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ハプログループC1a1 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/174.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 18 日 09:45:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

ハプログループC1a1 (Y染色体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C1a1_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

ハプログループ C1a1 (Y染色体)
推定発生時期 約41,900年前
約51,800年前 
推定発生地 日本列島?
現存下位系統の
分岐開始年代 約11,650年前
親系統 (大親)C1a
定義づけられる変異 M8, M105, M131, P122
高頻度民族・地域 日本人(〜10%), 縄文人(〜30%)

ハプログループC-M8 (Y染色体)(Haplogroup C-M8 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC1a1とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC1の下位群C1aのうち「M8, M105, M131, P122」によって定義されるグループである。

日本列島ではおおむね5%の頻度で発見されており、他には韓国の済州島で1人、中国遼寧省と韓国ソウル出身者にそれぞれ1人ずつ確認されている。

最も近縁なハプログループであるC1a2との最も近い共通祖先はおおよそ四、五万年前にさかのぼると推定されているが、(現段階の研究で把握されている限りでは)現存するものの拡散は約12,000年前と推定される。

現存する下位系統の最も近い共通祖先は日本列島で誕生したとも考えられるが、詳細は今後の研究が待たれる。

国内各地の頻度

徳島 10%
沖縄 6.8% [4.4%-8%]
本州 4.9% (青森 7.7%, 東京 7.0%, 静岡 4.9%)
九州 0%-3.8%


歴史

ハプログループCの拡散経路
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C1a1_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Haplogroup_C_(Y-DNA)_migration.png


ハプログループC1a1(M8)は日本列島固有であり、その祖型の移動ルートは謎に包まれている。

最も近縁なC1a2(V20)は、旧石器時代のチェコ、約7000年前の中石器時代のスペイン北西部および同じ頃の新石器時代のハンガリー、そして少数の現代ヨーロッパ人、カビル人、アルメニア人、ネパール人から検出されており、ヨーロッパ最古層(クロマニョン人)の集団にもそのハプログループに属す者がいた。

もう少し遡ると、インドやアラビアなどに散見されるC1b1(M356)、インドネシア東部からメラネシアおよびポリネシア、オーストラリアの先住民アボリジニに多く見られるC1b3(B477)との共通祖先C1にたどり着く。

崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている。

その渡来年代は定かでないが、現存系統の拡散開始は約12,000年前であり、縄文時代の開始とほぼ一致している。すなわちハプログループC1a1は日本に縄文文化をもたらした集団かもしれない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C1a1_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)  

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コメント
1. 中川隆[-12384] koaQ7Jey 2020年6月18日 10:21:30 : mclIHZvJWY : dktVRmUwWHZQY1E=[5] 報告
日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

0-1. 日本人のY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-1.htm

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

2-3. 日本民族mtDNAハプロタイプ頻度リスト
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-3.htm

1-3. 日本民族 Y-DNA調査まとめ 日本人は三重遺伝子構造の民族!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-3.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8,30-11,30-12,19-14.htm#1-8

1-4. 琉球列島のY-DNA遺伝子構成
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4,16-5,19-12,19-13.htm#1-4

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7

1-10. 北方民族度調査 日本列島に古代北方民族はやってきたのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

0-4. 日本の人口構成動態 今後はY-DNA「O」の増大と「D2」の減少か! rev.2
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-4.htm

2. 中川隆[-12318] koaQ7Jey 2020年6月20日 12:57:11 : aJzrYhZXuM : UGtFb2ZLS0s2Vy4=[8] 報告

0-3. 日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-3,19-8,30-31.htm#0-3

30-23. Y-DNAから見た日本語の成り立ち考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2,30-23,30-24,30-25.htm#30-23

3. 2022年7月06日 00:11:55 : R2bxuKkx5s : U204dEdsbkwzdGs=[3] 報告
アフリカから始まる人類の歴史(Y染色体ハプログループCの研究)
2021年5月3日JOJI KANEHIRA
http://www.jojikanehira.com/archives/16238627.html

人間のY染色体DNAが調べられるようになって年数が経過し、その分類も精緻になってきました。Y染色体DNAは、父から息子へ代々伝わるものです。日本ではY染色体DNAのO系統、D系統、C系統が多く見られますが、これらについて考察する前に、まずはすべての系統のおおもとであるアフリカのA系統に目を向けましょう(専門的には、ハプログループA、ハプログループC、ハプログループD、ハプログループOのように言いますが、本ブログでは一般の方にとって見慣れない専門用語を避けて、A系統、C系統、D系統、O系統のように言います)。

最初は、A系統の男性しかいませんでした(図はA系統の男性が集まっているところです)。

A系統のある男性に変異が起きて、BT系統が生まれます。

さらに、BT系統のある男性に変異が起きて、CT系統が生まれます。

※正確に言うと、A系統の一下位系統からBT系統が生まれ、BT系統の一下位系統からCT系統が生まれましたが、ここでは単純に表現してあります。

ここまでは、アフリカで起きたことです。アフリカ以外のすべての男性のY染色体DNAは、このCT系統から来ています。CT系統から、複雑になっていきます。CT系統から、以下の系統が生まれました。

CT系統からDE系統とCF系統が生まれました。そして、DE系統からD系統とE系統が生まれ、CF系統からC系統とF系統が生まれました。

DE*という表記について説明しておきましょう。CT系統から変異を経てDE系統が生まれましたが、DE系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、D系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、E系統が生まれたとしましょう。すると、D系統になるための変異も、E系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性が少し残っているようなのです。そのような男性をDE*と書き表しています。

読者の方は、DE系統と同様のことがCF系統にもあったのではないかと考えるでしょう。もっともです。CT系統から変異を経てCF系統が生まれましたが、CF系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、C系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、F系統が生まれたとしましょう。すると、C系統になるための変異も、F系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性は存在したはずです。しかし、残っていないのです。そのため、上の系統図に「DE*」という表記はありますが、「CF*」という表記はないのです。

これまでに蓄積されているデータからすると、CT系統からDE系統への変異はアフリカで起きた可能性が高く、CT系統からCF系統への変異はアフリカの外で起きた可能性が高いです。アフリカにいたCT系統のある男性に変異が起きてDE系統が生まれ、アフリカの外にいたCT系統のある男性に変異が起きてCF系統が生まれたということです。

上の系統図のE系統、DE*グループ、D系統、C系統、F系統の分布について述べておきましょう。

E系統の分布は、圧倒的にアフリカに偏っています。ヨーロッパと中東に見られるE系統は、アフリカで生まれたE系統がかなり後になってアフリカの外に出たと考えられるものです。

F系統の分布は、圧倒的にアフリカの外に偏っています。アフリカに見られるF系統は、アフリカの外で生まれたF系統がかなり後になってアフリカに入ったと考えられるものです。アフリカの外の男性のY染色体DNAは、大部分がF系統です。ヨーロッパで支配的なR系統も、東アジア・東南アジアで支配的なO系統も、アメリカ大陸のインディアンで支配的なQ系統も、F系統の下位系統です。

DE*グループは、チベットで報告されていますが、報告例がごくわずかで、まだその存在が確実に認められていません(Shi 2008)。

残るは、C系統とD系統です。日本およびその周辺地域の遠い過去からの歴史を考えるうえで、まず重要になるのが、このC系統とD系統です。F系統と違って、C系統とD系統はアフリカの外で限定された特徴的な分布を示しています。その限定された特徴的な分布は、人類の歴史についてなにか物語っているようです。話の都合上、C系統から始めます。

●Y染色体DNAのC系統について

Y染色体DNAのC系統に関しては、H. Zhong氏らの優れた研究があります(Zhong 2010)。この研究は、Y染色体DNAのC系統が世界にどのように分布しているか調べ、C系統のかつての拡散経路を明らかにしたものです。Zhong氏らの結論を先に示します(図はZhong 2010より引用)。

現在、Y染色体DNAのC系統は、以下の二つの地域で多く見られます。

・オーストラリアとその他のオセアニア地域

・東ユーラシアの北のほうを中心として、一方では中央アジアに、他方では北米北西部にかけて(東ユーラシアの北のほうにC系統がほとんど分布していないところがありますが、これはN系統が支配的なヤクート人のいるところです)

Zhong氏らは、C系統は中東から南アジアを通って東南アジアに進み、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれたと考えています。Zhong氏らは、C系統の以下の下位系統の分布を調べています。

※Zhong氏らの論文では、旧表記が用いられています。C-M8=旧C1、C-M217=旧C3、C-M347=旧C4、C-M38=旧C2、C-M356=旧C5、C-P55=旧C6です。C*は、C-M8~C-P55のどれになる変異も起こしていないことを意味します。

Zhong氏らの研究は、2010年に発表されたものですが、DNAの研究・調査が急速に進んでおり、若干のアップデートが必要です。

上の下位系統の中でC-M347は、オーストラリア(アボリジニ)に非常に多く見られる系統です。C-M38は、オーストラリア以外のオセアニアに多く見られる系統です。上の下位系統の中でC-M347とC-M38は近い関係にありますが、両者の分岐はとても古いです。オーストラリアの住民とオーストラリア以外のオセアニアの住民が早くに分かれたことを示しています。

このC-M347とC-M38に系統上やや近いのが、C-M356です。C-M356は、インド周辺でわずかに見られる系統です。C-M347、C-M38、C-M356は、アフリカから中東に出て、中東→南アジア→東南アジアと進み、オーストラリアとそれ以外のオセアニアに分かれた人の流れを示しています。C-P55は、パプアニューギニアでわずかに報告されている系統です。

残るは、C-M8とC-M217です。実は、日本人に見られるC系統がこのC-M8とC-M217です。C-M8とC-M217を合わせて、日本人のY染色体DNAに占める割合は10%弱です(Hammer 2006)。

C-M217は、東ユーラシアの北のほう、中央アジア、北米北西部に大きく広がっている系統です。

C-M8は、日本以外でなかなか発見されず、謎めいていましたが、中国と朝鮮半島でわずかに見つかっています(www.yfull.com/tree/C/)。C-M8系統に関しては、驚くべき発見がありました。C-M8に系統上やや近いC-V20という系統がヨーロッパとその周辺にわずかに残っていることがわかってきました(Scozzari 2012)。中東でC系統のある下位系統が生じ、この下位系統が一方でヨーロッパ方面に、他方で東アジア方面に達したことを示唆しています。当然、その下位系統はヨーロッパと東アジアの間にも存在したはずです。激しい歴史展開の中で多くの系統が消滅し、遠い系統関係を持つ系統と系統が両極で見つかるよい例でしょう。

さて、C-M8とC-M217はどのようにして今の位置に到達したのでしょうか。先の地図のように、C系統が一方ではオセアニア方面、他方では東ユーラシアの北のほうで繁栄しているのを見ると、中東からの東南アジアルートと中央アジアルートを考えたくなります。しかし、これはいささか早計なようです。

まず、一夫一妻制ではない世界の記事の話を思い出してください。

中央アジアから東に進んできた人々と、東南アジアから北に進んできた人々が混ざり合った話です。●は中央アジアから東に進んできた男性、●は中央アジアから東に進んできた女性、■は東南アジアから北に進んできた男性、■は東南アジアから北に進んできた女性です。

中央アジアからやって来た男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で東南アジアからやって来た男性より優位にあったため、上の図のような子作りが行われ、中央アジアからやって来たY染色体DNAが残ることになりました。

しかし、上の図をよく見てください。中央アジアからやって来た人数と東南アジアからやって来た人数を比べれば、東南アジアからやって来た人数のほうが断然多いのです。■の男性、すなわち東南アジアからやって来た男性は子作りに参加していませんが、これらの男性はどのようなタイプのY染色体DNAを持っていたのでしょうか。東南アジアからやって来たわけですから、そのY染色体DNAはQ系統ではありえません。Q系統は、●の男性、すなわち中央アジアからやって来た男性が持っていたY染色体DNAです。

東南アジアから北に進んできた■の男性のY染色体DNAは、中央アジアから東に進んできた●の男性のY染色体DNAに遮られて、それ以上北に進むことができません。つまり、東南アジアから北にある程度進んだものの、そこで止まってしまったY染色体DNAの系統があったのです。このY染色体DNAは何系統だったのでしょうか(もちろん、画一的だったとは限りません)。

次に、「日本列島は大陸と陸続きだった」という言い方には注意が必要の記事の話を思い出してください(図はWikipediaの図を再掲)。

アフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達する人の流れがありました。この人の流れは、海岸沿いを進んでいく人の流れです。当時の東南アジアはスンダランドという巨大な陸になっていたというのが重要なポイントです。

上の地図の左上(南アジア方面)から人がやって来て、海岸沿いを進んでいきます。スンダランドからサフルランドに渡るのも一つの道ですが、さらに海岸沿いを進んで右上(東アジア方面)に抜けていくのも一つの道です。当時の東南アジアの地形を考えると、オセアニア方面に向かうか、東アジア方面に向かうかというのは、ほんのわずかな選択の差だったのです。オセアニア方面で高い航海能力を示した人々と、東アジア方面で高い航海能力を示した人々の話をしましたが、これらの人々の出所は同じである可能性が高いです。こうなると、オセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統が大きな関心になります。そしてオセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統というのが、まさにC系統なのです。

●アメリカ大陸のインディアンに見られるY染色体DNAのQ系統とC系統について再び考える

アメリカ大陸のインディアンに特徴的なY染色体DNAのQ系統の分布図を再び示します(Balanovsky 2017の図を再掲)。

南米のインディアンのY染色体DNAがほぼQ系統一色であることはお話ししました。しかし、南米のインディアンのY染色体DNAにも、わずかにC系統が存在します(Mezzavilla 2014)。このC系統は、C-M217に属します。しかし、ユーラシアおよび北米で知られているC-M217の各下位系統に当てはまりません。そのため、アメリカ大陸に最初に入っていった人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色であったが、わずかにC系統(C-M217、ただし現在ユーラシアと北米で知られているタイプとは少し異なるタイプ)が存在していたのではないかと推測されています。

アメリカ大陸に最初に入っていった人々は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の前にシベリアにいた人々です。この人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色で、わずかにC系統が存在していたのではないかと思われます。LGMより前にC系統がシベリアに入ろうとしても、Q系統が大きな存在感を誇っていたわけです。南米のインディアンのY染色体DNAはそのことを示しています。その後、LGMが始まって、シベリアはほぼ住めない状態になり、ベーリング地方の人間集団と東アジアの人間集団に二分されます。LGMが終わり、16000年前頃から、北米を覆っていた氷が解け、ベーリング地方の人間集団はアメリカ大陸に入っていきます(このあたりの事情については、閉ざされていたアメリカ大陸への道およびベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々を参照)。と同時に、ほぼ住めない状態になっていたシベリアも再び住める状態になります。LGM前のシベリアではQ系統が支配的であったが、いったん人がいなくなり、LGM後のシベリアにはC系統が突進していったと見られます。そう考えると、北米北西部でQ系統が大きく減り、C系統が大きく増えていることが理解できます。アメリカ大陸に最初に入っていった人々にはC系統はほとんど存在しなかったが、アメリカ大陸に後から入っていった人々にはC系統が多かったということです。

LGMが終わり、再び住めるようになったシベリアには、C系統だけでなく、N系統も進出していきました(変わりゆくシベリアを参照)。しかし、C系統は北米北西部に及んでいますが、N系統は北米北西部に及んでいません。C系統が東アジアから北上し始めた時期は、N系統が東アジアから北上し始めた時期より早かったのかもしれません。C系統はLGMが終わってすぐに東アジアから北上し始め、N系統はしばらく経って遼河文明が起こる頃に東アジアから北上し始めたのではないかということです。

C-M217は東ユーラシアの北のほうに大きく広がっていますが、C-M217の内部のバリエーションは、中央アジアの側では乏しく、中国東部、朝鮮、日本の側では豊かです(理解するためにはShort Tandem Repeatの知識も必要であり、これについては次回の記事で説明します)(Zhong 2010)。C-M217は、中央アジアのほうから中国東部のほうに広がったのではなく、中国東部のほうから中央アジアのほうに広がったと考えられます。中国東部のほうに存在したC-M217の一部が中央アジアのほうに広がったということです。

以上すべてを総合すると、以下のように言えそうです。

Y染色体DNAのC系統は中東から南アジアを通って東南アジアに達し、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれた。東アジアにはC-M8やC-M217などのいくつかの下位系統が到達したが、中央アジアからやって来た寒冷地や内陸での暮らしに長けた男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で優位にあり、C-M8やC-M217はそれ以上北に進むことがほとんどできなかった。C-M8は、東アジア(主に日本)に少数派として残った。C-M217は、LGM前はシベリアにほとんど進出することができなかったが、LGM後はシベリアに盛んに進出し、中央アジアと北米北西部にも至った。

東アジアの歴史の根本を考えるうえで、C系統と並んで重要なのがD系統です。C系統の分布は独特ですが、D系統の分布も独特です。D系統の話に移りましょう。

参考文献

Balanovsky O. et al. 2017. Phylogeography of human Y-chromosome haplogroup Q3-L275 from an academic/citizen science collaboration. BMC Evolutionary Biology 17: 18.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Mezzavilla M. et al. 2014. Insights into the origin of rare haplogroup C3* Y chromosomes in South America from high-density autosomal SNP genotyping. Forensic Science International: Genetics 15: 115-120.

Scozzari R. et al. 2012. Molecular dissection of the basal clades in the human Y chromosome phylogenetic tree. PLoS ONE 7(11): e49170.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6(1): 45.

Zhong H. et al. 2010. Global distribution of Y-chromosome haplogroup C reveals the prehistoric migration routes of African exodus and early settlement in East Asia. Journal of Human Genetics 55(7): 428-435.

http://www.jojikanehira.com/archives/16238627.html

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