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(回答先: なぜ、クルド人はサダム後を懸念するのか・抄 中島由佳利 (『未来』2002年4月号) 投稿者 YM 日時 2002 年 10 月 19 日 15:07:21)
人道的と言う言葉は美しい響きを持つけれども、実際に使われる場合は得て勝手な使われ方をすることが多い。北朝鮮による不当な拉致事件の被害書の扱いがそうだし、「食えないから食料を援助してくれ」とゴネ押しをするのもそうだ。
そもそも亡命などと言うものは、その個人が自国の体制になじむのに失敗したから生起しているもので、その取扱には慎重な上に慎重を期さなければ外患や内憂の原因になってしまう。困っているからと言うそれだけの理由で自由に亡命を認めていたら、今頃は日本の国など無くこちらが亡命先を求めてウロウロしていることだろう。
外国との関係は必ず利害得失を伴う。国連憲章などもそれを十分に認めたうえで「努力目標」として制定されているはずである。国連憲章で決められているから無条件で従う必要など更々無いし、そんなことをすれば国際的な笑いものになるだけと思います。(日本は既にそうなっている)
まず自国の利益を最優先で考えること。この立場を堅持できなければ他人を助ける余裕など出てこないはずです。
国内法に抵触する問題も、他国に厄介になるなら当然のことで、治外法権を認めてしまうと国内が変なことになってします。法律では「知らざるはこれを罰す」のは当然のことで、そのようにしなければ法制度そのものがなり立たない。考えても御覧なさい、イスラムの世界でも国際的に認められないようなことを平気で観光客にも押し付けているではないですか。
亡命を受け入れる受け入れないといった高度な判断を要することに少女的な感傷を持ち込まれたりしたら、政府に亡命者の取扱を一任している我々国民の被害は計り知れないくらい大きなものになってしまうと思いますがね。
これから先、北朝鮮の崩壊の過程で、先の中国やベトナムのボートピープルようなことが発生すると思います。このような場合にも、一時的な感傷ではなく、何が出来るのか、どこまでできるのかを十分に検討し、行動する必要が有ると思いますよ。アメリカでも、最初はベトナム難民を無条件で受け入れていたが、堪らなくなり今では制限を課している。自国の行動が原因である場合でも外国はそうしているのです。わが国もしっかりと見張りをしないことには、国内をむちゃくちゃにされてしまうことでしょう。戦争を仕掛ける代わりに難民を送り込んでいるのだと考えるべきです。実際上の効果は同じですからね。
こんな詰まらんことで、わが国を食い物にされてたまるか。自分たちの指導者を変えることを出来なかったのだから
その結果は自分たちで受けて貰わねば仕方が無い。