙幣”を発行できるようにする政治的プロセスの方が銀行への公的資金注入よりも困難です)
>この論文に対する世の反応を見ると、いわば黙殺されたような格好になっている。
>つまりは、「そんな非常手段を採らず地道に改革路線を続けよ」というのが現時点で
>の国民的コンセンサスであると見なされる。これから長く苦難の道が続く。しかし日
>本が生き残る道は、外科手術を自らに向かって断行すること以外にない。
>80年代半ば以降、様々な分野で誤った方向を倦まずたゆまず少しづつ修正してゆくの
>だ。15年間の過ちを正すには15年間かかると見て大過ないだろう。
世間の反応は、“100年に一度”という榊原氏の“危機感”が理解できていないことに拠ると思われます。高度成長期にもあった不況や70年代のスタグフレーションの延長線上で「デフレ不況」を捉えているのでしょう。(70年代のスタグフレーションをまともに乗り越えた先進国は日本だけです。欧州諸国は基本的にインフレを抑制しただけです)
日本経済について「15年間の過ち」という見方も確かに出来ますが、根源的には85年から90年の5年弱の過ちです。
96年までの“淡い期待”を打ち捨て97年から過ちの是正に入ったとすると、今年でちょうど5年です。
小渕・森政権の過程で公共投資に拠った問題の解決はできないことが国民の了解になり、小泉政権的「構造改革」に期待が寄せられたわけですが、「構造改革」は、政治的評価の対象とはなり得ても、経済問題の解決には結びつかないことも国民の了解に近いものになっていると考えています。(それとなく感じていても、国民の了解までにはなっていないことが問題なのですが)
政治的経済的に国民のコンセンサスが得られる“外科手術”は、実質国有化もいとわない金融システムの抜本的改善と、まずは税制変更による低中所得者減税による需要サイドの改善しかないと考えています。
低中所得者減税は、80年以降の経済価値観潮流に照らせば、“外科手術”に匹敵するものです。
賃金水準の上昇という供給サイドによる改善策は、目に見えるものしか信じられない愚かな経営者にはなかなかご理解を得られないようですから、低中所得者減税でまずは目に見えるかたちで示すという政策です。
>「不胎化した」貨幣は、実態を伴わない運用をされたために経済に悪影響を及ぼし
>た、ならば実態を伴わない貨幣(例えば政府紙幣)で埋め合わせをしてちょうど釣り合
>うのではないか、という素朴かつ一見まっとうな議論を提示した投稿者が見られた。
>感情論からするとそうした見方ももっともなのだが、実際の経済は、あっしら氏流に
>言う「労働価値材」と「非労働価値材」(もっと別の言い回しだったかな?)が渾然一
>体となっており、両者を切り分けることは不可能である。言い換えると、「バブリー
>な」富の失われ方をしたのだとしても、それを埋め合わせるには「国民の血と汗であ
>がなわれた」貨幣を充てるしかない。
貨幣の絶対量が少ないことではなく、過去の負の資産を埋め合わせるための「国民の血と汗であがなわれた」貨幣が少ないことが現在の問題です。
これは資本化(労働力の雇用も含む概念)される通貨が少ないことを意味し、資本化される通貨が少なくなっているのは、銀行の機能不全(貸し出し増加不全)が主たる要因だと考えています。(利益を上げている企業が守りに入っているのはある意味でやむを得ないことです)
「国民の血と汗であがなわれた」貨幣を需要サイドのプルで増加させる政府支出や輸出の増加が期待できないなかで、「国民の血と汗であがなわれた」貨幣が少ないという経済状況が続けば、「国民の血と汗であがなわれた」貨幣がさらに少なくなっていきます。これは、名目GDPの減少と歳入の減少をストレートに意味します。
現状の日本経済の供給力に照らせば、通貨量を少々増加させたとしても、通貨の実質価値が大きく減少すること(ハイパーインフレ)はありません。(徐々に歯止めがなくなってきていますが、企業は財の生産にフルには寄与しない従業員も抱えているほどです。政府に代わって企業が社会政策を負担しているとも言えます)
国費投入により銀行の機能不全を解消し、それを奇貨として政策による通貨の資本化を促進することで、通貨の実質価値を薄めながら名目GDPの拡大を実現することで、財政破綻を財政危機まで後退させるしかないと考えています。
しつこいようですが、政策の軌道修正は、できれば「世界同時デフレ不況」が顕在化する前(年内)、遅くとも貿易収支が数兆円規模での黒字が達成できる段階(2、3年以内)で行われなければ、日本も欧州諸国と同列になります。(650万人ほどが失業した社会状況が生まれます)
断言しますが、このまま進んでいけば、後追い的ビボウ策的な銀行への公的資金注入が避けられません。
銀行の保有株式も不良債権処理に使えないどころか損失が拡大し、保有しているかつての高利国債も徐々になくなっていき、生きた貸し出しが少ないのですから業務利益の増加も期待できないからです、
ある範囲までの銀行は破綻させることが出来ないのですから、今後の不良債権処理は国費に頼るしかありません。(今後2年間で20兆円ほどの公的資金注入は不可避だと見ています)
ここまでわかっていながら、銀行に対する抜本的な政策とそれを活かす経済税制政策を断行しないとしたら、国家統治機構は無能のそしりを免れないと考えています。