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(回答先: 例3:「会社の経営・編集方針を害した」とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 22:00:53)
『まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ』 から。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/
例4:会社の命令に従わず反抗的だ、とされたらしい文書
掲載時期:98年夏(書いたのはHP閉鎖させられ中の97年5月)
(当時の原文そのままです)
「悪魔との契約-1」
週刊朝日の記事(→全文)について、部長と缶ビール1缶ずつを手に、30分ほ ど議論した。ある程度は予想していたし、問題点をはっきりさせることは私の目 的でもあり、望むところだった。
「君がホームページでの公開を辞めないのなら、私は君を推薦することができな い」
「言論を封殺する気ですか。新聞として、自殺行為ですよ。私には憲法で言論の 自由が保証されている。そもそも、なぜ中味も読まないで、週刊誌に出ただけで 文句を言うのかがわからない。事実についての議論はいくらでも受ける。」
「受け入れる側が嫌がるんだから仕方ない。言うことを聞いた方が、君にとって ベターな選択だ。日経にいるメリットは大きいだろう。君はまだ若い。」
「__そうですか。人事権者に言われたら、どうにもならない。私は今のところ、3年 で辞めることは、考えていませんから。組織の汚なさを実感します。」
つまり、このままでは、2年後に私の希望する部署に行けない可能性が高くな るというのだ。整理部に左遷され記者でなくなったら辞めることは今から決めて いるが、その可能性も一気に高まり、地方支局に飛ばされることも考えられる。 日経が天然記念物級の古く汚れた組織で、自由濶達どころか「不自由統制」極 まりない社風であることは、私が何度も指摘してきた通りだ。前科の固まりのよう な組織なので、私は本当に殺られかねない。人事権をちらつかせて部下を脅す とは、最低の行為だと思う。
もし私が、自分を受け入れる側の部長なら、大歓迎するだろう。問題の発見、 活発な議論、透明性の高い組織、適度な緊張感。記者として理想的な職場だ。 しかし、日経の各部署の部長たちは皆、自分に負い目ばかりがあるから、恐れ るのだ。自分が悪いことをしているという自覚があるから、恐れて、私のような組 織に自浄作用をもたらす改革者を受け入れられないのだ。何と情けなく、何とお 粗末な人達のいる組織だろう。
硬直化した組織の本質を見た気がした。自分の身が少しでも危なくなると、中 間管理職が守りに入る。出る杭は打たれ、いつまでたっても組織に変革はない。 結局、人事権者1人の判断で部下1人の人生など、どうにでもなるのだ。私は、 何としても早くこの息苦しい組織を出たい。窒息しそうだ。言論機関でもあるはず の新聞の記者に言論の自由がないのだから、これほど馬鹿げたことがあるだろ うか。生きがいを奪われた気分だ。
言論活動を平気で抹殺するような組織に記者が身を置くなど、本来、恥ずべき ことだと思うし、蔑まれて当然だ。私は今、日経の名刺を差し出すたびに悪魔が 薄気味悪い笑いを浮かべて炙りだされてくるようで、非常な自己嫌悪に陥ってい る。
私は、何としても早いうちに、フリーエージェント宣言をしなければならない。そ のためには、それなりの年数を経た経験の蓄積が必要だ。極めて突出した形と なって目に見える実績がないならば、最低でも4、5年は社会人をしない限り、認 められないのが現実だ。従って、知識を吸収し、経験を積む場として割り切るこ とにした。日経の記者は、社長から話を聞き、議論し、知識を拾得し、自身の考 えを組み立てることができる絶好の研修場である。日経の名刺をできる限り利用 し、悪用してでも、長期的な利益をモノにしてやる。
私は、極めて政治的な判断で、記者としての良心を1時的に売り払い、信条を 曲げ、日経という悪魔と手を結ぶことにした。笑うがいい。蔑むがいい。私はいつ か、この腐った組織を徹底的に、打ちのめしてやる。潰してやる。そして、権力を 握り、最終的な目的を到達してやるのだ。
目的のためには手段を選ばず。今は、いわゆるマキャベリズムを実践する時 なのだ。
「君主は、ことに新君主の場合は、世間がよい人だと思うような事柄だけを、つ ねに大事に守っているわけにはいかない。国を維持するためには、信義に反し たり、慈悲にそむいたり、人間味を失ったり、宗教に背く行為をも、たびたびやら ねばならないことを、あなたには知っておいてほしい。したがって、運命の風向き と、事態の変化の命じるがままに、変幻自在の心がまえをもつ必要がある。そし て、前述のとおり、なるべくならばよいことから離れずに、必要にせまられれば、 悪に踏み込んでいくことも心得ておかなければいけない。」(マキャベリ「君主論」 より)
「さて、結論を下すとすれば、運命は変化するものである。人が自己流のやり方 にこだわれば、運命と人の行き方が合致する場合は成功するが、しない場合 は、不幸な目を見る。わたしが考える見解はこうである。人は、慎重であるより は、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服し ようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある。運命は、冷静な行き方をす る人より、こんな人の言いなりになってくれる。要するに、運命は女性に似て若者 の友である。若者は、思慮を欠いて、あらあらしく、いたって大胆に女を支配する ものだ。」(同上)
私は、今は「悪に踏み込んでいく」時であると判断した。自分にとっての長期的 な目的を達するため、悪魔と手を結ぶのだ。ただ、運命が「言いなりになってく れ」そうな時と判断した時には、いつでも「果断に進む」用意があることは言うま でもない。だが、まだ機は熟していないのだ。以下のようなコメントを送ってくれた 愛読者には、理解を望むとともに、私が1時的に悪魔と手を結ぶことを許して欲 しい。いずれ見返す時が、必ず来ることを信じて。
(以下、同期記者3人のコメント)
「一年前からやってるのに、気付かないとは、日本のマスコミがどれだけネットに うといかというのがうかがえる。日本の硬直化したシステムをことあるたびに取り 上げている日経自身も古いってことが露呈されたっつうことっすね。ま、それでも 他社よりましなのかもしれないけど。」
「記事が出てやっとホームページの存在をしったような感覚の鈍い人間に非難さ れる筋合いはないのではないか。組織というのは異質な物を排除する力が常に 働いているだけじゃなく、自ら変わろうという意思はまったく持たないんだろう ね。」
「たとえばキャップが『ふざけたことやりやがって』と差し止めにかかっただけな ら、理不尽なことではありますが、苦笑で済むことだと思います。でも、もっと上の ところから、つまり『会社』という呼称があてはまるランクから何らかの圧力があっ たのだとしたら、苦笑ではすまされないことでしょう。きれい事を言うようですが、 僕は日経という会社は比較的言いたいことのいえる場所なのかな、と思ってきま した。偉い人は知りません。でも駆け出しの人間が何かを言うことに目くじらを立 てるような大人げない真似は、コストとの見合いを考えてもする価値がないという 冷静な判断ができるところだと楽観してました。たかがホームページ、といったら 渡辺君に失礼ですが、自腹を切って開設したページ上で自分の意見を開陳する ことにまで口を挟んでくるのだとしたら、正直ショックです。」