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検査不要論の不思議
https://www.chosyu-journal.jp/column/16153
2020年3月14日 コラム狙撃兵 長周新聞
パンデミック宣言が出た新型コロナウイルスを巡って、WHOが語気を強めて「積極的な検査」の実施を呼びかけ、米国も含む各国が検査体制を強化しているなかで、なぜか日本政府だけが腰が重く、チンタラしている印象が拭えない。そして、政権を忖度するメディアでは「検査不要論」なるものが飛び出して幅を利かせているから不思議である。「コロナかもしれない…」と自覚症状がある人をまずは検査しなければ現状把握も何も始まらないだろうに、患者が押し寄せたら医療崩壊(ベッド数も限られ他の疾患を抱えた患者の医療にも影響を及ぼす)を引き起こすとか、PCR検査を実施する設備や人員が制約され、PCR検査するための資源が限られているので、重症化した患者の検査に集中させる必要がある−−というのである。いったいなにがどうなっているのだろうか。
PCR検査の正確性への課題など様々な問題はあるにしても、検査を受けられない陽性患者が潜在的に存在し、よく自分の置かれた状態がわからないまま社会生活を送る方が、野放しのようで逆に社会不安を引き起こすだろうに…と思うのだが、「検査は必要ない」つまり「陽性患者の存在がつきとめられず、潜伏していても構わない」という判断はどこからくるのであろうか。緊急事態宣言の発令には熱心なのに、肝心の病原患者をつき止めることには熱心でないという対応が、まるで裏腹に思えてならない。ひょっとして、政府としては「致死率も低いし、ほとんどの患者は回復しているし、あまりたいしたことないウイルスなのだ」と思っているけど、大騒ぎしているというのであろうか。もしくは本気で脳天気なのだろうか。
人が亡くなっているとはいえ、確かにコロナウイルスの致死率は通常の肺炎やSARS、MERSなどと比べると低いようだ。特定疾患を抱えている人や高齢者の致死率が高く、若い世代なら通常のインフルエンザとかわらず回復するとか、自覚症状すらない場合もあるといった特徴もわかってきた。いたずらに怖がるほどのものなのかも疑問である。しかし、社会的に自粛の嵐でパニックが広がっているなかで、またパンデミック宣言まで出ているなかで、だからこそどう適切に対処するかが問われている。それは検査も含めた医療体制をしっかりととり、社会の構成員全体を安心させることとつながっていなければ話にならない。
山口県の某行政幹部いわく、山口県内では1日にPCR検査が可能なのは現状では30人(1台700万円する機械を1台完備)なのだという。さすがに県が増やすよう大急ぎで対応し、12日から60人(2台目を導入)になったとはいうものの、これでは検査体制はなきに等しいのではないかと率直に思う。検査不要というより、検査できないのが正確な実態なのかもしれない。そして「検査不要論」の要である患者が押し寄せたら医療崩壊を引き起こすというのも、そもそも既に緊急事態に対応できないまでに医療崩壊しているからではないか? というのがこれまた率直なところである。小泉改革からこの方、医療費削減のために病床削減や病院統合などをくり返し、公衆衛生を担う保健所も集約がすすみ、それこそ人員や資源が足りないというのはある意味事実であろうと思う。下関市内だけ見ても医師不足は深刻で、それこそ4つの総合病院(下関市民病院、関門医療センター、済生会、厚生病院)を1つに統合してしまおうという計画が進行しており、地方の医療体制はますます脆弱なものになろうとしているのが現実だ。従って、「だから検査不要」「医療崩壊する」などというのは本末転倒で、そのように脆い医療体制や公衆衛生の体制になっている現実こそ直視し、ウイルスがおさまった後にはしっかりとメスを入れることが求められるように思う。国民生活の安心安全を担保することは政府の責任である。
武蔵坊五郎
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