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(回答先: 貧乏人からカネを取るよりも、カネ持ちからカネを取るほうが合理的だと思いますが・・・ 投稿者 サイボーグ004 日時 2002 年 6 月 13 日 17:59:06)
サイボーグ004さんと基本的に同じ考えに基づき、違った視点からいろいろな書き込みをしているので一言。(本当は、サイボーグ004さんの論で多くの理解が得られるものだと思っているのですが、そうではないようなので、あれこれと書き込みをしています)
貧乏人にお金を回しても、結局は、企業や金持ちに戻ってくるもの。
貧乏人にお金を回さなければ、結局は、企業の一部が破綻したり、金持ちの一部が貧乏人になっていくもの。
このような経済論理が理解できない人たちが、政策運営や企業経営を行っているのが日本の不幸です。
短期的な利益の追求が長期的な損失につながることや増税が増収につながるわけではないということを考えられない人たちが、税制変更・「構造改革」・企業経営を進めているのが日本(世界)の実状です。
(かつては、米国企業は短期的な利益を追求しているからダメで、日本企業は長期的な利益を追求しているから成長していると誇っていたのに...)
>難しいことはよくわからないが、学問の究極の目的、とりわけ社会科学は、人間社会
>をよくするために存在するのではなかろうか?
生活・名誉・自己満足・真理探究という目的ではなくおっしゃられる目的で研究している人もいるとは思っています。
しかし、人間社会をよくするためという目的には“危険性”を感じます。自分が気持ちよくなるという目的のほうが“安全”でまっとうなものが出てくると思っています。
ほとんどの研究は、先人が構築した理論体系を説明することに終始したり、それを細分化したものを対象として研究しているといったものですから、先人の枠を超えることはできないようです。(そうでなければ誰も相手にしなかったり、職にも就けないというのが現実のようです)
学問を生業にしている人は、そのことによって限界を越えられないと思っています。
また、知性や思考力に過剰な信を置いている人も、限界を突破できないと思っています。
どんなに大天才と言われる人の思考力でも、現実に対しては貧弱なものです。
そうでありながら、研究者たちは、多くの人のまともな直感を、知性や理性の名において圧殺しています。
地を這って生きている人(勤労者や主婦など)が、他我とも思考力は貧弱であることを自覚しながら自分の直感の正当性を必死に理論化し、論議し合っていくしかないのかなと思っています。
見聞きした範囲では、職業研究者・職業政治家・職業革命家・職業宗教家はあてにならないと考えています。(あてになる人が出てきて欲しいとは思っていますが...)