(回答先: 昭和金融恐慌4(台湾銀行破綻と四月恐慌) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:59:59)
政府は、最初の閣議で、緊急勅令を出して3週間の支払い猶予令(モラトリアム)を上奏することを決めます。しかし、手続きと翌日施行の関係で、3日間が空白となります。この間の銀行は破壊尽くされるでしょう。
1927年4月20日午後9時、高橋是清は、自宅に日銀総裁、副総裁、大蔵事務次官を呼び対策を練り上げます。
日銀の非常貸出が、その場で決まります。
輪転機が、24時間、フル回転します。
それでも印刷が間に合わず、表だけを印刷した裏白紙幣が準備されます。
21日、高橋は、三井銀行の池田茂彬と三菱銀行の串田万蔵を招きます。両行とも預金の預け換え先として、最も信頼されている銀行です。
「日本の危機を救うため、明日から2日間、自発的に休業していただきないでしょうか。」
高橋の頼みを両行は快諾します。
直ぐに、東京銀行集会所と東京手形交換所の緊急理事会が開かれ、
22日(金)、23日(土)の全国一斉休業が決まります。
22日、支払い猶予令の緊急勅令が、枢密院であっさりと満場一致で可決されます。
取り付けが起こると、責任追及を恐れた枢密院が、憲法解釈を変えてしまったのです。
・・・・・・さて、銀行再開の朝・・・・・・・
この銀行の命運は、この日で決まります。
行員の家族も手伝いに動員されます。
行内は、隅々まで掃除され、ピカピカに磨かれます。
この三日間で印刷された真新しい紙幣が、カウンターに山積みされています。
早朝から並ぼうと来た人は驚きます。
銀行が、いつもより早めに業務を開始したのです。
払い戻しの窓口を増やし、笑顔で顧客を待ちます。
仕事を休んで、預金を下ろしに駆け込んで来ます。
しかし、行列がないこととや紙幣の山を確認して、そのまま帰る人もいたようです。
徹夜続きの高橋に、全国からの電報が届きます。
「平穏無事」
危機は、去ったのです。
4月恐慌の時の預金の引き出し額は、約6億円でこれは、全預金高約90億円の6.7%に当たります。
4月の日銀貸し出しは、16億800万円、兌換券の発行額は14億6000万円にも達しました。
25日には、200円の高額紙幣が誕生します。
この時期、三井、三菱、住友、安田、第一の五大銀行への預金の集中が進みます。
高橋は、5月12日モラトリアムの期限が過ぎても混乱がないことを確認すると、6月2日蔵相を辞職します。
わずか、42日間の在職でした。
◆◆この人は、日銀時代には、日露戦争の公債発行に活躍したし、◆◆
◆◆金解禁で混乱した日本経済を回復させたし、頼りになりますね。◆◆
◆◆ 平成の高橋是清は、何処に?◆◆