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(回答先: Re: 今後の展開に期待します 投稿者 職人 日時 2002 年 9 月 29 日 16:35:45)
ご質問の「人間の本性」について語れば、大論文になってしまいますので、必ずしも回答にはならないかも知れませんが、思うところを簡単に記載します。
Nature of humanbeingの最も根源的なところは動物としての本能的な部分があるでしょう。即ち、自己のDNAをできるだけ有利な環境下で永続させたいとする願望です。個々人に与えられる財産、才能、気質、運はそれぞれ異なりますが、それぞれがより良き自分の一生を全うしたい、のみならずそうした環境を自らの子孫に残したい、と考えるのは自然なことだと思います。他と共存共栄を図ることができることもありますし、他を蹴落として自己の相対的地位を高めねばならない場合もあるでしょう。
そうした個人の集積体が社会であるわけですが、仮にその社会の基本原理をある人間(又は集団)が設計できると仮定した場合、どのような基本設計が望ましいでしょうか。まず私が第一に感じるのは、自然の姿を歪ませるのは良くないということです。例えば、個々人間で能力の差異が出るのは当然です。その差が存在しないかのように扱う思潮、その差を解消する方向に向かわせる仕組み(全体の底下げ)は間違っていると思います。
能力差を是認する社会は必然的にあらゆる集団にリーダーとフォロワーの安定した関係を作り出します。民族性によってその現れかたは様々でしょうが、これが文化の重要な部分を占めると思います。我が国にあっては、リーダーあってのフォロワーであり、その逆でもある、相互の強力な信頼関係を再構築してゆくことが理にかなっています。リーダーが偉くてフォロワーはつまらない存在だ、というのではありません。役回りに関係なくできるだけ多くの人々が自らのDNAの繁栄を期待できるような仕組み作りを
志向すべきです。
リーダー階層の人々は社会の維持存続に関してより多くの負担(精神的、金銭的)を背負う、フォロワー階層の人々はつまらない愚痴や批判は慎み、やるなら真に有益な批判(=自らの全存在をかけた批判)を展開する、そういう緊張関係が望ましいと思います。