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ちょっと興味のある記事があったんで諸君7月号を買ってきました。
これは、あくまで感想なんで引用は控えますが、『結果平等主義』が
悪い、これはいつから当たり前になったのでしょうか?
しかも、この結果平等主義は『共産主義』だから悪いのだという。不
勉強は自覚がありますから、不安にはかられますが、本当にマルクス
の『能力に応じて働き、必要に応じて取る』は『結果平等主義』なん
でしょうか?。
こういうことだと思いますよ。
@近い将来、生産力が飛躍的に高まり富が必要量を上回るようになる。
Aすると、富を得るためにアクセクする必要がなくなる。
B人間は物質的な関心から開放されて、もっと精神的なものを求める
ようになる。
そううまくいくかは別にして、これがわかりやすいのは、たとえば、
『もっと良い家に住みたい』『もっと良いパソコンがほしい』とは誰も
が考えるでしょうが、だからといって『ベルサイユ宮殿をタダやる』と
言われても大抵の人は辞退するのではないでしょうか。
物質的な欲望はどこかで飽和点に達するというわけです。
労働は阻害されることがなければそれは楽しいものでしょうし、能力以
上に働くわけにもいきません。必要以上にモノが豊富にあるなら、必要
な分があればいい、と考えることにどんな不都合があるのでしょうか?
ともあれ、共産主義を『結果平等主義』とするにはかなり無理があると
考えていますが、私が知ってるかぎりの『結果平等主義』は一点だけ。
これはアメリカのマイノリティ解放運動で、誰だったか忘れましたが、
『白人と黒人などのマイノリティは格差がありすぎて機会の平等だけで
は不充分』として『結果の平等』を主張したことでしょう。この法律は
今でも生きているはずです。なんせマルコムXが活躍した時代ですから
マイノリティ対立は生易しいものではなくて、このままでは国がバラバ
ラに崩壊してしまう、『安全と水』はタダではない、といった現実感覚
がそうさせたものかも知れません。
ハイエクが『隷従への道』で論じていて、『結果平等主義』が真面目に
主張された例は皆無なのだそうですが、それでも、この『結果平等主義
』には絶大な利点があります。
十年ほど前でしょうか、日経新聞で『富の正当性』といった特集が連載
されたことがあります。実にスリリングなテーマだと期待していたんで
すが、いつのまにかやめてしまいました。ビビってやめたんだろう、と
勝手に解釈していますが、この『富の正当性』の問題こそ、あらゆるイ
デオロギー闘争、宗教紛争の背景というべきものかもしれません。
かってBBSでも『創造論』論争がさかんだったことがあります。真面
目に考えるならこの背景もまた深刻です。
@富の所有には正当な根拠が必要である
A神がすべてを創った
B故に、万物の正当な所有者は神である
その神から、管理業務を受注したのが”王様”でその下請けが、領主だ
ったり貴族だったりするのが封建主義。妥当かどうかはともかくとして
実にわかりやすい『富の正当性』です。
ところが『進化論』ともなるとそうはいかない。進化論によって、秩序
つまり『富の正当性』の根拠が破壊され、世の中は修羅場と化す、と考
える人がいたとしても、心配性ゆえに、とも言えないように思います。
ところが『結果平等主義』は一瞬にしてこうした議論を無用なものにし
てしまいます。
『正当な富』も『不当な富』も『正しい分配』も『不当な分配』も問答
無用です。つまり、結果が同じなのですから。
こんな詐欺のようなロジックもあります。
@結果の平等は理想である。
A理想は未来において実現される。
B故に、現在の不平等は致し方ない。
『結果平等主義』の真の不都合は、『富の正当性』の無視。つまりモラル
・ハザードにある、と言いきるべきかもしれません。
ただ、結果不平等ならそれで良し、というわけには勿論いかない。
『富の正当性』の議論を欠いた、結果不平等主義は単なる御都合主義と
いうべきものでしょう。
『思慮分別もなく』、『結果不平等』マインド・コントロールに陥る輩
には(頭が悪い=馬鹿)と罵ってあげて、全く差し支えないと思います。
2000.7.4ユートピアコレクション(再掲)