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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済と財政 《借換債の経済的意味》〈その9〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 23 日 13:50:06:

(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における金利と物価の変動 〈その8〉 後半部 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 23 日 13:48:30)

■ 国民経済と財政

日本は、政府(地方政府を含む)の公的債務が900兆円(対GDP比1.8倍)という膨大な額まで積み上がり、このボードのように“国家破産”までがささやかれる未曾有の“財政危機”に陥っている。

(国債残高や借り入れについてはきちんとしたデータが存在するが、年金など本来繰り入れなければならないもののやり繰りで生じている隠れ債務がどれくらいあるかについては明確には提示されていない)

“財政危機”については、別の書き込みで考察したが、ここでは、それを捕捉する意味合いも込めて、財政学的立場からではなく、経済事象としての財政を取り上げる。

(参考書き込み:『【国債問題への定量的アプローチ】その1:国債発行高と国債償還の推移』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/736.html )でそのレスのかたちで<その8>まで)


“財政危機”が現在の経済に及ぼす影響については、新規国債発行に較べると余り取り沙汰されず影が薄い借換債の規模のほうが直接的で大きい。


● 金融取引に滞留する通貨の増加が経済的に意味するもの

前回の書き込みで、株式市場など金融資産取引に滞留する通貨量の増加は経済指標としてのマネーサプライの“実質的消滅”を意味し、金融資産(非労働成果財)の「バブルの形成と崩壊」をもたらしたり、労働成果財の価格を押し下げ「デフレ不況」をもたらすという説明を行った。

その理由を経済論理的に言えば、通貨自体が価値実体を持っているわけではなく、“通貨の移転”という経済取引で通貨に価値性が付与されるわけでもなく、通貨は、それが資本化され資本の生産(増殖)過程の洗礼を受けることによって価値性を付与されるものだからである。

少しわかりやすく言えば、労働成果財の生産に使われないまま金融取引で何度も長期的に使われ続ける通貨は、通貨の究極的目的である労働成果財の生産が伴っていないからである。
非労働成果財の取引に滞留する通貨は、資本化されないまま、通貨のキャッチボールに使われていることを意味する。(労働成果財の購入そのものが資本化行為である)

金融資産という媒介があるとは言え、通貨を使ったキャッチボールでしかない経済行為で、労働成果財が生み出されたり通貨の価値が維持し続けられるのなら、これほど楽な話はない。発展途上国は、みんなで金融取引に励めばいいことになる。

資本の生産過程という洗礼をきちんと受けない通貨の量が増加することで押し上げられた金融資産の価格はバブルであり、そこに新たに投入される通貨量の増加が、上昇してきた金融資産の価格を押し上げるほどではなくなった時点で価格崩壊につながっていく。
同じ量の金融資産が取り引きされていると仮定して、その価格が上昇していくためには、それを買おうとする通貨の量がより多く増加しなければならない。さらに価格が上昇するためには、価格上昇をもたらした投入通貨増加を新たな基準にして、さらに投入通貨量が増加しなければならない。
しかし、投入通貨量が増加したとしても、売却される金融資産の量がそれ以上に増加すれば、価格は上昇できないどころか下落することになる。
それがいつなのかは明確に予測できないが、形成されたバブルは必ず崩壊するものなのである。
(金融取引が行われていても、それが通貨に変わったときに資本化されるというパスを通っていれば問題は起きない)

金融資産取引に滞留する通貨量の増加は、バブル形成の一方で、労働成果財の価格を押し下げ「デフレ不況」をもたらすという説明については、価格が異常に高くなってついには暴落するという「バブルの形成と崩壊」とは全く正反対の経済事象のように思えるかもしれないが、非労働成果財のバブル(根拠なき価格上昇)は、その裏側で労働成果財のデフレ(財の価格下落)を進行させているのだから、この二つは表裏一体の経済事象なのである。

通貨が(再)資本化されないまま金融資本取引に使われ続けるということは、資本化=労働成果財生産=労働成果財需要が減少もしくは良くて維持されるかたちで推移するということである。
資本化される通貨の減少以上に金融取引にとどまる通貨が増加すれば、労働成果財の価格は見掛けの通貨量(マネーサプライ)に較べて安くなり、金融資産の価格は高くなる。
これが、経済論理的な意味での、デフレであり、バブル形成なのである。

そして、「バブル崩壊」で銀行の貸し出しが不良債権化すれば、帳簿上の資産だけが存在し通貨としては戻ってこないということだから、銀行の再貸し出しや貸し出し増加は行われにくくなる。これは、自己資本+預金量+通貨発行高が一定であれば、不良債権に相当する通貨が資本化されないことでもある。
94年時点で100兆円の不良債権があったとすれば、90年に較べて貸し出し通貨量が100兆円減少したと言うことである。逆に、100兆円の通貨がバブル形成に使われたと言うことである。

この差額を少しでも埋めて経済活動を何とか維持しようとしたのが、赤字国債の増発による財政支出の増加だと言える。


     新規国債  歳出   税収   名目GDP(兆円)
============================================================
89年度  6.6 65.9 54.9  409.6
90年度  7.3 69.3 60.1  441.9
91年度  6.7 70.5 59.8  469.2
92年度  9.5 70.5 54.4  481.6
93年度 16.2 75.1 54.1  486.5
94年度 16.5 73.6 51.0  491.8
95年度 21.2 75.9 51.9  497.7
96年度 21.7 78.8 52.1  510.8
97年度 18.5 78.5 53.9  521.8
98年度 34.0 84.4 49.4  515.8
99年度 37.5 89.0 47.2  512.5
00年度 33.0 89.3 50.7  513.0
01年度 30.0 86.4 49.8  500.0
02年度 30.0 81.2 46.8  496.2(政府見通し)


そして、その結果が、900兆円という厖大な公的債務の積み上げにつながった。

新規国債の発行高として8兆円を基準にすると、中央政府レベルで、93年から01年までに、146.6兆円の元本とそれに付随する利息が上乗せされて積み上げられたことになる。

このような財政状況に危機感を抱いて実施されたのが、赤字国債発行高30兆円というタガである。

01年度のGDPが、名目でマイナス2.5%になった要因として、失業者の増大・輸出不振・緊縮家計支出なども指摘できるが、財政支出の減少が、GDPを0.6%ほどの押し下げている。

02年度は、財政的要因で名目GDPが1%以上押し下げられる。
GDPはマイナス1%が出発点で、それを輸出や就業者の増加でどれだけカバーできるかということになるのだが、状況的には、就業者の減少=資本化の減少を輸出の増加でカバーできるかどうかというものだから、02年度も1%以上の名目GDP低下が見込まれる。

900兆円という公的債務は、国債発行額減少=財政支出減少を強いて資本化を減少させるという問題だけではなく、通貨の資本化に対して別の面でとてつもない影響を与えている。


● 借換債増加の経済的意味

新規発行国債で借り入れた通貨がなんらかの財政支出に向けられることは、物資購入や事業発注という直接のかたちであれ、公務員給与という間接的なものであれ、労働成果財に通貨が向けられる可能性が高いものである。
(土地の取得は“通貨の移転”であり、引き渡された通貨が労働成果財に向けられなければ、資本化(=労働成果財購入)されないままである)

しかし、借換債や国債の償還・利払いは、それとは違った経済的意味を持っている。

国債の償還と利払いは、それが、労働成果財の購入=資本化に向けられる可能性があるものである。
しかし、国債の主要保有者である銀行・郵便局・生保が不良債権や投資損失で喘いでいる現状から、その補填に使われる可能性が高い。

最大の問題は借換債である。
これは、労働成果財に向けられて資本化されることがない通貨であり、それに相当する通貨が株式市場に滞留しているのと同じなのである。

借換債は、端的に言えば、債務証書の差し替えである。銀行がこれまで70兆円を貸していたのが、形式的に返済されたことになるだけで、70兆円は資本化に向けられることなく、再び国債というかたちで金融市場に留まり続けることになる。

70兆円と言えば、生保を除く、銀行(479兆円)+貯金・簡保(300兆円)=預貯金総額である779兆円のおよそ9%に相当する。資本化される割合が低い郵便局を除く、銀行預金をベースにすれば、14.6%が資本化されないことになる。

絶対額よりも変動の方が経済にとっては重要である。

95年の借換債発行額はおよそ20兆円であり、02年度の借換債発行額はおよそ70兆円である。
これは、この7年間で、資本化されない通貨が50兆円も増加したことを意味する。
95年の預貯金総額は、銀行(478兆円)+貯金・簡保(220兆円)で698兆円だった。20兆円は、およそ3%に相当する。銀行預金ベースでは4.2%である。

95年以降であれば、株式市場や土地取引から引き上げられて資本化された通貨もあるだろうが、株式市場や地価の動きからそれが50兆円に達するとはとうてい考えられないので、差し引きしても、資本化されない通貨が激増したと推測できる。

恐ろしいことに、国債絡みで資本化されない通貨は、02年で70兆円だが、今後それが増え続けて、3年後の05年には100兆円に達する。
その一方で、預金や貯金はピークを打ち、今後減少すると考えられている。
預貯金が779兆円で変わらないと想定しても、100兆円は、全体の13%、銀行預金ベースでは20.9%に相当する。


経済指標上のマネーサプライは同じであっても、定期性預貯金が借換債という資産(BIS規制上はノーカウント)になることで、労働成果財に向けられる通貨は減少していくのである。
これは、実質的にマネーサプライが減少したことと同じである。マネーサプライが減少すれば、財の価格は下落する。

このことは、逆に、「デフレ不況」から脱却するためには、借換債の増加ペース以上にマネーサプライを増加させなければならないことを意味する。

このまま手を拱いていれば、借換債の増加という要因だけで、日本経済は、否応なく「デフレスパイラル」に陥るのである。(既に陥っているので、加速するといったほうがふさわしい)

新規発行国債は、将来の“大問題”であっても現在の“大問題”ではないが、借換債は、まさに現在進行形の経済的“大問題”なのである。

財務省キャリア官僚や国会議員が、「国債サイクル」の維持のみを考え、このような経済論理を理解していないとしたら、日本は泥沼の「デフレ不況」に落ちていくことになる。


(統治者がわかっていないとか理解できないと言うのなら、過去の失政も不問で、そっと秘密裏に、しかもタダで、どれだけ時間が掛かってもかまわないから、きちんと説明するつもりである。遠慮なく声をかけて欲しい。もちろん、非公式な一部有志のお声掛けでもかまわない)

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