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大東亜戦争の敗北とそれに続く占領・従属という「単なる事
実」を精神的に引き受けることを拒否して、自己欺瞞に逃避し
て自分と自国に対して嘘に嘘を積み重ねて来た人たちが多いこ
とが今の日本の病理の根本にあるのではないだろうか。
軍部や「A級戦犯」を徹底的に悪者・無能者・狂人扱いして
彼らに大東亜戦争の起承転結の責任の全てをなすりつけて自分
たちは被害者だと思い込む。戦時中や戦前の日本は「あの時だ
け例外的に狂っていた」のであって「本来の日本ではない」と
言い出す。自分たちの友人・家族を殺した連中を正当化・美化
して「あなたたちのようでなかった我々がおかしかったのであ
り、今後はあなたたちのようになりたいので厳しく訓練して下
さい」と言い出し、その一方で日本の兵隊軍を鬼畜・犯罪者集
団扱いする。自分たちが虐殺されたことに文句の一つも正式に
発せられない代わりに戦争の常識の範囲内の戦時中の日本兵に
よる犯罪行為・普通の行為を規模においても性質においても拡
大誇張して内外に宣伝してまわったりする。
これらは、「投影」「主客の転倒」「分離」「抑圧」などの
典型的なフラストレーションに対する自己防衛の心理機制であ
る。
要するにこういった心理は敗北・占領・従属という状態に自
分たちが置かれているという事実から自分をごまかすために、
自国とその歴史を徹底的に自分たちから切り離しそれらを悪者
・劣等者扱いして非難することによってあたかも自分たちは戦
争と敗北と関係がないし占領・従属の屈辱とも無縁であるよう
に思い込もうとするところに発しているのではないだろうか。
愛媛丸が「偶然」浮上してきた原潜に追突され、米兵が海に
投げ出された生徒たちを助け出しもしなかった(と私は記憶し
ている)時、日本人の多くは海外の事故の対策など仕事ではな
いはずの森総理をそのとき「偶然」ゴルフをしていて生徒たち
を助け出さなかったが故に猛烈に非難・攻撃したことを私は覚
えている。
結局今の日本の歴史とか公民とかの社会科の義務教育段階(
小中高)での教育方針というのは、戦後の憲法とか国家組織と
か外交姿勢とか政治のあり方とかに合わせて作られている。
歴史は現在にも影響を与えている以上、歴史教育を没価値的
に行うわけにはいかない。現在の内外の社会環境・政治関係は
歴史的経過の上に成立している。教育を行う国家は当然没価値
的に組織されたり内外の政治を行うわけにはいかない。だから
、その時点での国家の価値観から歴史教育を行わないとその時
点での国家のあり方・行いの正当性を自分で主張していない、
もしくはできないことを国民に宣伝し印象付けることになる。
分かりやすく手短に言えば、あの占領中に押しつけられ恐ろ
しく改正しづらく武力の行使を禁じ政府に諸外国の「善意」を
外交政策の基本に据えて外国との条約に自国の法律を超える法
的力を与えることを命ずる去勢奴隷的「日本国憲法」と内容が
矛盾せずに一致するように社会科義務教育が作られているとい
うことである。
そういう意味では自国の過去を断罪する反日教育とかナショ
ナリズムの否定・無視とか教育内容を他国の顔色をうかがって
作ることとかは戦後日本の国家の仕組み・あり方・行い・基本
的価値観と矛盾しない首尾一貫したものだということになる。
だとすると社会科義務教育の問題は戦後体制の根本問題に直
結し、かなり根の深い安易な方法では解決の難しいものだとい
うことになる。戦後のさばってきたアメリカと結びついて経済
的・権力的特権を得てきた連中や各種の国家破壊左翼全てが「
抵抗勢力」として立ちふさがるだろうことは当たり前である。