★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
例3:「会社の経営・編集方針を害した」とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 22:00:53:

(回答先: 例2:企業との癒着に批判的で「取材上の秘密」にあたる、とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 21:59:47)

『まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ』 から。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/

例3:「会社の経営・編集方針を害した」とされたらしい文書

掲載時期:96年秋 (当時の原文そのままです)
「天然記念物」--裏と表の顔--

この会社の、面白くも絶望的なところは、紙面から受ける印象からは程遠い、 天然記念物級の古い企業体質である。いくつかの事例を基に検証したい。

まずは部内旅行。「不人気、社内旅行」などと紙面で書き立てておきながら、全 員参加の一泊旅行を何の臆面もなく続けている。特に、日経産業新聞では「検 証社内改革」として特集を組み、その時代遅れぶりを指摘。その書き出しはこう だ。

『秋の職場の話題は近くの温泉に出かける一泊旅行。昼間はレジャー、夜は浴 衣姿でさあ大宴会――というのは昔の話。今もそのままの企業があったら天然 記念物ものだ。旅行はプライベートな仲間内でという若い世代からの拒否反応を 受け、かつての画一的なスタイルは変わり始めている。』

これでは、「まさにその天然記念物が、この会社じゃないか」とクレームの一つ もつけたくなる。

西部支社の場合、募集方式までがおかしい。ドアに張ってある募集用紙に、や むをえず行けない人だけ×をつける。最高裁判事の罷免と同じ、インチキ方式な のだ。しかも、『兵隊記者は原則参加のこと』などと勝手な注釈が付けてある。社 則で決まっているならまだしも、勝手な解釈を加えるとは何たることだ。これで は、官僚による行政指導と同じである。よくも「官僚」などという企画記事を載せ、 批判的なことを書けるものだ。この募集の紙一枚とってみても、日本社会の膿が つまっているわけだ。

私が×をつけたことに対し、キャップがうるさい。「おれもあまり好きじゃないけ ど、こういうのは参加しとくもんだ」とか。「部長もあまり好きじゃなくて、昨年は中 止したくらいだが、今年は部長も来るんだから」などと嫌がる私を盛んに説得す る。私が説明を求めても「そういうもんだ」などと答えにならぬ答えしか返ってこな い。
最後には、あまりの時代錯誤さに思わず噴き出してしまった私に「笑いごとじゃ ないぞ。みんながそう思っているんだ!本当だぞ」と脅しまで入る始末。「口裏を 合わせろ。おまえが×を付けた理由を聞かれたら『月曜日が明け番なので参加 できないと思った』と言うんだぞ!」。こういうのを恫喝というのだろう。

何度かやりあった挙句、キャップに悲哀を感じ、結局、行き帰りの交通費を会 社負担、飲み会参加費は「金なんか出してやる」というキャップがの言葉を信じ て、午後七時から十時の飲み会だけ、参加することにした。キャップは、デスクと 新人の間に挟まれ、上から押され、下から突き上げられ、という立場。議論して 勝てるとは思えずに、止むを得ず恫喝に出たのだろう。一度ばかり「時間の機会 費用」を提供するのも、仕方がない。しかし、土曜が泊り番で日曜が飲み会。ま た十二日間連続出勤だ。こうした洗脳戦略の結果が、あの画一的思想を持った 記者集団を作り上げるのだろう。

部長やキャップに新人、それぞれが嫌がっていても、組織の慣行で行われる部 内旅行。社会のトレンドを知っていながら、自分らだけは改心しようとは思わない 特権意識。社内旅行1つをとってみても、この会社の堕落体質がよくわかるとい うものだ。

こういったチグハグさの最たるものが終身雇用制度だろう。「崩れる終身雇用」 などと紙面では散々書いておきながら、組合は相変わらず終身雇用を原則とし た人生設計を要求している。「三十代後半からはローンや子供の教育費で金が かかるから、その時期に賃金を上げるように改革を迫る」とか。私は早々と家を 買ってローンを組むなど考えも及ばないし、子供を持つかどうかは人それぞれ だ。人生を勝手に決められては困る。だいたい、これだけ終身雇用の崩壊が叫 ばれ「一生同じ会社にいるのは無能の証明」という欧米型の社会となるのが必 至の御時勢に、一生、同じ会社にいる訳がない。本気で『自分たちだけは特権 階級だから、一生、規制に守られ安定高収入を維持したい』とでも思っている節 がある。

次に、研修。入社秋のフォローアップ研修がなくなった。人事部に聞けば「会社 の百二十周年記念事業があるから」と言う。地域間、部間の風通しが悪い中、同 期の近況を聞けるチャンスと思っていたので、残念だった。新人研修より、記念 事業の方を優先させたのだ。人より組織。ソフトより金。「新聞社の財産は人だ」 などと配属前の研修で言っていたが、それが単なるレトリックであることがわかっ た。『ソフトの時代』などと紙面で書くが、自分らは何も実践しようとはしないの だ。『創業何百年』などと自慢げに掲げる、いわゆる老舗と同じ貧困な発想。新 聞が過去の栄光にしがみつき、いつまでも生き存えられると考えてはおしまいだ ろう。こうなったら、記念事業では、自らの天然記念物ぶりをじっくり祝って欲し い。

他にも事例をあげたらきりがない。やっていること、全ての基盤となってるよう に感じる。新卒採用にしてもそうだ。景気が上がると事業を拡大し、バブル期に は百人以上を採用。それが今や三十人。雇用ピラミッドは極めて歪んでいる。一 見、経済のことをわかっているようで、やっていることは、他社よりバブリー体 質。概して、一般企業と違う経営をしていた点も見当たらない。

そのツケが新人に跳ね返ってきている。バブル期(六年前)に導入され、今や 化石としか言いようがないコンピュータ。この市場価値ゼロの重く巨大な記者端 末を渡された時は、唖然としたものだった。「携帯できないノート型パソコン」であ るだけでなく、処理速度が遅く仕事の能率が悪い。これを見たら日経産業新聞 の特集、『サイバースペース革命』などが、いかにあやしい情報かわかるだろ う。「知的作業には最新のコンピュータが不可欠」と言わんばかりの特集を組ん ではいるが、あれは要するに、自分が知らないことを、小手先の技術で書いてい るだけなのだ。自らを棚に上げていては、本質を見抜いた記事を書けるわけが ないだろう。

保守的で特権意識の強い、チグハグな会社。先見性のない『天然記念物企 業』。まさに、張り子の虎である。日経には、表の顔と裏の顔があることを、良く 知って読んで欲しいものだ。

掲載時期:96年秋 (当時の原文そのままです)


「論理破綻」--隠される矛盾--

新人研修の時に我々がしつこく教え込まれたことは、「いかなる取材先からも、 お中元なども含め、金品を受け取ってはならない」ということだった。いわく、「食 事は割り勘で、奢られたら同額程度を奢り返すように」、いわく「テレビ局は何で も金を払って取材するが、新聞がそれをやってはいけない」。

それが当然のことだと思っていたし、そうでなければ権力から独立した報道、 言論など出来ないはずなので、私には特に新鮮な論理でもなかった。しかし、良 く考えてみれば、私を含め多くの記者が現在、仕事場としている記者クラブとは、 一体、何なのだろうか。

福岡市政記者クラブに、税金から出ている金額を、常識的に試算してみた。ま ず、場所(テナント)代。毎日、ここに出勤して一日中仕事している社がほとんど なのだから、記者クラブは立派な仕事場だ。福岡市役所は、市内の中心である 天神、その超一等地にある。東京で言うなら銀座のど真ん中にあたる。どう考え ても、この一室で机二つ分にソファーやテレビ、机に椅子などの備品利用料を含 めると、周辺の事務所テナント料の相場から試算しても、市場価格で月額十万 円は固い。次に、電話代と光熱費。二十四時間、空調が整備され、電話とファッ クスは使い放題。土日だろうが、深夜だろうが、いつでも出入りは自由。安く見積 もっても、各社平均で月額三万円程度は消費している。次に、人件費。これは馬 鹿にならない。「記者クラブ室だけ」のために仕事をしているような専属の女性職 員が、三人いる。彼女たちは、頼まれてコーヒーやお茶を給仕したり、緊急記者 発表の連絡を各社にしたり、各社がクラブにいない時に、電話当番をしている。 一人あたり月額二十万円として、六十万円。加盟十五社で割ったら、一社四万 円だ。ほかにも、半分クラブに常駐しているような年配の男性職員が三人ほどい るが、これは少なく見積もるため、とりあえず計算外としておく。さらに、毎朝、五 つの新聞に載った市関係の記事を切り抜き、両面コピーして各社に配布(三〜 五枚程度)するのも彼女たちの仕事であるが、そのコピー代なども結構な額にな るだろう。また、月に二回の定期的な大清掃のほか、毎日、ゴミ箱のゴミを捨て てくれる。その一切の維持管理費を市が払っている。このもろもろの紙代や管理 費を、二万円程度としておこう。

さて、安く見積もった合計は、一社、一ヵ月あたり、十九万円になった。それで は、実際にいくら払っているのかというと、これが、たったの二千四百円(一人 一ヵ月六百円で四人加盟)なのだ。これでは、各種新聞、雑誌代にしかならな い。要するに、この差額たる十八万七千六百円は、誰の目にも疑うことのできな い、日経が市役所から受け取っている「金品」なのである。しかも、市役所が取 材先であることは疑いないばかりか、単なる取材先とは訳が違う。この場所と人 を提供されている接待費の金の出どころは、市民の払った税金、マスコミが好き な表現で言うなら「血税」なのだ。会社はこの問題に、一体どう論理的な整合性 をつけているのだろうか。お得意の「臭いものには蓋」的発想でタブー視してきた のが現実だろう。日本の「システム」においてしばしば見られる、巧妙なやり方 だ。何となくわからないように、癒着が隠されている。私は、税金を払っている市 民として、そしてさらに税金の使途を監視すべきジャーナリストとして、これを問 題視したい。

私は、もはやこの問題は避けて通れないと思う。一方でカラ出張のような税金 の使途を追及する表の顔があり、一方で公然と税金を日常的に食いつぶしてい る裏の顔がある。「棚上と線引」で書いたような、マスコミの棚上体質だ。

ペルーの大使館人質立て籠り事件のために全国レベルではあまり話題となっ ていないが、福岡県庁の公金不正支出は、最近の二年と五ヵ月間で五十八億 円と、過去最高の北海道庁の二十億を超えた。職員一人あたりに直すと、四十 五万円にもなる。これを月割りにすると、一万六千円程度。一方、日経への接待 費は、月額、十九万円。加盟人数の四人で割っても、五万円弱。何をどう計算し ても、マスコミの方が多額の税金を使用している。私のように、これを本来、各社 負担とすべきで、税金から支出することは全く不必要、と考えている人にとって は、相当に無駄使いと感じる。

市の言い分としては、「これは接待ではなく、マスコミと協力することは公共の 利益のために重要だ」となる。確かに、一概にマスコミにつぎ込まれている膨大 な税金を、私個人の判断で不正支出と断定することはできない。しかし、少なくと も、次の二点の問題を指摘できる。

1.その金額が市民に情報公開されておらず、実態が意図的に隠されているこ と。

ご存じのように、各社が毎月、十九万円もの接待を受けている実態を、市民は 知らない。また、民間企業たるマスコミ自らが、それを報じるはずはない。完全な 共犯関係にある。

記者クラブの維持、経費などを調査するため雑誌「VIEWS」が全国八百箇所 の役所や公的団体に対して行ったアンケートによれば「どんなに少なく見積もっ ても、年間百十一億円もの税金」が使われているという調査結果もある。この実 態が、市レベルで広く明らかになった時、市民がそれを当然のこととして認める だろうか。「マスコミ自らが賃貸料を払うべき」と考える市民は少数派なのか。私 は、この額はとても疎かにできない額だと思う。また、「市民寄り」でなく「行政寄 り」の情報ばかりが優先的にマスコミに入るので、市民サイドからの見えない損 失は大きい。画一的な記事が多く、ニュースがつまらない原因でもある。記者が 楽なのは確かだが、市民、納税者の立場からはデメリットしか思いつかない。

この実態が「公共の利益」なのか、「税金の無駄使い」なのかは、納税者たる 市民が決めることだ。お役所が自らの便宜のため、また遂行したい政策の実現 のためにマスコミを接待するなど、多くの市民にとってみれば、無駄使いだと思 う。少なくとも私は、民間企業が、働く場を税金で提供されているなど、理解でき ない。役所とて圧力団体に違いないし、自らの勢力拡大のために行動すること は、珍しいことではない。民間と比べ特別視する理由はない。

都庁と建設省の記者クラブで仕事をしていた先輩によれば、東京ではかなり改 善が進んでおり、幹事連絡は各社持ち回りで、担当の職員は置かれず、コピー 料金さえ各社自己負担だという。公金不正支出の第一位、第二位が福岡と北海 道、という事実が象徴しているように、田舎に行くほど、公金に対する考え方は、 遅れているのだろう。
とにかく、監視しないことにはどうにもならない。当事者たるマスコミは民間企業 であり、この問題に蓋をしたがる。情報公開して、市民に問うべきだ。

2.マスコミが圧力団体としての役所の接待を平気で受けているという癒着体質

記者クラブへの税金投入が、「公共の利益」なのか「税金の無駄使い」なのか を市民が判断する以前に、これは本来、マスコミの側から進んで取り組み、金を 返すべき問題である。それは、新人研修で誰しもが教えられる「原則」に照らす までもなく、経済的な便宜供与を受けることは報道、言論を歪め、しかもそれを 隠している実態は、読者に対する背信行為だからだ。
まずは、日経だけでもいいから、金を払い始めるべきだ。過去にわたって税金 を返せとまでは言わない。毎月、十万でもいい。最終的な記者クラブの在り方を 提示してもいい。各社がそれに追随しないのなら、それを自戒を込めて報じれば よい。絶対にしないであろうが。

_公金で誰の目からも明らかな接待を受けているマスコミが、「接待はいけない」 という。まさに五十歩百歩の見本であるが、「棚上と線引」で述べたようなタクシ ーチケットの話に代表されるように、しばしば、「五十歩」なのはお役所であっ て、「百歩」がマスコミと思われることが多い。

私は社内報の新人紹介で、こう書いている。
「紙面とのギャップが面白いですね。ヘビースモーカーがタバコの有害性につい てとうとうと説いているようなもの。全く説得力がありません。」

これは、日経という一企業だけではなく、マスコミ業界の体質でもある。殺人の 常習犯が「殺人はいけない」などと言ったって、気違いだと思われるだけだ。今、 県庁や市役所の公金不正支出を批判しているマスコミは、その本質を考えれば 考えるほど、滑稽だ。今では、新人研修で教えられることが、いかに偽善的であ るかは、はっきりしている。

私は、常に実行する。情報インフラの遅れを批判した時、情報通信部に直談判 し「日経テレコン」を自分のパソコンから直接使えるようにしたこともある。今で は、自宅でも記者クラブでも、すぐに過去の記事を検索し、FAXに打ち出すこと が可能だ。不満を言うのは簡単だ。文句ばかりを言うのは、私が最も嫌うマスコ ミ体質である。

現状維持は、明らかに記者として、また市民としてのモラルに反する。「資本の 論理」で述べたように、私は「個人のモラルや良心が、資本の論理に打ち勝つ社 会」の創造を目指している。確かに、日経が常識的な記者クラブ費を払いはじめ たら、相当な額になる。十五もの記者クラブに加盟しているのだ。もちろん、商業 主義の情報産業としての日経は、歓迎しない。しかし、そこで何もせずに諦める 記者たちは、資本の論理に負けていることを意味する。

NHKに顕著であるが、カラ出張問題などが明らかになると、一方的な報道が 目立つ。映像に出てくる人全員が、怒っている。この分なら、記者クラブ問題が 情報公開されても、ちゃんと「血税をどうしてくれるんだ」的な一方的報道をしてく れるだろう。ちなみに私は、厚生次官が逮捕された時、怒りの声ばかりの一方的 報道を阻止すべく「民間ではもっとひどい使い方をしているだろう」という市職員 の声を全国版の「街声」コーナーに載せた。

私は、ここぞとばかりに時流に乗り一方的な公金不正支出の特集を組むような 他マスコミとは一線を画し、もっと根本的な問題を問いたい。これは「資本の論 理」の中で、モラルに反して記者クラブで仕事をさせられている私の、罪ほろぼし でもある。

掲載時期:98年秋 (当時の原文そのままです)


「マスコミの責任度・プロ度」

現役官僚の榊東行は、小説の主人公(大蔵省銀行局課長補佐)にこう言わせ た。「紀村に言わせれば、政策を批判することだけで飯を食っている野党やマス コミほど楽な商売はなかった。そもそも政策などというものは、ケチをつけようと 思えばいくらでもケチをつけられるものなのだ。逆に言えば、もし完璧な政策など というものが存在するとすれば、世界中のどの国も同じような政策を実施して、 同じように繁栄するはずなのである。_そもそも、政治部や経済部の記者のうち、 法学や経済学の専門教育を受けた者は何割いるのであろうか?」(「三本の 矢」)

この最後の問いに対する答えとしては「ほぼゼロに近い」が適当だ。「どの新聞 も、政治家主導で危機打開策を早急に打出すべきだという総論では一致するの だが、肝心のその先ーー対応策の具体的・現実的なあり方にまで踏込んでいる のは、わずかに日本政経新聞一社だけであった」という形でもっともマシな新聞 として登場していると思われる日経ですら、記者の大半を早稲田大学という専門 教育からほど遠い大学の出身者で占め、入社後は十カ月の語学留学以外に社 費で留学する制度が全く存在せず、自費留学したいと申し出れば「そうしたいな ら会社を辞めるべきだろう」と平気な顔をして言う部長たちばかり、というお粗末 さである。

小林彰・慶大教授が、似たようなことを述べている。「以前にこの欄で、『各政 党は選挙の際に次年度予算案を提出すべきである』と述べたが、マスコミも年頭 に、各社が理想と考える当該年度予算案を提出してもらいたい。そして、その予 算案の根拠となる各社の理想にしたがって、政治や経済を批判してもらいたいも のだ。そうでないと、国民の不信や不満を煽るばかりで、結局はどうしろと言って いるのかが分からない」(「東洋経済」)

これら官僚や大学教授といった、それなりに責任ある立場で一貫した理念の下 で政策を主張する者から見ると、マスコミというのは本当に楽な商売に見えるよ うだ。どんなに素晴しい政策でも、政府がやるからには予算が必要で、予算の総 枠を無視した議論は意味を為さない。宇宙開発もどんどんやれ、減税もやれ、と 言うのは簡単だが、膨大な財源はどうするのかに触れない無責任な議論がマス コミには多い。

榊は「政策を批判することだけで飯を食っている野党やマスコミ」としているが、 野党とマスコミを同列に扱っては野党が可哀想だ。野党だった社会党が首相の ポストを得て責任ある立場になった途端、自衛隊や日米安保を認めるなど政策 を180度転換したのは記憶に新しいが、その後の社会党の命運を見れば、無 責任な主張をしていた野党が、確実にしっぺ返しを受けていることがわかる。つ まり、野党の主張には常に多大なリスクが伴うのだ。それに引替え、マスコミは どんなに無責任な主張をしてものうのうとしていられる。確かに「楽な商売」であ る。一度、朝日新聞あたりに政治をやらせてみたらいい。少しは謙虚さを持てる ようになるだろう。小沢一郎がマスコミに対し怒り出すのも、わかるような気がし てならない。どう見ても政治家とマスコミは、責任度において対等ではない。

こうしたマスコミの無責任さの被害者であるサッカー日本代表の岡田武史監督 がこう述べている。「合宿の二カ月間、私たちはいろいろなことを書かれ、報道さ れ続ける。その報道は常に一方通行で、選手たちが読んで『それは違うよ』とか 『そんなこと、言ってないよ』と憤るケースがあっても、彼らには反論のしようがな い。だから、いちいちストレスをためこむしかないのだ」「メディアからのプレッシャ ーに対しては『自分はこの判断ひとつひとつにプロとして生活をかけている』とい う気持ちが重要だった」(「ワールドカップ戦いを終えて」論座)。そうなのだ。彼ら は「プロとして生活をかけている」のである。

マスコミには、その気持が果してあるのだろうか。もしあるのならば、専門的知 識をつけて対等にわたり合うために、研修や留学制度を設けているのではない か。ページ数を増やす前に、記者教育にカネを使うのではないか。少なくとも、プ ロ意識が極めて薄いのは、疑いがないだろう。

アマチュアなのに仕事として成立ってしまう現状。その原因はと言えば、基本的 には、どうしても競争を阻害している、再販制度を中心とする制度上・事実上の 規制に求めざるを得ない。だが私には、それ以前の根本的なところで、マスコミ には(特にサラリーマン記者には)、学者や官僚や政治家より以上の責任を負え ないし、プロとしての生活もかけられない性質があるという点で、やはり下等な職 業なのではないか、という気持ちが潜んでいるのである。

 次へ  前へ



フォローアップ:



 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。