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ハプログループ D1a2a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 17 日 18:07:52: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

ハプログループD1a2a (Y染色体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)


ハプログループ D1a2a (Y染色体)
推定発生時期 35000-40000年前[1]
推定発生地 日本
親系統 D
定義づけられる変異 M55, M57, M64.1, M179, P37.1, P41.1, P190, 12f2b, Z3660
高頻度民族・地域 日本列島(アイヌ、琉球民族、大和民族)

ハプログループDの移動想定経路 (Haber et al. 2019)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Haplogroup_D_(Y-DNA)_migration.png


ハプログループD-M55 (Y染色体)( Haplogroup D-M55 (Y chromosome)とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、「M55」[2]の子孫の系統である。

3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割[3]がこのハプログループに属している。

かつてはハプログループD2と系統名称で呼ばれていたが、2014年5月にISOGGの系統樹が更新されたことによりハプログループD1bと改訂され、さらに2019年6月には系統名称はハプログループD1a2と改訂され、さらに2020年4月にハプログループD1a2aに改訂された。


ハプログループD1a2a(D-M55)は、日本列島で観察される。
日本人の約32%[4]~39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。
アイヌの80%以上[6]もこれに属する。

ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]。

東アジアの他地域では

D1a1がチベット人の最大49%、ヤオ族の30%観察され、

D1a2bはアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[8][9]を占める。

さらにD1aの姉妹型のD1bが台湾やフィリピンのマクタン島で見つかっている。

その他、詳細な系統は不明だが、ハプログループD1に属するタイプはマリアナ諸島のグアム島で島民の17%にみられる[10]。

なお、D1a2a系統とこれらの他のハプログループDのサブクレードとは概ね5万3千年以上[11]の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。


歴史
日本へ至るまで

現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生後、Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBの系統と、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループとに人類は分化していった。後者の中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。これがハプログループDとハプログループEの親グループである、ハプログループDEである。さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[12]。ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。

ハプログループD1[13]は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。

ハプログループD1のうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1a2aであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1である[14]。アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2aが誕生した」とする説を唱えた[15]。崎谷満はハプログループD1a2が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2aが誕生したとしている[16]。

日本到達以降

当時無人の日本列島に到達したハプログループD1a2系統は、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。中国大陸から弥生人が日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1a2の中からハプログループD1a2aが誕生したと考えられる。彼らは縄文人としてのちにはO系統などの弥生人と融合し、陸稲を栽培していたと考えられる。

各地における頻度
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や沖縄に多い。

青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%
(Hammer et al. 2006[17])

アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[18])
また、国外では韓国、ミクロネシア、ティモール島などで低頻度にみられる。

ミクロネシア:5.9%(1/17; Hammer et al. 2006[17])
韓国:4.0% (3/75; Hammer et al. 2006[17])
ティモール島:0.2%(Meryanne et al. 2014[19])


縄文人の古代DNA

北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1a2a2a(D-CTS220)であった[20][21]。これにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」という従来からの仮説が立証された。


系統樹
2020年4月16日改訂のISOGGの系統樹(ver.15.58)による[22]

DE (YAP)
D (CTS3946)
D1 (M174/Page30, IMS-JST021355)
D1a (CTS11577) 
D1a1 (F6251/Z27276)
D1a1a (M15) チベット等
D1a1b (P99) チベット、モンゴル、中央アジア等
D1a2 (Z3660)
D1a2a (M64.1/Page44.1, M55)   日本(大和民族、アイヌ、琉球民族)
D1a2b (Y34637) アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)
D1b (L1378)   フィリピン(マクタン島、ルソン島)[23]
D2 (A5580.2)  ナイジェリア、サウジアラビア、シリア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
 

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コメント
1. 中川隆[-12385] koaQ7Jey 2020年6月18日 10:20:31 : mclIHZvJWY : dktVRmUwWHZQY1E=[4] 報告

日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

0-1. 日本人のY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-1.htm

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

2-3. 日本民族mtDNAハプロタイプ頻度リスト
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-3.htm

1-3. 日本民族 Y-DNA調査まとめ 日本人は三重遺伝子構造の民族!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-3.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8,30-11,30-12,19-14.htm#1-8

1-4. 琉球列島のY-DNA遺伝子構成
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4,16-5,19-12,19-13.htm#1-4

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7

1-10. 北方民族度調査 日本列島に古代北方民族はやってきたのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

0-4. 日本の人口構成動態 今後はY-DNA「O」の増大と「D2」の減少か! rev.2
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-4.htm

2. 中川隆[-12319] koaQ7Jey 2020年6月20日 12:56:40 : aJzrYhZXuM : UGtFb2ZLS0s2Vy4=[7] 報告

0-3. 日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-3,19-8,30-31.htm#0-3

30-23. Y-DNAから見た日本語の成り立ち考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2,30-23,30-24,30-25.htm#30-23

3. 2020年9月01日 20:03:43 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[49] 報告
2019年06月17日
Y染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html


 Y染色体DNAハプログループ(YHg)Dの起源に関する研究(Haber et al., 2019B)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ゲノム規模データ(関連記事)からも、単系統(母系および父系)のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNA(関連記事)からも、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは7万〜5万年前頃の1回だった、と推測されており、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)の分岐年代や移動について詳しく検証され続けています。

 しかし、Y染色体DNAハプログループ(YHg)に関しては、現在の分布が単純な系統地理的モデルと合致していないため、長く議論が続いてきました。非アフリカ系現代人のYHgはCT系統ですが、短期間のうちにC・DE・FTの各系統に分岐していった、と推測されています。YHg-DE系統はその後すぐに、D系統とE系統に分岐していきます。YHg-C・D・FTの各系統は基本的に非アフリカ系現代人に見られますが、E系統はおもにアフリカに分布しているため、これらの系統がいつどこで分岐したのか、確定したとは言えない状況です。

 これまで、YHg-DE系統の分岐に関して、大別するとアジア起源説とアフリカ起源説が提示されてきました。アジア起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がD系統とE系統に分岐し、E系統がアフリカに「戻った」と想定されます。アフリカ起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がC・FT系統が分岐した後でアフリカに「戻って」D系統とE系統に分岐し、その後でD系統がアフリカからユーラシアに拡散した、と想定されます。アフリカ・ユーラシア間の系統移動が、アジア起源説では2回、アフリカ起源説では3回となるため、アジア起源説の方がより節約的と考えられてきました。

 YHg-DE系統の分岐に関する問題は、DE系統に分類されるものの、DにもEにも分類されない稀なハプログループDE*の存在により、さらに複雑になりました。YHg-DE*の存在はまずナイジェリアの5人で確認され、その後アフリカ西部のギニアビサウ出身者1人と、ユーラシア東部のチベット人2人で確認されました。本論文は、以前報告されたナイジェリアのDE*系統の5人を改めて分析するとともに、YHg-Dのチベット人4人も含めて世界規模のデータと比較しました。ナイジェリアの5人のうち、2組は重複の可能性が高いと推定されたため、3人が分析対象とされました。

 Y染色体DNA配列に基づく系統樹はすべて一貫した構造を示し、ナイジェリア人のYHg-DE*系統はD系統とE系統の分岐に近い系統を形成します。ナイジェリア人のYHg-DE*系統と他の系統との一塩基多型の共有は、D系統で7ヶ所、E・C1b2a・F2の各系統でそれぞれ1ヶ所となります。本論文は、単一の一塩基多型の共有を反復変異とみなし、ナイジェリア人のYHg-DE*系統を、じゅうらいのYHgの名称を変更せずにすむように、D0系統と命名しています。

 本論文はYHg各系統間の分岐年代を、B系統とCT系統は101100年前頃、CおよびFT系統とDE系統は76500年前頃、D系統とE系統は73200年前頃、D0系統と他のD系統は71400年前頃と推定しています。D系統とE系統の分岐後すぐに、D0系統と他のD系統が分岐したことになります。D0系統はさらに3系統に区分され、2500年前頃と1900年前頃に分岐します。D0系統は常染色体ゲノムの分析から、祖先がアフリカ西部系と確認されています。YHg-DE系統は、アフリカ系のD0とE、非アフリカ系のDに区分されます。本論文は、YHg-DE系統がどこで分岐し、どのように移動していったのか、3通りの仮説を検証しています。

(1)B系統とCT系統が分岐した101000年前頃〜CおよびFT系統とDE系統が分岐した77000年前頃までは、非アフリカ系現代人系統にはCT系統しか存在していないことから、CT系統がアフリカからユーラシアに拡散し、D0系統とE系統がD0系統の起源の71000年前頃〜E系統のアフリカでの分岐が始まる59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。この仮説でも以下の2仮説でも、E1b1b1系統が47000〜28500年前頃にアフリカからユーラシアへ拡散した、と推測されています。

(2)C系統とFT系統の分岐した76000年前頃〜D系統とE系統の分岐した73000年前頃の間に、C・DE・FTの3系統がアフリカからユーラシアへ拡散し、その後で(1)と同様にD0系統とE系統が71000年前頃〜59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。

(3)D0系統の起源の71000年前頃〜FT系統の分岐が始まる57000年前頃には、C・D0・その他のD・E・FTの5系統が存在し、このうちE・D0以外のC・D・FTがこの期間にアフリカからユーラシアへ拡散したと推測するもので、この場合、ユーラシアからアフリカへの「逆流」を想定する必要はありません。

 本論文のYHg-D0系統はナイジェリアの3人のY染色体DNAに基づいています。推定年代は、前提となる変異率の違いにより異なってくるため、確定的ではありません。しかし、西シベリアの45000年前頃の現生人類遺骸(関連記事)など、DNAが解析されている個体を参照すると、より年代を絞り込めます。非アフリカ系現代人は全員、ゲノムにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域を2%ほど有しています。ネアンデルタール人と現生人類の交雑が複数回起きたとしても(関連記事)、非アフリカ系現代人のゲノムに存在するネアンデルタール人由来の領域の大半は、非アフリカ系現代人がアフリカからユーラシアへ拡散してから各地域集団に分岐していく前まで間の(1回の)交雑に由来する、と考えられます。

 この交雑の時期について、本論文は59400〜49900年前頃とする見解(関連記事)を採用していますが、54000〜49000年前頃まで限定する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、この現生人類とネアンデルタール人との交雑の推定年代から、上記のシナリオでは(3)を支持しています。mtDNAの分析におけるアフリカ系統から非アフリカ系統の推定分岐年代は、古代DNAも対象とすると95000〜62000年前頃、現代人を対象とすると65000〜57000年前頃となり、(3)と一致する、と本論文は指摘します。

 アフリカにおける現代のYHgの分布は、過去1万年のバンツー語族集団の拡大やユーラシアからアフリカへの遺伝子流動(関連記事)の結果、大きく変わりました。現在、YHgで最古の分岐系統が見られるのはアフリカ西部で(関連記事)、常染色体ではアフリカ南部の狩猟採集民集団において最古の分岐が推定されていること(関連記事)とは対照的です。これは、アフリカにおける現生人類の深い分岐(関連記事)を示唆しているのではないか、と本論文は指摘しています。

 アフリカにおけるYHgの分布に関しては、10万〜5万年前頃のアフリカ人の古代DNA解析には成功しておらず、今後も期待薄であることを考慮すると、アフリカ中央部および西部の現代人のYHgのさらなる研究が重要になる、と本論文は指摘します。本論文は、アフリカ内におけるDE系統の起源と、その後のC・D・FT系統のアフリカからユーラシへの拡散という仮説を支持します。現代日本人もYHg-Dの割合は高く、その起源について議論があるので(関連記事)、その意味でも注目される研究です。


参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1241-1248.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html

4. 2020年9月23日 11:05:55 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[50] 報告
ハプロに付く*マークはその下のサブグループのうちのいずれかという意味であり、
D1a2a*の中にD1a2a2aは含まれる
5. 日本人のルーツ[1] k_qWe5BsgsyDi4Fbg2M 2021年8月07日 17:25:35 : Rxpak0c0Zo : ZWJrNUdpQ21qQy4=[6] 報告
 優れた投稿に感謝します。アイヌは鎌倉時代に来た侵入者で日本人と関係ないとかいう人が居ますが、D1a2aである限り紛れもなく日本人の先祖筋の人たちであります。これを知らぬはずもない人が何の関係もないとかいうのは常軌を逸しています。私は移動ルートは南方と考えています。従って紛れもなく日本列島を通らずに樺太に行ったとは考えられません。因みに、D1a2a2は沖縄で発生し日本列島に拡散したと考えています。天皇家のDNAと言われているD1a2a1a2b1a1a-CTS8093の最新の位置付けは変わりありませんか。
日本人のD1a2a系は大半がD1a2a1a2bと思われますからそれより古い、D1a2a1a1a・D1a2a1aなどというのはアイヌ系と言う北方に移動した系統と考えられる。ロシア・チャイナ等は彼らの系統をすでに研究済みであろう。つまり故地を返せというのも一理あるからややっこしい。
 因みに彼らの発生時期についてはもう少し遅くできると都合が良いと思うんですが、いかがでしょう。mt-DNAのD4の発生時期は、3.5万年前頃とされている。D1a2の発生を何とかこの年代とリンクできないか考えています。勿論D4の発生をもっと早くできるのならさらに都合がいい。
 私はこれらのことを自身のブログや知恵袋で書き込んでいますがなかなか理解者は現れません。
6. 2022年7月05日 23:39:20 : R2bxuKkx5s : U204dEdsbkwzdGs=[2] 報告
アイヌ人と沖縄人のDNAを比べると・・・(Y染色体ハプログループDの研究)
2021年5月12日JOJI KANEHIRA
http://www.jojikanehira.com/archives/15377873.html

●Y染色体DNAのD系統について

Y染色体DNAのD系統(Y染色体ハプログループD)は、日本人のDNAの話をする時に盛んに注目されてきた系統です。日本全体では、O系統が一番多く、D系統が二番目に多くなっています(Hammer 2006ではO系統51.8%、D系統34.7%、Nonaka 2007ではO系統54.4%、D系統39.2%)。

D系統が注目されてきたのは、O系統が日本の近隣地域によく見られるのに対して、D系統が日本の近隣地域にほとんど見られないからです(図はWang 2013より引用)。

D系統の分布は独特です。チベット側と日本側に分かれています。昔の人々は歩いて移動していたわけですから、かつてはチベットと日本の間の領域にもD系統がたくさん存在したはずです。D系統が支配的だった空間が、O系統が支配的な空間に変わったことが窺えます。農耕の誕生・発展(黄河文明と長江文明)が大きく影響したことは間違いないでしょう。

ちなみに、O系統とD系統の割合は日本内部でも地域差があります(Hammer 2006、Nonaka 2007)。明らかにO系統が優勢なのは、西日本(沖縄を除く)の日本人です。西日本(沖縄を除く)の日本人→東日本の日本人→沖縄の日本人→アイヌ人の順にD系統が強くなっていきます。大陸から日本に農耕を伝えた人々の遺伝学的影響は、特に西日本(沖縄を除く)において顕著であるということです。

D系統はチベットと日本によく見られますが、チベットに見られるD系統と日本に見られるD系統は非常に遠い関係にあります。

前回の記事で、Y染色体DNAのC系統、D系統、F系統がアフリカ以外の世界に広がっていったことをお話ししました。しかし、アフリカの外の男性のY染色体DNAは、ほとんどがF系統です。F系統は、人数が多く、分布域が広いので、G、H、I、J、K・・・のような細かな下位系統に分類されています。それに対して、D系統は、人数が少なく、分布域が狭いので、そのように細かく分類されていません。

例えば、ヨーロッパによく見られるR系統とインディアンによく見られるQ系統の隔たりより、チベットによく見られるD系統と日本によく見られるD系統の隔たりのほうがずっと大きいです。ここでいう隔たりとは、分かれてから経過した時間のことです。

D系統は世界の中ですっかり稀少になっており、わずかな手がかりからその歴史を探らなければなりません。D系統の内部を細かく調べるための分析手法として、Short Tandem Repeatの話をします。Short Tandem Repeatは、生物学・人類学における重要な分析手法の一つです。

●Short Tandem Repeatを理解する

Short Tandem Repeat(ショートタンデムリピート)は、Microsatellite(マイクロサテライト)と呼ばれることもあります。

Y染色体DNAは、他のDNAと同じように、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が列を作っています。延々と続く長い列ですが、ところどころにある配列が繰り返されている箇所があります。

(注意! 以下では、Short Tandem Repeatのポイントをすばやく伝えるために、話を実際より単純にしてあります。)

例えば、上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されています。このような配列の繰り返しを、Short Tandem Repeatといいます。なぜShort Tandem Repeatが重要かというと、配列が繰り返されている箇所は、その他の箇所より変異(変化)しやすいのです。上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されていますが、この10回という繰り返し回数が、遠くない将来に11回になったり、9回になったりします(繰り返し回数が1回増えたり1回減ったりするのが普通です)。さらに、11回だった繰り返し回数が12回になることもあるし、9回だった繰り返し回数が8回になることもあります。

上の図のTCTAという配列が繰り返されている領域を「繰り返し領域1」と呼ぶことにしましょう。同じようになんらかの配列が繰り返されている領域を次々に見つけ、それらに「繰り返し領域2、繰り返し領域3、繰り返し領域4、繰り返し領域5、繰り返し領域6、繰り返し領域7」と名前をつけます。繰り返し領域1ではTCTAという配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域2では別の配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域3ではさらに別の配列が何回か繰り返されている・・・という具合です。

繰り返し領域1で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域2で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域3で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域4で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域5で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域6で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域7で配列が10回繰り返されている

このようになっている場合に、それを「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」と書き表すことにします。D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性10名を集め、繰り返し領域1~7を調べたところ、以下のようになっていたとしましょう。

日本人男性1~4は「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」のタイプです。日本人男性5のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域2で数値が1減っています。日本人男性6のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1減っています。日本人男性7のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1増えています。日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域5で数値が1増えています。

日本人男性5のタイプ、日本人男性6のタイプ、日本人男性7のタイプ、日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプから1ステップずれていますが、ずれ方がそれぞれに異なります。日本人男性1~8は、以下のように書き表すことができます。

日本人男性9と日本人男性10はどうでしょうか。日本人男性9のタイプと日本人男性10のタイプは、日本人男性8のタイプから1ステップずれているタイプです。日本人男性9と日本人男性10は、以下のように書き表すことができます。

このように、Short Tandem Repeatを調べると、D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性同士が互いにどのような関係にあるのか明らかにすることができます。Y染色体DNAの系統分類は繰り返し領域以外で行われますが、繰り返し領域も調べることによって細かな区別が可能になります。

大変興味深いことに、小金渕佳江氏らがD系統のY染色体DNAを持つアイヌ人と沖縄人のShort Tandem Repeatを調べています(図はKoganebuchi 2012より引用)。

上に説明した要領で、アイヌ人男性と沖縄人男性のY染色体DNAのShort Tandem Repeatが調べられ、それらの男性が線で結ばれています。赤い数字は、何ステップ隔たっているかを示しています。YAP(+)と書いてある側が、Y染色体DNAのD系統のデータです。アイヌ人も沖縄人も含めて、日本に見られるD系統は、ほぼすべてD-M55という下位系統です。アイヌ人にD-M55系統が多く見られる、沖縄人にD-M55系統が多く見られるというところで話が終わってしまうことが多いですが、小金渕氏らの研究はさらに踏み込んでShort Tandem Repeatまで調べています。

見ての通り、Short Tandem Repeatのバリエーションはアイヌ人と沖縄人で大きく違います。沖縄人がアイヌ人に対してバリエーションの豊かさを見せています。沖縄人の調査人数に比べてアイヌ人の調査人数が少ないということもありますが、それを差し引いても、大きな差がありそうです。D系統は南から北へ広がっていった(つまり南にいた集団の一部が北に広がっていった)のではないかと思わせるデータです。

H. Shi氏らが東ユーラシアでD系統の男性のShort Tandem Repeatを広く調べていますが、チベットのD系統もとても北(中央アジアやモンゴル)から来たようには見えず、南から来たと考えざるをえません(Shi氏らが指摘しているように、Short Tandem Repeatに基づいて図を描いた時に、中央アジアやモンゴルのD系統の男性はことごとく、中心ではなく、末端に位置します。D系統に関しては、中央アジアやモンゴルからチベットに広がっているのではなく、チベットから中央アジアやモンゴルに広がっているのです)(Shi 2008)。

実は、チベットと日本のほかにもう一つ、D系統が多く見られる場所があります。それは、インド洋東部に浮かぶアンダマン諸島です(図はWikipediaより引用)。

南から広がったように見える日本のD系統、南から広がったように見えるチベットのD系統、そしてアンダマン諸島に残るD系統・・・。こうなると、D系統はアフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達したのではないかと考えたくなります。これは、どこかで見たルートです。そうです、前回の記事でお話ししたC系統と同じルートです。しかし、不思議なことに、古くに東南アジアに達したC系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面によく見られますが、同じく古くに東南アジアに達したはずのD系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面に全然見られません。この問題はほとんど触れられないまま現在に至っていますが、東アジアの歴史を考えるうえで重要な問題と思われます。なぜそのようになっているのでしょうか。

補説

ついにアフリカで発見されたD系統

Y染色体DNAのD系統は東ユーラシアでしか見つかっていなかったため、D系統はアフリカで生じたのか、西ユーラシアで生じたのか、東ユーラシアで生じたのかという問題がありました。しかし、M. Haber氏らの研究によって、D系統のY染色体DNAを持つアフリカ(ナイジェリア)の男性がいることが明らかにされました(Haber 2019)。正確に言うと、これらの男性のY染色体DNAは、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に極めて近いが、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に共通しているM174という変異を持っていませんでした。M174という変異が起きる少し前に分かれて、そこからM-174という変異を経験しなかったのが今回のタイプ、M-174という変異を経験したのがチベット、アンダマン諸島、日本などのタイプということです。

今回の発見により、D系統はM174という変異ではなく、CTS3946という変異によって定義されるようになりました。D系統と姉妹関係にあるE系統がアフリカで生じていることを考えると、上のCTS3946という変異はアフリカで起き、M174という変異はアフリカの外で起きた可能性が濃厚です。謎めくD系統の研究が一歩前進しました。

参考文献

Haber M. et al. 2019. A rare deep-rooting D0 African Y-chromosomal haplogroup and its implications for the expansion of modern humans out of Africa. Genetics 212(4): 1421-1428.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Koganebuchi K. et al. 2012. Autosomal and Y-chromosomal STR markers reveal a close relationship between Hokkaido Ainu and Ryukyu islanders. Anthropological Science 120(3): 199-208.

Nonaka I. et al. 2007. Y-chromosomal binary haplogroups in the Japanese population and their relationship to 16 Y-STR polymorphisms. Annals of Human Genetics 71(4): 480-495.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6: 45.

Wang C. et al. 2013. Inferring human history in East Asia from Y chromosomes. Invetigative Genetics 4(1): 11.

http://www.jojikanehira.com/archives/15377873.html

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