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ネオコンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 1 月 26 日 14:47:16: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アメリカ合衆国の歴史と現代史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 1 月 10 日 12:56:40)


ネオコンの世界


ネオコンの中核メンバー
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/262.html

軍産複合体 _ 戦争ビジネスの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/314.html

CSIS _ 背景はヤバい奴らのガチバトル
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/253.html


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「アラブの春」とウクライナ動乱の背景
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/344.html


2021.01.25
バイデンの大統領就任でオバマ政権の対ロシア戦争が復活へ
 ジョー・バイデンがアメリカ大統領に就任する3日前、アメリカの支配者がロシアで作った「民主派キャラ」のアレクセイ・ナワリヌイがロシアへ戻った。

 ナワリヌイは昨年8月、シベリアのトムスクからモスクワへ航空機で移動中に倒れて昏睡状態になり、シベリアの都市オムスクへ緊急着陸、そこの病院で治療を受けて回復している。ナワリヌイの側近は彼をすぐドイツへ移動させ、そこから「神経ガス」キャンペーンが始まった。

 本ブログではすでに書いたが、オムスクの病院の医師によると、昏睡状態になった原因は低血糖。彼は糖尿病を患っていることから、糖尿病性ショックとも呼ばれる重度の低血糖が原因だと見るのが常識的なのだが、そうした常識を西側は受け入れない。

 ナワリヌイの広報担当者は空港のバーで飲んだ紅茶の中に毒が入れられていたと主張しているが、その紅茶を運んで来たのはナワリヌイと一緒に紅茶を飲んでいた人物。これは空港のCCTVで確認されている。

 西側の政府や有力メディアはロシアが毒薬を使ったと宣伝してきた。例えば、2018年3月にセルゲイ・スクリパリとユリア・スクリパリの親子に対してイギリスのソールズベリーで「ノビチョク(初心者)」なる神経ガスが使われた宣伝されている。

 セルゲイはロシア軍の情報機関GRUの元大佐で、スペインに赴任中の1995年にイギリスの情報機関MI6に雇われ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして働いていた。そうした事実が退役後に発覚して2004年12月にロシアで逮捕され、06年には懲役13年が言い渡された。

 しかし、2010年7月にスパイ交換で釈放され、それからはソールズベリーで生活。本人もイギリスの当局も命を狙われるような状況にはないと判断していたようで、本名で生活していた。娘のユリアは2014年にロシアへ戻っている。ロシア側にセルゲイを殺す理由は見当たらない。

 ノビチョクの毒性は別の神経ガスVXの10倍だとされている。VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラム。単純に考えるとノビチョクは1ミリグラムにすぎない。これだけ毒性の強い物質が意図的に使われてターゲットを殺せなかったというのは驚きだ。この親子は退院してユリアは元気な姿をロイター取材陣に見せたものの、その後、行方はわからない。(​記事​、​映像​)

 この世には痕跡を残さずに殺せる毒物が存在、実際に使われていると信じられている。実際、アメリカの私的権力にとって都合の悪い言動をする人物が心臓発作などで死亡するケースは少なくない。発癌性のウイルスが使われているとも言われている。

 西側ではスター扱いのナワリヌイだが、ロシアでの支持率は2%にすぎない。ロシア人からは相手にされていない。問題はこの人物の背後にアメリカなど西側の強大な私的権力が存在、その私的権力を後ろ盾としてアメリカ大統領に就任したバイデンが対ロシア戦争を本格化させる雰囲気があることだ。

 バイデンが副大統領を務めたバラク・オバマ政権の時代、侵略や体制転覆のため、ムスリム同胞団、ワッハーブ派、ネオ・ナチ、法輪功などを傭兵として使っていた。そうした工作の中心になる組織がCIAだ。

 そのCIAが工作資金を流すために使っている定番のルートがNED(国家民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)。

 NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、そうした資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。CIAの活動内容を明らかにすることはできないからだ。USAIDもクーデターや破壊活動などCIAの秘密工作で名前が出てくる。

 バイデン政権でUSAID(米国国際開発庁)の長官に指名されたのはサマンサ・パワー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、この人物はスーザン・ライスと同じように「人道」を口実にして侵略戦争を推進してきた。このふたりやヒラリー・クリントンはオバマ大統領に対し、リビア攻撃を強く迫ったことが知られている。

 リビアを含む中東から北アフリカにかけての地域でオバマ政権は従属度の低い体制を転覆させ、目障りな人物をドローン(無人機)などで暗殺した。

 政権転覆にはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使ったが、その始まりは2010年8月に出されたPSD-11。この指針を決定したチームにパワーも含まれていた。そのほか2015年から17年までUSAIDの長官を務めたゲイル・スミス、12年から14年までロシア駐在大使を務めたマイケル・マクフォールもメンバーだった。

 マクフォールが2012年1月にロシアへ赴任したのは同国の大統領選挙に介入することが目的。大使を辞めたのはウクライナでクーデターを成功させた2104年2月だ。彼がモスクワへ着いた​3日後には反ウラジミル・プーチン派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている​。

 その中には「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらがいた。

 戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAIDから、GOLOSもやはりNEDから資金を得ている。

 バイデン政権はオバマ政権やヒラリー・クリントンを支えた勢力を後ろ盾にしている。オバマ政権における対ロシア戦争は成功せず、ロシアと中国を同盟させるという大失敗を犯したのだが、また同じことを目論んでいるようだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101250000/


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2021.01.26
ダーク・ウインターの後に予定されているリセット
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101260001/

 ジョー・バイデン政権を読み解くためのキーワードはいくつかあるだろうが、中でも「リセット」と「ダーク・ウィンター」は重要だろう。いずれの用語ともしばしば耳にする。

 「リセット」を有名にしたのはWEF(世界経済フォーラム)を創設したひとりであるクラウス・シュワブ。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」すると彼は主張した。

 「ダーク・ウィンター」は2001年6月にアンドリュース米空軍基地で実施された軍事演習の名称で、天然痘を生物兵器とする攻撃をアメリカは受けたと想定されていた。訓練の主体はジョンズ・ホプキンス市民生物防衛戦略センター、CSIS(戦略国際問題研究所)、国土安全保障ANSER研究所、MIPT(国立テロリズム防止オクラホマシティ記念研究所)だ。COVID-19を語るときにもこの用語が使われる。

 リセットは経済のグローバル化が限界に近づいていることから迫られていると言える。巨大企業による国境を越えたビジネスが問題になったのは1970年代。アメリカ上院では1972年に多国籍企業小委員会が設置されたが、こうした動きは封印されてグローバル化は推進されたのだ。

 勿論、世界を支配している私的権力が支配システムを手放すはずはない。労働者が革命を起こすというようなこともないだろう。そのための覚悟があるようには思えず、準備もしていない。それに対し、現在の支配者は覚悟を決め、準備をしてきた。支配システムをリセットするために彼らはパンデミックを利用するつもりだ。

 ダーク・ウィンターの3カ月後にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略戦争が本格化した。

 2005年9月にCIAは中国や東南アジアのような地域でパンデミックが起こるという想定に基づく報告書を作成、2010年5月にはロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が「​技術の未来と国際的発展のためのシナリオ​」を発表する。そこでは2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こり、マスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制され、そうした管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くとしている。支配者だけでなく被支配者である市民も安全と安定を得るために自らの主権やプライバシーを放棄するというのだ。かつて正常とされた状態には戻らないとする分析はMIT(マサチューセッツ工科大学)の「​MITテクノロジー・レビュー​」の2020年3月11日号にも掲載された。

 2019年1月から8月にかけてアメリカ政府は中国でインフルエンザのパンデミックが始まるという想定の演習を実施、その年の10月にはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団とジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターがニューヨークでイベント201を開催、コロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーションが行われている。このイベントと同時に武漢では各国の軍人が競技大会を実施している。

 ダーク・ウィンターは2001年の演習、リセット発言は2020年。その間にジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、ドナルド・トランプの3人が大統領になっているのだが、この流れは継続している。ホワイトハウスの背後にいる支配者の意思が反映されているということだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101260001/


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2021.01.26
好戦的なバイデンは対露強硬派を集めているが、さらに中露を接近させる可能性

 アメリカの大統領に就任したジョー・バイデンはヒラリー・クリントンと同じように好戦的で反民主主義的な人物である。そうでなければアメリカ大統領の座を争うことはできないだろうが、中でもそうした傾向は強い。

 例えば、1994年と95年にはボスニア戦争への軍事介入、2002年にはイラクへの先制攻撃を支持している。2009年1月から2期にわたってバラク・オバマ政権の副大統領を務めたが、その間にリビアやシリアをはじめとする中東から北アフリカの国々に対するジハード傭兵(ムスリム同胞団やワッハーブ派が中心)を使った侵略戦争を推進した。2013年から14年にかけてはウクライナでネオ・ナチを使い、選挙で成立したビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒している。

 クーデターは2013年11月にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まるが、当初は人を集めるため、カーニバル的な集会が演出されていた。12月に反政府集会への参加者は50万人に達したという。

 この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知ったヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「​EUなんかくそくらえ​」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。

 ヌランドのプランに反し、2月21日にはヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印、事態は終結に向かうかに思えた。そこで始まったのが広場における狙撃だ。23日には憲法の規定を全く無視した形で大統領が解任される。この狙撃がクーデター派によるものだったことは本ブログでも繰り返し指摘してきたので、詳細は割愛する。

 2月4日にアップロードされた会話では、ヌランドがクーデター後の閣僚人事を話題にし、アルセニー・ヤツェニュクなるサイエントロジーの信者を高く評価していたが、実際、27日から2016年4月まで首相を務めている。大統領は2014年6月にペトロ・ポロシェンコが就任した。

 ​ウィキリークスが公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電​によると、ポロシェンコはアメリカ政府へ情報を提供してきた人物。欧米の支配者を黒幕とする「オレンジ革命」で登場した銀行員あがりのビクトル・ユシチェンコと親しかったことでも知られている。

 クーデター後、汚職の捜査対象になったウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役にバイデン副大統領の息子、ハンターが就任。操作に対する牽制が目的だったと見られ、それがスキャンダルとして浮上したのだが、西側の有力メディアは封印したいようで、追及しようとはしていない。

 ブリスマの汚職捜査ではバイデン親子も対象になるが、検事総長だったビクトル・ショキンによると、数カ月にわたってバイデン副大統領から捜査を止めるように圧力がかかったという。​FOXニュースのジョン・ソロモンによると​、2015年終わりから16年初めにかけてバイデンは検事総長を解任するようウクライナ側に圧力をかけていたと6名ほどのウクライナの高官が語っている。ウクライナの議員、アンドリー・デルカチによると、バイデンはブリスマからロビー会社を介して90万ドルを受け取ったという。

 バイデン自身は2018年1月に開かれたCFR(外交問題評議会)のイベントの中で、検事総長を解任する決断に6時間だけ与えたと自慢していたが、ショキンによると、ポロシェンコ大統領から捜査を辞めるように命令され、最終的には解任されたのだという。

 状況は2019年に大きく変わる。この年の5月に大統領がウォロディミル・ゼレンスキーへ交代するが、その数カ月前からブリスマへの捜査が再開されたというのだ。

 ドナルド・トランプは2019年7月にゼレンスキーと電話で会談、その際にバイデン自身がCFRで話したことを話題にした。それだけのことなのだが、それをトランプがゼレンスキーに対し、ハンター・バイデンについて捜査するように求めたのだとアメリカ下院情報委員会へ2019年8月に「内部告発」した人物がいる。

 ​その告発者はエリック・チャラメラなるCIAの分析官​。民主党の支持者で、2015年の夏からNSC(国家安全保障会議)でスーザン・ライス国家安全保障補佐官の下で働き、バイデン副大統領やジョン・ブレナンCIA長官の下でも働いていた。

 大統領選挙の途中、失速気味だったバイデンが盛り返し、大統領に選ばれたということはウクライナ側の捜査をもみ消すことに成功したことを意味するのだろうが、何かの拍子に再び動き始める可能性はある。

 オバマ政権がウクライナでクーデターを実行、傀儡政権を樹立させたのはロシアとEUを分断することが目的だった。特に天然ガスのロシアからEUへの輸送を止めること。EUという巨大マーケットを奪うことでロシアの経済にダメージを与え、ロシアというエネルギー資源の供給国を奪うことでEUのアメリカ依存を強めるという目論見だ。

 同じ頃、アメリカとイギリスの情報機関は香港で反中国政府の活動を仕掛けている。「佔領行動(雨傘運動)」だ。香港を揺さぶるだけでなく、中国全域で反政府運動を展開しようと計画したのかもしれないが、成功していない。

 ネオコンは2014年にロシアと中国を揺さぶろうとしたのだろうが、裏目に出る。アメリカやイギリスの本心を知ったロシアと中国は接近、戦略的な同盟関係に入ったのだ。

 欧米にはそうした動きに危機感を抱いた人も少なくないだろう。その象徴的な出来事が2016年2月3日のモスクワにおけるヘンリー・キッシンジャーとウラジミル・プーチンの会談。

 ​2015年6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合​へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから、彼女が次期大統領になることで内定したと言われていたのだが、キッシンジャーのモスクワ訪問をみて風向きが変化したと考える人が出てきた。3月から​ウィキリークスはヒラリー・クリントンの電子メールを公表​しはじめ、ドナルド・トランプが登場してくる。民主党の内部ではバニー・サンダースが人気を集め始めた。

 結局、2016年の大統領選挙ではトランプが勝利するが、4年の間に状況は変化してバイデンが大統領になった。この政権はシリコンバレーの巨大企業や金融資本を後ろ盾にし、戦争ビジネスやネオコンと関係の深いCSIS(戦略国際問題研究所)やCNAS(新しいアメリカの安全保障センター)といったシンクタンクが次期政権の陣容や政策の決定に深く関与している。

 国防長官にはレイセオン重役で元米中央軍司令官のロイド・オースチン、情報長官に指名されたアブリル・ヘインズはバラク・オバマ政権でCIA副長官や国家安全保障副補佐官を務めた人物。国務長官にはCSISのシニア・フェローだったアントニー・ブリンケン、ウェンディー・シャーマンが同省の副長官、ビクトリア・ヌランドが次官になる予定だ。

 シャーマンが上級顧問を務めるオルブライト・ストーンブリッジ・グループはマデリーン・オルブライトが率いるビジネス戦略を提供する会社で、ヌランドも籍を置いていた。オルブライトの好戦性はビル・クリントン政権で明白になっている。ヌランドはウクライナでオバマ政権が実行したクーデターを現場で指揮していた。

 USAID(米国国際開発庁)の長官に指名されたサマンサ・パワーも好戦的な人物。USAIDはCIAの活動資金を流すことが重要な役割になっていることは広く知られている。

 オバマ政権の陣容は好戦的。しかもオルブライトのようなロシアを敵視する人物が目につく。SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)も使って「超限戦」を仕掛けそうな雰囲気だが、2014年にはその戦術によってロシアと中国を結びつけてしまった。その失敗を反省していないとするなら、米英の金融資本を中心とする支配システムは大きく揺らぎ、場合によっては崩壊する可能性がある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101260001/  

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コメント
1. 2021年1月27日 09:06:37 : KVfCcwsIVw : bnlOMm8ya1JXNnM=[2] 報告

2021.01.27
バイデン政権が成立しても米海軍による中国への恫喝は続く
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101270000/


 アメリカ海軍の空母シオドア・ルーズベルトに率いられた打撃群が南シナ海に入り、対抗して中国軍は8機のH-6K爆撃機と4機のJ-16戦闘機を台湾の防空識別圏近くへ派遣、艦船も送り込んでいると伝えられている。

 南シナ海は中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」の東端。ここからマラッカ海峡を通過、インド洋、アラビア海を経由してアフリカやヨーロッパへつながっている。この海路を断ち切るためにアメリカは太平洋軍を2018年5月にインド・太平洋軍へ作り替えた。安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたというが、その発言の背景にはこうしたアメリカ側の戦略がある。

 こうしたアメリカの戦略はイギリスのそれを引き継いだもの。そうした戦略をイギリスの支配グループが作成したのは19世紀の後半だと思われるが、それをハルフォード・マッキンダーという支配グループに属す地理学者が1904年に発表した。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。そうした戦略の最終目標はロシア(当時は帝政)の制圧だ。

 内陸部を締め上げるために大陸の周辺部をまず支配していくが、その西の果てはイギリス、そして東の果ては日本だ。その間にあるエジプトやインドはイギリスの侵略で重要な役割を果たしてきたが、それだけでは足りなかったようで、サウジアラビアとイスラエルを作り上げた。

 イギリスが長州と薩摩を中心とする勢力を支援して「明治維新」を成功させ、資金面や技術面で支援した理由も同じだろう。明治政府は琉球を併合、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣し、中国(清)やロシアとの戦争へと向かったが、これはイギリスの戦略に合致している。

 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛けて勝利するが、内陸部を支配するだけの戦力はなかった。足りない戦力を補うため、イギリスは日本に目をつけたのだろう。

 日本が戦国時代だった頃、東南アジアを欧米は侵略していた。侵略のための傭兵を供給していたのが日本だったという歴史もイギリスの行動に影響した可能性がある。

 日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る弧状に並ぶ島々はアメリカ軍にとっても中国やロシアを封じ込めるために重要な存在である。そうした日本の役割を口にした政治家のひとりが中曽根康弘。彼は首相に就任して間もない1983年1月、アメリカを訪問した際にワシントン・ポスト紙のインタビューに応じ、「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語っている。

 アメリカは大陸を封じ込めるためにユーラシア大陸の東岸部の国々を従わせたいだろうが、思い通りには進んでいない。日本がイギリスの従属国であるオーストラリアが相互アクセス協定(RAA)を結ぶのはそのためだろう。

 この協定は日本とオーストラリアの軍事演習や軍事作戦を迅速に行うためのもので、グローバルNATOを視野に入れている。NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグはNATO2030なるプロジェクトを始めると今年6月8日に宣言、NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにする計画を明らかにした。RAAはNATO2030と結びついているはずだ。

 シオニストの一派であるネオコンは1991年12月にソ連が消滅するとアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。作業の中心が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 マッキンダーがまとめた長期戦略を達成したと考え、詰めの作業をすれば自分たちが世界の覇者になれるとネオコンは考えたのだろう。そして潜在的ライバルのトップである中国を重視するようになる。勿論、その一方でロシアを含む旧ソ連圏の復活を防ぎ、エネルギー資源を産出する中東の制圧に乗り出そうとする。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた(​3月​、​10月​)。ネオコンから見て、この3カ国は従属度が足りなかった。

 ネオコンは1980年代からこの3カ国を殲滅する計画を立てていた。イラクのサダム・フセイン政権を倒してイスラエルの影響下にある体制を樹立、シリアとイランを分断した上で両国を破壊しようというのだ。このプランをネオコンは1996年にイスラエルの首相だったベンヤミン・ネタニヤフに売り込んでいる。

 ジョージ・W・ブッシュ政権にしろ、バラク・オバマ政権にしろ、そしてドナルド・トランプ政権にしろ、マッキンダーの長期戦略やウォルフォウィッツの中期戦略に従って動いた。ジョー・バイデン政権もそうした戦略を引き継ぐことになる。現状を見ると、バイデンはトランプよりも強硬だ。

 バイデンもトランプも背景は基本的に同じであり、どちらが大統領になってもファシズム化は止まらないだろう。そもそも大統領にそれほどの力はない。ファシズムへ至る道筋が変わる程度のことだ。

 両者の支持者はいずれもアメリカは本来、民主主義的であり、それ相手側が堕落させていると信じている。自分たちの支持している人物が大統領になれば「素晴らしい新世界」が待っていると考えているのかもしれないが、その新世界はディストピアだ。

 そのディストピアへ到達するため、ネオコンは1991年12月の状況を再び作り上げようとしているが、そのためにはロシアだけでなく、中国も相手にしなければならない。バイデン政権に好戦的な人物が集められているのはそうした背景があるからだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101270000/

2. 中川隆[-7862] koaQ7Jey 2021年1月28日 18:24:43 : fhg8YYhxTo : Nzk4WlJOWGpHb0E=[24] 報告
2021.01.28
サウジ以上の産油国であるベネズエラをバイデン政権が狙っている可能性は大きい
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101280000/


 石油を含むエネルギー資源は現代社会を支えている。どの国もエネルギー資源がなければ存続しえない。ジョー・バイデン政権もエネルギー資源の支配に力を入れるだろう。アメリカがエネルギー資源を支配、石油や天然ガスの供給を止めることができるということになれば、多くの国はアメリカの命令に逆らえなくなる。

 アメリカにとって石油はそれ以上の存在でもある。ドル体制を支えてきたのだ。基軸通貨であるドルを発行する特権によってアメリカの支配力は支えられてきた。

 1971年にリチャード・ニクソン大統領がドルと金の交換を停止すると発表、金という後ろ盾を失ったドルが基軸通貨の地位に留まることができたのはそれなりの仕掛けがあったからである。

 そのひとつは金融規制の大幅な緩和によって投機市場を肥大化させたことにあり、もうひとつは石油取引の決済をドルに限定させたことにある。アメリカはサウジアラビアをはじめとするOPEC(石油輸出国機構)に決済をドルに限定させ、その代償としてその国の防衛だけでなく、支配者の地位と収入を保障したのだ。

 産油国に集まったドルはアメリカの財務省証券や高額兵器を購入するなどという形でアメリカへ還流、また産油国を支配する人びとの預金や投資という形で金融システムや投機市場へ流れ込む。それによって現実世界に流通するドルを減少させ、ドルを発行する余裕を作ることができる。

 アメリカを中心とする支配システムにおいて、サウジアラビアの果たしている役割は大きいというこということだが、現在、サウジアラビアで大きな影響力を持っているモハメド・ビン・サルマン皇太子はサルマン国王の息子。新自由主義の信奉者で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とも友好的な関係にある。2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝ったことを受けてビン・サルマンは皇太子になったことを考えると、昨年の選挙でトランプが敗北した影響は避けられないだろう。

 ビン・サルマンは腕力で物事を解決しようとする傾向があるが、イエメンへの軍事侵攻はサウジアラビアを疲弊させている。イエメンでサウジアラビアと戦っているフーシ派は2019年9月にUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と巡航ミサイルでサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設を攻撃、サウジアラビアの屋台骨が揺らいだ。

 この施設の周辺には88基のMIM-104 ペトリオット・システムが配備され、ペルシャ湾にはアメリカ海軍に所属する3隻の駆逐艦(イージス艦)がいたのだが、機能しなかったということだ。サウジアラビア王室のアメリカに対する信頼度が低下して当然だ。

 アメリカ国内の情勢もサウジアラビアに悪い影響を及ぼしている。バラク・オバマ政権やジョー・バイデン政権はネオコンの影響を強く受けているが、そのネオコンの暴力的な手法が失敗、状況を悪くしたのである。

 バラク・オバマ政権時代の2014年2月にアメリカはウクライナでクーデターを成功させた。ネオ・ナチを使ってビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除して傀儡政権を作り、ロシアとEUとの関係を断ち切ろうとしたのだろう。ロシアとEUを結びつけているのは天然ガスだ。

 同じ時期にアメリカ政府はイギリス政府と共同で中国に揺さぶりをかけた。香港で反中国政府の「佔領行動(雨傘運動)」を仕掛けたのだ。共通の敵が出現したことでロシアと中国は接近し、戦略的な同盟関係に入った。

 しかし、ヤヌコビッチの支持基盤だったウクライナの東部と南部の制圧にアメリカは手間取る。オデッサでは住民を虐殺して制圧したが、東部では戦闘が続き、クリミアはウクライナから離脱した。キエフの惨状を知ったクリミアの住民がいち早く動いた結果だ。

 クリミアはロシアの黒海艦隊が拠点にしてきた。このクリミアを制圧することでロシア軍を追い出そうとアメリカ政府は考えたのだろうが、失敗に終わった。

 西側ではロシア軍が軍事侵攻したと宣伝されたが、2014年当時、1万6000名のロシア軍が駐留していた。ロシアとウクライナが1997年に結んだ条約でロシア軍はクリミア半島に2万5000名までの部隊を駐留させられることになっていた。駐留していた部隊を西側は侵略してきたと宣伝したわけである。

 クーデターを成功させたものの、ロシアにダメージを与えるという目論見には失敗したアメリカ政府は新たな経済戦争を仕掛ける。ロシアの資金源であるエネルギー資源の相場を下落させたのだ。ソ連を消滅させる際に成功した手口を再び使ったのである。

 WTI原油の場合、2014年5月に1バーレル当たり110ドルを超す水準にあったが、年明け直後には50ドルを切る。2016年1月には40ドルを割り込んだ。値下がりが始まって間もない2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王は紅海の近くで会談、それから加速度的に下げ足を速めたことから原油相場を引き下げる謀議があったとも噂されている。

 ところが、原油価格の下落はロシアでなくサウジアラビアやアメリカの経済にダメージを与えることになった。ロシアの場合、石油相場と同じようにロシアの通貨ルーブルも値下がりしたことからアメリカ支配層が望んだような効果はなかったのである。2014年にサウジアラビアは約390億ドルの財政赤字になり、15年には約980億ドルに膨らんだと伝えられている。

 オバマ政権の政策を引き継ぐことが予想されたヒラリー・クリントンが2016年の大統領選挙で敗北したこともあり、サルマン国王は2017年10月にモスクワを訪問、ロシア製防空システムのS-400を購入したいという意向を伝え、ロシア側は受け入れる姿勢を示した。

 サウジアラビアはイランとの関係修復にも乗り出す。イラクを仲介役にして話し合いをはじめ、2020年1月3日にはサウジアラビアへの返書を携えてイランのガーセム・ソレイマーニーがバグダッド国際空港に到着した。そのソレイマーニーをアメリカはイスラエルの協力を得て暗殺している。アメリカ政府はサウジアラビアとイランとの間で進んでいた緊張緩和の動きを壊したのだ。

 バイデン政権は中東における攻撃の目標をシリアに集中しようとしているようだが、戦乱が拡大すると中東からの石油供給は困難になるだろう。地中海の東部、リビア、エジプト、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリア、トルコ、ギリシャに面した場所に膨大な天然ガスが存在していると言われているが、これで全てが解決されるとは言えない。

 現在、石油の生産量はアメリカがトップだが、アメリカで大きな比重を占めるシェール・ガスやシェール・オイルは生産コストが高く、石油価格が下落するとビジネスとして成り立たなくなる。しかもこの生産方法は地下水を汚染して農業生産にダメージを与える可能性が高い。

 現在、最も石油の埋蔵量が多いと言われている国はベネズエラである。第2位がサウジアラビア。バイデン政権、いやアメリカの支配者はベネズエラを制圧したいだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101280000/

3. 中川隆[-7820] koaQ7Jey 2021年1月30日 09:21:29 : WsTabVtPIQ : ZW1xLlovZzh6WWM=[18] 報告
2021.01.30
シリコンバレーの私的権力による検閲をメキシコ大統領が批判
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101300000/


 ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、グーグルといったシリコンバレーの巨大企業による検閲の対象はアメリカを含む各国政府に及んでいる。当初は言論封印の対象がドナルド・トランプ米大統領だったこともあり、そうした決定に拍手喝采する人もいるが、気に入らない言論を封じるという行為は民主主義の否定にほかならない。

 そうした​言論統制を進めるソーシャル・メディアをメキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領は1月20日の会見で批判​し、1月6日には私企業が言論を検閲する悪い兆候だとも語った。メキシコのツイッターで幹部として働くウーゴ・ロドリゲス・ニコラはPAN(国家行動党)と緊密な関係にあったともしている。(​映像​)

 ロドリゲスはコロンビア大学のSIPAを卒業した後にメキシコへ戻り、右翼とされる上院議員の顧問を務めた後、PANに雇われた。PANはメキシコの富豪を後ろ盾とする政党。そうした富豪の背後にはアメリカの巨大資本が存在、必然的に新自由主義的な政策を推進してきた。2006年12月から12年11月までメキシコ大統領を務めたフェリペ・カルデロンも2018年11月までPANのメンバーだった。

 カルデロン政権はアメリカの捜査当局と共同で麻薬取引を取り締まったと宣伝されているが、世界の麻薬取引の中心にはアメリカの情報機関CIAが存在、カルデロンは「死の部隊」を動かし、麻薬カルテルと手を組み、ジャーナリストを暗殺していたと伝えられている。死の部隊を訓練してきたのはCIAやアメリカ軍だ。

 ジョージ・W・ブッシュ政権の時代、メキシコで行われた「麻薬との戦争」で殺された人は10万2859名、行方不明者は2万2112名に達すると言われている。アメリカが主導する「麻薬との戦争」はアメリカの巨大企業にとって目障りな組織を潰し、人びとを殺すことにほかならない。カルデロンが大統領でなくなった後、ロドリゲスはNGOの世界へ入り、ツイッターの仕事をするようになったわけだ。

 アメリカやイギリスを支配している人びとは麻薬との関係が深い。イギリスは19世紀にアヘン戦争を中国に仕掛けたが、アメリカのCIAはベトナム戦争でヘロインを生産、マフィアを利用して売りさばいていた。原料のケシを育てていたのは「黄金の三角地帯」と呼ばれる東南アジアの山岳地帯。メキシコが密輸の中継地として重要な役割を果たしていた。後にニカラグアの反革命ゲリラを支援するためにコカインをCIAは主力商品にするが、その産地はラテン・アメリカ。そこからアメリカ国内へ運ぶ主要ルートのひとつがメキシコだ。後にヘロインの主要産地はパキスタンからアフガニスタンへ移動するが、これはアメリカがアフガニスタンでの工作を本格化させたからである。

 アメリカがラテン・アメリカへの侵略を始めたのは1898年2月のことだった。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦「メーン」で爆発が起きて沈没、アメリカ側はこれをスペインの陰謀だとして戦争を始めて勝利、それ以降、ラテン・アメリカはアメリカ巨大資本の植民地になる。

 このアメリカ・スペイン戦争を推進していたのが「棍棒外交」で有名なシオドア・ルーズベルト。1901年3月、ウィリアム・マッキンレー政権で副大統領に就任、その年の9月にマッキンレーが暗殺され、大統領に昇格した。アメリカ・スペイン戦争ではフィリピンも植民地化、ここを拠点にして中国大陸への侵略を狙うようになる。

 この当時、イギリスの影響下にあった日本は1904年2年、海軍が旅順港を奇襲攻撃して日露戦争を始めた。1905年にセオドア・ルーズベルト米大統領が調停役として登場、日本が有利に見えるところで講和が成立する。帝国主義者のルーズベルトが戦争を終結させたのは、大陸を侵略する布石のつもりだったのだろう。

 当時、ロシア国内では帝政を打倒する動き(第1次ロシア革命)があり、ロマノフ朝には戦争を継続しにくい状況があった。そこでルーズベルトの調停に応じたのだろうが、日本に負けたという認識は薄かったのではないだろうか。

 しかし、日本では新聞の扇情的な記事で大勝した気分になっていた国民がいて、講和条約が締結された当日、日比谷公園で開催された国民大会に参加した人たちは不満を爆発させた。内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちし、戒厳令が敷かれるという事態に発展したのだ。

 JPモルガンをはじめとするウォール街の住人は1933年から34にかけての時期に反フランクリン・ルーズベルトのクーデタを計画したが、これはスメドリー・バトラー退役少将によって阻止された。そのバトラーは1935年に『戦争は犯罪だ(War Is a Racket)』という本を出した。戦争が押し込み強盗にすぎないということを日本の庶民も理解していたということだろう。

 ところで、バイデン米大統領も戦争が好きである。2002年にイラクへの侵略戦争に賛成、コソボで大きな力を持っていたハシム・サチとも親しい。サチは1999円4月から2000年2月、そして08年1月から14年12月まで首相を、16年4月から20年11月までは大統領を務めた。

 サチはKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)の指導者としてコソボへ乗り込んできたが、この組織はアメリカの手先で、クロアチアのネオ・ナチが参加していたことでも知られている。彼はセルビア人や少数民族をターゲットにした「民族浄化」を実行、アルバニアの犯罪組織とつながっていたと言われている。

 コソボはアフガニスタンからヨーロッパへヘロインを運ぶ主要ルートのひとつが通過、それにともなう儲けがKLAの資金源になっていた。また旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテは自著の中でKLAによる臓器の密売に触れている。コソボで戦闘が続いている当時、KLAの指導者らが約300名のセルビア人捕虜から「新鮮」な状態で、つまり生きた人間から臓器を摘出し、売っていたというのだ。

 1991年12月にソ連が消滅した後、アメリカをはじめとする西側の支配者はユーゴスラビアの解体に乗り出す。その計画を実行するように有力メディアは煽ったが、当初、ビル・クリントン大統領は動かない。状況が変化したのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。

 オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だった好戦的な人物。オルブライトはビジネス戦略を提供するということでオルブライト・ストーンブリッジ・グループを創設したが、この関係者がバイデン政権に参加している。

 ユーゴスラビアを解体する際、現地で指揮していたのはリチャード・マイルズ。現地のイスラム指導者にもアメリカ側は接触、ジャーナリストのレナテ・フロットーによると、サラエボにあったイザドベゴイチのオフィスで1993年から94年にかけてオサマ・ビン・ラディンを何度か見かけたという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 アメリカの支配者に率いられたNATOは1999年5月にユーゴスラビアへの空爆を開始、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。

 そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。攻撃の直後にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」によるものだと断定、有力メディアはその主張を大々的に宣伝、反イスラム感情を煽る。そしてアメリカの支配者は侵略戦争を本格化させた。

 それと同時にアメリカでは憲法の人権規定を停止させる法律が制定された。「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」だ。​この法律のモデルになった対テロリズム法案をバイデンは1995年に提出​している。

 アメリカは強大な私的権力が直接支配する国になりつつある。そうした私的権力の犯罪的な行為を明らかにしてきたウィキリークスを弾圧の対象になり、その象徴であるジュリアン・アッサンジは秘密裏に起訴され、スウェーデンとイギリスの協力受けて逮捕、拘束した。

 現在、主導権を握っている私的権力の意向に沿わない言動を繰り返してきたドナルド・トランプは有力メディアや政府機関に攻撃され、排除された。言論も封印されているが、それは​デジタル時代における言論統制の戦いで転換点になるとNSAの内部告発者であるエドワード・スノーデンは指摘​している。

 現在、世界はファシズムへ向かって突き進んでいる。少なくともアメリカを中心とする私的権力はそうしようと必死だ。そうした状況に西側の「リベラル派」や「左翼」は危機感を持っていないが、メキシコのオブラドール大統領は違った。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101300000/

4. 中川隆[-7818] koaQ7Jey 2021年1月30日 17:52:32 : WsTabVtPIQ : ZW1xLlovZzh6WWM=[23] 報告

2021.01.30
トランプ陣営を盗聴するために電子メールを捏造したFBIの法律家に執行猶予
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101300000/


 2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプの当選を阻止する目的でFBIは「ロシアゲート」を捏ち上げるが、その際に電子メールを捏造していた。捏造したとされているケビン・クリンスミスはFBIの法律家だった。彼に対して1月29日に判決が言い渡されたのだが、執行猶予付きの軽い内容だったことから話題になっている。

 昨年の大統領選挙でジョー・バイデンに敗れたドナルド・トランプは2016年の選挙以来、FBIやCIAから攻撃を受けていた。そのために「ロシアゲート」なる話が使われたのだが、これが捏ち上げだったのだ。

 工作のためにFBIは2016年の選挙キャンペーンでドナルド・トランプの顧問を務めていたカーター・ペイジを監視することにし、FISA(外国情報監視法)に基づいて令状を2016年10月に入手している。その際にFISC(外国情報監視裁判所)を納得させるため、証拠として捏造された電子メールが提出された。それを捏造したのがクリンスミス。昨年8月に彼は有罪を認めている。12月3日に検察側は禁固6カ月を求め、年末には判決が言い渡される予定だったが、1カ月延長されていた。

 2015年の段階で「次期大統領」として民主党のヒラリー・クリントンが内定していたと言われている。(詳細は割愛)そのクリントンは上院議員の時代から軍需産業をスポンサーにし、金融資本とも結びつき、シオニストの一派であるネオコンに担がれていた。

 ネオコンは2014年にロシアを潰すためにウクライナでクーデターを成功させ、香港ではCIA(アメリカの情報機関)とMI6(イギリスの情報機関)が反中国政府の運動を仕掛けたのだが、その後、ロシアと中国は急接近し、今では「戦略的同盟関係」にある。

 つまりネオコンの戦術は失敗に終わり、支配層の一部は離反、トランプ支持に回った。しかも民主党の内部ではヒラリーの好戦的な姿勢を嫌う人びとがバーニー・サンダースを支持するようになる。彼女は民主党の候補になることもおぼつかなくなる。

 2016年3月16日にはウィキリークスがヒラリー・クリントンに関連した電子メールを公表、その中に民主党の幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メール、バーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するようDNC(民主党全国委員会)に求める内容の電子メールが含まれていた。

 そうした展開の中、民主党や有力メディアはロシア政府がハッキングで電子メールを手に入れたとする話を流し始める。この偽情報を流したのは2013年3月から17年1月までCIA長官を務めたジョン・ブレナンだと見られている。

 電子メールをウィキリークスへ渡したのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチであり、その漏洩した電子メールをロシア政府がハッキングしたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは語っているが、リッチの両親が雇った元殺人課刑事の私立探偵、リッチ・ウィーラーも同じことを主張していた。セス・リッチは2016年7月10日、背中を2度撃たれて死亡しているので真相は語れない。

 ウィーラーによると、セスがウィキリークスと連絡を取り、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルをウィキリークスへ渡したとしていた。後にウィーラーはセスの親から、雇い主に無断で情報を流したと批判され、沈黙するようになった。

 DNCのサーバーに保管されていた電子メールがハッキングで流出したのでないことは技術分析で明らかになっている。これも本ブログで繰り返し書いてきたが、​コンピュータの専門家でIBMのプログラム・マネージャーだったスキップ・フォルデン​は転送速度など技術的な分析からインターネットを通じたハッキングではないという結論に達している。

 また、アメリカの電子情報機関NSAの技術部長を務めた内部告発者で情報機関で通信傍受システムの開発を主導したウィリアム・ビニーが指摘しているように、NSAはすべての通信を傍受、保管している。もしロシアゲートが事実なら、FBIは必要な証拠をすべてNSAから入手できるのだ。

 クリンスミスに対する判決からも類推できるように、トランプを潰すためにFBIやCIAを動かせる勢力は今でも大きな力を持っている。2016年の段階で彼らはロシアをボリス・エリツィン時代のような属国にし、中東ではシリアの現体制を転覆させようとしている。イランはその次ということだ。ネオコンは1980年代からイラクに親イスラエル体制を樹立させ、シリアとイランを分断、孤立させてそれぞれを殲滅するという戦術を立てていた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101300000/

5. 中川隆[-7758] koaQ7Jey 2021年2月03日 10:46:23 : HOrFCQMYeE : QzVQOWd1WExGdnM=[6] 報告

2021.02.03
米国が東アジア侵略の拠点と考える日本、大陸の橋頭堡と考える韓国の不協和音
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102030000/

 韓国の国防省が2月2日に公表した2020年版の国防白書は、日本に対して「協力していかなければならない隣国」と表現、「パートナー(同伴者)」とは記述しなかった。ユーラシア大陸を制圧するための拠点と橋頭堡である日本と韓国の関係が好転したいことにアメリカを支配する私的権力は不愉快に感じているだろう。

 そうした指摘権力の影響下にあるイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長は2020年6月、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言した。NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにするというのだ。

 本ブログでは繰り返し説明してきたが、日本は明治維新以来、アングロ・サクソンの影響下にある。地政学の父と呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダーは1904年に発表した論文の中で、ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げて最終的にはロシアを制圧するというプランを示していた。彼はイギリスの支配グループの所属、そのグループのプランをまとめと考えられる。

 イギリスが薩摩や長州を中心とする勢力に肩入れして「明治維新」と呼ばれるクーデターを成功させ、明治政府に対して技術や資金を提供したのは、侵略の手先を育てることが目的だったのだろう。薩長政権は1872年に琉球を併合、74年に台湾に派兵、75年には江華島事件で朝鮮王朝に揺さぶりをかけ、94年から95年にかけては清(中国)と戦争、マッキンダーが論文を発表した1904年にはロシアと戦争を始めた。

 明治維新以降、日本を支配してきた勢力の背後にはアングロ・サクソンが存在、日本人を大陸侵略の手先に提供することで彼らの地位と富は保障されてきた。侵略を受け入れさせるため、日本では東アジアを貶める「反アジア教育」が徹底され、その影響は現在も残っている。

 日露戦争後、1917年11月にロシアで十月革命を経て社会主義の看板を掲げるソ連が誕生すると、日本はイギリス、アメリカ、フランスと共同で軍事介入した。1922年に日本軍は略奪物資を携えて帰国するが、1941年7月の関東軍特種演習までソ連侵略の意思は持ち続けている。

 その後、日本軍は石油を求めて東南アジアへ向かい、ハワイの真珠湾を1941年12月7日午前8時(UTC7日18時)に、またマレーシア北端の港町コタバルを12月8日午前1時(UTC7日17時)にそれぞれ奇襲攻撃してイギリスやアメリカと戦争を始めた。それでも日本の一部支配層はアメリカの金融資本や石油資本と関係を維持している。

 日本とウォール街との関係を象徴する人物がジョセフ・グルーだということは繰り返し書いてきた。1932年から駐日アメリカ大使に就任、松岡洋右、松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎、岸信介らと親しく、皇室にも太いパイプを持っていた。1945年に日本は降伏するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。

 日本列島、南西諸島、台湾をつなぐ弧で大陸を封鎖、朝鮮半島に橋頭堡を築くという戦略をアングロ・サクソンは明治時代から現在に至るまで維持している。アメリカは韓国が自立することを阻止するつもりだろう。

 アメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称を変更、この海域を統括して支配しようとしている。太平洋側の拠点を日本、インド洋側の拠点をインド、そしてインドネシアで両海域をつなごうという構想。イギリスの植民地だったインドにはそれなりの支配システムをアングロ・サクソンは持っているだろう。問題はインドネシア。ここでは数十年にわたり、イスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が続けられている。アメリカはワッハーブ派をミャンマーのヤカイン州、フィリピンのミンダナオ島、中国西部の新疆ウイグル自治区へも送り込んできた。

 ロシアや中国との関係を強めてきたタイでアメリカの手先になっているのはチナワット家を中心とする勢力。2014年にクーデターで倒されたインラック・チナワットやその兄のタクシン・チナワットはその一族だ。この一族はブッシュ一族と深く結びつき、ジョージ・H・W・ブッシュが幹部のひとりだった巨大ファンドのカーライル・グループとも関係が深いとされている。アメリカ軍が属国の軍隊を引き連れて2003年3月にイラクを先制攻撃した際、タクシンは軍部や国民の意思に背いてイラクへ派兵している。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102030000/

6. 中川隆[-7745] koaQ7Jey 2021年2月04日 10:12:34 : K6muIrSMR2 : TlUudzl6bDUwWlk=[1] 報告

2021.02.04XML
ナワリヌイにつらなるアングロ・サクソンの対ロシア工作
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102040000/


 西側ではロシアの「民主派」として宣伝されているアレクセイ・ナワリヌイがロシアへ戻り、拘束されたが、​ナワリヌイの側近がイギリスの外交官と接触、不安定化工作について話し合う様子が撮影され、それをロシアのメディアが放送​した。相手のイギリス人はMI6(イギリスの情報機関)の人間だと見られている。

 ナワリヌイはエール大学の奨学生となり、同大学で学んでいるが、その手配をしたのはマイケル・マクフォール。バラク・オバマが大統領だった2010年8月、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域でアメリカ支配層にとって目障りな体制を転覆させるためにPSD-11を承認したが、その計画を作成したチームのひとりがマクフォール。

 この人物は2012年1月に大使としてモスクワへ着任するが、​その3日後にロシアの反プーチン派NGOの幹部が挨拶に出向いている​。その年の2月にはロシアで大統領選挙が予定されていて、その選挙に対する工作を指揮することがマクフォールの任務だったと考えられている。

 NGOの中には「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらがいた。

 戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAIDから、GOLOSもやはりNEDから資金を得ている。

 CIAには秘密工作を実行するための資金を流す仕組みが存在する。定番のルートがNED(国家民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)だ。NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、そうした資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。CIAの活動内容を明らかにすることはできないからだ。USAIDもクーデターや破壊活動などCIAの秘密工作で名前が出てくる。

 アメリカの私的権力は1991年12月のソ連消滅で自分たちの国が唯一の超大国になったと考え、他国に配慮することなく侵略戦争を行い、世界を制覇できると考えた。そして作成されたのがウォルフォウィッツ・ドクトリンだが、そのプランは21世紀に入って大きく揺らぐ。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功したのだ。

 ロシアでナワリヌイは支持されていないが、西側ではロシアに対する攻撃を正当化するために利用されている。大多数のロシア人には相手にされない戯言でも西側では信じる人が少なくないだろう。

 イギリスのロシアに対する工作は遅くとも20世紀の初頭から行われている。例えばイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を中心とするMI6のチームをロシアへ送り込んでいる。その中にステファン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。

 アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家の家庭教師で、アリー自身はモスクワにあったユスポフの屋敷で生まれている。レイナーはオックスフォード大学時代からフェリックス・ユスポフの親友。イギリスはロシアをドイツとの戦争に引きずり込もうとしていた。

 ロシアの産業資本やユスポフは戦争に賛成していたが、皇后やグレゴリー・ラスプーチンという修道士は戦争に反対、ラスプーチンはイギリスにとって邪魔な存在だ。ラスプーチンの背後には大地主がいた。

 そうした対立の中、皇后は1916年7月13日にラスプーチンへ電報を打つが、それを受け取った直後にラスプーチンは見知らぬ女性に腹部を刺されて入院。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。

 そして1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺される。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれていた。最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫き、2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発明は前頭部に命中し、これで即死したと見られている。暗殺に使用された銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。

 暗殺したのはユスポフを中心とする貴族グループだとされているが、このグループはMI6のチームと接触していた。イギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月の終わりから11月半ばにかけて6回にわたり運んだという。またユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)

 ロシアでは1917年3月に二月革命があり、大地主は権力の座から陥落して産業資本家を後ろ盾とする臨時革命政府が成立した。この政府は戦争を継続、ドイツは両面作戦を続けなければならなかった。そこで目をつけたのが即時停戦を主張していたボルシェビキだ。

 二月革命に際、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか、刑務所に入れられていて、例えば、レーニンはスイスにいた。そうしたボルシェビキの幹部32名をドイツは「封印列車」でロシアへ運んだ。レーニンが帰国したのは1917年4月。その後、紆余曲折を経て11月の十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止める。

 しかし、ドイツ軍は迅速に部隊を西側へ移動させられなかったことから1918年11月には敗北する。その3カ月前にイギリス、フランス、アメリカ、そして日本などはロシア(ソ連)に軍隊を派遣して干渉戦争を始めた。

 そうした経緯があるため、その後もドイツとソ連との関係は悪くなかった。ボルシェビキと米英の金融資本を強引に結びつけようとする人びとがいるが、それよりはるかに強くユニポフを中心とするロシア貴族やケレンスキーの臨時革命政府は結びついていた。この結びつきを現在の西側を支配している勢力は秘密にしたがっている。

 ソ連とドイツとの関係を破壊したのはアドルフ・ヒトラーだ。第2次世界大戦でドイツ軍はソ連へ攻め込むが、スターリングラードでの戦闘で大敗、その直後からウォール街の大物、つまりアレン・ダレスたちとナチスの幹部は接触を始め、善後策を協議している。

 アレン・ダレスが君臨していたCIAが世界各地で買収、恫喝、暗殺、クーデターを含む秘密工作を展開してきたことは広く知られている。ダレスが死んだ後も変化はなく、秘密工作の一端は1970年代にアメリカ議会でも明らかにされた。今でもロシアや中国は勿論、中東、東南アジア、東アジア、ラテン・アメリカ、アフリカなど全世界が活動の舞台だ。

 CIAは第2次世界大戦中に活動していたOSS(戦略事務局)の後継機関として設立された。OSSは1942年6月にウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンを長官として創設されたが、そのモデルはイギリスの機関だった。特殊工作はSOE(特殊作戦執行部)、通常の情報活動はMI6に基づいて組織されている。

 ドノバンは巨大化学会社デュポンの顧問弁護士を務めていたが、その時の同僚弁護士のひとりがアレン・ダレス。この関係でドノバンはダレスををOSSへ誘い、特殊工作を担当するSOを指揮させた。それ以降、ダレスはアメリカにおける秘密工作のトップとして君臨する。この時からアメリカの情報機関は金融資本と緊密な関係を維持している。

 SOEは1940年にイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルの命令で創設され、初代長官は保守党の政治家だったフランク・ネルソンが選ばれた。1942年に長官はチャールズ・ハンブローに交代するが、この人物はハンブロー銀行の人間だ。チャーチルは親の代からロスチャイルド家と緊密な関係にあるが、ハンブローとも親しかった。

 大戦後、OSSは廃止される。アメリカでは平和時に情報機関を持つべきでないとする意見があったが、情報の収集と分析だけにするという条件で1947年7月にポール・ニッツェの執筆した国家安全保障法が発効、9月にCIAは創設された。

 大戦中の1944年、イギリスのSOEとアメリカのSOは西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗するため、ジェドバラというゲリラ戦の部隊を編成する。レジスタンスの主力はコミュニストだったからである。後にベトナム戦争で住民皆殺し作戦のフェニックス・プログラムを指揮、CIA長官にもなったウィリアム・コルビーもジェドバラに所属していた。

 大戦後にジェドバラも廃止されるが、メンバーの一部は軍の特殊部隊へ流れるが、破壊活動を目的して秘密裏に組織されたOPCの幹部にもなる。この機関は1950年10月にCIAと合体、その翌年の1月にアレン・ダレスが秘密工作を統括する副長官としてCIAへ乗り込んだ。OPCが核になって1952年に作られたのが計画局である。

 この部署はCIAの「組織内組織」になり、今ではCIAを乗っ取ったような形。さらに国務省など政府内に触手を張り巡らせ、政府の外部にも「民間CIA」のネットワークが存在するが、その頭脳は今でもウォール街にあるはずだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102040000/

7. 中川隆[-7734] koaQ7Jey 2021年2月04日 11:48:00 : K6muIrSMR2 : TlUudzl6bDUwWlk=[13] 報告
02-04 こういう話すると白い目で見られますが本当だからUPします
2021/02/04



8. 中川隆[-7679] koaQ7Jey 2021年2月06日 11:27:07 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[9] 報告

2021.02.06
米国のドル体制を支えてきたサウジアラビアが不安定化
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102060000/


 ジョー・バイデン米大統領はサウジアラビアへの武器売却を一時停止すると伝えられている。サウジアラビアの皇太子は2017年6月にホハメド・ビン・ナイェフからモハメド・ビン・サルマンへ交代したが、これは2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した影響だと言われている。

 ビン・ナイェフの皇太子就任はヒラリー・クリントンの大統領就任を前提にしてのことだったが、その前提が崩れて皇太子の座から陥落したわけだ。そして今、ビン・サルマンの立場が微妙になっている。昨年のアメリカ大統領選挙でトランプが敗北し、ヒラリーの後継者とも言うべきバイデンが勝利したからである。

 ビン・ナイェフが皇太子になったのは2015年4月だが、この当時、バラク・オバマ政権は戦争の準備を始めていたように見える。2月に国防長官がチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代しているのだ。

 ヘイゲルは戦争に慎重でデンプシーはサラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたのに対し、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張、ダンフォードはロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言していた。

 ジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月にイラクを軍事侵略したものの、思惑通りには進まない。親イスラエル体制を樹立することに失敗し、イランと友好的な政権を作り出してしまった。

 ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年付けニューヨーカー誌に書いた記事の中で、​アメリカ、サウジアラビア、そしてイスラエルがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めた​としている。

 その記事の中で引用されたジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができるとしている。

 2009年1月に大統領はバラク・オバマに交代、2010年8月にはムスリム同胞団を使った体制転覆プラン、PSD-11を承認している。中東から北アフリカにかけての地域からアメリカ支配層にとって目障りな政権、体制を排除しようということだ。そして「アラブの春」が始まり、リビアやシリアでは2011年春から戦争になる。これを西側では「内戦」と表現しているが、侵略戦争以外の何ものでもない。

 リビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ自身は惨殺され、それを聞いてはしゃぐヒラリー・クリントンの様子が映像に残っている。その際、地上のアル・カイダ系武装勢力と上空のNATO軍が連携していることが明白になった。「アル・カイダ」の象徴だったオサマ・ビン・ラディンは2011年5月に殺されたことになっている。

 カダフィ体制が倒された後、戦闘員や兵器/武器はリビアからシリアへ運ばれた。2012年からアメリカをはじめとする侵略国はシリアへの攻勢を強めるが、その当時の状況をメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会の聖職者の報告がローマ教皇庁系の通信社が伝えている。

 アメリカをはじめとする侵略勢力は兵力をシリアへ集中させる一方、シリア政府軍の残虐さを宣伝する。例えば2012年5月にシリア北部ホムスで住民が虐殺された際、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと主張、イギリスのBBCはシリアで殺された子どもの遺体だとする写真を掲載しているが、この写真は2003年3月にイラクで撮影されたののだった。オーストリアのメディアは写真を改竄し、背景を普通の街中でなく廃墟に変えて掲載していた。こうした西側有力メディアの偽報道をローマ教皇庁の通信社が伝えたのだ。

 ホムスの虐殺を現地調査、報告したフランス人司教は、「​もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている​」としている。その後、そうした状況はさらにひどくなっている。

 しかし、オバマ政権はシリアでの戦争を「政府軍と民主派の戦い」だと言い張り、内戦だと主張して「民主派」に物資を供給するなど支援するのだが、リビアのようには進まない。シリア政府軍が強かったことに加え、ロシアの大統領が2012年5月にドミトリー・メドベージェフからウラジミル・プーチンに交代してことも無視できない。

 ​2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIAが政府に対してシリア情勢に関する報告書を提出​しているが、それはオバマ政権にとって好ましい内容ではなかった。

 その報告によると、シリアで政府軍と戦っている武装勢力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、戦闘集団の名称としてアル・ヌスラを挙げている。そのアル・ヌスラはAQI、つまりイラクのアル・カイダと実態は同じだともDIAは指摘しているが、その主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団。シリアにオバマ大統領が言うような穏健派は事実上、存在しないとしているのだ。

 また、そうしたオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していた。その警告は2014年に入ってダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になる。そうした中、2014年8月にフリンは解任された。そして国防長官や統合参謀本部議長の交代につながる。

 ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧するが、その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられた。

 本ブログでも繰り返し書いてきたが、偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などでアメリカの軍や情報機関は武装集団の動きを知っていたはずだが、そのパレードをアメリカ軍は黙認している。

 2014年はオバマ政権がロシアや中国に対して攻勢に出た年でもあった。ウクライナでクーデターを成功させ、香港で反中国運動を仕掛けたのである。

 シリア東部からイラク西部にかけての油田地帯を制圧して勢力範囲を広げていくが、2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュを敗走させた。そこでアメリカ政府はクルドと手を組むことになる。さらにアメリカ軍がシリアへ侵攻、いくつも基地を建設し、今でも占領を続けている。

 ロシアを締め上げるため、オバマ政権は石油相場を暴落させたと見られている。110ドルを超す水準まで上昇したWTI原油の相場は下がっていくのだが、2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王は紅海の近くで会談、それから加速度的に下げ足を速めたことから原油相場を引き下げる謀議があったと推測する人も少なくないのである。年明け直後には50ドルを切り、2016年1月には40ドルを割り込んだ。

 エネルギー資源を収入源とするロシアを揺さぶる目的でアメリカとサウジアラビアは原油相場を下落させたと見られているが、ロシア以上にアメリカやサウジアラビアがダメージを受けた。2014年にサウジアラビアは約390億ドルの財政赤字になり、15年には約980億ドルに膨らんだと伝えられている。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策による経済の麻痺でサウジアラビアの財政状況はさらに悪化しているだろう。

 モハメド・ビン・サルマンが始めたイエメンでの戦争もサウジアラビアを苦しめている。2003年にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、その攻撃に抗議するためにフーシ派はモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するのだが、そうした行為を当時のイエメン政府が弾圧して首都のサヌアで800名程度を逮捕した。この弾圧が切っ掛けで2004年に戦闘が始まったのだ。

 戦闘はフーシ派が優勢で、アリ・アブドゥラ・サレーハ政権を助けるため、2009年にサウジアラビアはイエメンに空軍と特殊部隊を派遣、「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されている。サレーハ政権はアメリカやイスラエルからも支援を受けていた。

 しかし、2011年にサレーハ大統領は辞任、副大統領だったアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが翌年2月から新大統領を務めることになる。任期は2年なので2104年2月までだが、ハディはイエメンに権力の基盤がなく、辞任後のサレーハを脅かすことはないだろうという読みがあったと言われている。ハディはさっさとサウジアラビアへ逃走した。

 モハマド・ビン・サルマンが2015年にサウジアラビアの国防大臣に就任すると、同国は100機におよぶ戦闘機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援していると言われている。この軍事介入がサウジアラビアを疲弊させる一因になっている。

 サウジアラビアでは支配層の内部で対立が深刻化しているようで、2017年10月にジッダの宮殿近くで、また18年4月にリヤドの王宮近くで銃撃戦があったと言われている。その間、2017年11月には大規模な粛清があり、48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれていた。

 2019年9月14日にはサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設が攻撃され、同国の石油生産は大きなダメージを受けた。この攻撃ではUAVと巡航ミサイルが使われたようだが、アメリカの防空システムは機能していない。

 泥沼化したイエメンでの戦争についてサウジアラビア国王へ報告する人はほとんどいなかったとも言われているが、例外的な人物が国王の個人的な警護の責任者だったアブドル・アジズ・アル・ファガム少将。この人物は2019年9月28日に暗殺される。アメリカはサウジアラビアの警護チームを解体し、自分たちが取って代わろうと目論んでいるとも言われた。

 苦境に陥ったサウジアラビアはイラクを仲介役としてイランへ接近、和平交渉を始める。サウジアラビアからのメッセージに対する返書を携えてイスラム革命防衛隊の特殊部隊と言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーがイラクのバグダッド国際空港へ到着したのは2020年1月3日。そのソレイマーニーをアメリカはイスラエルの協力を得て暗殺した。

 今年1月26日にはサウジアラビアの首都リヤドの上空で大きな爆発があったと報道されている。その3日前には発射物をサウジアラビアが迎撃したというのだが、詳細は不明だ。

 アメリカやイスラエルはイランに対抗するため、ペルシャ湾岸の産油国など配下の国々をまとめているようだ。サウジアラビアもイスラエルと秘密裏に会談を重ねていたようだが、現在、会談は中断しているという。中東情勢は不安定化しているようだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102060000/

9. 中川隆[-7511] koaQ7Jey 2021年2月09日 10:11:45 : nj2wZVzJqY : NVZrUnB3QWFMNkE=[20] 報告
世界の支配者は誰か?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/315.html
10. 2021年2月16日 18:19:59 : 2Rqleo9YRc : OFhWL1kxNk5ZblU=[3] 報告
2021.02.16
バイデンの大統領就任でオバマ政権の中東侵略作戦が復活する可能性(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102160000/


 アメリカにジョー・バイデン政権が登場して以来、世界的に軍事的な緊張が高まっているが、中でもシリアでの動きは目につく。​アメリカ軍が北東部にあるハサカで新たな軍事基地を建設している​と報道されているが、そこには戦闘員や物資を輸送するために滑走路も作られ、油田地帯に近いデリゾールでもアメリカ軍は新しい航空施設を建設しているという。

 イスラエル軍によるダマスカス周辺に対する攻撃も激しくなり、シリア政府が反発しているだけでなく、イラン側もイスラエルが一線をこれれば「後悔させる」と語っている。また​ロシア軍は地中海に近いラタキアにあるロシア軍のフメイミム空軍基地の滑走路を拡張して戦略爆撃機が離着陸できるようにした​という。

 バイデンが副大統領を務めていたバラク・オバマ政権は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵を使った侵略戦争を中東から北アフリカにかけての地域で始めた。2011年の2月にはリビア、3月にはシリアも戦場になる。侵略を正当化するため、オバマ政権は「独裁者」による「民主化運動」の弾圧を演出した。

 しかし、西側で主張された「流血の弾圧」を否定する情報は早い段階から流れていた。例えば、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、実際は限られた抗議活動があっただけで、すぐに平穏な状況になっていたという。

 その調査結果をシュバリエはパリへ報告したが、アラン・ジュペ外相はそれを無視しただけでなく、シリアのフランス大使館に電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じたという。

 その後も西側の政府や有力メディアはシリア政府による「民主化運動の弾圧」を盛んに宣伝、その情報源としてダニー・デイエムなる人物やロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」を使っている。

 デイエムはシリア系イギリス人で、シリア政府による「流血の弾圧」を主張し、外国勢力の介入を求めていた。ところが2012年3月、「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上へ流出してしまい、その実態が知られてしまった。シリコンバレーの巨大企業が検閲してもその事実を消し去ることはできない。

 SOHRは2006年にラミ・アブドゥラーマン(本名オッサマ・スレイマン)なる人物がイギリスで設立したのだが、その背後にイギリスの政府機関が存在している。イギリス外務省はSOHRに約19万5000ポンド相当の支援をしていることを認めたとイギリスの​デイリー・メール紙が伝えている​。

 デイエムのインチキが発覚した2012年3月当時、アメリカをはじめとする勢力はシリア侵略に集中しはじめていた。その前年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制を倒し、戦闘員や武器/兵器をシリアへ集中させるのだが、リビアの戦闘でNATO軍がアル・カイダ系武装勢力のLIFGと連携していたことが明確になってしまう。

 2001年9月11日以来、アメリカ政府は「アル・カイダ」をテロリズムの象徴的な存在にしていた。アル・カイダ系武装勢力のLIFGがNATO軍と連携していた事実は衝撃的なはずだが、一部の有力メディアが報道しただけで、西側では大して問題にされていない。

 アメリカにとって好都合なことに、「アル・カイダ」のリーダーだとされていたオサマ・ビン・ラディンは2011年5月2日にアメリカの特殊部隊によって殺されたことになっている。その段階で人びとの意識の中から「アル・カイダ」も消えたのかもしれない。

 シリア北部ホムスでは2012年5月に住民が虐殺されるのだが、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと主張した。イギリスのBBCはシリアで殺された子どもの遺体だとする写真を掲載しているが、この写真は2003年3月にイラクで撮影されたの。オーストリアのメディアは写真を改竄し、背景を普通の街中でなく廃墟に変えて掲載していた。こうした西側有力メディアの偽報道をローマ教皇庁の通信社が伝えている。

 ホムスの虐殺を現地調査、報告したフランス人司教は、「​もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている​」としている。その後、そうした状況はさらにひどくなっている。

 こうした報告は流れたものの、アメリカなど侵略勢力は有力メディアを使ったプロパガンダで圧倒できると考えたようで、オバマ政権はシリアでの戦争を「政府軍と民主派の戦い」だと言い張り、内戦だと主張する。オバマ政権は「穏健派」を支援しているのだとオバマ大統領だと言い張る。

 ところが、この主張は​アメリカ軍の情報機関DIA​が否定している。2012年8月にホワイトハウスへ提出した報告の中で、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だと指摘、アル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)の名前も出している。オバマ大統領が言うところの「穏健派」とは、一般的に「過激派」と見なされているグループだとしているのだ。オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告していた。

 この警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になった。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧されたのだ。

 モスル制圧の際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられたのだが、こうした戦闘集団の動きをアメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで知っていたはず。そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動かなかった。

 2012年7月からDIA局長を務めていたのはマイケル・フリン中将。サラフィ主義者が支配する地域が出現するという警告がダーイッシュの登場で現実になったのだが、その結果、オバマ政権にとって目障りな存在になった。そして2014年8月に退役させられてしまう。(つづく)

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102160000/


2021.02.16
バイデンの大統領就任でオバマ政権の中東侵略作戦が復活する可能性(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102160001/


 バラク・オバマ政権はNATO軍、あるいはアメリカ主導軍をシリアへ侵攻させる口実として「化学兵器話」を使い始める。2012年8月、オバマ大統領は生物化学兵器の使用がシリアへの直接的な軍事介入の「レッド・ライン」だと宣言、同年12月には国務長官だったヒラリー・クリントンがシリアのバシャール・アル・アサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語っている。

 そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、オバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述がイギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールの中に書かれているとする記事が載った。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)

 その後、シリア政府軍が化学兵器を使ったとする話を西側の政府や有力メディアは何度か主張してきたが、いずれも嘘が明らかにされている。それでもアメリカ政府は同じシナリオを繰り返し、有力メディアはそれを垂れ流している。

 そうした化学兵器話の発信源のひとつがSCD(シリア市民防衛/通称白いヘルメット)。2013年3月にジェームズ・ル・ムズリエなる人物がトルコで創設した。設立資金の30万ドルはイギリス、アメリカ、そして日本から得たという。その後、西側のNGOやカタールを経由してアメリカ政府とイギリス政府から資金を受け取ったとされている。

 ル・ムズリエはイギリス軍の元軍人で、2000年に退役、その後オリーブ・グループという傭兵組織の特別プロジェクトの幹部になった。この組織は後にアカデミ(ブラックウォーターとして創設、Xeに改名、現在に至る)に吸収されている。

 2008年に彼はオリーブ・グループを離れてグッド・ハーバー・コンサルティングへ入り、アブダビを拠点として活動し始めるのだが、この段階でもイギリス軍の情報機関と緊密な関係を維持している。

 SCDはアル・カイダ系武装集団の医療部隊として活動してきたが、公開された映像から、そのメンバーは医療行為の訓練を受けていないと指摘する人もいる。

 また、SCDのメンバーがアル・カイダ系武装集団と重複していることを示す動画や写真の存在、アル・カイダ系武装集団が撤退した後の建造物でSCDと隣り合わせで活動していたことを示す証拠などがバネッサ・ビーリーやエバ・バートレットらによって確認されている。

 こうした実態をアメリカ政府も知っているようだ。​SCDのシリアにおける責任者ラエド・サレーをFBIは「テロリスト」だと認識、彼はアメリカへの入国を拒否されている​。

 オバマ大統領は2015年に戦争態勢に入る。政府を好戦的な布陣に作り替えたのだ。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代している。

 ヘーゲルは戦争に慎重だったが、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。シリアからバシャール・アル・アサド大統領を排除しようとしていたバラク・オバマ大統領とは違い、サラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたデンプシーはシリア政府と情報を交換していたと言われている。

 統合参謀本部議長が交代になった直後の9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュなど武装勢力の支配地域は急速に縮小していく。アメリカ主導軍と違い、ロシア軍は本当にダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を攻撃したのだ。アメリカの軍や情報機関はダーイッシュなどの主要メンバーを救出、クルドを新たな手先にした。必然的にSCDの出番も減る。そして2019年11月11日、SCDを創設したジェームズ・ル・ムズリエがトルコで死亡した。

 そのSCDがバイデン政権になってから活動を再開させたという情報がある。​ロシア国防省はSCDがシリアのイドリブで新たな挑発工作を目論んでいると警告​した。ハイアット・ターリル・アル・シャムの活動と関係がありようだ。

 軍事的に優位だったにもかかわらず、シリア政府軍が化学兵器を使ったとする話がSCDなどから流されていた2013年8月、ダマスカスの近くのゴータで爆発があった。

 攻撃の直後にロシアのビタリー・チュルキン国連大使は反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射されてゴータに着弾したと国連で説明、その際に関連する文書や衛星写真が示されたと伝えられている。

 その後、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュや国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授を含むジャーナリストや学者によって化学兵器話は否定された。

 それでもオバマ政権は直接的な軍事侵略を実行しようとしていた可能性が高い。西側の有力メディアは9月の初めに攻撃が始まると推測していたが、実際、2013年9月3日に地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。

 この発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、公表されるが、ミサイルはいずれも途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、この説明には疑問がある。事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告せずに発射実験をするとは考えにくいからだ。何らかの手段、例えばジャミングでミサイルのGPSが狂って落下したと推測する人もいる。

 この当時、アメリカ軍はシリアの近くにある基地にB52爆撃機の2航空団を配備したほか、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などを地中海に配備した。これに対抗してロシア政府は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心にしてフリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形で配置されたとされている。

 その翌年にダーイッシュが出現、その残虐性が宣伝された。その残虐な武装集団と戦うという名目でNATO軍、あるいはアメリカ主導軍が軍事侵攻、シリア政府を潰すというシナリオだったのだろう。

 アメリカでオバマ政権の副大統領が大統領に就任、オバマ政権と同じことをする可能性がある。それに対する準備をシリア政府だけでなく、イランもロシアも始めている。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102160001/

11. 2021年2月19日 19:52:22 : ggtj42tZ3E : MkF0VFlkVHpkbEE=[38] 報告

2021.02.19
米軍を中心とする勢力がシリアやイラクで軍事力を増強、緊張が高まっている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102190001/

 アメリカ主導軍がシリアの反政府勢力に対する支援を強化している。2月18日にも60台のトラックを連ね、イラクのクルド支配地域からシリア北東部のハサカ周辺へ軍事物資や装甲車両を運び込む光景を撮影した映像がインターネット上で公開されている。イラク政府はアメリカなどに対して撤兵するように求めてきたが、占領軍は無視している。それどころかNATO軍はイラクにいる部隊の規模を500名から4000名へ増やすのだという。

 イラクのクルドは1960年代後半からイスラエルの情報機関の影響下にある。クルドを率いていたムスタファ・バルザニはイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われ、その息子であるマスード・バルザニも同じだと見られている。アメリカはイラク北部にクルドの国を建設しようと目論んだこともあるが、クルド内部の反バルザニ派がこの計画に反対して挫折してしまった。

 アメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したのは2003年3月のこと。スンニ派を中心とするサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル派の体制を樹立する予定だったが、イラク国民の多数を占めるシーア派が同じシーア派のイランに親近感を持つことから親イラン派の政権が誕生してしまった。

 こうした状況を打開するため、イギリスの首相だったトニー・ブレアはブッシュ米大統領に対し、非宗教政権を倒してムスリム同胞団と入れ替えるように求めたという。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)

 ​シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いた記事​によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。

 その記事の中で引用されたジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができる。ただ、その勢力は「最悪のイスラム過激派」であり、彼らが入っている箱を開けたなら、2度と箱の中へ戻すことはできないとも警告していた。

 2009年1月に大統領はバラク・オバマに交代、2010年8月にはムスリム同胞団を使った体制転覆プラン、PSD-11を承認している。ブラア英首相の意向に沿う計画だ。そして「アラブの春」が始まり、リビアやシリアでは2011年春から戦争になる。これを西側では「内戦」と表現しているが、侵略戦争以外の何ものでもない。

 ムスリム同胞団は歴史的にイギリスと関係が深いが、アメリカの国務長官だったヒラリー・クリントンの側近中の側近と言われたヒューマ・アベディンもムスリム同胞団と結びついている。母親のサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導している人物だ。

 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ自身は惨殺された。その直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられている。(​ココ​や​ココ​)そうしたこともあり、反カダフィ軍の主力だったLIFGはアル・カイダ系であり、NATO軍がそのLIFGと連携していたことが明確になった。

 アメリカ政府が戦闘員や武器/兵器をシリアへ集中させていた2012年5月にロシア大統領がドミトリー・メドベージェフからウラジミル・プーチンへ交代して状況が大きく変化する。リビアのカダフィ体制が倒されようとしている時に手を拱いているばかりだったメドベージェフ大統領とは違い、プーチンはアメリカの前に立ちはだかった。しかもシリア政府軍はリビア軍より強い。

 そこで​オバマ政権は反シリア政府軍への支援を強化するが、そうした行為は危険だと警告する報告書が2012年8月にホワイトハウスへ提出​されている。アメリカ軍の情報機関DIAが出したのだが、その中で反シリア政府軍の主力はオバマ大統領が言うような「穏健派」ではなく、サラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘されている。「過激派」だということだ。

 それだけでなく、オバマ政権の政策はシリア東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告していた。これは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になり、残虐さを演出してアメリカ軍、あるいはNATO軍の介入を誘う。この時期、ダーイッシュの戦力は急拡大しているのだが、その一因はサダム・フセイン時代のイラク軍将兵が合流したからだとも言われている。

 そのダーイッシュやアル・カイダ系武装集団に大きなダメージを与えて支配地域を急速に縮小させたのが2015年9月にシリア政府の要請で介入したロシア軍。シリア政府に無断で軍隊をシリア領へ入れているアメリカ、シリア、フランスなどとは違う。

 この過程でアメリカの軍や情報機関は戦闘集団の幹部を救出、末端の戦闘員が残されることになった。イドリブの戦闘集団はトルコが後ろ盾になっている。ジハード傭兵が敗走する中、アメリカ政府が新たな手先として選んだのがクルドである。

 戦闘車両などが運び込まれている先の​ハサカではアメリカ軍が新たな軍事基地を建設​、戦闘員や物資を輸送するために滑走路も作られ、油田地帯に近いデリゾールでもアメリカ軍によって新しい航空施設を建設されている。シリアに対するイスラエルによる攻撃も激しくなっている。

 そうした攻勢に対抗して​ロシア軍は地中海に近いラタキアにあるロシア軍のフメイミム空軍基地の滑走路を拡張し、戦略爆撃機が離着陸できるようにした​。ジョー・バイデン政権は支配体制を「リセット」するため、軍事的な圧力を世界規模で強めている。中東は特に危険な状態だと言えるだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102190001/

12. 中川隆[-7221] koaQ7Jey 2021年2月21日 12:30:54 : 8zr4M1HZ5I : d2dDT2ZmcVFyV00=[12] 報告
2021.02.21
 WHO(世界保健機関)が昨年3月11日にパンデミックを宣言して以来ロックダウン(監禁政策)や「自粛」が実施されて人びとの移動や集会は制限され、言論の統制も強化されてきました。検閲の主体はシリコンバレーの巨大ハイテク企業ですが、その背後には強大な私的権力が存在しています。

 その私的権力はパンデミックを利用して資本主義を大々的に「リセット」すると宣言しています。今、世界的な規模でクーデターが進行中なのです。国を上回る力を得た私的権力が世界を統治する社会、つまりファシズム体制が築かれようとしています。2020年のアメリカ大統領選挙も結果としてファシズムが選ばれました。

 ロックダウンや自粛によって経済活動は麻痺し、少なからぬ企業や個人経営の店が倒産に追い込まれ、必然的に失業者、ホームレス、そして自殺者が増加しています。その一方で社会の収容所化が進み、人びとを監視、管理する仕組みも強化されてきました。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策を名目にした政策がそうした状況を作り出したと言えるでしょう。

 大多数の人が苦境に立たされていますが、一握りの富豪は資産を増やしています。​ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によりますと​、昨年3月11日にWHOがパンデミックが宣言してから12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達したといいます。

 アメリカを拠点とする私的権力の実働部隊として活動しているネオコンは1992年2月、アメリカ国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成しました。作業が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に行われたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。

 このドクトリンは日本にも大きな影響を及ぼしました。1995年2月にジョセイフ・ナイ国防次官補が発表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むための指針です。1990年代に日本の金融システムは大きなダメージを受けていますが、経済面では日本もアメリカのライバルだからにほかなりません。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成される2カ月前、ロシア大統領だったボリス・エリツィンはウクライナやベラルーシの首脳をベラルーシにあるベロベーシの森に集めて秘密裏に会談、ソ連を消滅させました。それを受けてのドクトリン作成でした。

 ネオコンのシンクタンクPNACはこの世界制覇プランをベースにして「アメリカ国防の再構築」という報告書を2000年に出しています。このシンクタンクは2006年に解散しましたが、その後、アメリカ政府の政策に大きな影響を及ぼしました。

 その報告書の中で、システムを革命的に変化させるためには「新パールハーバー」と呼べる壊滅的な出来事が必要だと分析。またソ連が消滅したことから東アジアの軍事的な戦略が重要になったと強調し、V-22オスプレイの導入が必要だとも書いていました。

 さらに遺伝子を政治的に利用する案も提示、「特定の遺伝子型をターゲットにできる生物戦争の進化形態は、生物戦争をテロの領域から政治的に有用な道具へ変質させられるかもしれない」としています。

 COVID-19騒動ではPCR検査(ポリメラーゼ連鎖反応)による「特定の遺伝子型」検出がポイントになっています。その遺伝子型が何を意味しているのかは今でも不明ですが、ともかくその遺伝子型がターゲットにされ、COVID-19は政治的に有用な道具になりました。クーデターを始める口実に使われたとも言えます。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102210000/

13. 中川隆[-7052] koaQ7Jey 2021年2月27日 00:51:48 : fc4jWQ0cBc : ejRZV2tYUkxaSU0=[41] 報告
2021.02.27
次期CIA長官は米上院情報委員会で中国を「恐ろしい独裁体制の敵」だと発言
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102270000/

 ジョー・バイデン大統領が次期CIA長官として指名している​ウィリアム・バーンズが2月24日に上院情報委員会に登場、中国は「恐ろしい独裁体制の敵」であり、「最も大きな地政学的試練を引き起こす」と述べた​。​ドナルド・トランプ政権と同じように​中国を攻撃するという意思の表明だ。

 アメリカをコントロールしている私的権力は支配的な地位を維持するために「資本主義の大々的なリセット」を始めている。これはWEF(世界経済フォーラム)の創設者であるクラウス・シュワブが宣言、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」が推進することになるのだろう。そのリセットを実現するためにはロシアや中国を制圧する必要がある。この方針にアメリカ政府は逆らうことができない。

 資本主義とは強大な私的権力がすべての富を吸い上げる経済システムであるため、早晩行き詰まる。そこで外国を侵略して略奪しなければならなくなるのだが、それが「帝国主義」にほかならない。必然的に帝国主義は世界制覇へ向かうことになるが、世界を制覇できていない段階でも略奪が滞ればシステムが崩壊する。

 この略奪を進めるために軍事力が使われる。アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将が戦争を「不正なカネ儲け」と表現したのはそのためだ。軍事力が不足していたイギリスは現地の支配者を手なずけたり、現地で傭兵を組織した。明治維新によって日本は事実上イギリスの傭兵になっている。

 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛けて勝利するが、内陸部を支配するだけの戦力はなかった。足りない戦力を補うため、イギリスは日本に目をつけたのだろう。

 1837年から1901年にかけての期間、イギリスはビクトリア女王が統治していた。1840年にザクセン-コーブルク-ゴータのアルベルトと結婚すると、この夫が助言者になるが、1861年に42歳で死亡。1890年代からはネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてセシル・ローズらが助言者になった。

 ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出し、大儲けした人物。1877年に書いた「信仰告白」の中で、アングロ・サクソンを世界で最も高貴な人種だと表現、その人種が支配地域を広げることは義務だと考えていた。

 ローズが『信仰告白』を書く13年前、トーマス・ハクスリーを中心として「Xクラブ」が作られている。その中には支配階級の優越性を主張する社会ダーウィン主義を提唱したハーバート・スペンサー、チャールズ・ダーウィンの親友だったジョセフ・フッカー、このダーウィンのいとこであるジョン・ラボックも含まれていた。彼らの思想の根底には優生学やの人口論があり、セシル・ローズたちとつながる。

 トーマス・ハクスリーの孫がディストピア小説『すばらしい新世界』を1932年に刊行したオルダス・ハクスリー。彼はイギリスの支配者が何を考えているかを熟知していただろう。

 アメリカはイギリスの長期戦略を踏襲している。ユーラシア大陸の周辺部分を支配し、内陸部を締め上げて中国、最終的にはロシア/ソ連を制圧するというものだ。この長期戦略は1904年にハルフォード・マッキンダーという地理学者が発表しているが、イギリス支配層の内部では19世紀には考えられていただろう。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。

 第2次世界大戦後、アメリカは基軸通貨を発行する特権を使い、その通貨を回収する仕組みを作った。必要なだけ通貨を発行し、インフレにならないよう、通貨を回収する仕組みだ。このドル体制が「アメリカ帝国」を支えているわけで、ドル体制が揺らぐと帝国も揺らぐ。現在、そうした状況に至っている。体制をリセットする必要が生じたのだ。

 現在、西側を支配している人びとがその地位を維持するためにも、長期戦略を完成させるためにも、中国とロシアを制圧する必要がある。アメリカ大統領がこうしたことに反対することは許されない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102270000/

14. 中川隆[-6893] koaQ7Jey 2021年3月06日 11:18:19 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[6] 報告
2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


 OECD(経済協力開発機構)の発表した加盟国の平均賃金が話題だ。日本は平均以下で、韓国を下回っているからだ。しかも、OECDはアメリカを中心とする西側諸国の集まりだが、落ち目である。


 アメリカの支配力を支えてきたのは基軸通貨であるドルを発行する特権。その特権がなければ各国のエリートを買収し、脅し、排除し、軍隊を世界に展開するといったようなことは不可能。その特権は世界の人びとがドルを交換の基本単位として認めているので成り立つ。貨幣を呪物として崇拝しているとも言える。カール・マルクスが言うところの「貨幣物神」だ。

 そのドル信仰を維持するために「ペトロダラー」の仕組みを作り、金融規制を大幅に緩和して投機市場を肥大化させた。「カジノ化」とも呼ばれたが、一種の金融マジックだ。

 しかし、ドル体制を支える金融システムが揺らいでいる。2008年9月にアメリカの大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズは連邦倒産法の適用を申請したが、この出来事は金融システムが危機的な状況にあることを世に知らしめた。このときはツケを庶民に回して乗り切ったが、その後も状況は改善されていない。

 そもそもカジノ化は行き詰まった資本主義システムを生きながらえさせるために導入された。生産を放棄し、投機でカネを回転させようとしたのだが、社会を実際に支えているのは生産活動であり、生産活動がなければ人間は生きていけない。

 しかし、経済のカジノ化を推進した人びとにとって商品やサービスはカネ儲けの手段にしかすぎない。生産活動に支えられている社会が見えていないとも言える。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/


 これまで資本主義の信奉者はシステムの行き詰まりを侵略と略奪で打開してきた。「帝国主義」、最近の用語を使うならば「グローバル化」だが、それも限界に近づいている。しかもドル信仰を放棄する国も出てきている。そうした流れの中心に存在しているのがロシアと中国。ドルを信仰している人びとにとってロシアや中国は「異教徒」であり、破壊の対象である。

 ロシアはソ連の中心国だったが、そのソ連とアメリカが核戦争の寸前になったことが何度かある。大韓航空007便がソ連領空を深々と侵犯、カムチャツカやサハリンにある軍事施設の上を飛行、モネロン島の上空で撃墜されたとされている1983年も非常に危険の状況だった。

 ソ連はアメリカが先制核攻撃を狙っていると疑っていたのだが、そう推測する動きは1979年頃に始まっている。この年の7月にアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとがエルサレムに集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いたのだが、実際はソ連を攻撃するプロパガンダについて話あっている。彼らはソ連を「テロリズムの黒幕」だと宣伝することにしていた。この年にはズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めていた。

 エルサレムでの会議を主催するために「ジョナサン研究所」が設立されたが、この名前は、イスラエル軍がウガンダのエンテベを攻撃した際に戦死したヨナタン(ジョナサン)・ネタニヤフの名前から採られている。この人物はイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの兄だ。

 1979年にはアメリカやイスラエルの傀儡だったイランの王制が倒れている。1月に国王が脱出、4月に「イスラム共和国」の建国が宣言された。7月にニカラグアでアメリカの傀儡でイスラエルと緊密な関係にあったソモサ一族の独裁体制がサンディニスタによって倒されている。

 同じ年の12月、NATOは戦術弾道ミサイル、パーシングIIを1983年からの西ヨーロッパに配備すると決め、西側では反対運動が起こる。そうした中、反戦運動の活動家でもあったジョン・レノンがカムバック、1980年10月には5年ぶりのシングル「スターティング・オーバー」を、また11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリースした。

 11月にはアメリカで大統領選挙があり、その投票でFBIの手先として生きていたロナルド・レーガンが勝利、副大統領にはCIAのジョージ・H・W・ブッシュが選ばれた。そして12月8日にレノンは射殺される。1981年10月に西ドイツで開かれた反核集会には約30万人が集まったが、レノンが生きていたなら、その規模は格段に大きなものになっていたと見られている。

 アメリカの動きを警戒、ソ連のKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は1981年5月に合同でRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させた。一触即発だ。

 そうした中、1982年11月に中曽根康弘が内閣総理大臣に就任、翌年の1月にはアメリカを訪問する。その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、日本を「巨大空母」と表現して問題になった。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。核戦争の危険性が高まっていた時、中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。ソ連がアメリカからの攻撃に神経をとがらせていたことを知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら核戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の集結は尋常でない。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 レーガン政権は1983年11月にパーシングIIを西ドイツに配備しているが、その月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。

 これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかとソ連政府は警戒、報復攻撃の準備を始めている。演習は5日間で終わるが、展開によっては核戦争になっていただろう。中曽根はそうした状況を作る手助けをしたわけだ。

 核戦争が回避された後、CIAはソ連を内部崩壊する工作を始める。その結果、1991年夏の段階でジョージ・H・W・ブッシュ大統領をはじめとするCIA人脈はイスラエルの情報機関を介してソ連の情報機関KGBの中枢と話をつけることに成功、ソ連を乗っ取ることで合意していた。ハンマー作戦だ。

 1991年の後半にはゴルバチョフを排除することに成功、欧米支配層の傀儡でこの年の7月にロシア大統領となったボリス・エリツィンが実権を握る。

 このエリツィンは同年12月にウクライナやベラルーシの首脳をベラルーシにあるベロベーシの森に集め、秘密裏に、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めてソ連を消滅させた。それ以降、約10年にわたってロシアを含む旧ソ連圏は西側の私的権力に支配されることになる。

 ソ連が消滅する直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたが、後にそれが400トンに減っていることが判明した。CIAとKGBの腐敗グループが盗んだと見られている

 結局、アメリカはソ連を内部崩壊させることに成功したが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンやその周辺がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功、シオニストの一派であるネオコンはジョー・バイデン政権を使い、ロシアを再び従属国にし、中国を制圧しようと目論んでいる。

 中国はケ小平の下でアメリカへ接近するが、そうした流れはリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国を訪問した時から始まる。その後「四人組」の抵抗はあったが、そのグループは1976年に失脚した。その当時、アメリカでは新自由主義によるカジノ経済化が始まっていたが、その教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、新自由主義が中国に広まっていく。

 ところが、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが深刻化。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化する。胡耀邦や趙紫陽を後ろだととするエリート学生は「改革」の継続を求めたが、労働者などから不満の声が高まりから軌道修正を図ることになった。胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれた。

 この辺の事情は繰り返し書いてきたので今回は割愛するが、1989年1月からアメリカ大統領はCIA出身(エール大学でリクルートされた可能性が高い)のジョージ・H・W・ブッシュ、そのブッシュが大使として中国へ送り込んだ人物がブッシュと昵懇の間柄にあるCIA高官のジェームズ・リリーだということは指摘しておきたい。

 なお、リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任しているが、この3名はいずれもエール大学の出身で、学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだ。中国の学生はリリーだけでなく投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。

 このロシアと中国をバラク・オバマ政権のネオコンは2014年に潰そうとする。ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデター、香港ではイギリスの情報機関MI6と手を組んで反中国運動を展開したのだが、これによって中露はアメリカを警戒する気持ちが強まり、両国の接近を招いた。

 アメリカやイギリスの私的権力は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」しようとしている。その環境作りに利用されているのがCOVID-19(そのために軍事的な緊張を高めているが(2019年-コロナウイルス感染症)騒動だ。あくまでも彼らの目的は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」して自分たちの支配システムを維持していくことにある。そうした目論見は全面核戦争を引き起こしかねない。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/

15. 中川隆[-6663] koaQ7Jey 2021年3月10日 08:42:58 : Uj2DKea5PM : ZUhYTnd1dThoMDY=[11] 報告
2021.03.10
ラテン・アメリカで民主勢力が逆襲の動き
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103100001/


 ブ​ラジル最高裁のエドソン・ファシンは3月8日、ルイス・シルバに出されていた全ての判決を無効にすると言い渡した​。2022年の大統領選挙に出馬する道が開かれた。まだ最高裁大法廷での審理が残っているものの、アメリカの私的権力は苦々しく思っていることだろう。

 シルバは2017年7月に汚職容疑で懲役9年6カ月の有罪判決を受けたのだが、その事件は裁判所と検察が共謀したと疑われていた。2019年6月にはインターネット・メディアの​インターセプトがこの疑惑を証明する会話記録を公表​している。

 インターセプトの記事によると、最初の裁判を担当したセルジオ・モロ判事は捜査が始まった直後から検察側の責任者だったデルタン・ダラニョールに対し、裁判や投獄に関するアドバイスや指示をしていた。この捜査はバラク・オバマ政権の司法省が支援していたと言われている。

 現在のブラジル大統領、ジャイル・ボルソナロは2019年1月に就任したが、その2カ月後にアメリカを訪問した。その際、​ドナルド・トランプ大統領と会う前にCIAの本部を訪れ、ジーナ・ハスペル長官と会談​している。彼の正体を象徴する出来事だ。

 ブラジルに限らず、民意に基づいて選ばれた政権はアメリカを拠点とする私的権力の利権にとって好ましくないことが少なくない。第2次世界大戦の前には海兵隊が介入していたが、大戦後にはCIAの秘密工作部門が現地の手先を使ってクーデターを起こしている。

 例えば、1953年6月にはイギリスの要請を受け、ウォール街の弁護士であるジョン・フォスター・ダレス国務長官(当時)とアレン・ダレスCIA長官(同)をの強大はイランのムハマド・モサデクを倒している。

 ラテン・アメリカの1948年4月にコロンビアのホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺され、54年6月にはグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権が軍事クーデターで潰された。1973年9月にはチリのサルバドール・アジェンデ政権もクーデターで倒されている。

 勿論、アメリカの私的権力に破壊された政権はこれらに留まらない。その大半が民主的に選ばれていた。アメリカは「民主主義を押し売りしている」と言う人がいるが、実際は民主主義を破壊してきたのだ。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街に巣くう私的権力はアメリカでもファシズム体制の樹立を目指し、1933年から34年にかけてクーデターを目論んでいる。

 ウォール街の金融資本がナチス体制へ資金を供給していたことは研究者やジャーナリストによって明らかにされてきた。ダレス兄弟のような弁護士にとって、ドイツの巨大企業も大切な顧客だ。その巨大企業の利権とナチスは結びついていた。

 ウォール街とナチスを結ぶ仕組みで中心的な役割を果たしていたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関。ブラウン・ブラザーズ・ハリマンはW・A・ハリマンがブラウン・ブラザーズを買収してできた会社で、W・A・ハリマンが創設された1919年当時に社長を務めていた人物がジョージ・ハーバート・ウォーカーである。

 このウォーカーの孫がジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュであり、ひ孫がジョージ・ウォーカー・ブッシュ。つまり、第41代アメリカ大統領と第43代アメリカ大統領だ。

 大戦中、アレン・ダレスはスイスのベルンで秘密工作を指揮していたが、ここでナチスと接触していたと見られている。スイスには資金面でナチスとつながっていたと言われているBIS(国際決済銀行)が設立されていた。BISの初代頭取ゲイツ・マクガラーはリチャード・ヘルムズの祖父。ヘルムズはダレスの側近として秘密工作に従事、1966年から73年にかけてCIA長官を務めている。

 ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本はファシストのスポンサーだと言わざるをえない。フランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派は第2次世界大戦が終わった後、こうした関係を暴くつもりだったかもしれないが、これは実現していない。ドイツが降伏する直前、1945年4月12日にルーズベルトが急死したからだ。

 ルーズベルトと同じように反ファシストで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは民主党の幹部たちによって1945年1月にそのポストから引きずり下ろされている。後任はシオニストの富豪を後ろ盾としていたハリー・トルーマンだ。戦後、アメリカではジョセフ・マッカージー上院議員を中心に「赤狩り」が展開され、反ファシスト派は粛清されてしまう。その間、CIAはナチスの元高官や協力者を救出、保護、さらに雇用している。日本でも似たことが行われた。

 少なからぬナチスの関係者をアメリカの政府機関はラテン・アメリカへ逃がした。「ブラッドストーン作戦」だ。逃走した人びとはそこでアメリカの巨大資本のために活動している。

 逃走ルートは「ラット・ライン」と呼ばれているが、この逃走工作をローマ教皇庁の大物が協力していた。ジョバンニ・モンティニ、後のパウロ6世である。その背後にはアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンのような情報機関の大物がいた。

 モンティニは戦後、ナチスの大物にバチカン市国のパスポートを提供し、逃走を助けている。「ラット・ライン」を1947年から動かしていたのはアメリカ陸軍第430CIC(対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐。ミラノに逃走支援工作を任されたのがポール・リオンズ中尉で、リオンズの接触した相手がクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父だった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この逃走ルートを利用して逃げたナチのひとりが「リヨンの屠殺人」と呼ばれたクラウス・バルビー。この人物は大戦中、フランスのリヨンでゲシュタポの指揮官を務めていた。

 バルビーもラテン・アメリカで活動、1980年7月にはボリビアのクーデターに加わっている。このクーデターも背後にはアメリカの私的権力が存在、現地の軍人と大物麻薬業者が手を組んで実行した。このクーデターに限らず、ラテン・アメリカでクーデターや「死の部隊」を指揮してきた軍人の大半はSOAの出身者。

 この施設は1946年にアメリカ政府がパナマで設立、対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教えていたが、1984年にパナマ政府から追い出され、アメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングへ移動。2001年には「西半球治安協力研究所(略称はWHISCまたはWHINSEC)」へ名称を変更した。

 ブラジルもこうした軍人たちによって支配されていたが、同じような国はアメリカ政府の下、連携していた。1975年9月ころにはチリ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、パラグアイ、そしてウルグアイの軍事政権の情報機関が参加し、巨大資本の利権にとって目障りな人びとを誘拐したり暗殺したりしている。その連合体が「コンドル」だ。

 1999年にベネズエラでウゴ・チャベスが大統領に就任して以来、そのラテン・アメリカへ民主化の波が押し寄せた。例えば2003年にブラジルでルイス・シルバ、アルゼンチンでネストル・キルシュネル、06年にはボリビアでエボ・モラレス、ホンジュラスでマヌエル・セラヤ、07年にはエクアドルでラファエル・コレアがそれぞれ大統領に就任している。

 こうした民主的な政権を支えていたのがベネズエラの石油だったのだが、石油相場の急落もあり、ウォール街の逆襲にあった。ベネズエラに対するクーデター作戦は進行中だ。

 しかし、そうした流れを再び民主化の方向へ戻そうとする力も働き始めている。そのキーパーソンはメキシコのアンドレ・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領だろう。2018年に就任している。ロックダウンなどによって人びとを封じ込めようとしているヨーロッパ各国の首脳を激しく批判する一方、新自由主義に反対している。

 メキシコはCIAを後ろ盾とする麻薬業者に支配されてきた国で、クーデターで倒される恐れもあるが、民主化を目指す力が強まっていることは否定できない。ブラジルでの判決もこうした流れが影響しているのだろう。

 ラテン・アメリカだけでなく、東アジアでも中東でもジョー・バイデン政権は力で押し切ろうとしているようだ。すでにルビコンを渡った彼らとしては死に物狂いで押し切ろうとするだろうが、裏目に出る可能性がある。COVID-19の幻影が消えたなら致命的だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103100001/

16. 中川隆[-6630] koaQ7Jey 2021年3月11日 15:32:19 : tMihqEAZ8k : OWp0eGdKVXNEQ3M=[43] 報告
2021.03.11
スキャンダルで有力者を脅し、操ってきた人脈がCOVID-19につながる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103110000/


 アメリカでは第2次世界大戦が終わった直後から1950年代の半ばにかけて反ファシズム派が粛清された。その中心で活動していた人物がジョセフ・マッカーシー上院議員である。議員を操っていたのはFBIのJ・エドガー・フーバー長官であり、法律顧問としてロイ・コーンなる人物がすぐそばにいた。

 コーンは禁酒法時代に密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと「親子のように」親しく、犯罪組織ガンビーノ・ファミリーのメンバー、例えばジョン・ゴッチの法律顧問にもなっている。その後ドナルド・トランプの顧問になった。このローゼンスティールは密造酒を売っていただけでなく、有力者のスキャンダルを探し出し、恐喝をしていたと言われている。コーンは反ファシスト狩りをしただけでなく、有力者を脅していた可能性が高い。

 コーンが親しくしていたひとりが化粧品で有名なエステイ・ローダーだと言われている。エスティの息子、ロバート・ローダーはドナルド・トランプとペンシルベニア大学時代からの友人で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しく、「世界ユダヤ人会議」の議長だ。

 ローダーの前に「世界ユダヤ人会議」の議長を務めたエドガー・ブロンフマンも密造酒の家系で、父親のサミュエル・ブロンフマンはローゼンスティールの仲間。エドガーの弟、チャールズが1991年に創設した「メガ・グループ」はイスラエル・ロビーとされているが、イスラエルの情報機関と緊密な関係にあるとも伝えられている。

 シオニストの一派、ネオコンは1992年2月に世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成した。手始めにユーゴスラビアの解体を目論むが、1993年に大統領となったビル・クリントンは戦争に消極的。そのクリントンはスキャンダル攻勢で機能不全の状態に陥るが、ネオコンは開戦に漕ぎ着けることができなかった。

 状況が変化するのはモニカ・ルウィンスキーなる女性との関係が明るみに出てから。ルウィンスキーは1995年から96年にかけてホワイトハウスでインターンとして働いていたが、その際に大統領と性的な関係を持ったとされている。

 そのルウィンスキーとの電話での会話をリンダ・トリップなる女性が録音、それが1997年10月に公表されたのだが、トリップに録音を勧めたルチアーナ・ゴールドバーグは1972の大統領選挙でジョージ・マクガバン陣営にスパイとして潜入していたことで知られている。

 開戦を止めていたのは国務長官のクリストファー・ウォーレンだと見えられているが、1997年1月に長官が好戦派のマデリーン・オルブライトに交代、状況は一変した。オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だ。この人事を大統領に働きかけていたのはヒラリー・クリントン、つまり大統領の妻だと言われている。

 エドガー・ブロンフマンの関係で情報機関の活動に引き込まれたひとりがジェフリー・エプスタインである。コーンやローゼンスティールたちと同じように、未成年の女性と有力者との行為を盗撮し、それを利用して後に恫喝の材料に使っていたと言われている。その​エプスタインは2011年にビル・ゲイツと親しくしていた​とニューヨーク・タイムズ紙が伝えたのは2019年10月12日のことだった。

 エプスタインはイスラエルの情報機関に雇われていた可能性が高い人物。彼の妻だったのはギスレイン・マクスウェルであり、その父親はイギリスのミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、ロバートは1960年代からイスラエルの情報機関のエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。イスラエル軍の情報機関ERDに所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、3名ともイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)

 エプスタインが逮捕されて間もない2019年7月31日、ニューヨーク・タイムズ紙は彼が​ニューメキシコの牧場で自分のDNAによって複数の女性を妊娠させる計画を持っていた​と伝えたが、ノーベル賞を受賞したような著名な科学者をエプスタインが招待していることから優生学的な実験を行おうとしていたのではないかとも言われている。

 そのエプスタインは8月10日に留置所の中で死亡した。死の前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだという。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。

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17. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2021年3月13日 00:08:08 : FFEc7lnW0c : SnRBUllOVGVpeWM=[6] 報告
2021.03.13
バイデン政権はウクライナでも戦争を始める構え
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103120001/


 ウクライナの国内情勢は悪化の一途をたどっている。2019年5月に大統領はペトロ・ポロシェンコからウォロディミル・ゼレンスキーへ交代したが、その流れを変えられないでいる。相変わらずネオコンを後ろ盾とするネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)に支配されている。

 状況が急速に悪化しはじめたのは2014年2月。ネオ・ナチを中心とするクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒してからだ。クーデター派はおそらくヤヌコビッチを拘束、あるいは殺害する予定だったのだろうが、逃げ出すことに成功した。

 このクーデターはいわゆる「オレンジ革命」と深く結びついている。ヤヌコビッチはウクライナの東部と南部を支持基盤とし、ロシアとの関係を重視していた。この政治姿勢はアメリカをはじめとする西側の私的権力の利権にとって好ましくないため、2度にわたって排除されたのである。

 2004年の選挙で勝利、大統領に選ばれたヤヌコビッチを排除し、配下のビクトル・ユシチェンコにすげ替えるため、西側は「不正選挙だ」とする宣伝しはじめる。この工作は成功、ユシチェンコが2005年1月から2010年2月まで大統領を務めることになった。

 この政権は西側の命令に従って新自由主義を導入、一部の腐敗勢力が巨万の富を築く一方で大多数の庶民は貧困化。庶民の支持を失ったユシチェンコは2010年の選挙で敗北、再びヤヌコビッチが選ばれるが、ネオコンはまた政権を転覆させようとする。

 ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したという。

 この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知った国務次官補のビクトリア・ヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。

 その会話でヌランドは次の政権についても言及している。彼女が強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。

 キエフでは2月18日頃からネオ・ナチが活動を活発化させる。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めたのだ。

 この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていたことからロシア政府は対応しにくい状況。それもネオコンは計算に入れていたのだろう。

 ネオ・ナチのグループはオレンジ革命が仕掛けられた2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けたと言われている。またポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも伝えられている。

 ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへ電話で次のように報告しているのだ:

 「​全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強く理解している。​」

 この報告を裏づける証言が2017年11月に出てきた。イタリアで放送されたドキュメント番組の中で、3人のジョージア人が狙撃したのは自分たちだと語っているのだ。

 この3人は治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたのだが、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。(​その1​や​その2​)この3人も狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだと語っている。この証言は他の証言と合致する。

 こうしたクーデターを現場で指揮していたのはビクトリア・ヌランドだが、ホワイトハウスにおける総指揮者は副大統領だったジョー・バイデンにほかならない。クーデター後、ジョーの息子であるハンターが汚職事件に関係してくる背景はここにある。

 クーデターでヤヌコビッチが排除された後、ヤツェニュクと同じネオコンの操り人形だったアレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に就任するが、2014年6月からはチョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれていたペトロ・ポロシェンコが大統領になる。

 ウィキリークスが公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電によると、​ポロシェンコはアメリカ政府へ情報を提供してきた人物​。欧米の支配者を黒幕とする「オレンジ革命」で登場した銀行員あがりのビクトル・ユシチェンコと親しかったことでも知られている。

 そうした背景があれば当然だが、ポロシェンコも西側の私的権力に奉仕、国民を貧困化させる。そこで2019年の選挙で国民はゼレンスキーを選んだ。ロシアとの関係を修復し、ウクライナ東部にあるドンバス(ドネツクやルガンスク)の問題を解決するとしていたが、ネオ・ナチからの恫喝もあり、何もできないでいる。

 そうした中、国内の混乱は加速度的に深まり、アメリカのバイデン政権は軍事的な緊張を強めている。NATOの艦隊がウクライナのオデッサへ入った。

 オデッサもクーデターに反発する住民が多かった。その住民を屈服させるため、2014年5月2日にクーデター政権はネオ・ナチのグループを使い、住民を虐殺している。この虐殺には三重国籍の富豪でシオニストのイゴール・コロモイスキーが関与したと言われている。

 虐殺は4月下旬に開かれたクーデター政権の幹部による会議で話し合われたと言われているが、その前、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサに対する工作が話し合われたのだ。

 バラク・オバマ政権の副大統領としてクーデターの中枢にいたバイデンは現在、大統領である。その政権がウクライナの戦争を再び激化させようとしても不思議ではない。キエフ軍が東へ移動しているという情報もある。東アジアや中東と同じようにウクライナも焦臭くなってきた。そうした中に日本人もいるのだとうことを理解する必要がある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103120001/

18. 中川隆[-6518] koaQ7Jey 2021年3月17日 21:18:30 : g5mRlSAvEk : TE01a3RqQ21Pcm8=[21] 報告
2021.03.17
米国の国務長官と国防長官が来日、中国に対して威圧的で攻撃的な姿勢を示した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103170001/


 アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官が3月15日に来日し、翌日には茂木敏充外相と岸信夫防衛相に会い、その後に開かれた記者会見でブリンケン長官は中国の「威圧的で攻撃的な姿勢」を批判した。オースチン国防長官はミサイルで有名なレイセオンの重役を務め、ブリンケン国務長官はCSISのシニア・フェローだった人物。

 言うまでもなく、「威圧的で攻撃的な姿勢」を示しているのはアメリカにほかならない。本ブログでは繰り返し指摘しているように、遅くとも20世紀初頭、おそらく19世紀から続くイギリスの長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸部を締め上げていくというもの。最終的にはロシアを制圧し、世界の覇者になるというプランだ。

 この長期戦略を引き継いだのがアメリカで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。

 こうした米英の戦略に対抗するため、ロシアはシベリア横断鉄道を建設し、今ではパイプラインや道路を建設して対抗している。中国が打ち出している「一帯一路」は「海のシルクロード」と「陸のシルクロード」で構成され、「海のシルクロード」の東端が南シナ海から東シナ海にかけての海域だ。

 2015年6月、総理大臣だった安倍晋三は赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で​「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」​と口にしたというが、これはアメリカの手先として日本は中国と戦いますということを意味している。

 南シナ海を支配できれば中国の海運をコントロールでき、中東からのエネルギー資源輸送を断つこともできる。中国がミャンマーでパイプラインを建設、パキスタンでも輸送ルートを建設しようとしている理由もそこにある。ミャンマー情勢は理解するためには、こうした背景を頭に入れておく必要がある。現在の混乱を利用し、中国のミャンマー・ルートをアメリカは潰そうとするだろう。

 米英の長期戦略を知れば、彼らにとって日本は重要な場所にあることがわかる。日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る弧状に並ぶ島々はアメリカにとって重要な意味を持つ。

 イギリス系の私的権力は中国を侵略するためにアヘン戦争を仕掛け、一応勝利したが、内陸を支配することはできなかった。それだけの戦力がなかったからだ。そのイギリスの支援を受けてクーデターを成功させたのが長州や薩摩を中心とする勢力。明治政府がイギリス政府や同国を拠点とする巨大資本と関係が深くなるのは必然だった。

 クーデターで実権を握った薩長は明治体制を樹立、続いて琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発する。そして日清戦争、日露戦争へと進んだ。当時も今も日本の役割に大きな差はない。

 日本は米英の支配下にあり、今後も彼らの手先として動くことになるのだろうが、その他の東アジア諸国は日本のようには従属していない。日本がイギリスの従属国であるオーストラリアがRAA(相互アクセス協定)を結ぶのはそのためだろう。

 この協定は日本とオーストラリアの軍事演習や軍事作戦を迅速に行うためのもので、グローバルNATOを視野に入れている。NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグはNATO2030なるプロジェクトを始めると今年6月8日に宣言、NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにする計画を明らかにした。ただ、ニュージーランドや韓国がどう動くかは明確でない。

 21世紀に入り、世界支配を目指すアメリカに足並みをそろえている国の代表的な国はイギリスやフランス。​フランスは潜水艦を、イギリスは空母を中心とする艦隊をそれぞれ東アジアへ派遣​している。そのほかカナダは1月に自国の戦艦を台湾海峡へ派遣した。

 アメリカが新疆ウイグル自治区の「人権問題」を宣伝している理由も南シナ海や東シナ海の話と共通している。この自治区は「陸のシルクロード」の要衝なのだ。

 ここには約1000万人のイスラム教徒が住んでいるが、その中へサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が入り込んでいる。中東や旧ソ連圏でアメリカなどの手先として活動してきた、つまりアル・カイダ系戦闘集団の主力だ。

 2018年には約100万人のウイグル人が再教育キャンプへ送り込まれ、約200万人が再教育プログラムに参加させられていると「人種差別削減委員会」のゲイ・マクドーガルが発表した。

 この委員会は人種差別撤廃条約に基づいて設置されたNGO。国連の機関ではない。マクドーガルが信頼できる情報源としているのは​CHRD(中国人権防衛ネットワーク)​だ。このCHRDの情報源は8名のウイグル人にすぎない。

 CHRDと並ぶウイグル問題の情報源はキリスト教系カルトの信者であるエイドリアン・ゼンズ。「神の導き」でコミュニズムと戦っているというタイプの人間だ。1993年にアメリカ政府が設立した「コミュニズムの犠牲者記念基金」でシニア・フェローとして中国問題を研究していた。

 この基金を創設したのはレフ・ドブリアンスキーとヤロスラフ・ステツコである。ステツコはウクライナでナショナリストを自称していたステファン・バンデラ派、つまりOUN-Bのナンバー2だった。この組織は第2次世界大戦中、ナチスと関係があり、ステツコも例外ではない。ナンバー3だったミコラ・レベドは第2次世界大戦が勃発した1939年にゲシュタポ警察学校へ入学している。

 1946年に彼はイギリスの情報機関MI6のエージェントになり、ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長に就任している。この団体は1966年にAPACL(アジア人民反共連盟/後のアジア太平洋反共連盟)と合体、WACL(世界反共連盟)になった。WACLはその後、WLFD(自由民主主義世界連盟)に改名された。

 ゼンズが「100万人説」の根拠にしているのは亡命ウイグル人組織がトルコを拠点にして運営している「イステクラルTV」。そこに登場するETIM(東トルキスタン・イスラム運動)のメンバーが情報源だが、このETIMはアメリカ政府や国連の安全保障理事会もアル・カイダ系だとしていた。

 この組織から推計1万8000名がシリアへ戦闘員として送り込まれている。戦闘員の一部は新疆ウイグル自治区からカンボジアやインドネシアを経由、トルコの情報機関MITの手引きで戦闘員としてシリアへ入ったようだ。ETIMの政治フロントがTIP(トルキスタン・イスラム党)だ。

 日本の過去と現状を考えると、アメリカの主張に同調することが個人的な利益につながることは明白だろう。安全だとも言える。事実を尊重しようとするなら、それはアメリカの私的権力が定めた枠からはみ出すことになり、不利益につながる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103170001/

19. 2021年3月18日 09:33:25 : dzHoUYWlyY : RjZTcGp4cTNLSms=[4] 報告
2021.03.18
ボリビアのモラレス大統領排除にリチウム利権を狙うイギリス政府が関わっていた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103180000/


 ボリビアでは2019年11月にクーデターでエボ・モラレス大統領が排除され、その後20年11月までヘアニネ・アニェスが「暫定大統領」を名乗っていた。このアニェスが逮捕され、クーデターを仕掛けた勢力の利権が揺らいでいる。

 クーデター当時から目的は、電池を製造するために需要が急増しているリチウムの利権だと言われていた。​この資源はボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる地域に存在​、ボリビアだけで埋蔵量は世界全体の5割から7割という。電池自動車の実用化が進んでいる​中国がボリビアとの関係を強めていた​一因はそこにある。モラレス政権は中国へリチウムを輸出するだけでなく、ロシアやドイツをパートナーにしたがっていたとも言われている。

 ボリビアを含むラテン・アメリカを北アメリカの私的権力は「裏庭」と位置づけ、植民地として収奪してきたが、​モラレスを排除した流血のクーデター直後、イギリス政府は新体制を支持していたことが判明​している。

 2018年にボリビアのイギリス大使館はある企業のボリビアへの進出を後押ししているが、その企業はイギリスの情報機関(対外情報機関のMI6、治安機関のMI5、電子情報機関のGCHQ)がアメリカのCIAと協力して設立したものだった。CIAの前身、OSSにとってイギリスの情報機関は師匠的な存在で、その後も関係は深い。MI6の背後にはシティ、CIA/OSSの背後にはウォール街が存在しているが、シティとウォール街、つまり米英両国の金融資本は緊密な関係にある。

 イギリス政府は2019年6月にリチウム電池の技術を産業戦略の優先事項だと宣言、​クーデター政権は中国との契約を見直すと発言​していた。クーデターはイギリスの戦略に沿うものだ。

 クーデターは中産階級より豊かな階層を母体とする人びとの抗議活動から始まった。それを受け、軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンがモラレスに「最後通牒」を突きつけ、マンフレド・レイェス・ビラ、レンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラといった軍幹部が同調した。

 こうしたクーデター派の背後にはアメリカの情報機関からの協力を得ていたイギリスの私的権力が存在していた。アニェスの逮捕はその私的権力が描いていた戦略を揺るがす。反撃に出てくるだろう。イギリスは東アジアでの活動をさらに活発化させるかもしれない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103180000/

20. 中川隆[-6493] koaQ7Jey 2021年3月19日 13:35:25 : XaF5TPsry2 : bG5IWDJHbksveFU=[6] 報告
2021.03.19
自らがクーデターを成功させたウクライナで新たな戦争を画策するバイデン
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103190000/


 ウクライナで軍事的な緊張が高まっている。​キエフ政権は新たな部隊を東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)へ派遣​しているが、それだけでなくトルコ政府がキエフ政府へ軍事的な支援を始めた。トルコは中国の新疆ウイグル自治区でも活発に動き始めている。こうした状況を作り出している最大の原因はアメリカの新政権にあるだろう。

 ジョー・バイデンはアメリカ大統領に就任してからロシアや中国に対する軍事的な挑発を強め、中東でも緊張を高めている。アメリカのネットワーク局ABCニュースの番組では​ウラジミル・プーチン露大統領を「人殺し」と表現することを肯定、何らかの形で「報復」するとしている​。報復の根拠は​アメリカの情報機関による分析​らしいが、2001年9月11日以来、アメリカの情報機関は基本的に政府が望むストーリーを書いている。そうした分析の根拠がないに等しいのだ。

 アメリカやイスラエルは「脅せば屈する」というチンピラ的な発想が支配的だ。バイデンもそう考えているかもしれないが、すでにアメリカは一線を越えてしまった。「ルビコンを渡った」のである。当然、ロシアや中国などの対応は厳しくなる。駐米ロシア大使のアナトリー・アントノフがモスクワへ戻り、アメリカ情勢について説明しているのも、そうした現れだろう。

 現在のキエフ体制は2014年2月、ネオ・ナチを中心とする武装集団によるクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒して成立した。そのクーデターを背後から操っていたのがアメリカのバラク・オバマ政権である。

 クーデターの現場では国務次官補だったビクトリア・ヌランドが動き回っていたが、ワシントンから指揮していたのはジョー・バイデン副大統領だった。クーデターから2カ月を経た4月22日にバイデンはキエフを訪問、クーデター政権の背後にアメリカが存在していることをアピールした。

 このキエフ訪問でバイデンが会談したひとりがペトロ・ポロシェンコだ。​ウィキリークスが公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電によると、この人物はアメリカ政府へ情報を提供​、「オレンジ革命」と名づけられたクーデターで登場したビクトル・ユシチェンコと親しかったことでも知られている。

 このクーデターの目的は2004年11月に行われた大統領選挙で勝利したヤヌコビッチを排除することにあった。選挙の直後から2005年1月にかけて反ヤヌコビッチ工作は続く。ユシチェンコ陣営はまず選挙の不正を主張し、デモや政府施設への包囲を始めて国内を混乱させて政権奪取に成功したのだ。その背後にはジョージ・W・ブッシュ政権が存在していた。

 ユシチェンコ政権はNATOへの加盟を望み、新自由主義的な政策を導入した。腐敗勢力が巨万の富を得る一方、大多数の国民は貧困化する。そこで2010年の選挙で再びヤヌコビッチが大統領に選ばれ、オバマ政権はヤヌコビッチを排除したわけだ。ウクライナ政策はブッシュ・ジュニア政権もオバマ政権も同じということになる。つまり、アメリカを支配する私的権力の意思だ。

 クーデター後、ジョー・バイデンの息子、​会社と父親を結びつけた​。毎月8万3000ドルを5年にわたって得ている。ブリスマを経営するミコラ・ズロチェフスキーはマネー・ロンダリングや脱税の容疑で捜査対象になっていた。

 捜査を指揮していた当時の検事総長、ビクトル・ショキンによると、数カ月にわたってバイデン副大統領から捜査を止めるように圧力がかかったという。ショキン解任しないと10億ドルの融資を取りやめると脅したとバイデンは語っている。

 またFOXニュースのジョン・ソロモンによると、​2015年終わりから16年初めにかけてバイデンは検事総長を解任するようウクライナ側に圧力をかけていた​と6名ほどのウクライナの高官が語っている。ウクライナの議員、アンドリー・デルカチによると、バイデンはブリスマからロビー会社を介して90万ドルを受け取ったという。

 ブリスマにバイデンが関わった別の理由があるとする説もある。この会社の真のオーナーはズロチェフスキーでなく、イゴール・コロモイスキーだと言われているのだが、このコロモイスキーの闇が深い。ブリスマは単なる天然ガス会社でない可能性がある。

 コロモイスキーはウクライナ、キプロス、そしてイスラエル、3カ国の国籍を持つ人物で、2014年のクーデターで黒幕的な役割を果たしていた。ネオ・ナチを主力とする武装集団のスポンサーとしても知られている。クーデター直後、ウクライナの軍や治安機関から優秀なメンバーはネオ・ナチの配下に入ることを嫌って独立派へ参加、キエフ軍は脆弱だった。そこでアメリカの傭兵会社から戦闘員を派遣させているが、同時にネオ・ナチを「親衛隊」的な武装集団にしている。

 ところで、バイデンは1972年の上院議員選挙で当選している。その当時、彼に助言していたのは富豪のW・アベレル・ハリマン。ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたるプレスコット・ブッシュとエール大学の同窓で、ふたりとも学生の結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーだった。

 ウォール街の大物だったジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘とプレスコットは1921年に結婚、24年にはウォーカーが社長を務めていた投資銀行の「A・ハリマン」の副社長になり、31年には「ブラウン・ブラザース・ハリマン」の共同経営者になる。ブラウン・ブラザース・ハリマンを設立したE・H・ハリマンはW・アベレル・ハリマンの父親だ。

 その当時、このブラウン・ブラザース・ハリマンはディロン・リードと同様、アメリカからドイツへの主要な投資ルートだった。プレスコットはW・アベレル・ハリマンらとドイツ企業との手形交換業務を行う名目で「ユニオン・バンキング」を創設するが、この投資銀行はウォール街がナチスへ資金を流す主要なパイプラインのひとつだったとされている。つまりバイデンは「ナチスの系譜」に属している危険な人物だ。彼の好戦的な姿勢はW・アベレル・ハリマンの助言から始まっているのだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103190000/

21. 2021年3月20日 10:55:21 : LRGR9xOt0w : SElKY3RQejZJUFE=[18] 報告
2021.03.20
世界経済の死滅を待つハゲタカ・ファンドと黒幕の金融資本
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103200000/


 経済麻痺の段階から経済死滅の段階へ移行しつつあるように見える。そうした状況を作り出しているのは「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策」にほかならない。

 経済システムが死ぬと経済ハゲタカが群がってくる。その背後にいるのが強大な金融資本、つまり私的権力だ。1990年代の後半から日本でも暗躍したが、その正体を知るにはその前、1991年12月にソ連が消滅した後のロシアを見るべきだろう。

 ソ連では1980年代に最高指導者が次々と入れ替わった。1982年11月にレオニード・ブレジネフが75歳で死亡した後、84年2月にはユーリ・アンドロポフが69歳で、85年3月にはコンスタンチン・チェルネンコが73歳でそれぞれ死亡している。その次がミハイル・ゴルバチョフだ。ゴルバチョフは「改革」に乗り出すが、それを考え出したのはKGBの頭脳とも言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだとされている。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 ボブコフはKGBの同僚だったアレクセイ・コンドーロフと同じように、ジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIAのネットワークと連携していたとする情報がある。ボリス・エリツィンはコンドーロフに引き上げられた人物だ。ボブコフやコンドーロフの上にいたのが1982から88年にかけてKGBの議長を務めたビクトル・チェブリコフだとされている。こうしたCIA人脈とKGBの中枢がソ連を消滅させ、解体して資産を盗むことになる。(前掲書)

 ブッシュはウォール街から出てきた人物である。母方の祖父は「A・ハリマン」の社長を務めていたジョージ・ハーバート・ウォーカー。その娘と結婚したプレスコット・ブッシュが父親だ。プレスコットは1924年にA・ハリマンの副社長に就任した。

 A・ハリマンはその名の通り、ハリマン一族の会社。その一族とプレスコットは親しく、W・アベレル・ハリマンと「ユニオン・バンキング」という銀行を1942年に設立している。その名目はドイツ企業との手形交換業務だが、ナチスを資金面から支えることが目的だったとも言われている。​このユニオン・バンキングとブラウン・ブラザーズ・ハリマンはドイツへ金、燃料、鉄鋼、石炭、アメリカの財務省証券などを運んだ​と伝えられている。

 その頃、アレン・ダレスもウォール街へ足を踏み入れている。プリンストン大学を卒業してから外交官になり、1921年にはイギリスのタイムズ紙やアメリカのニューヨーク・タイムズ紙に「シオン賢者の議定書」は偽書だとする主張を書いている。

 1926年にウォール街の大手法律事務所「サリバン・アンド・クロムウェル」へ入り、27年には「ジュネーブ海軍軍縮会議」に法律顧問として参加している。ちなみに、彼が司法試験に合格したのは1928年のことだ。サリバン・アンド・クロムウェルの顧客の中にはドイツの大手企業も含まれていた。

 プレスコット・ブッシュとアレン・ダレスは同じ時期にウォール街の住人になり、ともにドイツと関係している。こうしたことからふたりは親しくなった。プレスコットの息子であるジョージ・H・W・ブッシュを小さい頃からダレスは知っていただろう。ジョージ・H・Wはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、幼い頃からその道はできていたのではないだろうか。

 ソ連を消滅させるため、エリツィンとロシアのゲンナジー・ブルブリスは1991年12月にウクライナの大統領や首相、ベラルーシのソビエト最高会議議長と首相をベロベーシの森に集めて秘密会議を開き、ソ連からの離脱を決めた。そしてソ連は消滅することになる。ソ連は存続すると考えていた大多数の人びとは対応できず、大混乱に陥る。

 ジョージ・H・W・ブッシュやフィリップ・ボブコフを中心とする米ソの情報機関人脈はソ連を潰して解体、甘い汁を吸った。その手先に使われた若者、例えば、ミハイル・ホドルコフスキー、アレックス・コナニヒン、ロマン・アブラモビッチ、ボリス・ベレゾフスキーたちは巨万の富を築き、「オリガルヒ」と呼ばれるようになる。混乱に乗じて国の資産を盗みまくったのである。

 ソ連消滅後、略奪の中心にはボリス・エリツィンの娘、タチアナがいた。1996年にボリスはタチアナを個人的な顧問に据えたが、2000年にウラジミル・プーチンから解雇される。それに対し、彼女は2001年にエリツィンの側近で広報担当だったバレンチン・ユマシェフと再婚。

 ユマシェフの娘であるポリナ・ユマシェバと結婚したオレグ・デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨するイスラエル系オリガルヒ。彼はナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。

 タチアナの利権仲間であるアナトリー・チュバイスは1992年11月にエリツィンが経済政策の中心に据えた人物で、HIID(国際開発ハーバード研究所)なる研究所と連携していた。ここはCIAの工作資金を流していたUSAIDからカネを得ていた。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015)

 こうした政策に議会は反発、1993年3月に立ち上がるのだが、国民の意思ではなく西側巨大資本の命令に従っていたエリツィンは国家緊急事態を宣言、9月に議会を解散し、憲法を廃止しようとする。議員側はエリツィンの行為はクーデターだと非難、自分たちの政府を樹立すると宣言して少なからぬ議員が議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるのだが、エリツィン大統領は戦車に議会ビルを砲撃させた。議会ビルに立てこもって殺された人の数は100名以上、議員側の主張によると約1500名に達するという。プーチン時代になって腐敗勢力は弱体化したが、一掃されたわけではない。

 エリツィン時代のクレムリンは西側の巨大資本と結びついた犯罪組織に支配され、街は犯罪者と売春婦であふれたと言われている。国が破綻するとよく見られる光景だ。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策」によって、そうした状況が世界規模で作られる可能性がある。世界の富を独占しようとしているとも言える。

 パンデミック騒動で少なからぬ国がロックダウン(監禁)策をとり、社会の収容所化が進んでいる。生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化し、倒産に追い込まれるケースも少なくない。必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになった。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつある。

 そうしたパンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」をするとWEF(世界経済フォーラム)の創設者、クラウス・シュワブは宣言した。そのプランを実行する主体になりそうな団体がリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」だ。その障害になりそうなロシアや中国と戦争を始めることも考えられる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103200000/

22. 2021年3月26日 08:38:48 : RGiSZl5RR1 : MDg5UmRkd3RZNlE=[6] 報告
番外編1 現在の米中関係は米中だけを見ていてはわからないので
2021/03/26





23. 中川隆[-6270] koaQ7Jey 2021年3月28日 08:18:10 : hlSP5Dnd0Q : YlNjM1dDbFJjQUU=[13] 報告
番外編2 アメリカはなぜ強力にイスラエルをバックアップするのか
2021/03/27





番外編3 中国共産党は今後どのように「料理」されるのか?
2021/03/28


24. 中川隆[-6127] koaQ7Jey 2021年4月02日 05:35:52 : Ft8UfP6Ll6 : dnpvazRXendDazY=[7] 報告

2021.04.02
計算間違いを訂正できないアメリカの支配者たち
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104020000/

 ジョー・バイデン政権が世界規模で恫喝戦術を展開する中、ロシア、中国、イランは結束を強め、そこへインドやパキスタンも加わろうとしている。

 3月22日にロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が中国を訪問して桂林で王毅外交部長と会談、両国の同盟関係をアピールした。翌日、中国とロシアは貿易決済で自国通貨を使うようにすることで合意、つまりドル離れを確認している。

 その後、イランと中国は戦略的協力関係を25年に渡って維持することで合意、インドとパキスタンの関係は修復へ、そしてインドとイランも関係の強化へ向かっている。インドと中国との対立も緩和されている。

 ロシアと中国はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)という形でネットワークを築いていた。

 ロシアは経済の交流を目指し、EEF(東方経済フォーラム)やSPIEF(サンクトペテルブルク国際経済フォーラム)を毎年開催してきた。昨年からCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動で世界の経済活動は麻痺しているが、EEFやSPIEFは続けられるようだ。

 それに対し、アメリカ政府は軍事的な結束を強めようとしている。3月12日にはアメリカ、日本、インド、オーストラリアの4カ国の首脳がオンライン会議を開いた。この4カ国は「クワッド」と呼ばれ、アジア版のNATOを創設しようとしていると中国は見ているそうだが、その通りだろう。

 ちなみに、イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長は2020年6月に「NATO2030」なるプロジェクトを始めると宣言、NATOの活動範囲を太平洋へ広げてオーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにするとしている。

 また、アメリカは2018年5月、「太平洋軍」という名称を「インド・太平洋軍」へ変更、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ計画だ。

 オンライン会議の3日後、3月15日にバイデン大統領はアントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官を日本に派遣、茂木敏充外相や岸信夫防衛相と会談させている。その際にブリンケン国務長官は中国の「威圧的で攻撃的な姿勢」を批判、オースチン国防長官は3月18日、​朝鮮に対し、アメリカ軍は「今夜にでも攻撃する準備ができている」と脅した​。

 アメリカ国防総省のジョン・カービー報道官は2月23日の記者会見で「尖閣の主権に関する日本の立場を支持する」と発言、中国政府から強く抗議され、その発言を26日に訂正しているが、これも「失言」ではなさそうだ。中国からの反応が計算違いだったのだろう。

 アメリカ支配層の基本戦術は買収、恫喝、社会的な抹殺、肉体的な暗殺、クーデター、軍事侵攻といったところ。3月16日にバイデン大統領はABCニュースの番組に出演、インタビュアーからウラジミル・プーチン露大統領は人殺しだと考えるかと問われ、バイデンは「その通り」と答えている。「失言」ではないだろう。バイデンはロシアを威圧したつもりかもしれない。

 3月19日にはアメリカ側の要請で、アメリカのブリンケン国務長官とジェーク・サリバン国家安全保障補佐官は中国の楊潔篪中央外事活動委員会弁公室主任と王毅外交部長にアンカレッジで会るが、会談は激しいものになったようだ。アメリカの恫喝を中国がはねつけたのだろう。

 アメリカの支配層はルビコンを渡り、攻勢に出たつもりなのだろうけれで、計算通りには進んでいない。

 シオニストの一派であるネオコンは1991年12月にソ連が消滅して以来、計算違いを続けている。アメリカに対抗できるライバルが存在しなくなったということで世界制覇プラン「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成したが、2000年5月にロシア大統領となったウラジミル・プーチンが曲がりなりにもロシアを再独立させて世界制覇プランの前提が崩れた。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された衝撃を利用してイラクを先制攻撃したが、親イスラエル政権を樹立させるという目論見は失敗した。

 2008年8月のジョージア(グルジア)軍による南オセチアへの奇襲攻撃が失敗に終わったこともアメリカにとって大きな衝撃だっただろう。ミハイル・サーカシビリがジョージア大統領に就任して7カ月後のことだ。

 攻撃の準備は2001年頃から始められている。イスラエルから武器/兵器の供給を受け、軍事訓練も受けていたのだ。イスラエルから供給された装備には無人飛行機、暗視装置、防空システム、砲弾、ロケット、電子システムなどが含まれていた。

 ジョージア軍を訓練していたのはイスラエル軍のガル・ヒルシュ准将(予備役)が経営する「防衛の盾」で、予備役の将校2名の指揮下、数百名の元兵士が教官としてグルジアに入っていた。しかも、イスラエル軍の機密文書が使われていたとする証言もある。

 一方、当時のジョージア政府にはヘブライ語を流暢に話す閣僚がふたりいた。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリだ。

 バラク・オバマ政権は2011年春にリビアやシリアに対する侵略戦争を始める。戦闘員として使ったのはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団、つまりアル・カイダ系武装勢力だ。この地上軍とNATOの航空戦力が連携してリビアを破壊したが、シリアは制圧できないでいる。

 2014年にオバマ政権はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を売り出す。残虐性を演出、アメリカ/NATO軍の介入を容認させようとしたのだろう。2015年2月に国務長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだが、いずれも戦争に慎重な人物から好戦的な人物へ替えられている。

 デンプシーが交代させられた直後の9月30日、ロシア軍がシリア政府の要請に基づいて軍事介入してシリア情勢は一変した。アメリカなど侵略勢力が使っていたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが敗走、その支配地域が急速に縮小してアメリカ/NATO軍が介入するタイミングを逸したのだ。しかもロシア軍は戦闘能力の高さを世界に示した。これによってアメリカへの恐怖心は緩和されただろう。

 2014年にオバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、香港で雨傘運動を仕掛けたが、これらの工作はロシアと中国を接近させることになった。両国は現在、軍事面や経済面で関係を強め、戦略的同盟国になっている。こうした展開にアメリカや親米派は驚愕、その事実を受け入れられない人もいる。

 アメリカ支配層の計算違いは自国が唯一の超大国になったという思い込みから出ている。その思い込みを修正しなければならないのだが、その思い込みに現実を合わせようとあがいている。それが現在のアメリカだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104020000/

25. 中川隆[-5931] koaQ7Jey 2021年4月07日 13:56:17 : o2ntGCbK6k : MlcvUlhYVUlPOUU=[43] 報告

2021.04.07
イランに見透かされているバイデン政権の政策(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104070000/


 NPT(核兵器不拡散条約)に基づいて作成されたJCPOA(包括的共同作業計画)からの離脱をドナルド・トランプ米大統領が宣言したのは2018年5月8日のことだった。新大統領のジョー・バイデンはこの交渉へ復帰しようとしているが、イラン側はアメリカと話し合う前提条件として「全制裁の解除」を求めている。

 JCPOAが公表されたのは2015年7月。翌年の1月に発効している。その当時のアメリカ大統領はバラク・オバマだった。イランの交渉相手はフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、中国、ロシア、いわゆるP5+1(安全保障理事会の常任理事国プラスドイツ)である。

 JCPOAに参加したオバマ政権だが、中東の和平を望んでいたとは言えない。その頃、政権を好戦的な陣容へかえていたのだ。

 まず2014年8月にDIAのマイケル・フリン局長を解任。オバマ政権のシリア政策はムスリム同胞団とサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を支援するもので危険だと2012年8月の時点でDIAは警告していた。その警告通り、2014年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が登場し、その残虐さをアピールすることになる。

 2015年に入ると、2月に国防長官は戦争に消極的だったチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長はジハード傭兵を危険だと考えていたマーチン・デンプシーが退任して好戦的なジョセフ・ダンフォードが新議長に就任した。

 ムスリム同胞団とサラフィ主義者を中心とする戦闘集団による地上での攻撃だけでなく、シリアでもリビアと同じようにアメリカ/NATO軍による空からの攻撃を始めようとしていたのだろう。アメリカ/NATO軍が空から攻撃、地上ではジハード傭兵というコンビネーションだ。

 このプランは2015年9月30日に潰れる。デンプシーが退任した5日後にロシア軍がシリア政府の要請で介入、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを敗走させ、その支配地域を縮小させたことでアメリカ/NATO軍による軍事介入は難しい状況になったのだ。そこでアメリカ、イギリス、フランスなどはクルドと手を組み、自国軍の地上部隊をシリアへ侵入させて軍事基地を建設しはじめた。軍事侵略以外のなにものでもない。

 ロシア軍が介入する2カ月前、オバマ政権が自国軍にシリアを直接攻撃させようとしていた中、JCPOAは発表されたのである。シリア攻撃に集中するため、イランをJCPOAでおとなしくさせておこうということだろう。バイデン政権はシリアでの軍事作戦を活発化させている。

 1980年代からアメリカのネオコン(シオニストの一派)はイラク、シリア、イランを殲滅する計画を立てていた。まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断してそれぞれを潰すというものだ。イスラエルを中心に中東を作り直そうとしているとも言える。

 オバマ政権の動きはイランの国内情勢も影響しているだろう。2013年の6月にイランで行われた大統領選挙で勝ったハサン・ロウハーニはハシェミ・ラフサンジャニの側近だった人物で、西側の巨大資本にとって都合の良い人物だと見られていた。

 2011年春にオバマ政権はリビアとシリアに対する侵略戦争を開始する。手先として使ったのがムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とするジハード傭兵。その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、戦力はシリアへ集中された。

 ところが、シリアのバシャール・アル・アサド政権を転覆させられない。そこでオバマ政権は2013年に入るとシリア政府軍が化学兵器を使用していると宣伝し始める。(これについては本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。)

 化学兵器の話が嘘だということは指摘され始めるが、それを圧倒するように西側の政府やメディアはシリア政府軍が使ったと宣伝、NATO軍によるシリア攻撃が決定的であるかのように伝えられはじめる。

 そして9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されるが、途中で海へ落下してしまう。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされた。

 その後、イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、事前に警告はなく、この説明に説得力はない。ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。

 その月の22日、​シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだ​と駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。

 その2カ月後、イランとP5+1はジュネーブ暫定合意に達し、2015年のJCPOAにつながった。その頃、オバマ政権はシリアに対するアメリカ/NATO軍による直接的な攻撃を計画していた可能性が高い。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104070000/

2021.04.07
イランに見透かされているバイデン政権の政策(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104070003/


 イランの最高実力者である​アリー・ハーメネイー​はアメリカの交渉について、カネと力(飴と鞭)を使い、最初に決めた目的を追求し続けるとしている。アメリカは相手から利益を引きだそうとし、それを拒否されると騒ぎ立て、屈服させる。アメリカは約束するだけで約束を守らず、実際には何も相手へ利益を渡さないというわけだ。JCPOAもそうだと分析している。

 リビアもこの手口で破壊された。アメリカと交渉する過程でカダフィ政権は2003年に核兵器や化学兵器の廃棄を決めたが、アメリカは約束を守らず、「制裁」を解除しなかった。そして2010年、オバマ大統領はムスリム同胞団を使った侵略計画(PSD11)を作成、政権転覆に着手したのだ。リビアは侵略され、カダフィ体制は崩壊、カダフィ自身は惨殺された。リビアは現在、破壊、殺戮、略奪が横行、暴力が支配する破綻国家だ。

 ほかのケースでもアメリカは約束を守っていない。ドイツを巡ってソ連と交渉した際、アメリカ政府は東西ドイツ統一の後にNATOを東へ向かって拡大しないと約束していた。例えば、国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOを拡大することはないと約束している。ドイツのシュピーゲル誌によると、ロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックはアメリカがそのようにロシアへ約束したと語っている。

 しかし、アメリカは約束を守らず、今ではロシアとの国境線に到達している。これを西側の有力メディアはロシアが西側に接近してきていると表現する。

 アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ元イラン大統領の弟、モハマド・ラフサンジャニは2018年8月、ドナルド・トランプ米大統領との交渉は間違いだと発言、ジャバド・ザリフ外相はトランプ大統領は信頼できないとしていた。

 JCPOAからの離脱を宣言する前、トランプは2017年4月にシリアをミサイル攻撃している。地中海に配置されていたアメリカ海軍の2駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したのだ。

 数機では対応されてしまうと考えたのかこれだけのミサイルを発射したのだが、目標に到達したのは23発にすぎなかったとされている。それでもロシア側は防衛体制が不十分と考えたようで、その後、短距離用の防空システム、パーンツィリ-S1の配備を進めた。

 その1年後、4月にアメリカ、イギリス、フランスの3カ国がシリアをミサイル攻撃した。アメリカ軍によると、発射された巡航ミサイルは紅海にいたモンテレイから30機、ラブーンから7機、ペルシャワンにいたヒギンズから23機、地中海にいたジョン・ウァーナーから6機、フランスのロングドークから3機、B-1爆撃機から19機、イギリスのタイフーンやトルネード戦闘機から8機、フランスのラフェルやミラージュから9機で合計105機。

 アメリカ側の説明によると、そのターゲットはバルザー化学兵器研究開発センター(76機)、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設(22機)、ヒム・シンシャー化学兵器(7機)だったという。さほど大きくない施設に大量のミサイルを撃ち込んだことになる。

 それに対してロシア国防省は違った説明をしている。攻撃されたのはダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)だという。攻撃に使われたミサイルの約7割を撃墜したというわけだ。

 アメリカ/NATO軍がシリアへ軍事的に制圧することは難しいことを2度のミサイル攻撃が証明した。この攻撃に対する迎撃能力を含め、ロシア軍の戦闘能力が高いことを世界は目撃し、アメリカに対する恐怖心は薄くなっていく。欧米の好戦派は計算を間違えた。トランプ大統領がJCPOAからの離脱を宣言したのは2度目のミサイル攻撃から1カ月後のことだ。

 ネオコンが主導するオバマ政権は2014年にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行、香港では反中国運動を展開した。ロシアと中国、そしてEUを揺さぶるつもりだったのだろう。

 ところが、それを切っ掛けにして中国とロシアは接近、両国は2015年に一帯一路(BRI/帯路構想)とユーラシア経済連合(アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、ロシア)を連結させると宣言した。中国とロシアは戦略的同盟国だ。さらにイランが中国やロシアと手を握り、インドやパキスタンも仲間に入ろうとしている。

 バイデン政権はアメリカを「唯一の超大国」だと考え、どのような相手でも脅せば屈すると考えているようだが、そうした時代はすでに去った。この状況で勝負に出た欧米の私的権力は厳しい戦いを強いられることになるだろう。

 他国にアメリカが何をしでかすかわからない国だと思わせれば、自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考えた。イスラエルのモシェ・ダヤン将軍は、狂犬のように思わせなければならないと語った。バイデン政権は究極的な「瀬戸際作戦」を仕掛けてくるかもしれない。(了)

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104070003/

26. 中川隆[-5774] koaQ7Jey 2021年4月13日 11:02:38 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[26] 報告
2021.04.13
独禁法違反で処罰されたアリババの背後に中国政府は何を見ているのか
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104130000/


 中国の国家市場監督管理総局は4月10日、電子商取引大手のアリババグループに対し、独占禁止法に違反したとして罰金182億元(約3000億円)を科すと発表した。

 同グループを創業した馬雲は中国の規制制度を批判していた。中国は1970年代から新自由主義を取り入れているが、1980年代の半ばになると貧富の差が拡大して社会を不安定化、軌道修正を図ることになる。それでも新自由主義的な制作を推進して規制緩和しろと馬雲は主張していたわけだ。

 1980年代に新自由主義的な政策を中国で推進していたのは胡耀邦や趙紫陽を中心とするグループで、学生から支持されていた。このふたりの後ろ盾だったケ小平も軌道修正側に与し、学生運動の高まりに対する責任を問われて胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれ、6月を迎えることになる。

 現在、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動のために社会は世界規模で収容所化している。生産活動や商業活動は麻痺して多くの企業や店の経営は悪化、失業者、ホームレス、そして自殺者が増えることになった。

 その一方で一部の富豪は資産を大幅に増やしている。昨年3月18日から5月14日にかけてアメリカでは3600万人が職を失っているが、​同じ期間に10億ドル以上の富豪は資産を3688億ドル増やした​という。

 人びとの行動が制限されたこともあり、店舗による商売が苦戦しているが、人との接触が少ない、あるいは必要としないアマゾンやアリババのような通信販売は大儲けしている。グーグルやフェースブックのようなデジタル空間で稼いでいる企業も好調だ。こうしたシリコンバレーのハイテク企業がCOVID-19を煽るのは必然だろう。

 フリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「教義」に基づく新自由主義が拡大し、独占禁止法(反トラスト法)の骨抜き化は加速度的に進んだ。そのひとつの結果として、巨大金融機関の場合は、大きすぎて潰せない、大きすぎて処罰できないということになっているわけだ。

 新自由主義は一部の富豪へ力と資金を集中させ、私的権力を強大化、国を上回る力を与えようとしている。すでに西側の政府は強大な私的権力によってコントロールされているが、政府という媒介物をなくし、そうした権力が直接統治する仕組みを作ろうとしているのだろう。

 欧米の私的権力はTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)を作り上げようとしていたが、その目的も同じ。

 こうした協定に含まれるISDS(投資家対国家紛争解決)条項によって私的権力は国を上回る力を獲得することになる。例えば、企業活動や金融システムに対する規制、食糧の安全、環境汚染の防止、労働者の権利保護などを各国の政府や議会で決定することが不可能になり、庶民は巨大企業に生殺与奪の権を握られる。アメリカでは公的な教育や医療システムがCOVID-19騒動の前から崩壊しているが、さらに酷いことを世界へ広めようとしているのだ。

 ソ連を消滅させたボリス・エリツィンが大統領を務めていた時代のロシアでは、クレムリンの腐敗グループと手を組んだ私的権力はロシア国民の資産を盗み、西側の巨大資本へ渡していた。クレムリンの腐敗勢力の中心にいたのはエリツィンの娘であるタチアナであり、その周辺にはソ連時代にKGBの幹部だったグループがいたと言われている。その下で活動し、巨万の富を築いた若者は「オリガルヒ」と呼ばれるようになった。

 COVID-19騒動でも明らかになったが、中国の富豪やエリートの中にもアメリカの私的権力と結びついている人びとがいる。そうした人びとを放置していると、西側の私的権力と結びついた中国の経済独裁者をコントロールできなくなり、中国という国自体が危うくなることは明白。アリババに対する処罰にはそうしたことを懸念する中国政府の考えが反映されているのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104130000/

27. 中川隆[-5577] koaQ7Jey 2021年4月18日 07:54:20 : cVvh3vnihc : SkQ4eVFEeU43Y0U=[10] 報告
2021.04.18
米軍が撤退しても特殊部隊やCIA工作員などはアフガンに残り、侵略戦争は続く
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104180000/


 ジョー・バイデン米大統領はアフガニスタンからアメリカ軍を撤退させると語った。撤兵は5月1日からはじめ、9月11日までには終わらせるという。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから今年で20年。その式典で「勝利」をアピールするつもりかもしれない。

 勿論、アメリカはアフガニスタンでの戦闘に勝利していない。それでもバイデン大統領はシリアへの侵略戦争、イラクでの占領戦争、イランへの経済戦争を激化させ始めた。さらにウクライナではロシアに対して挑発、東アジアでは中国に対する圧力を強めている。バイデン政権は平和を願ってアフガニスタンからアメリカ軍を撤退させるわけではないだろう。

 ドナルド・トランプ大統領は2018年12月20日、アメリア軍をシリアやアフガニスタンから撤退させると発表、議員だけでなく政権の内部からも激しく批判された。この時、ジェームス・マティス国防長官は辞任している。

 今回、バイデンが発表した撤兵案は正規軍に限られ、秘密裏に活動している特殊部隊、情報機関の工作員、そしてペンタゴンの傭兵は残るという。シリアなどから救出したムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)のジハード傭兵も戦闘を続けると見るべきだろう。航空機、ドローン(無人機)、あるいはミサイルの攻撃も続く可能性が高い。

 アメリカがアフガニスタンに居座ってきた理由はいくつかある。ひとつは石油パイプラインの通過ルートだということ、もうひとつはリチウムなど希少金属を産出すること、また中国が計画している「一帯一路」のうち陸のシルクロードが近くを通過すること、中央アジア戦略の拠点になること、イランとパキスタンの間にあること、そしてCIAの資金源である麻薬(ヘロイン)の原料であるケシの産地であることなどだ。

 ところで、アメリカはアフガニスタンに対する秘密工作を1973年から始めている。パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカはその年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従った。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 この工作をさらに進めるためにはパキスタンにアメリカの傀儡政権を樹立する必要があり、1977年7月の軍事クーデターでその目的は達成された。ベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットの政権が倒され、陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハクが実権を握ったのである。ハクはアメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)

 1978年にアメリカのCIAとイランのSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣してモハメド・ダウド政権と接触、軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作する。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)

 ダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まり、倒される。1978年4月のことだ。そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。このタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)

 そうしたタラキの政策に反発する勢力は学校や大学を焼き討ち、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。1979年2月にアメリカのアドルフ・ダッブス大使が誘拐され、殺される。CIAの工作を知った親タラキ派の武装勢力が大使を誘拐したと言われている。彼が拘束されていたホテルへ警察とソ連の顧問が突入したときには殺されていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 そして1979年4月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始。その年の9月に軍事クーデターでタラキは殺され、ハフィズラ・アミンが実権を握った。

 アミンは1957年からアメリカのコロンビア大学へ留学、修士号を取得した上、62年にはウィスコンシン大学で学んだ経歴の持ち主。1963年にはアフガン学生協会の会長に就任しているが、この組織に資金を出していたアジア基金はCIAのフロント組織だ。

 アフガニスタンでアメリカ、イスラエル、サウジアラビア、パキスタンなどが使っていた傭兵の少なからぬ部分はサラフィ主義者やムスリム同胞団。その資金源になったのがパキスタンからアフガニスタンの山岳地帯で栽培されていたケシを原料とする麻薬、ヘロインだ。その儲けや工作資金を処理するために作られたのがBCCI(国際信用商業銀行)である。

 この武装集団がアフガニスタンを制圧した場合、その傭兵部隊がソ連に侵攻してくる可能性は高い。当初は戦争の泥沼化を恐れていたソ連政府だが、軍隊の派遣を決断することになる。そして1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻したが、ソ連共産党のミハイル・ゴルバチョフ書記長は1987年にアフガニスタンからのソ連軍を引き上げると宣言、89年2月に撤兵を完了させた。

 ソ連消滅後の1994年、CIAがパキスタンのISIの協力を得て組織したのがタリバーンだ。傀儡として使おうとしたのだが、パイプラインの建設を巡ってアメリカ系企業と対立、98年8月にケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームにあるアメリカ大使館が爆破されるとビル・クリントン政権はオサマ・ビン・ラディンの命令で実行されたと断定、アフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。

 2001年7月にジョージ・W・ブッシュ政権の高官はパキスタンのニアズ・ナイク元外相はアメリカの政府高官から同年10月中旬にアフガニスタンへの軍事行動を開始すると言われたという。(BBC, September 18, 2001)

 2001年9月11日の攻撃を口実として、ブッシュ政権はアフガニスタンに対する侵略戦争を本格化させる。ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が「911」を実行したと断定、アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンでの戦争を始めたのである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104180000/

28. 2021年5月04日 09:51:12 : 6g3hl1MK3s : ZGxQcUswWnJzNVk=[34] 報告


2021.05.04
好戦的なネオコンのヌランドがバイデン政権で国務長官に就任した重い意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105040000/


 アメリカのジョー・バイデン政権の好戦性を象徴するような出来事が4月の後半にあった。4月13日にはウェンディー・シャーマンの国務副長官就任が、4月29日にビクトリア・ヌランドの国務次官就任がそれぞれ承認されたのだ。

 2009年1月にアメリカ大統領となったバラク・オバマ政権は翌年の8月に中東や北アフリカへの侵略をムスリム同胞団を主力とする武装勢力によって行うことを決め、PSD-11を出した。そして始まったのが「アラブの春」。戦闘集団が集中したと言えるのは2011年春に始まったリビアとシリアでの戦いだろう。

 しかし、ムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とする戦闘集団を使う方針はジョージ・W・ブッシュ政権が2007年初めに決めている。同政権は2003年3月にイラクをアメリカ主導軍で先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、親イスラエル体制を築くことに失敗、方針を切り替えたのだ。

 ​シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いた記事​によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。

 その記事の中で引用されたジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができる。ただ、その勢力は「最悪のイスラム過激派」であり、彼らが入っている箱を開けたなら、2度と箱の中へ戻すことはできないとも警告していた。

 アメリカがイラクに対する攻撃を始める2003年までNATO常任委員次席代表を、また2003年から05年にかけてディック・チェイニー副大統領の主席副補佐官を務めるなどイラク侵略に深く関与した。2005年から08年にかけてはNATO常任委員代表としてヨーロッパ諸国をアフガニスタンでの戦争へ引きずり込んだ。

 オバマ政権がリビアとシリアへの侵略戦争を本格化させた2011年春にヌランドはヒラリー・クリントン国務長官の下で国務省の広報官を務めた。つまり侵略戦争を正当化するために偽情報を流していた。

 そして2013年9月に国務次官補となったヌランドはウクライナにおけるネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデター工作の中心的な存在になる。このクーデター工作をホワイトハウスで指揮していたのは副大統領だったバイデンだと言われている。

 ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したと言われている。

 この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知った国務次官補のビクトリア・ヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。

 その会話でヌランドは次の政権についても言及している。彼女が強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。

 ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへ電話で次のように報告しているのだ:

 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。​スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだときわめて強く理解​している。」

 この報告を裏づける証言が2017年11月に出てきた。イタリアで放送されたドキュメント番組の中で、3人のジョージア人が狙撃したのは自分たちだと語っているのだ。

 この3人は治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたのだが、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。(​その1​や​その2​)この3人も狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだと語っている。この証言は他の証言と合致する。

 ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したのだが、言うまでもなく、これは憲法に批判した行為。オバマ政権を後ろ盾とするクーデター勢力はヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部の制圧を目指す。黒海に面した港湾都市オデッサではネオ・ナチのグループが住民を虐殺のうえ制圧したが、ドンバス(ドネツクやルガンスク)では今も戦闘が続き、いち早く住民が動いたクリミアは住民投票を経てロシアと一体化した。現在、住民が平穏な生活を送れているのはクリミアくらいだ。

 ヌランドをはじめ、オバマ政権の侵略戦争を推進したグループがバイデン政権で復活、しかもオバマ時代より上の地位に就いている。オバマ政権ではロシアと中国を経済的だけでなく軍事的に脅し、それが裏目に出てロシアと中国を「戦略的同盟国」にしてしまった。その失敗をさらなる恫喝でひっくり返そうとしているのがバイデン政権だ。非常に危険な状態になっていると言えるだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105040000/

29. 中川隆[-4826] koaQ7Jey 2021年5月13日 08:11:31 : YtGpGwGIUM : aERSVTJJcW1hUlU=[19] 報告


2021.05.13
バイデン政権の脅しが通じない中国に対する核攻撃が議論されている疑い
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105130000/


 ジョー・バイデン政権はロシアや中国を軍事的に恫喝しているが、その基本戦略はユーラシア大陸の周辺部をから内陸部を締め上げていくというイギリスの長期戦略に基づいている。アメリカはイギリスの戦略を引き継いだ。現在、ヨーロッパではウクライナ、東アジアでは東シナ海や南シナ海が熱くなっている。

 1991年12月にソ連が消滅したことを受け、ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になったと認識、服従の度合いが足りない国や潜在的なライバルを潰しにかっかる。その「詰め」の計画が1992年2月に作成された国防総省のDPG草案だ。作業の中心が国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 他国に気兼ねすることなく単独で行動できる時代になったと彼らは考えたのだが、細川護熙政権は国連中心主義を崩さず、潰される。日本の姿勢に不満を持ったマイケル・グリーンやパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

 こうした流れに関係なく、アメリカの好戦派への従属度が高い政治家は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込もうとしていた。例えば中曽根康弘は内閣総理大臣に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問した際、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現している。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのだが、これはソ連に対する宣戦布告に近い発言だ。この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。

 また安倍晋三は総理大臣時代の2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で​「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」​と口にしている。これはアメリカの手先として日本は中国と戦いますということにほかならない。

 イギリスの支援を受けて誕生した明治政府は琉球を併合、台湾へ派兵し、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、そして日清戦争、日露戦争へと進んだ。日本列島、南西諸島、台湾をつなぐ弧状列島は大陸を封じ込め、攻撃する拠点であり、朝鮮半島は大陸の橋頭堡である。この戦略が今も生きていることは明白だ。

 第2次世界大戦で日本が降伏した後、ハリー・トルーマン政権は麻薬取引を介してアメリカの支配層とつながっていた蒋介石の国民党が中国を支配すると考えていたようだが、1949年にコミュニストが中華人民共和国を建国する。そこで1950年6月25日に始められたのが朝鮮戦争にほかならない。アメリカにとってこの戦争は対中国戦争の始まりだったはずだ。

 その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、朝鮮半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。アメリカ軍は63万5000トンにおよぶ爆弾を投下、北側に住んでいた人びとの20%以上を殺すことになる。ちなみに、アメリカ軍が第2次世界大戦で日本へ投下した爆弾は約16万トンだ。

 朝鮮戦争が始まったとされる日より前から南と北との間で軍事的な小競り合いは繰り返され、元特務機関員で戦後はCIAの工作員をしていた中島辰次郎によると、開戦の数カ月前からアメリカ側の命令で彼らは挑発工作を始めていた。

 その直前、6月18日にジョン・フォスター・ダレスは韓国を訪問、その足で日本を訪れて6月22日に吉田茂と会談、その日の夜にニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で会議が開かれている。出席者はアメリカ側がダレスとパケナムのほかニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。

 夕食会の翌日、23日に韓国空軍は北側を空爆、25日に「開戦」。ところが28日にソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。

 1950年9月の仁川上陸作戦から戦況はアメリカにとって好ましい方向へ動き始めるが、その背後には旧日本軍の将校がいたと言われている。そこで登場してくるのが約30万人という中国の「義勇軍」だ。

 中国を侵略する上で重要な拠点である台湾へも旧日本軍の将校は乗り込んでいる。蒋介石たちは1949年から岡村寧次大将などに接近、4月には岡村の下へ曹士徴を密使として派遣する。岡村はGHQ/SCAPの保護下に入っていた。

 曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。

 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。この「私設顧問団」が解散するのは1969年のことである。

 その一方、CIAの顧問団に率いられた約2000名の国民党軍は1951年4月に中国領内へ軍事侵攻、一時は片馬を占領したが、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻しているが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。

 1953年に大統領となったドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出そうと考え、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。そして同年7月に休戦は実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 1958年8月から9月にかけて台湾海峡で軍事的な緊張が高まる。1971年にベトナム戦争に関する国防総省の秘密報告書を有力メディアへ流したダニエル・エルズバーグによると、​1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた​。そして現在、バイデン政権では同じことが国防総省で議論されているという。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105130000/

30. 中川隆[-4741] koaQ7Jey 2021年5月17日 06:03:08 : S2N0hfpiB6 : L1ZtQm5XQ2lVSkE=[10] 報告

2021.05.17
バイデン政権は中露に対する攻撃を優先しようとし、イスラエルはイラン優先
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105170000/


 ジョー・バイデン政権はバラク・オバマ政権と同じようにウクライナ周辺でロシアに対する軍事的な圧力を強めているが、それだけでなく中国も軍事的に挑発している。それに対してイランを第1の敵だと考えているイスラエルの現政権はバイデン政権の政策に反発、モサドのヨシ・コーエン長官と国家安全補佐官のメイア・ベン-シャバトを4月26日にアメリカへ派遣、ジェーク・サリバン国家安全保障補佐官、ウィリアム・バーンズCIA長官、アンソニー・ブリンケン国務長官らと会談を始めた。30日には「立ち寄った」バイデン大統領とも話したという。イランに対する政策を話し合うことが目的だったとみられている。

 バイデン政権でも外交や安全保障問題を仕切っているネオコンは1980年代からイラクに続き、シリアとイランを殲滅する計画を立てていた。ネオコンがイランを敵視していることは間違いない。イラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断した上で両国を殲滅するというものだが、当時、アメリカにはこの戦略に反対する勢力が存在していた。

 その勢力には副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュのほかジェームズ・ベイカーやロバート・ゲーツも含まれていた。ブッシュたちはフセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤と考えていたのだ。実際、フセインはCIAの手先として権力を握った人物だ。

 ブッシュが大統領になっていた1991年1月から2月にかけてアメリカ主導軍はイラクを攻撃したが、その際にブッシュ大統領はフセイン体制を倒していない。その理由はそこにあるのだが、フセインを倒さなかったブッシュに対する反発をネオコンは強めることになった。

 1989年1月に大統領となったブッシュはソ連と中国に対する攻撃を始める。ブッシュの父親であるプレスコットはアレン・ダレスのウォール街仲間だった。そうしたこともあり、ジョージはエール大学でCIAにリクルートされたと信じられているが、大学時代からの友人でCIAの幹部になっていたジェームズ・リリーを1989年4月、中国駐在大使に据えている。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだった。そして引き起こされたのが「天安門事件」だが、これは失敗に終わる。

 一方、ソ連ではブッシュのCIA人脈がソ連の治安/情報機関KGBの中枢と手を組んで国家を乗っ取ったと言われている。KGBの腐敗グループには1982年から88にかけてKGB議長を務めたビクトル・チェブリコフやKGBの頭脳と呼ばれたフィリップ・ボブコフなどが含まれていたという。またCIAとKGBを結びつけたのはイスラエルのモサドだとされている。最終的にボリス・エリツィンがソ連を秘密裏に解体、1990年代は西側の支配者と手を組んで国の資産を盗みまくった。

 1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカの国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。アメリカのライバルだったソ連が消滅したことでネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、他国に気兼ねすることなく単独で行動できると考えたのだ。

 21世紀に入ると、このプランを揺るがす出来事が起こる。エリツィンと同じように西側の操り人形だと思われていたウラジミル・プーチンがロシアを曲がりなりにも再独立させてしまったのだ。それ以来、ネオコンはロシアを再び従属国にしようと必死。

 オバマ政権のネオコンは2014年2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、同じ年の9月から12月にかけて香港で反中国運動である「佔領行動(雨傘運動)」をイギリスと共同で展開した。両国を揺さぶり、制圧するつもりだったのだろうが、思惑通りには進まない。この後、ロシアと中国は急接近し、今では「戦略的同盟国」になったのだ。両国を個別撃破することは難しくなる。

 ネオコンは再びロシアを属国化し、中国も屈服させ、その上でイランに取りかかろうとしているようだが、ネタニヤフはイランを第1の敵と考えている。バイデン政権がイランに対して厳しい姿勢を取らざるを得ない状況をネタニヤフは作り出そうとしているようだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105170000/

31. 中川隆[-4487] koaQ7Jey 2021年6月02日 10:59:10 : MIot1CKHXE : WTVZM0FiYVg3bGc=[11] 報告

2021.06.02
欧州を支配するためにその指導者を監視する米国の情報機関
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202106020000/


 ヨーロッパの指導者をアメリカの電子情報機関NSAが監視していることを知る人は多いだろう。​その工作にデンマークの情報機関が協力していることが判明​したと報道されている。

 アメリカの電子情報機関NSAが全ての通信を傍受、記録、分析している。この情報機関が創設されたのは1952年10月。NSAとイギリスの電子情報機関が中心になってUKUSA(ユクザ)が編成され、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが参加した。いわゆる「ファイブ・アイズ」だが、あくまでも中心はアメリカとイギリス。残りは下部機関にすぎない。(西)ドイツ、フランス、イタリア、南ベトナム、日本、タイなどは「第3当事国」と呼ばれているが、「ファイブ・アイズ」の手先だ。NSAやGCHQと対等の関係にあるのはイスラエルの8200部隊だろう。

 2014年7月、ドイツで自国の情報機関BND(連邦情報局)で働くエージェントが逮捕され、ドイツ軍の防諜部門に所属する兵士がCIAへ情報を流していた疑いで取り調べを受けたと伝えられたが、アメリカの情報機関が「友好国」の要人を監視していることは公然の秘密だ。2015年にはウィキリークスが公表した資料により、ドイツ政府の高官をNSAが長期にわたって監視していたことが判明した。

 BNDがアメリカの情報機関と緊密な関係にあることは有名な話。この情報機関を創設したラインハルト・ゲーレンは第2次世界大戦中、ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長として東方(ソ連関係)の情報を担当していた情報将校だが、ドイツの敗北が決定的になっていた1944年に彼はアメリカの情報機関OSSのフランク・ウィズナーを介してアレン・ダレスのグループと接触している。ウィズナーはウォール街の弁護士で、ダレスの側近。大戦後、破壊活動を目的とする秘密機関OPCの責任者を務めている。

 1945年5月にドイツが降伏すると、すぐにゲーレンはアメリカ陸軍のCIC対敵諜報部隊)に投降、同部隊のジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護する。その後ろにはアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将、ヨーロッパの連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将、そしてダレスがいた。サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新しい情報機関の創設を決め、ナチスの残党を雇い入れるが、それがBNDの母体だ。

 ゲーレンの機関は1949年7月からCIAの監督下に入り、資金の提供を受けはじめる。1954年に作成された秘密メモにはゲーレン機関の少なくとも13パーセントが筋金入りのナチスだと書かれている。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 アメリカはドイツに配下の情報機関を創設しただけでなく、秘密工作を実行するためのネットワークはヨーロッパ全体に広げられた。その工作を指揮するために設置されたのがCCWU(西側連合秘密委員会)。北大西洋条約が締結されてNATOが登場するとその秘密部隊は「NATOの秘密部隊」になり、1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動するようになった。

 SACEUR(欧州連合軍最高司令官)の命令でCPCの下部組織として1957年にACC(連合軍秘密委員会)が創設された。イタリアで「緊張戦略」を実行、人びとの恐怖を煽り、コミュニスト勢力を弱体化させ、治安システムを強化させたグラディオもACCの元で活動してきた秘密部隊のひとつだ。今でもNATOはアメリカがヨーロッパを支配するための機関として働いている。

 アメリカでは第2次世界大戦後、国内でも監視システムを築いた。そのため、NSA以外の機関も国民を監視するプロジェクトを開始。例えばFBIが1950年代に始めたCOINTELPRO、CIAが67年に始めたMHケイアスだ。私的権力にとって好ましくない政治家、学者、活動家、ジャーナリストが狙われたが、そうした個人のレベルにとどまらず、戦争に反対する団体もターゲットになった。集会やデモに配下の者を潜入させ、平和運動を支援していた著名人を尾行し、電話を盗聴、郵便物を開封、さらに銀行口座の調査も実施している。

 1970年代に電子技術が飛躍的に進歩、通信傍受は世界規模になる。1965年4月に本格的な商業衛星インテルサット1号が打ち上げらたが、66年にNSAはPROSTINGというプログラムを始める。その中で西側の通信を傍受するためにNSAやGCHQが開発した地球規模の通信傍受システムがECHELON。ソ連の通信衛星をターゲットにしたプログラムはTRANSIEMTだ。(The Northwest Passage, Yakima Research Station (YRS) newsletter: Volume 2, Issue 1, January 2011 & Volume 3, Issue 7, July 2012)

 ECHELONの存在が明るみに出たのは1988年。ロッキード・スペース・アンド・ミサイルで働いていたマーガレット・ニューシャムが議会でそのシステムについて議員に話したのだ。彼女によると、NSAは共和党のストローム・サーモンド上院議員の電話を盗聴対象にしていたという。(Duncan Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988)

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202106020000/

32. 2021年7月15日 11:38:07 : SX7bl0bdbE : S0ttVi9nWExJTTY=[6] 報告

2021.07.15
バイデンが開けた「缶」から米国の中国に対する体制転覆計画が出てくる可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107150000/


 世界的な規模で社会が収容所化が進んでいる。そうした中、強大な私的権力に近い大企業は大儲けしているが、規模が中程度より小さい企業や個人は経済的に厳しい状況に陥った。必然的に失業者やホームレスが増加し、そして自殺者も増え、教育システムも混乱している。

 こうした状況を生み出した「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」が出現したのは2019年12月の終わりだ。中国の湖北省武漢でSARSと似た重症の肺炎患者9名ほどが病院に運び込まれ、騒動は始まったのである。

 年が明けて2020年1月22日に中国の国務院は記者会見を開く。そこで中国疾病予防抑制センター主任の高福は感染源を海鮮市場で販売された野生動物だという見方を示した。その見方をWHO(世界保健機関)などは受け入れ、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)のアンソニー・ファウチもそうした見方をしていた。

 ところが、そのファウチと連携してきたジョー・バイデン現大統領はここにきて意見を変えた。ドナルド・トランプと同じように、「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」は武漢にある中国科学院の武漢病毒研究所から漏れ出たと言い始めたのである。

 トランプはCOVID-19蔓延の責任は中国にあると主張、中国を攻撃する材料にした。バイデンもトランプと同じように中国に対するさまざまな圧力を強めているので、同じことを言い始めたのかもしれないが、武漢病毒研究所から漏れたと主張することは「ウジ虫の缶を開ける」ことになるとも言われている。

 本ブログでも書いてきたが、アメリカの私的権力は高福や中国の研究者と関係が深く、武漢病毒研究所の研究内容にも関与している。例えば高福はCOVID-19騒動が始まる直前、2019年10月18日にビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団とジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターがニューヨークで開催したコロナウイルスが全世界で流行するという設定のシミュレーション「イベント201」に「プレーヤー」として参加していた。

 それ以上に注目されているのが石正麗という研究者。石はノースカロライナ大学のラフル・バリックと共同で、2015年11月にSARS1ウイルスのスパイク・タンパク質をコウモリのウイルス(SHC014-CoV)のものと取り替えて新しいウイルスを作り出すことに成功している。コウモリのコロナウイルスを操作してほかの種を攻撃させる方法をバリックは石に教えたともいう。

 危険な研究を行っていたと言え、2014年10月にバラク・オバマ政権はそうした研究に対する資金の提供を止めている。ところがNIAIDは「エコヘルス連合」のピーター・ダスザクを介して石正麗へ資金を提供しつづけていた。アメリカ人の資金と命令で中国人が細菌兵器の開発をしていたという構図だ。武漢病毒研究所を問題にすると「ウジ虫の缶を開ける」ことになるという意味はここにある。

 2014年にオバマ政権がロシアと中国に揺さぶりをかけている。2013年11月から14年2月にウクライナでネオ・ナチを利用したクーデターを成功させた。ウクライナを制圧することでロシアとEUを分断、双方を弱体化させようとしたのだ。この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催され、ロシア政府は動きにくかった。そのタイミングを狙ったわけだ。同じ年の9月から12月にかけてはイギリスと手を組み、香港で佔領行動(雨傘運動)を仕掛けている。

 ところが、オバマ政権の思惑とは違い、ロシアと中国は急接近し、今では「戦略的同盟関係」にある。アメリカや日本には、ロシアと中国が手を組むことはありえないと考え、すぐに仲違いするはずだと言い張る人もいた。世界情勢が見えていなかったようだ。

 2014年に中国はアメリカから距離を置くようになり、一帯一路(または帯路構想)を打ちだしてくる。「陸のシルクロード」と「海のシルクロードで」交易を盛んにし、世界を安定化させようという計画だ。この計画をユーラシア経済連合(アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、ロシア)と連結させると2015年に中国とロシアは宣言している。

 その前からロシアはパイプライン、道路、鉄道などの物流を支えるインフラを朝鮮半島の南端まで延ばそうとしていた。ドミトリ・メドベージェフ首相は2011年にシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案、合意に達している。

 朝鮮がロシアのプランに同意すれば、シベリア横断鉄道を延長させて朝鮮半島を縦断、釜山までつなげることが可能だ。この構想が完成すれば、釜山からハンブルグまで鉄道や道路でつながることになる。これはユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸部を締め上げるというアメリカやイギリスの長期戦略にとって脅威だ。

 状況の変化を受け、動いたのがヘンリー・キッシンジャー。2016年2月10日にキッシンジャーはロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談して軌道修正を図った。そして台頭してきたのがドナルド・トランプである。

 しかし、ネオコンは軌道修正を拒否したようで、バーニー・サンダース潰しだけでなくトランプに対する攻撃を強め、ロシアとの関係を悪化させる動きを鮮明にした。2015年には民主党の上層部や私的権力の中で、ヒラリー・クリントンを次期アメリカ大統領に据えることを決めていたと見られている。そのヒラリーの側近として知られているマイク・モレル元CIA副長官は2016年8月、​チャーリー・ローズのインタビュー​でロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語り、司会者からロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えている。元CIA副長官がロシア人を殺すと公言したわけだ。

 そしてロシアの幹部外交官が死んでいく。2016年11月にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺され、ロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、KGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、インドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。その間、2016年9月6日にはウラジミル・プーチンの運転手が載った自動車へ暴走車が衝突、その運転手は死亡している。またモレル発言の前、2015年11月にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡した。

 2016年の大統領選挙では民主党幹部を含むサンダース潰しが露見したこともあり、トランプが勝利。それに対してオバマは任期が終わる直前の2016年12月、外交官35名を含むロシア人96名を追放した。その一方で司法省、FBI、CIAは「ロシアゲート」キャンペーンを始める。

 オバマ政権は2010年からジハード傭兵を使い、中東や北アフリカで体制転覆工作を開始、11年春にはリビアやシリアへの侵略戦争を始めたが、12年5月にウラジミル・プーチンがロシア大統領に復帰すると状況が一変、オバマ政権はジハード傭兵に対する支援を強化する。

 ところが、アメリカ軍の情報機関​DIA(国防情報局)は2012年8月、その支援を危険だと警告する報告をオバマ政権へ提出​している。シリアで政府軍と戦っているのはサラフィ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系のアル・ヌスラ(報告書はAQIと同じと指摘している)であり、オバマ大統領が言うような「穏健派」は存在しないとしている。反政府軍を支援し続けるなら東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告した。この警告は2014年に「ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)」という形で現実になった。この当時のDIA局長がマイケル・フリン中将で、トランプ大統領は国家安全保障補佐官に据えた人物。2014年の8月にDIA局長を解任された。フリンが民主党や有力メディアから激しく攻撃されて解任されたが、その一因はここにあるだろう。

 2015年に入るとオバマ大統領は政府を好戦的な陣容に変える。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月に統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代したのだ。

 ヘーゲルは戦争に慎重だったが、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。シリアからバシャール・アル・アサド大統領を排除しようとしていたバラク・オバマ大統領とは違い、サラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたデンプシーはシリア政府と情報を交換していたと言われている。デンプシーが議長を退いて間もない9月末、ロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は敗走しはじめた。そこでアメリカはクルドと手を組み、自国軍の部隊をシリアへ侵攻させ、基地を建設している。

 石正麗とラフル・バリックが共同でキメラ・ウイルスを作り出したのはこうした時期だが、遅くとも2013年からロシアはアメリカがロシアの周辺に生物兵器の研究施設を建設していると批判していた。そうした兵器をアメリカは使おうとしているとしていたのだ。

 プーチンの側近として有名なセルゲイ・グラジエフはSARS-CoV-2について「有名なアメリカの研究所」で人工的につくられたものだと語っている。その製造を命令したのはアメリカの金融資本と緊密な関係にある財団で、そのウイルスは武漢の研究所へ運び込まれ、そこから環境中へ散布されたとしている。

 証拠は示されていないが、説得力のある話だ。これが事実なら、アメリカは「重症急性呼吸器症候群」を引き起こす病原体を5G(第5世代移動通信システム)を実験していた武漢で撒いたことになるが、その工作に武漢病毒研究所の研究員が協力していることにもなる。この病原体で中国を混乱に陥れようとした可能性は否定できない。なお、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は2019年9月6日に北京で習近平国家主席と会談しているが、その翌日に武漢を訪れている。

 本ブログでも何度か書いたが、ソ連の消滅にはアメリカのCIA人脈が深く関与している。ミハイル・ゴルバチョフの下で政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフは「ペレストロイカ」の生みの親だと言われているが、KGB(国家保安委員会)の同僚だったアレクセイ・コンドーロフと同じように、ジョージ・H・W・ブッシュを含むCIAのネットワークと連携していたとされている。有り体に言うなら、買収されていた。

 ゴルバチョフを失脚させるためのクーデターをKGBのウラジミル・クリュチコフがビクトル・チェブリコフの下で計画、成功した。チェブリコフは1982年から88年までKGB議長を務めていた人物で、ボブコフもその配下。チェブリコフのグループはミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルと手を組んでいたとされている。

 クーデターの直前、マクスウェルはクリュチコフとマクスウェルが所有するヨットの上で会い、1991年8月に工作資金を持ってソ連へ入っている。マクスウェルはイスラエル軍の情報機関に所属していた。なお、ロバートの娘がギスレイン、その娘と親しい関係にあったジェフリー・エプスタインもイスラエル軍の情報機関の下で働いていた。

 同じことを中国に対しても行っていた可能性は小さくない。中国は2014年までアメリカの影響下にあり、中国の実業家や研究者はアメリカの資金にどっぷり浸かっていたはずだ。その関係がすぐに解消されるとは思えない。

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33. 中川隆[-4958] koaQ7Jey 2021年7月18日 07:11:32 : DNfUEHow9Q : Qi5Sb2VGaW5tRU0=[4] 報告


2021.07.18
防衛白書で中国との戦闘姿勢を鮮明にした菅政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107180000/


 岸信夫防衛相は7月13日の閣議で2021年版の​防衛白書​を報告した。その中で「台湾をめぐる情勢の安定」が日本の「安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」だと主張、日本が台湾問題へ積極的に関わっていくとするメッセージを発信した。こうした見解はアメリカ側の意向を反映したものであり、ジョー・バイデン政権が歓迎したのは当然だろう。

 白書が公表される前、6月28日に中山泰秀防衛副大臣はネオコン系シンクタンクのハドソン研究所で講演、中国とロシアの脅威を強調し、中国がミサイルでアメリカの東海岸やホワイトハウスに照準を定めることは可能だと語ったという。アメリカは1950年代からミサイルで中国やソ連を攻撃する能力を持ち、しかも実際に使う計画だったのだが、そうしたことは忘れている。

 勿論、中国やロシアはアメリカの東海岸やホワイトハウスをミサイルで攻撃する能力を持っているが、その能力は飛躍的に高まっている。例えば、ロシアが航行させている巨大原子力潜水艦「ベルゴロド」には津波を引き起こせるという核弾頭を搭載した原子力推進の水中ドローンが搭載され、イギリスのサン紙はこの空母を「シティ・キラー」と呼んでいる。このドローンは人工知能で航行するという。防衛副大臣ならば、そうした兵器が使われないようにすることを考えるべきなのだが、中山は脅威を煽っているだけのようにしか思えない。

 また、麻生太郎副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡で「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくるといってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をやらないといけない」と自民党衆院議員の会合で述べたという。

 「存立危機事態」とは、2015年に成立した安全保障法制で、集団的自衛権を使う際の前提条件として規定された。日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態だという。

 この前提条件で意味のある語句は「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」だけだろう。2003年3月にアメリカ軍が従属国軍を引き連れてイラクを先制攻撃する前、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクが「大量破壊兵器」を保有し、今にもアメリカを核攻撃するかのように宣伝していた。勿論、そのような兵器をイラクは持っていなかったのだが、アメリカの「存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とされたのだ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、イラクへの先制攻撃は1992年2月にアメリカ国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プランに基づく。このプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったという認識に基づいて書き上げられた。

 当然、そうした流れに日本も巻き込まれる。アメリカのネオコンは日本を自分たちの戦争マシーンに組み込もうとするのだが、細川護煕政権は国連中心主義を放棄しない。そこで細川政権は1994年4月に潰されてしまった。

 細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその年の8月に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書を発表したが、やはり国連中心主義に基づいて書かれていた。そこでネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)を説得、ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)らに自分たちの考えを売り込んだ。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。

 それでも日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込むことに抵抗する人もいたようだが、そうした意見を吹き飛ばすような出来事が立て続けに引き起こされる。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。その後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。

 世界制覇の手始めはユーゴスラビア。すでに1991年6月の段階でスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが続いている。ユーゴスラビア解体を指揮していたのはリチャード・マイルズという人物だ。そのほかユーゴスラビア駐在米国大使だったウォーレン・ジンマーマンや国務副長官を務めていたローレンス・イーグルバーガーも関係していた。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 ユーゴスラビアに対する軍事侵略へ動き出すのは国務長官が交代した1997年1月から。戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンが退き、好戦派のマデリーン・オルブライトが就任、1999年5月にNATOはユーゴスラビアに対する空爆を始めた。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。中国大使館に3方向からミサイルを撃ち込み、破壊したのはアメリカ軍のB2ステルス爆撃機で、CIAが設定した目標に入っていたという。つまり中国大使館への攻撃は計画的なものだった。

 そして2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとが呆然としている間にアフガニスタン、そしてイラクを攻撃したのだ。

 この当時、アメリカの支配層は自国が「唯一の超大国」で、誰も自分たちに逆らえないと信じていた。例えば​フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文​には、近いうちにアメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになると書かれている。つまり、アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通している。

 ところが、​ニューヨーカー誌の2007年3月号にシーモア・ハーシュの興味深い記事​が載った。ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうとしているというのだ。

 その記事に登場するジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができる、つまりそうした人びとを使おうとしているというのだ。ただ、その勢力は「最悪のイスラム過激派」であり、彼らが入っている箱を開けたなら、2度と箱の中へ戻すことはできないとも警告していた。

 ネオコンはイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエル派の体制を築くつもりだったようだが、軍事力で屈服させることはできず、親イラン派(シーア派)の政権を誕生させてしまう。そこでフセインの残党(スンニ派)と手を組み、ゲリラ戦を始めることになったのだ。2009年にアメリカ大統領はブッシュからバラク・オバマに交代するが、方針は継続された。

 オバマ政権は2010年にムスリム同胞団を中心に戦闘員を集め、中東から北アフリカにかけての地域で体制転覆工作を開始。2011年春にはムスリム同胞団のほかサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)も加えて戦争集団を編成した。これがアル・カイダ系の武装集団。そしてリビアやシリアで侵略戦争を始めた。2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、カダフィは惨殺されたが、シリアには手こずる。

 そして2014年に登場してくるのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)。残酷さを前面に出していたが、これはアメリカ軍の介入を正当化するための演出だったとする説もある。2015年になるとオバマ大統領は2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、また9月に統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させる。好戦的な布陣にしたのだが、デンプシーが追い出された直後、ロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団と呼ばれていたグループを敗走させてしまう。その際、ロシア軍が保有する兵器の優秀さ、戦闘能力の高さを世界に示した。これ以降、多くの国がアメリカを恐れなくなる。

 ダーイッシュの登場と同じタイミングでオバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、香港で佔領行動(雨傘運動)を仕掛けた。この作戦がアメリカにとって裏目に出て、中国とロシアを接近させることになった。その後、両国は戦略的な同盟関係を結ぶ。しかもアメリカに対する中小国の従属度は低下していく。

 一方、日本では2015年9月に安保法制が公布された。この法律について総理大臣だった安倍晋三は2015年6月、赤坂の赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にした​という。

 1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、重要な役割を長競れるようになってきた。それは中国やロシアとの戦争で日本が最前線に立たされることを意味する。今回の防衛白書にはそうした背景がある。言うまでもないことだが、アメリカ軍は日本を守る目的で日本に駐留しているのではない。侵略の拠点にしているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107180000/

34. 中川隆[-16098] koaQ7Jey 2021年7月23日 15:50:53 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[19] 報告
2021.07.22XML
 アメリカやイギリスの金融資本を中心とした資本主義体制が限界に達したことは彼ら自身も認識、例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは昨年6月、「COVID-19(新型コロナウイルス)」のパンデミック騒動を利用し「​資本主義の大々的なリセット​」を実行すると宣言しました。

 「リセット」しないと現在の支配システムを維持できないということですが、その支配システムは2度の世界大戦を経て確立されています。そして現在、金融資本は新たな世界大戦を必要としているようです。その戦いに勝利するため、ヨーロッパでの支配力を強め、中東支配を確かなものにし、ユーラシア大陸の東岸部で主導権を握ろうとしてきました。TPP、TTIP、TiSAはそうした目的で打ち出されましたが、思惑通りには進んでいません。中東での戦いはロシアに負けつつあります。

 第1次世界大戦ではドイツを弱体化させることに成功しましたが、ロシアを金融資本の配下に置くことは失敗しました。金融資本は戦争に反対していたグリゴリ・ラスプーチンを暗殺しましたが、ドイツはロシアとの戦争継続を嫌い、即時停戦を主張していた亡命中のボルシェビキの幹部を帰国させ、それがソ連の誕生につながります。

 そうした背景があるため、ドイツとソ連の関係はその後、良好でしたが、ナチスの登場で状況が一変、ドイツ軍は第2次世界大戦でソ連を攻撃します。ナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの金融資本でした。ドイツにソ連は勝ったものの、2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む国土の3分の1が破壊されたと言われています。アメリカは事実上、戦場にならず、軍需産業と金融資本がビジネスで大儲けし、ドイツや日本が略奪した財宝を横取りすることに成功しました。

 ところで、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏したのは1943年1月。それを見てイギリスとアメリカはあわててシチリア島への上陸作戦を実行しますが、住民に人気のあったコミュニストを押さえ込むためにマフィアと手を組みました。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)はシチリア島上陸の翌年、1944年6月のことです。その間、アレン・ダレスなど反コミュニスト派はドイツ側と善後策を協議、ナチスの幹部や協力者を逃亡させ、保護し、雇うという工作を行います。

 ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で動いていたのですが、そのルーズベルトは1945年4月に急死、5月にドイツが降伏します。その直後にウィンストン・チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を攻撃するための作戦を立てるように命令しました。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」です。1945年7月1日にアメリカ軍、イギリス連邦軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍でソ連を奇襲攻撃し、「第3次世界大戦」を始めることになっていましたが、実行されませんでした。参謀本部が拒否したからだと言われています。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功しています。この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可、7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下されました。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったということです。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行います。1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求め​、1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだった​ジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話したといいます。

 そのソ連は1991年12月に消滅、ネオコンなどはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手に何でもできる時代になったと考えます。ボリス・エリツィン時代のロシアはイギリスやアメリカの金融資本の属国になり、国内は犯罪者たちに支配されました。ロシアは破綻国家になったということで、アメリカの支配者は中国など潜在的ライバルを潰しにかかります。

 こうしたネオコンたちの計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンたちがロシアを曲がりなりにも再独立させたことで破綻します。そこでロシアを再び屈服させ、中国を揺さぶろうとしますが、裏目に出てロシアと中国は戦略的な同盟関係を結ぶことになりました。アメリカを中心とする勢力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえず、アメリカが優勢だとは言えない状況です。おそらく現状では世界大戦を始められないでしょうが、米英の私的権力に残された時間はあまりありません。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107220000/

35. 中川隆[-17268] koaQ7Jey 2021年8月12日 16:00:32 : UY3ZYusvM6 : Yk5WYjM5QTUxWDY=[36] 報告
2021.08.11
アフガニスタンでの戦争は1970年代にアメリカが始めた(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108110001/

 アメリカ軍の部隊2500名が9月11日までにアフガニスタンから撤退するというが、この「撤兵」でアメリカが1970年代に始めたアフガニスタンでの戦争を終わらせる可能性は小さい。​秘密裏に活動しているアメリカの特殊部隊や情報機関の工作員は残り、1万6000名以上の「民間契約者」​もいて、その中に傭兵も含まれている。

 バラク・オバマ政権がシリアへもリビアと同じように軍隊を投入する準備を進めていた2015年9月30日にシリア政府の要請でロシア軍が介入し、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールなどを後ろ盾とするジハード傭兵、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)を敗走させた。

 そこでアメリカ政府は手先をクルド勢力に切り替え、ダーイッシュが支配していた油田地帯をアメリカ軍が占領していく。露骨な侵略だが、西側の政府や有力メディアは沈黙している。

 敗走したダーイッシュなどの幹部と見られる戦闘員をアメリカ軍は救出、アフガニスタンなどへヘリコプターなどで運んでいると言われている。出身国へ戻る戦闘員もいるが、その中には中国の新疆ウイグル自治区も含まれている。イドリブにはジハード傭兵がまだ立てこもっているが、アメリカに再接近しているトルコがそこから戦闘員をアフガニスタンへ運んでいるとも伝えられている。

 アメリカ軍は2003年3月、イギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊した。当初、親イスラエル派の体制を樹立する予定だったが、イラク国民の多数を占めるシーア派が同じシーア派のイランに親近感を持つことから親イラン派の政権が誕生、それを受けてアメリカはフセイン派の残党を含むスンニ派と手を組んだ。

 イラクには1960年代後半からイスラエルの情報機関に操られている勢力が存在する。ムスタファ・バルザニが率いていたクルドだ。この人物はイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われ、その息子であるマスード・バルザニも同じだと見られている。アメリカはイラク北部にクルドの国を建設しようと目論んだこともあるが、クルド内部の反バルザニ派がこの計画に反対して挫折した。

 ジョー・バイデン米大統領はイラクのムスタファ・アル・カディミ首相とホワイトハウスで7月に会談、アメリカは戦闘任務を2021年末に終えることで合意したというが、アメリカは2017年からイラクで戦闘作戦を実施せず、戦闘部隊は存在しないことになっている。

 しかし、アメリカ軍がイラクにいないわけではない。​顧問や教官として特殊部隊が駐留し、「対テロ部隊」に同行しているとされている​。こうした「非戦闘部隊」はこれからも残るのだろう。今年に入り、NATO軍がイラク駐留部隊の規模を500名から4000名へ増やしたと伝えられたが、軍事会社の傭兵が増強されることも考えられる。シリアで敗走したジハード傭兵の一部がイラクへ運ばれたとも言われている。

 今年2月、イラクのクルド支配地域からシリア北東部のハサカ周辺へ軍事物資や装甲車両を運び込む光景を撮影した映像がインターネット上で公開されているが、ダーイッシュが一時期支配していた地域をアメリカは支配し続けようとしている。言うまでもなく、これは不法占領だ。

 ​アメリカ空軍はカタールのアル・ウデイド基地やアラブ首長国連邦のアル・ダフラ基地、あるいはクウェートのアリ・アル・サレム基地とアーマド・アルジャベル基地に戦闘機、偵察機、爆撃機などを集め​、アフガニスタンも空爆できる態勢を整えている。(つづく)
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アフガニスタンでの戦争は1970年代にアメリカが始めた(2/2)
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 アメリカがアフガニスタンを攻撃、占領した利用として、オサマ・ビン・ラディンなる人物をタリバーンが匿ったからだと言われることがある。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」が実行者で、そのトップがオサマ・ビン・ラディンだと主張してのことだった。

 しかし、9月11日の出来事(9/11)にオサマ・ビン・ラディンが関係していることを示す証拠は示されていない。「アル・カイダ」なる組織は存在していない。アメリカ政府や有力メディアが作り出した悪霊の幻影にすぎない。

 イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが2005年7月に明かしたように、​「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト​。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。

 ムジャヒディンをアフガニスタンで戦闘員として使い始めたのはジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーだが、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカがアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめたのは1973年だ。

 ブレジンスキーの作戦に基づいてCIAがイスラム武装勢力への支援プログラムを始めたのが1979年4月、ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのはその年の12月である。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。

 アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返したため、イスラム世界におけるタリバーンの評価は高くなかった。

 ところが、アメリカ支配層は違った。例えばCFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。ちなみに、タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。

 アメリカの石油企業はタリバーンを使い、中央アジアの油田を開発しようとする。1991年12月にソ連が消滅した後、カスピ海周辺の石油を輸送するため、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はアゼルバイジャンのバクー(B)、ジョージアのトビリシ(T)、トルコのジェイハン(C)を結ぶBTCパイプラインを計画した。その発案者は巨大石油企業のBPである。

 このBPでブレジンスキーは1990年代に顧問を務めていた。彼はアメリカ政府に対してBTCプロジェクトを支援するように求め、1995年にはビル・クリントン米大統領がアゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ大統領と会談する仲介をしている。

 BTCパイプライン計画にはライバルがすでに存在していた。チェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインだ。この競争相手を機能できなくするためにチェチェンを戦乱で破壊する計画が持ち上がり、その工作を指揮することになったのがCIAのグラハム・フラーだ。

 この人物はアフガニスタンでジハード傭兵の仕組みを作り上げた人物で、その下にはベトナム戦争でCIAの秘密工作に深く関与、イラン・コントラ事件で名前が出てきたリチャード・シコードがいた。

 シコードがアゼルバイジャンで活動の拠点として設立したのがメガ石油。またジハード傭兵数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるために航空会社を設立、1993年までにメガ石油は約2000名の戦闘員を雇い、カフカスでの工作に使ったという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 しかし、トルクメニスタンからのパイプライン敷設計画の思惑は崩れる。1998年1月にタリバーンはトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設計画でUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだのである。

 そうした動きを察知したのか、クリントン政権は1997年にウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタンの軍隊と演習を開始、アメリカ軍派遣の準備に着手している。

 そして1998年8月、アメリカにとって好都合なことに、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、タリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。また9/11の2カ月前、ブッシュ・ジュニア政権内でアフガニスタンへの軍事侵攻が計画されたと報道されている。

 9/11の2日前、ロシアやイランとも友好的な関係を結ぼうとしていたアーマド・シャー・マスードが暗殺され、9月22日にCIAはウズベキスタン南部にある空軍基地へチームを送り込む。10月にはアフガニスタンを先制攻撃、抵抗らしい抵抗がないまま12月にタリバーン体制は崩壊したと言われた。そして反タリバーン派はドイツのボンで会議を開き、新政府の樹立について話し合い、ハーミド・カルザイ大統領が誕生する。

 この段階で国連安全保障理事会はISAF(国際治安支援部隊)の創設を承認、2003年8月から形式上、NATO(北大西洋条約機構)が指揮権を握っている。建前はどうであれ、ISAFは占領軍にすぎず、相次ぐ「誤爆」で一般住民を殺害して状況を悪化させていった。その一方でケシ畑を保護してきた。

 タリバーンがアメリカに従属しない場合、アメリカは空爆と同時に地上のジハード傭兵で新たな戦争を始める可能性が高い。これはリビアやシリアで使った戦術だ。(了)
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