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(回答先: 日本民族の特性 投稿者 たこです 日時 2002 年 11 月 14 日 08:27:14)
「たこです」さん、はじめまして、こんにちは。
横々レスですが、よろしく。
「日本民族の特性」という標題の中で、戦前の日本を概括されていますが、では日本民族の特性ならしめた淵源及び成立の事由についてご教示いただければ幸甚の至りに思います。
あっしら氏にも同様な軌跡が相当見られますが、嘗て私も戦前の日本(人)を擁護するべく、ために依拠すべき源泉を求めて神話に程近いところまで歴史を探索してみました。ですから、その謂れを抜きにして日本民族の特性として一括されることへの疑義を強く感じるものです。
歴史を現在の知識ないし価値観で評することの愚挙を可能な限り回避したく思っておりますので、例えば太平洋戦争(大東亜戦争または15年戦争)を評価する任に最も相応しい世代は、1920年以前の生まれの大学卒で、応召したか軍政府に奉職していた人達であると考えています。存命ならば82歳以上の高齢の皆さんですが、その後の左右両翼思想への傾斜や戦後の変節にも拘わらず、それさえも包摂して彼等の評価は出来得るかぎり広汎に傾聴すべきであると思っています。
このことを踏まえて、明らかに日本は敗戦を境にして思想的に分断されたと云うことができると考えています。その主たるモメントは米国の占領(政策)に負うていることは言うまでもありません。形式上は帝国主義の切断による民主主義への移行と云われますが、日本は近代化の途上で実は二度までも自ら答えを出すことなく他者の答えに準ずるという歴史を繰り返すことになったのです。ですから、戦前の日本が温存されたとしても、未成熟なままで検証されぬ日本でしかありません。この点についてはかの石原莞爾も戦中期既に達観しています。
それから、天皇の存在や天皇にたいする信奉が、多くの日本人にとって自ら答え出すを好しとはしない頚木となっていることも否めないと思うのです。
私は自ら答えを出さぬ日本人の在り様の是非を問うています。戦前・戦中・戦後派の日本人が自らの所為について自ら総括せぬままにいることへの慨嘆を覚えるものです。敗戦を契機に、米国の占領(政策)によって民主主義(答え)が齎されてしまったとは云え、少なくとも1951年以降の日本は自ら答えを出すことができたはずなのです。その答えとは、主に開戦及び敗戦を含む戦争責任問題、それから派生する可能な限りでのアジア諸国に対する賠償責任問題に関してのものです。総括や反省や謝罪はこの答えの構造を成すに過ぎませんが、その履行は戦後の日本が政治的自立性を担保していくことと同義たり得たでありましょう。今からでも決して遅いということはない、それこそが日本が獲得すべき、あるいは回復すべきNoblenessであると思うのです。
ではまた。