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ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 18 日 10:58:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

ハプログループ C2 (Y染色体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

ハプログループ C2 (Y染色体)

ハプログループC2の分布図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Distribution_of_Haplogroup_C-M217_Y-DNA_-_worldwide.png

推定発生時期 50,865 [95% CI 49,191 <-> 52,699]年前

推定発生地 中央アジアまたはシベリアまたは東アジア北部(アルタイ山脈〜モンゴル高原付近)

現存下位系統の分岐開始年代 35,383 [95% CI 33,305 <-> 37,537]年前

親系統 C

子系統 C2b-L1373/F1396, C2c-F1067

定義づけられる変異 M217, P44, PK2

高頻度民族・地域
北東アジア、中央アジア(カザフスタン)、北アメリカ北西部。
カザフ人、モンゴル系民族、ツングース系民族、古アジア系民族、ナデネ系民族に高頻度。


ハプログループC-M217 (Y染色体) (Haplogroup C-M217 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC2とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループCの下位枝に属し、「M217, P44, PK2」によって定義されるグループである。

かつてはハプログループ C3と呼ばれていた。

約50,865年前にC1-F3393/Z1426と共通の祖先から派生して、現存の全てのC-M217の最も近い共通祖先は約35,383年前にユーラシア大陸北東部で生まれたと考えられる。

ある民族の総人口に占める割合としては、ユーラシアではツングース系民族、モンゴル系民族、カザフ、ハザーラ、コリャーク、イテリメン、ユカギール、ニヴフに多く見られ、アメリカ大陸ではナデネ語族話者に比較的多く見られる。

日本人には3%乃至6%ほど観察されている。


ハプログループCの拡散経路
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Haplogroup_C_(Y-DNA)_migration.png

各民族の頻度

オロチョン族 61%[6]-91%[7]
エヴェン 5%[8]-74%[2]
エベンキ 44%[7]-71%[9][8]
ブリヤート人 60%[7]-84%[10]
カザフ人 40%[7]-66.7%[11]
モンゴル人 52%[7]-54%[6]
タナナ族 42%[12]
ハザーラ人 40%[13]
ニヴフ人 38%[10]
コリヤーク人 33%[9]
ダウール族 31%[6]
ユカギール人 31%[8]
シボ族 27%[6]
満州族 26%[6]-27%[7]
アルタイ人 22%[2]-24%[7]
ナナイ 22%[6]
ウズベク人 20%[7]
トゥチャ族 18%[7]
ハニ族 18%[6]
シャイアン族 16%[12]
アパッチ族 15%[12]
トゥバ人 15%[8]
アイヌ人 12.5%[10]-25%[2]
朝鮮民族 6.5% (中国東北部)[14]-26.3% (北朝鮮)[14]
回族 11%[7]
スー族 11%[12]
漢民族 5%[7]-20%[6]
キン族 4.3%[15]-12.5%[16]
日本人 3%[3]-6%[4]


下位区分

C2(C-M217): モンゴル人, カザフ人, ブリヤート人, ダウール族, カルムイク人, ハザーラ人, 満州族, シボ族, オロチョン族, コリヤーク人, イテリメン族に高頻度。ツングース系民族, 朝鮮民族, アイヌ人, 漢民族, ベトナム人, ニヴフ人, アルタイ人, トゥバ人, ウズベク人, ノガイ族, クリミア・タタール人で中頻度。

C2a(C-L1373)
C2a1 (C-F3447)
C2a1a (C-F1699)
C2a1a1(C-F3918)

C2a1a1a(C-P39):北米先住民。ナデネ系民族、アルゴンキン系民族、スー系民族[20]

C2a1a1b (C-FGC28881.2)

C2a1a1b1 (C-F1756) 中国、ロシア(アルタイ人、コリヤーク人等)、トルコ、東欧に見られる

C2a1a1b1a (C-F3830) カザフスタン、アフガニスタン、サウジアラビア

C2a1a1b1b (C-Y10420/Z30402) ポーランドやチェコに見られる

C2a1a2(C-M48)

C2a1a2a(C-M86):北ツングース系民族、カザフ人、オイラト, カルムイク人, 外モンゴル人, ユカギール人,ニヴフ人, コリヤーク人, イテリメン族, ウデヘ人に高頻度。南ツングース系民族,内モンゴル人, ブリヤート人, トゥバ人, ヤクート人, チュクチ族, キルギス人, ウイグル人, ウズベク人, カラカルパク人, タジク人に中頻度[21][22]。アルタイ諸語の担い手。

C2a1a2b (C-B90) コリヤーク人、エヴェンキ、エヴェン、ユカギール人

C2a1a2b1 (C-B91) コリヤーク人で高頻度。

C2a1a2b2 (C-B93) エヴェンキやウリチに見られる。

C2a1a3 (C-M504) 中国(満洲系)、モンゴル、キルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン、ロシア、ウクライナ、ハンガリー

C2b1a3a1c (C-Y12782) ウクライナ、カザフスタン

C2a1a4 (C-Y12018/Z30601) インド(ジャンムー・カシミール州)、スロバキア、ドイツ、中世のキプチャク

C2a1a4c (C-B79) コリヤーク人

C2a2 (C-Z31698) 日本

C2b(C-F1067)
C2b1 (C-F2613/Z1338)
C2b1a (C-Z1300)

C-CTS2657 韓国人の約7.1%にみられる。

C-A14895

C-A14912 中国人(江蘇省、北京)にみられる。

C-Y37069 韓国人、中国人(湖北省)にみられる。

C-Z18177
C-Z18177*
C-Y13860

C-CTS4449 中国人(北京の漢族、福建省)、韓国人、ハザーラ人(パキスタン)などにみられる。

C-Y13856
C-Y13856*

C-M407 ブリヤート共和国のブリヤート族、ソヨト族、ハムニガン族に高頻度、カルムイク族およびその他のモンゴル民族に中頻度、ペー族, カンボジア人, 漢民族, 日本人, 朝鮮民族,[24] 満州族, トゥチャ族, ウイグル人, カザフ人、トゥバ人, テレウト族, エヴェンキ, ヤクート人、アルメニア人等に低頻度にみられる。

C-F3850 ブリヤート共和国(ブリヤート人)、インドネシア(華人)、漢族(山東省)、日本(東京)

C-F3753 漢族(吉林省)、ウイグル人

C-SK1027 漢族(中国北部及び南西部)

C-F8465 モンゴル、ブリヤート、ヤクート

C-Z8440

C-CTS3385 北京の漢族、韓国、ロシアのチェチェン共和国にみられる。

C-F1319 中国、日本、ブータン、バングラデシュ

C-Y35926 中国(山東省)及び日本(佐賀県)にみられる。

C-F3777

C-F3777* ベンガル人(バングラデシュ)にみられる。

C-F3735 北京の漢族にみられる。

C2b1b (C-F845) 日本、韓国、中国、ベトナム、フィリピン(バタンガス州)

C-F845* 中国人(山東省、安徽省、浙江省)、ベトナムのキン族(ホーチミン市)、韓国人(ソウル)にみられる。

C-FGC39579 中国人(河南省、四川省)にみられる。

C-K511 西双版納タイ族自治州のタイ族にみられる。

C-F5477

C-F5477* 日本(東京)、中国(貴州省)

C-M93:日本人で散発的に観察される(日本固有)。

C-SK1038

C-SK1038* 韓国(ソウル)

C-Y35928 中国(北京、湖北省)

C2b2 (C-CTS4660) 中国人(漢民族およびタイ族)に低頻度にみられる。
(系統樹、系統名称はY-DNA Haplogroup C and its Subclades - 2019による。)


言語との関連

ハプログループC2はアルタイ諸語と古アジア諸語、ナデネ語族話者に高頻度である。

デネ(ナデネ語族話者)に多いのはC-P39であるが、ハプログループQ (Y染色体)がそれ以上に高頻度であり、デネ・エニセイ語族仮説があることから、言語系統を反映しているのはケット人にも高頻度のハプログループQと考えられる。

いっぽう古アジア諸語の担い手はC-M48であり、その下位系統の一部がアルタイ諸語と強い相関を示すことから、アルタイ諸語の基層にはニブフ語のような古アジア諸語が想定できるかもしれない。

なおアルタイ系民族(チュルク系民族、モンゴル系民族、ツングース系民族)で高頻度なC2の多くはC-M48やC-P39を含むC-L1373系統であるが、逆に朝鮮民族や漢民族、日本人など東アジアの民族ではC-F1067系統が大半で、C-L1373はわずかである。

しかし、バイカル湖周辺のブリヤート共和国に居住するブリヤート、ソヨト、ハムニガン(エヴェンキ)諸先住民族及びカザフのコンギラト部(コヌラト部)に多いC-M407は東アジアに多いC-F1067系統に属している。

C-L1373とC-F1067はおおよそ34,400年もしくは35,383 [95% CI 33,305 <-> 37,537]年前に男系直系祖先の血筋が分かれたと推定されている。なお、朝鮮語の担い手としてC-F1067系統が想定できるかもしれない。


世界諸民族に於ける遺伝子の分布を比較する分子集団遺伝学的研究などによく利用される1000人ゲノムプロジェクトの日本人サンプル(JPT, "Japanese in Tokyo, Japan")56人のうち、2人がC-M217に属しているという結果が2016年の論文で報告されている。

さらに、2人がC-F1067のサブクレードに当たるC-F3850とC-F5477/SK1036(xC-F13762)にそれぞれ分類されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)  

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コメント
1. 中川隆[-12374] koaQ7Jey 2020年6月18日 10:59:24 : mclIHZvJWY : dktVRmUwWHZQY1E=[15] 報告
日本人のガラパゴス的民族性の起源


1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

0-1. 日本人のY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-1.htm

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

2-3. 日本民族mtDNAハプロタイプ頻度リスト
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-3.htm

1-3. 日本民族 Y-DNA調査まとめ 日本人は三重遺伝子構造の民族!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-3.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8,30-11,30-12,19-14.htm#1-8

1-4. 琉球列島のY-DNA遺伝子構成
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4,16-5,19-12,19-13.htm#1-4

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7

1-10. 北方民族度調査 日本列島に古代北方民族はやってきたのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

0-4. 日本の人口構成動態 今後はY-DNA「O」の増大と「D2」の減少か! rev.2
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-4.htm

2. 中川隆[-12317] koaQ7Jey 2020年6月20日 12:57:40 : aJzrYhZXuM : UGtFb2ZLS0s2Vy4=[9] 報告

0-3. 日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-3,19-8,30-31.htm#0-3

30-23. Y-DNAから見た日本語の成り立ち考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2,30-23,30-24,30-25.htm#30-23

3. 2021年3月21日 11:07:29 : 56w0TbOpRk : SWJDemhtTzJaUWc=[13] 報告
雑記帳 2021年03月21日
後期更新世アジア北部におけるY染色体ハプログループC2aの拡大とアメリカ大陸先https://sicambre.at.webry.info/202103/article_22.html


 後期更新世アジア北部における特定のY染色体ハプログループ(YHg)C2aの拡大とアメリカ大陸先住民の起源に関する研究(Sun et al., 2021)が公表されました。以前の考古学的および遺伝学的研究では、アジア北部における現生人類(Homo sapiens)の出現と最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の再拡大に関わる過程が明らかにされてきました。アルタイ山脈からチュクチ半島にいたるアジア北部では、一連の旧石器時代遺跡が発見されており、古代DNA研究では、24000年前頃のシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年1個体のゲノムに代表される「古代北ユーラシア」人口集団が、現代ユーラシア人およびアメリカ大陸先住民の遺伝子プールに大きく寄与した、と示されています(関連記事)。24000〜18000年前頃のLGMは、アジア北部の人口集団の遺伝的構造を強く再形成しました(関連記事)。LGM後、さまざまな地域の古代人口集団は、アジア北部全域に再拡散しました。これら古代人口集団間の長期の混合はついに、アジア北部の現代人集団の出現につながりました。

 以前の調査では、アジア北部の人口集団は4系統のYHgと多くの稀な系統で構成されます。たとえば、YHg-Nは、ウラル語族の唯一の創始者父系で、ツングース語族やモンゴル語族やテュルク語族人口集団において高頻度ですが、YHg-C2a1a3(M504)はモンゴル語族人口集団の創始者父系の一つです。古代および現代の人口集団両方の研究により、YHg-C2a1a1b1(F1756)が東胡(Donghu)や鮮卑(Xianbei)や室韋(Shiwei)や楼蘭(Rouran)といった人口集団で優勢な系統だった、と示されました。YHg-C2a1a2a(M86)はツングース語族の人々の唯一の創始者父系です。これら4系統のYHgの下位系統は過去5000年に出現しました。

 YHg-C2a(L1373)には多くの少数派の下位系統があり、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の人口集団から無作為に検出されてきました。たとえば、コリャーク人(Koryak)のYHg-C2a1a1b2(B77)・C2a1a4c(B79)・C2a1a2b1(B91)、朝鮮人のYHg-C2a1b(BY145927)、日本人のC2a1a4(M8574)です。一般的に、これら稀な系統のほとんどの起源と拡散過程は曖昧なままです。以前の研究では、YHg-C(M130)もしくはC2(M217)もしくはC2a1a1a(P39)の広範な分布が明らかにされてきました。重要なことに最近の研究では、エクアドルのワランカ人(Waranka)集団で新たなYHg-C2a2b(MPB373)が識別されており、アメリカ大陸先住民の祖先集団の形成における「短いベーリンジア停止」期間を裏づける、と示唆されています(関連記事)。古代DNA分析では、1万年前頃となるブラジルのCP19個体(関連記事)と、ロシア沿海地域のNEO239個体(関連記事)も、YHg-C2a2bに分類されます。これら現代および古代のデータからは、YHg-Cの下位系統がアメリカ大陸先住民の創始者父方系統の一つだった、と示唆されます。

 「ベーリンジア停止仮説(ベーリンジア潜伏モデル)」は、過去10年のアメリカ大陸先住民の起源に関する最も評判のよい理論です(関連記事)。この仮説では、以下のことが提案されています。まず、アメリカ大陸先住民の直接的祖先はベーリンジアに32000年前頃もしくは22000年前頃に移動してきました。次に、アメリカ大陸先住民関連の遺伝的構成の分化はLGMにおいて大ベーリンジア地域で起き、LGM後のベーリンジアから東方への拡大は、アメリカ大陸先住民の出現とベーリンジアからの西進につながりました。このいわゆる「逆移動」は、シベリアにおけるアメリカ大陸先住民の最も密接に関連する系統とほとんどのユーラシア北部人の起源です(関連記事)。31600年前頃となるシベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、以下ヤナRHS)は、かつてベーリンジア停止仮説を裏づける最も強力な証拠とみなされました。現在利用可能な証拠は、LGMにおいて最寒冷地域の一つであるシベリアの古代人集団はベーリンジアに集中し、LGM後にそこからシベリア北東部の大半とアメリカ大陸に拡散した、と提案する以前の仮説と矛盾している、と本論文は主張します。

 ヤナ遺跡集団の古代DNAの最も進んだ分析では、以下のように提案されています(関連記事)。マリタ遺跡の少年個体に代表される古代北ユーラシア人(ANE)の祖先集団、古代旧シベリア人(APS)、古代ベーリンジア人は、LGM前に分岐した古代北シベリア人(ANS)およびこれらの祖先集団と遺伝的構成を共有しています。アジア東部人とANS関連祖先系統の混合によりAPSと古代ベーリンジア人とアメリカ大陸先住民の直接的祖先集団が生まれ、この混合は2万年前頃に起きました。混合人口集団の北方への拡散はLGM後に起きた可能性が高く、LGM後の細石刃技術の拡大に反映されているようです。アジア東部人の遺伝的構成の欠如のため、31600年前頃のヤナRHS個体はアメリカ大陸先住民の直接的祖先集団ではありません。最近の古代DNA研究では、後期更新世以来のアジア北東部とシベリア北東端のチュクチ半島と北アメリカ大陸のより詳細な人口史が提供されています(関連記事)。一般的に、最近の技術による古代DNA研究は、「長期ベーリンジア停止仮説」と一致しません。本論文では、アメリカ大陸先住民の創始者系統に最も密接に関連するYHgが特定され、アメリカ大陸先住民の祖先集団の出現は、LGM後のユーラシア全域での大きなYHg-Q1b1(L53)の拡散の一部だった、と提案されます。

 本論文は、アメリカ大陸先住民の創始者父系であるYHg-C2a1a1a(P39)とC2a2b(MPB373)のより詳細な起源過程に焦点を当てます。YHg-C2a(L1373)の稀な下位系統であるC2a1a3(M504)・C2a1a1b1(F1756)・C2a1a2a(M86)に分類される、43人の男性のY染色体DNA配列が分析されました。年代推定を有する改訂された系統樹が、YHg-C2aの利用可能な全下位系統で再構築されました。旧石器時代のこれら下位系統の起源および分化過程が調べられました。とくに、稀な下位系統の分岐パターンに焦点が当てられ、アメリカ大陸先住民におけるYHg-C2a1a1aとC2a2bの起源を調べる証拠が用いられました。全体として、本論文は正確な年代の洗練されたY染色体系統樹を生成し、YHg-C2a下位系統の起源と拡散およびアメリカ大陸先住民の祖先集団の形成における寄与を調べます。


●分析結果

 調査対象の標本の地理的位置は図1に示されます。緑色の台形は大きい方が現代、小さい方が古代のYHg-C2a(L1373)の稀な下位系統を表します。灰色の円形は、大きい方が現代、小さい方が古代のYHg-C2aの主要な下位3系統であるC2a1a3(M504)・C2a1a1b1(F1756)・C2a1a2a(M86)を表します。赤色の四角はアメリカ大陸の標本を表します。以下、本論文の図1です。
画像

 YHg-C2a の改訂された系統樹には、1816ヶ所の非固有多様体と2257ヶ所の固有多様体が含まれていました。上述のYHg-C2a の主要な下位3系統に加えて、他の稀な27の下位系統が識別されました(図2)。中国では、YHg-C2a の稀な下位系統は北方の国境付近の人々に由来し、YHg-C2a の主要な下位3系統と同じパターンを示します。YHg-C2a の稀な下位系統は、カムチャッカ半島やアムール川地域や韓国や日本やヨーロッパ中央部やパキスタン北部で見つかりました。アメリカ大陸先住民の2個体ではYHg-C2a1a1aとC2a2bが確認され、暫定的に北アメリカ大陸北部と分類されました。データ不足のため、一部の例外を除いてモンゴルにおけるYHg-C2a下位系統の分布は不明確です。一般的に、YHg-C2a の稀な下位系統の分布は、アムール川地域からモンゴル高原および隣接地域までのアジア北部の低緯度地域に集中している、と本論文は結論づけます。ヨーロッパ中央部とパキスタン北部の標本は、最近のユーラシア東部からの移住の結果の可能性が高そうです。

 年代推定を伴うYHg-C2aの再構築系統樹からは、YHg-C2aが17700〜14300年前頃に急拡大した、と示唆されます(図2)。主要な下位系統であるYHg-C2a1a3・C2a1a1b1・C2a1a2aの他に、YHg-C2aの多くの少数派の下位系統があります。アメリカ大陸先住民で見つかったYHg-C2a1a1a(P39)とC2a2b(MPB373)は、14000年以上前に出現した下位12系統のうちの2系統です。YHg-C2a1a1aはその最も密接に関連する系統C2a1a1b(F11350)と14300年前頃(95%信頼区間で15100〜13500年前)に分岐しました。YHg-C2a2bはエクアドルの1個体(Waranka9586)で見つかり、YHg-C2aの最初の分岐です。Waranka9586個体のデータは低網羅率なので、192ヶ所の多様体のうち84ヶ所で結果が得られませんでした。YHg-C2a2bはYHg-C2aから22400もしくは17700年前頃に分岐したと推定され、より信頼できる分岐年代の決定には、より高品質のデータが必要です。以下、本論文の図2です。
画像

 また、利用可能なYHg-C2aの古代人37個体が再分析されました(図1)。朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域に位置する悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡の7400年前頃の個体(NEO239)はYHg-C2a2bです。ブラジルの1万年前頃の個体(CP19)もYHg-C2a2bです。NEO239個体はアムール川地域に分類され、アジア北部および最古のYHg-C2a2bを表す、ブラジルのCP19個体におけるYHg-C2a2bの初期の起源の手がかりを提供します。ロシアのブリヤートの14000年前頃の個体(UKY001)はYHg-C2a1a1a(P39)で、ユーラシアにおける最初のYHg-C2a1a1aの事例を表します。以前の研究ではYHg-C2a1a1aがアメリカ大陸先住民に特有とされていたことを考えると、これは驚くべき重要な発見です。UKY001個体とアメリカ大陸先住民との間の常染色体およびY染色体の大きな類似性(関連記事)から、アジア北部低緯度地域は混合が起きたかもしれない地域で、アメリカ大陸先住民の直接的な起源だったかもしれない、と示唆されます。

●YHg-C2aのLGM後の分化

 現代人集団ではYHg-C2a1a1b1(F1756)・C2a1a3(M504)・C2a1a2a(M86)の頻度が高いため、ほとんどの研究はこれらYHg-C2aの主要な下位3系統の拡大過程と、祖型モンゴル人、現代モンゴル語話者人口集団、ツングース語族人口集団の形成におけるその役割に注目してきました。本論文は、YHg-C2aの稀な下位系統の初期の分化史に注目します。YHg-C2b(F1067)との35000年前頃の分離後、YHg-C2aは約17000年間のきょくたんに長期のボトルネック(瓶首効果)を経ました。LGM後、YHg-C2aの急速な文化により、14300年以上前に12の下位系統が生じました(図2)。

 上述のように、YHg-C2aの稀な下位系統の標本のほとんどは、アムール川地域やモンゴル高原や中国北方の国境やその隣接地域のような、アジア北部低緯度地域の人口集団で見つかりました。以前の研究でも、アムール川地域はYHg-C2aの主要な下位3系統(C2a1a1b1・C2a1a3・C2a1a2a)の原郷で、過去数千年の拡大の前だった、と示されてきました。これらの知見と、たとえばYHg-C2a2bのNEO239個体やYHg-C2a1a1(B473)のようなUKY001個体といった利用可能な古代DNAに基づくと、YHg-C2aの最初の分化はアジア北部の低緯度地域(アムール川地域の可能性が高そうです)で、18000〜14000年前頃のYHg-C2aの連続的な分化パターンは、LGM後の南方から北方や西方へのアジア北部の移住に対応しているかもしれない、提案されます。


●「ベーリンジア停止」期間の減少とその重要性の低下

 「ベーリンジア停止」期間は、過去数十年の遺伝学的研究の発展により大きく短縮しました。ヤナRHSとミトコンドリアDNA(mtDNA)の観点での最初の提案では、15000年ほどの停止が主張されました(関連記事)。しかし、その後の研究では、アメリカ大陸先住民の祖先はアジア北東部の近縁集団と23000年前頃に分離した、と提案されました(関連記事)。したがって、アメリカ大陸先住民の祖先は23000年前頃以前にはアメリカ大陸に拡散しておらず、ベーリンジアでの孤立期間は8000年以下となります。

 アラスカで発見された末期更新世の個体(USR1)のゲノム分析では、アメリカ大陸先住民の共通祖先は20900年前頃に分岐し、その場所はアジア北東部もしくはベーリンジア東部だったかもしれない、と示されました(関連記事)。したがって、「ベーリンジア停止」があったならば、6000〜5000年ほど(21000〜16000年前頃)続いたかもしれません。最重要なのはヤナRHSの2個体の古代DNA分析で、古代ヤナRHS人口集団はアメリカ大陸先住民集団に直接的には寄与しなかった、と明らかになりました(関連記事)。最近のY染色体の研究では、ベーリンジア停止期間は2700年もしくは4600年と提案されています(関連記事)。

 本論文のY染色体の証拠は、アメリカ大陸先住民の祖先直接的な祖先集団が、「古代北シベリア人(ANS)」とアムール川地域の旧石器時代共同体の混合で、LGMの間およびその後に出現した、との古代DNA分析(関連記事)の議論を裏づけます。混合人口集団の大ベーリンジア地域への移動に長い期間かかったかもしれないことも、注目に値します。したがって、大ベーリンジア地域における停止の実際の間隔は、2000年もしくは1000年未満だったかもしれません。一般的に、この短いベーリンジア停止期間は、停止として解釈されるパターンがおそらくはシベリア南部からの移住過程の一部にすぎず、もし停止があったならば、その期間は最初に考えられたよりも進化的圧力としての重要性はずっと低くかった、という可能性がひじょうに高そうです。


●アメリカ大陸への移住の複数の可能性

 まず、主要な祖先系統と最初の混合についてです。シベリア南部は、アメリカ大陸先住民の創始者父系YHg-Q(M242)の起源地と一般的に認められています。現代のエニセイ語話者人口集団は、ユーラシア人の中でアメリカ大陸先住民に最も近いとみなされています。LGMにおけるYHg-Qを有する古代人口集団の退避地は、シベリア南部にあったかもしれません。本論文では、アムール川地域はLGM 後のYHg-C2a(L1373)の拡大中心地だった可能性が高く、シベリア南部地域から遠く離れている、と提案されます。したがって、LGMにおけるシベリア南部とアムール川地域の古代人口集団は、アメリカ大陸先住民の主要な2祖先系統だったかもしれません。シベリア南部の人口集団がアムール川地域からの移民と混合し、ベーリンジア地域においてアメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団が形成されるには、長期間を要した可能性があります。

 第二に、多様な遺伝的系統の起源についてです。アメリカ大陸先住民のmtDNA創始者系統と、そのユーラシア人で最も密接に関連する系統の分岐年代は、研究により大きく異なります。以前の研究では、アメリカ大陸先住民の主要な3創始者父系、つまりYHg-Q1b1a1a(M3)・Q1b1a2(Z780)・C2a1a1a(P39)は、相互にひじょうに古い時代に分岐した、と明らかされてきました。以前の研究では、アメリカ大陸先住民の祖先集団の多様な遺伝的系統は、ベーリンジア地域における単一で孤立した人口集団としての長期の分化の結果と考えられていました。しかし、古代ゲノムの分析により明らかになったように(関連記事)、アメリカ大陸先住民祖先系統の起源集団は、上部旧石器時代にシベリア全域により広範に拡大しており、この基底部アメリカ大陸先住民集団は、アジア北東部人口集団と複数回の遺伝的接触を経て、明確に古代シベリア人口集団が形成されました。したがって、アメリカ大陸先住民の祖先集団の遺伝子プールで観察された多様性には2つの起源集団があったかもしれない、と本論文は提案します。一方は、シベリア南部とアムール川地域における祖先集団の多様な系統です。もう一方は、ベーリンジアにおける長期の孤立期間というよりもむしろ、シベリア南部からベーリンジアへの移動中に新たに出現した構成要素かもしれません。

 第三に、単一の祖先集団だったか否か、という問題です。古代ゲノムの以前の研究では、アメリカ大陸先住民の単一の小さな祖先集団を想定し、複雑な分化と混合過程を解釈する傾向があります。本論文では、現在利用可能な遺伝的証拠は、30年以上前に最初に提案された「移住の複数の波モデル」を裏づける傾向にある、と提案されます。アメリカ大陸先住民の一部の遺伝的系統は、比較的古い時代にアメリカ大陸へと拡散し、たとえば、mtDNAハプログループ(mtHg)D4h3aやX2aです。対照的に、一部の他の系統は、アジア北東部の近縁系統と比較的最近分離しました。たとえば、YHg-C2a1a1a(P39)と、YHg-C2a1a1b1(F1756)のようなその最も密接に関連した系統は、14300年前頃に分離しました。これらの想定では、アメリカ大陸先住民の一部の祖先集団は、アジア北部の低緯度地域に居住していた可能性がある一方で、他の祖先集団は北アメリカ大陸における拡大を始めていたかもしれません。一般的に、多数の創始者の母系および父系と、これらの系統のさまざまな出現・拡大年代は、全アメリカ大陸先住民の単一の共通祖先を裏づけず、それは古代DNA研究の議論と一致します(関連記事)。

 第四に、石器技術の観点における人類の拡散です。細石刃技術の痕跡は、アジア北東部において考古学で特定された最初の文化である35000〜13000年前頃のデュクタイ(Dyuktai)文化の遺跡では稀です。デュクタイ文化は10500〜6000年前頃のサムナギン(Sumnagin)文化に置換されました。サムナギン文化では細石刃技術の繁栄を示唆する痕跡が残っており、アジア北部の低緯度地域から拡散しました。考古学では、デュクタイ文化の古代人口集団が早期に北アメリカ大陸へと移動していった一方、細石刃技術の古代人口集団がその後で北アメリカ大陸へと拡散した、と提案されてきました。移住のこれら2回の波が、北アメリカ大陸北部における細石刃技術の普及につながりましたが、細石刃技術の痕跡は北アメリカ大陸南部と南アメリカ大陸では稀です。デュクタイ文化の古代人遺骸のより多くの分析が、シベリアにおけるアメリカ大陸先住民の祖先集団の進化史の解明に重要です。

 第五に、拡散の可能性がある3回の主要な波についてです。全体として本論文は、石器技術の移行、YHg-C2a2b(MPB373)とC2a1a1a(P39)の分岐パターン、アメリカ大陸先住民の3集団の出現過程が、アメリカ大陸先住民の起源に関する移住の複数の波モデルを裏づける、と提案します。移住の第二の波がナ・デネ(Na-Dene)語族話者人口集団の祖先を形成した一方で、他のアメリカ大陸先住民は移住の最初の波の古代人の子孫かもしれません。移住の別の後の波は、エスキモー・アレウト(Eskimo-Aleut)語族話者人口集団を形成したかもしれません。アメリカ大陸先住民の異なる父方および母方の創始者系統の分岐年代の間隙は、アジア北部からベーリンジアの低緯度地域への長距離移住に対応しているかもしれません。混合人口集団は、アメリカ大陸へと拡散する前に長くベーリンジア地域に留まらなかったかもしれません。要するに本論文の提案は、本論文で提示された父方の創始者系統に関する証拠が最近の古代DNA分析の知見を裏づける、というものです。最近の古代DNA分析では、アメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団は、LGM前の大ベーリンジアもしくは隣接地域の古代人口集団というよりもむしろ、「古代北シベリア人(ANS)」と、LGM後にアジア北東部へと拡散したアムール川地域の旧石器時代後期共同体の混合だった、と提案されました。

 結論として、本論文はユーラシア東部人口集団からの稀なYHg-C2a(L1373)の下位系統の大規模な標本セットを収集し、18000〜14000年前頃のこれら下位系統の明確な分化パターンの証拠を提供しました。これらの標本の分布と、YHg-C2aの下位系統全ての拡大史に基づき、LGM 前のYHg-C2aの分化はアムール川地域からアジア北部の他地域へと北方への拡散の波と対応しているかもしれない、と本論文は提案します。現在利用可能な古代人および現代人のDNAデータは、「長期ベーリンジア停止モデル」よりもむしろ、「移住の複数の波モデル」と一致します(図3a・c)。「短期ベーリンジア停止」モデルはまだ可能性がありますが、その重要性は当初に考えられていたよりも大きく減少しました(図3b)。シベリア東部における24000〜10000年前頃の人類遺骸からのより多くの古代DNAデータは、ユーラシアにおけるアメリカ大陸先住民の直接的な祖先集団の形成過程に関する追加の詳細の提供に役立つかもしれません。以下、本論文の図3です。
画像

 以上、本論文についてざっと見てきました。アメリカ大陸への人類最初の移住年代については議論が続いており、まだ確定していません。アメリカ大陸におけるLGM直後やLGM期さらにはその前までさかのぼるかもしれない人類の痕跡としては、16000年前頃までさかのぼるアメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(関連記事)や、3万年前頃までさかのぼるかもしれないメキシコのチキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)遺跡(関連記事)の事例が報告されています。

 これらの遺跡の年代と本論文の見解がともに妥当だとしたら、LGM期さらにはその前までさかのぼるかもしれないアメリカ大陸の人類は、完新世のアメリカ大陸先住民にほとんど遺伝的影響を残していないかもしれません。あるいは、最近mtDNAの変異率の見直しが提案されているように(関連記事)、Y染色体DNAの変異率の見直しにより、アメリカ大陸への人類拡散の推定年代が本論文の想定よりもさかのぼる可能性があるとは思います。これらの問題の解決には、アメリカ大陸の更新世の人類遺骸のDNA解析が望ましいものの、アメリカ大陸の更新世の人類遺骸は少ないので、堆積物のDNA解析による研究の大きな進展が期待されます。


参考文献:
Sun J. et al.(2019): Post‐last glacial maximum expansion of Y‐chromosome haplogroup C2a‐L1373 in northern Asia and its implications for the origin of Native Americans. American Journal of Physical Anthropology, 174, 2, 363–374.
https://doi.org/10.1002/ajpa.24173

https://sicambre.at.webry.info/202103/article_22.html

4. 中川隆[-13023] koaQ7Jey 2022年7月06日 00:12:35 : R2bxuKkx5s : U204dEdsbkwzdGs=[4] 報告
アフリカから始まる人類の歴史(Y染色体ハプログループCの研究)
2021年5月3日JOJI KANEHIRA
http://www.jojikanehira.com/archives/16238627.html

人間のY染色体DNAが調べられるようになって年数が経過し、その分類も精緻になってきました。Y染色体DNAは、父から息子へ代々伝わるものです。日本ではY染色体DNAのO系統、D系統、C系統が多く見られますが、これらについて考察する前に、まずはすべての系統のおおもとであるアフリカのA系統に目を向けましょう(専門的には、ハプログループA、ハプログループC、ハプログループD、ハプログループOのように言いますが、本ブログでは一般の方にとって見慣れない専門用語を避けて、A系統、C系統、D系統、O系統のように言います)。

最初は、A系統の男性しかいませんでした(図はA系統の男性が集まっているところです)。

A系統のある男性に変異が起きて、BT系統が生まれます。

さらに、BT系統のある男性に変異が起きて、CT系統が生まれます。

※正確に言うと、A系統の一下位系統からBT系統が生まれ、BT系統の一下位系統からCT系統が生まれましたが、ここでは単純に表現してあります。

ここまでは、アフリカで起きたことです。アフリカ以外のすべての男性のY染色体DNAは、このCT系統から来ています。CT系統から、複雑になっていきます。CT系統から、以下の系統が生まれました。

CT系統からDE系統とCF系統が生まれました。そして、DE系統からD系統とE系統が生まれ、CF系統からC系統とF系統が生まれました。

DE*という表記について説明しておきましょう。CT系統から変異を経てDE系統が生まれましたが、DE系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、D系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、E系統が生まれたとしましょう。すると、D系統になるための変異も、E系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性が少し残っているようなのです。そのような男性をDE*と書き表しています。

読者の方は、DE系統と同様のことがCF系統にもあったのではないかと考えるでしょう。もっともです。CT系統から変異を経てCF系統が生まれましたが、CF系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、C系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、F系統が生まれたとしましょう。すると、C系統になるための変異も、F系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性は存在したはずです。しかし、残っていないのです。そのため、上の系統図に「DE*」という表記はありますが、「CF*」という表記はないのです。

これまでに蓄積されているデータからすると、CT系統からDE系統への変異はアフリカで起きた可能性が高く、CT系統からCF系統への変異はアフリカの外で起きた可能性が高いです。アフリカにいたCT系統のある男性に変異が起きてDE系統が生まれ、アフリカの外にいたCT系統のある男性に変異が起きてCF系統が生まれたということです。

上の系統図のE系統、DE*グループ、D系統、C系統、F系統の分布について述べておきましょう。

E系統の分布は、圧倒的にアフリカに偏っています。ヨーロッパと中東に見られるE系統は、アフリカで生まれたE系統がかなり後になってアフリカの外に出たと考えられるものです。

F系統の分布は、圧倒的にアフリカの外に偏っています。アフリカに見られるF系統は、アフリカの外で生まれたF系統がかなり後になってアフリカに入ったと考えられるものです。アフリカの外の男性のY染色体DNAは、大部分がF系統です。ヨーロッパで支配的なR系統も、東アジア・東南アジアで支配的なO系統も、アメリカ大陸のインディアンで支配的なQ系統も、F系統の下位系統です。

DE*グループは、チベットで報告されていますが、報告例がごくわずかで、まだその存在が確実に認められていません(Shi 2008)。

残るは、C系統とD系統です。日本およびその周辺地域の遠い過去からの歴史を考えるうえで、まず重要になるのが、このC系統とD系統です。F系統と違って、C系統とD系統はアフリカの外で限定された特徴的な分布を示しています。その限定された特徴的な分布は、人類の歴史についてなにか物語っているようです。話の都合上、C系統から始めます。

●Y染色体DNAのC系統について

Y染色体DNAのC系統に関しては、H. Zhong氏らの優れた研究があります(Zhong 2010)。この研究は、Y染色体DNAのC系統が世界にどのように分布しているか調べ、C系統のかつての拡散経路を明らかにしたものです。Zhong氏らの結論を先に示します(図はZhong 2010より引用)。

現在、Y染色体DNAのC系統は、以下の二つの地域で多く見られます。

・オーストラリアとその他のオセアニア地域

・東ユーラシアの北のほうを中心として、一方では中央アジアに、他方では北米北西部にかけて(東ユーラシアの北のほうにC系統がほとんど分布していないところがありますが、これはN系統が支配的なヤクート人のいるところです)

Zhong氏らは、C系統は中東から南アジアを通って東南アジアに進み、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれたと考えています。Zhong氏らは、C系統の以下の下位系統の分布を調べています。

※Zhong氏らの論文では、旧表記が用いられています。C-M8=旧C1、C-M217=旧C3、C-M347=旧C4、C-M38=旧C2、C-M356=旧C5、C-P55=旧C6です。C*は、C-M8~C-P55のどれになる変異も起こしていないことを意味します。

Zhong氏らの研究は、2010年に発表されたものですが、DNAの研究・調査が急速に進んでおり、若干のアップデートが必要です。

上の下位系統の中でC-M347は、オーストラリア(アボリジニ)に非常に多く見られる系統です。C-M38は、オーストラリア以外のオセアニアに多く見られる系統です。上の下位系統の中でC-M347とC-M38は近い関係にありますが、両者の分岐はとても古いです。オーストラリアの住民とオーストラリア以外のオセアニアの住民が早くに分かれたことを示しています。

このC-M347とC-M38に系統上やや近いのが、C-M356です。C-M356は、インド周辺でわずかに見られる系統です。C-M347、C-M38、C-M356は、アフリカから中東に出て、中東→南アジア→東南アジアと進み、オーストラリアとそれ以外のオセアニアに分かれた人の流れを示しています。C-P55は、パプアニューギニアでわずかに報告されている系統です。

残るは、C-M8とC-M217です。実は、日本人に見られるC系統がこのC-M8とC-M217です。C-M8とC-M217を合わせて、日本人のY染色体DNAに占める割合は10%弱です(Hammer 2006)。

C-M217は、東ユーラシアの北のほう、中央アジア、北米北西部に大きく広がっている系統です。

C-M8は、日本以外でなかなか発見されず、謎めいていましたが、中国と朝鮮半島でわずかに見つかっています(www.yfull.com/tree/C/)。C-M8系統に関しては、驚くべき発見がありました。C-M8に系統上やや近いC-V20という系統がヨーロッパとその周辺にわずかに残っていることがわかってきました(Scozzari 2012)。中東でC系統のある下位系統が生じ、この下位系統が一方でヨーロッパ方面に、他方で東アジア方面に達したことを示唆しています。当然、その下位系統はヨーロッパと東アジアの間にも存在したはずです。激しい歴史展開の中で多くの系統が消滅し、遠い系統関係を持つ系統と系統が両極で見つかるよい例でしょう。

さて、C-M8とC-M217はどのようにして今の位置に到達したのでしょうか。先の地図のように、C系統が一方ではオセアニア方面、他方では東ユーラシアの北のほうで繁栄しているのを見ると、中東からの東南アジアルートと中央アジアルートを考えたくなります。しかし、これはいささか早計なようです。

まず、一夫一妻制ではない世界の記事の話を思い出してください。

中央アジアから東に進んできた人々と、東南アジアから北に進んできた人々が混ざり合った話です。●は中央アジアから東に進んできた男性、●は中央アジアから東に進んできた女性、■は東南アジアから北に進んできた男性、■は東南アジアから北に進んできた女性です。

中央アジアからやって来た男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で東南アジアからやって来た男性より優位にあったため、上の図のような子作りが行われ、中央アジアからやって来たY染色体DNAが残ることになりました。

しかし、上の図をよく見てください。中央アジアからやって来た人数と東南アジアからやって来た人数を比べれば、東南アジアからやって来た人数のほうが断然多いのです。■の男性、すなわち東南アジアからやって来た男性は子作りに参加していませんが、これらの男性はどのようなタイプのY染色体DNAを持っていたのでしょうか。東南アジアからやって来たわけですから、そのY染色体DNAはQ系統ではありえません。Q系統は、●の男性、すなわち中央アジアからやって来た男性が持っていたY染色体DNAです。

東南アジアから北に進んできた■の男性のY染色体DNAは、中央アジアから東に進んできた●の男性のY染色体DNAに遮られて、それ以上北に進むことができません。つまり、東南アジアから北にある程度進んだものの、そこで止まってしまったY染色体DNAの系統があったのです。このY染色体DNAは何系統だったのでしょうか(もちろん、画一的だったとは限りません)。

次に、「日本列島は大陸と陸続きだった」という言い方には注意が必要の記事の話を思い出してください(図はWikipediaの図を再掲)。

アフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達する人の流れがありました。この人の流れは、海岸沿いを進んでいく人の流れです。当時の東南アジアはスンダランドという巨大な陸になっていたというのが重要なポイントです。

上の地図の左上(南アジア方面)から人がやって来て、海岸沿いを進んでいきます。スンダランドからサフルランドに渡るのも一つの道ですが、さらに海岸沿いを進んで右上(東アジア方面)に抜けていくのも一つの道です。当時の東南アジアの地形を考えると、オセアニア方面に向かうか、東アジア方面に向かうかというのは、ほんのわずかな選択の差だったのです。オセアニア方面で高い航海能力を示した人々と、東アジア方面で高い航海能力を示した人々の話をしましたが、これらの人々の出所は同じである可能性が高いです。こうなると、オセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統が大きな関心になります。そしてオセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統というのが、まさにC系統なのです。

●アメリカ大陸のインディアンに見られるY染色体DNAのQ系統とC系統について再び考える

アメリカ大陸のインディアンに特徴的なY染色体DNAのQ系統の分布図を再び示します(Balanovsky 2017の図を再掲)。

南米のインディアンのY染色体DNAがほぼQ系統一色であることはお話ししました。しかし、南米のインディアンのY染色体DNAにも、わずかにC系統が存在します(Mezzavilla 2014)。このC系統は、C-M217に属します。しかし、ユーラシアおよび北米で知られているC-M217の各下位系統に当てはまりません。そのため、アメリカ大陸に最初に入っていった人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色であったが、わずかにC系統(C-M217、ただし現在ユーラシアと北米で知られているタイプとは少し異なるタイプ)が存在していたのではないかと推測されています。

アメリカ大陸に最初に入っていった人々は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の前にシベリアにいた人々です。この人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色で、わずかにC系統が存在していたのではないかと思われます。LGMより前にC系統がシベリアに入ろうとしても、Q系統が大きな存在感を誇っていたわけです。南米のインディアンのY染色体DNAはそのことを示しています。その後、LGMが始まって、シベリアはほぼ住めない状態になり、ベーリング地方の人間集団と東アジアの人間集団に二分されます。LGMが終わり、16000年前頃から、北米を覆っていた氷が解け、ベーリング地方の人間集団はアメリカ大陸に入っていきます(このあたりの事情については、閉ざされていたアメリカ大陸への道およびベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々を参照)。と同時に、ほぼ住めない状態になっていたシベリアも再び住める状態になります。LGM前のシベリアではQ系統が支配的であったが、いったん人がいなくなり、LGM後のシベリアにはC系統が突進していったと見られます。そう考えると、北米北西部でQ系統が大きく減り、C系統が大きく増えていることが理解できます。アメリカ大陸に最初に入っていった人々にはC系統はほとんど存在しなかったが、アメリカ大陸に後から入っていった人々にはC系統が多かったということです。

LGMが終わり、再び住めるようになったシベリアには、C系統だけでなく、N系統も進出していきました(変わりゆくシベリアを参照)。しかし、C系統は北米北西部に及んでいますが、N系統は北米北西部に及んでいません。C系統が東アジアから北上し始めた時期は、N系統が東アジアから北上し始めた時期より早かったのかもしれません。C系統はLGMが終わってすぐに東アジアから北上し始め、N系統はしばらく経って遼河文明が起こる頃に東アジアから北上し始めたのではないかということです。

C-M217は東ユーラシアの北のほうに大きく広がっていますが、C-M217の内部のバリエーションは、中央アジアの側では乏しく、中国東部、朝鮮、日本の側では豊かです(理解するためにはShort Tandem Repeatの知識も必要であり、これについては次回の記事で説明します)(Zhong 2010)。C-M217は、中央アジアのほうから中国東部のほうに広がったのではなく、中国東部のほうから中央アジアのほうに広がったと考えられます。中国東部のほうに存在したC-M217の一部が中央アジアのほうに広がったということです。

以上すべてを総合すると、以下のように言えそうです。

Y染色体DNAのC系統は中東から南アジアを通って東南アジアに達し、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれた。東アジアにはC-M8やC-M217などのいくつかの下位系統が到達したが、中央アジアからやって来た寒冷地や内陸での暮らしに長けた男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で優位にあり、C-M8やC-M217はそれ以上北に進むことがほとんどできなかった。C-M8は、東アジア(主に日本)に少数派として残った。C-M217は、LGM前はシベリアにほとんど進出することができなかったが、LGM後はシベリアに盛んに進出し、中央アジアと北米北西部にも至った。

東アジアの歴史の根本を考えるうえで、C系統と並んで重要なのがD系統です。C系統の分布は独特ですが、D系統の分布も独特です。D系統の話に移りましょう。

参考文献

Balanovsky O. et al. 2017. Phylogeography of human Y-chromosome haplogroup Q3-L275 from an academic/citizen science collaboration. BMC Evolutionary Biology 17: 18.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Mezzavilla M. et al. 2014. Insights into the origin of rare haplogroup C3* Y chromosomes in South America from high-density autosomal SNP genotyping. Forensic Science International: Genetics 15: 115-120.

Scozzari R. et al. 2012. Molecular dissection of the basal clades in the human Y chromosome phylogenetic tree. PLoS ONE 7(11): e49170.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6(1): 45.

Zhong H. et al. 2010. Global distribution of Y-chromosome haplogroup C reveals the prehistoric migration routes of African exodus and early settlement in East Asia. Journal of Human Genetics 55(7): 428-435.

http://www.jojikanehira.com/archives/16238627.html

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