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最近よく言われていることで、意味不明なことがある。
それは、相続税の軽減や、課税最低限の引下げ、及び最高税率の引下げである。これでは、金持ちをますます金持ちにし、貧乏人はますます貧乏になるということになる。
「自己責任」「実力主義」の名のもとに、貧乏人は馬車馬のように働かされ、「金融秩序の維持」「社会不安の防止」の名のもとに、大手の金融機関や企業に多額の税金が使われる。リストラや自己破産も「自己責任」の一言で片付けられてしまう。これは明らかに、カネ持ち優遇政策である。
昔、池田某首相は「貧乏人は麦を食え」といったそうだが、今の何某純一郎首相も表面では「構造改革」「国際競争力の強化」を口に出している。彼も口には出さないところでは、「貧乏人は麦を食え」と考えているのだろう。
財政学に、「ビルトインスタビライザー」という言葉があるが、これは、財政は好況の時は税金を課税し、景気の加熱を抑え、したがって、税収が増え、不況時は課税を緩め、景気が冷えることを抑えることができるという理屈だ。
また、「課税の水平的平等」、「課税の垂直的平等」という言葉もある。前者は、例えば、消費税が代表的なものであるが、広く浅く課税するのも野である。まあ、間接税に多い傾向がある。後者は所得税が代表例だが、収入の多寡に応じて課税するものである。こちらは直接税に多い。
「応益説」「応能説」という言葉もあり、これは税の負担はどうあるべきかをあらわした言葉である。前者は受ける行政サービス(利益)の多さに応じて、税を負担すべきであるという考え方。後者はおカネを払える(稼げる)能力に応じて税を負担すべきであるという考え方である。私は、どちらかというと応能説が税の論理としては正しいように気がするが・・・。それというのも、おカネを稼げるということは、その人の能力もさることにて、社会インフラや治安のよさ、戦争状態ではないという環境があって初めて商売は成り立つからである。税金は、これらに対するコストである思えばよいのではないか。
これからの時代は、消費税を10%にしようという話もあるらしい。貧乏人からカネを取り上げ、カネ持ちをより裕福にするのは結構であるが、消費性向の高い貧乏人は、カネがなくて買いたいものも買えない。消費性向の低いカネ持ちは、買いたいものは大抵買ってしまったので、余った金をどのように使おうか迷って、カネが滞留してしまう。
例えば、5万円するDVDプレーヤーを買うことを考えたとき、生活保護で、保護費14万円/月の人と、大企業の幹部で給料70万円/月の人では、このプレーヤーを買うにしても、考え方が違うだろう。前者は5/14すなわち月収の35%以上、後者は5/70すなわち月収の7%ちょっと。すなわち貧乏人→カネがなくて、ものが買えない。カネ持ち→カネが余り、結果、貯蓄する。従って、市場におカネが出回らないということになろう。
素人考えだが、このように考えると、貧乏人にカネを使わせ、カネ持ちから税金を取ったほうが、消費も喚起され、税収不足の改善につながると思われる。うまくマネーが還流するモデルができればよいのだが・・・。
難しいことはよくわからないが、学問の究極の目的、とりわけ社会科学は、人間社会をよくするために存在するのではなかろうか?
皆様はどうお考えですか。ご意見・ご感想お待ちしています。m(_ _)m