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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国際管理通貨制における外貨準備 《米国政府の対外債務返済能力》〈その12〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 30 日 00:03:12:

『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済と財政 《ケインズ乗数理論と公共事業》〈その10〉』に続くものです。


1)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、〈その7〉までがレスのかたちでぶら下がっています。

2)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における金利と物価の変動 〈その8〉 前半部』( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/108.html )から、残りがレスとしてぶら下がっています。

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■ 国際管理通貨制における外貨準備

このようなタイトルを付けたが、元々は、公的年金制度のなかで述べた“余剰資本”や“余剰通貨”に関する説明の延長線上で書いたものであり、国際収支や貿易の問題としてではなく、国際管理通貨制において国際基軸通貨を蓄蔵する意味という視点で説明した内容であることをお断りしておく


● 国際的な余剰通貨の活用と余剰資本の分配

日本は、80年代に入って顕著になった余剰通貨の問題を国際的(間国民経済)に巧く処理してきた。

日本経済が、輸出で稼いで余剰になった通貨(米ドル)を様々なかたちで米国に還流させることで自らの対米輸出を支え、それを通じて国民経済全体の循環を維持してきたことは論を待たないであろう。

日本経済にとって、対米に限らず輸出の増加は好ましいことであるが、厖大な輸入額を継続している米国経済にとってそれがどういう意味なのかをまず説明する。

米国が年間3千億ドル(約35兆円)もの貿易収支の赤字を計上していると言うことは、米国国民経済内で労働成果財の生産が極端に不足していること、すなわち、米国国民経済内で価値を付与された通貨が極端に不足していることを意味する。
歴史的に、米国国民経済内で労働成果財の生産が不足するようになっていったと言うほうがふさわしいだろう。これは、生活水準との相対的な問題だが、歴史的に国内の産業資本が減少していったということであり、国内で資本化される通貨が減少していったということである。
(国債基軸通貨としてのドルが不足しているということではなく、米国内の通貨(ドル)が不足していること)
そのような米国の根源的通貨不足状態を補ってきたのが、国際管理通貨制という基礎の上で米ドルが持っている国際基軸通貨という特性であり、米国の経済規模の大きさである。

先日の公的年金制度で説明した論理を適用すると、経常収支の赤字が長期化している米国に財を輸出するということは、生産財の労働に従事していない人々に通貨=財を供給しているのと同じなのである。(理由は後述)

米国という国民経済の資本活動ではそれほどの量で価値を付与できない米ドルに対して、日本を中心とした外部国民経済が、既に“価値が消えた”米ドルを米国国民経済に投資や貸し出しというかたちで価値があるものであるかのように還流させてきたことで、米国国民経済の通貨不足を解消してきた。

その還流をほぼ無条件に行ってきたのが、自国通貨の発行と差し替えで余剰の米ドルを受け取った中央銀行の外貨準備である。
それは、ドルを紙幣のまま蓄蔵するわけにはいかないと考えられ、米国政府の債務証書のかたちで蓄蔵される。
これは、経済主体の判断による対米証券投資とは違って、国際管理通貨制であれば、経常収支の黒字を長期的に継続している国民経済の中央銀行が採らざるを得ない経済行為でもある。

“価値が消えた”米ドルという意味は、輸出経済主体が、受け取った米ドル為替を銀行を含む他の経済主体が保有する日本円と交換し、それを再資本化したり、余剰通貨として保有することで、受け取った米ドルは通貨としての役割を終え価値を消滅させているということを指す。

こういう不穏当な説明に対しては、“じゃあ、輸入経済主体が買い入れて輸入財に支払うドルも価値がないことになるじゃないか!”という指摘も予想されるが、それもある意味では正しいのである。
輸出経済主体が稼いだ米ドルを輸入経済主体が買って輸入財の支払いに充当させるとしても、米ドルの価値で支払っているわけではなく、輸入財を国内で使う経済主体が支払う日本円の価値で支払っているのである。
国債管理通貨制の論理に則せば、その日本円の価値が相当額の米ドルに転化したと言った方がふさわしいかもしれない。であれば、米ドルに価値を転化した日本円も、その時点で価値を一旦消滅させる。再び価値が付与されるのは、それが労働成果財の資本活動に使われたときである。

輸入財に対応して価値を付与された通貨は、あくまでも、その輸入財を生産した国民経済の通貨である。

ここまで説明してきたことが、管理通貨制における国際基軸通貨のマジックである。

このマジックは、国民経済の通貨発行量を規定していた金の移転を伴う金為替本位制における貿易や国際金融との違いを考えれば見えてくる。

経常収支が赤字になった国民経済は、金が流出し、通貨の発行量が減少する。
その一方で経常収支が黒字になった国民経済は、金が流入し、通貨の発行量が増加する。このような複数の国民経済の通貨量変動で、通貨不足に陥った国民経済は、金を国際的に借り入れて、通貨不足を補うことになる。
(かつての1/4に薄まったポンドによる国際貸し出しは、貿易決済が金で行われていたのだから、経済論理的には詐欺である)


国際管理通貨制であれば、金をドルに置き換えればいいはずである。

経常収支が赤字になった国民経済は、ドルが流出し、通貨の発行量が減少するはずである。
その一方で経常収支が黒字になった国民経済は、ドルが流入し、通貨の発行量が増加するはずである。
しかし、現実は、貿易収支が赤字の国民経済も通貨量を増加させていった。

米国国民経済が4千億ドル(約46兆円)の経常収支赤字を計上し続けているのなら、年毎に4千億ドルずつ米ドルの量が減少しなければならないのである。
それでは米国国民経済が成り立たないと言うのなら、輸出や国外からの所得を増加させるか、ドルの国際的借り入れを行うしかない。米国にドルを国際貸し出しをするのが妥当であるかどうかを判断するのは国際金融経済主体である。

そして、日本国民経済が1千億ドルの経常収支黒字を計上し続けているのなら、年毎に1千億ドル(約11.5兆円)ずつ日本円が増加しなければらないのである。
そして、国際貸し出しに5兆円を向けたのなら、通貨量も5兆円減少しなければならない。

FRBは“資本の論理”で合理的に動く民間発券銀行であるから、理(利)に合わない通貨量の増加は行わなかったはずである。
通貨が不足しても、外国の中央銀行が積み上げる外貨準備の多くが債務証書と引き換えに戻ってくることはわかっているし、相対的に高金利で経済規模も最大の米国に投資資金が流入することもある程度読めるからじたばたする必要はない。

日本円の発行量は、95年から00年という5年間で見れば、経常収支−資本収支の合計値(13兆2千億円)に近い値(17兆5千億円)で増加している。(97年と98年は国際収支がマイナスであり、そのために「円安・ドル高」に振れている)
しかし、その一方で、銀行の貸し出し残高は同じ期間に22兆4千億円も減少している。
通貨残高増と貸し出し残高減を合計すると、血の滲む思いをして輸出で稼いだ40兆円もの通貨が、資本化されることなく、銀行の不良債権処理に使われたのである。
これが、「デフレ不況」を招いた根源的理由である。

(通貨の価値を維持したまま不良債権を処理するためには、価値が付与された通貨を利用するしかないからである。これまで銀行は60兆円超の不良債権処理を行ったとされているが、95年から00年の処理額はほぼ40兆円のようである)


こうして考えていくと問題なのは、自国通貨の発行増加と差し替えに受け取った米ドルが、外貨準備として米国政府の債務証書のかたちで蓄蔵されていることだとわかる。

金為替本位制であれば、自国通貨の発行基礎となる金は、ロンドンなどにあるとしても、そのままのかたちで蓄蔵され、他の国民経済の通貨量増加には使われない。
イングランド銀行などは別として、日本の中央銀行は、国際金融経済主体ではないのだから、自らが外国の経済主体に貸し出しをしてはならないはずである。
仮に法的に貸し出しができるとしても、商業銀行が保有する自国通貨で米ドルを買って行うように、自国通貨で米ドルを買って行わなければならない。
これは、米国政府債務証書の額に相当する自国通貨を中央銀行が減らさなければならないことを意味する。

結論的に言えば、中央銀行は、保有している米ドルをそのまま蓄蔵していなければならないである。(焼却処分しても同じことだが)

このように説明したからと言って、これまで日銀が採った政策を非難しているわけではない。
民間の対米証券投資も含めてだが、そのような政策を採ったことで、日本経済がここまで到達できたのである。

しかし、日本経済が「デフレ不況」と財政危機に陥っている現実を考えたとき、米国債を購入することが退職者などに通貨=財を供給する仕組みと変わらないものであることは明確にしておきたい。
米国債の購入とりわけ中央銀行による米国債の購入は、余剰通貨を活用した余剰資本の活性化手段の一つである。


● 米国政府の対外債務返済能力

民間経済主体が自主的判断と自己責任で行ってきた対米投資はとりあえず別として、中央銀行(日銀)がドルを米国政府債務証書に転換して積み上げてきた外貨準備は、日本の“余剰資本”が生産した財を米国国民に分配するシステムだと説明した。

何を言いたいのかよくわからないと思われたり、まったくデタラメな表現で、日銀は、保有しているだけではインフレで減価する米ドルを利払い付きの政府債務証書に変えることでそれを防止しているのであり、債務なのだから返済もされるという反論があることは承知している。

しかし、米国政府が、個々の債務証書に書かれた内容ではなく、グロスの債務について日銀やその他の経済主体に返済することはできないと断言する。
米国政府は、新しい借り入れで、過去の借り入れの利払いをしたり返済することしかできない。

米国政府が返済しないというわけではなく、返済したいとしても、経済論理的に返済することができないのである。
(“危険”な表現なので根拠は後で述べるとして結論を先に書いておくと、日銀保有の債権は、米国政府から返済してもらわなくてもかまわないのである。価値を消滅させた通貨の身代わりでしかないのだから、にっこり笑って、「おかげさまで労働価値を高めることができました」と言って債務証書を返却するか焼却すればいいのである)

米国政府が6兆ドルまで積み上がった債務を返済できないという主張は、ある国民経済が長期に渡って必要な労働成果財を自前で充足的に生産できない状態(貿易収支赤字)に陥っていれば、政府部門が“正常”なかたちで対外債務を返済することはできないという経済論理に基づくものである。

ここで言う“正常”とは、債権者に債務切り捨てとは感じられない実質価値を維持しながら、記載条件で利息を支払い、償還を完了することである。

国家であれば、債務の返済優先順位は、自国経済主体(メディケアなど政府部門がほとんど)を選択するだろう。

(米国の2001年末の「対外純債務残高」は、前年比45.9%増の2兆3091億ドル(約265兆円)であるが、民間部門は債権−債務がプラスだから、それに加えて2兆ドル弱(民間の純対外純債権額相当)の4兆ドル(約460兆円)程度が政府部門の対外債務額と推測できる)

貿易収支と所得収支がともに赤字という状態、とりわけ貿易収支の赤字が厖大な金額で長期化している国民経済は、政府部門が対外債務を返済する能力を失っていると断定できる。
(これも断言するが、戦後国際金融を担ってきた米国政権は、この経済論理的現実を嫌と言うほど認識している。わかりやすく言えば、米国政権は、対外債務を返済できないことをしっかり自覚しているということである)

これが、日本国債の格付け騒動の時に、米国債の格付けが日本国債未満でなければ格付けは論理的整合性を持たないと説明した根拠である。(そして、米国債の1/3を内国人が保有している状況では、日本の財務省がおくびにも出せない最大の反論根拠でもある)


あり得ないことだが仮に、米国政府が対外債務を返済するために民間部門の対外債権を吸い上げれば、民間部門が壊滅的な打撃を受ける。壊滅はせずそれで一時的に対外債務が減少するとしても、貿易収支が従前であれば、国外からの果実の収入が減ることで経常収支の赤字がさらに増加する。
そして、国際所得収入の減少は国民経済の総需要を減少させるので、何とか国民生活と国民経済の低落を押しとどめたいと考えるのなら、総需要の減少を補うために政府部門が新規の対外債務を積み上げなければならなくなる。そうしなければ、日本や中国から輸入できないというレベルの話ではなく、国外に製造拠点を持っている米国の経済主体や米国内の経済主体までが総崩れになってしまう。

(富裕税や高額所得者増税は米国国民経済にそれほどの打撃を与えないが、対外債務返済のためにそれを実施しようとする政権は政治的にもたないだろう。対外債権の吸い上げも同じことだが...)

より冷静になれば、米国の対外債務返済能力欠如が目に見えるかたちになり国際的な疑念を生むことは、戦後世界経済構造の終焉を意味するものであることがわかるはずだ。

日本をはじめとした対米輸出依存国民経済(日本のアジア向け輸出も迂回的ではあるが米国依存)は、産業構造を大きく変容させなければならない。(新興産業国民経済である中国は日本とは比較にならないほど深刻な打撃を受けることになる。中国が暴発しないことを切に祈る)

日本の「デフレ不況」や今後予測される「世界同時デフレ不況」も、笑い話になってしまうような世界レベルでの経済的激変である。

米国の過剰対外債務問題をどう処理するかは、余剰通貨問題と並んで、世界が議論(もちろん秘密裏に)しなけれならない緊急かつ最重要の課題なのである。


ある国民経済が対外債務を返済するためには、国民経済総体として労働成果財を余剰に生産して輸出するか、金融取引や直接投資の果実である所得収支の黒字を増やすかして、とにかく経常収支の黒字化を達成しなければならない。

対外債務が「経常収支赤字−国内貯蓄」の累積であるならば、その返済は、債務額に相当する「経常収支黒字+国内貯蓄」の累積でのみ可能である。

米国については、貿易収支が黒字化することはあり得ない。

米国の輸出額の10%を占めている農産物は、貿易収支の赤字幅を縮小しているが、農産物価格の半分はあれやこれやの政府支出(補助金など)で補われていると言われているものである。
(米国は経常収支赤字でかつ財政赤字なのだから、そのようなかたちでの農産物輸出は政治的には大きな意味があっても、経済的には半分ほどしか意味がないことになる)

米国が輸入している工業製品についても、日本・ドイツ・中国・米国(在外)などとの競争に勝つことはできない。(米国に限らず、対米輸出は経済主体の在外輸出拠点を含む)
これは、国際競争力が資本の「労働価値」上昇に依拠していることを考えれば自明である。
米国国内経済主体が国際競争財の生産で列挙したような諸国民経済の「労働価値」に追いつくためには厖大な通貨量の資本化を要する。しかし、通貨不足に陥っている米国がそれを実現することはできない。国際的借り入れで国民の現在的な生活水準を維持するのが精一杯であり、米国金融経済主体も、おかしな話だが、危なっかしくてそのための貸し出しを行うようなことはしない。(メキシコや中国などに製造拠点を移すための資金であれば貸し出し可能だろうが)
国際競争財を生産する資本が残っていれば、その活動に従事する人々の給与水準を大幅に切り下げるという政治的に無理な選択を行えば可能であるが、それは国民経済の低落をも意味し、政権の崩壊につながる。

悪意があるかどうかの問題ではなく、米国の対外債務が完済されることは経済論理的に不可能なのである。
貯蓄率がほぼ0%という実状に照らせば、経常収支の赤字を埋めるだけの資本収支の黒字、より具体的に言えば、政府債務の利払いと償還に新規財政赤字を合算した額以上のドルが国外から流入する限りにおいて、「米国国債サイクル」を維持することができる。

クリントン政権後期に連邦財政は3年ほど連続で黒字に転換したが、それでも過去の債務の重みで連邦政府債務は増加し続けたように、利払いだけで3千億円に達している状況では、債務を現状維持するためでも3千億ドル(約35兆円)の財政黒字を達成しなければならない。
クリントン政権の財政黒字は、今となってはバブルであることが明確になった株式市場の活況と高額所得者増税に拠るものである。しかも、「対テロ戦争」体制ではなく、冷戦後の「平和の配当」志向政策が採られていた時期でもある。

ブッシュ政権が減税と戦争体制で一気に1,500億ドル(約17兆円)の財政赤字に転換させたことや株式市場の現状を見れば、そのような財政黒字は夢のまた夢であることがわかる。

このような説明に対しては、FRBが通貨を増発して返済していけばいいという反論も予測される。
まず、米国政府及びFRBは、85年の「プラザ合意」や現在のような「ドル安容認」で、対外債務の軽減化を測ってきたと考えている。
しかし、その結果は、さらなる経常収支の悪化であり政府債務の増加である。

産業資本が活動力を衰退させた国民経済は、自国通貨安になっても、国際競争力を回復させることはできず、国民の生活水準を維持しようとすれば高くなった輸入財を買わざるを得ないため、より貿易収支赤字が増加することになる。これは、より政府債務を増加させることでもある。
米国のインフレがそれでも抑えられたのは、日本などがドル安分をそのまま財の価格に上乗せしなかったからである。後からその分の「労働価値」を上昇させていった。
米国の産業資本は、一部を除けば、政府調達で維持されているとも言える。

そして、FRBが対外債務を履行するためにドル紙幣を増発すれば、ドルが国際商品の価格表示機能を持っていることから国際的にインフレが昂進することになる。(対外支払いなので、米国のインフレは後追い的に進む。これまでも、米ドルが米国以外に滞留していることで米国のインフレ率は低く抑えられていた)
これは、無条件に主要通貨に対するドル安進行につながっていく。ということは、経常収支のさらなる悪化と政府債務のさらなる増加を意味するとともに、金融経済主体が保有しているドル資産が減価することでもある。

日本が「産業資本制国民経済」の頂点を極めたように、米国は、「金融資本制国民経済」の頂点を極めた。
日本が産業資本を衰退させることは日本国民経済そのものを衰退させることであるように、米国が金融資本を衰退させることは米国国民経済そのものを衰退させることである。


経済の論理をきちんと踏まえ、大騒ぎすることなく米国の対外債務問題を処理しなければ、失礼だがアルゼンチンとは違って、利息を受け取れないとか、償還が受けられないというレベルを遥かに超えた激震が世界を襲うことになる。

米国政府が、いよいよ行き詰まってから、兌換停止のときと同じように一方的なデフォルトを表明しないよう切に願っている。
今からでも処理策を協議すれば緩和的に対応できる問題であり、日本がその中心を担える問題でもある。


最後に、日本政府には、米国に対して20年以上も“余剰通貨”を振り向けることで日本経済の活動力を高めてきたのだから、今度は日本国内に向けて“余剰通貨”を活かすことで、「デフレ不況」から脱却して欲しいと言う。

これまで日本問題では正論を書いてきたが、論理的に価値のないドル紙幣を米国に還流しても、経済運営はうまくいったのだから、日本国債=公的債務問題に類似的な手法を活用することはできるという邪道を提案したい。もちろん、巧妙にゆっくりとだが...。

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