(回答先: 昭和金融恐慌3(片岡蔵相の失言と三月恐慌) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:58:58)
4月4日、付帯決議を受けて、井上準之助を会長とする台湾銀行調査会が発足します。
しかし、台湾銀行は、これより以前、大きな勝負に出ます。
3月24日、同行は役員会で「鈴木商店への新規融資を打ち切り」を決定して、27日鈴木商店に正式に通告します。
4月1日、この事実は、各新聞に報道されます。
台湾銀行の決断は、裏目に出ます。
4月5日、万策つきた鈴木商店は、営業停止を発表します。
市中銀行が、台湾銀行へのコールを一斉に回収し始めたのです。
4月8日、鈴木商店系の六十五銀行が取り付けにあい休業に追い込まれます。
台湾銀行は、3月末時点で、鈴木商店に対して、3億5000万円の貸し付けがありました。
台湾銀行の危機は、誰の目からも明らかになります。
若槻内閣は、緊急勅令を立案して、2億円の政府保証で日銀の特融を行い、台湾銀行を救う計画を練り上げます。
結論は、4月17日の枢密院会議に委ねられます。
日本中が、固唾を飲んで結論を待ちます。
日本の危機回避を説く閣僚達に対して、枢密院は憲法論をふりかざして反対します。
午後3時55分、19対11で台湾銀行を救う緊急勅令案は、否決されます。
若槻内閣は、天皇への上奏を諦めて、無念の総辞職をします。
この報は、直ちに全国に伝わります。
4月18日、台湾銀行は、内地及び海外の支店を閉めると発表します。
一流銀行の破綻を契機に、空前の金融パニックが、再び全国各地を襲います。
18〜19日近江銀行、泉陽銀行(大阪)、蒲生銀行(滋賀)、葦名銀行(広島)が倒産。 20日には、西荏原銀行(岡山)、広島産業銀行が休業。
そして、21日、3億7000万円の預金を誇る、東京5大銀行の一つ十五銀行が、休業に追い込まれます。
四月恐慌は、18の銀行を閉鎖に追い込みました。
三月のと比較すると規模が大きく、より深刻だったのです。
4月20日、政友会の田中義一新内閣が発足します。
注目の蔵相には、高橋是清が選任されます。
◆◆リーダーの違いで、いかに国の運命が変わるか。◆◆
◆◆ 偉大な政治家・高橋是清が、どんな手段で日本を救ったか?◆◆