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(回答先: 例1:記者クラブの「機密を漏らし」「取材上の秘密」にかかわる、とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 21:57:49)
『まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ』 から。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/
例2:企業との癒着に批判的で「取材上の秘密」にあたる、とされたらしい文書
掲載時期:98年夏 (当時の原文そのままです)
「悪意なき犯罪」
NTTグループの「残暑払い」という会合に呼ばれ、出席した。担当記者とNTT グループの広報・役員・社長連中が計30人ほど集まるものだ。西鉄ホテルが会 場で、前のほうに、包まれた大小様々の箱が山のように積まれていた。これは何 なのかと言うと、ゲームの景品なのだった。
ゴルフゲーム、ストラックアウトゲーム(ボールを投げて的に当たった数を競 う)、ビンゴゲームなどをドコモ、パーソナル、NTT本体などのグループごとのテ ーブル別(記者も含む)で競うわけである。ビンゴでは全員に何がしかの景品が 当る仕組みで、ゴルフゲームでは、誰が勝つかに1口2百円で総額6万円が賭け られるなどギャンブルも行われていた。
他にもジャンケンゲームなどがあり、私が貰った景品は、ミュージカル「キャッ ツ」の観劇券2枚(計2万3千円)、地元大型遊園地「スペースワールド」一日フリ ーパス券2枚(多分2万円はする)、Mlesna Teaのティーバックセット、チキンラー メンの販促用ティーカップ、玄関の見張り番(犬が来客をセンサーでキャッチし吠 えて知らせるオモチャ)だった。おそらく計5万円はする。ほかにもホテルの宿泊 券など様々な景品があり、NTTの身内を外してジャンケンゲームをやらせるな ど、記者が優先的に当るようになっていた。これは賄賂以外の何モノでもない。
食事も豪華なものだった。鮨やステーキなどが次々と運ばれる。そして、バドワ イザーの広告を身にまとった、いわゆる「バドガール」5人がサーブするのであ る。場所代・人権費など含め、1人2万円は下らないだろう。要するに私は、計7 万円の接待を受けたことになる。
まあ、芸者を挙げての宴会をお役所が税金でやっているのとたいして差はな い。考えるまでもなく、NTTという会社は、株式の65%を国が所有している、要 するに国の子会社なのである。「民営化」などという紛らわしい表現は使わない ほうが良い。本質的に民営ではないのだ。初期の設備投資が最大の支出項目と なる設備産業なのに、その設備のほとんどを公社時代に何のリスクも負わず税 金同様のカネで作っている。民営というなら、その正当な消却資金も支払って当 然だ。民間企業は、不当な競争を強いられているのである。
◇ ◇ ◇
これは週刊誌のネタになってもいいパーティーだ。「まるで、ここだけバブル時 代にタイムスリップしたみたいですね」と皮肉る私に対し、「こんなの、毎週のこと ですよ。別に驚くことじゃない」とNTTドコモ九州の社長。会場に居た連中が皆、 退屈な人間であることは言うまでもないが、感覚がマヒしているとしか言いようが ない。まったく、世の中狂っている。
記者のほうにも問題がある。「記者さんたちも、いろいろ会合があって大変です ね」などと言われると、「今日は、西銀(西日本銀行)と重なってましてね」などと 「来てやった」気取りだ。日経ほど経済記者が多いところはないので、他社は1人 でいくつもの業界を担当している。従って、毎週のようにこうした接待の席に出掛 けるわけである。地元紙の記者など、完全に身内気分で乾杯の音頭まで取る。
私はこの事実を紙面に書いてやろうと思ったが、デスクが掲載するわけないの でやめた。実際、取材先を失うデメリットのほうがマスコミにとって大きいのは間 違いないのだ。問題は三つある。第1の問題は、実質的な国営企業で、しかも赤 字会社(九州地区ではNTT本体は経常赤字)が経費でパーティーを開いている こと。第2の問題は、それに記者が問題意識を持たずに平気でたかっているこ と。(勿論、記者は関係を維持しないと取材拒否され仕事にならないので弱い立 場にある)第3に、記者が費用を出したくても、企業(日経)が出さないこと。記者 個人には通常、一切の経費が認められていない。(雑誌社などは1人で月20万 円も使えると聞いている)
私が2年前に警察を担当していた時も同じような会合はあったが、その時はさ すがに税金そのままなのでまずいと思ったのだろう。県警が自発的に領収書を 発行し、マスコミが自己負担する方式をとっていた。確かに、記者がどう対応す るかは別として、民間企業なら勝手にやっていて良いのかも知れない。しかし、N TTは実質的に民間でもなんでもない。これは倫理の問題だ。「法的に問題ない から良い」というのは最悪である。
「これは私の個人的なテーマでもあるのですけれども、社会が悪くなるというのは 必ずしも悪意の人間たちがたくさん増えていることを意味しないと思うので す。(中略)資本の論理を超える公正さであるとか、あるいは真実を見つめる目 でありますとか、そういういわば理念的なものを、資本の論理、法則の上位に立 たせるきっかけをわれわれは探さなければならないと思うのです。」(辺見庸「不 安の世紀から」)
確かに、NTTの人間たちや記者たちに悪意はないようだった。単に「公正さ」な どの「理念的なもの」が完全にマヒしているのである。そして、記者たちは「資本 の論理」に完全に覆われ、取材先との関係を崩すよりも記事になるネタを貰おう と、ますます平気で接待を受け、癒着したがる。そこには悪意はないが、社会は 悪くなっていると思う。何とも滑稽な風景だ。夏冬の年二回あるというこのパー ティー、小型カメラで隠し取りでもして報道番組を作ったら、反響はさぞかし大き いことだろう。