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(回答先: 談合史観と官僚史観 投稿者 baka 日時 2002 年 9 月 24 日 22:40:34)
外交政策は一歩間違うと本当に国を滅ぼしてしまうほどのインパクトを持つものです。その意味で他のあらゆる政策よりも一段上に置かれるべき性質のものです。
外交こそは真の意味での賢者によって取りし切られるべきですが、時の権力者が必ずしもこうした高い水準の要件を満たしているわけではありません。
財政問題と同様に、様々な局面で官僚が練り上げた政策は捻じ曲げられています。ことに外交問題はパフォーマンス性が高く、政治家のアピールの道具になりやすい。民意の熱狂にも左右されやすい分野です。
貴殿の二つのご質問にはいずれも、「そうすることが妥当と判断されない情勢があった。」と言う事でしょう。外交は相手あっての話ですから、タイミングが何よりも重要です。
北朝鮮を巡っての大きな政策のオプションとしては、二つあります。ひとつは無法者は相手にしない、経済援助もしないし、ひたすら拉致した日本人を返せと主張するもの、もうひとつは、宥和策です。後者は、どこまで宥和するかというオプションが何通りにも分かれます。ピョンヤン宣言で後者を採ることが決定したわけですから、次には如何に交渉を有利に運び、実質的妥協を北朝鮮からどれだけ引出せるかが焦点になります。
こう言っては遺族や国民感情を逆撫ですることになるのは承知の上で言いますが、拉致事件にまつわる我が国輿論の激昂は極めて良い交渉材料になり得ます。これからも幾つか国民を驚かせるような「新事実」が出てくるに決まっていますが、これらをうまく活用し、北朝鮮を'DEFUSE'して行く必要があります。
貴殿に喧嘩を売っているわけではないのですが、一つ例を挙げます。暴走族の無謀な運転で命を失う人が何人かいることでしょう。遺族にしてみれば、なぜ警察は徹底した取り締まりをしなかったのだ、ヤツらを片っ端から刑務所にぶち込んでればこんなことにならなかった、という思いが自然にこみ上げて来るでしょう。拉致事件も形態は特殊ですが、行政に対する憤りという意味では被害者側の意識はこれと同じ構図なのです。逆に行政側(警察庁や外務省)からしてみれば、ある種の同情はしますが、諸般の事情でそううまくは行かんわなー、というのが本音です。もっと話を広げると、これに類する「被害」を受けた人は世の中にゴマンと存在します。たまたまスポットライトを浴びた件だけを特別扱いすることが行政として公正かという問題は無視できません。