2022年01月18日 黄金の馬車に乗る青ざめた国王 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html 寛容の精神と懺悔の日々
Doutzen Kroes 133Black Pete 29934 ネーデルラントは「寛容の精神」と「多元的共存(pluralism)」の国として有名だ。様々な民族を受け容れると"文化的豊かさ"を享受できると信じているのか、単一の文化主義よりも、色々な人種や文化を支柱(pillars)にした国家の方が良いと思っている。本当は独自の文化や伝統だけを守り、異人種を排除した方がよっぽといいのに、このゲルマン人王国は不愉快な異民族を取り入れてバルカン半島状態になっているのに気づかない。否、気づいている者はいるが、世間の批判を恐れて黙っている。 --------------------- 註。筆者は日本で一般に言われる「オランダ(Hollande)」を使わず、連邦全体を指す「ネーデルラント(低地)」を用いることにする。(近隣のフランス人やベルギー人も「低い土地Pays-Bas」と呼んでいる。) 以前にも述べた通り、「オランダ」は州名であって国名じゃない。日本でいえば、「関東」や「関西」、あるいは「長州」や「紀州」といった感じの言葉で、国家全体を指す名称ではないからだ。 また、所謂「オランダ語(hollandais)」はブラバント方言みたいな言葉で、フランドル地方の「フラマン語(flamand)」と同じ類いである。一般国民は「標準ネーデルラント語(néerlandais)」という「教養語」を使っている。我々は英語経由でネーデルラントの事を学んでいるので、中世ラテン語の「teudicus」から派生する「theudisk」をドイツ語で「deutch」と呼び、ネーデルラント語で「duits」、イギリス語で「Dutch」と呼んでいるのだ。 -------------------------- 異民族を易々と受け容れてしまうのは、もしかすると、ネーデルラントの歴史に原因があるのかも知れない。昔から、ここに住むゲルマン系のバタヴィア(Batavi)人にはプロテスタントが多く、スペインのカトリック勢力と戦って独立を勝ち得たことから、宗教的熱狂で異端者を処刑するのは大嫌いだ。『統治二論』や『寛容に関する書簡』で知られるジョン・ロック(John Locke)が、迫害を恐れて逃げ込んだのもアムステルダムであった。彼は大法官になったシャフツベリー伯爵、すなわちアンソニー・アシュリー・クーパー(Earl Shaftsbury, Anthony Ashley Cooper)の知遇を得て、彼の主治医兼私設秘書となった有名な哲学者。 John Locke 1Anthony Ashley Cooper 11Algernon Sydney 001King Charles II ( 左 : ジョン・ロック / アンソニー・アシュリー・クーパー / アルジャノン・シドニー / 右 : 国王チャールズ2世) しかし、1683年に起こった「ライ・ハウス陰謀事件(Rye House Plot)」に絡んでいたので、伯爵のもとで働いていたロックも一味じゃないのかと疑われてしまったそうだ。ということで、彼は不本意ながらもイングランドを去ることにし、海を渡ってネーデルラントに亡命することにした。日本では一般的に知られていないけど、この陰謀は反カトリックを標榜する集団が起こした政治騒動で、国王のチャールズ2世と弟のヨーク公爵(後の国王ジェイムズ2世)を抹殺しようと企てた暗殺未遂事件である。逮捕された者は色々な方法で処刑されたという。例えば、かの有名なアルジャノン・シドニー(Algernon Sidney)とウィリアム・ラッセル卿(Lord William Russell)は斬首刑。トマス・アームストロング卿(Sir Thomas Armstrong)と評議会議員のヘンリー・コーニッシュ(Henry Cornish)は縛り首にされた。可哀想なのは、エリザベス・ゴーント(Elizabeth Gaunt)という女性で、彼女は叛逆者達を匿っただけなんだけど、火炙りの刑に処せられてしまった。 「寛容(tolerance)」というのは、元々「厭なことを耐え忍ぶ」という意味で、「本来ならしたくないけど、仕方ないから我慢する」といった諦念である。なるほど、政治亡命者や宗教的迫害を受けた人を迎え入れるのは立派だが、それは西歐人だけに限定すべきで、アフリカ人とかアラブ人、パキ人、ビルマ人、ベンガル人などは受け容れるべきじゃない。なぜなら、「難民」というのは「将来の国民」になる人、もしくは無期限の「永住者」になるのが普通であるからだ。したがって、非西歐文化圏のエイリアンを認めるのは新潮に考えるべきで、あまり賢明とは言えまい。だいたい、奇妙な人相の外来者を「同国人」とか「仲間」にするのは問題で、いい事なんて滅多に無いだろう。 King Willem Alexander 022(左 / 国王ウィリアム・アレグザンダー) 最近、ネーデルラントのウィリアム・アレグザンダー国王が、従来使われてきた「黄金の馬車」をリタイアさせ、今後はアムステルダム博物館に展示する、との声明を発表した。日本の一般人なら、「どうして、あんなに素晴らしくて豪華なロイヤル馬車を放棄するのか?」と怪訝に思うだろう。実は、この馬車に描かれている「イラスト」が問題なのだ。馬車の側面には半裸の黒人や南アジア人が描かれており、彼らは王座に坐る白人女性の前でひれ伏し、贈り物を捧げる、といった描写になっている。この屈辱的な絵に対し、ネーデルラントに暮らす黒人やアジア人は大激怒。特に、アフリカ大陸や元植民地からやって来た有色移民やその子孫は烈火の如く怒る。 Golden Carriage The Netherlands 1455(左 / 黄金の馬車 ) 何しろ、奴隷にされた現地人が王権に服従し、卑屈な態度でウィルヘミナ女王(Queen Wilhelmina)を崇めているんだから、黒人奴隷の子孫からすれば、腸(はらわた)が煮えくり返って絶対に赦せない。白色人種のネーデルラント国民にとっては、第17世紀の帝国主義時代ときたら「黄金の勃興期」なんだろうが、征服された有色人種からすれば「暗黒の時代」である。ライデン大学にあるアフリカ研究センターやケンブリッジ大学の研究によれば、オランダ商人による大西洋貿易で、奴隷にされたアフリカ人は約60万人にも上ったという。(Helmer J. Helmers and Geert H. Janssen, eds. , The Cambridge Companion to the Dutch Golden Age, Cambridge University Press, 2018, p.173.) 日本の主流マスコミは詳しく紹介しなかったが、ネーデルラントの王族が「黄金の馬車」に乗らなくなったのは、主に二つの理由が推測される。一つは、ネーデルラント国内における王室支持率の低迷だ。2020年の世論調査によれば、ウィルヘルム・アレグザンダー国王とマキシマ女王に対する国民の好感度・支持率は68%もあったが、2019年に行われた調査では83%であった。つまり、一年で15%も支持率が低下していたのだ。また、君主政に対する支持率も75%から58%へと下がってしまった。('Dutch royal family less popular, monarchy under pressure', DutchNews.nl, April 27, 2021.) King Willem Alexander & Queen 223King Willem Alexander & royal family 2567 ( 左 : ウィリアム・アレグザンダー国王とマキシマ女王 / 右 : 国王陛下の家族 )
この激減には様々な要因が考えられるが、その一つは王室の贅沢な暮らしぶりにあるようだ。意外にも、ネーデルラント王室はヨーロッパ諸国の王室の中で最も多く税金を使っているそうだ。公式には6,000万ユーロと発表されているが、実際には3億5,000万ユーロの歳費を使っているらしい。('Hidden costs of royal family make it most expensive in Europe, claim republicans', DutchNews.nl., April 24, 2018.) 確かに、中堅クラスの王室が、イングランド王室よりも多額の公費を使っていれば、左翼議員や異民族は黙っちゃいないだろう。王制打倒を企てる極左分子や共和政支持者が騒ぎ立てるのも当然だ。 そもそも、非西歐系の国民、つまりトルコ人やスリナム人、マレー人、アラブ系ムスリムからすれば、白人の王侯貴族なんか「赤の他人」である。ネーデルラントのパスパートを持っているからといって、カリブ海のアンティール諸島からやって来た黒人、北アフリカからの元"出稼ぎ人"、有色帰化人から生まれた混血児、あるいは異教徒のアラブ人に同族意識なんて無い。日本人は生まれや育ちが東北とか九州でも、江戸や京都の国民と同じだ。昭和時代までなら、大抵の国民が天皇陛下を尊敬し、地域に関係なく戦国武将が大好き。例えば、熊本の国民は尾張出身でも加藤清正が大好きで、細川護熙なんかは、たとえ総理大臣になろうが「バカ殿」程度の扱いだ。幕臣であった庄内藩士は薩摩藩の西郷隆盛を尊敬していたし、日露戦争で活躍した小倉藩の奥保鞏(おく・やすかた)大将とか、桑名藩の立見尚史(たちみ・なおふみ)大将とくれば、薩長の士族だって一目置く。 Suriname children 9993Dutch blacks 33234 ( 左 : スリナム人の子供達 / 右 : ネーデルラントに暮らす非ヨーロッパ系国民)
しかし、帰化鮮人となれば話は別で、こうした英雄も単なる「赤の他人」で、祖国を植民地にした憎い敵となる。例えば、昔、支那系の永六輔と北鮮人の辛淑玉が対談本を出した。永が熊本へ行った時のエピソードを話し、加藤清正の朝鮮征伐に言及すると、辛は「あっ、いやなヤツですよね」と言い、「征伐って、うちの朝鮮はなにか悪いことをしたのでしょうか?」と疑問を投げかけた。そして、永が清正公の「虎退治」を述べるや、辛は再び「虎は何か悪いことをしたのでしょうか?」と尋ねたのである。(永六輔 / 辛淑玉『日本人 対 朝鮮人』光文社、1999年、p.27.) 所謂「朝鮮征伐」は朝鮮人が敵じゃなく、宗主国の支那が日本の敵であったから、朝鮮人なんかは下っ端の雑兵でしかない。つまり、小早川秀秋や加藤清正にとったら、支那人の属国になった手下を討ち取ったまで。在日鮮人は朝鮮の惨めな歴史を認めたくないから、朝鮮兵を勇敢な戦士と勘違いしているのだろう。 また、永が清正公の墓を見物した時、その周りに朝鮮人の墓を目にしたという。永は日本人が技能を持った朝鮮人を大切にし、その技術を尊敬したと述べたら、辛は再びケチをつけた。「加藤清正だって、今でいう強制連行で朝鮮人を日本に連れて来たけどお墓までつくった。なのに、この百年は墓どころか命をゴミとして扱った」と言いたい放題。(上掲書、p.38.) まぁ、朝鮮学校で教育を受けた在日鮮人には何を言っても無駄である。 脱線したので話を戻す。もう一つの要因は、BLMから刺激を受けた黒い「ネーデルラント国民」の反抗心と民族意識の勃興であろう。ネーデルラントはヨーロッパ世界における「多文化・多民族主義のメッカ」であり、国民の大多数が深刻な"リベラル思想"に冒されている。ネーデルラント国民の精神病は致命的で救いようがない。政界や財界のみならず、教育界や藝能界にもユダヤ人やアラブ人が大勢紛れ込んでいるから、"人種的多様性(racial diversity"とやらが矢鱈と持て囃されている。例えば、労働党は多民族主義に汚染されており、党首はアムステルダム市長から下院議員になったヨブ・コーエン(Marius Job Cohen)が務めていたし、ロッテルダムの市長にはモロッコ人のアフメッド・アブタレブ(Ahmed Aboutaleb)が当選し、堂々と就任していたのだ。 国民の”質”が変われば、"国民性”にも異変が起きるのは当然である。非西歐系の国民はネーデルラントの伝統や文化に反感を覚え、ゲルマン系国民が先祖代々受け継いできた歴史的遺産にも怨みを抱く。例えば、ネーデルラントのクリスマスでは、サンタクロース(Sinterklaas)に同伴する厄介な助っ人、「黒いピーター(Zwarte Piet)」が恒例となっている。子供達にプレゼントを配るサンタクロースは、赤い服を着て髭を伸ばした白人が演じるが、小姓の「ピーター」役には、顔面を黒く塗った白人がなっていたから問題となった。 Christmas festival in The Netherlands 3Black Pete demo in the Netherlands 2 ( 左 : サンタクロースと黒いピーター / 右 : 「黒いピーター」に扮した西歐系ネーデルラント人 ) PC(政治的に正しい言葉遣い)やBLM(黒人運動)の影響を受けたネーデルラントでは、「こうした黒塗りのキャラクターは人種差別的だ !」という意見が湧き起こり、有色人種の国民や知識人、主流メディアからの批判が激しくなっている。昨年のことだが、約100名の抗議者が街に繰り出し、「黒いピーターを叩き出せ !」と叫んだらしい。('Anti-racism activists stage demo against Dutch Black Pete', Associated Press, 13 November 2021.) こうした左翼活動家に阿(おもね)ったのか、マルク・ルッテ(Mark Rutte)首相は、もはやクリスマスの祭りでは、聖ニコラウスの伝統である黒いピーターを用いることはない、と発表したそうだ。(Sou-Jie van Brunnersum, 'Dutch PM deems Black Pete tradition racist', Deutsche Welle, 5 June 2020.) 問題となった「黒いピーター」は、文字通り小馬鹿にされるような黒い肌の黒人である。しかも、縮れ毛の鬘(カツラ)に真っ赤な口紅ときているから、アフリカ系の「ネーデルラント国民」にしたら我慢がならない。ネーデルラント人の説明によれば、「ピーター」はスペインに居たムーア人奴隷を誇張したキャラクターであるそうだ。しかし、高等教育を受けた有色国民はには納得できない。こうした「差別文化」に激怒した一人が、「オランダ奴隷・遺産研究国家機構」の所長を務めるリンダ・ノイトミア(Linda Nooitmeer)である。彼女はネーデルラントに根づくレイシズムに恨みを抱き、それを認識したルッテ首相を高く評価した。この怒れる黒人は「何としても悪しき伝統を廃絶せねばならぬ !」と意気込んでいた。 Linda Nooitmeer 0022Black Pete demo in the Netherlands 3 ( 左 : リンダ・ノイトミア/ 右: 「黒いピーター」に反対する黒人の活動家 ) ノイトミアの怒りは「黒いピート」に留まらず、ネーデルラント白人による国民への"抑圧"にまで及んでいた。彼女は同胞の黒人に対して、ヨーロッパ白人の氏族名(last name)を棄てて、「アフリカ人の名前」に変えるよう呼びかけた。例えば、「ヤンセン(Jansen)」とか「デ・ヨング(De Jong)」、「ヴァン・デァ・バーグ(van der Berg)」とかは、奴隷を所有する主人(ドミヌス)の名前だから、アフリカ系国民は自分の民族性に目覚めて、「アベベ(Ababe)」とか「ブール(Buhle)」、「オコエ(Okoye)」、「ケニアッタ(Kenyatta)」といったアフリカ人のラスト・ネームにすべし、という訳だ。 これは丁度、通名を止めて、祖先の本名を使用するよう勧めた在日鮮人の左翼と同じ理屈である。もちろん、誰がどんな氏族名やファースト・ネームを附けようが本人の勝手である。しかし、アフリカやアジア、南米出身の「ネーデルラント国民」が、祖先あるいは同胞の名前を誇りにするなら、嫌いなネーデルラントに住んでいないで、さっさとスリナムやトルコ、あるいはモロッコやイランに戻るべきだ。どうして祖先を奴隷にした白人と共存し、彼らから社会福祉を受け取るのか? 学校でネーデルラントの歴史を学ぶ際、白人主体の歴史観が嫌いなら、アフリカ大陸に帰って現地の言葉を使いながら「黒人の歴史」を学べばいいじゃないか? 黒人やムスリムの活動家は二枚舌の御都合主義者だ。彼らは白人国家にタカリながら、フリジア人やバタヴィア人に向かって「お前達の過去は間違っている ! 残酷だ ! もっと黒人に配慮した社会にしろ ! 人種の平等と人権を尊重した政治にすべし !」 と叫ぶ。しかし、彼らの浅黒い両親や祖父母は、貧しい祖国が大嫌いで豊かなヨーロッパに移り住んできた。しかも、"自主的に"、だ ! 白人の愛国者は有色人種の移民なんか喜ばなかったし、彼らを"仲間"とも思わなかった。むしろ、色々な理由を拵えて追い払おうとしたが、偽善者のインテリと強欲な財界人が邪魔をし、低賃金で使える「現代版の奴隷」を次々と輸入したのである。 したがって、本来、恨み骨髄の黒人たちが非難すべきは、"レイシスト"の白人ではなく、移民を呼び寄せた経営者とか親切なフリをする人権派の連中であろう。冷静に考えてみれば、「おかしい」点はいくらでもある。どうして、有色移民を嫌う白人の庶民が彼らと一緒に暮らし、移民や難民を呼び寄せた知識人や大富豪が、彼らと離れて暮らすのか? リベラル思想を掲げるテレビ局や、左翼番組に資金を提供するスポンサー企業の重役は、トルコ人やモロッコ人が密集するゲットーに邸宅を構えているのか? また、ヨーロッパに住み着く有色移民は、矢鱈と白人至上主義を糾弾するが、それなら、アラブ人やユダヤ人は、中東アジアかアフリカ大陸の一角に「人種の坩堝国」を造って、エジプト人やトルコ人、インド人、ペルシア人、ベトナム人、支那人と一緒に暮らせばいいじゃないか。でも、こんな多民族国家は誕生しないし、多民族主義のユダヤ人は一目散に逃亡するか、唾を吐いて放棄する。第一、アジア人やアフリカ人には、"まともな国家"を建設・維持・管理・運営する能力が無い。 日常にはびこるレイシズム ゲルマン系のネーデルラント人は、寛容な精神に基づくリベラル思想や、多文化主義を支える多元化社会を自慢するけど、本音の核心は違った原理で動いている。スリナムやアンティール諸島からやって来た有色移民は、ネーデルラント白人の偽善的な行動や陰険な人種差別に日々曝されていた。 例えば、29歳の或るスリナム系黒人は、医者として働いていたが、私生活で謂われ無き差別を受けていたという。それほど昔でもない頃、彼は従兄弟と一緒にクラブへ行ったそうだ。しかし、彼らは入店を拒絶され、ドアの前で店員から「身分証明(ID)を見せろ !」と要求されたらしい。二人は運転免許証を提示したが、なぜか入店を許されなかった。そこで、彼らは店長に理由を尋ねた。ところが、クラブの主人は全く答えなかったという。その一方で、現地(autochthonous)のネーデルラント人、すなわち白人客は店に入っていったそうだ。丁度その時、たまたま警察官が通りかかったので、彼らは助けを求めようとしたが、このパトロール警官達も店長と同じ種類の「現地人」で、彼らは何もしてしれなかったそうである。(Dienke Hondius, 'Black Dutch Voices : Reports from a Country that Leaves Racism Unchallenged', in Philomena Essed and Isabel Hoving, eds., Dutch Racism, Rodopi, Amsterdam and New York, 2014, p.282.) Burqa 5621black students 11 (左 : イスラム教徒の女性 / 右 : 非ヨーロッパ系の学生達)
別の黒人で23歳の男子学生も、ディスコの入店を断られた経験があるという。彼は街中でも奇異な目で見られることが多く、野球帽のような帽子(cap)を被り、ブード附の上着と半尻の腰パン姿で歩くと、人々は彼と離れて歩いたという。すると、彼は皆に言いたくなったそうだ。「ヘイ、俺はアンタ達を狙う"引ったくり強盗"じゃねぇぞ !」、と。確かに、ラップ・ミュージシャンのような格好なら、白人の通行人は何らかの「恐怖心」を感じ取って、こうした黒人を避けてしまうだろう。黒人の若者からすれば、"御洒落"のもつりかも知れないが、まっとうなヨーロッパ人からすれば、"下品なファッション"に過ぎない。 28歳の黒人学生も人種の壁に悩んだそうで、一応「オランダ語」を話すけど、ネーデルラントでくつろぐことはないし、ここを祖国(郷里)とも思えないそうだ。就職のために面接を受けた時も、肌の色で落とされるし、何年住もうが「この国では歓迎されていない」と感じるそうだ。黒人女性も職場での人種差別を感じるそうで、医療福祉の現場で働くある黒人女性は、患者から拒絶されるケースがあるという。つまり、黒人に介護されるのは厭、という訳だ。60歳になる元教師のスリナム系女性も、苦い経験があるそうで、学校の生徒達が彼女を教師と思わず、一瞥もしなかった、というのだ。なぜなら、ネーデルラント人の子供達は、彼女を"清掃員"と思っていたからだ。(上掲書、p.283.) 現在の有色系国民は、それほど露骨な差別を受けていないが、半世紀前のネーデルラント社会では、けっこう赦しがたい差別や侮蔑があったそうだ。ある高齢のスリナム系女性は辛い過去を語っている。「私の息子は(白人)から"サンボ"と呼ばれていたのよ !」と。63歳になる別の女性もレイシズムについて述べていた。彼女の息子は学校で"黒ん坊(zwarte neger)"と呼ばれ、クラスの子供達から「お前なんか国(出身国)へ帰れ(ga terug naar je land) !」と罵られたそうだ。 31歳になる別の女性も露骨な差別を受けていた。彼女が道でバスを待っていると、運転手はそこで止まらず、彼女の前を通り過ぎてしまったのだ。アンティール諸島出身で23歳になる女性は、現在ロッテルダムに住んでいるが、7歳の頃を思い出し、当時の様子を述べていた。彼女が幼い頃、黒人の子供が白人の友達を持つことは非常に稀であった。哀しいことに、「同じ国民」とは言うものの、ネーデルラントで生まれ育った彼女は、依然として「外国人」と観られていた。それゆえ、彼女は心の底で「私は本当にオランダ人なの?」と自問自答し、劣等感に苛まれていたという。(上掲書、p.284.) アンティール諸島からの黒人やアラブ系のムスリム、マグレブ諸国からの異人種が体験した人種差別を話し出すと切りが無い。民族学や移民研究を専門にしている大学教授なんか、本質的には無駄飯ぐらいの左翼か、有害な言論を撒き散らす道楽者だ。こうした知識人というのは、勝手に居坐ったアフリカ人やアラブ人にインタビューをして、彼らの不満や怨念を長々と書く。どんなに馬鹿らしい内容でも、形式を整えた「研究論文」なら立派な「業績」となり、大手マスコミからの称讃を受ける。日本の大学教授は更に酷い。彼らは歐米の左翼学者が出版したクズ本を翻訳して、さも立派な「業績」にして自身が出した「著作」のプロフィール欄に載せている。こんなのは「二番煎じ」というか、生ゴミ捨て場で拾ってきた煮干しを再使用して、「一番出汁(ダシ)」と称するようなものだ。 そもそも、ネーデルラント王国はバタヴィア人やジュート人、アングロ・フリジア人、サリカ・フランク人などのゲルマン民族が主流の国家だから、カリブ海の黒人なんか"対等"の国民にならないし、同じ権利を持つ"同胞"にはならない。令和の高校生や大学生は、どのようなタイプの人間を「ネーデルラント人」と思っているのか分からないけど、映画ファンの日本人なら、『エマニュエル夫人』に出演した女優のシルヴィア・クリステル(Sylvia Kristel)とか、モデル出身のダニエラ・ヴァン・グラース(Daniella van Graas)などを挙げるだろう。格闘技ファンなら、ピーター・アーツ(Peter Aerts)やセーム・シュルト(Semmy Schilt)じゃないのか。音楽ファンだと間違いなく、人気ロック・ギターリストで2020年に亡くなった、「ヴァンヘイレン」のエディー・ヴァン・ヘイレン(Edward van Halen)を挙げるに違いない。後は、来日したこともあるサックス演奏者のキャンディー・ダルファー(Candy Dulfer)くらいだろう。 Silvia Kristel 002Daniella van Graas 334Candy Dulfer 4 (左 : シルヴィア・クリステル / 中央 : ダニエラ・ヴァン・グラース / 右 : キャンディー・ダルファー )
とにかく、日本や歐米諸国にはびこるリベラル派や人権活動家は頭がおかしい。だいたい、ネーデルラントのゲルマン系国民が、いくら人種平等主義を唱えたからといって、彼らが書類上(国籍上)のスリナム人やモロッコ人を「同胞」と見なすのか? 東大や慶応などの左翼教授ならともかく、正常な日本人であれば、K-1で活躍したアーネスト・ホースト(Ernesto Hoost)やレミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky)を「ネーデルラント人」とは思わない。日本人が思い描く「オランダ人」というのは、北方種族のアーリア人、つまり西歐系の白人である。 Peter Aerts 001Semmy Schilt 001Remy Bonjasky 33Ernesto Hoost 001 (左 : ピーター・アーツ / セーム・シュルト / レミー・ボンヤスキー / 右 : アーネスト・ホースト ) 長崎県には「長崎オランダ村」というテーマ・パークがある。もし、この娯楽施設で大勢のアフリカ黒人やアラブ人、あるいは髭面のトルコ人やチュニジア人が堂々と闊歩していたら、観光客の日本人はどう思うのか? たぶん、「えぇ〜っ !!」と驚き、「何で不気味な外人がうろついているんだ?!」と怪訝に思うだろう。大半の日本人は西歐白人がもたらすヨーロッパ文化を堪能したいだけ。お金を払って九州にまでやって来るのに、そこで交流する「オランダ人」が「中東アジア人」なんて馬鹿げている。それゆえ、いくら大金をかけて長崎に「コンゴ村」とか、「モロッコ牧場」を造っても、維持・管理できるだけの収益は見込めないだろう。「にゃんこスター」のアンゴラ村長を園長にした「アンゴラ風テーマ・パーク」を造っても無理。小池百合子とフィフィを起用した「エジプト遊園地」を建設しても、人気が出るとは思えない。 Koike Uriko 111Koike Uriko 122Elizabeth Taylor 33 ( 左 :「魔法使いサリー」に扮した小池百合子 / 中央 : 「かまやつひろし」風の「メーテル」に扮した小池都知事 / 右 : 「クレオパトラ」を演じたエリザベス・テイラー) まぁ、「女帝」と呼ばれた小池都知事なら、アトラクションのメイン・キャラクターになるかも知れない。例えば、エジプトの「女王」役を申し出れば、「なるほど、名案かも・・・」と受けてくれる可能性もある。何しろ、大女優のエリザベス・テイラーが演じたこともあるので、自信満々の都知事様は「あら、私って、メークをするとエリザベス・テイラーにソックリかも !」と言い出しかねない。そう言えば、「東京全体をアニメランドにする」といった小池氏の公約はどうなったのか? 筆者は「魔法使い」サリーに扮した小池百合子よりも、「キューティー・ハニー」を演じるネーデルラント人モデルを見たい。例えば、ドゥツェン・クロース(Doutzen Kroes)とか、ロッテ・ファービーク(Lotte Verbeek)なんかは最高だ。(ファービークはネーデルラント出身の女優だが、英米の藝能界でも活躍している。たぶん、日本の洋画ファンなら知っていると思うが、彼女は米国の人気TVドラマ『ブラックリスト』にも起用され、ロシア人スパイの「カタリーナ・ロストヴァ」役を演じていた。) Doutzen Kroes 111Lotte Verbeek 244Elizabeth Taylor 5 (左 : ドゥツェン・クロース / 中央 : ロッテ・ファービーク / 右 : エリザベス・テイラー )
一般の日本人は気づいていないけど、我が国は既に世界でもトップクラスの移民受け容れ国で、4位か5位になるくらい、大量の外国人を「技能研修生」という名目で輸入している。まだ、多くの一般国民は日本を「日本人の国」と思っているが、その幻想は数年後、あるいは十数年後に崩れてしまうだろう。さすがに、皇室の馬車は廃止されないと思うが、秋篠宮家の愚行を目にすると、皇室伝統は安泰とは言えなくなる。我が国にも段々とイスラム教徒が増えているし、日本各地の森林や観光地が支那人によって買収されているから、日本の伝統維持は益々難しい。昔、山口百恵と三浦友和が共演した『ふりむけば愛』という映画があって、物語はハッピーエンドで幕を閉じたが、令和の日本だと『ふりむれけば支那』という映画が作られそうだ。まさか、日本が「倭人自治区」になることはないよねぇ〜。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html
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