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「民族のカルマ」は、以下の「共業」(ぐうごう)の概念を前提としています。 投稿者 むむ 日時 2002 年 9 月 09 日 23:34:25:

(回答先: ほほう!「 宗教は馬鹿のためにある」 投稿者 あのう、ボケ仙人さん...そしてむむさん... 日時 2002 年 9 月 09 日 03:29:31)

業について ------------------------------------------

「業」=カルマは、もともと、行為、行ないの事です。
意志と行ないに基づいて業ができます。
たとえば、人を殺せば、それが業として自分に還り、あの世に還ったときには、
もちろん地獄に行く事が多いでしょうし、次の世では、「自分はかつて人を殺した人間である」ということが魂のなかに刻印されていて、そうした魂修行が自分に向かって来る事があります。
そして、また同じ様な殺人を犯すケースや、逆に殺される様な事もあります。
人生には、自分の魂が最高度に発展し、成長して行くために必要な過程が、
必ず踏まえられる事になっています。
必ずしも信賞必罰と言う事だけではなく、みずから体験して初めて目覚めることがあるので、あえて厳しい環境を選んで出て来る事もあります。


魂の傾向性について ----------------------------------

ここで法則性から見れば、業は善業も悪業もありえます。
これを「魂の傾向性」という概念で捉え直しても良いと思います。
一定の環境が現れた時には似た様な行動パターンを起こし、みすみす落とし穴に落ちて行くことがあるのです。
「自分の魂で最も特徴的なものは何か。
そうした特徴を持っている場合、地上で生きて行く上で困る事は何か。
どのような事態が起きやすいのか。」
という事が問題となりますが、その答えは人それぞれです。
幸不幸は自分自身がつくっていくものであって、業においては個人責任は当然の問題です。


共業(ぐうごう)- 人々の共通の運命について --------

これとは別に、社会全体、人類全体というような、大勢の人々の共通の運命のようなもの、大きな戦争時等に、個人は正しく生きていても、そこから逃れられない様な運命があります。これを「共業」といいます。
これに反して、先の個人の業を「不共業」といいます。
これは、人間が個人独りだけで生きているわけでは無く、縁起のなかでお互いにつながって生きているためです。
社会が悪いとしても、一端を担っているのは自分でもあり、共同体の一員として、世の中を良くして行く為に、「自分も何かをしなければいけない」と考え、行動する事が、共業が不幸な方向に向かっていくのを救う事であると思います。
「利自即利他」(自分を磨きながら、他の人々をも導いていく)のが正しい在り方です。

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