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『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における保有余剰通貨の“価値”保存方法 《金融資産取引》〈その7〉』に続くものです。
『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、レスのかたちでぶら下がっています。
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本来はずっと前に述べるべき基幹の経済テーマであるが、金融資産の取引を説明した後の方がすっきり説明できると考えたこともあり、終局近くまで延び延びになってしまった。
■ 「近代経済システム」における金利と物価の変動
物価はともかく、金利という経済指標がこれだけ注目されている経済社会は、これまでの歴史的経済社会のなかで「近代経済システム」のみである。
それは、それまでの歴史的経済社会が、通貨の貸し借りで利息が発生することを“原則的に”禁じていたのに対し、「近代経済システム」は、通貨流通の始源である中央銀行の通貨発行そのものが商業銀行への貸し出し行為であり、中央銀行から貸し出しを受けた商業銀行が様々な経済主体に貸し出しを行うことで通貨が経済社会に流れ出すという構造になっているからである。
「近代経済システム」で通貨を獲得するためには、貸し出しを受けるか、生産した財を販売するか、自己の活動力(労働力)を販売するかのいずれかになる。
通貨発行主体である中央銀行は貸し出しを通じてしか通貨を供給しないから、始源的には、貸し出しで通貨を獲得するしかない。
(政府部門の徴税、恐喝や窃盗などの犯罪、贈与・寄付・家計内などの経済的対価を伴わない通貨の移転は、対象の通貨がそれ以前に経済取引を通じて手に入っていなければならない)
生産した財や自己の活動力(労働力)の販売は、経済論理的に言えば、財も活動力(労働力)が転化した物だから、ともに活動力(労働力)の販売だと言える。
貸し出しは、通貨を一時的に手放すことで利息という対価を得る経済行為である。
この利息も、これまで説明したように、“資本の増加”がその源泉であり、利息を経済的実のあるとして獲得するためには、間接的であれ、活動力(労働力)が発揮される“場”である資本に転化され、資本の活動の成果として資本が増加していなければならない。
「労働価値」が転化される過程である資本の生産過程を通ることがない貸し出しは、「バブル形成」や「ハイパーインフレ」といった歪な経済事象を生み出すだけで、利息のみならず元本まで回収できなかったり、獲得した利息と元本の合計が実質価値ベースで貸し出し時を下回ってしまうという結果に終わることもある。
(資本の生産過程を通ることがない貸し出しが多量で長期にわたって続けば、必ずそのような結果に終わる)
このような論理を前提に、もう少し現実に近づくと、貸し出しという経済取引が成立する条件は、通貨を保有しそれを貸し出ししてもいいと考える経済主体と通貨が手に入れば構想している経済活動ができると考える経済主体が、同時的に存在していることである。
保有通貨を貸し出してもいいと考える経済主体はその対価としてできるだけ多くの利息を求め、通貨を貸し出しを通じて手に入れたいと考える経済主体は、その対価である利息をできるだけ少なくしたいと考える。
そういう両者の取引である貸し出しは、借りたい通貨量と貸したい通貨量の関係で金利率が決まると想定できる。
借りたい通貨量に対して貸したい通貨量が少なければ、金利が上昇するはずである。
しかし、管理通貨制の通貨発行量(中央銀行の貸し出し通貨量)には、金本位制のように価値実体的な量的規制がない。あるのは、銀行(中央銀行&商業銀行)に内包されている“資本の論理”だけである。その“資本の論理”は、資本=通貨を実質ベースで増加させなければならないというものである。
管理通貨制の金利規定論理を考える前に、通貨流通の構造が共通の金本位制で金利の規定論理を考える。
● 金本位制における金利の規定論理
保有金(貨)に対する紙幣発行量の倍率がいくらかは別として、金本位制であれば、中央銀行が貸し出しできる通貨の量は保有する金(貨)の量に規定される。
中央銀行が保有する金(貨)の量は、対外決済の黒字と紙幣による購入で増加し、兌換によって減少する。
好況期であれば、財の輸出が順調で兌換請求の紙幣も少ないので、保有金(貨)は増加する。
不況期であれば、財の輸出が不調で兌換請求の紙幣が多くなるので、保有金(貨)は増加しにくい(あるいは減少する)。
貿易収支の黒字による保有金量の増加は、紙幣による金の購入とまったく同じである。
貿易収支の黒字は、貿易に関わる個々の経済主体の総和として、ある国民経済が支払いよりも受け取りが多いというものである。
金は中央銀行が直接受け取るとしても、個々の経済主体が受け取った外国為替に対して紙幣を支払ったがゆえの金の受領である。
中央銀行は、そのような経路で受け取った金をベースに、その4倍といった量の紙幣を追加発行できる。
(これまでの説明をお読みの方であればわかるように、これは、1/4に薄まった紙幣で1/1の金を手に入れたことを意味する。そして、その金をベースにさらにその4倍の紙幣が発行できるというのが金本位制である。このような取引を繰り返せばどれほど実質利益が膨らむことになるのかは計算してみればすぐにわかる。しかし、このような私的経済取引が詐欺として有罪になったことは寡聞にして知らない。イングランド銀行は現在なお、戦前までのフランス銀行も私有銀行である。そして、FRBも私有銀行である)
財の生産や販売に関わっている経済主体は、好況期であれば、経済活動をさらに活発化したいと考えるので通貨に対する需要を高める。
金利が通貨に対する需給で決まるとしたら、財の生産や販売に関わっている経済主体が求める借り入れ要望通貨量が中央銀行の貸し出し可能通貨量を上回るほど、金利が上昇するはずである。
中央銀行が紙幣を発行できる倍率が保有金(貨)の4倍だとすれば、保有金(貨)の増加量の4倍を超える借り入れ要望通貨量の増加がなければ金利は上昇しないことになる。
しかし、奴隷制があり輸出が急増している経済社会で奴隷が潤沢に供給される状況でもない限り、そのようなことは基本的にあり得ない。
なぜなら、そのようなペースで借り入れ要望通貨量が増えるためには、厖大な活動力(労働力)を雇用しなければならないからである。
不況からの脱却時期でもそのようなペースでは経済活動は活発化しないが、好況期であれば、余剰人員(失業者)も少ない。
借り入れ要望通貨量の増加が貸し出し可能通貨量の増加を上回る状態を保つためには、銀行もしくは一般経済主体が、国民経済の外に通貨を貸し出したり持ち出していなければならないことになる。(国際融資や対外直接投資のこと)
銀行は、通貨を貸し出すことで資本=通貨を増加させる経済主体である。ゆえに、安全であることを命題としながらも、できるだけ多くの通貨をできるだけ高い利率で貸し出したいと考える。
安全性は担保などで解決するとして、通貨は、貸し出しをできるだけ行って手元に残す量を減らし、借り入れ要望量が多い相手(国民経済)を見つけて貸し出しを行うのが理想ということになる。(中央銀行であれば、保有金量に対して未発行の紙幣量を減らす)
例えば20世紀初期までの英国であれば、その通貨であるスターリングポンドは、世界最高の信認性を誇っていた。
そして、米国や日本を含め多くの国民経済が、資本=(国際)通貨不足に陥っていた。
この事実は、イングランド銀行やその他の商業銀行ができるだけ有利な貸し出しを自由に選択できる状況にあったことを意味する。
世界を眺めて、好況もしくは成長性がありながら通貨不足に悩んでいる国民経済(経済主体)を見つけ出せば、より有利な貸し出し条件を手に入れられるという世界経済構造である。
多くの国民経済が資本=国際通貨不足であるという現実は、日本や中国などアジアの一部の国家を除けば、今なお続いている。
このようなことから、金本位制の貸し出し金利は、特定国民経済の中央銀行が持っている貸し出し可能量と国際総和的な借り入れ要望量で決定したと言える。
これを当時の英国の現実問題として考えると、自分たちの経済活動で中央銀行の保有金量を増加させたにも関わらず、もっと経済活動を活発にしたいと考え借り入れを求めると、経済論理的に言えば金利は下がるべきなのに、4倍に薄まった紙幣をより高い金利で借り入れなければならないという話になる。
もちろん、通貨の借り入れは最終的には自由意志であるし、国際的に通貨が貸し出されることで、自分たちの経済活動がより活発になるというメリットも享受する。外部国民経済に通貨がなければ、輸出は思うように増加できない。
貸し出しを受ける当時の英国の経済主体にとって望ましい状況は、英国は好況で、他の国民経済が順調でありながら借り入れ要望量が少ないというものである。
そうであれば、欲しい通貨が低い金利で手に入る。銀行は、低い金利であっても、貸し出しをしないよりは無限大に有利だからである。
最悪の状況は、英国は好況でかつ自由にできる余剰通貨を保有している経済主体が多く、他の国民経済で借り入れ要望が多いという状況下で、通貨不足=資本不足に陥っている英国の経済主体である。この経済主体が競争下にあるのなら、他の経済主体に較べ、利息の負担で価格競争力を劣化させるので、最終的に得られる利益の額を減らしたり、破綻することになる。
このように、金本位制の金利変動は、英国(イングランド銀行)を基軸とした国際的な通貨の需給関係に規定されていたと言える。(だからこそ、ロンドンが国際金融のセンターになった)
● 管理通貨制における金利の規定論理
現在のところ、先進諸国通貨に限っても、管理通貨制における金利の規定論理を一律的に論じることはできない。
ご存じのように、国際基軸通貨である米ドルとその他の通貨は、通貨としての性格が異なり、その他の通貨でも、国際交換性を有する通貨とそれがない通貨とに分かれるからである。
まず、日本円など米ドル以外の主要国通貨を考える。
◆ 米ドル以外の国際交換性を有する通貨
国家と中央銀行の関係や国家政策の基盤によって、銀行利益優先か、産業利益優先かで実態が異なるため、ここでは銀行の論理を優先した説明を行う。
金本位制と違って通貨の発行量に制限はない。
そして、国際交換性があることで可能なのだが、一般的には国民経済を超える貸し出しがそれほど行われるものではない。(ユーロそのものが国民経済を超えた貸し出しで流通を始めるものだが、それ以前の世界と考えてもらってもいいし、ユーロ圏を単一国民経済と見なしてもらってもいい)
通貨発行量の制限がないということは、借り入れ要望量と貸し出し可能量とのあいだで需給論理が働かないということである。
商業銀行が媒介するとは言え、借り手の要望に中央銀行がどう対応するかという一方的な選択である。そして、その一方的な選択は、銀行という経済主体が内包している“資本の論理”に従うものになるはずである。
銀行は、できるだけ高い金利で、できるだけ多く貸し出しを行いたい。
しかし、利息と元本を回収して、それが実質価値ベースで貸し出し時の元本を上回っていなければならない。
貸し出し量を増やすということは、インフレ率を高める可能性を持つ経済行為である。
しかし、貸し出し量を増やさなければ迅速な“資本の増加”を達成できない。
おそらくまともな中央銀行であれば、予測インフレ率+1〜2%を“固定的な”貸し出し金利として設定したであろう。元はタダなのだから、それで十分な利益=資本増加が得られる。商業銀行も、(予測インフレ率+1〜2%)+2〜3%といった貸し出し金利を設定しているだろう。商業銀行の判断からは、予測インフレ率が抜け落ち、公定歩合+2〜3%になるが...。
“資本の論理”は、貸し出し金利がインフレ率を下回らないこと、すなわち、貸し出し金利は予想インフレ率以上で設定されるはずだから、実際のインフレ率が予想インフレ率を上回らないということに集約される。
5%の予想インフレ率であったものが、実際は10%のインフレ率になれば、8%の貸し出し金利であっても、実質マイナス2%の金利になってしまう。
これは、おみやげ付きで通貨を貸し出したことを意味し、利息を含めて戻ってきた通貨の実質価値は、貸し出し時点よりも減少する。
(英国などが実施している「インフレターゲット政策」は、このような意味で金融経済主体の利益に沿ったものである。産業経済主体や失業者などは、インフレになってもいいから通貨を増やして欲しいと考えるものである)
次に問題になるのは、借り入れ要望量である。
国際的な貸し出し対象にならない通貨であれば、国民経済内の借り入れ要望量が通貨に対する需要になる。
不況であれば前向きな借り入れ要望は減少し、好況であれば前向きな借り入れ要望が増大する。
銀行は、経済主体が赤字を補填するような借り入れにはあまり対応したくないので、貸し出し金利は下降する傾向になる。
逆に、前向きな借り入れが増大すれば、貸し出し金利は上昇する傾向になる。
そして、商業銀行が自己資本や預金を多く抱えていれば、最大の資本増加機会である高い金利のときにより多くの貸し出しが行われることになる。(むろん、中央銀行は、商業銀行の財務状況や“性格”を知っているので、それを織り込んだ対応をする)
後ほど説明するが、このような高金利期に、予測インフレ率が現実のインフレ率によって裏切られることが多い。貸し出し金利の上昇は、インフレを抑制するのではなく、逆に、インフレ率を高めるものである。
もう一つ副次的な問題として、インフレ率と金利の国際比較が、外国為替レートの変動要因になることである。自国通貨高を望むのであれば、インフレ率は相対的に低く、金利は相対的に高くというスタンスになり、自国通貨安を望むのであれば、インフレ率は相対的に高く、金利は相対的に低くというスタンスになる。
銀行は、自国通貨で国際貸し出しを行う比率が高いほど、自国通貨高を望む。
(米ドルで国際貸し出しを行う場合は、貸し出し時が自国通貨高、返済時が自国通貨安という志向になる)
◆ 米ドル
米ドルも他の主要通貨と同じように、通貨の発行量に制限はない。
(米ドルは、70年まで、金本位制ではなかったが保有金量の4倍という発行量の制限を法的に受けていた)
しかし、国際基軸通貨であることから、往時の英国ポンドと同じように高い国際通用性を誇っており、その点で他の主要通貨とは根源的に異なる。
これは、米ドルに対する需要が国際的で、かつての英国ポンドと同じような国際貸し出しができることを意味する。
日本をはじめとするアジアの一部国民経済を除けば、英国ポンド隆盛時と同じように、世界のほとんどの国民経済が経常収支赤字すなわち通貨=資本不足に陥っている。
これは、イングランド銀行やその他の英国商業銀行ができるだけ有利な貸し出しを自由に選択できる状況にあったことと同じ条件を、FRBや米国商業銀行及び経済主体に与えていることを意味する。(FRBは間接的だが)
米国金融経済主体にとって、世界を眺め、好況もしくは成長条件がありながら通貨不足に悩んでいる国民経済(経済主体)を見つけ出すことで、より有利な貸し出し条件が手に入れられるという世界経済構造である。
戦後米国が、無償か有償かを問わず、諸外国に多額の金融及び経済支援をしたことは賢明であった。
世界の通貨的“富”の過半を手にした(債権を含めると3/4ほど)米国国民経済がそれを握りしめたままであれば、そのような量の通貨を手に入れるほどの経済活動を行ってきた経済主体の経済活動を低落させるのみならず、資本=通貨が十分すぎるほどある国民経済内では銀行の資本増加手段である貸し出しも思うに任せない。
そのような状況を打開するために、諸外国の生存維持を助けるためであり自国農業の利益を維持するための無償援助を政府が税金で行い、諸外国の産業を再建するためであり自国産行の利益を維持するための有償援助と国際貸し付けを政府と金融経済主体が行った。(世界銀行=国際復興金融公庫も米国が保有する通貨に依存したもので実質的には米国の金融経済主体)
それと同時に、米国の経済主体は、余剰通貨(自己もしくは他者)を対外直接投資に振り向けていった。連合国の「兵器工場&生活品工場」として急拡大した国民経済内には、生産する財の転換のために必要な資本化は多くあっても、新たに資本化する余白が少なかったからである。
また、根っからの「兵器工場」=軍需産業は、“反共”と“冷戦”を支えにした国防予算(世界各地に展開する米軍基地)と同盟国への輸出に依存し続けた。
一般経済主体までが対外直接投資に活路を求めるのだから、銀行も、国際貸し出しに“資本の論理”を実現する場を求めなければならない。一般経済主体の対外投資に対して貸し出しを行うだけではなく、戦後ある時期までの日本のように直接投資を制限していながら通貨=資本不足に悩んでいる国民経済に直接の貸し出しを行った。
戦後の米国金融経済主体は、貸し出しが国内に限られていれば、資本を増加させるかたちでの貸し出しができない状況に置かれていたのである。
そして、国際貸し出しがきちんと利息付きで返済されるためには、貸し出し先の国民経済が米ドルを稼ぐための唯一の手段である輸出を拡大しなければならない。(ベトナムドンを今でも国際金融経済主体が受け取らないように、1960年頃の日本円を受け取ってもらえなかった)
貸し出し先国民経済の輸出に関しても、米国以外に余剰の米ドル=通貨を持っている国民経済がほとんどないという状況だから、米国が輸入を拡大しなければならないことを意味する。
現在の米国経済の惨状は、戦後ある時期まで絶対的な経済合理性であった経済活動を、その時期が過ぎた後まで継続してきたことに帰因する。
別の表現をすると、国民経済全体にとっても不可欠であった金融経済主体の国際貸し出し(一般経済主体の対外直接投資を含む)が、金融経済主体と一部一般経済主体にとっての利益のみに貢献する時期になってもなおそれが継続されたことが原因である。
少々話がそれたが、米国の金融経済主体は、蓄積した通貨量の多さから選択の余地がないかたちで国際基軸通貨となったドルを貸し出す主体であることから、絶対的には通貨=資本が不足している世界で、相対的に高い貸し出し金利を享受できたということになる。
そして、それは、かつての英国と同じように、国内で通貨=資本不足に陥っている経済主体に高金利という災厄をもたらした。
米国通貨当局が望まなくとも、米ドルが国際基軸通貨であり続け、世界全体が通貨=資本不足であり続ける限り、「相対的ドル高」と「相対的ドル金利高」になるのが、経済論理に照らしてふさわしいものである。
現実的にも、米国の金融経済主体は「ドル高」と「ドル金利高」を志向するので、ドルの対外通貨レートや国内金利の調整が遅れがちになり、産業の競争力低下が他の国民経済以上に進みやすい。
米国の銀行も、貸し出し量を増やさなければ迅速な“資本の増加”を達成できず、貸し出し量を増やすということが、インフレ率を高める可能性を持つ経済行為であることは変わらない。
しかし、これまでの説明から、発行した通貨(ドル)の相当部分が国民経済外の労働成果財取引で使われ、貸し出しの返済というかたちで利息付きで戻ってくる。
これは、米国内で生産された財に対する取引に使われない通貨が多く存在するということで、米国のインフレ圧力を減じてくれる。
米国の貿易収支赤字は3千億ドル(約35兆円)まで増加してきたが、これもインフレ抑制に貢献してきた。
国内経済主体と競争関係にある財はその価格が外の方が安いから輸入されるのであり、輸入財に負けた財は生産されなくなるから通貨量=資本は減少する。
(輸入代金はドルの流出だがその経済主体はその財を販売して輸入代金より多いドルを手に入れる(はず)。しかし、国内で販売される財に向けられる通貨量は、輸入された財を生産していた資本(労働者の給与)の減少により減っていくことになる)
貿易収支赤字部分を輸入して消費する主体がFRBであれば、通貨発行主体であるFRBが貿易赤字を補填したのと同じことなので世界的なインフレを誘発するが、流出したドルが投資で戻ってくるかたちなど他の手段であればインフレにはなりにくい。(経常収支の赤字以上にドルが還流してくるとインフレになる)
FRBは“資本の論理”から輸入主体になることはないから、流出したドルの還流が減少する度合いに応じて米国の輸入が減少していくなかで、経常収支が均衡することになる。
(ドルの還流額と貿易収支の赤字額が等しいと仮定すれば、ドルの還流が0になる過程=貿易収支が均衡する過程で、対米輸出国の輸出は激減していき、米国の産業は少しずつ活況を呈するようになるが、米国国民経済全体は急激な縮小になる)
米国のFRBは、予測インフレ率+1〜2%+αを貸し出し金利として設定し、米国の商業銀行は、(予測インフレ率+1〜2%+α)+αの貸し出し金利が設定できたはずである。
◆ 国際交換性を持たない通貨
国際交換性を持たない通貨を流通させている国民経済の多くは、戦後のある時期まで欧米の植民地(朝鮮半島は日本領)であった。
交換性を持たない通貨を発行している中央銀行も、貸し出しに量的規制はない。
そして、多くが国家政策に従って通貨政策を決定するので、“資本の論理”も働きにくく、貸し出し金利がインフレ率を下回る事態が頻発する。
政府自体が財政難に襲われ続けるので、それを補填するためだけでも通貨量が増加していく。
このような通貨が流通している国民経済は、「労働価値」を上昇させない限り、通貨の価値を安定させることができない。
財の供給増加ペース以上に通貨量が増大するからである。そして、このような国民経済では、金融資産取り引きがほとんど行われないので、増加した通貨がほぼストレートに財に向けられインフレに直結する。
資本の増加過程で使われない通貨をいくら増加させても、財の供給が増加しないからインフレになり、そのためにいっそう財政難となり、そのために通貨量が増加しさらにインフレが進むという悪循環に陥る。
そして、「労働価値」を上昇させるためには、自国で生産できない財を輸入しなければならない。(先進国が長い年月をかけて開発・製造した生産設備を、自国で開発・製造しようとすれば厖大な人力と時間が必要になる)
日本であれば、ドルで支払ってくれと言われても、自国通貨である日本円をドルと交換して支払うことができるが、自国通貨でドルを自由に手に入れることはできない。
(交換レートはあるが、それは基本的に、ドルを自国通貨に交換するためのもので、輸入経済主体が必要とするドルは外貨準備量に基づく割り当てになる。このような国民経済では、公定レートと市場レートの二本立てになる)
しかし、「労働価値」の上昇がすべての経済問題を解決するわけではない。
「労働価値」を上昇させ通貨を安定させたとしても、それ以降、「労働価値」の上昇ペースに見合う輸出の増加ペースを実現しなければ、大量の失業者を生み出すことになる。
そして、その救済のために通貨を増発すれば、再びハイパーインフレに陥陥ってしまう。
交換性を持たない通貨を使う国民経済が自立的に「労働価値」を高めようとすれば、
1)生産する財のある部分を輸出
2)観光客などの誘致
3)外国出稼ぎ労働者や移住者からの送金
3)国際的な借り入れ
といった手段で、米ドル(交換性がある通貨)を手に入れなければならない。
しかし、どれもデメリットを持っている。
ただでさえ貧しいのに財を輸出すれば物不足とインフレに見舞われ、観光客が入ってくれば価値観的な変化が起き、出稼ぎは財を生産する労働力の減少であり、国際借り入れは米ドルで利息を付けて返済しなければならない。
また、国際借り入れを受けるためだけでも、米国を筆頭とした先進諸国との政治的関係が良好でなければならない。
そして、このような政策を国民経済を破綻させることなく進める程度では、思うように、「労働価値」上昇させるとともに輸出を増加させることはできない。
しかし、無理な財輸出や出稼ぎ労働者の拡大は悲劇的な国民生活状況をもたらす。そして、輸出入バランスを超えた過剰な国際借り入れは、デフォルトにつながる。
逆に言えば、国際貸し出しを志向している金融経済主体にとっては、国民経済を破壊するような政策を採らず、デフォルトも絶対に起こさないという意志と論理を持った統治者に支配されている国家は良質の貸し出し先である。(これに、天然資源と教育レベルの高さが加われば、最良の貸し出し先になる)
こういう判断をしているからこそ、「戦争」ボードで、“近代化”を志向している中国や北朝鮮は、米国の真の敵ではないと書いてきた。
国際金融経済主体にとっては、独裁制か民主制であるかはなんら関係ない。高利で貸し出した通貨が、きちんと利息付きで返済されるかどうかが問題なのである。
逆に、未近代化でありながら民主制で政治的動きが活発だったり、自由主義政策で国民経済がおかしくなったり、国民の教育水準が低いほうが、債務がきちんと履行されるかどうか不安になるものである。
このようなことから、国際金融経済主体が余剰通貨を持っているのなら、独裁的な政体でそのような条件をつくってきた中国・北朝鮮・ベトナム・キューバを排除し続けることはしないと考えている。
中国や北朝鮮そしてロシアの真の敵への武器輸出はなんとか停止させたいとは考えているが...。
(欧米諸国の国民に持たれている人権意識が問題になるという指摘もあろうが、人権意識は抽象的な内容だから、“貧困だからああいう状態になっている”など「ものは言いよう」でクリアできる。ソ連・ナチスドイツ・親米独裁国家には国際貸し出しを行ってきた)
ではなぜ、米国が中国や北朝鮮への敵視政策を継続しているかと言えば、ロシアも含めてだが、最大の目的は、日本に対する牽制でありそれを通じてのアジア分断である。
これに付け加えると、貸し出しを回収するためには貸し出し先の輸出が順調でなければならないから、一気に貸し出し対象を広げるのではなく、取り込む順序が考慮される。
先進諸国に輸入余力がないまま新規貸し出し国民経済を増やしても、そこはうまく輸出でドルを稼いだとしても、それ以前に貸し出した国家の輸出が減少してデフォルトになってしまうのでは意味がない。
そして、他の国家の経済主体が、自分たちが次の順番と想定している国民経済に手を出さないようにしたいのなら、政治的に敵視しておくのがコストも安く優れた政策である。
(中国は実際のところ単に政治的なもので、それは、日本=アジア問題だけではなく、軍拡=米国軍需産業の利益という目的が加わっている。中国はロシアの身代わりになっている)
金融を含む日本の経済主体が、中国や北朝鮮との経済取引を活発化し、それを通じて両国と政治的にも良好な関係をつくることを阻止したいのである。
日本主導で、アジア円通貨圏やアジア安保体制ができることを何より恐れている。
(日本の統治者にそのような政治力があるとは思えないが...そして、外交的に普通の関係は好ましいが、アジア円通貨圏や軍事同盟をつくることが好ましいとは思っていない)
現在の世界で、経常収支レベルで黒字を誇っているのは、米国市場に依存しているとは言え、アジアの特定の諸国家のみである。それらの国家が、欧米諸国の埒外で、独自の経済圏をつくったり、政治的連合を強めることを極端に嫌っているのである。
米国は、中国との対立を実質的に終結させ、ロシアを取り込み、ベトナムとも関係を改善してきたように、北朝鮮やキューバとの経済関係も強化していくと予測している。
そうであっても、“アジアは分断したまま個別に対応する”という基本政策は変わらないと思われるので、日本に対しては、北朝鮮への敵視政策や対中国敵視意識の継続を計ることになる。
勢いで余分なことまで書いたが、国際借り入れは負担が大きいので、このような国家は、外資の誘致を積極的に行って、そこが輸出で稼いで再資本化する際に手に入るドルに期待する。(利益のある部分は持ち出しを認めなければ、誰も来てくれない)
そのためには、やはり、米国を筆頭にした先進諸国との政治的関係を良好なものにしなければならない。
このような過程を経て、「労働価値」の上昇と経常収支の黒字化を実現することで、主要国と類似的な通貨政策が採れるようになる。