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書記長より戦前日本の統治者のほうがまだ理性的かも 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 25 日 15:43:07:

(回答先: 主観的・恣意的な思索に流されないように 投稿者 書記長 日時 2002 年 10 月 24 日 23:08:12)

書記長、こんばんわ。
率直に言って、論点がだいぶズレていると思っています。

あのような推移で敗戦した責任を問題にしているのであり、ここでは、日本の対外拡張政策が当時の国際情勢で是か非を論じているわけではありません。


> あの頃、朝鮮や満蒙で権力の空白や混乱があった場合、
>必ずロシア・ソ連が入ってくることは必至だったのであっ
>て、日本が管理・統治しなかったらソ連になっていただけ
>のことです。そういう状況下では当時としては朝鮮・満蒙
>をほったらかしにしなかったのは当然でしょう。

ロシア・ソ連が朝鮮や満蒙に入ってこなかっただろうとは言っていません。
(ロシア革命後の干渉戦争でシベリアに出兵し、諸外国からもう部隊を引き上げたらどうだと言われても未練たっぷりにしていたのが日本ですが...)

「安全保障論」として考えれば、日露戦争後併合前のように朝鮮を保護国として独立国家のままで存続させるほうが“緩衝地帯”となり有利です。

ロシアが朝鮮に入り込もうとしたら、朝鮮軍が前面に立ち、日本軍はそれをサポートするというかたちで介入できます。
内政となった朝鮮支配と対外軍事活動の両方を行わなければならないよりもずっと強力で合理的な防衛策です。

極端に言えば、国力及び軍事力の差で負けそうであったら、朝鮮を生け贄にすることもできます。(信義のない国家として軽く見られることにはなりますが...)

>世界征服しなければ安全保障のための領土拡張は終わら
>ないというのは論理的にはいつのどこの国にも当てはまる
>ことであまり意味のない話だと思います。

ある意味では戦前からそして戦後世界では顕著ですが、米国は軍事力を基礎としていながらも、領土拡張という手法ではなく、“門戸開放”政策を通じて世界の覇権を打ち立ててきました。
(もちろん、20世紀に入るまで北米大陸における先住民及びメキシコ・スペインとのあいだで領土拡張戦争を行いましたが..)

前に書いた「“地べた”を採ることに意味があるわけではない」というのは、大英帝国と戦後米国の世界戦略の違いを思い浮かべればご理解いただけると思います。


>あの当時のロシア・ソ連は危険な侵略国だった。それは確かな事実なのです。
>そして満州は中国ではありませんし、日本は満州を領土としたわけでもありません。

書記長がロシア・ソ連にこだわり、英国を中心とした西欧諸国を危険な侵略国として軽視するかはわかるようなわからないような受け止めをしています。

清から中華民国という政権の歴史的継承ですから、清の本拠地である満州が中華民国の領土として引き継がれたと考えるのが正当です。

満州は日本の領土とはしませんでしたが、政府・軍の中枢を日本が握っていたのですから、日本の傀儡国家です。
満州国を日本の傀儡国家と認めなければ、現在の日本を米国の属国と呼ぶこともできません。


> 満州建国時には世界は帝国主義のまっただ中にあり、英
>米含めて侵略や植民地経営を盛んにやっていたのです。満
>州国は女真族の長たる溥儀の了解と協力のもとに建国され
>、満州族は国家運営に自らの意思で参加していたのです。
> だから欧米流の侵略・略奪植民地と満州国とを一緒くた
>にするべきではないと思います。

ご存じだと思いますが、諸外国が侵略をやっていないとかまっとうな国家だったとは主張しておりません。

「民族独立国家」を樹立する運動に反対はしませんが、女真族の長たる溥儀は、自らの力で女真族の国家をつくることができず、日本軍の勧誘を受けて日本軍の力でつくってもらい、その後も権力機構の中枢を日本に委ねた人物です。

問題にしているのは、そのようにして設立させた満州国を防衛するために、北支・中支へと戦線を拡大させていって泥沼に陥ったことです。


> ただ、ハルノートをめぐる問題は事実関係からも国家論
>からも重要であり、それは現在の日本外交にも関わりのあ
>る問題なのでとりあげておかねばなりません。
> ハルノートの内容が国際的外交慣例・常識からいってど
>う考えても事実上の最後通告であることは間違いないと思
>われますし、一般的な通説でもあります。
> なぜそうみなされるかというと、それは近代主権国家が
>「実行不可能」な要求だからです。中国からの兵の撤退だ
>って、それなりの理由といきさつのある二国間の戦争に対
>してある第三国が一方に向かって「引け」と言って簡単に
>引けるわけがありません。その要求も実行も独立主権国家
>であることの否定であり、またそれ自体とほうもない国際
>的侮辱だからです。

ハルノートが最後通告であろうがなかろうが関係ない話です。

最後通告と受け止めたからといって、日本が自ら対米戦に踏み出した愚を責めているのです。

なにをもって交渉相手国が最後通告の意思を示したかは受け手の判断ですし、そう判断して宣戦布告することも国際法的に可能です。

そうではなく、国家総力戦になり敗北必至の対米戦をなぜ日本から仕掛けたのかということを問題にしています。

そして、おっしゃられるような思いで対米戦に踏み出し、書記長が批判している戦後日本が生み出されたことを問題にしているのです。


> 私は何度もこう言っています。「一つの主権国家は権益
>も財産も領土も国民もそう簡単に他国に侵害されても放置
>したり引き渡したりするわけにはいかないのです。それは
>国家としての存在意義・最低限の役割の放棄なのです。近
>代独立国家の国民も当然そうした権利侵害に対する戦いを
>期待し要求するものなのです。」
> 意味がわかってもらえればよいのですが。

意味は十分に分かっているつもりです。
「敗北責任」を問うているのです。


> 国家としての根本的な役割を放棄することは政府もでき
>ませんし、強引に行えばそれは国家の自己否定ですから国
>家が崩壊します。当時だったら、その崩壊はクーデターや
>暴動という形をとることになります。それは論理的必然で
>あり統治権の問題ではありません。とくにソ連やアメリカ
>のような人造国家ではないヨーロッパ諸国のような伝統の
>ある社会なら非常事態における緊急的な政府の更迭として
>そうなる場合が多いと思います。
> つまり、飲めば近代国家が壊れざるをえない非常識なハ
>ルノート要求の不可能性の問題を当時の日本国家の統治権
>のありかたの問題にすりかえるのは不当なことなのです。

暴動が起きたり(価値)崩壊が起きることは、あり得るかも知れませんしあってもかまいいませんが、それからさらに進んでクーデタが起きたとしたら、当時の日本には確固たる統治システムがなかったことになります。

前回わざわざ書いたように、ハルノートを丸飲みしろとも言っていません。

ハルノートを契機に、なぜ日本から対米戦を仕掛けたのかということが問題なのです。


>彼我の総合的な力を比較考量してどうするかを決するこ
>とができるのが合理的な近代国家だと考えています。

> 会社ではない国家をソロバン勘定で運営できません。北
>方領土にこだわる理由も、国外で不当に拉致されたり人質
>にとられた日本人を大金をかけて国家が救わねばならない
>理由もそこにあります。軍隊があるのに比較考量の計算で
>ハルノートの類の要求を飲むことは近代国家にはできませ
>ん。少なくとも歴史的・国際的常識ではそうです。東京裁
>判のパール判事の「モナコやルクセンブルクでも当時の日
>本のような状況に置かれたら宣戦布告する」と言ったのは
>そういう意味です。

国家は会社以上に“ソロバン勘定”に長けていなければならないものです。
会社も国民も、とりわけ有事においては国家に庇護されるべき存在なのです。

国家は理念存在ではなく、極めて現実的な存在なのです。

パール判事の「モナコやルクセンブルクでも当時の日本のような状況に置かれたら宣戦布告する」と言ったのは、自国のことを棚に上げて日本を裁こうとする戦勝国を揶揄するものとして受け止めるべきですし、パール判事がそう言ったからといって、「敗戦責任」を棚上げすることはできません。それは、極東軍事裁判が無効であるという根拠になるだけです。


> 日本がアメリカに勝つ可能性がまったくなかったか、私
>には今でもはっきりしません。その後の歴史を知らない当
>時の人にはもっと見当が難しかったでしょう。実際太平洋
>戦争前にも日本は日露戦争のような彼我の国力に格差があ
>る場合にも勝利したことがありました。あっしらさんは「
>日本の国力及び産業力は、西欧諸国及び米国にはるかに劣
>り、ロシアと五分五分程度であった。」などと言っていま
>すが、それは解釈の問題というよりも単なる間違いなはず
>です。私の習った歴史とか読んできた本とあまりにも違い
>ます。

「ロシアと五分五分程度」といったのは、日露戦争は局地戦・短期決戦としたことで当時の統治者を「安全保障論」に照らせば合理性を認めてもいいと思いもあったからで、ロシアのほうが国力で勝っていたと修正することはやぶさかではありません。

日清戦争に勝利し日英同盟を結んだ日本と西欧諸国との対抗関係や革命勢力に脅かされていたロシアを比べれば、国力的に五分五分であったと考えています。

バルチック艦隊が英国の差配で無寄港同然で対馬海峡までやってこなかければなかったことが日本海海戦の勝利に結びついたことも事実ですし、日本が深入りせず米国仲介で講和を結んだのも、国力・軍事力で劣っていると自覚していたからです。

(日露戦争を指導した統治者が、明治維新第一世代であったことが合理性の基礎にあったと思っています)

> また、アメリカ軍がどの程度強いのかも実際にあたって
>みなければなかなかわからないでしょう。特に戦艦や空母
>・航空機を用いた戦いでのアメリカの強さはほとんど資料
>がなかったはずです。私は太平洋での艦隊航空戦はアメリ
>カ以外の国では日本に勝てなかったと思います。当時のア
>メリカがその方面でも途方もなく強かったということは戦
>争中からわかったことです。当時の日本人がそれを前もっ
>て知る理性的な手段はなかったのです。

「実際にあたってみなければわからない」まま戦争を仕掛ける国家統治者は、その名に値しないものです。

「特に戦艦や空母・航空機を用いた戦いでのアメリカの強さはほとんど資料がなかったはずです」ということはありません。
各国に派遣する駐在武官はそれを調べるのが第一義的な任務です。また、諸外国が演習を見せたり艦隊を日本に派遣したりするのも、自国の軍事力を誇示して戦争を抑止しようという狙いがあるからです。

現有の戦艦・空母・航空機などの質と量を把握し、鉄鋼・機械・造船・化学などの産業力を把握すれば、彼我の差は知ることができます。
(米国は第一次世界大戦に本格参戦した経験を踏まえ兵器体系を近代化していました。日本は中国と南洋諸島で少々戦っただけです)

敵の現有戦艦・空母・航空機などの質と量を把握していなければ、図上演習もできなければ、作戦を立案することもできません。
(搭乗員や乗組員の質は訓練次第ですから、短期的には戦争態勢の状況に拠りますが、長期的にはイーブンだと考えるものです)

そして、それができていれば、それぞれの国家の損失量と生産量を比較計算することで、どちらが最終的に「国家総力戦」に勝利するかが推定できます。
そして、劣っていてもそれほどの差がなければ戦術で逆転することもできますが、国力の差が歴然であれば、戦術で補うことができないこともまともな軍官僚であれば理解しています。

日本の統治者もそのような分析と判断はできる能力を持っており、できなかったのは、その結果を根拠とした対米戦回避であり自国から仕掛ける開戦の回避です。

日本の統治者が開戦判断で最後に頼ったのは、日米軍人及び国民の精神力の違いです。

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