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以降に続く記とセットで「モーセ五書」とも「律法の書」とも言われている重要部分の始まりである。
律法といっても、「モーセの十戒」だけというわけではないが、善悪基準や罰に関するものはそれほど多くなく、祭壇の仕様・祭司の服装・犠牲の捧げかた・一般人が奉納すべき物などが詳細に書かれたものである。
「創世記」に較べた「出エジプト記」の大きな特徴は、それまで存在していなかった祭司階級がオーソライズされたことにあると考える。
現在のユダヤ教は、カソリックとは異なり、公式には聖職者=祭司階級は存在せず、イスラムのように、ラビ=宗教指導者しかいないことになっている。
ユダヤ教徒が「(旧約)聖書」に忠実に生きていこうとすれば、イスラエルの地に神殿を再建し、祭司が宗教的儀礼を執り行わなければならない。
神殿(祭壇)は「聖書」で仕様が明らかになっているので再建できるが、果たして祭司は生き延びているのだろうか?
というのも、「聖書」によれば、祭司はユダヤ教徒であれば誰でもいいというものではなく、選挙で選ぶこともできないからである。
祭司になれるのは、モーセの兄であるアロンの子孫でなければならない。
これは、アロンの血を受け継ぐユダヤ教徒が生き延びていなければ、たとえ神殿を再建したとしても、それを管理し、儀礼を司ることができる人がいないから意味がないことになる。(アロンとモーセはレビ族である)
「聖書」は、
「出エジプト記」第27章21〜3 「アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変わらざる定めでなければならない。」
「出エジプト記」第28章1〜3 「またイスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとにこさせ、祭司としてわたしに仕えさせ、またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。」
「出エジプト記」第28章43〜3 「アロンとその子たちは、会見の幕屋にはいる時、あるいは聖所で務めをするために祭壇に近づく時に、これを着なければならない。そうすれば、彼らは罪を得て死ぬことはないであろう。これは,彼と彼の後の子孫とのための永久の定めでなければならない。」
(神に性器が見えないようにするためにパンツのようなものをはけという後に続く記述。割礼をしろと言っておきながら、性器を見せたら殺すという神の考え方は理解に苦しむ。(神を理解できるとは思わないが)神は、契約の民が割礼をきちんとしているかどうか、見なくてもわかる?)
「出エジプト記」第29章9〜3 「彼ら、すなわちアロンとその子らに帯を締めさせ、ずきんをかぶらせなければならない。祭司の職は永久の定めによって彼らに帰するであろう。あなたはこうして、アロンとその子らを職に任じなければならない。」
とある。この他にも、アロンとその子孫のみが祭司職につけると繰り返し記述されている。
イスラエルは、アロンの子孫なしに神殿を再建しても無駄骨を折ることになる。
そして、神殿もなく祭司もいない現状のユダヤ教は、「聖書」に背いた状態だと言える。
神の大好物である生け贄を捧げることができるのも祭司だけである。
(二千年近くも正しい手続きを踏んだ“焼き肉”の匂いがかげない状態が続いているとしたら、神は、契約の民にきっと激怒しているはず。秘密の祭壇があり、秘密の正式祭司がいるのだろうか?)