現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 食物連鎖 投稿者 昔は無神論者でした。 日時 2002 年 8 月 24 日 20:41:55)
>ということは、殺人者は究極、殺した人を高次の世界に持ち上げた、殺された人にとっての恩人となるのですか?
>世界中で今、殺されている人々が思い浮かんで、上手くしっくりいけません。
それは、周波数の問題です。全ての存在は物質でさえも意識を持っており、勿論、動植物も人間も意識を持っています。意識には「周波数」という属性があるそうです。この自然界で一番周波数の高いものは人間の脳だそうです(宇宙人・スペース・ブラザーとのコンタクト情報)。人間は神(真実)の為に死ぬのが幸せだそうです。なかなか実行することなどできない事ですが。
つまり、人間が人間を食べても周波数のアップは望めません。余程高徳の仏陀のような方に食べてもらわなければならないことになります。
殺せば持ち上げるという意味の事は述べてません。殺して食べるというシステムは神が創ったシステムであり、そこには悲劇だけではなく、幸せのシステムもセットされているという側面を私は補足したのです。
・鉱物を鉱物のままに地中に眠らせておけば、鉱物は鉱物として残れますが、人間によって掘り出されて別の形状に加工されて使用されれば、鉱物自身の意識にとってみれば、めったに巡り合えない体験を得ることになり、その体験により、その鉱物の意識は上昇するそうです。
・植物を殺しても、動物に食べられ、その身体の維持に一役買えば、その植物にとっては「またとない好機」だった訳です。また、それを知っている植物は人間の気を引こうとして芳香を出して果物を成らせ、人間に食べてもらおうとします。
・シュタイナーによれば、人間1個体には魂が1つ鎮座しますが、動物「1種族」(キリンならキリン種族で)1つの魂です。
・人間も、「真の意味で」神の道の為に戦って死んでも、本人には楽園が用意されているという神の約束事はコーランにもあります。これは、すなわち、人間が神に食べてもらえる幸せの側面であると思われます。
>例え動機が謙虚でも、傲慢に取られることも多々あります。
そういう時は、私ならば「自分は謙虚な発想から始めた」と正面から説明します。
>いつも控えめに振る舞っていたらなかなか自分の主張が出来なくなるのでは?自分が納得していないままにこにこ出来ません。
私は、どうでもいいことについてはにこにこしていますが、どうでも良くない事については、主張します。その基準については、なるべく客観的が良いとは思いますが。例えば、人に認められるかどうかを超えて徹底的に謙虚である事に意味を見出すならば、一切の主張をせずに耐え忍ぶという行動になると思いますし、世界の状況を最大多数にとって住み易い世界にすることに意味を見出すならば、傲慢と客観の両者を常に客観的に把握した上で過不足なく従うべきは従い、主張すべきは主張すると思います。
>恐れ入りますが私は加藤さんとは別の人物です。
あ、そうでしたか、失敬、失敬。