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(回答先: Re: 富の正当性について 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 27 日 16:17:29)
レス有難う御座います。
>ユートピアコレクションさんが考えていられるような価値観が多数派にならなければ、
>諸問題が解決できない歴史段階にあると認識しています。
マルクスは蓄積された資本(これは多分オートメションのようなもの)が生活必需品を
大量に生産し、これにより人間は生産関係から解脱して、精神的な生活をおくるといっ
た共産ユートピアを夢想したのだと思いますが、この”精神的”がかなりの曲者で、
「日常的に生産労働に従事することのない階級=有閑階級」の象徴とも言えそう。
たとえば、ラテン語の学習や古典文学といったものはそれが”役に立たない”からこそ
有閑(=生産労働に従事する必要がない)階級であることの証明であり、それを可能に
する富の象徴でもあるというのがヴェブレン。活動的でない貴婦人のドレスの考察が有
名ですよね。ヴェブレンがぶっ飛んでるのは、こうした階級性は”略奪”や”略取”の
習慣と密接な関係があると指摘していることです。とすれば、共産主義の行く末は初め
から決まっていたようなものでした。
こうした”略奪”や”略取”の習慣は我々の文化に深く内包されているものでしょうし
、人間の歴史の大半は狩猟採取なのですから、むしろこちらの方が本来の人間性に合致
しているのかもしれません。とうことは生産的な方向に相当な文化的バイアスがかかっ
ていないかぎり、あっというまに狩猟採取的なカッパライ社会に墜してしまう、といっ
たことなのかもしれません。