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『未来』2002年4月号
なぜ、クルド人はサダム後を懸念するのか
中島由佳利(ノンフィクションライター)
アメリカ政府と北イラクのクルド人
イラン・イラク・北朝鮮に対して「悪の枢軸」と発言したアメリカのブッシュ大統領に対して、イランのハタミ大統領は「戦争屋的な態度」、イラクのフセイン大統領は「バカそのもの」という言葉を返した。
一月二九日の一般教書演説の中でブッシュは、「大量破壊兵器を開発している国は品行方正にすべきだ」などと言っているが、世界で一番たくさんの大量破壊兵器を保持し、それを使って他国を破壊し、多くの人命を奪い続け、さらに世界中に大量の武器をばらまいてもうけているのはどこの国か。そのような「品行方正」な国はもちろん他でもない、アメリカ自身である。これではサダムでなくても「バカそのもの」と言いたくなる。
イラク政策に関してアメリカは湾岸戦争以降、サダム政権を打倒するために経済制裁に加えて攻撃の機会をつねに画策してきたし、国内で上層部にとって何かと都合の悪い問題が起こると、国民の意識をそこから逸らす意図もあって、唐突にイラクヘの爆撃を行ってきた。今ならさしずめ、倒産したエンロンとブッシュ家の癒着、連邦議会上院議員の七割に行き渡っているらしいエンロンからの献金に関わる金権政治の問題から、国民の視線をアフガニスタンの次はイラクに向けさせておく必要もあるのではないだろうか。9・11以降、アメリカ国内でブッシュ批判は許されない状況が作り上げられているので、問題のすり替えはそれほど難しくもない。
そんななかで、国防長官らは「悪の枢軸」発言に関連して「先制攻撃の選択肢を常に用意することの重要性」を指摘、要するにアメリカに対していい子にしない国に対しではいつでもミサイルをぶち込めるようにしておくことが大切だ、と公言したわけである。
それはさておき、アメリカやイギリスの中東政策の中でそれぞれの思惑に利用され、捨て駒のように扱われ統けてきたのが、北イラクのクルド人たちである。北イラクのクルド人を代表するクルド民主党(KDP)とクルド愛国者同盟(PUK)のバルザーニとタラバーニ両議長は、ふたたびアメリカがサダム政権を転覆させる構えを見せているのに対し、強い懸念を表明した(朝日新聞二月一〇日付)。彼らは、アメリカがサダムを倒した後のことを心配しているのである。
「フセイン大統領に代わる指導者が用意されているのか」「新体制がフセイン体制よりましだと保証できるのか」バルザーニとタラバーニ両議長は、中央政府が倒れて混乱に陥るより、サダム体制が国際的な圧力と監視の下にある現状のほうがまだ良い、という。素直に考えれば、イラク政権に抑圧されてきた北イラクのクルド人たちにとって、アメリカがサダムを倒してくれるというのはありがたいこと、と歓迎するはずではないだろうか。
両議長の発言には、クルド人の、アメリカや周辺国に対する不信感、国際社会に対する絶望感が表れているように私には思える。
(中略)
サダム政権は北イラクのクルド人を迫害し続けた政権である。それなのに、なぜKDPのバルザーニ、PUKのタラバーニ両議長は口を揃えて、サダム政権を転覆しようとイラク攻撃に意欲を示すアメリカに対して、懸念を表明したのだろうか。ここで、クルド人たちが北イラクのクルド自治区を手に入れるまでの道のりを少しだけたどってみたい。
七〇年代、ニクソンからフォードヘ、裏切りの結末
(中略)
イランのシャー(王)はイラクを弱体化させるため、バルザーニらイラク国内のクルド勢力を支援していたが、バルザーニはアメリカにも支援を求めた。イランの望みがイラクの力を弱めることだけで、決してクルドの自治ではない、と知っていたからだ。冷戦構造のなかで、イラクとソ連の接近に警戒感を抱いたニクソン大統領は、秘密裏にクルディスタンにCIAを送り込んだ。クルディスタンにはすでにイスラエルの諜報機関モサドも作戦を展開していた。アメリカとイスラエルの支援を得て強気になったバルザーニはイラク政府の譲歩を拒否、自治交渉は決裂して、一九七四年にクルド勢力とイラク政府とのあいだで大規模な戦闘が始まった。
だがアメリカ、イスラエル、イランからのクルドに対する支援は、期待に反して小さなものでしかなく、クルド勢力はイラクの近代兵器に対してゲリラ戦で臨むしかなかった。しかもこの間に、イランとイラクのあいだで取引が行われていたのである。一九七五年三月、アルジェリアの首都アルジェで石油輸出国機構(OPEC)のサミットが行われ、そこでイランのシャーとサダムとの間で「アルジェ合意」が交わされた。イラクはイランとの領土問題で譲歩する見返りに、クルド勢力に対するイランの支援を即刻中止することを求め、両者は合意した。その瞬間、クルドを支援していたCIA、モサド、イランの工作員などが、クルディスタンから姿を消した。フォード大統領からの帰還命令だった。
クルド人だけが取り残された北イラクに対して、イラク軍の猛攻撃が始まった。バルザーニたちは、アメリカやイスラエルの良心に向けて必死の呼びかけを行ったが、彼らがふたたびクルディスタンのために戻ってくることはなく、呼びかけに対して返ってきたのは沈黙と無視だけだった。クルド人たちのアメリカに対する信頼は裏切られたのである。
八〇年代、レーガンの犯罪
イラン・イラク戦争末期の一九八八年三月一六日、イラク軍は「イランから支援を受けている」として自国領内のクルド人の町を爆撃した。イランとの国境近く、ハラブジャの町は地獄と化した。使用されたのは化学兵器で、びらん性のマスタードガス、神経ガスのサリン、タブン、VXなどを混合した「カクテル・ガス」であった。化学兵器によって五〇〇〇人もの市民が一瞬にして虐殺された事件である。生き残った人たちも重度の後遺症に苦しみ、この地域には今でも障害を持って生まれてくる子どもたちが多い。これはイラン攻略に向けての要所であるハラブジャを手に入れるための、イラク軍によるクルド民族浄化作戦であったという。
だが、アメリカやイギリスを始め国際社会、周辺国などもこのハラブジャの虐殺を黙殺し続け、一時的にマスコミ報道がなされただけで、国際社会がサダムのクルド人に対する蛮行を糾弾することはなかった。それは一体なぜなのか。
イラン・イラク戦争当時、ご存知のようにアメリカはイラクを支援していた。レーガン大統領は、イスラム革命を経てアメリカを「大悪魔」と位置づけるイランのホメイニ師に対抗するため、イラクに大量の武器と支援を送っている。西側諸国はこぞってアラブ地域に武器を売りさばき、石油産油国に支払った巨額の「オイルマネー」をせっせと回収していた。その過程で、西側企業はイラクに、化学兵器を製造するための原料や技術を提供していたのである。
ハラブジャに化学兵器を使用し、直接的にクルド人を大量に殺害したのはサダムだが、サダムの犯罪を支援し続けたのは欧米各国の企業だった。ハラブジャの大虐殺は欧米諸国の犯罪という側面が強い。クルド人たちは、このときもアメリカを始め国際社会の経済のために、見捨てられたのだった。
九〇年代、父ブッシュが演出した大量難民
北イラクのクルド人たちが積年の悲願であったクルド自治区を手に入れたのは、一九九二年のことである。湾岸戦争直後、イラク北部ではクルド民衆が、イラク南部ではシーア派のアラブ民衆が、フセイン政権に対して一斉に蜂起した。だがイラク軍の精鋭部隊によって、近代兵器を持たない民衆の蜂起は鎮圧されてしまう。サダムの報復を恐れたクルド人たちは、トルコとイランの国境を目指し、雪の山岳地帯に逃げた。その数、およそ二〇〇万人。世界が初めて直面した大量難民の発生である。トルコとイランに国境を閉ざされた多くのクルド人たちが、飢えと寒さに倒れていった。その映像は全世界に流され、クルド難民救済への国際世論が高まった。
北緯三六度以北へのイラク軍機の飛行禁止区域(セイフ・ヘイブン)が国連によって設けられ、アメリカ、イギリス、フランスなどからなる多国籍軍機がトルコ南部の軍事基地から飛び立って監視飛行を続けることになった。こうして国連多国籍軍の保護のもとで、選挙をともなうクルド人たちの自治は始まったのである。
湾岸戦争後にクルド人やシーア派アラブ人が民衆蜂起した背後には、アメリカの影があった。プッシュ大統領(現ブッシュの父親)がフセイン政権打倒をイラク国内の反体制勢力と民衆に呼びかけたのである。だが、アメリカの援護射撃を信じて蜂起した民衆に、アメリカの援助はなかった。最新兵器を携えたイラク軍の前に、民衆が敗北するのは火を見るより明らかだった。
湾岸戦争後に一気にサダム政権を弱体化させようとしたアメリカは、クルド人たちの悲願を利用し、あとは知らぬ顔をして自作シナリオの出来映えを、高見から見物していたのである。クルド人たちはアメリカに唆された、としか言いようがない。結果的に、多大な人命の犠牲のうえに、クルドの自治は始まることになった。
現ブッシュによるサダム政権打倒後を危倶するクルド人
これらの歴史は、クルディスタンの歴史のほんの一部でしかない。クルディスタンは国際社会が見ぬふりを続ける中で、周辺諸国や大国にいいように利用され、戦略上の駒にされ、虐殺されてきた。今、イラクに攻撃をしかけようとしているアメリカに対して、北イラクのクルド人たちがサダム後を見越して懸念を訴える背景にはこのようないきさつがあるのだ。イラク攻撃は、混乱が続くクルド自治区を国際的に認知してもらえるチャンスであるはずなのに、クルドの指導者たちはアメリカの描くポスト・サダム政権を危倶している。
確かにサダムは北イラクのクルド人たちに対して非道な仕打ちをしてきたが、現在は彼の行動に国際社会が目を光らせており、イラク軍が北イラクに侵攻できないよう飛行禁止区域を多国籍軍が守っている。不安定な要因を監視し、圧力をかけ統けることによって得られる安定の上に、イラクのクルディスタンは置かれているのである。
もし仮にサダム政権が倒され、アメリカの傀儡政権が立てられて飛行禁止区域が解除されれば、自分たちはまた国際社会から忘れられるだろう、そしてアメリカにとっての安定はクルド人たちにとっての不安定をふたたび呼び起こす、つまり、クルドの自治区が新イラク政権によって白紙に戻されかねない、と心配するのではないだろうか。
一方で、クルド人を自国に内包する周辺国は、北イラクに誕生したクルド自治区を快く思わない国家ばかりだ。そちらのほうから伸びてくる触手にも目を向ける必要がある。現在の状況を見ても、例えば飛行禁止区域とはいっても、実際にはトルコ軍機がたびたび北イラクに越境攻撃で空爆を行っているのである。北イラクに拠点を構えるクルド労働者党(PKK)のゲリラ基地を破壊するため、という名目だが、クルド自治区を軍事支配するチャンスを虎視眈々と狙っているという見方もある。キルクークやモスールといった油田地帯が目当てだ。もともとこの地域はオスマン帝国が支配していたが、第一次世界大戦後のローザンヌ条約でイギリスに譲った経緯があるため、トルコは取り返したくてしかたがないのである。そのようなトルコの北イラクに対する空爆を、多国籍軍が黙認しているのが現状である。
(中略)
辛苦をなめ尽くしてきた北イラクのクルド人たちは、大国と周辺国の動きを敏感に察知している。彼らは、自分たちがアメリカの思惑にまた利用され、その混乱に乗じた第三の勢力にクルディスタンが侵されることをいちばん危倶している、と言えそうだ。
(参考文献)
『クルド人とクルディスタン──拒絶される民族』中川喜与志著 南方新社
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『クルド・国なき民族のいま』勝又郁子著 新評論
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「米英で復活する植民地主義」
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