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第十章 不思議のメダイ 投稿者 死蔵資料 日時 2002 年 4 月 29 日 14:41:32:

(回答先: 第九章 初めての恋 投稿者 死蔵資料 日時 2002 年 4 月 29 日 14:40:43)

第十章

不思議のメダイ

 私が最初から私書箱を設けていたのは幸いだった。鍵を持っているのはアキレス伯父だ。私書箱は、自分の本当の居所を知られたくないときには、本当に便利である。

 その記憶のお蔭で、毎晩のように目を覚ますことになったあのキスから二、三日して、「黒髪」から素晴らしい手紙が届いた。

 彼女は、こう書いてきた。

 「絵の勉強をしっかり続けられるように、伯父様が小さな工房を借りてくださいました。土曜日にお出でください。お茶でも御一緒にいかがですか」

 当時、私は歌うのを休んで土曜日は彼女の工房で過ごしていた。彼女は、私の肖像さえ描いてくれた。

 真実をいえば、彼女の絵の才能はたいしたもので、自分の性格を写し取るその天才的な腕に、私は誇りさえ感じた。肖像を見ると、彼女にどう思われているかがよく分かった。

 私は、彼女の目には、やさしい王子様ではない、より征服者に近い存在だ。残虐さを隠し持つ、より男性的な存在である。

 私は、どうして自分の性格が分かるのかと彼女にたずねた。自分が本当は秘密を隠し持っている、どうしようもない欠点を隠し持っていると考えているのかと。この言葉に、彼女は不快感を露わにした。私は彼女にこう言った。

 「確かに、この肖像は残虐の炎を隠し持つ、誇り高い征服者の精神を描いている」

 彼女は、この言葉に当惑し、それは私自身の思い込みに過ぎないのだと言った。真実はその逆で、彼女にとっての私、つまり理想の男性像を描いたのだと。理想的な男性に、どうして秘密の欠点があるでしょうとも言った。

 私は、隠しているものがないとすれば、どんな欠点があると思うかと聴いてみた。

 彼女は、怖いほどの洞察をもって、「象牙の搭が好きなところかしら」と答えた。

 仲直りをするために、そのとおりだと答えた。これは嘘ではない。彼女は、「象牙の搭」にこもっている私といつも一緒にいるのだから。

 彼女は、まったくその通りだと思うが、その存在を感じ取れるのは私自身であり、彼女自身は空虚さを感じているだけなのだと答えた。

 彼女のすべてを自分のものにしたいという気持ちと、彼女には何一つしてやれないというそれとを、どう一致させればいいのだろう。

 彼女は、私が心を開く邪魔になっているものは何なのか、と尋ねた。

 私は、しばらく返答に困ったが、ついに意を決して、彼女がいつも胸に着けている「不思議のメダイ」を指差した。

 彼女は驚きの目で私を見た。

 「信仰をもってはいないのですか」

 私は余計な語句を付けずに、「そうです」とだけ答えた。

 すると、彼女は、メダイがどんな影響を私に与えたのかを、しきりに知りたがった。

 こう答えた。

 「僕たちがけっして愛し合えないことを象徴しているような気がする。その意味で邪魔なのだ」

 彼女が考え込んでいるあいだに、さらに力を込めていった。

 「それどころか、僕たちが絶対にお互いのものになれないように、わざとそこにいるような気がするんだ」

 すると、彼女はメダイを外して私に手渡した。私は、どうしてやろうかと考えながら、メダイを自分のポケットにしまった。ただの金のメダルであることは分かっている。それを溶かして別の像を刻もうかとも考えたが、それはできなかった。

 この仕草によって、彼女は、二人の運命を実に不思議な方法で結びつけたのだ。彼女は、それをどうするつもりかとは聞かなかった。頭の良い女性だ。

 この日以来、私はこの問題に少し悩まされるようになってきた。私は、「不思議」の異名を持つこの品物について、知りたいという誘惑にかられるようになった。

 この飾り物に奇跡を働く力があると信じるためではない。私の考えによれば、奇跡を行えるものなど、この世に存在しないのだ。

 そう言われているものは、ただの人間の妄想の所産か、いつか科学で証明できるものだ。

 私は、このメダイが、未信者を信仰に引き戻す力を持つことで有名なことを知った。そんな事実があると信じているわけではない。そんな可能性さえ信じてはいない。

 だが、自分の恋人がそんな願いを心に抱いているのだろうかと訝った。それは、私のために諦めた、つまりメダイを捨てたというあの仕草を打ち壊すものだ。この場合、彼女は何一つ捨ててはいないことになる。

 俺はそんなに馬鹿だったのだろうか。こんなことに頭を悩ますのも、同じほど馬鹿らしいことではなかろうか。

 それから二、三ヶ月ほどして、燃える暖炉の前で、二人で仕上がったばかりの肖像画を見ていたときに、私は彼女に穏やかに問いかけた。

 「メダイを手渡したのは、僕を回心させるためだったのか。だとすれば、捨てるのとは意味が全く逆になるのではないか」

 彼女は私の腕に寄り添いながらこう答えた。

 「嘘は嫌い。確かに、あなたを回心させたくてメダイを渡したわ。私は、毎日、毎晩、そのことをお祈りしているの。毎日何度も、それこそ十五分に一度の割りでお願いしているのよ」

 私はどう答えて良いか分からなかった。

 私は、このメダイも、彼女の祈りも恐れたりはしなかった。自分にとっては、こんなものは子供だましに過ぎないのだ。ところが、まるで自分が敗北したように、苦しむようになってきたのだ。

 自分としては、彼女を、仲間としてどうしても欲しかった。メダイ抜きでだ。なぜこれが間になければならないのか。

 考えれば考えるほど、このような大恋愛では、男が勝たなければならないと確信するようになった。だが、そんなことは口には出さなかった。

 いずれにせよ、彼女が自分と同じ考え方をしない限り、自分のものとはならない。これはプライドの問題ではない、自分が結婚できない理由を彼女に説明しなければならなかった。

 彼女が私と同じ考えをもち、任務をすすんで助ける気があれば、秘密の同棲生活をすることに同意していたはずだ。そう私は思った。

 私は結婚できないばかりか、完全に人徳のある人間を装わなければならないのだ。

 ある冬の夜、私がカーテンを引き、彼女がお茶を用意していたときに、外し忘れたピンが指に刺さったような痛みが走った。

 よく見ると、それがとても小さなメダイであることに気がついた。白いメダイだ。ただ小さいというだけで、全く同じメダイである。

 振り向くと、彼女がこちらを見ているのを知った。彼女は知っていたのだ。

 「カーテンまで回心させる気か」と私はふてくされた。

 「馬鹿なことを」と彼女。

 「馬鹿なことじゃない。こんな魔除けに、いったい何を期待しているのか知りたいんだ」

 彼女は顔を真赤にした。気持ちが傷つけられたのだ。

 「魔除けではありません!」

 「なら、何なのだ」

 「これは信心行です」

 「どんな物を信じているのだ」

 「物ではなくて聖母様です。イエズス・キリストのお母様よ!」

 こんな話を続けていたくなかったので、私は黙っていた。

 彼女はとても低い声で話し続けた。

 「メダイは信じなくては駄目よ。紙や木では、まったく意味はないの。それがあなたの邪魔になっていることは分かっているわ。メダイは、本当に、信仰心を広げてくれるものなの。広げるだけではなくて、増してくれるものなの。それを身につけて、仕事場にも置いておくことによって、イエズス様を与えてくださった聖母に、もっともっと、頻繁にお祈りができるようになるのよ」

 彼女は、私のためにメダイを捨てたのではなかった。メダイは他に沢山あったのだ。

 そのときには、自分が彼女をこれまで襲えずにいた理由が分からなかった。彼女は、自分がいつもすれすれの状態にいることさえ全く知らなかった。

 それから、長い沈黙が続いた。

 私は怒りに震え始めていた。憎悪の気持ちを叫びたかったが、こう言うに留めた。

 「君は僕のものだ。だから、僕以上に愛する者がいることに、我慢がならないのだ!」

 「おかしなことを仰るのね。較べられることではないでしょう。宗教的なことはみな、別な次元に属しているのよ。それは知性にも、心にも、属するものではありません」

 「なら、何に属しているというのだね」と私は苛々しながら言った。

 彼女は柔らかく答えた。

 「超自然という大きな世界です」

 「そんなもの分かるか!」

 「そうでしょうね」彼女は、抗しがたい微笑を浮かべながら言った。

 微笑みだけで男を支配できると考えているのだろうか。

 この不思議な力だけが自分にのしかかって来るように思えることも度々だった。彼女はゆっくりと微笑む。その効果が出てくるには時間がかかる。

 唇が柔らかく、早く全開になってほしいと思うほどゆっくりと開く。

 白く光る歯が見えてくると、歓喜に包まれた。私は、この何ともいえない優しさの前に、力を失うのだった。静かな安らぎを求めているときは、特にそうだった。

 それから、彼女は、なんとも不可解な質問をした。

 「なぜ、私と結婚したくないの?」と言ったのだ。

 私は、結婚したくないなどと、一度たりとも言ったことはない。

 だが、「黒髪」には占いの素質があるようだ。この才能には度々驚かされてきた。どうして、私の気持ちがこんなによく分かるのだろう。

 私は答えた。「結婚はしたくない。だが、どうしてかは言えないんだ」

 彼女は少しため息をついてから、こう言った。

 「私が神様を信じているからかしら?」

 女は不思議な生き物である。子供から占い師に豹変できる。母もそうだった。

 私は答えた。

 「恋人は同じものを愛さなければならない。確かに、それが一番の邪魔だ」

 彼女はふたたび微笑ながら答えた。

 「あなた以外の人はけっして愛さないでしょう」

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