現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 【「旧約聖書」再確認】「出エジプト記」:古代ユダヤ教と“離散”後のユダヤ教 投稿者 あっしら 日時 2002 年 5 月 15 日 20:55:11)
“イスラエル王国の滅亡”や“ナチスのホロコースト”は聖書の記述範囲外だが、エジプトで奴隷状態に置かれたことは、“バビロンの捕囚”と並んで、イスラエルの受難として有名な出来事である。
現時点では古代エジプトの遺跡から聖書の記述に相当する史料が見つかっていないが、「聖書」に拠っても、イスラエルの民がエジプトでとんでもなく酷い仕打ちを受けたとは思われない。(他人事なのでどうこういうのは気が引けるが...)
「創世記」の最終部分の主役であるヨセフ(ヤコブ=イスラエルの子)は、エジプトで出世し、ラムセス二世そっくりの飢饉対策を行う。そして、飢饉を利用して、エジプトのファラオのために、すべての田地(祭司の所有分は除く)を買い取り、すべての民を奴隷にし、税制の確立さえも行う。
ヤコブ一家は、エジプトで最もいい土地を所有することになる。(「創世記」第47章10)
この恵まれた状況が長く続く。
エジプトとの関係がおかしくなるのは、70人であったヤコブ一家の子孫が60万ほどになったときである。(移住後430年近く経ってから)
「出エジプト記」:第1章8〜14 「ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起こった。彼は民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。そこで、エジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。エジプトはイスラエルの人々をきびしく使い、つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当たらせたが、そのすべての労役はきびしかった。」
エジプトの王が恐れるイスラエルの人々を「逃げ去ることのないようにしよう」と考え、追い出そうとしなかったのかは不思議だが、遊牧の民がレンガ作りや田畑の仕事に従事するのは辛いかもしれないが、それほど苛酷という仕事ではない。
(エジプトの王は、歴史的ないきさつから、飢饉はとっくに収まったのでカナンに戻ってくれないかと申し入れればいいのである)
「出エジプト記」:第1章8〜14 「また、エジプトの王は,ヘブルの女のために取り上げをする助産婦でひとりの名はシフラといい、他のひとりは名をプアという者にさとして、言った、「ヘブルの女のために助産をするときは、産み台の上を見て、もし男の子ならそれを殺し、女の子ならば生かしておきなさい」。」
しかし、これまた、エジプトの王は合理的な判断ができない人のようだ。
イスラエルの民を増やしたくないのなら、男の子ではなく、女の子を殺さなければ効果が薄い。男性が一人でも、女性が数千人いれば子供は増えていくが、男性が何万人いたとしても、女性が一人であれば、運がよくても子供は1年に一人しか増えないからである。
モーセは、そのような政策のなかで生まれ、出産後3ヶ月間隠れて育てられ、その後捨てられ、ファラオの娘に拾われ、育てられることになる。
(これは、エジプト神話に出てくるような話で、モーセの劇的な生涯を予感させるものになっている)
成長したモーセは、激しい労役のなかで同胞がエジプト人に殴られるのを見て、そのエジプトを殺す。(「出エジプト記」第1章11)
確かに同胞愛が豊かな人だとは言えるが、殴った相手を殺してしまうというのは行き過ぎだと言えるだろう。
「出エジプト記」第4章と第5章を読めばわかるが、モーセは、神と遭遇しても、エジプトから脱出する使命がなぜ自分に託されるか納得がいかず、他の人に託すように言ったり、口べただからみんなを納得させる自信がないと言う。それで、兄のアロンが神からご指名を受けることになる。イスラエルの民を納得させたのは、モーセではなく、アロンの力である。モーセは、また、妻の父であるミデヤンの祭司イテロからもいろいろと指図されて役割をこなすことになる。(聖書で描かれたモーセは、映画「十戒」とはイメージが大きく異なる)
この後にも、日干しレンガに入れる藁を自分で取りに行かなければならないなど苛酷な労役の様子が記述されるが、冷静に考えれば、それほど苛酷というものではない。
それを聖書自らが記述している。
神がエジプトに10の災厄をもたらしたおかげでようやくエジプトから出た後のイスラエルの民の嘆きが、エジプトでの生活がそれほど酷いものではないことを物語っている。
「出エジプト記」:第14章11 「かつモーセに言った、「エジプトには墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなことをするんですか。わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。」
(エジプトの軍が近づいている状況での会話なので、文句をいいたくなるのはわかるが、イスラエルの民はエジプトから出ること自体に乗り気ではなかったようだ)
「出エジプト記」:第16章3 「イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、この全会衆を飢え死にさせようとしている」。」
(この後で、神はパンを降らしたり、ウズラを飛ばしたりする。エジプトで酷い目にあっていたとは思えない記述である。空腹だから文句を言うのはわかるが、エジプトではそこそこでも食べることができていたというような内容ではない)
結局、エジプトを脱出したイスラエルの民から、脱出できて良かったという言葉は聞かれない。