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大恐慌の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 22 日 22:06:31: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 第一次大戦がヨーロッパを変えた 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 22 日 13:09:14)

大恐慌の時代


第一次大戦後のアメリカ
映像的世紀 03 那是從曼哈頓開始的



大恐慌の時代
映像的世紀 04 希特勒的野心

 

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1. 中川隆[-13560] koaQ7Jey 2020年3月22日 22:59:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1344] 報告

累進所得税こそ経済を活性化させる

◆資本主義で失業率改善と税収増と株高を同時達成する 吉越勝之 2004年10月27日
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/454.html

「別表日米90年間の年度別最高税率と経済」を調べてみると、米国は1910年代
後半から、50−75%の高累進所得税制で空前の好景気に沸いたが、1925年に
最高所得税率を史上最低の25%へ所得規制緩和し、承継したフーバー大統領誕生の
1929年アメリカで株価大暴落が発生し世界大恐慌へ突入したのです。

その3年後、多数の米国会議員の努力で成立した失業率を大改善し、本格的経済成長
に大成功して世界恐慌を完全克服し世界大戦の膨大な戦費を賄った上、財政再建に大
成功して世界一の経済大国となり株価上昇の原点となった、最高所得税率63−92
%へ税制改革の「必要は発明の母で生まれたルーズベルト税制」を分析し理論化した
のが本論文であります。

日本は戦後一般消費税を拒否し、この米国型直接税制を採用し国税75%の高累進所
得税制で高度経済成長と財政健全化に大成功したのです。 
しかし米国の強力な競争相手に成長した我国が、税制への無理解から平成元年にEU
型間接税中心税制へ大転換し米国型経済成長税制を放棄してしまったのです。 

この日本の競争力低下に助けられクリントン米大統領はルーズベルト税制を参考に
「富裕層所得税の累進強化の税制改革」を断行し国家競争力を再強化し株高と景気回
復と財政再建の同時達成に大成功を納めたのであります。

逆に直接税の所得規制緩和税制改革のレーガン税制やブッシュ税制では所得再配分機
能の低下を招き、個人消費は停滞減少し本格的経済成長と財政再建の同時達成に必ず
失敗するのです。

さて成熟経済においてアメリカと同じく納税者番号制を伴った高累進所得税の増税で
所得を規制強化し、且つ消費税を廃止し個人消費を規制緩和すると、国民所得が大幅
増加して失業率低下と経済成長と大幅な税収増の同時達成という素晴らしい結果を得
られます。 

この立証に世界一の経済大国アメリカと第二位日本で何回も大成功した実例を紹介し、
このメカニズムを詳細に分析しています。

逆にEU型間接税制で、消費税を大増税して高度経済成長と失業率大改善の同時達成
に成功した成熟経済大国の成功実例は皆無であり、消費税率を上げて個人消費と設備
投資を規制強化すると、景気は後退し、失業率は悪化し税収は増加出来ません。

消費税制では何故そうなるかについて解説しています。さて日本独特の消費慣行から、
消費税制の副作用は極端に出るので日本が消費税制に固執し、財政赤字をタレ流せば
財政は破綻し莫大な国債が残り必ず政治責任が発生します。

この税制改革理論は国家を誠実で正直な国民を要素部分とする全体、つまりシステ
ムと考え国民性に合致する国家システムで強力に経済成長させる手法を解説します。

◆この税制改革理論の結論の要約 吉越勝之


◆日本は戦前、マスコミ、政治家、官僚の広めた理念観念を礼賛し、武力によって膨大
な国土を獲得したが、7000万人の国民を食べさせることも困難な大不況の国家だ
ったのです。

ところが敗戦の昭和20年に「焼け野原の国富ゼロ」から出発し、日本固有の領土に
大幅縮小されたのに、国民と国家の「考え方」と「システム」を、「個人消費を課税
規制せず、逆に増進しながら徴税する自由と平等思想の高累進所得課税の税制改革」
によって、平成元年までに、何と1億2000万人の国民が食うに困らない「無から
有の年平均74兆円の国富を生み出し43年間でビルが林立する、国富3190兆円
増(経済企画庁発表)の国民が豊かに暮らすことが出来る国家」へ成長したのです。

ところが平成元年、個人消費を課税規制して個人消費を抑圧しながら徴税する間接税
中心税制へ大転換し、更に所得税の累進を弱体化させた税制改革以降、年々国富は減
少し、平成14年度の国富は2799兆円と確定発表されており、この14年間の国
富は391兆円減であり、年平均減少額はマイナス28兆円にもなるのです。

本論文は「経済は神の手ではなく人間が営むもので、人間の手で改悪も改善もできる」
のであり、分析の結果、経済不況が継続している原因は「平成元年の税制改革」にあ
ったことを後述の通り明らかにし、その改善方法を解説したものです。

さて「個人消費+設備投資=国民所得」の経済公式があり、更に設備投資の増減は、
個人消費の増減に正比例する重要な性質がありますので、結果として市場経済では個
人消費の増減が国民所得の増減を決定する、基本的な経済構造になっているのです。

所得税は所得を課税して規制する税ですが、所得は他人から稼得する性格から、他人
の意志決定で増加するため、本人所得に直接課税規制する方法は、他人の意志決定を
課税抑圧することにならず、ましてや本人の意欲と意志と全く無関係に増加するので、
直接税制の大きな利点は、所得増加の意欲と意志の人間行動を全く規制抑圧しないと
いう点なのです。

しかも「個々の所得を累進課税で累進強化すればするほど、消費性向が低い高額所得
者から、より多い税収を得、国家の基本的機能の一つである所得再配分機能が自動的
に作動し、国家財政は、公務員や公共事業や建設事業従事者等の中低所得者層の人件
費に使用され、低所得者層ほど個人消費性向が極めて高い事実から、国家全体の消費
性向は徐々に高まり、個人消費が増加し、比例して設備投資も増加し、個人消費と設
備投資の両者から等価変換される国家全体の国民所得は急速に向上するのです。

所得税の累進構造は個別の所得を課税規制し、国家税収を増収しながら、経済成長を
達成する巧妙なシステムを内在していたのです。

それに引き換え、消費税は、本人の意欲と意志で増殖する個人消費を、本人に直接課
税し個人消費増加の意志決定を抑圧して税収を得る、抑圧的なシステムであり個人消
費の増加そのものが抑圧され、設備投資も減少し国民所得も税収も停滞後退するので
す。

個人消費過少、貯蓄過多の日本人の国民性において経済成長と財政再建を同時達成す
るには、平成元年の間接税制への大転換は経済的合理性と科学性が全く無い税制改革
だったのです。

◆さて企業の生産設備が超進化しロボットが大量生産を行っても、国民総生産(GNP)
としては全く計算されないのです。

それを人間が現実にカネを支払い「個人消費した瞬間」に始めて国民総生産として計
算され把握されるのです。

この経済の仕組みの深い意味と個人消費を維持増強する経済システムの重要性を、ま
ず理解しなければなりません。

つまり個人消費は人間しか行なわず、どんなに機械化し生産性を挙げても、機械は絶
対に個人消費は出来ず、更に当たり前のことですが、世界最強の企業や最強の国家と
いえども現実に個人消費をするのは人間であるという現実は変えられないのです。
しかも人間は所得が順調に増加しないと継続して良好な個人消費が絶対に出来ない原
則があるのです。

更に進化システム(後段詳述)の科学技術の発達によって民間の生産力増強は、需要
さえあれば民間自身で可能なので、「国家は科学技術振興策より国家自身の責務とし
て国内個人消費を規制抑圧せず、更に財政再建のため増税しながら国家全体の個人消
費の増強効果を発揮する税制改革の実現」こそが重要なのです。

イギリスの大経済学者ケインズの言うとおり、個人消費こそ国民所得を増加させ国民
全体に国富をもたらすからです。

結局、経済成長は「消費の意欲」を規制抑圧しない税制改革が大切であり、資本主義
の間接金融国家日本では、設備投資や個人消費の増加意欲が強ければ、「国内総生産
と総需要の増加」の不足資金を賄うために「自己資金を活用する以外に国内民間銀行
の貸出総残高の増加」という形で現実のおカネの増加流通をもたらし、市場経済は経
済成長していくのです。

逆に「個人消費意欲を課税で規制抑圧する税制改革をすると」それに応じて国内資金
が国内消費や国内設備投資へ向かわず、国民所得は減少後退し、退蔵預金として固定
化し滞留し、国内資金の回転率が悪化し、更に海外投資や不正資金の逃避などで海外
へ流出して、経済成長は停滞、後退するのです。

結局進化システムの資本主義経済においては「お客様は神様であり」言葉を変えると
「個人消費は神様仏様である」のです。

◆次に国家の全租税収入は国民所得の一定割合であり、租税負担率を引き上げることな
く租税収入を増やすには結局の所、個人消費+設備投資(=国民所得)を増やす以外、
つまり経済成長を実現する以外方法はないのです。

日本経済の最大の問題点は、国民所得が連年低下状況であり経済成長どころか後退し
ています。

本論文では一貫して税制は、人間行動の意欲と意志への自然な動機付け手段であり、
個人消費+設備投資=国民所得の増加方法つまり経済成長に役立つ、強力な税制改革
を述べています。

「戦前の戦陣訓と同じく」知識人が頭の中で考えた「公平、中立、簡素」などの「言
葉の羅列による強制」では、人間文化の発展である意欲と意志で成り立つ資本主義の
成長発展には何の意味も為さず、経済成長に全く役に立たず害悪ですらあるのです。

大事なことは一台1000万円するベンツを年間10台買える消費者5人と一台一万
円する自転車を年間一台しか買えない消費者95人が存在する、国民所得5億95万
円の国家よりも、一台1000万円するベンツを年間3台買える消費者3人と、一台
450万円するクラウンを年間2台買える消費者33人と、一台180万円するカロ
ーラを年間1台買える消費者62人と、一台一万円する自転車を年一台しか買えない
消費者が2人存在する国民所得4億9862万円の国家の方が国家全体の国民所得が
ほぼ同一でも、国産自動車メーカーのトヨタ自動車が存在しうる存立基盤が国家内に
確保されるのです。

結局のところ資本主義の成長発展は、貧富の格差があまり無く中流意識を持った豊か
な消費者を、如何に多数作るかの、国民所得の増殖創出システムと、配分システムが
全てなのです。

したがって、市場経済の資本主義における問題解決方法は「人間の過剰性の本能(150参照)」と「個人消費の進化システム性」と「国民の所得階層別の消費性向の
事実(別表P4参照)」について科学的に理解することが最重要なのです。

◆更に付け加えれば、購買力平価へ近づけなければならない為替相場において、わずか
年間15兆円の貿易収支の黒字を得るために国家が推し進めた継続的な輸出振興策に
よる「異常な円高により」国内企業の見かけ上の人件費を高騰させ、国内の設備投資
環境を破壊し資本収支を14−15兆円の赤字とした上、国内外企業の対等で平等な
価格競争を破壊し、外国企業との仕事の奪い合いで国内人件費比率の高い産業は常に
国際競争で敗退を続け、結果として死に物狂いの生き残り競争により「単価・粗利益
率が継続的に減少」し、結果として国家経済と産業構造に大きな痛手となっているの
です。

国家全体をコントロールしなければならない、指導層が「自由貿易体制」を隠れ蓑に、
国家経営層の重大な責務である「貿易収支の均衡と資本収支の均衡がもたらす管理の
利益」を放棄しているために、起きている膨大な悲劇なのです。

根本的に年間500兆円以上の国内個人消費+設備投資の継続的で持続的な増殖を図
り続けることが、日本国の産業構造をゆがめず、アメリカ経済にも中国経済にも頼ら
ず、日本独自の力で経済成長を継続できる、真に日本経済の利益になるのです。

さて現状の最悪な税制の組み合わせを、昭和天皇の崩御の一週間前の昭和63年12
月30日法律107号として、急いで「税制改革法」として強行成立し、その「第4
条第一項」に、今次の税制改革は、所得課税において税負担の公平の確保を図るため
の措置を講ずるとともに、税体系全体として税負担の公平を資するため、「所得課税
を軽減し」「消費に広く薄く負担を求め」「資産に対する負担を適正化すること」等
により、「国民が公平感を持って納税し得る税体系の構築を目指して行なわれるもの
とする」と強制規定し、この税制改革が国民の幸福や福祉の向上に役立つ明確な証拠
も理論も実績も無いのに、如何にも、もっともらしい目的らしきものを掲げ法文化し
てしまったのです。

結局この条文によって現状の日本経済は最悪の事態に追いこまれた上「日本の税制改
革の方向性が固定的、観念的な税制イデオロギーに支配される結果」をもたらし、強
い経済規模縮小作用と税収減少作用を持つ税制を強制的に経済の中核システムへ持ち
込み財政再建が絶対不可能なレベルにしてしまったのです。

これこそが昭和天皇が奇襲攻撃に強く反対していた太平洋戦争開始時の状況と全く同
一の「日本のマスコミや国会議員や官僚等による事実を確かめないまま思い込みによ
る最悪の選択」だったのです。

この不幸の生い立ちと、誤った目的意識を掲げた平成元年の消費税導入の税制改革が、
国民へ絶対に幸福をもたらすことは無いのです。

この状況を根本的に改善するためには、まずこの税制改革法第4条第一項の税制改革
の目的を、観念的、信念的な税制イデオロギーから解き放ち「税制改革は憲法で規定
している国民の幸福と福祉の向上と資本主義経済の発展に役立つものでなくてはなら
ない」と、当たり前の税制改革の原則的な目的を再確認する本来の方式へ大改正する
ことです。

目的錯誤の法律は百害あって一利なしであり、政策立案者がフリーハンドの思考で経
済成長と税収増加と国民の福祉向上へ同時に役に立つ政策立案の強い障害になるだけ
だからです。

そのためには、まず全く誤った結論を法律化した「現行税制改革法の抜本的な改正」
が必要です。

一国の総理大臣が自分の任期中は消費税増税をせず、広く議論すべきと宣言している、
今こそ「日本経済にとって何が経済成長にとって役立つ税制なのか、何を規制緩和し、
何を規制強化すべきか、」事実を元に真実を再研究する最後の機会になると思います。

◆さて「経済成長とは」「科学技術の無限の進歩」により、絶え間なく上昇する労働生
産性を吸収して、企業売上を増加させ「全国民へ働く職場を提供し、資本や税収や、
国民所得を増加させるため」「個人消費(第三者へ所得を与える利他的行為)の持つ
無限の増殖性」を活用した、進化システム技術を言うのです。

分かりやすく表現すれば「経済成長とは」後述の通り「人間文化そのものである個人
消費の種類、質、量の増殖」の貨幣経済的表現なのです。

さて日米の全税制史を調べると「1925年米国は所得獲得者や資産所有者を優遇す
ることが正しい選択であると誤解し、税制は景気に無関係であると誤解し、当時50
−73%の高累進所得税率で好景気を謳歌していたのに、25%へ低下させる所得規
制緩和策を実施し、4年間継続した結果、1929年に株価大暴落に続く世界大恐慌
を引き起こしたのです」。

3年後に最高所得税率を25%から、63−>92%へ劇的に累進増税し所得規制強
化し「米国はわずか6年間で失業率の悪化を食い止めバブル崩壊前の国家税収を完全
に回復して、本格的景気回復軌道」へ載せたのですが、アメリカでさえ本論文の理論
は認識されておらず、このアメリカの増税策はやむをえず取られた政策と評価され、
50年後の大規模財政赤字を発生させたレーガン政権や現在の子ブッシュ政権の大減
税政策の強行でも明らかです。

しかしレーガン政権後のクリントン政権が場当たり的で失敗すると批判された累進所
得税等の増税政策で、本分析通り見事に本格的経済成長と財政再建の同時達成に大成
功したのです。

これに対して日本の平成2年初からのバブル崩壊は税制を、最高所得税率75%―>
50%へ所得規制緩和し、更にアメリカが採用したことの無い3%のヨーロッパ型付
加価値消費税を導入し個人消費へ規制強化したことが「原因」であるのに、バブル崩
壊後、景気が完全回復していない、平成10年には、更に最高所得税率を50−>3
7%へ所得規制緩和し、更に消費税率を5%へ個人消費規制強化したため、日本経済
を更に最悪の経済環境へ陥れ、結果として、日本経済は泥沼に陥り国家税収は更に大
幅減少し「バブル崩壊後15年も経過してるのにバブル前の税収に遠く及ばず」若者
の実質的失業率は最悪化し、多くの結婚も出来ない経済状況の若者を多数出現させ、
合計特殊出生率はますます悪化し、年金問題はますます解決困難に向かい、日本民族
は消滅の未来に向かっているのです。

では、なぜ税制が、このように強力な効果を持つのかを分析し研究した結果が本論文
であり、「この税制改革理論の結論の要約」と「別表日米90年間の年度別税率と経
済」「日米と主要経済大国を基礎データーで比較」だけでも読み進めば「税制が持つ
誰でも理解できる簡単で巧妙な原理と、もたらされる結果のデーターに、びっくりさ
れると思います。」    

従来の税制改革論議は税制が経済的に中立を装うという市場経済を無視した、大きな
誤りがありますので、市場経済に適応した、資本主義の本家であるアメリカの税制と
日本の高度経済成長期の税制を基礎に、新たな税制改革理論を打ち立て、自立してア
メリカと対等に強力に経済競争しながら、地球環境へ適応して日本国が発展していく
「第二の明治維新」を目指さなければなりません。

◆さて人間の過剰性を悪く解釈するだけでは人間性の否定につながり、まして輸出に課
税せず内需と輸入のみを課税するのは「対等な平等競争ではなく」その国の不平等な
反人間的論理なのです。

国家コストを消費税という税制で、自国民に役立つために生産された内需商品と、輸
入商品のみに課税転嫁して自国民のみ負担させ、自国で作り出された輸出という自国
民に全く役立たない輸出商品の国家コストを、輸出相手国に全く負担させない偏った
性格を持つ間接税なのです。

それに比較して所得税等の直接税は国家コストである税金を、商品価格に転嫁して自
国民の作り出した価値にすべてに平等課税し、内需商品、輸出商品、輸入商品に関わ
らず、商品価格に混入させ国家コストを自国民へ役立つ内需、輸入商品については自
国民へ負担させ、他国民へ役立つ輸出商品については輸出相手国に負担させる「自国
民にも他国民にも国家コストを経済的に対等で平等に割り振り負担させる税制」なの
です。

さて競争の中で「何を規制すべきで何を規制すべきでないか判断するのが政治」なの
です。

本論では同時に、この税制改革理論で主張している政治改革が実現出来れば、「人間
の本質が進化と生き残り本能」である以上「地球環境をこれ以上悪化させず人類が生
き残る方向」へ、自動的に経済成長が進むことを確信しています。

なんとなれば膨大な数の人間は五感で生き残りの方向を本能的に判断するセンサーを、
動物として保持しているからであります。

現に経済成長につれ膨大な数の国民は医療、環境保護、社会福祉、エネルギーなどへ
の関心が高っていることをご理解頂けると思います。

◆さて成熟経済では、なぜ個人消費規制緩和の消費税廃止や、所得規制強化の直接税の
累進増税で強力な経済成長を達成し、経済問題を根本的に解決できるのでしょうか。

(任意行動)少数ですが、自ら所得獲得額の調整ができる企業経営に携わる人たちや、
寄付を多額にする利他的意識の強い人たちかいます。
所得が多いと税を多額に納付しなければならず過剰に所得を取りすぎるのを控える行
動が生じます。
これが「直接税の所得規制のインセンティブ(動機付け)効果」なのです。

これは強力なオスライオンでも満腹になったら順位の低いライオンにエサを譲る「畜
生でさえ遵守している大自然の掟である自然界の無意識の利他的ルール」と同一なの
です。

これによって力の弱いライオンや他の動物も生き残り自然は豊かに繁栄できるのです。
逆に人間社会の強者の所得独占行為は、大自然のルールでは極めて不自然な行為なの
です。

結局その人が満腹で放棄した所得は「任意の自由意志で中低所得者への所得配分」さ
れ、より所得の低い人が生き残り、新たな個人消費が発生する経済の無限連鎖が確立
し、これによって消費性向の高い中低所得者から、更に多くの所得の原資となる個人
消費の自己増殖が得られ、等価変換される国民所得の向上に寄与し、強者は更に所得
獲得チャンスが増加し、且つ中低所得者が生き残れて増殖できるので、将来中低所得
者から優れた人材を突然変異と競争で得られる機会が増加し社会を進化発展させる共
存共栄の利益を得るのです。

つまりライオン(高額所得者の所得)を増やすには下層の草食動物、更に下層の植物
層(個人消費)を増やさなくては、ライオン自身増殖できないのです。

(強制行動)直接税の税率が高くても、自分で所得や資産を全て獲得したい人は多額
の税を支払うことなり消費性向の低い高額所得者から得た税収は国家によって公務員
の給与や、公共事業を通じて、ほぼ全額中低所得者層に配分されることとなります。
これが「直接税の強制的な中低所得者への所得配分のシステム効果」なのです。
これを適正担保するため「納税者番号制はアメリカと同じく絶対に必要」なのです。

(結果)個人消費は強力な自己増殖性を発揮する進化システムであり消費税での課税
強化は悪影響が生じますが、直接税は全く個人消費を課税規制しないので、大幅増税
しても進化システム効果は自然に充分に発揮されます。

更に中低所得者の消費性向はきわめて高く、常に上の階層の消費を目指し個人消費の
増殖能力も高いので、任意や強制により中低所得者へ配分された所得は、結果として
中低所得者の個人消費を通じ国家全体の消費性向を押し上げ、次の所得の源泉となる
個人消費が活発になり「設備投資を伴った本格的景気回復」が達成されるのです。

つまり所得税は個人消費と貯蓄への所得の使い道に平等に課税する結果をもたらし、
消費税は所得の使い道のうち個人消費のみを課税し、貯蓄を非課税にするため個人消
費を最小限にして貯蓄へより多く回す、不自然な経済行動を取らせてしまうのです。

つまり所得税の他に消費税を導入するということは結果として個人消費に二重に課税
する結果になり個人消費への規制抑圧になって国民所得と経済成長が停滞します。

所得税は消費税と異なり、個人消費を直接課税抑圧せず、所得の使い道である個人消
費と貯蓄へ不平等競争条件も持ち込まず、更に販売現場へ販売抑制効果も持ち込まず、
更に高所得者層と中低所得者層の消費性向の違いを活用し、所得配分機能を持つ国家
を通じて高額所得者からの税収をより消費性向の高い中低所得者へ配分し国家全体の
消費性向を引き上げる強力なシステム効果を発揮します。

更に「所得税累進増税は所得の大幅増加をもたらし且つ所得の増加は税収の増加をも
たらす」ので「国家と国民の目的は同一」になり、国民所得を増加させると国民が喜
ぶ上、国家も税収増となるので、政治家と官僚は国民所得の向上つまり経済成長に本
気に取り組めるのです。

これも直接税のインセンティブ(動機付け)効果といいます。
これが「直接税の進化システム効果とシステム効果とインセンティブ(動機付け)効
果」の三位一体の効果なのです。

つまり直接税は税率を高くすればするほど、国民所得が向上し景気が良くなる上、税
収がドンドン増える便利な税金だったのです。

アメリカが世界大恐慌後の50年以上にわたり採用した高累進税制こそ、アメリカ資
本主義の基礎をしっかりと発展進化確立した税制なのです。
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/454.html

クリントン政権が本格的経済成長と財政再建の同時達成に大成功した理由 吉越勝之
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/456.html
 

1929年10月の株価大暴落はアメリカ税制史上、直接税の最大の減税環境(最高所得税率25%)で発生したのであり、平成2年から始まった日本の株価の大暴落も全く同様であり、直接税の大減税は景気回復の手法という通説は全くの虚偽であり、景気悪化の原因そのものなのです。

その後この世界大恐慌を回復させ資本主義を発展させた、レーガン政権誕生までの、
50年間にわたる累進大増税政策(63−92%)と、その後の累進弱体化減税政策
のレーガン政権でもたらされた記録的な財政赤字を解消し、記録的な大成功をもたら
したクリントン政権の富裕層への直接税の累進増税政策と、日本の高度経済成長期の、
消費税無しの直接税の累進増税政策(国税のみで75%)を「手本に」「所得税等を
累進増税すると個人消費増強効果が強まるので素直に増税し」その分「個人消費の進
化システム機能を常時規制抑圧している消費税を完全撤廃し個人消費の自然な増加を
促進し」相乗効果で「500兆円以上の膨大な個人消費の種類・質・量の自己拡大を
図り財政負担無しに国民所得つまりパイの継続的拡大」を図る「経済の出発点」で
「経済再生の根本」である「個人消費を時代に応じて増殖する進化システム機能を自
由に発揮させ」豊かな内需環境を整備する税制改革を実行すべきです。

さて企業の消費税ばかりでなく法人税、源泉所得税等の全税金も全社会保障費も更に
全人件費も、実は企業が生産する全商品コストに算入され個人消費を通じて全国民で
ある最終消費者が実質全額負担しているのです。
つまり「個人消費があって始めて所得や税収が生み出されるという現実」は企業とい
う形式的で法的な存在が実質的に負担する税金や人件費などは、この世には全く存在
せず、全ての税金や人件費は実在する国民である最終消費者が個人消費を通じて全額
負担しているのであります。
トヨタ自動車の法人税も従業員の源泉所得税も「実質的に全額車購入消費者が購買代
金の中から負担している」のです。
「民間企業」が膨大な広告宣伝費をかけ「値引きやオマケを付け」強力に個人消費を
掘り起こしているのは「個人消費の増加がなければ設備投資と利益の向上が絶対に実
現できない原則」を本能的に知るからであり、逆に肝
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/456.html


(別表) 90年間の日米の最高所得税率と失業率と税収と政府総債務の年度別推移
          税理士・中小企業診断士 吉越勝之 2004.8.20 (本文へ戻る)
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/481.html

 
 アメリカで発生した世界大恐慌以前の初期資本主義時代から現代までの約90年間
以上と日本の敗戦から現代までの約50年間以上の年度別「最高所得税率の推移」の
結果が、もたらした国家成績の指標として「失業率」「年間総租税収入額」「政府総
債務残高の年増減額(財政再建度)」の実額資料から国家成績の傾向と実態を確かめ
下表の通り掲載し、本文の税制改革理論との理論的一致を事実として確かめたもので
あります。
資料の収集には大変苦労し、国立国会図書館、県立図書館等に通って資料を集め、ま
とめたものです。 
アメリカの資料で苦労したのは年度別最高所得税率の資料が見つからず、公表されて
いる最高所得税率の年度別折れ線グラフから推定させてもらいました。  
その他の重要資料はアメリカの方がはるかに分かりやすく整備されていました。
それに引き換え日本の資料の収集には、はるかに苦労させられ、重要な資料ほど見つ
けにくくわかりにくくなっていた。両国の税制と国家成績の疫学的立証からの結論は
(1)直接税中心主義期間では例外なく国家税収は時間の経過とともに、必ず増収に
   なることが分かった。
(2)全商品課税対象の付加価値消費税を採用しない期間は、最高累進所得税率を高
   くすると国家の所得配分機能が作動し消費性向が向上し失業率も国家財政も極
   めて順調に改善できることがわかった。
(3)景気回復策という通説と異なり、最高所得税率を低下させると、結果として経
   済成長を低下させ、景気下支えの財政支出が必要となり、財政が極端に悪化す
   ることが日米の経済史から立証できた。
(4)全商品対象の間接税である付加価値消費税を採用すると、日本では特殊な社会
   慣行から、副作用が特に顕著に現れ、前(3)項の現象と重なり、日本の国家
   財政は最悪化し、失業率も最悪化した。
(5)経済競争の勝敗は競争当事国間の「税制の経済効果の相対関係で決定される」
   ことを示している。 
(6)貿易は輸出入の均衡が最善であり、貿易収支の不均衡は黒字赤字に関わらず経
   済に悪影響を与える。
(注)アメリカは、見た目と全く異なりヨーロッパ型消費税制を導入していない直接
   税中心国家です!!

1.アメリカのケース

(1)現在アメリカは付加価値消費税を導入していない世界で唯一の主要経済大国で
   あり、それゆえ成熟経済になっても経済成長が定常状態で成長し、世界一の経
   済大国となり世界に君臨しているのです。 
   つまり戦後一貫して、アメリカは付加価値消費税制中心のヨーロッパ大陸諸国
   と税制で一線を画し、直接税中心主義を貫き、ヨーロッパとの経済競争に勝ち
   続けていたのです。
   しかし唯一平成元年までは、最高所得税率が高く個人消費を大きく抑圧する付
   加価値消費税も、小さく抑圧する小売売上税も採用していない日本に対して、
   逆に大きく遅れをとっていたのです。
(2)資本主義国家アメリカは最高所得税率を、政権の経済政策に応じて極めて頻繁
   に、信じられないくらい大きく変更している。 
   アメリカの税制は同国の国家哲学であるプラグマチズムの影響を強く受け「政
   権毎に最適化を求めて試行錯誤を勇気を持って行い」、経済の復元力の強さに
   なっています。
   したがって「この税制改革理論のような、定まった理論によって税率を上下し
   ているわけではない。」
(3)しかし最高所得税率を低下させると、「世界大恐慌」が起こったり、「極端な
   財政赤字」に陥ったり「経済成長が停滞」したりすることが「事実」として示
   されています。
(4)経済危機に際しては最高所得税率を引き上げることにより、常にアメリカは経
   済危機を脱してきた、実績があります。
   その中で大成功したクリントン大統領の累進所得税の累進増税は言われている
   ほど大きくないのに大成功したのは、強力な競争関係にあった、当時の日本の
   取り入れた税制の失敗に大いに助けられた結果である。 
   競争とは競争当事者間の「相対関係」であることを示している。

2.日本のケース

(1)日本がアメリカに次ぐ第二位の経済大国になり得たのは、昭和25年間接税と
   して付加価値事業税の提案がなされたが、国民と中小企業の強い反対があった
   ため、政府がこれを素直に受け入れ昭和29年一度も実施されること無くこれ
   を廃案にしたことである。  
   これによって日本は国民性に全くなじまない間接税に頼らなかったことが、高
   累進直接税国家に進まざるを得ず、結果としてシステム的に自然に自動的に高
   度経済成長に成功したのが「日本の高度経済成長達成の秘密」です。
(2)最高所得税率を高めると、失業率も税収も改善し、財政再建されることが下表
   の日本のケースでも明らかになった。
   逆に最高所得税率を引き下げたり、消費税を増税すると失業率は悪化し、税収
   も極端に減少し、財政は極度に悪化することが確かめられた。
(3)平成元年消費税を導入するまでの日本は10年間で国家年税収は2.3−4.
   4倍に増加する超健全国家であった。
   しかし平成元年消費税導入後、途中で消費税を3%から5%へ1.6倍も増税
   したのに15年経過後の現在、増収どころか、国家年税収は0.75倍に大幅
   減少してしまった。
   直接税中心税制を採用していれば、累進税率を上げれば必ず国家税収は大幅増
   収になるのと比べると、現状は最悪の非効率税制である。 
   現状の税制では財政再建など絶対不可能であります。

(結論)
1. 消費税が無く累進所得税のみの期間の日本は「失業率」も「国家税収の伸び」も
  「財政」も極めて健全であり、経済成長も順調であり、アメリカ経済をはるかに
  上回っていた。
2. 消費税導入後、失業率は一貫して悪化を続け、後ろ向きの財政支出が膨大に増加
  し同時に税収減のため国家財政は一貫して悪化を続けている。
  企業をリストラさせて、利益の出る企業を作りあげたところで、そのリストラさ
  れた人間の生活は、憲法上国家が面倒を見なければならず、人件費を民間企業か
  ら国家へ負担を移し変えたにすぎず、財政負担ばかりが増加し、全く意味の無い
  税制政策であった。                 
3. 競争とは競争相手との相対関係である以上、日本の最高所得税率は「アメリカの
  最高所得税率+アメリカの国民一人当たりの社会福祉寄附金所得換算率」に最低
  限度するべきであります。
アメリカの国民性は社会福祉を原則民間でやるべきと考えているのに対して日本では
社会福祉を国家がやるべきと考えている以上、アメリカ国民が膨大に負担している民
間寄附金は日本では累進制所得税に吸収すべきであるからです。
これによって、はじめて「アメリカと日本の競争力は、対等に平等に均衡」するので
す。

(結論)
1.国家内の「国民と企業を良好状態に保ち、全体として継続的に経済成長させる」
  義務を持つのが国家なのであります。 
  国家経済の根本は自国民が生産した全商品を自国民が全て個人消費できるように
  如何に国民所得を増強できる仕組みを作るかであり、国民所得と個人消費の増強
  のための財政の所得再配分機能能を活用し、無から莫大な有を作りだす税制改革
  にかかっているのです。
2.とすると「貿易黒字を膨大に出して円高を招くことは」「人件費を見かけ上、高
  騰させ国内に設備投資が不利な環境を作り出し」結果として国内に良好な設備投
  資対象が激減するため、利潤を求めて資金は国外へ流出し「資本収支が大赤字に
  なり」本来は国内の設備投資に使われるべき、現実の資金が国外へ流出してしま
  い国内設備投資需要が激減し生産力は低下し失業率は高まり、景気は浮揚できな
  くなるのです。 
  この仕組みの怖さこそ変動相場制なのであり、貿易黒字を求める「無意味さ」を
  表しています。  
  貿易収支均衡政策と資本収支均衡政策の同時達成を目指すのが「他国の影響を受
  けず、日本が自分自身の力だけで経済成長を無限に継続できる」「真に正しい経
  済政策」なのです。
  貿易黒字を溜め込むことも貿易赤字を出すことも非基軸通貨国家の経済政策にと
  って最悪の選択なのです。  
  貿易収支と資本収支の均衡政策を目指すことが「国家経営における真の管理の利
  益」となるのです。
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/481.html

経済成長は直接税制の強化で可能(1) 吉越勝之
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/490.html

得(食料)生産機関」であり、消費税のように「個人消費」に課税することは個人消費の所得生産機能や
  配分機能を大幅に低下させ、人間の自由意志を抑圧して経済成長に重大な悪影
  響を与えるのです。

7.「貯蓄」は個人消費しなかった残余の金額です。また「設備投資」は日本のよ
  うな間接金融国家では、銀行が貯蓄から企業に貸し出す形態となっており、
  「個人消費」が活発になると「貯蓄」がドンドン「設備投資に変換」され、更
  に企業売上へ再変換され、それによって企業から銀行へ金利が支払われ、労働
  者には所得が支払われ、銀行は預金者へ預金金利を支払えるのです。
  
  日本のように家計防衛本能が強く直感脳によって「税」を嫌う「女性が家計を
  支配している主要経済大国の中で唯一の国家」の個人消費に課税する消費税制
  の採用は過剰貯蓄体質が強化され個人消費が停滞し設備投資も停滞し継続的に
  悪循環となり経済は最悪の状態になるのです。

8.消費税以外の全税目の全税収も全社会保障費も、実は企業が生産する全商品の
  コストに算入され、個人消費を通じて最終消費者が全額実質負担しているので
  す。
  民間企業が膨大な広告宣伝費や販売促進費をかけ「値引きや割引をしたり、オ
  マケをつけたり」、強力に個人消費を掘り起こし企業売上を増進したりするの
  は、一面で国家国民のためなのです。

  「個人消費の増加がなければ全企業売上と国民所得と税収の増加と失業者の減
  少の同時達成が絶対に実現できない原則」があるのに国家が消費者心理に逆ら
  って商品価格に5%の消費税を上乗せするから、個人消費の増加が大きく鈍り
  国民所得も税収も増加出来ず失業者の減少も実現出来ないのです。

  更に消費者の心理を無視して消費税を10%〜15%にするという議論が喧伝
  されるところに消費者心理不在の「理念観念に凝り固まり真実を見誤る固定観
  念の政策集団」が日本国の大勢を占めている戦前と全く同じなのです。
  だから経済成長は人間の手によってコントロール可能である事実を知るアメリ
  カは超大国なのです。

株式市場、個人消費、市場経済、国会採決、選挙など「国民的環境において人間個
人が自らの意志で実質的、形式的に規制無く自由に決定でき、且つフェアーな競争
原理が働くも
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/490.html


経済成長は直接税制の強化で可能(2) 吉越勝之
http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/491.html


(国家の存在意義と民間企業の存在意義は全く異なる事実と、従来の経済学では解
決できない経済問題と進化システム原理による税制改革による解決)

第二の問題点(本題)として「ケインズの有効需要の原理やワルラスの法則を無視
し、進化システム原理に反している現状の日本の税制を根本的に改善する税制改革」問題に入りたいと思います。

さて経済学は後述するように万能の学問ではありません。もし万能ならそれ以外の
学問は不用になるはずです。伝統的な経済学は多くの前提条件(p179)の上で
成り立つ「数学に近い性格」を持つ狭く限定された学問なのです。

本書で提唱しているのは「人間が組織する外部競争原理(組織同士の競争)が働く
民間組織に従事する人間の個人や集団の意志や意欲の向上に資する運営の原理原則
を研究する(民間)経営学」を参考に「独占組織のため組織同士の外部競争原理が
働かない国家組織における国民の個人や集団の意志や意欲の向上を誘発し、経済社
会の進化発展に、最大の効果をもたらす個人による内部競争原理(構成員である人
間個人の参加の自由と対等に平等なフェアーな競争)を柱とする、国家運営の原理
原則を研究する(国家)経営学」を意識した立場を取る経済成長税制を提唱してい
るのです。

そして倒産して消滅する恐れのない「政党」には組織同士の外部競争原理は働かな
いのです。

この経済不況を克服するためには、全ての経済政策について「その政策が需要者で
あり国民である、消費者の真に幸福のためになるか」「その政策が生産者である、
企業社会の真に発展のためになるか」つまり両者を同時に満足させるには「真に経
済成長に役立つか」の「唯一の絶対基準」で一つ一つ吟味する必要があるのです。
本書は全て「経済成長に役立つ政策」の「理論と実証と目的論」でまとめられてい
るのです。

「公平、中立、簡素」とか「国際競争力」とか「経済の活性化」とか「努力が報わ
れる制度」とか「フラット税制」とか、我々日本人は経済成長に役立つことが証明
されていない、明確でない、あやふやなコンセプトや基準に惑わされることを、ま
ず絶対に止めなければなりません。 
  
1985年の有名な「アメリカの直接税」の税制改正の理念は「公平、公正、簡素
(for economic gross 経済成長のための)」となっており、
1989年の「日本の間接税である消費税」の導入理念は「公平、中立、簡素」と
殆ど変わりなく、ただアメリカと違い肝心の(for economic gross)(経済成長
のため)が付いていないだけなのです。

全く正反対な制度改革に同一のコンセプトとかキャッチフレーズが付くという、理
念と観念というものが如何にいい加減かの見本なのです。

どちらの国の政策が自国の経済環境へ適応した政策であったかは、結果で明らかで
す。

アメリカは大成功、日本は大失敗だったことは歴史が証明しているのです。

つまりアメリカには自国の経済環境に適応しようと言う「経済成長のため」と言う
明確な目的意識があり日本には明確な目的意識も実証理論も無かったのです。
 
全ては「経済成長のために役立つか」FOR ECONOMIC GROSS の
唯一絶対の統一基準によって国民の幸福に役立つのか、検証されなければならない
のです。国家は国民を不幸にする理念観念を優先してはならないのです。
個人個人の利己的満足は、個別企業の競争の中で実現すべきものであり、国家全体
の目標は、国民全体の均衡の取れた幸福の追求(利他的満足)なのであります。
「耳障りのよいキャッチフレーズやコンセプトの言葉の一人歩きこそ我々日本人の、最も嫌うべき悪弊なのであります。」そこで、はるかに早く成熟経済に達している特別の人間で構成されているわけでもないアメリカが何故「過去も現在も未来も」経済成長を継続できているのかを分析しながらアメリカ自身さえも気付いていない、根本原因がアメリカの国家体制に強烈にしみ込んだ「進化システム」にある事を発見し既に理工系の分野で活用され市場経済にも適用されている競争力発揮のための「自己拡大をもたらす進化システム」とその本質となる「フェアーな競争を実現する競争力均衡状態の活発な競争」概念を中心として「成熟経済における経済成長税制」を構築いたしました。  

そして消費税導入前の日本が何故アメリカ経済を追い抜き当時世界一の経済大国に
なり得たのかは、その時の日本の税制を始めとする個々の企業、国民に対する「進
化システム」と「競争力均衡状態の活発な競争」度がアメリカより高かったからで
あり、貧富の格差が少なく膨大な数の豊かな中産階級や新規企業が生まれる作用を
持つ税制を採用し実質的に多数者による参加の自由と競争状況を作り出せるように
なったことが、その本当の原因なのであり、現状の深刻な経済不況は税制を始めと
する経済哲学の、その後の「大きな変更」により、税制が貧富の格差や企業の格差
が開く方向に作用する税制を採用してしまったことが、実質的に少数者による参加
の自由という競争状況しか作り出せず、経済の進化システム度や競争力均衡状態の
活発な競争度が極めて低下してしまったことが現在の不況の原因なのです。

経済活動は「基本的に人間の意志と行動の結果である以上、全ては改善可能であり
何が不況をもたらしているのか、事実をもとに突き詰めて原因を究明すれば全ては
解決できるのであります。」

つまり国家が「人間の本来持つ生き残りたいとする個人や集団としての前向きの意
志や意欲のエネルギーを正しく引き出す」ことが経済成長にとって不可欠と考える
立場から本書は作られており、どうすればそれを引き出せるかの、ルールとそれに
基づく具体策を具体例をもとに本書は述べております。 
 
アメリカや諸外国から哀れみの目で見られることを、まず恥と感じ外資や外需に頼
らずに強力に内需を自己拡大し進化発展する日本経済へ再構築し、早くアメリカと
対等に競争できる経済環境を作らなければなりません。

1.国家の存在意義は人口も領土も狭く限定され「不完全閉鎖経済系の有限需要し
  かない」条件の中で日本国憲法で明文化されている如く、国民の幸福を追求す
  る権利を真に実現するには個人消費の無限連鎖の自己拡大を果たさなければな
  りません。

そして人間を幸福にする経済の唯一絶対の根本指標は「失業率の低下とその反対目
標であるインフレ率の低下」だけであります。 

これ以外の言葉やコンセプトの羅列は全く無意味なのです。

そして科学技術の発展により労働生産性が毎年高まる経済環境において領土も人口
も一定な国家という「不完全閉鎖経済系の有限需要」の中で失業率を低下させるに
は常時「個人消費の自己拡大」つまり「経済成長無しには、これを実現することが
出来ない」のです。
 
そして成熟経済における経済システムを考えるときは、国民の幸福の追求に反し地
球環境に悪影響を与える生産物については、その悪影響へ応じた個別生産規制(禁
止と規制)を、そしてそれを消費することが国民の幸福の追求へ悪影響を与える消
費については、その悪影響へ応じた個別消費規制(課税規制)を加える「明確な原
則」を確立して、生産者や販売者の業務に支障の無いよう実態としての設備耐用年
数に応じた経過期間を十分取った上で、遠慮会釈無く徹底して個別規制し、それ以
外については「進化システムである個人消費にも生産にも一切の一般規制を加えず」

人間本来の自然の本能に基づく進化システムによる個人消費の自己拡大と、生産の
自己拡大を容認し、企業の売上増加の基盤を図るメリハリの効いた本書で理論化し
た税制改革や政治改革等を採用すれば経済は望ましい方向へ自動的に成長しながら
進化発展するのです。

このように人間は経済環境でさえ「規制」という手法を使って、経済環境自身を変
化させ新たな進化条件を設定し、人間が本能的に持つ過剰性の本能と組み合わせて
新たな進化の方向つまり新たな望ましい方向への経済成長へ誘導し発展する事が出
来るのです。 
 
その後は企業と国民のフェアーな自由競争に任せれば良いのです。

そして日本国憲法において文化的な最低生活の保障を全国民へ宣言している以上、
国家の役割りは「その時代その時代の国民が許容する範囲内で国民の利他的意識を
醸成し相互扶助精神も取り入れ、効率的な機関として誠実に正直に勤勉に努力する
普通の国民の幸福の達成」つまり国家による所得の適正な配分構造の形成が最重要
課題になるのです。「民は足らざるを憂えず、等しからざるを憂う」からです。
これによって「進化システムの中心概念である参加の自由のもとフェアーな競争に
よる国民の競争力均衡状態での活発な競争を実現」し、「進化システムである個人
消費の自己拡大を強力に作動」させ、企業の売上増環境を完全に整備することにな
るのです。 
 
この考え方は国民一人当たり日本の200倍の社会的な寄付(民間の所得分配行為)を行いボランティア活動が極めて盛んなアメリカ国民の自国民に対する利他的意識の強さと、各人一人一人をアメリカのチームの一員と見なす哲学こそアメリカ自身も気付いていない経済成長の根源となるのです。 

そして日本では社会的寄付の慣習が乏しいので、その分国家が代行するのであるか
ら、日本では直接税の税率を、その分高くする理論的根拠が存在するのです。
この様な考え方は弱者への所得配分を税を通して効率的な民間の自由競争の中で行
う考え方なので、弱者の人間の精神的な尊厳が失われることが少なく、さらに現実
の競争のなかで競争する内に本人も鍛えられ勉強し、弱者と言えども成功するチャ
ンスや希望が与えられるシステムなのであります。
 
このように経済的弱者を競争社会からドロップアウトさせず、常に一体感の中で経
験させ鍛えるというシステムは、国家的に見ても有効な経済的生産戦力の拡大と、
個人消費拡大の強力な戦力となるのです。

ただ逆に国家の税制等は各個人の利益と利己的意識をストレートに表す構造にすべ
きであり相互扶助的であってはならないという主張もあり、その場合努力しても報
われない人には、セフティーネットなどの社会保障の拡大で、対処すべきとの論者
もいるが、これは実は「大きな国家を目指す論法」であり、如何にも資本主義的に
見えて、実は国家という極めて非効率な機関に過大な作業を求めることになり、非
資本主義的であり結果として非効率な国家を建設するだけなので好ましくない。
更に貧富の格差が大きくなりすぎ「進化システムの本質概念を形成する競争力均衡
状態の活発な競争」に反するので進化システムである個人消費の増加率は低下し、
企業の売上増環境は弱体化する。

その上国民所得に対する租税負担率を高めてしまうので、如何にも厳格な資本主義
的手法に見えて実は結果として「国家競争力」を弱めてしまう非資本主義的な非効
率な経済システムになってしまうのです。

その上、国に頼る社会慣習を国民へ植え付けることは大変望ましくない。

このように経済的弱者への所得配分を非効率な国家の負担に頼るという考え方は、
弱者を競争社会からドロップアウトさせ、実社会における再起のための経験も勉強
の機会も奪ってしまい、さらに競争社会におけるチャンスも希望も精神的な尊厳も
失わせるシステムであり、国家の貴重な戦力が損失し消耗してしまうこととなるの
です。

したがって資本主義国家の「企業システム」に資本主義的利己的意識に基づく効率
的な規範が存在するとき、更に「国家システム」には利他的な資本主義的愛国心に
基づく効率的な規範が存在するとき、その国家は「力強い資本主義的な経済成長に
役立つ国家となり」強く進化発展し成熟経済においても経済成長が継続するのです。

つまり大衆民主主義の資本主義国家では「パラドットス(逆説)を基礎とする国家」が、最も経済成長を果たす国家となるのです。そしてこの国家経済システムを守るためには「カネは天下の回りもの」を正しく実践することこそ大切であり「資金がスムースに漏れなく国内経済を回転するにつれて個人消費が自己拡大し経済成長が実現される」のが資本主義における経済成長原理であり、そのためには資本主義的正義を保証するため納税者番号制は不可欠であり、資金のプライバシー保護は最小限度に止めなければならない。

それは不正に資金が滞留したり、国内に資金が退蔵されたり一部の大金持ちに資金
が偏在して固定化されたり国外に不正に資金が流出することが、全国民を幸福へ導
く経済成長に大きなマイナスになるからであります。

2.民間企業の存在意義は、領土も人口も関係なく世界に雄飛出来る「開放経済系
  の無限需要」の中で活躍できる特性を持ち株主の利益追求つまり資本の利益追
  求「総資本利益率の向上」が唯一絶対の根本指標となるのです。


つまり「その時代その時代の国民が許容する範囲内で、企業分野では個人、集団共
に利己的意識の効率的な企業活動の徹底した追及を容認」して差し支えないのです。

そして資本主義は自由な競争を実現する無色透明で、競争の結果が明確に現れる極
めて優れたシステムであるところから、進化システムの補助手段として、人間社会
に根付いたのです。

その意味で企業の役割と国家の役割を混同してはならないのであって利己的意識を
中心に組み立てられる「外部との競争意識と営利精神を中心に組み立てられる機能
的な企業の存在意義」と利他的意識を中心に組み立てられる「協同意識とボランテ
ィア精神で組み立てられる機能的な国家の存在意義」は全く異なることを、まず強
く認識しなければならない。

各々が徹底してその役割を果たすところに豊かな消費者が形成され「成熟経済でも
個人消費の自己拡大と経済成長が可能」となるのです。

つまり「国家も企業も国民も苦しみ抜いている」、平成2年から開始した長い長い
経済不況は、後から詳しく述べるように、システム工学で研究されている、進化シ
ステムの自己拡大原理を持つ市場経済の最重要な要素である「個人消費に規制が加
えられたために総需要抑制政策として機能し経済の自己拡大が停止しているという
根本的問題」により発生しており「現状の経済学の研究対象外の税制が原因」で引
き起こされている深刻な不況なのです。

その原因は後述するように日本の「進化システムの自己拡大原理を持つ市場経済」
に元々存在していた進化システム原理の規制要因である後進的な社会意識や政治シ
ステムに加えて更に市場経済の発展拡大の根源である「個人消費」に決定的に強力
な消費税制という規制抑圧要因が人為的に導入されたからなのです。

その原因は個人消費の自己拡大と所得への自己回帰の繰り返しで起こる「経済成長
の仕組みの本質」を理解するのが大変難しく、更に国家の存在意義も、国民の幸福
を追求する権利を実現するという「憲法で明文化された国家の本質規定」でさえ、
当たり前すぎて厳格に考えようとしない人が多いことが原因なのです。

「成熟経済段階に到達した主要先進大国」のうち「現状のアメリカと平成元年以前
の日本だけ」が「間接税比率を低く抑え、直接税比率を高く維持することで進化シ
ステムの程度を高め」、良好な経済状況と高い一人当たり国民所得と、低い失業率
を実現できたのです。

現状の経済政策が正しいと言うならば成熟経済段階に達した主要先進大国のうちで、どの国が進化システムの破壊をもたらす、直接税比率の引き下げと間接税比率の引き上げを行い良好な経済状況と高い国民所得と低い失業率を達成できたのか見本を示して貰いたいものです。

これから本書を読み進む内に、物事を素直な科学的な目で見る重要性を認識し、タ
ブー視したり、固定観念で見たり、色メガネで見ると学問や科学の歴史で明らかな
ように社会経済の進歩は停滞してしまう危険性を十分理解しなければなりません。
特に理工科系学問は、これをぶち破る事こそ進歩であり、与件無し前提条件(p1
79参照)無しで真実を探求し、物事を考える気風がみなぎっているために、日本
の科学技術は高いレベルなのです。

科学技術分野で多くの俊英を生みだしている日本において、何故文科系の学問分野
で決定的に世界的業績を示す俊英が現れないのであろうか。

それは「与件無し、前提条件なし」の「フェアーな競争」で結果を求められる現実
の競争社会に適応しない研究方法に固執しているためなのです。

つまり日本の文科系学問は「学問の目的や学問の基礎となる哲学や科学の真の意義
を良く理解せず」言葉の魔力から抜け出せず、既存の考え方を与件や前提条件とし
て固定観念化し執着しているので異論をタブー視したり色メガネで見たり圧力をか
けたりするため、「参加の自由とフェアーな競争」が存在せず新しい考え方による
現実に即した詳しい研究が遅々として進まず、進歩が遅く、しかも日本人の最も劣
っている索敵能力の低さも重なり文科系学問の真の発達が大幅に遅れているのです。

これこそが文科系学問の発達に支えられている日本の国民を律する国家の諸制度や
法律が「システム」として現状に適応していない部分が極端に多く、社会経済制度
に多くの問題を生じ、不適応現象としての経済や社会の強い停滞として表れている
のです。

まず「現実に適応し役に立つ」(つまり人間の役に立つために)研究を行うことに、まず目を向け興味を持ち、勇気を持って当たる事だと考えています。

「役に立つ」というと、すぐに「ノウハウもの」の低俗な研究と決めつけますが、
良く考えればアインシュタインの相対性原理、ボーアの量子論、ソローモデルも
「人間の社会生活にとって極めて役に立つからこそ」ノーベル賞が授与されたので
す。 

役に立たない研究などにノーベル賞は与えられないのです。
 
人間にとって「役に立つ」と言うことは利他的行為や意識の結果なのであります。
人に役に立たない、研究のための研究は本人のみの利己的行為や意識なのでありま
す。

そして膨大な国民を対象にする以上「システム的な発想」が不可欠となります。
日本の民間企業が「質の良い供給力の増加を目指し世界に通用」しているのは「自
らの行動や努力が真に質の良い生産性の向上に役立っているのか」の基本的な視点
を決して忘れず「真実と事実に基づく立証と検証を常時行っている結果」であり、
それは常に同業他社との「熾烈な外部競争が常時行われている」からであります。
つまり常に競争に敗れると淘汰か倒産か失業の危機に迫られているため緊張感のあ
る非常に良い努力をした結果なのであります。

ところが国家は独占組織であるため「組織同士の外部競争が存在せず」競争もなく
倒産もなくリストラも無いため、常に緊張感が無く「全ての政策について憲法で明
確に求められている国民の幸福に真に役立つのか」の「真実と事実に基づく立証と
検証という重要であるが手間のかかる努力がおろそかにされ、頭の中だけで考えた
抽象的な理念や観念に陥るという戦前の哲学思想に回帰していると強く感じられ」
マッカーサーが述べた如く「日本人の精神年齢は12才」と言った当時と基本的に
日本人の国家観は変わっていないと強い危機感を感じています。

つまり日本の国家運営は政界、官界、マスコミ界を含めて「個々の国家政策が真に
国民の幸福に役立つか」といういう基本的視点を「現実と事実で立証し検証する」
という視点がスッポリと抜け落ちてしまっているのです。

戦前には「大東亜共栄圏」「五族協和」「神風」「欲しがりません勝までは」など、耳障りの良い言葉とコンセプトによって、「現実と事実による立証や検証もしないまま」、頭の中で考えただけの「現実の国際社会に全く適応しない誤った言葉やコンセプト」で安易に全国民が洗脳され、日本国民自らが大きな悲劇を招いたのです。

これは誰の責任でもない日本国民一人一人の自らの責任なのです。

同様に現代も「公平、中立、簡素」とか「直間比率の是正」とか「薄く広く」とか
の言葉とコンセプトで「税制政策」があたかも現実の経済原則へ正しく適応してい
るが如く、意味不明な言葉を連発し国民を誘導し同時に国民も安易に洗脳される危
険性を強く感じているのです。

政界も官界もマスコミ界もまず第一に国家の存在意義の大前提である「常にその政
策を押し進めるとするならば、それが真に国民を幸福に導く政策なのか、理念や観
念ではなく現実と事実に基づき立証し検証する義務があるのです。」と同時に国民
も適否を見極める能力を高めなければなりません。

国民を幸福に導くとは言葉を変えれば、その政策で国民全員を食わせることができ
ますか?と私は言いたいのです。

国家は特定の優秀な人だけを幸福にすれば良いのでは無いのです。

国家は憲法に明文規定があるように、優秀な人も、優秀で無い人も「正直で誠実で
勤勉に生きる全ての人を幸福にする義務があるのです。」もし出来なければ国家は、憲法で明文化されているように、国民へ文化的な最低限度の生活を保障しており、無尽蔵に生活保護費や雇用保険金を支払わなければならないのです。

したがって国家という独占組織には組織同士の外部競争が働かない以上、本書に詳
しく述べているように「進化システムが正常に作動する個人による内部競争ルール
を厳格に導入」しなければ、自己拡大し進化し発展する良い政策は立案出来ないの
です。
                       
そして進化し発展する国家になる為には、人間社会の現実の社会経済が、「現実と
事実の改善」によってのみ進歩する以上、「あらゆる政策の良否は、全国民の幸福
にとって真に役立つのかを判断基準とし」「国家が良くなるも悪くなるも、あらゆ
る政策は全国民とそれを代表する国会議員の進化システムによる参加の自由と対等
に平等なフェアーな競争(協同)によってのみ決定されるので」全国民や国家議員
が善悪、適応不適応を正しく意思表明出来るようにするための「適切なルール」と
「情報公開の徹底」と「全ての社会制度や法律は、全ての知的レベルの全国民へ強
制適用する以上、わかりやすさを最重要事項とすること」が重要であります。

また「国家の具体的な方針は、全国民の内部競争の結果によってのみ方向性が決定
するのであるから、その基礎になるのは、予め予定された理念観念の教育ではなく、現実や事実を重視する科学技術教育や、人や社会に役に立つ教育」となります。

またマスコミは目で見る結果ばかりを追い求めず、それを生じた目に見えない真の
原因を探求する努力をつくし、真の原因を明確にし、国民を啓蒙することが、真の
対策を確立する第一歩になるのです。

結果情報50%、原因究明50%が望ましいのです。つまり現状のマスコミ界も
「その政策が真に国民の幸福の為に役立つかどうか、現実や事実に基づく立証や検
証の努力が足りず、マスコミ自身も理念観念による言葉やコンセプトの羅列に惑わ
されている」と言わざるを得ないのです。

さて経済問題に話しを戻しますと、経済成長現象の枠組みは、「国民を動機づける
システムとしての税制」が基幹システムとなり、その「微調整手段として金融政策、財政政策」が存在し、金融政策、財政政策、税制政策の三位一体となって経済成長に向かって歩調を揃えるとき「進化システムの働き」によって達成されるのです。

結論から述べると地球上の動植物は荒涼とした地上に誕生した一個の単細胞の生命
体が過酷な環境に適応しながら「自己拡大と変異と競争」を繰り広げ「進化原理」
によって進化発展し「無から有」の膨大な動植物群さらに人類を作り上げたのです。

そして「システム工学」においては、人間のみが持つ「危険な要素を含む過剰性の
本能」を自然の深遠な進化原理を活用してコントロールしながら発展させる為に自
然の生態系で実質的に成立している「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争
(協同)原則」と「競争力均衡化の原則」(豊かな自然が成立するのは、生態系に
おいて強者の捕食量が下位の弱者の増殖量を上まわらないようにする力学が自然に
働く原則)を利用して、わずかな条件で成立する自己拡大する万能の「進化システ
ム原理」の概念を確立したのであります。
  
この考え方は「人間環境で成り立つ国家運営においても、日本を愛し日本で努力す
る全ての人間(人種、性別、思想にかかわらず)に等しく適用されれば進化システ
ムにより結果として日本の大きな発展の基礎」になるのです。 
これこそが真に現代国家の要件になると考えているのです。

進化というと、すぐに食うか食われるかの生存競争を思い浮かべ「競争に勝つため
の利己的意識の必要性」ばかりが強調されますが、これが大きな誤りなのです。

事実は強者の補食量が弱者の増殖量を上まわらない原則が自然に働いて自然は豊か
に進化するのであり、自然界には強者はいつも自分が生命を維持するために必要と
する以上に弱者を補食しないという自然な利他的意識も備わっているのです。

ところが人間には他の生物には全くない、生命を維持する以上に、物を欲求する強
い欲望があり、これを国家がコントロールしなければ強者が弱者を食い尽くすこと
になり、国家全体の経済の発展は全くないのです。 

つまり膨大な弱者が作り出す膨大な個人消費を変換して得る所得を、強者がより多
く食べるという弱者の利他的犠牲(意識)の上に、始めて強者は生きていけるので
あって、豊かな多数の弱者が存在しないと強者はより豊かになれないというパラド
ックス(逆説)が「真の生存競争の論理」なのです。
 
つまり強者は生きるために必要な分以上は、捕食しない作法(強者の無意識の利他
的意識)によって、厳しいはずの生存競争を乗り越え弱者の増殖スピードが強者の
捕食量を上まわるとき、自然は拡大し、豊かな生態系を保っているのです。

ところが人間だけが唯一持つ「生きるために必要なもの以上のものを欲求する過剰
性の本能」こそが、人類の最大の危険性であり、又逆にそれこそが科学技術の発達
に補完される人類社会の発展と「自己拡大する経済活動の根源」なのです。

そこで国家や国際社会は、人間が持つ過剰性の本能をコントロールしつつ、如何に
経済活動、社会活動を発展進化させるかという、二律背反の不可能に対する挑戦を
日夜努力しなければならないのです。

したがって国家が資本主義的利己的意識の必要性ばかりを強調し、資本主義は人間
の生活を豊かにする「手段」であり「目的」ではないという大原則を忘却するとこ
ろに大きな問題が存在し、日本の国策が経済の進化発展のために重要な利他的意識
の重要性を強く考慮しないところに経済の発展が停滞しているのです。

つまり直接税を大幅減税し、間接税を増税する政策は結果として経済行為の根本で
ある個人消費(自然の生態系で言えば最下位の植物の増殖)を規制することによっ
て自己拡大機能を大幅に弱め、更に国家の所得配分機能(農家が大地に与える肥料
に相当する)を大幅に弱め、自分だけ助かりたいという利己的意識(貯蓄)を増進
し、利他的結果をもたらす個人消費(他の人へ所得を得さしめる行為)の弱体化へ
国民を誘導し、結果として個人消費と設備投資が原資となる所得は縮小し、所得の
縮小に対する自己防衛のための「力(貯蓄)の増強」が結果として個人消費の更な
る減少につながり競争経済社会の中では豊かであった大多数の弱者が貧困化し、結
果として強者を支える多くの弱者で成り立つ経済生態系が縮小し、いずれ強者も生
存が難しくなるというパラドックス(逆説)の中に我々は経済生活を送っているの
です。

つまり国家政策は進化システム原理の下「競争力均衡化の原則」を意識しながら、
厳格な「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争(協同)」に基づく競争原理を
強化するという、利他的意識と利己的意識この二つの全く逆に見える原則を共に増
強しなければパラドックス(逆説)で成り立つ国家を発展繁栄させることは出来な
いのです。

つまり全ての人が自分だけ助かりたい助かりたいという利己的意識が逆に自分を誰
も助けてくれない結果を生じる場合があり、全ての人が他の人を助けよう助けよう
という利他的意識が、他人が自分を助けてくれる結果を生じる場合があるという、
パラドックス(逆説)の中に生きているのです。

つまり我々は常に利己的意識と利他的意識の両者の利点や欠点を良く認識して政策
を立案しなければならないのであり、時間の経過と現実、事実を確認しながら進化
発展する方向へ解決する手段が進化システムなのであります。

つまり過剰性の本能を唯一持つ人間の競争社会で重要な点は生物の生態系の保持の
原則である生存競争における作法、つまり新たに生み出されたものの内、生きるた
めに必要以上のものを欲求しない作法(利他的意識)を人間社会が不合理にならな
い範囲で常に意識する必要があり、これこそが逆に国民の幸福の追求を害さない経
済的自己拡大をもたらす要因であることを理解し、国家は常に利己的意識と利他的
意識の適切な調和を図る政策を取る必要があるのです。
 
膨大な数の経済的大衆が利己的意識と利他的意識を持ちながら、少数の経済的強者
に近づこうとする意欲意志が、自己拡大する進化システムである個人消費増進の根
源であることを良く理解しなければならないのです。

そして経済的強者は利己的意識ばかりでなく、利他的意識や行動を発揮しなければ
全体の発展進化は無いのです。

日本が今後未来に渡り、進化発展する国家になるためには、「進化や競争の正しい
意味」を理解し、国家は経済的強者に対して利己的意識ばかりでなく利他的意識を
持つべき事を啓蒙し実践しなければ、経済の発展や国家の繁栄は無いのです。
そこで適切に強力に発展する国家を目指すには、国家の法律や制度全体に国民環境
全体へ適応するための、「進化システム原理」を積極的に取り入れ、徹底して遵守
することが最も重要な手段になることが、明らかになったのです。
 
同時に、本格的景気回復と財政再建のためには、「現実の経済環境へ良く適応した
政策」を実行し、結果として「自然に自己拡大する経済を作り上げて」、本格的な
経済成長を達成しなければ、根本的な解決はできず、諸外国や経済機関などの国際
的指摘で明らかなように「進化システムである個人消費の継続的な増大」を図る為
には、個人消費増大の抑圧規制要因を徹底排除しなければなりません。

さらに国家が徴収する直接税を始め全税目の全税収は納税者や納税方法の形態の如
何にかかわらず実は「実質的に企業が販売する商品・サービスの全原価に算入され
て全消費者が個人消費を通じて全額負担している事実」が明らかとなったのです。
したがって「個人消費の増進」こそが「景気回復をもたらす経済成長の根源」と
「税収増をもたらす財政再建」の根本的解決策だったのです。

また自己回帰的に考えれば直接的間接的に企業が人件費、諸経費、利益(総合計は
売上と同一)を通じて負担する原価の中に、国家の全税収が含まれてもいるとも言
えるのです。

つまり我が国の有名な格言、「カネは天下の回りもの」は経済の本質を明確に言い
当てており、個人と企業間の「個人消費=販売」を如何にスムースにしてカネの回
りを良くし、取引を拡大して税収を上げるかの工夫が問われているのであり、この
点間接税は商品流通のたびに課税されるため金回りが悪くなり取引が縮小するとい
う大きな欠点(規制要因)を持っており、直接税には、その欠点が全く無いのです。

さて韓国で2001年11月より開始しました消費税の減税は、韓国の株式市場や
企業業績に極めて良い影響を与えているようでありますが、本書の提案はアメリカ
の事例やヨーロッパ諸国の事例を進化システムの立場から、参考にしたり批判を加
え、更に奥深い意義を持つ総合的で継続性のある基本的な内容になっているのです。
                                目次へ戻る

(与件に依存する経済学ではなく、前提条件無し、与件無しで現状を改善できる新
しい経済学が必要である。したがって新経済学は人間の本質を深く理解した哲学と
道徳と進化論に極めて密接な関係が生じてくる。)

本書はイデオロギーではなく「進化論」と厳しい精神性と実用的な哲学をちりばめ
た日本の「葉隠れの精神」とアングロサクソン民族の「帰納推論とプラグマチズム
哲学」と中国の知って行わざれば知らざるに同じの「陽明学」を基本にしています。

地球上生きとし生けるもの全ては荒涼とした35億年前の広大な地球に発生した一
個の生命体の単細胞が進化増殖し膨大な自然と人間を作り上げたのであります。
この神のような現象を成し遂げたのが「進化原理」であり更に進化により人間の各
臓器は部分システムとして機能し人間を全体システムとして成立させているのです。

そして経済も同様に「無に等しい」古代の貧しい生活から、現代の驚異的に豊かな
「有」の経済生活を持つまで進化発展させたのは、経済システムに、人間の本性に
合致した「進化システムを導入した結果」によるものであることは科学的に立証さ
れております。
 
成熟経済段階に達した日本経済では尚更この普遍的な人間の本性に合致した進化シ
ステム原理を、無意識的でなく意識して徹底的に活用しなければ経済は再生できず
「法律、制度などをシステムとして認識し、自由、平等、フェアーな競争を厳格に
遵守する進化システム原理を、システム(法律や制度)全体に積極的に組み入れる」ことが、人間が行う経済の自然で力強い発展をもたらす唯一の方法であり、徹底して活用すべきと提唱しているのが3年弱かけて完成した本論の結論であります。

現代の経済学が多くの分野を、与件(前提条件)として研究対象からはずしている
事実が進化システム原理の重要さを経済学が学問的に気付いていない原因なのです。

さて戦後44年目(平成元年)以降、日夜経済の最前線で働く直感が鋭い大多数の
国民が反対していたのにかかわらず理念や観念を重視し論理を駆使するエリート達
の判断ミスにより「経済進化システムに規制抑圧が混入してきた」のであります。
つまり無限の開放経済系である世界経済に羽ばたく民間企業と全く異なり、国家経
済は領土の広さも国民の数も狭く限定されている以上、「閉鎖経済系である限界」
があり成熟経済国家は進化システムによる「自己拡大原理」でしか経済成長は達成
できない「事実」を直視し「消費の選択肢の増大と科学技術の進歩に自由を与え、
これに対する全面規制を廃止して、やむを得ない場合は国民の幸福に反する場合の
みの個別規制に止め」、「参加の自由と対等に平等の原則によるフェアーな競争」
を遵守し自己回帰的に需要と供給の拡大体制を確立することが必要不可欠なのです。

本書はその基本分析編であり、第一線で活躍している人材と若者や研究者へ「成熟
経済下の経済成長を全く新しい科学的な視点で徹底して分析し人間の特性や経済の
本質を理解すれば時代と共に経済成長が無限に可能であることを証明し」、未来の
日本を築く最も効果の出る経済成長税制(ノーベル経済学賞のソローモデルへ附加
すべき本質)として分かりやすくルール化した長文の解説書です。

読者の経済観や価値観、行動基準、哲学を一新する上で本書は非常に役立ちます。
日本のように現実の成熟経済の中で経済成長を達成するには「人間は個人消費を増
大させながら所得に変換して生活している原理を直視し」これを阻害しない体系的
進化システム的な制度と国民と国会議員の参加の自由と対等に平等とフエアーな競
争の中から幸福を追求する政策を生み出す国民意志を徹底して尊重する政策決定方
法こそ適正な方向性の消費の増加をもたらすという結論に達しました。
「財政再建」と「経済成長」を同時達成する政策立案を模索する日本の超エリート
と不況で苦しむ中小企業、大企業の経営者、勤労者へ大きな希望を与える理論です。

さて筆者としては、1987年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソロー博士
(アメリカ)の「科学技術の進歩」こそ経済成長の唯一の根源であるとするソロー
モデルの考え方は、一面でその通りであると考えておりました。

しかし他面では現代のように、科学技術の情報が世界中素早く伝播する時代であり、且つ貿易自由化の波が押し寄せている現状では生産設備さえ直ちに輸入できる時代に何故国によってこれほど経済成長に差があるのか、それを研究する過程において「余りにも当たり前すぎて誰も気付かなかった進化システム原理の存在が国家国民の経済社会発展のために根本的に重要である事実」を発見したのです。

そしてこの原理は莫大な投資が必要な科学技術の進歩より更に根源的な問題にもか
かわらず、意志と意欲さえあれば意識を変えるだけで、財政支出がほとんど不要で
実現が可能な実用的で、より一層の経済成長に役立つ原理原則だったのです。

そしてそれを発見するため、開明的な明治維新における五箇条のご誓文の第一条や
福沢諭吉が唱えた理想主義と敗戦で国民も企業も国家も焼け野原の無一文から出発
し、43年経過した昭和63年に3200兆円の国富を達成し世界一の経済大国と
称せられるようになった現実の日本の経済成長政策と、長い経済の低迷から脱却し
て、アメリカを再度世界一の経済大国に復活させたクリントン政権の現実の経済成
長政策を徹底して分析し「事実」と「事実」の関連を調べ上げて「真実」を探求し
た結果が「経済成長税制」となったのです。

経済成長期の日本とアメリカが実証した現実の結果を分析して経済成長の根本的要
因として「人間の社会経済のあり方は進化システム原理(後述)に則ったものが最
善であるという事実」と「経済成長にとって個人消費が進化システムとして主導的
な役割を果たしていた事実」と、「直接税が国民所得をシステム的に配分し、国家
全体の消費性向を高めることが経済成長に重要な役割を果たしていた事実」を発見
したのです。
 
そして国家が徴収する全税収は納税者や納税方法の形態の如何にかかわらず実は
「実質的に企業が販売する商品・サービスの全原価に算入されて全消費者が個人消
費を通じて全額負担している事実」が明らかとなったのです。

したがって、「個人消費の増進」こそが「景気回復をもたらす経済成長の根源」と
「税収増をもたらす財政再建」の根本的解決策だったのです。

そして資源の重要性については、輸入必要分の外貨準備高の輸出能力さえあれば、
資源が乏しいことなど自由貿易体制下の経済では大きな経済問題では無いのです。
但し平時にはこの通りでありますが、物流が止まる戦時には様相が一変するので、
常時対策を検討しなければなりません。

そして常に余力のある輸出競争力を保持しながら、国内産業に対して国内外の競争
条件の同一化を計るために貿易収支ゼロ政策(後述の理由による購買力平価の為替
相場)を取り、国内産業と外国企業との価格競争条件の実質的な同一化を図り、国
内の産業構造の適正化と国内需要を豊かに増進し、全体需要の確保を図る必要があ
るのです。 
   
したがって対外需要に依存せず国内需要で産業を維持するには個人消費の増進は不
可欠なのです。

結論として資源の有無等で、国力が左右される訳ではなく、個人消費力の国家規模
(需要)と、それを生産できる生産力の国家規模(供給)は均衡して増進すること
が最も望ましいが不均衡になることも多く、その場合経済的に不健全な現象が生じ、潜在的国力は別にして「現実の国力とは」国家規模の個人消費力と国家規模の生産力の「いずれか力の低い方を国力」と定義するのです。

現代日本の最大の問題点は「生産力」は充分に存在し、その増進圧力がかかり続け、さらにそのシステムの根源である科学技術の進歩も十分機能しているのに、それを吸収すべき「個人消費力」の増進システムが大きく破壊され全く機能せず停止しているために国力や経済成長の全体システムが全く停止状態に陥り、失業が深刻化し、企業倒産が続発し、際限のない金融不安に襲われているのです。

さて日本では消費税を導入した結果、消費者と面と向かって販売努力をしている企
業の第一線で、消費者がその所得を個人消費に変換する商品販売の瞬間において、
それを阻害し売上の低下要因を企業に強制し、更に「直接税率を意図的に引き下げ」

「間接税比率を意図的に引き上げ」経済成長の起点である自分の意志で自由に増加
も減少も可能な進化システムである個人消費を強制的に規制した日本の愚かな政策
の結果が、経済成長や税収の原資である個人消費の増加を停止後退させ財政再建ど
ころか財政を極端に悪化させ経済大不況となったのです。 
 
私の長い経営指導の経験では値引き、割引、景品、チップ、スタンプなどのお客様
に対し経済的利益を与え売上(個人消費)を増大させる販売促進策を採ってきまし
たが、買ってくれたお客様に外税でも内税でも経済的損失である消費税を支払わせ
て売上(個人消費)が増大できると考えるエリートの考え方は、ナンセンスで全く
理解できません。

税金を多く支払うくらいなら、安い物を買うか、買わずに貯蓄をするというのが、
消費者の実際の発想なのです。
     
「つまり消費者は消費税の課税されない非進化システムの貯蓄という選択肢を常に
選択出来る」からであります。

(人間はどんな困難な問題でも英知を傾け解決に努力し生き残りと幸福を求めて、
行動できる生物です。何が正しくて、何が正しくないかを決める基準は「善悪の絶
対的判断基準と自由と平等の正しい解釈」(p307)の通りであり、人間社会で
は自分自身が引き起こす経済社会現象は全て自分自身の意志で確率的にコントロー
ルすることが可能なのです。)

過去に大きな過ちを犯した軍務官僚と政治家による「当時の世界の大勢」である、
ヨーロッパ大陸列強の全体主義への同調と傾倒による「作為(政策を立案し実行し
た)」である真珠湾攻撃に始まる第二次世界大戦への参戦も、また「不作為(的確
な政策を立案せず流れに任せて何もしないこと)」である水俣病問題、エイズ薬害
問題、狂牛病問題など結局の所、「作為にしろ不作為にしろ日本と日本人に適応し
た適切な判断による作為、不作為でなければ現実に大きな人災」に発展するのです。

そして日本の現状の大規模な経済不況も、この「世界の大勢であるヨーロッパ型の
消費税」という、女性の個人消費の支配力が強い特殊な社会慣行を有する日本では
特に副作用が顕著に現れることを理解せず、今度は「内務官僚と政治家」によって
導入された全ての個人消費に規制を加えた総需要抑制政策による、全く同じタイプ
の「作為による大規模な人災」なのです。

つまり経済成長の根本は「まず総消費(個人消費+設備投資)が発生すると、等価
にそれが所得に変換される等価変換原理と時間的順序がある時系列原理」から成り
立っているのです。

したがって個人消費は後から所得に等価変換されるのであり、所得は次ぎの個人消
費の源泉と増減の判断材料になるのです。

そして「個人消費は進化システム」であり所得は非進化システムであったのです。
この当たり前なびっくりするような二つの簡単な原理が実は経済成長の根本原理で
あり、経済成長現象を完全に説明できるとは、アメリカを始め世界中の誰もが良く
理解していないのです。経済成長の根本要因が分からなかったからこそ、世界中の
国家で税制論議が混迷する原因があったのです。

そして日本のように間接金融国家では、設備投資は、個人消費が活発な時に「貯蓄」が「設備投資」に等価か拡大変換され経済も景気も拡大し好況となるのです。
そして個人消費が活発でないときは「貯蓄」から「設備投資」へ縮小変換となり、
過剰貯蓄分は経済的な無駄となり、経済は縮小し経済成長は後退するのです。
そして個人消費はその本質から進化システム原理が働き「幸福を追求する」人間の
特性と意志と意欲が働き、放っておいても自然に増加する特性がありますが、同時
に規制を加えれば人間の意志により自由に減少もできる特性も併せ持っているので
す。ここが他から稼得する性質上、自然には増加せず又自分の自由な意志により増
加や減少が出来ない非進化システムである「所得」との歴然とした差なのです。
したがって経済の根本である「進化システムである個人消費」は原則として自由に
すれば自然に増加するが、規制を加えると減少するという人間の意志や意欲によっ
て増減する性格があり、国家全体では国民の意志や意欲によって個人消費の総額は
直接増減するのです。

これに対して「非進化システムである所得」は「個人消費+設備投資」の等価変換
原理と時系列原理の結果による他から稼得した「実現された所得であるので」、
個々の人間の意志や意欲の変化があっても国家全体の所得額には全く変更が無く、
例え累進所得税高率なため所得追求意欲が減退する人が出て、その人が所得追求を
停止しても、その追求を止めた分の余剰所得は、所得の低いつまり消費性向の高い
所得追求者へ所得が配分されるので逆に経済成長にも効果的に役立つのです。

だから所得税率を高めると高所得の人材が他国に流出し、その所得分だけ日本の国
民所得が減少し日本の経済成長は低迷するというのは、真っ赤なウソであり、税が
高いから外国に移住したいというのであれば、自由に移住させれば良いのであり、
そこに残された余剰所得は日本でがんばる他の有能なより所得の低い人(消費性向
の高い)に配分され、日本を愛する国民が増加し、日本はより経済成長することな
るのです。

頭脳流出さえも直接税が高いことを理由に流出するのであれば、そのような利他的
意識や資本主義的愛国心の無い頭脳は流出すれば良いのであり、直接税が高いこと
により日本経済が順調であれば(直接税国家の方が国民所得が高くなることが統計
的にも既に立証されている)、税の増加を上まわる税引後所得の増加を得られる日
本を選ぶ良好な頭脳の持ち主が日本を選択するのであります。

高額所得者は利他的な行為(累進所得税の納税)を行うことによって貧しい人々を
普通の生活に押し上げる助力をしているのであり、それが結果的に個人消費の継続
的な増進を基礎とする経済成長をもたらし経済環境を更に良化し自己回帰的に高額
所得者の更なる所得獲得のチャンスをもたらしている、「経済成長の真実」を良く
理解し、そしてそのような自覚を是非持って貰いたいのです。

ただ国は主たる税を他国に支払い、日本で収入を得ているのに日本で少額の税しか
払おうとしない人々に対しては、税制をそれらの人にも適正に対処出来るように改
善すると同時に、国籍にかかわらず、日本国や地方公共団体へ主たる税を納める人
(居住者)かどうかを、常に情報公開し、国民へ知らしめなければならないのです。

なんとなれば「日本国民」や「日本に住む外国人」は日本国へ高い税を支払うこと
によって国民や人間相互に助け合って生きているからであり、その人々の権利を守
る義務が国家にはあるからであります。

この原則こそ経済成長と景気回復と財政再建の手段となる「税制構築の鍵」となり
ます。

そしてこれらの諸原理を組み合わせて分かることは「個人消費を自然に自由に規制
しなければ進化システムである個人消費が自然に増加し、循環的な景気の波があっ
たとしても、等価変換原理によって無限に国民所得の増加と自立的経済成長は継続
する」という経済原則と「進化システム機能のある個人消費に規制や抑圧を加えて
ると人間の意志と意欲の低下によって個人消費が減少し等価変換原理によって国民
所得は減少し自立的経済成長は、その分停滞後退し経済の過剰性は縮小し、いくら
公的資金を注入しても金融不安は経済の下方の均衡点に向かっていく間は際限なく
続く」のです。

また「個人消費を刺激して拡大させすぎると、これが正常と勘違いした仮需の設備
投資、仮需の在庫投資が発生し等価変換原理で国民所得は異状に増加し自立的経済
成長が異状に亢進され景気が過熱しバブルが発生する」という明確な「経済成長原
則」が導き出され基本的には極めて単純な原理なのです。

つまり経済は人間の意志によりシステム的に自由にコントロールが出来るのです。
さて資本主義の理論や資本増殖の原理さえ「進化システム」の一つの側面を表して
いるに過ぎず進化システムの人間社会における根本的な実用性は絶大なのです。

資本主義の理論も結局「人間の幸福追求」のための、手段にすぎないのです。

アメリカの経済学者はそれを良く自覚しているからこそ、アメリカの経済史の中で、資本主義理論を忠実に再現しようとする政策を重視する共和党政権時代より、最大多数の中低所得者層の人間寄りの政策を重視する民主党政権時代の方が、実は株の値段が高いという研究結果がアメリカで発表されている位なのです。
                                


(進化システムによる、めざましい経済社会の発展実例)

人工システム(制度・法律など)は進化システムの時に限ってシステムとして強力
に発展する原理を有するのが「進化システム原理」なのです。

実例としては進化システムである「市場経済」は進化システムの度合いが高ければ
高いほど、非進化システムの「計画経済や統制経済」によりはるかに進化発展する
のであり、進化システムである「民主主義」は衆愚政治といわれながらも進化シス
テムの度合いが高ければ高いほど、規律正しい観念を持った優秀なエリートが率い
る「全体主義、共産主義」という非進化システムよりはるかに進化発展するのであ
り、進化システムである「科学技術や科学的な論理」は進化システムの度合いが高
ければ高いほど、一部のエリートによる「非科学的な論理や優れた予言者の予言」
という非進化システムよりはるかに進化発展するのであり、「インターネット」は
進化システムであるからこそ、「優秀なエリート管理者が構築する複雑で精密なト
ップダウン形式の商用ネットワーク」という非進化システムに勝利し、各々今後将
来ともに、これらの進化システムは力強く進化発展するのであります。

同様に「個人消費」は進化システムであり、「所得」は非進化システムなのであり
ます。

したがって個人消費は進化システムの本質を持つので、時代と共に本来は自然に自
分自身で自動的に増加する性質を持っているのでありますが、これが心理的、経済
的に消費税という規制課税を加えられているために、自然の個人消費の増加が抑え
られる総需要抑制策になってしまっているのであります。 

つまり本格的に景気を回復し、税収の増加による財政再建を実現し、失業率を大幅
改善するには、総需要抑制政策を撤廃しなければならず、個人消費を選択的に課税
し経済成長に大きな悪影響のある消費に課税する間接税比率を劇的に低下させ、経
済成長に良い影響をもたらす「消費と貯蓄両者に同時に平等に課税」することとな
る所得に対する課税の直接税比率をその分大幅に強化する政策以外に改善する方法
は無いのです。

さて消費税は二つの経済要素の内「貯蓄に課税せず」「個人消費に対してのみ選択
的に課税するシステム」であることが、人間のカネの使い道に不平等を発生させ、
個人消費の発展拡大性を消滅させ国家経済全体に悪影響が生じているのです。

それに対して後述の通り所得税や法人税などの直接税は、「所得=消費+貯蓄」の
経済公式で明らかなように、非進化システムである所得を介して、実質的に個人消
費と貯蓄の全てに平等に課税するシステムであるので、カネの使い道に対して競争
条件が平等に保たれているので、課税される本人個人の経済的痛みはあったとして
も、個人消費に規制が無く経済システムに対する歪みや発展拡大性に対して何らの
悪影響が全く生じ無いのです。

さらに国家は税収を蓄える機関ではなく、収入した税収全てを使い、良い結果が表
れる政策を実行する機関であります。したがって国家を経済的に見れば、公共事業
や公務員の給与を通じた所得配分機能を持った機関でもあるのです。

この見方からすると直接税主導国家は「少数の消費性向の低い高所得個人法人から
多数の消費性向の高い低所得個人法人への巨大で強制的な所得配分促進機関」であ
り、間接税主導国家は「消費性向の高い多数の低所得個人から同じ低所得個人への
所得配分機能しか持たない国家であり、少数の消費性向の低い高所得個人の余剰所
得の配分を取り残し巨大で非効率な所得配分非促進機関」となるのです。

結局の所、間接税主導国家は個人消費拡大と所得拡大と失業率改善のための道具を
持たない国家であり直接税主導国家は逆にその手段道具を持っている国家なのです。
                                

(直接税は未来にも通用する究極の税制であり、間接税は未来に行き詰まります。)

さて直接税制を筆者が強硬に提案している理由は以上のような経済成長の促進に極
めて役に立つ道具となる利点ばかりでなく今後10年、20年、50年、100年
の経済発展を見据えた税制のあり方からも提案しているのです。

経済の歴史を調べると、およそ次のような事実が分かるのです。


1.国家は憲法で明らかなように人間である全国民へ幸福を追求する権利を保障し
  ており文字通り国家は全国民へ、この義務を果たすことが第一の使命なのです。
  法的存在である優良企業を育成することは、手段としての役割でしかないので
  す。


2.さて「消費」は人間しか行いません。しかしながら人間の「労働」は科学技術
  の発展に伴い「人間のやっていた仕事が機械に置き換わり爆発的に労働生産性
  が向上する」原理があります。しかしながら科学技術の発展は、他国との競争
  のためと、人間の好奇心の本能がある以上停止する事は出来ません。
  したがって人間の労働は「人間しか出来ない分野」か「機械より人間の労働の
  方が安上がりな分野」に限られて来ます。


3.しかしながら人間は「消費」をするためには「所得」が必要となります。
  所得は労働の対価として受け取るのが最も自然であり人間の本性に合致してい
  る。

4.さて「人間一人当たりの労働生産性が科学技術の進歩と共に向上する以上」、
  「人間一人当たりの個人消費が向上しないと需給にアンバランスが生じ大規模
  な失業が発生し労働の対価としての所得の獲得が難しくなる。」という事実が
  あります。したがって科学技術の進歩に合わせた個人消費の増進システムは絶
  対必要条件となり、それには個人消費の進化システム性の利用と直接税制の活
  用が重要となります。


5.さらに50年後、100年後になると機械化が進み、機械を活用する労働者が
  全生産を担当するので、そのような労働者は所得をより多く獲得し、それを担
  当しない労働者への実質的な所得配分が難しい時代がやってきます。

  直接税が発達しているとそれらを調整し更に労働者間の生存競争の競争力を均
  衡化する大きな手段になります。この時代になると税制に求められる主たる機
  能は所得配分機能となり、唯一直接税制が所得配分機能を発揮できるので生き
  残る税制となり、間接税制は全く機能できないことが明瞭になり直接税制国家
  が結局、国家間の競争に勝ち残ることになります。
 
たとえ話しをすれば、良い作物(国際競争力に勝ち残る超高生産性企業)を結果と
して生み出すには、農家(国家)は大地(大量の低所得者層や低生産性企業)を耕
し堆肥(所得)を与え、良い土作りしなければ良い作物は絶対に得られないのです。

したがって本文記載の如く国家にとって所得配分の切り札となる直接税制と良質な
低生産性企業の並立は所得配分の切り札となる重要性を認識しなければなりません。

産業のソフト化は避けて通れないのです。
そして経済や政治を正しく進化システム化すると人間の努力と合体し自然にこれら
は実現できるのです。

そして政策立案者は常にその政策が当初の予想通りの成果があがらない時は、その
個々の政策が人間に対して「参加の自由と対等に平等とフェアーな競争原理」が文
字通り完全に組み入れられているかどうか、進化システムが誤って規制されている
のではないか、逆に人間の幸福の追求に反する問題を適正に規制していないのでは
ないか常に再検討しなければなりません。

そして国家全体としては「不合理にならない範囲内で競争力均衡化の原理」が働い
ているかどうか確かめなければなりません。
あらゆる分野の政策は、この二つの原理を遵守さえすれば、放っておいても人間は、その本性、特性に基づき正しい政策効果を必ず発揮するからであります。
 
付言すれば中世から連綿と続いた一人一人の人間のあり方について騎士道や武士道
が尊ばれ、その存在が国家の評価にさえ影響を与えた事実は、この問題の人間社会
への重要さを表しています。

したがって単に世界の大勢を政策立案の根拠や逃げ口上にしてはならず「経済成長
原則の基本に忠実に日本と日本人に適応した適切な国家政策を追求する努力が官僚
と政治家に求められ、その解決方法を記載しているのが本書であります。」
そして国家は国民の望む方向へ、まず国家政策を変更しなければ、国家は国民の努
力と共に望む方向へやり直すことは出来ないのです。

それは人間が人生に対する考え方を変えて望む方向へ努力しなければ、人生を望む
方向へやり直せないのと全く同じなのです。
 
つまり本書の考え方は明治維新から始まる「トップやエリートの理念観念」を優先
する伊藤博文的な「非進化システム思想」から脱却し「事実に基づき全国民と全国
会議員の参加の自由と対等に平等なフェアーな競争で適不適の選択や淘汰をする」
決定ルール優先の福沢諭吉的「進化システム思想」への転換を提言しているのです。

アメリカにおいて現在バブルがはじけ、テロに見舞われ最悪の景気になったと言っ
ても、失業率は1985年(昭和60年)の7.2%と比べれば遥かに低く良好で
あり、株価は当時と比べれば3−5倍以上高くアメリカ経済のバブルがはじけ最悪
といっても当時と比べればはるかに好調なのです。

株価は信じられないことにバブルの絶頂期の一割減程度の9000−10000ド
ル前後を維持しており(2001.7現在)(筆者は少なくとも6−7000ドル
には下落すると予想していた)、アメリカの官僚と政治家が立案し実行したアメリ
カの国民が支持している政策の自分自身に対する経済的愛国心にはホトホト感心し
ております。

そして現代アメリカは消費好きのアングロサクソン民族の特性と消費性向を高める
ため高所得階層から低所得階層への実質的な所得配分機能を持つ直接税主力の税制
と、金持ちや一般市民の日本と比較して国民一人当たり200倍を超える恵まれな
い人々への社会福祉的寄付の利他的意識の強い社会慣行つまり寄付という民間の所
得分配行為による個人消費の促進機能、全産業のうち小売業と飲食業にしか課税し
ない小売売上税との組み合わせによる個人消費の進化システム度は現代は世界のど
の国家より順調に作動している(もちろん昭和63年以前の個人消費に規制が殆ど
無かった日本の進化システム度よりは劣るが)ので一定のペースで国民一人当たり
の個人消費は増え続け、科学技術の進歩による生産性の向上や金融不安を吸収し、
これからも一時的な循環的不況に見舞われても必ず不死鳥のようにアメリカ経済は、よみがえるのです。(寄付は偽善行為であるという曲がった意見も存在するが、筆者はその意見には組みしない。) 
 
つまりアメリカという国家は、その国民性に基づき国民一人一人、企業一社一社に
ついて参加の自由と対等に平等なフェアー競争による利己的意識に基づく個人主義
を強調しながらも、実は全ての国家システムはチームワークの重要性を強く認識し
良くルール化され、特に自国民に対しては自国内での競争力均衡化の理論と建国の
理想に基づく利他的意識を基本として徹底して構築されているのであります。
つまりアメリカは自国民をチームの一員として見なし、参加の自由と対等に平等に
フェアーな競争と利他的意識を育み、アメリカ憲法の掲げる理想の実現に規定通り
本気に取り組もうとしているのです。

さて日本が他国の国家政策を参考にするときは、自国人口の少なくとも半分以上の
大国で経済政策が適正に機能している国家でなければ参考にならないことを、自覚
しなければなりません。人口規模の小さい国家の政策は、たとえその国家で非常な
成功を収めていると言っても、直ちに日本の国家規模には参考にならないのです。
それは人口の規模によって、国家の自立的存立基盤が全く異なるからであります。
この観点から日本の国家政策の参考とするためには、現状の自立的経済状況も順調
であり、今後将来とも自立的な発展拡大の可能性の高い国家はアメリカが第一であ
り、だからこそアメリカの経済政策、税制を研究しているのです。

このアメリカと対等に競争するには、日本では経済的に女性主導の過少消費体質と
過剰貯蓄体質と更に利己的意識が極めて強い金持ちや一般市民の社会福祉への寄付
の社会慣行が極端に少ない国民性つまり民間の所得分配行為が極めて少ない国民性
を踏まえ、個人消費の進化システム機能を取り戻すためアメリカより更に徹底した
個人消費への規制緩和(現行の課税理由の明確な個別間接税は除き)つまり消費税
を全廃し、更に利他的意識を醸成し消費性向を高めるため全国民のアメリカより社
会福祉への寄付分だけ高い税率による直接税制を強化し、個人消費の自然拡大機能
を完全に取り戻し、個人消費の自然な増進を通じて縮小しつつある日本の市場経済
の進化機能や過剰性の拡大機能(P150参照)をアメリカ並に回復し科学技術の
進歩による労働生産性の向上を吸収し、失業率を改善し日本経済の自立的回復基盤
と金融不安を解消し日本人の生活基盤を確立することが、今正に国内的にも国際的
にも強く求められているのです。

日本の間接税は消費税を全廃しても、ガソリン、酒、タバコの間接税と事実上の間
接税とも言える自動車関係の諸税並びに第二税金とも考えられる高速道路料金(ア
メリカは無料)などを考慮に入れると、アメリカの地方税である小売売上税を考慮
に入れても間接税比率は高い位なのです。

昭和35年からの世界が驚愕した日本の高度成長時代には消費税は存在せず、当時
の所得税の最高税率は所得5000万円以上について70%であり、更にそれ以後
長年8000万円以上につき75%に引き上げられ、昭和60年−62年3月申告
分までは70%、63−64年(平成元年)3月申告分までは60%だったのです。

つまりこの間、痛みを伴う国家を通じた助け合いの精神、利他的意識の重要さが国
民へ求められていた時期であり、正に経済成長や好況と痛みを伴う直接税率の高さ
と個人消費規制税制の不存在は正比例の関係にあったのです。

それが昭和64年(平成元年)4月に消費税が導入され、平成2年3月に所得税と
消費税と両方の申告の納税時期になった時に、消費税3%、所得税の最高税率50
%の納税が始まったのであります。

実は経済成長システムが大きく傷つけられた、この消費税導入の一年後の現実に企
業の消費税の納税が始まった平成2年3月前後の確定申告時期から円、株、債券の
トリプル安が開始しバブルの崩壊が早くも始まったのです。

その後消費税が5%になったのに伴い、所得税の最高税率は37%に減じられ、高
所得者有利の資本主義的利己心を促進する政策へ変更され、それによって経済成長
を誘発しようとする政策の思惑とは正反対に急速な不況の更なる深刻化に突入して
しまったのであります。

そして日本国が外国に対する援助という対外的な利他的意識ばかりを政策に取り入
れ、肝心の自国民に対しては高所得者有利の利己的意識を強調する「経済哲学の変
更」に終始し、国民へ利己的意識を鼓舞して経済発展を実現しようするシステムへ
変更し続けた誤りが「本書の理論通り」経済の発展を大きく阻害しているのです。
つまり高所得税率の少しの痛みを避けよう避けようとしたために、不況の深刻化と
言う激痛を伴う死の苦しみが全産業と全国民へ「自己回帰的」に襲ったのです。

つまり日本人は近年特に、個人個人が利己的に行動する傾向が強いので、これと均
衡を保つためには、社会全体のために善悪、良否を明確に区分区別しながら、日本
人の心の奥底に眠っている良心と良識に基づく利他的な意識を引き出す政策運営を
しないと、経済成長は全く期待できないのです。

日本の高度成長時代を実現できたのは、消費税という個人消費規制税制が無かった
ため個人消費の進化システム機能が十分機能したこと、高い累進税率の存在により
消費性向の低い人(高所得者層)から消費性向の高い人(低所得者層)への所得配
分が直接税の機能を通じて常時実現していたために、その時期日本国の個人消費の
伸び率は極端に高く、そのために企業の設備投資意欲もケタ外れに高く、それが国
民所得へ自動的に等価変換され国民所得の爆発的な増加をもたらし所得倍増計画以
上の国民所得の圧倒的な増加を実現できたのです。

そして高い税を支払った多くの高所得者層は、決して損をしたわけでなく支払った
分の有形無形の配当やチャンスをものにしたのです。そして高所得者層は、同時に
必要経費を無税で使用できるという特権を持つ「企業経営」のおもしろさもチャン
スも身につけたのです。

したがって現状の経済不況は「人為的な政策ミスによる人災であり」「消費税の導
入までの25年間で265兆円の国債を、財政再建のための消費税導入の大義名分
にも拘わらず、わずか11年間で401兆円増加させ666兆円の国債」を残し未
来の子孫に負担させる責任から考えると、民間ではリストラ、給与カットが日常的
に行われている現状では、この様な日本国の経営内容に陥れた責任は大きく、与野
党を問わず国会議員と官僚の皆様は最低3割以上の給料カットを行なわなければな
りません。もしこれが無理であれば、可及的速やかに政策変更を行い、日本国の経
営内容の改善を行い「結果」を出さなければなりません。

民間では当たり前の事なのです。演繹的な論理や通説に惑わされず「事実」をしっ
かり分析することが大切なのです。本書の理論は内外の「実際の事実」によって証
明しているのです。

既成の学説によれば直接税は「貯蓄」を阻害し、「消費を優遇する」という誘因を
生みだし、貯蓄を減少させ、投資を阻害するというデメリットを強調しているが、
現在の経済成長停止状況における、日本の貯蓄過剰、消費過小の国民性にとっては、この直接税の欠点と言われる点こそ、正に大メリットなのであります。

そして累進所得税は個人の勤労意欲や事業意欲を阻害するから経済成長に悪影響を
及ぼすとの学説もあるが、実はその人が累進税率の高さゆえに、所得追求を止めて
も、既に述べた如く国民所得全体は減少しないので、余剰所得は所得の低いつまり
消費性向のより高い他の所得追求者に配分されるので、何ら経済成長には悪影響が
無いどころか、個人消費が更に増加し経済成長の促進要因になるのです。

忘れてはならないのは、「貯蓄」もまた銀行を通じて、全額国内企業の「設備投資」として全額活用されなければならないのが「経済の仕組み」であり、貯蓄は天国に貯めておくものでは絶対無いことを理解しなければなりません。

そして設備投資を活発にするには、個人消費が活発にならなければ不可能なのです。

そして設備投資が活発でなければ、国内で貯蓄された資金は、海外の投資に回るか、国債を購入するか「経済成長には全く役立たない資金」になり、国内の民間市場はますます活用できる実質資金が枯渇し、ますます不況が深刻になるのです。

そして一言付言したいことは、日本のバブル経済が発生した原因は決して直接税制
そのものの責任ではなく、「不動産の買い換え特例を認めすぎて不動産購入の無限
連鎖が生じてしまったこと」「金融政策、財政政策を誤り、バブルを沈静化するど
ころか、資産インフレを見逃し加速させてしまったこと」「将来発生するかもしれ
ない相続税の金銭納付に恐怖感を覚えた納税者が不動産購入と建物建築へ走ったこ
と」などから、「膨大な資産仮需」と「資産インフレ」が生じたのが、その原因だ
ったのです。

当時取るべきだ対策は、「不動産の買い換え特例を厳しく制限すること」、「金融
政策、財政政策を不動産の仮需や在庫仮需が発生しないよう工夫しながら引き締め
ること」「国家の余った財政収入はバブルの沈静化を図るため、財政需要として使
用せず、将来に備え確保すること」、「相続税の物納を徹底して拡充し、納税の金
銭資金調達の不安を納税者から取り除くこと」などを実行すれば良かったのです。
つまり直接税制の責任では無く、何が問題なのか索敵能力が充分でなく、したがっ
て適正な運用や対策が取れなかっただけなのです。
                               

(進化システムが作動する膨大な国民の意志に基づく政策決定方法の重要性と、弊
害ばかりをもたらす少数のエリートの理念観念による政策決定方法)

さて日本の現状の失業率は1985年(昭和60年はバブル絶頂期の数年前)の2
.6%よりも2倍以上悪化しており、株価はバブル期の1/3から1/4に下落し
アメリカとの経済的格差は言葉に言い表せないほど、広がってしまったのです。
日本の官僚や政治家が立案した国民が支持しない政策を強行した場合の、国民の経
済的愛国心の無さは当然であり、国民感情に適応していない経済政策の愚かな結末
が明確に表れています。(失業率が異状に高いドイツなどユーロエリアの理念観念
に基づく経済、税制にも、その疑念が、私にはいつもつきまとっています。)

さて当時の国会議員と官僚の皆様が個人消費への課税である消費税を導入したのは
決して不純な動機ではなく「この税制を導入した方が日本の将来に必ず良い結果を
もたらす」という未来予測を基に「理念観念」で導入したことは確かなことです。
それなのに現在「当時の未来予測が全く当たっていない」のに、これ以外ないと他
のいくらでもある選択肢を情緒的に排除し「理念観念」として更に凝り固まり消費
税制の維持は、与野党を問わず国会議員と官僚の皆様の固定観念になっております。

しかし進化システムの考え方は「結果が全ての世界」なのです。

私は「事実」として当時の未来予測が的中し「予想された良い結果」になりました
か?と問いたいのです。 まずこの事実認定をしっかり行わなければなりません。
つまり「理念観念」より「事実」の方が「真実」により一層近いからです。

日本人の大きな欠点は、いくつもの選択肢を並べて比較し、その時の状況に応じて
明確になった最悪を淘汰し、出来るだけ予測が確かな次善を選ぶという、しごく当
り前の作業を繰り返しながら微分積分的に最善に接近するという継続性のある精神
的タフネスさが無く、情緒的に一つの選択肢に凝り固まると「理念観念にこだわり」

「実質的な決定ルール遵守という進化システムの重要性を忘れ」理念観念ばかりに
固執するという精神的固さや幼さがあり、事実を基に善悪を、明確に区分区別する
精神的強さと最悪を淘汰する勇気と柔軟性と決断力が欠如している点であります。
筆者だけではなくアメリカ政府の要人が再三再四に渡り、消費税の再検討を忠告し
ているのに、「内政干渉と金切り声を上げ」忠告を無視し続けたため、現在ではア
メリカも忠告を止めてしまったのです。

つまり日本人は破滅の際まで来ないと真実や事実を理解する勇気が無い欠点がある
のです。固く考えず、事実を基にもっと素直に気楽に考えるべきなのです。
たかが人間の考えることです、失敗は付き物なのです。失敗すればやり直せば良い
のです。「失敗の事実」を素直に受け入れる勇気があるかどうか、国会議員の皆様
にやり直す勇気があるかどうかだけの問題なのです。

人間の人生も基本を遵守しながら10人10色、100人100様で本人の能力に
合わせて成功を目指せば良いのでありまして国家政策もまた国際的に遵守が義務づ
けられた基本を遵守しながら10国10色、100国100様で国民性と能力に合
わせて成功を目指せば良いのです。

もちろん失われた10年は全て無駄であった訳ではなく「どのように莫大な国費を
かけても、国家の基本政策が間違っていると、良い経済効果が現れない事実をあら
ゆる人が実感した事」や「日本の社会制度の多くの弱点が白日の下に明らかにされ、多くの事が改善された」という大きな利点もあったのです。 
 
しかし現状を継続することは、メリットよりはるかにデメリットが深刻であり、今
後の国家基本政策を本書で述べる進化システム政策と昭和63年以前の成功してい
た税制を参考にして、全面的に見直すべきなのです。

さて本来なら当時の世論調査の結果では、消費税制は国民の7−80%が導入に反
対しているのに国会で承認されてしまったという事実は、日本の政治システムが実
質的に「進化システムになっていないという」事実が証明されたのです。
したがって本書は経済ばかりでなく、政治に対しても進化システムを導入する必要
性を声を大にして訴えているのです。

それは国民大衆の意志の単純総和の決定ルールは「理念観念に決して凝り固まらず」

その時代の「国民が幸福になるための国民環境に柔軟に適応できる現実的判断」を
下せるからであります。なぜなら彼ら自身が幸福を求め、生き残りの本能を持つ国
民環境そのものだからであります。
                              

(膨大な数の国民で成り立つ国家経済を良好に保つには、競争力均衡化原則による
進化システム的発想で全体を有効に機能するよう組み立てなくてはなりません。)

私は根っからの自由主義経済論者であり、政治的には保守的な思想の持ち主です。
ここ十数年間エリート専門家や解説者による、テレビの経済討論番組や新聞の経済
解説記事を毎日のように見せられたり、聞かされたりしてきましたが、多くの国民
が感じているようにほとんどが「コンニャク問答か禅問答」のようで不況の根源的
原因を明確に指摘して、この政策を根本的に実行すれば財政再建にも景気回復にも
同時に役立ち経済成長が再度開始されると言った核心に迫る議論は見たり聞いたり
したことがありません。

現在では景気回復に全く役立たないこのようなメディアは見る気もしなくなってし
まった国民も多いのではないかと思っています。

したがってこれらの専門家の意見に基づく国の経済政策も目先の対症療法に追われ、膨大な国費を使用し、国の借金が増える一方で更に不況が深刻化し一向に改善の気配がありません。

したがって結論から言えば本格的な景気回復と財政再建を同時に完全に達成できる
正しい経済運営の進め方について現状の経済エリートの方々が「真の理論」を有し
ていないことが明確になってきたのです。

主張している理論も「事実」に基づかない「単純な理念観念という思いこみ」ばか
りが目立ち、全く事実に基づかない空理空論としか言いようのない意見が大半を占
め、専門家としての問題点の索敵能力に強い疑問を感じています。

その上広い学問的視野に立脚しているとは思えない木を見て森を見ない些末な議論
に終始しています。

結局正しい方針が立てられず、経済運営はその場しのぎの連続で混乱の極に達し、
その上「現状の経済政策は根本的に日本の国情に全く適応しておらず」このままで
は「本格的な景気回復や財政再建は全く不可能」であることが分かって来たのです。

その上政界、官界の大部分のエリートの方々は財政再建を達成するには、消費税の
増税以外方法がないという強迫観念に陥っておりますが、これでは経済の出発点で
ある進化システムである個人消費を抑圧し、個人消費の増進によって成り立ってい
る市場経済の拡大機能を更に破壊し日本経済のアポドーシス(自滅)を引き起こし
てしまいます。

つまり「個人消費」は結果として第三者へ所得を得さしめる行為、つまり第三者へ
カネをもたらす行為であり言葉を換えれば所得の配分行為であり日常的な助け合い
の行為なのであり「利他的行為」なのです。

したがって突き詰めて考れば消費は美徳という積もりはありませんが「個人消費」
の本質は人間の生活を支える基本行為であり「寄付して弱者の生活を支えるのと」
結果は同一の効果を生じる行為なのであり、これに間接税で課税を行って規制をす
ることは全く道徳的にも望ましくないのです。

それに対して「所得と資産」を獲得する行為は自分自身のみがカネや資産を得る行
為であり結果として「利己的行為そのもの」なのであり資本主義社会ではこれを無
制限に認めると人間社会では独り占めが発生し反道徳的になってしまうため「競争
力均衡状態の思想」(P137参照)から直接税で規制が認められる道徳的基盤が
存在するのです。

したがって少数の成功者の利己的意識をくすぐり優遇し国家政策を成功させようと
する試みは成功者でない大多数の国民を含む国家では成功はあり得ないのです。
つまり国家政策を成功させるには、人間の自ら所得を得たいとする利己的意識と他
のものに所得を得さしめようとする個人消費などの利他的意識を各々十分に発揮さ
せ全国民を各々の能力に応じ、全員に正直に誠実に勤勉に努力し、それを発揮する
意欲を持たせ、自由と平等に勝つチャンスを与えフェアーに競争させることによっ
て、全国民にとって各々の能力に応じて良い結果を出せるシステムを組み上げ、全
体として成果を出せる政策こそ、国家政策なのであります。

「競争しあいながら、助け合い協同して生活する政策」が人間という社会的動物に
最も適応していると、筆者は考えているのであります。

さて我が国経済は需要に対して供給力が大きく上回り始めた成熟経済段階に達した
のですが、それでも「与件(前提条件)無しでの完全に自由な競争」こそ経済の進
化発展のための最善の手段であると市場経済では考えられております。

それでは日本が成熟経済へ達した中で国民が望んでいる「真の経済成長の達成」や
「財政再建」を実現するためには六つの分野の与件(前提条件)から成り立ってい
る現代経済学は、現実の与件無しの競争社会にほとんど役立たないことは莫大な国
民の血税を使用した、十数年来の何度にもわたる景気回復のための経済政策の失敗
によって不況に苦しむ多くの国民が肌で知るところであります。

そこで本書の目的は多数の与件(前提条件)の上でしか、経済を説明できない現代
経済学を離れ、経済学の基本を活用しながらも与件(前提条件)無しで市場経済に
合致した経済成長を完全に説明できる理論を構築することによって「本格的景気回
復と財政再建を同時に完全に達成できる方法」を立案するため経済の現状を詳細に
分析し、現状の最悪部分を排除した「必要且つ十分な経済成長税制理論」を目指し
たものであり、「結果として根本的な唯一の解決策」として完成したものでありま
す。

そしてこの達成手段としてシステム工学で用いられている進化システムの原理を経
済分野に徹底的に活用し「進化システムであるべき経済と政治において完全に均衡
のとれた進化発展」こそが鍵であり、それを実現するためには「市場経済や民主主
義という進化システムにおいて進化システム原理が如何に完全に理解され遵守され
ているかどうか」に成否がかかり、それを遵守する度合いが高ければ高いほど結果
として持続的で本格的景気回復と財政再建を完全に同時に達成できることを発見し
たのです。

さて人間社会の全ての問題を解決する手段として、進化システムである民主主義と
いう手段がありますが謀術策に優れルール無視も平気で行う権力者や理念観念者に
よって全国民が洗脳され支配されやすい社会的動物としての人間の弱さや特性、問
題点を厳格に排除するために民主主義国家を運営する原則として参加の自由と対等
に平等とフェアーな競争(協同)ルールによって全てを決着し決定するシステムの
適正さを遵守するために、他の影響力を排除した「人間個人の独立性を実現する徹
底した規制ルール」がまず第一義的に重要となります。

つまり憲法で示されているが如く、国家は国民の幸福追求を実現するために存在す
るのであるから、まず幸福を感じるには「希望」が無くてはならないのです。
人間は「希望の達成−>幸福」のサイクルで始めて幸福を感じるからなのです。
「競争力均衡状態」の意味について解説しますと、人間を除く地球上に生存する何
百万種の生物の競争力は同種同士では、ほぼ一対一か一対二程度の競争力の差しか
ないことは生物の観察から明らかであります。

つまりどの個体でも仲間同士で競争して「勝つチャンスつまり希望」は大いにある
のです。

ところが唯一人間だけは権謀術策や経済力などを駆使し、人間同士の生の競争力の
差は、その人の地位や経済力によって一対十万倍にもなってしまう時があるのです。

それを放置すれば強大な競争力によって、戦う前から競争相手を簡単にけ落とし奈
落の底にたたき落とすことも出来るのです。 
これを不合理にならない自然な生物と同じ様な範囲内で規制し競争力を均衡させ競
争して勝つチャンスを全ての国民へ与えなければ全ての国民に希望を与えることは
出来ないのです。

しかも人間は希望があれば精一杯努力出来るし、多くのものを生み出せるのです。
しかし競争する前から勝敗が明確で、全く競争に勝つ希望が無ければ、人間は努力
を放棄し、多くのものを生み出すことや、生きる希望さえも意欲も失ってしまう、
そういう特性を持った動物なのです。

そしてこの原則の裏側には「不合理にならない範囲内で国家は国民一人一人、企業
一社一社の競争力の均衡を図る原則」が常に隠されているのです。

まず自然界では強者は生命を維持する以上にはむやみに弱者を捕食しない原則によ
って競争力の均衡が保たれており、人間を集団として把握し、全体の能力を引き出
すには競争力を均衡させ「競争で勝つチャンスつまり希望を全国民、全企業へ与え
ること」が、国家の重要な機能になるのです。

この「競争力均衡の考え方」は他のあらゆる生物と異なり「同一種」に拘わらず
「理念観念」や「権力の奪取」や「大きな不正」のために、人間は大規模な殺し合
いや闘争を平気で行い得る特別な動物であり、このような社会的動物としての危険
な特性を持つ自覚が自由と平等とフェアーな競争の原則(ルール)や国家権力の三
権分立の原則、独占禁止の原則など、誠実に正直に努力する者に対して、人間一人
一人の競争力の均衡概念の発展として生み出された根源的な概念なのです。

そして、この考え方は事実として生きとし生けるもの全てに現に適用されており、
自然の生態系では、そこに住む生物の生存のための競争力の均衡が保たれていると
きに、豊かな自然が築かれるのであり、また自らの身体を考えると体内で免疫系の
白血球やキラーT細胞などが、体内に常時進入してくる害になる細菌などを識別し、血みどろの戦いを体内で常時繰り広げ、均衡を保ちながら細菌などが増殖しない状況を人間は「健康」と読んでいるのであり、もし白血球やキラーT細胞などが死んで機能を停止すると、体内で細菌があっという間に繁殖し、二日もすれば身体は腐り始めるのです。 

善悪の識別と悪と識別されたものとの真剣な対応は、人間も避けて通れないのであ
り、見て見ぬ振りをすると後で大きな被害をもたらすのです。

つぎに少数の特定の権力者や理念観念者の幸福ではなく、自然な動物である大多数
の全国民の幸福を実現するには、自然の生態系である自然システムの延長線上に、
存在する「均衡論」に裏打ちされたシステム工学上の進化システムを活用すること
が、最も理にかなっており「国民一人一人と国会議員一人一人に参加の自由と対等
に平等な条件を遵守しフェアーな競争原理(ルール)で多数決で決定され立案され
たシステム(制度や法律など)の時に限って結果として力強く進化する」という進
化システム原理を有するので、日本の経済社会構造の中へ「あらゆる分野において
一人一人の人間に参加の自由と対等に平等な条件でフェアーな競争を展開できる競
争条件を整備するための徹底した規制強化を行い、つまりそのようなルールの厳格
な適用を行い」と「そのようなルール意識を醸成する政策」つまり厳格な民主主義
の確立こそが何より重要であり、人間社会においてこれが完全に実現できれば、あ
らゆる問題が時間は掛かっても「幸福を求める多数の人間の意志」と「進化システ
ム原理がシステム的に結合し」自動的に解決できるのです。

「参加の自由と対等の平等によるフェアーな競争のルール概念」も「所得税、法人
税、相続税などの直接税」も、人間社会における「競争力均衡化の思想」を実現す
るための手段であり、これこそが人間の本性に潜む利己的意識と利他的意識を適切
に引き出し、人間社会を進化発展させる手段としての進化システムの根源なのです。

これに対して参加の自由に対する規制や妨害など、何でもありの自由や特権を容認
する何でもありの平等やルール無視の何でもありのルール不存在の競争などは、
「競争力均衡化の思想」に役立たず進化システムも機能しないのです。

逆に所得税などの直接税は、所得=消費+貯蓄の経済公式から明らかなように実質
的に消費と貯蓄に平等に課税し、課税最低限以下の低所得者には、消費にも貯蓄に
も課税を免除し消費に対する参加の自由を促進し、それ以上の国民に対しては所得
に応じた税率で消費にも貯蓄にも「平等に課税」するから悪影響が生じないのです。

官僚のキャリアーとノンキャリァーの問題も「国家目標は、憲法で明示するが如く
国民の幸福を追求する権利を実現することだ」という大命題を正確に理解していな
いことと、少数の人間に特典を与え官僚組織内で政策立案の公正な競争が行われて
いない結果、国民に目を向けた良い政策が立案されて来ないのであり、また財政負
担ばかりが増加する特殊法人の問題も特殊法人を運営する少数の人間に特典を与え
民間企業との間に公正な競争が行われていない結果にすぎないのです。

そして政治の分野では国会議員に公正な競争を行わせる環境が整っていないため、
国民環境に良く適応した国家目標を達成する良い政策が生み出されないのであるし、「民主主義という進化システムである政治」に全国組織の強力な政党や特定の権力者という、国家目標を達成するために自由な公正競争を行うべき国会議員を「制御する制御機能としての規制が混入している」ために、「日本の社会経済の進化システムの作動が弱まり」進歩発展が大幅に遅れているのです。

そして経済の分野では「進化システムである個人消費」に税で規制を加えている結
果が現状の大規模不況の到来なのです。

「進化システムである個人消費への徹底した規制緩和」こそが本格的景気回復と財
政再建の基本であり完全達成の鍵なのです。

そして非進化システムの所得には、規制を強化しても何ら経済には悪影響はないの
であり、したがって逆に言えば「非進化システムの所得を規制緩和する大幅減税を
行っても、財政負担が増加するばかりで、その経済効果は他の財政支出方法と殆ど
変わりないか劣ると考えられる」からです。

その理由は所得のほぼ全部を消費に回さざるを得ない消費性向の高い低所得者には、減税の恩恵は全く受けないか、わずかしか受けないのに対して、減税の大部分が元々所得の一部しか消費を行わない余裕のある消費性向の低い高所得者への減税となり、減税分が個人消費へ全額回ら無い上、もし減税をやらず財政に余裕を持ち、その分有益な公共事業を行えば、その分全額が消費性向の高い中低所得者層の人件費として配分され、個人消費が増加するからです。 

つまり直接税(所得税・資産税)の減税は通説と正反対に景気浮揚に殆ど特別の効
果は無い上、高所得者に多く恩典を与える直接税の減税は社会の不公平感を助長す
る悪い政策と考えられます。

したがってアメリカのブッシュ政権の大規模減税も上記の理由から、その財源を他
の財政支出方法を採った場合と比べて特別に有効な景気浮揚策にはならないのであ
ることを理解しなければなりません。

もちろん若干の期間、景気回復効果があるように見えますが、継続性が全く無く、
人間の利己心に頼った政策であり逆に国家全体としては個人消費性向の低下を招き、持続性が乏しく景気回復の糸口になっても財政が悪化する対策であります。

クリントン政権が取った個人の懐の痛みが伴う利他心を強制する政策(所得の高い
階層を中心とした直接税の増税)こそが巨大な国家機関を活用し個人消費性向の国
家全体の向上(これこそが高所得層が未来に更なる所得を獲得する基礎になる)に
なる高所得層から低所得層への所得配分を実現し個人消費の増進による「景気回復
と財政再建の両者同時達成を目指す自己回帰的な継続性のある対策」なのです。

しかし現状のアメリカの不況は景気循環に過ぎず、どのように深刻になろうとも個
人消費や政治の進化システム自身は健全に作動しているので財政悪化を気にしなけ
れば減税も景気回復のための一つの政治的選択肢であり、どのような経済政策を取
ろうと、回復の強弱はあるにしろ、いずれ景気は回復するのであり、そこが進化シ
ステムの作動がほとんど停止状態のため景気回復が困難で下限が見えてこない下方
の均衡点へ向かって景気後退中の日本との大きな違いなのです。

さて進化原理では小集団の方が「進化スピードが早いという原則」があり、現代日
本のように意図的に必要以上に企業合併や持株会社政策を推し進め、小さな企業を
つぶし巨大企業形成政策を取ることは、寡占化を招き長期的には「進化の発生確率
低下させ、つまり進化の芽をつぶし」「企業の進化スピードが極端に遅くなること
は確実なのです。」そして寡占による競争力の低下現象がいずれ発生するのです。

つまり「構造改革問題」も日本のあらゆる分野に渡る人間一人一人と企業一社一社
につき国内的にも国外的にも「参加の自由と対等に平等な公正競争の実現」と「進
化システムをより強力に作動させるための進化システム化への徹底した規制緩和」
と「非進化システム分野の国民の幸福の追求に反する部分の徹底した規制強化と、
そうでない部分の規制緩和」を計るという視点で行うことが大切なのです。

現代経済学が必要とする6分野の複雑な前提条件とその経済学的効用の限定さと比
べ「自由と平等と公正な競争という進化システムの作動条件は何とシンプルで、何
と奥深いことでしょうか」、そして「その時代の人間の幸福の追求の努力とシステ
ム的に結合し、あらゆる分野に渡り桁違いの効用がある」のです。

そして重要なことは何が進化システムで何が非進化システムであるかの区分区別の
問題なのです。

そして進化システムの本質は特定の理念や観念をもたずフェアーな自由と対等に平
等な条件に基づくルールのみを持ち、「変異」を認め「変異が競争に参入して結果
として進化が起こる」構造を持っているシステムであり、競争の結果の優劣を判定
するのは、地球環境に囲まれた膨大な数の人間環境である国民に帰着することを決
して忘れてはならないのです。

自分で判断し結果は良くも悪くも全て国民に帰着するので、国民は自ら判断して生
じた結果を謙虚に自ら受け止め、一層現実に適応した計画に再改善して再提案する
という最善に対して微分積分的に接近するのです。

これによって国民は自らの判断を常に反省し経験し学習し逞しく成長するのです。
したがって全ての国民を幸福にする正しい政策を選択するには、特定の個人や組織
の影響力を排除し「人間である全ての国民や国会議員のフェアーな自由と対等に平
等な条件を厳しく守ることが唯一必要であり、これに基づいて各人の良識と良心に
基づく利己的意識と利他的意識を合わせ持ち強い生き残りの生存本能を持つ国民や
国会議員の意志の単純表決による判断で選択された政策がその時代その時代の国民
の人間、地球、時代の環境に総合的に適応する正しい政策」になるのであります。

したがって人間の自由と平等以外の固定的な理念や観念などは重要でないのです。

「進化システムの考え方の基本は国民に全ての情報を公開し国民を信頼し国民に判
断を任せて国家は行動する」というルール原則で貫かれているからであります。
さて人間社会のシステムは重層的構造を持っており、実際の社会構造は非進化シス
テムと進化システムが入り混じった状態になっているのであります。

しかも進化システムは意識的無意識的にかかわらず、ほとんど全てが目的論的に構
築されており、その最終目的は全て人間の幸福の追求や生き残りの追求や好奇心の
追及という人間の本能を達成するための目的に収斂しているのであります。

したがって進化システムも上層から下層まで、いくつもの進化システムや非進化シ
ステムが重なり合い、絡み合って全体の進化システムが作動しているのであります。

しかしその進化システムそのものに規制や抑圧が混入すると、全体の進化システム
の能力は低下し、進化発展のスピードは急速に落ちてくるのです。

逆にそのシステムが現実に非進化システムであり且つ規制することの方が国民の幸
福(道徳)追求に役立つものであれば規制することは一向に差し支えないのです。
この場合は進化スピードに悪影響は全く無くやり方によっては本文のように逆に進
化が促進される場合もあるのです。

ここに物事の一つ一つにつき国民の幸福のために真に役立つかどうか区分区別し
「規制緩和と強化の両者の必要性」があるのです。

さて進化システムはその本質から人によって作られるシステムであるのにかかわら
ず、これを誰かが制御し結果を左右できる構造を持ちこんだ瞬間フェアーな自由と
対等に平等な競争(協同)が出来なくなるのでそのシステムは進化システムではな
くなってしまうのです。

つまり「フェアーな競争」は「参加の自由」がなければ成立しない構造なのです。
したがって「参加を禁止」したり「各種の手法で参加を規制したり妨害したり」す
るとその分野が基本的に進化システムであっても進化は停滞し混乱し進化発展の度
合いはそれに応じて急速に低下するのです。

ゆえに現代の経済学に基づき、エリート達によって莫大な国家予算を使用して実施
される「財政政策」「金融政策」は本来「経済政策の微調整手段」に過ぎず、経済
システムを進化システムに改善しない限り抜本的対策になり得ない現実をエリート
達自身認識していないことが大問題であり「莫大な予算の使用の割にはほとんど根
本的な効果をあらわしていない」ことは既に多くの国民が知るところであります。
そこで日本国憲法が定めている国民の幸福を追及するという幅広い権利の第一歩と
なる成熟経済に達した日本経済の再成長を実現するためには、狭く研究対象を限定
した現代経済学ばかりに頼るのではなく広く哲学、進化論、人間行動学、システム
工学、心理学、物理学、生物学、社会政治学、経営学、会計学、税法、歴史学など
多様な分野の学問の力を借り「日本の経済成長システムを進化システムへ再構築す
るのに役立ちうる基本的な考え方」を総合的に取り入れ「日本の経済社会の進化と
経済成長を確実に実現できる基本的な進化システムへの改善を目指し」「結果とし
て財政再建を実現する国家システムの構築を目指す」真に役に立つ成熟経済におけ
る経済成長税制理論を構築することを心がけました。

そして「経済成長現象を一貫して完全に説明できる本書の経済成長税制理論」で経
済システムを進化システムで再構築すれば自らの力で力強い再生と復活が可能です。

さらに国民が規制すべきとする環境問題等における「問題商品の消費や生産の個別
規制強化を進んで行いながら新規開発商品の競争条件を整備し」国民の未来の生活
に貢献する新経済システムを目指しているのです。

そして本書は人間を生物学的側面と精神的側面の「連続」として捉えております。
更に国家に実在するのは人間である国民のみであり、組織や企業は法的概念でのみ
しか存在しないのであるから進化システムの働く真の民主国家では「国家は国民に
とって真に役に立つ機能的な存在であるべき」とする機能的国家論で本書を記述し
ております。

そしてあくまでも国民にとっての機能的国家観であるので、国家機能の色々の分野
において、機能的を強調する余りその分野の専門家に事実上の決定権を与えてはな
らず、あくまでも国民の代表者である国会議員と国民に事実上選ばれた内閣が決定
権を持たなければならないのであり、最も良い実例が軍事部門の「文民統制の原則」であります。

国家が国民にとって機能的な存在である以上、国家は一般国民の良識、常識、善悪
の判断で運営されなければならないからです。

軍事における生死の判断でさえ基本的な判断は軍事の専門家(現場の将軍、司令官、参謀など)ではなく、素人の総理大臣に委ねられているのです。

これこそが国民の正しい自己責任を伴った民主主義の原則なのです。したがって専
門家はその分野で素人である国民や国会議員や総理大臣に対する良き助言者として
振る舞わなければならないのであり絶対に決定権を有してはいけないのです。

ここで問題となるのは現代の日本の国家官僚組織に組み込まれている各種審議会、
委員会の事実上の役割でありますが決定に影響力を絶対に持たせてはならず、全て
良き助言者の役割を与え決定責任は、内閣と大臣と国会議員とそれを支える官僚で
あることを明記しなければなりません。厳に各種審議会、委員会が決定責任の隠れ
蓑になってはならないのです。

これを厳格に守ることが責任感の強い、経験豊かな良き内閣と大臣と国会議員と官
僚を育てる原点になるからです。
 
したがって本案の重要な点は日本の本格的な景気回復と財政再建のために、大規模
な財政支出などの必要性は全く無く、市場経済の進化システムの作動条件を強化す
るために単に税の課税方法を間接税中心から直接税中心へ復元を求めていることと、国家の経済と政治について進化システムへの自己変革を求めている点であります。

戦後43年間経験済みの直接税制主体の税制に復元すると、変更直後は税収増はプ
ラスマイナスゼロとしても程なく時間の経過と共に経済成長が再開され国民所得が
増加し、同時に超過累進税率であるため、消費税導入の大きな原因になったマスコ
ミが愚かな直接税の大減税キャンペーンを実施しない限り「自動的に税収増による
財政再建」が達成出来るのです。 

いずれも困難な努力はいりますが、子孫に借金の負担をかけないカネのかからない
対策で本格的景気回復と財政再建が同時に実現できるのです。
ただ消費税は人間の利己的意識に強く影響を与える極めて気むずかしい税金であり、増税しようとするとその増税の直前に駆け込み需要が起こり一時的には経済が好転したように見え、逆に全廃しようとすると、その直前に買い控えによる一時的な不況が起こる逆転現象が表れるやっかいな性格を持っている税なのです。

しかし少したてばその税制の国民経済に与える本来の効果は明確に表れるのです。
つまり自らの経済システムを進化システムの度合いが高いシステムへ改善すれば経
済成長が自己回帰的に自動的に再度開始することを、まず学ばなければなりません。

しかも本案は地球の有限性を視野に入れ、政治にも進化システムを導入することに
よって経済成長の方向性までコントロールできる「政治経済統合進化システム」を
提案しているのです。

つまり国家経営は常にその時代に適応しようとする、その時代の多数の国民自身が
解答を持っており「参加しフェアーに競争し最も現状の国民環境に適応した正しい
結果を選択すること」が進化システムのポイントなのです。

つまり「その時代の生存環境である地球環境に適応できた生物だけが生き残り進化
するのが、自然の生態系の自然システムによる進化なのであり」全く同様に「その
時代の人間環境である国民環境に適応できた政策だけが生き残り、更に国民環境に
適応して競争に勝ち残って進化発展していくのが本書が明示した進化システムによ
る政治経済政策の進化システム論」なのです。

国民環境に適応できず悪い影響を与えている政策は全て捨て去り、国民環境へ良い
影響を与え適応している政策は進化発展させなければならないのです。 

したがって本書以外の国民が望まない経済政策は常に失敗が待っているのです。

ここ12年以上の不況の連続の原因は日本の社会慣行や人間である国民の、心理や
感情の重要性も考慮せず、進化システムの原則に背き、その時の国民の強い反対を
押し切りエリート達の判断ミスにより平成元年に理念観念によって無理やり取り入
れた「進化システムである個人消費に規制・抑圧を加える政策」による「結果とし
て総需要抑制政策としての消費規制税制の導入による大規模な人災」なのです。
したがって財政再建も景気回復も達成できない既成税制理論や固定観念による洗脳
から、まず根本的に脱却しなければなりません。

つまり人間によって営まれている経済は「全く制御不能な神の手に握られているの
ではなく」「経済は人間の手による人為的な現象である以上、進化システムを規制
せず妨害せず遵守すれば進化発展の強弱のアクセルや方向性のハンドルは人間によ
ってしっかりとコントロール出来る」のです。

したがって役立つとは思えない空理空論や神学論争は紙面の無駄になりますので徹
底して避けるように努めました。

経済の進化発展を保証する進化システム原理とその根底を為す正しい自由と平等と
公正競争概念の詳しい解説については、この結論の要約の後段に記載しております。
                               


(研究すべき対象としてのアメリカと米国の国会議員の仕事ぶりと進化システム)

さて前置きはこのくらいにして、筆者が追い求めていたものは、アメリカが何故、
数千年もの歴史があり社会的インフラを年月を掛けて整備してきた先進国と比べて
荒野の中からわずか224年前にやっと独立した後進国が、あっという間に全ての
歴史ある先進国を追い抜き経済的にも総合力としても世界一の超大国になり得たか。

アメリカのように国土が広く多民族、多文化、多言語の国家は地球上に数多くある
というのに、何故アメリカだけがの思いが強く、その秘密を探ることに情熱をかけ
ておりました。

アメリカ国民一人一人の平均値の能力や勤勉さと日本国民一人一人の平均値の能力
や勤勉さを素直に比較してみると、日本人は決してアメリカ人に劣っていないと私
は強く実感しています。

同様なことはイギリス人もドイツ人もフランス人もイタリア人も感じていることと
思います。

そしてアメリカの多民族、多文化、多言語で地方分権国家というシステムは我々単
一民族、中央集権国家から見ると非効率の典型に見えます。
 
それではアメリカの指導者が特別に優秀だったかと言えば、アメリカ国民が選んだ
のは、エリートではなく二流の映画俳優だったレーガン大統領、女性問題で度々裁
判沙汰を起こしたクリントン大統領、若いとき大酒のみであったブッシュ大統領で
あり、とてもアメリカが超大国になり得た理由を説明できるものではありません。
しかし私はこれらの大統領の誠実で正直さの中にも、優れた駆け引きの才能と政治
的能力を見抜くエリートには無い大衆の目の確かさを、常に感心しているのです。
そしてこれらの大統領の実行した政策の結果は決して平凡ではなく、歴史に残る非
凡な成功を収めているのです。

これは指導者である大統領個人の資質というよりは国家や国民が持つ根本的な哲学
や思想が非効率さを乗り越え「問題点を正確に把握し、それを解決するために個々
の国民の能力を集団としてシステムとして最大限度引き出す国家統治システムの非
凡さ」にあることが徐々に分かってきたのです。

私は学問的には素人であり筆者の理論は色々の学問の間に存在する埋もれた部分か
ら取り出した「コロンブスの卵のような種を明かせば何だこんな事だったのかとい
う理論」なのですが非常に基本的で国家経済の発展に役に立つ重要な理論なのです。

その根本はアメリカは「後述」の「大量の国民を集団として扱うシステム工学上の
特殊な原理」である「進化システムをあらゆる国家統治システムへ厳格に活用して
いた国家」だったのです。

システム工学上システムには「大部分の非進化システム」と「特殊な進化システム」が存在するのです。

進化システムとは「人間の特性や本能を利用して、システムそれ自身が誰に命令さ
れるわけでもなく勝手に自分自身で進化発展していくシステム」を進化システムと
定義しているのです。

この場合進化システムの重要な要素に「競争」(必要なときは協同。以下同じ)が
あるところから、人間という権謀術策に優れた人間に対しては競争の前提となる
「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争条件が不可欠に必要な事が目からウロ
コが落ちるように分かってきたのです。」もちろんアメリカは進化システムを意識
して国家統治に活用しているわけではなく、移民国家であるアメリカ建国の精神
「参加の自由と対等に平等な条件のもとにフェアーな競争(協同)で物事を決着す
る精神」こそが正に進化システムの基本要素そのものだったのです。

したがってアメリカの経済を始めあらゆる制度が進化システム的であり、それこそ
がアメリカが超大国になり得た理由だったのです。

各界のトップエリートになればなるほど政治的な人物にならなければなりません。
政治的とは視野が広く、究極的に国民全体のことを真に心に掛ける利他的意識を強
く持つ人格のことであります。

特にアメリカの「国民の声を代弁する国会議員の一人一人の独立性の確保」は政党
に支配管理されないゆえに、国民のみを見据えて事実のみに基づき理念観念に基づ
かない国民環境に良く適応した政策(ルール)を国会議員が次々に選択し且つ時代
に合わなくなった政策を次々に淘汰し自分勝手に進化発展する判断に誤りが少ない
進化システムである政治システムが存在し、そのことがアメリカの社会経済の急速
な発展に極めて役だっているのです。
 
そしてアメリカ国民は、立案された法律や政策へ「どのように国会議員が賛成、反
対を表明し、どのような努力をしたか」を全て情報公開し、それを参考にして個人
別に国会議員の行動や考え方を把握し、それに基づき選挙によって投票するという、完全な事実に基づく間接民主主義をとっているのです。  
 
アメリカの政党には全国組織が存在せず、党中央も党委員長も党代表も党首も存在
しない、国会議員に対する政党の束縛が極めて微弱な、世界でも全く特異な進化シ
ステムである政治システムを持っている特別な国なのです。

これはアメリカ建国の歴史が反映した結果であり、別に進化システムを意識して作
り上げた政治システムではありませんが、結果としてこの政治システムは進化シス
テムなのです。

したがって政党は存在しても国会議員の個別の意志を決定的に束縛できない政党シ
ステムになっているのです。

スポーツ界を見てみると大リーガーに負けない活躍が出来る野茂投手やイチロー選
手、佐々木投手を日本が輩出できるのも、日本の野球界が高校野球、大学野球、プ
ロ野球をしっかりと発展させ且つ膨大な野球人口の母集団の中から「個人に対して
広く参加の自由と対等な平等を厳格に遵守し」そこで「フェアーな競争」が出来る
「システム」を永年維持し、多くの失敗や成功の経験を重ね試行錯誤繰り返す事に
よって大きな失敗は減少し、少しづつ最善へ近づき、自然にほおって置いても世界
に通用する名選手が生まれてくるのです。

現状の民間経済の発展も、サッカーの発展も同様なのであり、更に世界一までに発
展した日本の生産技術も同様なのです。

しっかりしたルールを作れば、良い結果は必ず手に入れることが、出来るのです。
したがって政治にも「国会議員個人に参加の自由と対等に平等なフェアーな競争を
させるシステムを作る重要性」があり、そこに「日本の社会経済環境へ適切に適応
できる最善へ近づく社会経済システムが作られる基礎」になるのです。
それが日本を未来に渡り「進化し発展し世界に貢献できる日本を作り上げる原点」
となるのです。

たとえば国家が自由貿易体制を言い訳にして「貿易収支ゼロ政策」という不可能に
対する挑戦を行わず「円高という価格面での不平等競走条件つまり個別企業にとっ
てフェアーではない競争条件」を放置したために、結果として現状の価格競争に勝
ち残りたいとする企業によって「日本の技術者が艱難辛苦をなめて作り上げた最も
大切な世界一と言われている最先端の生産技術やデーターまで」タダ同然で他国に
移転して結果として自己回帰的に日本の生産者を苦しめているのであります。

つまり企業としてはやむを得ない行動なのでありますが、それをコントロールすべ
き国家が怠慢なのです。

さてアメリカ議会における一年間の立法案件の提出件数は10000件にも及びそ
のうち成立件数は300件程度、成立率3−4%であります。

アメリカでは法律案件の提案権は国会議員にのみにあり、一人でも簡単に提案可能
であり、国会議員は国会に対して参加の自由と対等に平等でありフェアーな競争で
成立を目指すことが規定通り定められているのです。

フェアーなスポーツの試合のように、そこに政党の話し合いや協議や談合は少なく
国会議員個人の良心良識に基づく真に国民の為に役立つものか常任委員会でまず審
査され、9割が審査で淘汰され、残り一割が本会議に掛けられ個人として賛成、反
対の意志を表明する単純表決で機械的に良いものは良い、悪いものは悪いと決定す
れば良いのであって、これによってアメリカの国会議員はドンドン仕事をこなして
膨大な量の法律案を処理決定していくのです。

したがって成立率は低いとは言え、殆どの国会議員が良いと考えれば、どんな法律
案もアッという間に決定されるのです。

アメリカの国会議員は民間の経営者が行っている日々の意志決定と全く同様に機械
的にその良否を決定しているのです。

それに比べて日本では年間の政府・議員合計の提案数250件、成立件数150件
位であり国会議員個人が良い悪いで決めるのではなく、憲法にも定められていない
国会の議決の投票権も無い政党という組織の事前の根回しや話し合い、協議、談合
などの政治的な交渉に長時間をかけて決定しているのです。

如何に日本では国会内に日本国憲法に定められた正規の内部競争ルールが働いてい
ないのかの歴然とした証拠なのです。

これでは成熟経済に達した日本では政治経済の進化システムは全く機能しません。
その上日本では多くの利点がある議院内閣制を取っているため、アメリカでは認め
られていない多数の官僚を抱える政府提案が全体の50%年125件位あり、最近
著しく増加しているとは言え議員提案は50%年125件位なのです。

これから明らかなように600名弱のアメリカの国会議員は年間10000件の提
案を行っているというのに、700名強の日本の国会議員はわずか年間125件の
提案を行っているのに過ぎないのです。

これは驚きを通してあきれるほどであり、提出ルールに問題があることを示してお
り、民間では一般企業でも年間10000件程度の改善提案をこなしている企業は
ザラにあるのです。

どちらの国家が改善提案をより多くしているか、より国会議員が立案や淘汰や選択
のために働いているかは一目瞭然なのです。

これらの事実から分かることは、日本の国会内のルールが「固定的な理念観念を優
先し」「議決を通すための質ばかり追い求め」、「問題意識を持った提案が議論の
対象にもならず闇に葬られると言う」国会議員には対して参加の自由と対等に平等
とフェアーな競争原理が全く生かされていないという事実であり、法律は形式的で
あり事実として国会議員の立法機能という中身が実質的に殆ど機能していないので
あります。

日本の国会議員には一人では全く法律案を提案する事も出来ず、提案するには色々
な規制がついており、完璧さばかりを要求し試行錯誤の大切さが理解されず、参加
の自由が無くしたがって日本の政治経済の進化スピードが極端に遅いのも、これが
最大の問題なのです。日本の悪しき政治慣行は改善しなければならないのです。
 
さて国会は競争原理が働く法律案件の立案、淘汰機能を持つ淘汰機関でなくてはな
らず「淘汰」とは多数の中から、多くの不完全な提案を排除し最善の選択に近づく
作業であり、経験的に言って、その成立率は数%で当然なのであります。

また成立率が60%程度と高いのはフェアーな競争での成立ではなく、「通過させ
ることを目的とした恣意的な談合による成立」を強く予測させます。
 
またマスコミも愚かにも成立率の高さを、その内閣の力量の如く報道する姿勢にも
「フェアーな競走による淘汰の本質を全く理解していない報道姿勢」が強く感じら
れます。

しかもマスコミの政党間の話合いによる決着を強調する姿勢は談合による決着を奨
励しているのと同義語であり絶対に止めるべきです。
要するに決定は話し合いで決めるべきではなく、個人個人の国会議員が自らの良識
と良心によって、最高裁判所の判事のように国民と支持者の意向を代弁し多数決で
決定すれば良いのです。
 
協議や話し合いによる決着は過ちの元なのです。結局協議や話し合いを続けるため
の判断の極端な遅さは、国会議員が働いていないのではないかと疑われても仕方が
無く、他国を良く研究し根本的に改善しなければなりません。
仕事が少ないから国会で法律案と全く無関係な無意味な議論を長々と行っているだ
と思われても仕方がありません。 

本来日本の法律は筆者の経験では固定的理念観念を優先しているため「自由と平等
とフェアーな競争が無視されている条項が極端に多く、その他にも改善すべき点が
無数にあり」、少なくともアメリカの提案件数の十分の一、年間1000件位でも
良いので改善提案を最低毎年行って至急改善して欲しいと思っています。

「試行錯誤こそ最善へ近づく手段」なのであり、実行しやすいシステムを考えるべ
きです。そして採決は進化システムに基づく個人意志の良心と良識による、単純採
決を行えば良いのであるから、自派閥内も自政党内も対外政党間の交渉事も極めて
少なく、1000件など難なく採決できるのです。

したがって本書では詳しく述べておりますが、通説と全く異なり「国会議員への参
加の自由と対等に平等なフェアーな競走環境の整備」と「法律を現実に適応する改
善の政府提案のために当面、中央官僚を二倍に増員」し官僚間の競争激化を提案し
ているのです。

つまり情報の本質である「提案は質より量」なのであり多くの量の提案が競争する
所に向上があるのです。「日本のあらゆる分野のトップエリートの最大の欠点は情
報(事実)に質を求める」とんでもない間違いを犯している点です。

情報の本質は「量」こそ命であり、コンピューターのCPU(中央演算装置)の性
能も、実は「情報量」の処理能力を表示しているのです。膨大な情報量の中から情
報処理を行い、質の良い情報を区別し判別して評価することこそ、トップの仕事な
のです。

トップが始めから情報の大まかな判断を部下に求め、些細な情報を耳に入れようと
せず、部下に情報の判断を委ねてしまい、耳障りの良い重要な情報だけを得ようと
するところに日本のトップが常に過ちを犯す原因があるのです。
戦いにおいて決定的に重要さが確認された情報は、実は手遅れな情報であり重要な
情報では無いのです。

些細な情報から、確認される前に今後起こりうる確定的な結果を予想することが、
重要なのです。つまり「先んずれば人を制す」の格言が情報の命なのです。
日本でも優秀なトップは机の上の報告書のみに頼らず、自分が現場に出向き膨大な
情報を集め自分で情報を解析し判断するのです。それこそが優秀なトップなのです。

些細な情報が実は重大な徴候の表れであることは常に現実に起こっているのです。
日本の敗戦の転換点となったミッドウェーの海戦でも、日本の敗因は色々言われて
いますが、根本はアメリカ軍のトップが執念を燃やした些細な情報(事実)の積み
上げによって日本海軍の狙いが、実はミッドウェー島であることを事前に7−80
%確信し待ちかまえていたのです。 

ところが日本軍は自分たち自身が極秘行動をしていることを過信し、アメリカ軍を
90−100%奇襲できると、勝手に思いこんで油断していたのです。

アメリカのトップによる情報観つまり些細な事実を重要視する考え方と日本のトッ
プの情報観つまり些細な事実を軽視する考え方との大きな格差が決定的な場面で常
に「結果の重大な格差」として表れるのです。

さて政治の進化システムを実現するには、国家議員が有権者を代表して個人の自由
な意志で、他の国会議員や政党からも影響を受けることなく真に国民に役立つため
に、対等に平等に賛成、反対を意志表示する真の競争をしなければ進化システムは
作動しないのです。

そのためには政党や派閥内で行われる現在合法とされている全ての金銭の授受を公
職選挙法が適用されている国民と同じレベルに規制する政治資金規制法の法律改正
が必要なことと党議拘束など全ての国会議員の意志に影響を与える行為の規制や禁
止の立法化を促進しなければなりません。

政治は特別な事をやっているわけではないのです。国民に役に立つ仕事を、効率的
にドンドンやるべきなのです。失敗があれば素直にやり直し、最善近づく努力をド
ンドンするべきなのです。

うらやましい事にアメリカの国会議員には「独立性の強い自由と平等が存在し、さ
らに法律立案のプロ意識とフェアーな競争における誰にも影響されない純粋に個人
の単純多数決による決着精神が存在するのです。」そして「個人消費に対する規制
の弱い税制と直接税中心主義」の税制は「元々消費好きの国民性で個人消費という
進化システムに弱い規制しか存在しないため、放っておいても個人消費は拡大し」
また直接税中心主義は高所得の個人、法人から徴収した税収を国家機関を通じて低、中所得個人、法人へ所得を配分する実質的効果があり消費性向が低い高所得者から徴収した税収を消費性向が極めて高い低所得者へ分散し、更に「寄付」という巨大な民間所得分配機構の存在が、国民全体の消費性向を強く高めている結果、アメリカ経済は不死鳥のようによみがえるのであります。
                              


(進化システムのポイントとシステムの増殖原理の解説)

「進化システムは、その特性上最も自然に近い人工システム(制度・法律など)で
あり」「進化システムはその時代時代において、国民が良いと思うことは、規制せ
ず自由にドンドン実行させ、国民が悪いと考えていることをドンドン規制すると、
進化が自分勝手に良い方向へ進化発展するのが進化システムの特徴なのです。」
経済環境として機能する国民が悪いと考えていることを規制しなかったり、別に悪
くないと考えていることを無理に規制したりすると、進化システムに反して悪い結
果が生じるのです。

したがって良いことは規制せず、悪いことは規制するという区分、区別がしっかり
していなければならず、何を規制すべきかを決めるのは「参加の自由と対等に平等
のフェアーな競争」で投票する国民と国会議員だけなのです。

そこで時代時代の激変する環境にしっかり適応し豊かに増殖し進化する「生物進化
の基本となる自然システム」には基本的で重要なルールが存在し、そのルールは人
工進化システムにも必須条件となり「競争への参加の自由」「同一種内の対等で平
等な競争(内部競争原理)」「食物連鎖原則(外部競争原理)」「競争力均衡化原
則(強い動物でも自分の生命を維持する以上は捕食しない原則)」「システム内循
環原則」「突然変異の競争参加」の厳格なルールの中で「生存競争」を繰り広げ
「制御せず自然に任せれば」時代時代の地球環境に適応し進化システムは自動的に
強力に進化繁栄していくのであります。

それでは進化システム原理を完全に満たす4つの条件とは何であろうか。
日立デジタル平凡社の世界百科事典から引用すると

1.遺伝子を要素とするシステムとして遺伝子型が存在する。遺伝子型は対応する
  個体(表現型)を作りだし、表現型は遺伝子型の複製の場になる。

2.遺伝子型のシステム構造は変異する機会がある。
  それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。

3.表現型の間に資源獲得競争が存在する。 競争は「優劣の結果」をもたらす。
  それは遺伝子型の間の自己複製頻度の「競争」に他ならない。

4.生態系を支える外部資源が存在する。

つまり「外部資源を活用し」「自己複製という自己増殖構造を持ち」「変異しなが
ら」「変異も競争へ参入しつつ結果として環境に適応したものが勝ち残り進化する」という4つの機構を持つシステムが進化システムなのです。

人工の進化システムの場合は人間の持つ、より良い生活を求め幸福を追求する本能
や結果として生き残りたいと考える本能、好奇心の本能などを活用して人間の意志
と努力が加わると「更なる増殖拡大性」が生じ、そして自己回帰性、自己決定性、
反復性ならびに変異の容認性と競争による優劣の決定機構を持つことによって無か
ら有を産み出し最悪を排除しながら最善へ微分積分的に接近する手法なのです。
進化システムはシステムがそれ自身を作り出すことから、分野により自己組織シス
テム(組織論)、自己創出システム(生物系)、スーパーシステム(免疫系)など
色々の呼び名があり、現代ではその活用が急速に進んでいます。

さて更に人工システム(法律・制度・基準など)開発上のシステム作成の指導的原
理は以下の5点であります。

1.初期目的の達成度  2.社会的受容性 3.環境変化への適応性
4.機能性能の拡張性と柔軟性  5.経済性と信頼性

そこで国は膨大な数の国民に適用する一つのシステム(法律、制度、基準など)を
作り上げた場合又は作り上げる計画がある場合、上記の5点の「システム作成の指
導原理一点一点」について「条件を満たしているか」を常時チェックし、評価し、
反省し、改善し、新たに測定し、予測しなければなりません。
 
これが膨大な数の国民をシステム的に統治せざるを得ない国家が為すべき最も重要
な作業なのです。

ここが日本の政治・官僚組織に最も問題がある点なのです。

さらに現代において最も注目されているものに人間社会生活にとって真に役に立つ
「進化システム」があります。この進化システムには自然生物を作り上げた「自然
システム」ばかりではなく、人間が人工的に作り上げた「人工システム(法律、制
度、基準など)」にも原理原則さえ厳格に守れば多くの大規模な成功例があり社会
の発展進化に極めてすばらしい成果を提供しているのです。

(進化システム例) <―――――> (非進化システム例)
 1.個人消費・設備投資       1.所得(国民所得)
 2.市場経済            2.計画経済
 3.大衆主導の民主主義国家     3.真の全体主義・真の共産主義
                    (いずれも究極の官僚統制国家)
 4.科学技術            4.事実と遊離した理念・論理・迷信
 5.インターネット         5.管理主体がある商用情報システム


進化システムの作動メカニズム以下の通りであり、守るべき原理原則としては
1.進化システムは目的(理念や観念など)を持たず、進化の「過程つまりルール」
  だけを持つ。
  したがって人により作られたシステムにもかかわらず、特定の個人やエリート
  と言えども直接制御出来ないし、してはいけない構造を持つ。
  (つまりスポーツのルールと同じ)


2.進化は変異が起こり、変異が「競争」に参入し「結果」として進化が起こる。
  (つまり「結果が真に良ければ」すべて良しなのです。)(また変異とは積極
  的に試行錯誤を行って改善し経済環境に適応するかどうかを確かめるという哲
  学的意味が含まれています。)


3.外部環境、内部状態の変化に対してシステム全体として柔軟に適応し頑健。


4.システムの一部が競争による淘汰圧力からはずれたとき、その部分は爆発的に
  増殖する。(進化システムにはバブル発生の可能性あり。反対目標の必要あり)


5.分化と系統が発生する。(完全な進化システムは必ず増殖成長進化し、分化や
  系統が発生するので、人間の個性や文化の多様性が発揮されるシステムである。

  したがって発展成長進化しない場合は、その進化システムのどこかに欠陥があ
  ると認識して差し支えない。)

つまり進化システムとは人間環境に対して良く適応する判断をどう次々と発見する
かの手続きのルールを定めたものとして考えられたものであり一つが「組織同士の
外部競争方式であり、もう一つが構成員個人による内部競争方式」なのであります。

「外部競争方式」は競争環境にある組織体同士の競争方式であり、「内部競争方式」は独占組織に適用される組織体内部の構成員個人による競争方式のことなのです。

いづれも競争とは現実の経済環境(全国民の)に適応接近しようとするための手段
がその本質なのです。 

そして人工システムは「進化システムであるときに限ってシステムとして強力に発
展する」特徴を有しているのであります。

そして進化システムは時間が掛かっても必ず非進化システムに勝利してゆくのです。

さて進化システムにおけるキィーワードは「競争」であります。
しかしながら競争と正反対の概念の「協同」と言う概念を、どのように理解するか
が重要なポイントなのであります。

本書は「協同」という概念は「競争」という概念の正反対であるゆえに広義におい
て進化システムにおける競争概念の一部と判断しています。

気を付けなければならないのは国の最高の目標は「国民全員の幸福の追求」という
不可能と思われる目的への挑戦であり、これを達成するためには自然システムにお
ける人間が持つ二つの本能つまり種(人類全体)の保存本能から生ずる利他的意識
を基本とする協同体意識と、本人自身の生存本能から生ずる利己的意識を基本とす
る競争意識の同時存在(人間の本能)こそがこれを達成するための重要な手段なの
であります。 

つまり人間は「競争意識・利己的意識・営利精神」と「協同意識・利他的意識・ボ
ランティア精神」を本能的に同時に持っており本書では密接不可分なものとして理
解する調和のとれた競争を提案しているのであります。

そして人間は「消費者」(需要)であると同時に「労働者」(供給)であり、「国
家運営の費用の負担者」であると共に「国家政策の受益者」であるという二面性を
持ち、この場面場面により正反対の経済的行動をする自己回帰的な存在として把握
するものとします。

そして人工的進化システムの競争には人間は組織を作って行動する以上「主として
民間の組織同士の競争」(組織同士の外部競争方式)と「国などの独占組織の組織
内部の競争」(構成員個人による内部競争方式)の2つの重要な競争が存在するの
です。

そしてその各々の競争において必要な条件としては「自由(参加の)」と「平等
(対等な)」の正しい定義が厳格に守らなければ「フェアーな競争」による「進化
発展は実現出来ない」ことを理解して頂きたいのです。

さて進化システムは生物の進化の本質である「自然システム」が基本になります。
そして生物以外、人工的には自己自身で繁殖しながら進化する個体を作れないので、

「人間が作る人工の進化システムの本質」は、人間がより良い生活をするための生
きている人間の個人や集団としての拡大能力や増殖能力や進化能力を十分に発揮さ
せ活用し役に立つ手足となるような人工システムである進化システム(遺伝子とし
ての法律や制度など)を構築するのが目的であるから、まず上記の進化システムの
条件を備えた上に自然人である人間のより進化し、より幸福になろう、生き延びよ
うとする内在する強い力を引き出す心理や意識的無意識的な感情、嗜好、本性、特
質、相互作用など人間の自然で有機的な本質に合致したシステムでなければ効率の
良い進化システム(遺伝子としての法律や制度など)は作りえないのです。

つまり人間というものを「事実」として深く深く理解した上でシステムを組まなけ
れば良いシステムは作れないのであり頭の中で組み立てた都合の良い論理や理念や
観念だけを重視すると誤ったシステムや極めて不効率なシステムを組み立ててしま
うのです。

さて進化システムは自己自身が持つ、自己決定性や反復性や自己回帰性や自己拡大
性や自己進化発展性を最大限度活用するシステムであり、元手不用の自立的な自己
拡大システムであることが非常に優れた点であります。
 
つまり人間は他の生物と全く異なり拡大された遺伝子型と継承が可能な表現型を持
つ極めて特殊な生物であり、それこそが個人消費の拡大を通じて文化の発展と他の
生物には全く無い「経済の真の根源」である「経済の過剰性」を生み出しているの
であります。

このような概念を含めて経済問題の根本的な解決策を提案しているのが本書であり
ます。 生物の進化論から導き出された人類発展の進化システムは強力な力を内在
していることは既に述べた通り生物の進化と人類の文化発展の歴史が証明しており
ます。
                                

(人間の本性から生ずる経済の過剰性と、その過剰性の重要性)

そこで何故日本では普通に努力している山一証券、拓銀から始まって青木建設、マ
イカル、新潟鉄工所等の一流企業、一流銀行、一流保険会社が次々と際限なく会社
更生法等を適用申請し、会社消滅等の道を歩んでいくのでしょうか。

また何故ちまたの誠実に努力している多くの中小企業や商店街が経済不況に塗炭の
苦しみを味わっているのでありましょうか。

もし現状が異状であると真剣に思うならば行動を起こさなければなりません。
「知って行なわざれば、知らざるに同じ。」なのです。

さてこの真の原因は現代経済学では殆ど強調されておりませんが「日本国内の経済
の過剰性が急速に縮小しつつある結果の表れ」なのです。

それでは「経済の過剰性」とは何なのでしょうか。

実はこれは現代経済学では与件として研究対象から外されている人間の持つ生物学
的、人間行動学的、心理学的特徴から生じているのです。

地球上に生息する何百万種の動物・植物の内、唯一人間だけが持っているのが、こ
の過剰性の本能・特性なのです。

地球上に生活する人間以外の全生物は、その生物本来の本能に基づく行動、食性以
外に過剰性は、殆ど皆無なのです。

「経済の過剰性」とは個人消費の拡大を通じて人間のみが持つ「単に物理的に生存
する為に必要なもの、以上のものを欲求する性質・特性・本能」を言います。
我々人類は「個人消費」としてカネを支払って過剰性に彩られた「衣」を身にまと
い、過剰性の「食」に舌鼓を打ち、過剰性の「住」に居を構えて、協同して生活し、その個人消費の原資となる「所得」を稼得するために過剰性を競争しながら「生産」し、そして次の所得を得るためそれを「消費」している地球上唯一の社会的生物なのです。

したがって戦前の正しいと思っていた「欲しがりません勝つまでは」の標語は経済
的には最悪だったのです。

つまり人間社会では他の動物と全く異なり「個人消費こそが所得の源泉」なのです。

したがって個人消費額が減少すると、給料切り下げ、リストラが生じるのは当然な
のです。

だからこそ個人消費は規制してはならず「個人消費は自己拡大する性質を持つ進化
システム」であり、生産力はそれを裏打ちする「自己拡大する性質を持つ科学技術
が進化システム」であり、その「両者がシンクロナイズして合体した自己拡大する
市場経済進化システム」を形作るであり、原則を遵守すれば経済成長は時代時代に
適応し無限に続くのです。

この経済原理を理解しなければ、経済成長原理は全く理解できないのです。
したがって人類は一日たりとも、過剰性無しには幸福に生存できない生物なのです。

例えば人間以外どの動物がカネを支払って野球の試合を見に行くでしょう。
人間以外どの動物がカネを支払ってディズニーランドへ行きたがるでしょうか。
したがって株式市場の発展や金融の発展、年金、高度医療、社会福祉の発展などは
究極の経済の過剰性であり、「個人消費の拡大を通じてのみ達成される」のです。

人間は常にこれらを欲求として強く追い求める特性、性質があるのです。

このように生存する為に必要以上の欲求をすることが経済の維持発展を支えている
のであり、経済の過剰性という他の生物には無い人間文化の特異性そのものであり、「進化システムである個人消費の増大こそがこの人間文化の本質である経済の過剰性を根本的に支える根源」なのです。

それなのに「個人消費を減退させると経済の過剰性が急速に縮小し」結果として個
人消費が増加しない以上設備投資が不活発になり、更に土地価格の下落、株式市場
の不振が発生し先行き不安の国民が更に消費を手控えるという悪循環が始まり、預
金ばかりが増加しても、個人消費が増加しない以上、設備投資をする貸出先が無い
ので資金ばかりがダブつき更に不況による業績不振から既存の貸付債権も不良債権
化し、結果的に金利で経営を成り立たせる銀行は経営が成り立たなくなり、預金者
に金利も支払えず、自分自身も経営危機に陥っているのが金融不安なのです。

個人消費の減退は金融不安や資産価値の下落と極めて大きな相関関係があるのです。

しかるに何故日本では進化システムである個人消費が本来の進化発展を開始せず、
停滞し後退し不況を発生しているかは、ひとえに「個人消費に課税という規制を加
え、個人消費の増加を抑圧している消費税」による総需要抑制効果と間接税比率を
高め結果として直接税比率を低下させて国家を通じた所得配分が低所得者から低所
得者への所得配分という消費の増加に結びつかないシステムに固定化されてしまっ
た事によるのです。

消費税の個人消費抑制効果については、巻頭の四表で掲載の通り間接税主導国家に
おいて、選択の余地の無いくらいに全ての消費に対する課税の度合いが高ければ高
いほどその国家の失業率は高く、国民一人当たりの所得が低いことでも実証出来ま
すし、私が多くの消費者懇談会に出席し、日本全体の個人消費の70%以上を支配
し、一円二円の価格差で買い物に勝負をかける日本の主力消費者である主婦の実感
を調査した経験では、商品には消費税がついている以上、出来るだけ無駄なく買い
物し、買い物を節約すると回答した人が80−90%に達していたのです。

つまり「これらの事実」が消費税の個人消費の抑制効果の証拠なのです。
  
逆に商品コストの中に法人税分や従業員分の源泉所得税が含まれているから買い物
を節約する等という意見は聞いたことも無いし、またトヨタ自動車は巨額の利益を
出して法人税を商品コストの中に算入しているのでトヨタの車は買わない等という
意見も聞いたことがありません。

消費税も法人税も源泉所得税もあらゆる税金は消費者から見て企業の生産する商品
のコストに算入されているのは全く変わらないのに、これを意識させず個人消費の
拡大を抑圧せず巧妙に税収を上げるのが法人税、所得税等の直接税なのです。
したがって消費税だけが消費者が負担している税金ではないのです。

同時に人間に人件費を支払っている企業は、法人税を一円も支払っていなくても、
従業員を通じて、その生活費を国に代わって(大不況であれば国は失業保険金や生
活保護費を支払わなければならない)支払っている上に従業員の所得税、住民税を
負担しているのでありかつ、法人税を莫大に支払う高収益企業の原価を安く引き下
げ当該高収益企業の多額の法人税を支払うのに貢献しているのです。

赤字企業はけしからんからという理念観念で現状を良く分析もせず、すぐに外形標
準課税等を持ち出す誤った資本主義的道徳観は考え直さなければなりません。
                                目次へ戻る

(個人消費の70%以上の決定権を女性が持つ、世界で特異な社会慣行を持つ日本
における消費税制は、総需要抑制政策として作用し大きな弊害をもたらす。)

さて女性が個人消費市場の70%以上を支配している国は世界で日本以外では私の
知る限り1−2国しかなく、この特異な社会慣行はアメリカやヨーロッパ諸国など
の白人社会にも存在せず、もちろんイスラム教圏にもない特異な社会慣行であり、
よって日本では個人消費を規制する間接税の副作用が極端に表れる国家なのです。
現代経済学では余り強調されていませんが、男性と異なる脳の構造を持つ女性に受
け入れられる生理的、心理的に抵抗感のない税制にしないと日本では本質的に経済
の悪循環は断ち切れず、経済の良循環は決して達成しないのです。

個人消費の回復こそ「経済の良循環」の唯一絶対無二の方法なのですから。

つまり本来人間は時代時代に合わせ、環境環境に合わせて適応するために無常(常
無し)であり、生き残りたい幸福になりたいとする欲求は無限なのであり、個人消
費は時間と共に進化システムにより少しずつ増加するのが人間の本質なのです。
経済の過剰性はファッション、言論の自由、金融の発展、年金、社会福祉などあら
ゆる場面に表れ、その根源は人間のDNAに刻み込まれた人間の文化そのものであ
り、これを支えているのが経済的には「個人消費の拡大」が起点になり消費を所得
に変換して実現される「個人所得の増大」なのであります。

したがつて国民所得を増大させるには、その原資となる自己拡大が可能な進化シス
テムである個人消費を抑圧・規制してはならないのです。

成熟経済段階に達した経済状態になると労働生産性が機械化により極端に上がり、
少人数でも基本物資の全生産は可能になり大幅に人間が余り、そこに生産とシンク
ロナイズした増加する個人消費が存在すると余った人間が歌手として、野球選手と
して、アニメ製作者として、サッカー選手として消費を吸引する存在として活躍の
場が与えられ新産業が創出されるのです。

もし個人消費の増加を意図的に抑圧・規制すると余った人間を吸収するゆとりのあ
る需要が無く、結果として新産業が創出されず人間の活躍の場が狭まれ大量の失業
が発生するのです。如何に個人消費の進化システムによる自然の増加が必要かお分
かり頂けたと思っています。
                                目次へ戻る

(理念観念を重要と考える国会議員の後進性と、国民へ決定を任せる先進性)
さて日本では理念観念に凝り固まった政党などに支配され、国民の幸福のために満
足な行動が出来ない独立性のない国会議員という752人の少数のエリートで決定
した政策などに対しては、一億二千五百万人の国民の大部分は愛着や愛国心など持
てないのです。

国民の70−80%の反対を押し切り無理矢理に政党の理念観念で国会議員を拘束
し束縛し成立させた個人消費規制税制などは競争社会に生きる現実の国民環境には
全く適応しなかった結果が現在の大規模な経済不況をもたらしているのです。

情報公開が十分行われている環境において日本人の経済的愛国心を明確に発揮させ
るには大多数の国民自身(出来れば2/3以上の)が望む経済政策を一人一人の国
会議員が独立性を持って良心と良識によって、国民の大多数の意志を良く確認しな
がら政策を立案し国会議員の単純表決で議決し実行すれば、それだけで現場で常に
競争(必要なときは協同。以下同じ)しながら生活している感性鋭い国民大衆の主
体性つまり成功も失敗も自分自身の責任体制が確立されることになり、自分自身の
経済に悪影響のあるものは遠慮会釈無く淘汰し、自分自身の経済に良い影響のある
ものは遠慮なく選択し経済の流れはスムースになり「経済は良循環を回復し」日本
人も経済的愛国心を発揮できるのです。
 
国などの外部淘汰の働かない倒産の危険の無い組織の幹部は「弱い理念や観念しか
持ってはならず機関決定の正しい内部競争ルールの遵守意志が重要となります。」
さもないと危険な理念観念が淘汰されず、いつまでも生き残るからであります。 
しかし国家指導者の弱い理念は、国民の支持よってのみ強い理念に変われるのです。

これと全く正反対に民間企業経営者は常に外部競争に曝されており、その経営者の
理念観念ですら常に外部競争で淘汰され倒産が発生し不誠実な理念観念は自然にこ
の世から消滅するので民間経営者は強い理念観念を持とうと一向に差し支えないの
であります。理念観念の持ち方さえ民間経営者と国会議員では全く異なるのです。
そして国家は大多数の国民が望まない政策を強行すると、どんなに努力しても「望
んだ結果は得られず、停滞と後退が開始されるのです。」

しかし国民にまかせるとバラマキ政治になり、国家財政は破綻すると言う意見があ
りますが、それは全くの間違いなのです。真に国民と国会議員の一人一人が責任を
持って、政治を担当するようになると、国家の運営費である税の負担と国家政策の
受益が同一の国民自身が担っている事実を、良く自覚するようになり、国家財政に
対する目は現状より、はるかに厳しくなり、全ては国民の目線で行われるようにな
り、普通の人の家計の財布と同じように国家財政は改善されるのです。

そして国会議員は国民の為に効率を考えながら真の努力をするようになるのです。
つまり国家財政を税を負担してもいないエリートに任せる所に自分自身痛みを感じ
ることなく理念観念を持ちだして他人のカネを使用しているから破綻するのです。
そして絶対に間違ってはならないのが、国家の全税目の全税収は消費者である国民
が負担しているという現実です。

人間世界には人間しか存在しない以上、選挙権は人間しか無く、そして実質的に全
ての税は人間が負担するのであり、企業や組織が負担する税などこの世には存在し
ないのです。消費税だけが消費者が負担している税ではないのです。

学者の学説にごまかされてはならないのです。現実は全く異なるのです。

消費税以外に法人税も勤労者の所得税も社会保険料もありとあらゆる税金や負担金
は企業が生産し販売している商品・サービス原価の中へ算入され、消費者が全額負
担しているのです。
    
つまり国民は全て消費者でありますので、商品の購入を通じて、実は企業の法人税
も勤労者の所得税も巧妙に全額負担させていたのであって、消費税システムという
景気を悪化させ個人消費を減退させ経済のアポドーシス(自滅)招く恐れのある無
用の長物である消費税を特別に並列して創設する必然性は全く無かったのです。
したがって全ての税金が、全商品の商品コストに算入されて国庫へ回収される性質
がある以上、どのような理論を振りかざしても個人消費の増進無くしては税収の増
加は望めず、財政再建は果たせないのです。法人税による法律上の建前の納税者は
企業であっても、企業はお札の輪転機を持っているわけでもなく、天からお金が降
って来るわけでもなく、それ以外の儲けがあるわけでもなく、全ては商品を消費者
に購入して貰い原価を負担して貰う以外納税することなど出来ないのです。
だから「カネは天下の回りものなのです。」

成熟経済になれば尚更個人消費の増加力は弱くなるのであるから、少しでも個人消
費の抑制効果のある税制は取ってはならないのです。

それでは同じ個人消費に納税を依存している法人税は何故滞納が少なく、消費税は
ケタ外れに滞納が多いのでしょうか。それは法人税の仕組みが人間の特性に巧妙に
合致した税制で人間社会に心理的、生理的にも適応しており、それに比して消費税
は単細胞な税制であり、心理も感情も持つ人間の複雑な特性に適応出来ない結果に
過ぎないのです。

したがって消費税は結果として企業経営という主として男性社会でも事実として心
理的、生理的に適応していない税制なのであり、経済の良循環を阻んでいるのです。

なお付け加えれば何故「国税庁統計年報書」や「経済企画庁 経済要覧」の「租税
負担率」が国民所得で割って算出しているかというと、正に租税というものは全て
直接間接、対象納税者の如何を問わず人間である国民一人一人の個人消費を通じて
形成される国民所得が実質的に負担していることを明確に表しているのであります。

日本人は目に見える問題を改善するずば抜けた能力を発揮しますが、逆に日本人の
最大の欠点は「目に見えない真実を見抜く追究能力が乏しい国民性」と「大勢に流
されやすい国民性」を強く感じています。

このために常に日本人は正確な問題点の把握が出来ないために決定的に大きく判断
を誤る時があるのです。たとえ目に見えない問題でも事実かどうか常に疑い、徹底
して真実を追究する態度を失ってはならないのです。
                                


(アメリカを甘く見て親米路線から常に脱線する日本のエリート層の判断ミス)

親米路線であった明治、大正の日本と比較して、昭和の日本の「軍務官僚など」に
よるヨーロッパの全体主義に傾倒し反アメリカ的政策でアメリカを敵に回すという
第二次世界大戦の参戦の判断ミスと同様、戦後のアメリカに影響を受けた、親米路
線の成功が頂点に達した瞬間日本人特有の我々は特別であるというおごりが生じ今
度は「内務官僚など」による国民の強い反対を押し切ってヨーロッパ型の消費税の
導入という反アメリカ的経済政策を取るという判断を下した官僚と政治家の判断ミ
スによって引き起こされた、この不況は第二次大戦と同じく大規模な人災なのです。

消費税導入前には日本経済に良いにしろ悪いにしろ適応していたアメリカ的政策に
基づき対等の経済競争において本家のアメリカを大きく凌駕したにもかかわらず、
第二次世界大戦と同じく反アメリカ的政策(ヨーロッパ型の消費税の導入)を取っ
てから、わずか十数年で決定的に対等な経済競争に敗れたうえに、100年後には
日本では人口が6000万人程度減少し人口が概ね半分になり国内需要も半分にな
り苦労して実施している公共投資も多くが無駄になると言う、このままいけば日本
の歴史上かつて無い事態に見舞われることが予想されているのです。

これは第二次世界大戦の敗戦の比ではない国家の存亡にかかわる重大な問題を含ん
でいるのです。

しかもこの人口問題や経済問題は実に驚くべき事に、第二次世界大戦の敗戦国であ
る日独伊の旧枢軸国に共通の問題であるのです。

我々の思想哲学の中に何か基本的に欠けている問題があるのかもしれません。

なお政策がしっかりしているアメリカの100年後の人口は現状維持が予測され未
来の明るい展望も超大国の地位も安泰なのです。これらの事から日本のエリート層
による「国家運営の仕組みや考え方」に大きな問題があることを示しています。
やらなければならないことは徹底してやり、やらなくても良いことは絶対やら無い
という区分や区別が出来ていないために、ひどい有様が生じているのです。

まず正確な情報を元に基礎を改善しなければならないのです。

さて日本は事実として直接税比率を意図的に急速に低下させ、間接税比率を急速に
上昇させるに比例して「当初の未来予測と全く異なり」経済の不況の深刻化が急速
に進展していることが分かります。日本ほどではありませんがドイツも同様です。
それと全く反対にアメリカの好況の原因はアメリカ自身の多民族、多文化、多言語
で且つ地方分権国家という日本と比べて圧倒的に不利な非効率さを「直接税比率を
高く維持して後述の個人消費と所得の変換システムである経済の自己循環拡大シス
テムを強化」して経済の自己拡大を徹底して維持しているのです。

つまり日本、ドイツと対極の経済政策をとったアメリカと比較した結論から言えば
日独のように個人消費に対する間接税率を高めると本書で分析の通り進化システム
機能が大幅に低下し、経済の自己拡大機能が低下し経済成長が停滞し不況が必ず到
来するのです。

第二次世界大戦においてアメリカの政策を程度の低い政策と見てアメリカに戦争を
しかけたエリート層の判断ミスの結果引き起こされた敗戦の憂き目と同じ状況を二
度にわたり今我々は味わっているのです。アメリカの政策立案の確かさと奥深さを
良く研究し、決して外見の粗雑さを過大に低評価して甘く見てはいけないのです。
アメリカ社会はアングロサクソン中心の国家でありながら「出身民族や男女を問わ
ず国民に等しく厳格な自由と平等の権利」を与え、本人の「人間性と能力を十分発
揮させ」フェアーな競争の結果によってのみ国家の中枢さえも多民族で構成してい
る様子はこれ以外の方法は無いと思うほど将来の地球社会のあり方を先取りしてい
ると感じています。これは長い歴史による社会慣行と大多数の国民の一体化した意
識が伴わないと簡単に出来ることでは無いのです。

であるからこそ社会的インフラが全くなく現在まで独立後わずか224年しか経過
していないアメリカが何故世界一の超大国になり得たか、研究すべき対象なのです。

さて直接税比率を高く維持すると、時間の経過と共に本書の理論により消費性向が
高まり、個人消費が活発化し経済成長が開始し好不況の波がたとえあっても進化シ
ステムが良好に作用し経済成長は無限に続くのです。

つまり直接税負担は重くなるにしても、間接税負担は軽減し需要は潤沢になり経済
の過剰性は拡大し、国民所得は増大して株式市場は回復し、金融は発展し、年金、
社会福祉、医療制度、環境問題へ対応する経済的余力が生じ、そして普通に努力す
る企業は生き残る経済環境が得られるのです。「何故そのような結果がもたらされ
るのかを詳しく解説し理論を完成したのが、本書であります。」

また日本ではこの消費税の強引な導入を契機として新政党が乱立し、この十数年間
日本の政治風土に混乱が続き経済にも大きな悪影響を与えた原因は、正しい判断を
下すために個人の良心や良識を必要とする「一人一人の国会議員個人の意志の単純
表決で全てを決定すべき国会への国会議員の参加の自由と対等に平等であるべきル
ール」が与野党を問わず「政党」や「特定の実力者」と言われる国会議員の「目的
のために手段を選ばない政治ルールの曲解を平気で許す日本の社会慣行の存在」か
ら党派性や理念、観念を優先させる党議拘束や束縛によって権謀術策がまかり通り
国会議員個人の意志が左右されるのを間近に目にした国民の反乱が選挙に表れ混乱
に拍車を掛けたのです。

日本にはこの様にあらゆる分野に渡り「一人一人の国民と国会議員に対する自由と
平等の厳格な必要性が真に正しく理解がされていない」社会慣行が存在するところ
に「社会経済の進化発展が停滞したり方向が誤ったりする根源的な原因」があるこ
とへの理解が遅れているのです。

特に一人一人の国会議員には形式的にも実質的にも全くフェアーな自由と対等な平
等が保証されていないと強く感じています。

それと正反対にアメリカの好況の原因と政策の正しさは、「政党の全国組織が無く
党委員長も党代表などの政党エリートが存在しない、党派性が希薄な特異な政治シ
ステムを採用している国家であるために、国民一人一人と国会議員一人一人に参加
の自由と対等に平等があらゆる分野で徹底され、国民環境に良く適応した政策をフ
ェアーな競争によって選択される」進化システムを強化することでこれを乗り越え
て発展しているのです。

日本においても、国民が選挙の投票において公職選挙法を適用されるのと同じ程度
で、国会議員の国会における投票活動(採決)においては、憲法にも主要な法律に
も基本規定が存在しない任意団体である政党が国会議員に対して党議拘束や束縛す
ることを禁止すべきとする筆者の理論(憲法も同趣旨)の正しさを証明しています。

さて選挙民はその独立性を保証するため国会議員からでも、他の選挙民からでも、
1000円を受け取っても買収として徹底的に警察に追求され、罰せられると言う
のに、国会で投票する国会議員が有権者個人からの献金を受けるのは良いとしても、有権者とは無関係な政党や他の団体や企業や他の国会議員からの莫大な寄付を合法としている現在の政治資金規制法によって、有権者のみの代理として国会採決を行う国会議員の行動に寄付者が強い影響を与えフェアーな競争を歪め「カネまみれの政治を法律が容認し」、さらに政党の人事などによる影響力の行使など各種の方法で実質的に国会議員を陰に陽に影響を与え束縛し拘束していることは明らかであり、これらが有権者の意志ではない「政党や他の団体や特定の国会議員の理念観念を優先させ」国会議員の採決に重大な影響を与え国の進化発展を歪めているのです。

国会議員は憲法の趣旨に従い、国民と国権の最高機関である国会にのみ忠誠を尽く
さなければならないのです。

したがって国会議員は間違っても政党や政党の幹部や特定の国会議員その他の利害
関係者の理念観念に忠誠を尽くしてはならないのです。

そしてそのような国民や国会に対する忠誠心に基づくフェアーなルールの多数決で
採決された時に限って、その法律については強制力が生じ個人的意見が例え反対で
あっても、これは遵守しなければならないのがルールなのです。

もちろん時代と共に反対意見が優勢となり、国会採決で否決されればその法律は廃
止されるのであり、固定的理念無しの無常(常無し)の世界なのであります。
このような政治慣行が確立するよう規制法規を立案すべくマスコミは啓蒙しなけれ
ばならないのです。

アメリカの独立宣言で述べられているように「政府の権力はそれに被治者(国民大
衆)が同意を与える場合にのみ、正当とされる」という現代民主主義の究極の哲学
が大前提であり「その時々の世論を重視するアメリカの政治スタイル」として確立
されており、本書はこれと極めて似た結果を説いているのです。

それこそが遠回りのようで最も日本に豊かな社会経済を構築する早道なのです。
特に日本はしっかりした選挙制度が確立しており、選挙期間が短い欠点を除けば、
国会議員の選挙区も余り広くなく、そのためアメリカと比べて選挙費用は少なくて
済む分、アメリカの選挙制度最大の問題点である経済界や労働界の献金者の大きな
政治に対する影響力は、日本では少なくて済み、逆に日本において大きな問題であ
る政党の影響力とカネを使って他の国会議員の意志や意識に影響を与え、自分の野
心を果たそうとする行為を禁止すれば資金集めも最小限度で済み、政治分野でのフ
ェアー競争が確保され日本の経済は国民という人間環境を的確に反映し通説とは正
反対にアメリカより良い方向へ進化する可能性の方が極めて大きいと考えています。

政党の影響力は小さいとしても、大口献金者である経済界の意見が大きい影響力を
持つアメリカ政治における経済の方向性のチェック機能の脆弱性の危険は常に感じ
ています。そして日本人の持つ国民性が全体として決してアメリカ人より劣ってい
ないと筆者は実感しているからであります。

自国のルールやシステム(法律や制度など)を決定するのは「素粒子と同様に相互
作用を持ち自由な意志と意識」を持つ「国民一人一人」と、国民の声を代弁する
「国会議員一人一人」が完全に独立性を保ち、形式的にも実質的にも「完全な民主
主義」へ近づけば、経済はより一層発展し需要に満ちあふれ失業の少ない社会を実
現できるのです。

そしてこのような政治改革が早く確立していれば、昭和63年の国民の世論からし
て本来ならば消費税法などが国会で成立することはなかったのです。

そしてそれが実現すればするほど国民一人一人の身近な人間環境、地球環境の変化
に適応しようとする意志や意識が国家政策に素直に反映され、国民環境や地球環境
へ適応し生き残りを目指す良い経済政策が選択され、適応しない生き残れない悪い
経済政策は淘汰され、「経済成長は進化システムによって、人間環境、地球環境へ
適応しながら常無く無限に続くのです。」

したがって政党の役割は、「秘密結社ではないので一致団結を決して目指してはな
らず、バラバラの国会議員の意志を束縛や拘束してはならず」、「似たような思想
の有能な政治家が党議拘束をしない緩い集合体の政党を作り、そのような政党の存
在の中で国民と国会にのみ忠誠を尽くす良心と良識に基づく国会議員の単純表決で
物事を決する体制を作る」べきなのです。

政党の役割は、全国組織を保持するのであれば、この「国会議員の意志の束縛拘束
機能を厳しく規制し、これ以外の政党本来の機能の充実を計るべきなのです。」
この競争条件が遵守される環境で全ての国民と国会議員が参加するフェアーな内部
競争で、国家内の全ての善悪が決定されるのが真の大衆主導の民主主義なのです。
この「根源的な意義を正確に厳格に理解しなければ成熟経済においては経済も社会
も的確な進化発展は得られないこと」を、まずマスコミ関係者が目を開かなければ
なりません。 

進化システムでは「国家には自由と平等以外のあらゆる理念、観念は不要であり」
「その時代その時代の問題毎の善悪、適不適の判断は一人一人の国民と国会議員に
対してフェアーな自由と対等に平等が厳格に守られた環境での国民と国会議員の意
志の単純表決で形成される」システムつまり「真の民主主義」が必要なのてす。
つまり自分のことは自分で決める自己責任原則と自分で決めた結果は自分に戻って
くる自己回帰原則が働くところに「国民と国家の反省と進歩」があるのです。

このように特に国会議員に対するルールが日本では徹底していないところに、中立
を厳然と守っていたアメリカに対する真珠湾奇襲攻撃に始まる第二次世界大戦への
日本国の参戦が決定され、また昭和63年当時の世論調査によると国民の70−8
0%の反対にかかわらず与野党問わず理念観念を優先し、お互い一致団結するヤク
ザの組織か秘密結社のようにお互い党議拘束を平然と行い国会議員の自由であるべ
き意志を束縛し政党主導によって国会での国会議員の良識を封じ込め洗脳し党議拘
束して消費税が導入されたのです。

そして当然のように国民意志に反した決定を怒った国民によって導入直後の参議院
選挙には、政権与党が記録的な大敗を喫し、長年に渡る政治経済の大混乱の始まり
となったのです。

この問題は憲法の第9条問題より、はるかに根源的な真の民主国家として重要な問
題なのであり、第9条問題などは本件が真に解決すれば歴史と国民意識の変化と共
に、その時代時代に適応した解決策が採択される問題なのです。 

一人一人の国会議員のフェアーな自由と対等な平等の遵守つまり独立性は何にも増
して重要であり、この点マスコミ関係者は徹底して政党批判を行わなければならな
いのです。

そこで全ての国民が選挙で投票する時に厳しい公職選挙法を適用されるのと同様に
国会議員にも国会採決という投票行動においては、現状とは全く異なる公職選挙法
と類似の金銭や人事で影響力を行使できない完全にフェアーな自由と対等に平等が
守られる規制を法律化し、政党などの強い影響を受けず誰からも独立した「日本の
最高裁判所の判事や政党の全国組織が無く党委員長も党代表も存在しないアメリカ
の国会議員に近い独立的な性格を持つ税の負担者であると同時に政策の受益者であ
る国民のみに影響を受ける国民の代表者としてふさわしい国会議員一人一人が自ら
の良識と良心のみにしたがって判断し行動できる、国会議員の存立基盤」を構築し
なければ、国家の真の進化システムの作動能力は著しく低下するのです。

国会議員一人一人の独立性を確保する法律整備は緊急を要しますが、政党のあり方
や政党助成の方法、選挙制度を含め極めて広範囲で根本的な作業が必要になります。

そしてこのような国民や国会議員一人一人に対する自由と平等が形式的にも実質的
にも厳しく守られている国であればあるほど実は経済も社会も発展しているのです。

この点はそのような国の実例や経済発展の理由を本文で詳しく解説しております。
                                


(直接税国家と間接税国家の経済格差の実証的研究)

さらに元ジョンズホプキンズ大学八田達夫教授が1986年データーをもとに国民一人
当たりGDPと直接税比率の相関関係を自著「消費税はやはりいらない」で表して
おり、人口の多い大国(つまり国内市場が大きく結果として自国のみで総合的な消
費市場を形成し外国の影響が少ない国)では明らかに直接税比率が高い国家ほど国
民一人当たりのGDPが高いことを、明確に指摘している。

つまり各種の要因があるとしても、意図的に間接税の比率を低く設定し、直接税の
比率を高くすることが本書の指摘通り個人消費と所得の自己循環拡大システムが良
く機能する結果として国民一人当たりのGDPを高める大きな要因になることが現
実の統計的にも証明されているのです。

消費税導入前の日本が正にその典型だったのです。

これらのことから日独という何かというと「理念観念に基づく言葉のコンセプト」
を持ち出し、これを「演繹推論で拡張するマクロ思考の強いエリート主導国家」で
ある旧枢軸国は、エリート自らの理念観念を実現しようと、第二次世界大戦の開戦
時の判断と同じく、特に日本は意図的にこの十数年間一貫して国庫収入の直接税比
率を引き下げ間接税比率を引き上げた為に、自らの未来予測と全く反し結果として
自己回帰的に不況に突入しているのに対して、アメリカは自由と平等以外固定的理
念や観念を持たず「現実の諸事実」に基づき国民大衆の判断を優先する「帰納推論
のミクロ思考に基づく多民族、多文化、多言語の地方分権国家という非効率な大衆
主導国家」であるのにかかわらず、自由主義陣営国のリーダーとして成熟経済にお
ける経済成長を達成するためには経済環境つまり人間環境に適応する正しい判断を
下すことが第一義と考え「国民とそれを代表する国会議員一人一人にフェアーな自
由と対等に平等の判断が下せる環境を堅持した競争条件を遵守」し経済成長に良い
効果があり且つ国民一人一人の個別の成果を正しく評価し個人消費と所得の自己循
環拡大システムと変換システムの役割を持ち且つ国民相互に実質的に適正な競争条
件を実現するためハンディキャップを与える税制(強い者の頭を押さえ競争力を平
準化する思想つまり競争力均衡化の思想)として厳しい直接税システムを維持する
のが最善と判断した結果、弱いものも競争に参加しやすく国民が能力を最大限度に
発揮し経済は好転し自己回帰的に経済の回復と記録的な財政再建が図られたのです。

つまり「景気」と「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争と直接税制」は「自
己回帰的な相関関係」があることは明らかであり、したがって因果関係論から、こ
れらが原因となって「国民へ失業の少ない良好な経済環境と同時に税収の増加」と
いう結果をもたらし、また目的論からそのような自由と平等と税制を構築する目的
を達成するには、本書のように好況をもたらす「真の原因を徹底して分析」しなけ
ればならないのです。

進化システムに適応しやすい世界でも唯一帰納推論を主として駆使して論理を構成
し、物事の判断を決定するアングロサクソン民族の本家であるイギリスとその分身
が建国したアメリカの経済発展の違いは、正に「人間個人個人の自由と平等」と
「直接税比率の高さ」をどれだけ徹底しているかに掛かっているのであります。
つまりイギリスはアメリカより民族的に遥かに単一性を保ち国家の存立基盤として、有利な条件を持っているのにかかわらず多くの貴族やそれらに類似の身分制度を維持し、微弱とは言え人間個人の自由と平等に反し、実質的に生まれながら差異を認めている社会であるため、人間個人の能力が十分競争によって切磋琢磨され開花する社会でないことと、またイギリスでは全国組織の政党が存在し党首が率いる党中央が国会議員を管理統制する仕組みが出来上がっているため、独立性のある国会議員個人の自由と平等が遵守されて各々の競争(協同)によって物事を決着するシステムが出来上がっていないので国民環境に良く適応した政策を立案する国会議員の能力が開花する機会が少ないこと、直接税比率が低く個人消費と所得の自己循環拡大システム能力が低い間接税重視の税制システムが原因となる等、アメリカとの間に大きなシステムギャップが存在し、これがアメリカとの格差を生じる原因となっているのです。

アメリカが建国時に「自由と平等の徹底」を掲げたことは、進化システムを意識し
て行ったわけではないが、これが偶然にも進化システムの基本概念だったのです。
進化システムは自然システムと全く同一な「無常(常無し)」と固定的理念無しで
「輪廻」という自己回帰原則のシステムであり、人間の幸福を追求するという不可
能な事を実現するために「参加の自由と対等に平等にフェアーな競争の結果」で、
これを実現しようとするシステムなのです。 
 
そしてそれこそが自然の生態系がそうであるように、自然システムが素直に働くと
ころに、豊かな自然が形成されるのと同様に、進化システムが素直に作動する環境
こそ豊かな社会を築く基本となるのです。 
  
この様な哲学で日本を改善できれば、科学技術や生産技術ならびに社会システムで
ある教育面や医療福祉面などの点で日本は潜在的にアメリカより良い面を多く持っ
ており、経済面でも必ず再度アメリカとフェアーに対等に競争し追いつく時代が来
ることを私は確信しているのです。

さて本文で詳しく指摘していますように「日本は女性が家計支出の大部分を実質的
に支配している世界でも希な特殊な社会慣行を有する国家」であり、日本経済をア
ポドーシス(自滅)から救い、再度経済成長を開始させ財政再建と本格的景気回復
を同時に達成するには個人消費の回復を図る以外に方法は無く、したがって人間に
内在する幸福になりたいとする強い意志に基づく本能的な力で個人消費を自由に拡
大増進させる進化システムの力を活用しながら、直感力に優れた女性に受け入れら
れる個人消費を規制しない経済税制システムが必要であるという事実認識が必要な
のです。

私は日本に存在するこの特異な女性主導の個人消費システムは今後将来とも世界の
中で経済競争に勝ち抜くには、その文化のオリジナル性と特異性のゆえにこれを踏
まえて政策を立案すれば非常に有利な点であると考えているのです。
                                目次へ戻る

(経験不足の未来予測と、消費に回らない過剰貯蓄が問題であり、それには経済学
において与件として研究対象から外されている分野の研究が重要です。)
さて既存の経済理論は後段記載の六分野の与件(p179参照)の上に成りたって
おり「財政政策」「金融政策」は現状の経済の微調整手段に過ぎないのです。

したがって現代経済学の欠点を大きく補完し与件無しの現実の競争社会において、
経済成長を実現するには現代経済学の与件(前提条件)として研究対象から外され
ている分野にこそ、経済停滞の真の原因が潜みこれにメスを入れ抜本的に進化シス
テムへ改善する手法が今求められており、それが実現してはじめて1億2500万人の
国民自ら個人消費の創造を開始し個人消費を自己回帰的に拡大しながら、これを国
民所得へ自動変換し、本格的景気回復と財政再建を達成することが出来るようにな
るという事実認識が必要なのです。

今回の不況はエリートによるこのような事実認識の不足に基づく経済の微調整手段
にしか過ぎない「財政政策」と「金融政策」という小手先の経済政策に大きく頼っ
たために引き起こされた度重なる失敗と当然のことながら政策の未来予測が全く誤
っていた結果に過ぎないのです。

そしてエリートという人達の最も不得意の分野が、「問題点の把握という現場のた
たき上げが持っている索敵能力」と「経験豊かな未来予測」なのであります。
「日本人の国民性や現状を苦労して良く調査もせず、税制理論の基本を自ら徹底し
て追求もせず、手軽に見た目の良い海外の手法や理念ばかりを良く研究し、快適な
机上で仕事をしているエリートの方々の、厳しい現実における前提条件無しでの経
済競争の中では、現実の分析からかけ離れたこのような手法と演繹的論理で政策を
立案した場合どのような結果がもたらされるかの、未来予測の正確性に全く欠けて
いる」のです。未来予測の正確性に欠ける政策など立案する意味すらありません。

したがってエリートの方々は現実の政策を立案する時に日本人のあるべき「理性的、合理的、理念的」な精神部分のみを取りだし都合の良い演繹推論だけで論理構成するのではなく現場で厳しい経験を積んで人間の社会動物的側面である「利己的遺伝子」によって発現する、日本人独特の社会慣行に根ざす「利己的意識、利他的意識」の意志を持ち個々別々に判断し、さらに「相互作用」を発揮しながら行動する「人間の現実の利己的行動や利他的行動の入り混じった現実の心理や行動を予測し帰納推論しなければ実効ある経済政策を立案し未来を予測するなど出来ない」のです。
                                


(貿易黒字を貯め込む弊害について)

また同様に国家が貿易黒字を貯め込むことも、日本が金持ちになったと錯覚してい
るだけで為替相場を通じて経済学の基本である購買力平価以上の円高になっており
国家経営的には「商品・サービスの販売において適正な価格形成という産業政策の
根本において大きな弊害」つまり輸入品と国産品さらに外国人件費と国内人件費の
大幅な為替差による価格差を日本の産業界へもたらし国内経済や雇用の空洞化と輸
出採算性の悪化や安い輸入原料に対抗できない新製品や新規産業の創出まで阻害し
ているのです。

まず「国家は結果として国民を幸福にするために存在するのであるという大目的を
正確に認識し」、その上で経済構造を適正に保つためには、経済学や経営学の基本
である「企業経営にとって国内外のフェアーな競争条件を保つ根本的な条件となる
為替相場を購買力平価に近づける必要」があり貿易収支ゼロ目標値を定め基本に忠
実な輸出入政策、為替政策を取るべきなのです。

自由貿易体制であるからコントロール不可能であるという言い訳は常に不可能と戦
って利益の追求を行っている民間企業や競争社会で常に困難と闘っている国民には
全く通用しない論理なのです。不可能であるからこそ、その実現に努力する国家が
必要なのです。

輸出入に関する個別企業の情報公開や啓蒙活動や国内需要を大幅に上回る生産設備
増強は規制し出来る限り現地生産を奨励し、それらの個別企業の情報公開や規制な
ど国際ルールを破らないで貿易収支ゼロ政策を国民や企業へ協力を依頼する方法は
いくらでも存在するのです。
 
貿易政策の基本は輸入代価を支払うための輸出に原則として限定するべきであり、
それ以上の他国への輸出は、直接投資で当該他国への民間の経済協力と当該他国の
国家と国民の努力と協力して行うことが結果として日本文化や生産技術や経営技術
の伝播や当該他国への身になる援助となると考えています。

さらに今回の「ニューヨークのテロ事件で明からになった教訓」は経済の安全保障
問題です。 

5000万人が戦死した第二次世界大戦と比較すると遥かに小規模なしかもテロ事
件においてさえ「航空路の安定性が破壊され」これによって海外からの物流(部品
や製品輸入など)に支障が発生したことを考えると日本周辺で万一事変が起こった
場合「航空路ルートならびに海路ルートの物流が完全に遮断されることは明らかで
あり」「日本国民の生命を維持する生産を安全確実に行えるのは、国内に残留して
いる国内産業だけ」なのであるという認識が重要となります。

しかし筆者は国内産業を保護しろとか有利にしろとか主張するつもりは全くありま
せん。

言うなれば「不利にするな」と言うことであり「国の内外を問わず」競争条件を平
等にしろ、競争力を均衡させろ、そのために為替相場は購買力平価を実現するため
に貿易収支ゼロ政策を推進すべきだとする当たり前の主張をしているのです。
私の主張は「国内産業には国民への所得配分機能と雇用の確保機能があり、さらに
国の安全保障機能がある」のであるから、少なくとも「国内産業をそのような機能
の無い輸入(海外産業)より不利に陥れてはならないという原則」を国家は遵守し
なければならず、成熟経済に達し且つ基軸通貨でない円の為替相場では国家は海外
産業と自国産業の競争力を平準化する貿易収支ゼロ政策を確実に実行し、経済学の
基本である購買力平価を実現し国内産業が長期に渡って海外産業と正しい競争が出
来る「競争力の平準化環境」を遵守する事が自由貿易の理念より重要なのです。
                                

(税制改革による自動循環型自己拡大経済システムが未来の日本を築く基礎)
そこでこれらの点を踏まえて生命維持装置のような消費と所得の自動自己拡大循環
型の巧妙な経済システムが必要になるのです。
  
まず国民にとって真に役に立つ進化システムである日本の市場経済機能を完全に回
復し、結果として日本経済を自動的に自己進化拡大する真の市場経済体制へ再構築
することを基本命題とします。

(1)市場経済における「需要の自己増加エンジン」である進化システムの「個人
   消費」は自己決定性や反復性や人間のより幸福になりたいとする本能などに
   よる自己拡大性を持つので規制しなければ自動的に増加しようとする本質的
   な特性がある。

   これと進歩しようとする特性がある進化システムである「供給の自己増加エ
   ンジン」の「科学技術」が供給力の拡大と増大をもたらし、両者がシンクロ
   ナイズして自動的に自己拡大進化する需要と供給の合体した進化システムで
   ある市場経済システムを構築しているのです。

   したがって左脳である論理脳を活用する男性が消費の主導権を握っている白
   人のキリスト教社会などと全く異なり右脳の直感脳を併用する女性が消費の
   主導権を握っている特殊な社会構造を持つ日本では、「次々と強化される個
   人消費への規制が原因」となり、これを直感的に総需要抑制政策と見抜き、
   過敏に反応し、供給力の増大にもかかわらず個人消費が過剰に規制抑圧され、
   需要が極端に不足して経済成長が実現せず国民所得が低下し、失業が増加し
   ているのです。

(2)そこで「経済成長の出発点」となる、進化システムである「個人消費」に対
   する「徹底した規制緩和」を行い心理的や経済的負担を課する現状の規制を
   全廃し、個人消費(その商品の生産に携わった人々への、所得を得さしめる
   利他的行為)の増加を規制しない女性にやさしい抵抗感のない経済税制体制
   を実現し進化システムにより自動的に増加する本質を持つ個人消費の自然な
   増加を図る。

   また個人消費は表現の自由の一形態でもあり本質的に規制してはならないの
   です。

(3)さらに「個人消費と設備投資が所得へ変換される原理」から「個人消費」の
   増加は「所得」の増加をもたらすので、「税収の確保」を図るため自己決定
   性も自己拡大性も無い非進化システムである「所得」に超過累進課税の直接
   税を強化し税収の増加を図る。

   他人から得るしか方法がない自己決定性も自己拡大性も無い非進化システム
   である「所得」に課税を強化しても需要や経済成長へ悪影響を与えず、やり
   方次第で経済成長の促進作用さえある。

   これによって結果として「消費性向の低い」高額所得者や法人から徴収した
   税収を国家機関を通じて「消費性向の高い」中低所得者や赤字法人へ、実質
   的な所得分配が実現し「国全体の消費性向を高める個人消費の拡大循環シス
   テム」が完成する。

   これによって消費市場は更に拡大し力の強い高額所得者は納税に見合う更に
   大きなチャンスを得ると同時に中低所得者も普通の生活が送れるようになる。

   副次的効果として超過累進課税により、個人、法人の競争力の平準化効果も
   ある。

   それに対して現状の間接税制による消費性向の高い膨大な数の中低所得者層
   より、消費を削減させて得た税収を、国家という非効率機関の莫大なエネル
   ギーを使用して再度同じ中低所得者に所得を再配分する現状のシステムは
   「経済的に何の意味があるか意味不明な非進化システム」であり「消費性向
   の低い高額所得者の膨大な余剰所得をそのまま取り残してしまうため」個人
   消費の拡大循環には全く役に立たないのであります。

   「個人消費」が活発にならなければ設備投資は活発化せず、それが不況をも
   たらし貯蓄ばかり増加しても企業業績は悪化し銀行に国内の貸出先が無く、
   預金金利は低下し銀行経営は不安定になり日本の資金は海外の投資先に流れ
   日本国内の資金需要は細るばかりで経済の回復は全く実現しないのでありま
   す。 

   これらの結果は統計書や学者や専門家が発表している直接税国家の方が間接
   税国家より国民所得が高い事実でも立証されている。

(4)このように需要側の個人消費自動拡大システムと供給側の科学的生産自動拡
   大システムの並立こそ市場経済の根本であり、このシステムが完成すれば個
   人消費は自動的に拡大を開始し設備投資も活発化し「結果として人間は消費
   を所得へ変換して経済生活を営んでいる」ので、これによって国民所得の自
   動的な増大システムが完成し、少し時間が掛かっても「経済成長と財政再建
   の同時達成」が実現されるのです。

   そして国内経済は自ら国内で生産したものを自ら大部分国内で消費するとい
   う原則つまり人間は消費者であると同時に生産者であるという自己回帰原則
   が維持されるときにのみ他国に影響されること無く「経済の循環と拡大が適
   切に達成される」のであります。

   これは進化システムを十分活用すれば人類の経済発展の歴史が他の天体から
   隔絶された地球という完全閉鎖系の経済環境でも十分発展している事実で証
   明されており、一部輸出入が生じる不完全閉鎖系である国家経済もまた地球
   環境における資源や原料の偏在による貿易を除けば、国家の置かれている実
   状や地域に適応した個別の発展が十分可能なことを示しているのです。

   これはまるで自然環境における生物が「競争を通じて」その環境環境に応じ
   て独自の進化発展を遂げて分化と系統に分かれ豊かな自然を形成するのと極
   めて類似しており、経済も生物の進化も同じ進化システムの流れの中に存在
   しているのです。

(5)しかし国民の真の幸福を追求するために「地球の有限性」や「熱力学エント
   ロピーの法則」からの実質的制限が経済に付されるのはやむを得ない事実で
   あり、時代時代に合わせた個人消費の選択肢の無限の拡大を担保すべく個人
   消費の方向性を確定する、その時代に適応しようとする「真の進化システム
   が機能する政治改革」つまり生き残ろうとする国民意志の総和を正しく反映
   することが必要になるのです。


(6)この日本の「市場経済と政治」の自動拡大進化システムの完成により、天下
   の大軍である1億2500万人の膨大な国民が一人残らず進化システムに基
   づくこの市場経済システムによって活動を始め、日本の市場経済は少しずつ
   拡大発展を開始し、加速がつきはじめ同時に国民の自由な意志による、その
   方向性も試行錯誤しながら最適化へ動き出すのです。

   日本人の国民性や社会的雰囲気から判断すると一見組織に流されているよう
   に見えて、実は「努力する人間個人を重視する思想、いわゆる個人主義の重
   視」は進化システムを構築するのに極めて有利な国民性の条件であり、さら
   に国民意識として高額所得者の莫大な寄付が社会基盤になっている、民間社
   会福祉が発達しているキリスト教圏やイスラム教圏と異なり、日本国民の利
   他的意識は任意の篤志家による寄付に頼る協同体意識より、直接税を強化し
   ても国民全体の協力に基づく国家による強制的な相互扶助的な公平な協同体
   意識を重視しているので、その経費に相当する部分は他国より税率が少し高
   くても直接税の強化を受け入れやすい土壌が存在しています。

つまり以上の結論は1987年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソロー博士
(アメリカ)の「供給側の科学技術の進歩」こそ経済成長の唯一の根源であるとす
るソローモデルの考え方を、本書では更に発展させ経済成長を説明するのに進化シ
ステムの概念を取り入れ「科学技術」が進化システムであるところから成熟経済に
達した日本では「需要側の進化システムの本質を持つ個人消費の完全な規制緩和つ
まり個人消費の進化システムへの再構築」もあわせて重要であり、さらに「需要と
供給を結びつける本来は進化システムの本質を持つべき形式的民主主義体制を更に
強化し一人一人の国会議員の意志の総和が素直に反映できる、大衆主導の進化シス
テムによる真の政治改革」を実現することを、ソローモデルに付加すれば個人消費
の力強い増加と、進化システムによって消費の方向性を政治が定めることが同時に
可能となり「成熟経済でも力強く適切な方向性を持つ国民の幸福に役立つ経済成長
が可能」となる基本を発見したのです。

このシステムは一見アメリカのシステムに似ているように見えますが、得られる結
果は必ず日本的な結果になるのです。それはルールは似ていても我々日本国民はア
メリカ人ではなく、日本人であり日本人に適応した結果のみが選択され、淘汰され
るからであります。
  
さて戦後43年間かけて焼け野原の無一文から民主主義や市場経済などの進化シス
テムの絶大な力により「日本国民の内在する力を顕在化させる」ことによって好不
況を繰り返しながら「本当の無」から3200兆円の「有」の国富を産み出し世界
一の経済大国に成長した日本が44年目(平成元年)以降、進化システムの作動が
衰え景気の循環を失い不況の連続で経済が瀕死の状態が続いている理由は以上の通
りなのです。

本書では、システム工学が「国民を対象とした制度や法律をシステムとして認識」
することが出来ますので、このシステム的概念を徹底して解決策に活用するべく、
「実用的で確実に効果の出る進化システム」を提案しているのです。

そしてシステムを理解する上で重要なポイントは、システムには「進化条件を備え
た進化システム」と、そのような条件を備えていない「非進化システム」の区別が
存在することです。

そして法律や制度などの「人間社会のルールは遺伝子のような役目をする」ので、
これを進化システムへ大改善すると、法律や制度へ進化システムが注入され、良い
遺伝子として作動し「結果として国家経済は自動的に良好に進化発展する」のです。

戦後43年間の経済を分析すると、この時期細部は別にして基本的な部分は世界で
唯一と言っていいほど日本の経済システムに完全に近い形で実質的に進化システム
が作動していた時期であることが本書は詳しく指摘しているのです。
                                


(シングル・スタンダードの重要性について)

日本の現代社会において、「国民一人一人、国会議員一人一人につき参加の自由と
対等に平等とフェアーな競争(協同)原理」と「不合理にならない範囲内で国家は
国民一人一人(企業一社一社)、国会議員一人一人の競争力の均衡を図る原則」と
が正確に理解されているかどうか、色々な法律、制度を徹底して検証してみると、
国会議員に参加の自由と対等に平等な競争条件が整備されていないため「政党の理
念観念によって」それらの法律、制度の競争ルールが多くの点で意図的に強くゆが
められているのが放置されたままになっていることが分かります。
 
人間は大人になり異性と付き合い、結婚して未来の国家を託す子供をもうけ扶養し
教育し独り立ちさせ、いづれ老いて老後を送るのであり、そして人生は無常でリス
ク(危険)が伴うことを、全ての人間が知りうる故に、人間はどの段階を進むにし
ても「勇気と覚悟」が必要になるのです。

したがって国家の重要な機能としては「国民一人一人につき切迫した危機が生じた、

あらゆる異常時には、無条件で危機の内容に応じてサポート(応援)の体制」を設
けて、国民の「次代の国家を支える国民を育てる最小単位である家族」を維持する
「勇気と覚悟」に答えなければならないのです。

「切迫した危機でない問題」に莫大な国費を使用する政策を立案し、「切迫した危
機」に対して充分な対策を立案してこなかった不平等さが問題なのです。 
 
更に「家族」を形成するシステムを保有している利己的意識と利他的意識を持った
社会的動物としての根源的な人間の生態を遵守して誠実で正直で勤勉に生きている
「大多数の普通の家族を形成している国民を公正であるべき通常時の生存競争や経
済競争において不利にしているあらゆる政策」が日本を経済不況に陥らせたり10
0年後に人口が半減させたりしている現実をもたらしているのです。

つまり家族というライフスタイルを取るか取らないかという家族的要素によって、
本人に有利不利を国が作ってはならない、という公正競争条件が必要なのです。

同じように直接税で行われている、健常高齢者本人への税の各種減税制度は、普通
の成年労働者と比較して「弱者救済的理念観念」によって異状に手厚く減税されて
おり、税制上本来は競争ルールを同一にすべきなのに「事実」として成年労働者と
比べて特に個別的な理由なく公正な競争条件が保たれていないことが、結果として
成年労働者の負担を重くしており、競争条件の大きな歪みとして表れてきています。

この健常高齢者を含めた税制における全国民統一の競争条件の均一化の方向(個々
の所得に対しては超過累進課税)は重要な課題になるのです。

しかしながら逆に健常者と比べて競争条件が極めて問題のある特別障害者などへの
配慮が税制上充分でなく、ここにも生活する上での競争条件という、事実としての
「個別対応政策」が充分ではないのです。

つまり国家は人間の生命に切迫した危機等の「異常時に対応する個別対応政策」と
通常の「正常時に対応する一般政策」とを常に区別して異常時の個別対応対策は手
厚く、正常時の一般対策は広く薄く政策を立案する必要があるのです。

つまり社会を歪めず進化発展させるためには「本人の選択意志が関与できる正常時
に対応する一般政策については対象一人毎の同一基準で競争する環境」つまり「シ
ングルスタンダード化」を徹底して計ることが、最も財政需要を最小限度に止め、
且つ適正な社会経済の進化発展が期待できる方法なのです。

そして本書では高齢者の税の負担が多くなるので、その反対給付として人間にとっ
て死に至るまでの過程で、安心して本人の意志により色々な選択肢を選べるように、

現在非常に不足している選択肢は何であるかを高齢者の本音を徹底的に調査し、人
間の本性に合致した個別対応策を立案し実現することが、新規需要の創出と高齢者
の安心が求められるのです。

自由主義経済でこれを実施するには納税者番号制と公的扶助で行われているミーン
ズ・テスト(資力調査)の整備が不可欠なのです。

さて刑法が比較的良く機能しているのは、全国民に対して聖域を設けず全国民一律
に法を犯した本人一人のみの「同一基準」のみによって本人に刑罰を科す体制が出
来上がっているシングルスタンダードだからなのです。

特別の役職とか、家族の有無とか、年齢とかで何ら刑には影響がないのです。

同様に国政選挙に適用される公職選挙法は本人一人以外誰にも影響されない独立性
を尊重するため、役職の有無や家族の有無や年齢などに全く関係なくシングルスタ
ンダードの規制が強化されており、これこそが日本の公正な選挙の実現に役立って
いるのであります。

したがって法律を立案するときに最も考慮すべき事は、その法律がどの分野であっ
ても、参加の自由と対等に平等のフェアー競争を遵守するものであり、理由なく他
の理念観念を持ちだして、これを侵害してはいけないこと、さらにその法律が国民
大衆を規制する同一分野の他の法律とシングルスタンダート(同一基準)であるこ
とが社会経済と国民感情に合致する法律になるのであります。
 
したがって日本の現状につき上記の「参加の自由と対等に平等の競争基準を守るた
めの規制を強化」し「進化システム部分については徹底して規制緩和を行う」正し
く区分区別した変革をすることが、成熟経済における経済社会の進化発展をもたら
し、そしてこの様な哲学を持つ政党が正に国民政党であり、この様な哲学思想を持
つ団結の緩い政党が登場し日本で多数を占めれば、成熟経済に達した日本において
も今後とも良き未来に向かい、その時代時代に適応した良き政策を選択し、適応出
来ない悪い政策を淘汰する進化システムである社会経済システムが完成するのです。

つまり「民は足らざるを憂えず、等しからざるを憂える」のです。

そしてこの様な公正な競争で国民の幸福を目指す政党は国民政党として必ず国民へ
迎えられ選挙に勝利すると確信しています。

したがって副次的には「参加の自由と対等に平等な条件でフェアーな競争を展開す
るための条件を整備するための規制強化」を行わないと進化システムは良好に作動
しないのであるし、そして進化システムそれ自身に対しては直接的にも間接的にも
規制を強化すると人間の特性、本性に反し、社会経済の進化発展に強い悪影響があ
るので、これは徹底して規制を除去する規制緩和を行わなければならないのです。
また非進化システムに対しては、国民の幸福の追求に反するものについては規制を
強化しても、社会経済の進化発展に何ら悪影響が無く、競争基準を明示する上で極
めて良い影響があるからであります。

したがって成熟経済に達した段階において、経済成長を実現するためには、これら
の区分区別をしっかりした上で強い生存本能を根源的に持つ人間である国民の本性
を信頼し、既に述べた指針によって規制緩和と強化をすれば経済の無限の成長と社
会の無限の発展が達成できることを提案しているのであります。
                                


(資本主義経済における純資産増加額課税の検討について)
さて最後に税制について若干述べたいと思います。

本書の経済成長税制理論さらに日本の時代時代の税制の経済効果を総合的に検討す
ると、資本主義経済社会においては全くの私見でありますが「企業会計原則」に基
づく「純資産増加課税の法人税制」が最も基本的な姿であると実感しています。
出来れば個人所得税にも完全にこの考え方を取り入れ、全収入−全消費=純資産増
加額(個人利益)に対する課税こそ最も優れた方法と考えています。

この場合の費用にあたる全消費には「必要経費はもちろんのこと食料品や衣服や住
居(減価償却費)や教育費など全ての生活出費」を経費と見なし、複式簿記で経理
して「個人家計の純資産増加額を把握し、法人と全く同じように課税すること」が、

「資本主義社会」においては個人も企業も国も「競争力均衡化の環境における参加
の自由と対等に平等な競争による自己拡大原理による経済の過剰性が最も順調に増
進し且つ三者の財務内容の適正化が最も保たれると予測しています。」
つまり純財産の増加があった人に課税するので課税された人は所得分配を行った人
であり、課税の少ない人や課税されなかった人は実質的に国家を通じて有形無形に
所得分配を受けた人になるのであります。

そして課税が少ないか課税されなかった大多数の人は個人消費の多かった人であり、

実は個人消費の増加が純資産の増加という経済成長を支えている根源であるので、
課税の少ない人や課税が無かった人が、実は純財産の増加を支えている人となる
「パラドックス(逆説)」と「輪廻」と「因果関係」になるのです。
しかしこの様な考え方に基づく所得税制は実際問題として技術上無理が伴うため、
日本の高度成長時代に取られた消費税が無く高累進所得税率の税制は、この考え方
を実質的に焼き直し、変換し、事実上簡素化した税制であったのです。

また現状法人税制において「企業会計原則の利益」と「税法の法人所得」の乖離は
企業を管理統括する資本主義経済のシステム上、非常に望ましくなく人間社会にお
いて道徳的に望ましくない経費や支払先が明確でない経費以外は全額経費として認
めるべきと考えています。  
 
真理は常に単純で美しい姿をしているものなのです。 
さらに相続税は相続し、財産をタダで貰った人に課税するのです。

特に資本主義社会ですので「生存競争においては現実問題として資産所有者有利の
社会」でありますので、相続税の課税を大幅減税すると大金持ちの莫大な財産を相
続した子供が有利な社会となり、生まれながらにして不平等な社会となり教育の機
会均等などが妨げられ、優秀な人間が社会で認められる機会が減少し「参加の自由
と対等に平等なフェアーな競争」は行われなくなり、優秀な人間の輩出率が著しく
衰え「競争力均衡化の原則」に反する上、人間の本性、特性から更に加えて所得分
配機能が大幅に落ち個人消費が低迷し経済成長は急激に衰え、国家税収も国家発展
も急速に低迷状態となるのです。
  
日本のような厳しい相続税制が無く大金持ちが幅を利かす特権階級を形作る国家は
世界中にたくさんあり、そのような国家は決して日本のように経済が発展出来なか
ったのです。

日本が高度成長を達成出来た大きな原因は、敗戦によって全ての人が、本当の無か
らの自由と平等の出発になったことと、マッカーサー元帥による「財閥解体」「農
地解放」による特権的な経済的存在を全て破壊した結果と、厳しい所得税と相続税
が存在し、所得分配機能が個人消費性向の高い所得階層(低所得階層)へ良好に作
動しため、個人消費の増加は常時順調であり変換される国民所得も順調に推移し、
貧富の格差の少ない豊かな中産階級である大量の良質な消費者と大量の良質な生産
者を生みだした結果がすばらしい平和で豊かな経済国家を作り上げたのです。  
この無意識に作り上げられた税制が世界一の経済大国を生みだしたのであり、日本
人や官僚が優秀だったわけでは無かったのです。

現代の税制は消費税を5%に増税し、所得税、相続税を大幅減税し、生まれながら
に不平等の社会、特権グループの存在する社会、社会階層を固定化する社会を作り
続け、所得分配機能を大幅に低下させた結果、当然の事ながら個人消費の増加率は
大幅に落ち、それにつれて国民所得は停滞し、貧富の格差は広がり貧しい消費者が
大量に増加し、安売りに群がり全産業の企業経営者を苦境に陥れているのです。
つまりこのような国家政策を立案した政策担当者の残念ながら自業自得なのです。
つまり「相続税」は平時におけるマッカーサーの役割をする税制であり、不合理に
ならない範囲内で人間を生まれながらに実質的に平等に保つ社会を実現することが、

「真の競争によって勝ち残る真に強く逞しい人間を作る秘訣であり」「国家は税収
が上がり」「経済成長には極めて良い効果が上がり」「自由と平等とフェアー競争
が実質的に保証される結果をもたらし」「多くの財産を相続し強制的な利他的行為
を強いられる痛みを伴う納税者以外の多くの国民が喜びを分かちあえる」極めて資
本主義経済には有用な税制なのです。
 
ただ納税については痛税感を和らげるため金銭納税を強制するのは望ましくなく、
徹底した物納の拡充(出来れば全ての財産につき)が必要となります。    
実は相続税については、アメリカでは敗戦の経験がないため、理論研究がなされて
いない分野であり、アメリカでも相続税の減税問題が良く検討もされず度々議論さ
れている経緯があるのです。

アメリカでこの相続税の大幅減税が実施された暁には、アメリカの進化システムは
実質的な競争条件の不平等化つまり生まれながらにして資本保有の不平等が顕在化
し、必ず社会の進歩に悪影響を与えるようになるでしょう。       
たまにはアメリカの失点も望まれる所です。 

さて日本で直接税率の累進強化が実現した時には、これによって納税する税額は、
強制的な利他的行為であるので、これが極めて高額である場合は、これを経済的特
典を与えるのではなく名誉として表彰する制度が出来れば良いと考えています。 
また納税額の新聞発表は所得額と国税、地方税を含めた全納税額(現状は国税のみ)
を全て情報公開し納税という利他的努力に国民は敬意を表すべきであります。

http://www.asyura2.com/0411/hasan37/msg/491.html


2. 中川隆[-13559] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:00:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1345] 報告

バブルで稼ぐ国債金融資本の手口

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからバブルを破裂させる。
その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。
それを二束三文で奴らが買い叩く。

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。

 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。

 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。

 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。

 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。

 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。

 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。

 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉(しゅうえん)を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括(くく)っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。

 大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。


ソロモン・ブラザーズの真の狙い

 当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に乗って、買いに転じる時機(とき)だと確信していたのです。その結果、バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。

 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

 『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図っていたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。

 彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは「年末から年始に掛けて、日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」でした。

1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かったのです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因(ちな)み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。

 そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。

 日本人はまだ、この時にも何も気付いていなかったのです。そして日本経済が、瀕死(ひんし)の重傷に陥っている自覚症状すら、エコノミスト達は感じ取ることが出来なかったのです。

 当時の政治背景としては、自民党の政治家は2月中旬の衆議院選挙で大勝したことに祝杯を上げていた頃で、政界も財界も危機管理意識はなく、全く無防備でした。

 日本人は、まさに「ライオンに、餌を差し出す為に手を伸す呑気(のんき)な兎」でした。腕ごと食いちぎられるか、体ごと丸呑みされるかの、こうした危険すら感じる事もなく、呑気な行動をとっていたのです。

 日本人投資家が、株を買いに奔走している頃、アメリカの金融の裏側ではソロモン・ブラザーズの売り攻勢が激化を極め、これまでジリ安で状態であった株価は、一挙に大暴落へと転じました。バブル崩壊の引き金はこの時に引かれたのです。

ついに1990年2月末には、膨らむだけ膨らんだバブルは、日経平均15,000円台を大幅に割れ込みました。一挙に大暴落が起こったのです。

 ソロモン・ブラザーズの秘密兵器はデリバティブでした。

 デリバティブは説明の通り、現物と先物との価格差を狙った「サヤ取り」であり、「裁定取引」と「オプション」で、日本の株価は下落したら大儲けという派生商品です。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。バブル崩壊の大暴落は証券会社のみならず、大蔵省までを翻弄(ほんろう)の渦に巻き込んだのです。

 この巧妙な仕掛けでソロモン・ブラザーズは、僅か三年の研究とその実行で、一兆円にも昇る莫大な利益を手にしたのです。

 そしてこの後、日本では更に悲惨な状態が続くことになります。

 日経平均株価の大暴落は、株式市場の株価下落だけに止まらず、不動産の分野にも悪影響が及びます。この悪影響は、政府が不動産融資へのマネー供給を停止するという事から始まり、今まで高騰(こうとう)を見せていた大都市の不動産の資産価値が急速に下落したことでした。

 この現象は大都会だけに止まらず、地方にまで波及していきます。不動産の資産価値が下落するとは、それを担保にしていた金融機関の担保価値も大幅に減少したということになります。こうして不良債権の波及が表面化するのです。

 これに対して政府の後手政策は、次から次へと傷口を広げ、日本の資産とマネーの急速な収縮は、今日に見る不景気と連動し始めることになります。

 昇り詰めたものは、いずれ落ちる。これは物事の道理です。この道理に随(したが)い、ソロモン・ブラザーズは、次のプロセスへと準備にかかります。

ソロモン・ブラザーズの真の目的は、ただ単に、日経平均株価を下落させて大儲けすることだけではなかったのです。彼等の真の目的は、日本人の個人金融資産の1300兆円にも上る郵貯(郵便局で取り扱う国営の貯金事業で、元金・利子の支払いは国によって保証される)の食い潰しでした。日本のエコノミスト達は、この事すらも見抜けなかったのです。

 ソロモン・ブラザーズが研究の末に計画した事は、こうした下落が生じた時、政治家はもとより、財界人を始めとして、証券会社等が「これを何とかしろ」と、政府に詰め寄り、殺到することを計算に入れていたのでした。これこそ彼等の真の目的であり、ここに「日本発世界大恐慌」を画策した真の狙いが、ここにあったのです。
http://www.daitouryu.com/iyashi/shinizama/shinizama20.html

3. 中川隆[-13558] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:02:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1346] 報告
「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然 2016-01-06    

 さて、今さらですが、トリクルダウンとは何でしょうか?


 トリクルダウンとは、

「富裕層や大企業を豊かにすると、富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」

 という「仮説」です。トリクルダウン「理論」と主張する人がいますが、単なる仮説です。


 上記は今一つ抽象的なので、より具体的に書くと、

「富裕層減税や法人税減税をすると、国内に投資が回り、国民の雇用が創出され、皆が豊かになる(=所得が増える)」

 となります。


 要するに、グローバリズム的な、あるいは新古典派(以前は古典派)経済学的な「考え方」に基づき、所得が多い層を優遇しようとした際に、政策を「正当化」するために持ち出される屁理屈なのでございます。


 ちなみに、大恐慌期のアメリカでは、財閥出身の財務長官アンドリュー・メロンが「法人税減税」を推進した際に、まんまトリクルダウン仮説が用いられました。 


 さて、現代日本において、トリクルダウンで安倍政権の法人税減税に代表される「グローバル投資家」「グローバル企業」を富ませる政策を正当化していたのが、みんな大好き!竹中平蔵氏です。


『「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172701/1


 テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」。

「激論!安倍政治〜国民の選択と覚悟〜」と題した1日放送の番組では、大田区の自民党区議が「建築板金業」と身分を隠し、安倍政権をヨイショするサクラ疑惑が発覚。「今年初のBPO入り番組」とネットで炎上中だが、同じように炎上しているのが、元総務相の竹中平蔵・慶応大教授の仰天発言だ。


 番組では、アベノミクスの「元祖3本の矢」や「新3本の矢」について是非を評価。

冒頭、「アベノミクスは理論的には百%正しい」と太鼓判を押した竹中平蔵氏。

アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、

「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」

と平然と言い放ったのである。


 トリクルダウンは、富裕層が富めば経済活動が活発になり、その富が貧しい者にも浸透するという経済論だ。2006年9月14日の朝日新聞は〈竹中平蔵・経済財政担当相(当時)が意識したのは(略)80年代の米国の税制改革だった。

その背景には、企業や富裕層が豊かになれば、それが雨の滴が落ちるように社会全体に行きわたるとする『トリクルダウン政策』の考え方があった〉と報じているし、13年に出版された「ちょっと待って!竹中先生、アベノミクスは本当に間違ってませんね?」(ワニブックス)でも、竹中氏は

〈企業が収益を上げ、日本の経済が上向きになったら、必ず、庶民にも恩恵が来ますよ〉

と言い切っている。


 竹中平蔵氏がトリクルダウンの旗振り役を担ってきたのは、誰の目から見ても明らかだ。

その張本人が今さら、手のひら返しで「あり得ない」とは二枚舌にもホドがある。

埼玉大名誉教授で経済学博士の鎌倉孝夫氏はこう言う。


「国民の多くは『えっ?』と首をかしげたでしょう。ただ、以前から指摘している通り、トリクルダウンは幻想であり、資本は儲かる方向にしか進まない。竹中氏はそれを今になって、ズバリ突いただけ。つまり、安倍政権のブレーンが、これまで国民をゴマカし続けてきたことを認めたのも同然です」(後略)』


 そもそも、トリクルダウンが成立するためには、絶対的に必要な条件が一つあります。それは、富裕層なり大企業で「増加した所得」が、国内に再投資されることです。前述の通り、トリクルダウンとは、富裕層や大企業の所得が「国内の投資」に回り、国民が豊かになるというプロセスを「仮定」したものなのです。


 現代の説明も、かなり抽象的ですね。

「トリクルダウンは、富裕層が富めば経済活動が活発になり、その富が貧しい者にも浸透するという経済論」

 まあ、それはそうなのですが、正しくは

「富裕層が富み、国内に投資がされる」ことで経済活動が活発になる

という話なのです。


 すなわち、資本の移動が自由化されたグローバリズムの下では、トリクルダウンなど成立するはずがないのです。特に、デフレーションという需要不足に悩む我が国において。


 富裕層減税や法人税減税で、「富める者」の可処分所得を増やしたところで、「グローバリゼーションで〜す」などとやっている状況で、国内への再投資におカネが回ると誰が保証できるのでしょう。誰もできません。


 結局、企業は対外直接投資、富裕層が対外証券投資におカネを回すだけではないのでしょうか。特に、日本のように国内にめぼしい投資先がなく、国債金利が長期金利で0.26%と、異様な水準に落ち込んでしまっているデフレ国では。というか、国内における投資先がなく、民間がおカネを借りないからこそ、長期金利が0.26%に超低迷してしまっているわけですが。


 無論、国境を越えた資本移動が制限されていたとしても、トリクルダウンが成立するかどうかは分かりません。減税で利益を受けた富裕層や企業が、国内に投資せず、増加した所得を「預金」として抱え込んでしまうかも知れません。


「いやいや、貯蓄が増えれば金利が下がり、国内に投資されるので、トリクルダウンは成立する」

 などと学者は反駁するのかも知れませんが、長期金利0.26%であるにも関わらず、国内の投資が十分に増えないデフレ国で、何を言っているの? 頭、悪すぎるんじゃないの? という話でございます。現在の日本は、企業の内部留保までもが史上最大に膨れ上がっています。


 お分かりでしょう。トリクルダウンが仮に成立するとしても、その場合は、

「国境を越えた資本の移動が制限されている」

「デフレではない」

 と、最低二つの条件が必要になるのです。ところが、現実の日本はグローバル化を推し進めつつ、同時にデフレです。トリクルダウンが成立する可能性など、限りなくゼロに近いわけでございます。


 そんなことは端から分かっていたし、何度も著作等で訴えてきたわけですが、残念ながらマスコミの主流は

「トリクルダウン理論により、法人税減税は正しい」

という、「頭、悪すぎるんじゃないの?」理論が主流を占めていました。


 少なくとも、現在の日本において、トリクルダウン前提の経済政策は「間違っている」と、全ての国民が認識する必要があるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

続 トリクルダウンはあり得ない 2016-01-07


 昨日は、単にトリクルダウン仮説について解説しただけで、竹中氏の「真意」には踏み込みませんでした。

そもそも、竹中平蔵氏はなぜ「トリクルダウンはあり得ない」と語ったのか。


 安倍総理は、年頭の記者会見において、フジテレビの西垣記者の「選挙に向けてこの半年、国会が今日から開く中、どういった目標を掲げていかれるお考えでしょうか」という質問に対し、

「将来の老後に備えて、あるいは子育てのためにも使っていくことになるわけでありまして、これは正に成長と分配の好循環をつくっていくという新しい経済モデルを私たちは創っていく。その「挑戦」を行っていかなければいけないと思います」

 と、答えました。


 「分配」という言葉を総理が使ったのは、初めてのような気がいたします。


 わたくしは昨年末に刊行した徳間書店「2016 年 中国・ユーロ同時破綻で瓦解する世界経済 勝ち抜ける日本 」において、


『安倍総理は2015年1月28日の参院本会議で、民主党の質問に答えるかたちで、

「安倍政権としてめざすのはトリクルダウンではなく、経済の好循環の実現だ」

 と、トリクルダウンを否定した。

 だが、実際に安倍政権が推進している政策は、消費税増税をはじめとする緊縮財政にせよ、法人税の実効税率引き下げにせよ、あるいは様々な構造改革にせよ、明らかに特定のグローバル投資家を利する政策ばかりだ。

 グローバル投資家に傾注した政策を推進しつつ、トリクルダウンを否定したため、筆者はむしろ総理が国内の所得格差の拡大を歓迎しているかような印象を受けたものである。

 すなわち、富裕層やグローバル投資家、大企業を優先する政策を打つ政権は、言い訳としてトリクルダウン理論を持ち出すのだ。

法人税減税や消費増税、構造改革など、国内の所得格差を拡大する政策を繰り出しつつ、トリクルダウンすら否定するのでは、余計に問題ではないだろうか。』


 と、書きました。


 朝生のを見た限り、竹中氏は別に、 「トリクルダウンはあり得ないんです。ごめんなさい」というニュアンスで「トリクルダウンはあり得ない」と語ったわけではないわけです。


 トリクルダウンなど起きえない。
政府の政策で富が「滴り落ちる」のを待っている方が悪い、

というニュアンスでトリクルダウンを否定したのでございます。

すなわち、格差肯定論としてのトリクルダウンの否定なのです。


 そもそも、トリクルダウン仮説は民主主義国家において、一部の富裕層や法人企業に傾注した政策をする際、有権者である国民に「言い訳」をするために編み出されたレトリックなのです。


「富裕層や大手企業を富ます政策をやるけど、いずれ富は国民の皆さんに滴り落ちるので、安心してね」

 というわけでございます。


 つまりは、政治家がグローバリズム、新自由主義的な構造改革、緊縮財政を推進し、国民の多数を痛めつける際に「言い訳」として持ち出されるのがトリクルダウン仮説なのです。


 竹中氏がトリクルダウンを否定したのは、構造改革を推進するに際し、国民に言い訳をする必要性を感じなくなったのか、あるいは言い訳するのが面倒くさくなったのかのいずれかでしょう。


「面倒くせえな。トリクルダウンなんてあるわけないだろ。

政府の政策で、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧困化し、それでいいんだよ。

どうせ、負けた奴は自己責任なんだから」


 と、一種の開き直りで「トリクルダウンはあり得ない」と竹中氏が発言したと確信しています。


 とはいえ、総理が「分配」と言い出したということは、竹中氏はともかく「政治家」にとっては、「トリクルダウンすらない構造改革、富裕層・大企業優遇政策」は、有権者に説明がつかないということなのだと思います。


「竹中氏がトリクルダウンを否定した。へ〜え。

つまり、あんた(国会議員)たちは富める者がさらに富み、貧困層はますます貧困化する政策を肯定するんだな?」

 という突っ込みを受けるのは、安倍総理とはいえどもきついでしょう。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12114721167.html

4. 中川隆[-13556] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:27:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1348] 報告

戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し

天皇家と国際金融資本との関係

日本にもアメリカ軍の恒久的な軍事基地がいくつもあるが、これは中国やロシアを締め上げるための出撃基地。明治時代から日本はダーイッシュと同じように、アングロ-シオニストの傭兵として扱われてきた。

例外はアメリカでウォール街と対立していたニューディール派がホワイトハウスの主導権を握っていた期間だけだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709250000/


2017.08.26
94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした

8月も終わり、9月を迎えようとしている。

1923年9月1日、日本にとって大きな節目になる出来事が起こった。相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達したのだ。

震災対策の責任者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビ、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監だった。震災当日の夕方、赤池総監は東京衛戍(えいじゅ)司令官の森山守成近衛師団長に軍隊の出動を要請、罷災地一帯に戒厳令を布くべきだと水野内相に進言しているが、その頃、「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、翌日の夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電した。

そうした中、朝鮮人や社会主義者が虐殺され、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われて殺されそうになる。伊藤圀夫はその後「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、千田是也と名乗るようになった。アナーキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺されたのもこの時だ。この虐殺には治安当局が関係している疑いがあり、その意味でもこの時の犠牲者を追悼するという姿勢を東京都知事は見せてきた。それを止めるという意味は対外的にも重い。

震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。

震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。

復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。

フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。

グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。

そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。

それに対し、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分は50万人以上を動かして対抗するとバトラーは応じた。内戦を覚悟するように警告したわけだ。そうしたこともあり、クーデターは実行されていない。クーデターを計画したとされた人々は誤解だと弁明、非米活動特別委員会はそれ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。捜査当局も動かなかった。

言うまでもなくジョセフ・グルーは第2次世界大戦後にジャパンロビーの中心的な存在となり、日本で進んでいた民主化の流れを断ち切り、天皇制官僚国家を継続させている。大戦前、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈は戦後も生き残った。これが「戦後レジーム」の実態であり、「戦前レジーム」とはウォール街の属国になることを意味している。そうした意味で、安倍晋三の言動は矛盾していない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708260000/


2017.10.21
選挙だけで国の行く末を変えることはできず、事態が悪化してきたことを過去の出来事は教えている

投票日が近づいているが、選挙だけで国の行く末を決められるとは言えない。「自由と民主主義の国」だと宣伝されているアメリカでは事実上、選択肢は民主党と共和党という大差のない政党だけ。この2党に属さない大統領が誕生する可能性があったのは2000年の選挙だが、このときは最有力候補と言われていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。

より露骨な形で排除されそうになったり、排除された大統領も存在する。例えば、ウォール街と対立関係にあったニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の選挙で大統領に選ばれると、33年から34年にかけてウォール街の大物たちはクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、記録に残っている。金融資本、巨大鉄鋼会社、情報機関や軍の好戦派、イスラエルなど少なからぬ敵がいたジョン・F・ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。

日本の場合、明治維新からイギリスやアメリカの強い影響下にある。アメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本に君臨するようにあったのは関東大震災から。1932年にはウォール街の影響下にあったハーバート・フーバー大統領がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーを大使として日本へ送り込んできた。

このグルーが結婚したアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで九条節子、後の貞明皇后と親しくなったと言われている。

グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)のだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、その翌年6月に離日する直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

言うまでもなく、岸信介の孫が安倍晋三。安倍は「戦前レジーム」を復活させたいようだが、その体制とはウォール街に支配された天皇制官僚国家だ。ニューディール派が実権を握った期間だけ、この構図が崩れた。

第2次世界大戦後の日本を形作る司令塔的な役割を果たしたグループが存在する。ジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物がジョセフ・グルー。アメリカのハリー・トルーマン政権ががあわてて作った現行憲法の第1条は天皇制存続の宣言で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。「神聖にして侵すべからざる存在」から「象徴」へタグは取り替えられたものの、その本質に根本的な変化はなかった。

日本が降伏した直後はアメリカの影響力が圧倒的に強かったが、時間を経るに従って日本の戦争責任を追及するであろう国の影響が強まってくることが予想された。当然、天皇の戦争責任が問われることになる。その前に「禊ぎ」を済ませる必要がある。日本国憲法にしろ、東京裁判にしろ、「天皇制」の存続が重要な目的だったのだろう。

比較的日本に寛容だったと思われるアメリカ軍の内部にも厳しい意見はあった。そのターゲットのひとつが靖国神社。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していた。それをブルーノ・ビッテル(ビッター)の働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

このビッターはカトリックの聖職者で、ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされている。ジョバンニ・モンティニ(後のローマ教皇パウロ六世)を除くと、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ最も重要な人物。ビッターもCIAにつながっている可能性は高い。

1953年秋にリチャード・ニクソン副大統領が来日、バンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と伝えられている。この席にビッターもいたという。ドワイト・アイゼンハワー大統領がニクソンを副大統領に選んだ理由は、ニクソンが闇資金を動かしていたからだと言われている。

そのビッターはニクソンと会談した2カ月後、霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だったが、ビッターが逮捕されたときに押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、闇ドルに関する捜査は打ち切りになってしまう。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。

日本では天皇制官僚国家という型を壊すことは許されない。「左翼」とか「リベラル」というタグをつけていても、この型から抜け出さなければ許される。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710200000/


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2017.11.08
祖父の岸信介の真似をしたのか安倍首相はトランプ米大統領とゴルフをしたが、岸はウォール街一派

安倍晋三首相とドナルド・トランプ米大統領は11月5日、プロゴルファーの松山英樹を引き連れて越谷市のゴルフ場でプレーしたようだ。

安倍首相が敬愛しているという祖父の岸信介もゴルフが好きだったようで、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃した翌年の1942年に岸は駐日大使だったジョセフ・グルーをゴルフに誘い、敗戦後の57年に首相としてアメリカを訪問した際にはドワイト・アイゼンハワー大統領、通訳の松本滝蔵、そしてプレスコット・ブッシュ上院議員とゴルフをしている。言うまでもなく、プレスコットはジョージ・H・W・ブッシュの父親、ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたる。

本ブログでは何度も書いてきたが、グルーは1932年、ハーバート・フーバー大統領が任期最後の年に大使として日本へ送り込んでいる。グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、グルー本人はモルガン人脈の中核グループにいたと言えるだろう。その人脈の中心には巨大金融機関のJPモルガンがあり、この金融機関は1923年にあった関東大震災の復興資金を調達したことから日本に大きな影響を及ぼすようになった。

また、グルーの妻であるアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代には日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そのときに親しくなった友人のひとりが九条節子、後の貞明皇后(大正天皇の妻)だという。

グルーを日本へ送り込んだフーバーはスタンフォード大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に見込まれて出世、大統領になった人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

1932年の大統領選挙でもJPモルガンをはじめとするウォール街の住人はフーバーを支援していたが、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。このグループは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するという政策を打ち出し、植民地やファシズムにも反対していた。ウォール街とは対立関係にある人物が大統領に選ばれたわけである。そこで日米従属関係が揺らぐ。

その当時、大統領就任式は3月に行われていたが、その前の月にルーズベルトはマイアミで銃撃事件に巻き込まれている。大統領に就任した後にはウォール街のクーデター計画が待ち受けていた。

ウォール街のクーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に注目し、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」を研究、改憲して別の政府を設立するわけでなく、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の仕事を引き継ぐというシナリオだったという。クーデターを成功させるため、ウォール街の勢力は名誉勲章を2度授与され、人望が厚かった海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込みにかかるのだが、失敗してしまう。

計画に反発した少将はクーデター計画をジャーナリストのポール・フレンチに話し、そのフレンチは1934年9月にクーデター派を取材している。その時、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたと語っている。

それに対し、バトラー少将はクーデター派に対し、「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。(“Statement of Congressional Committee on Un-American Activities, Made by John W. McCormack, Chairman, and Samuel Dickstein, Vice Chairman, Sitting asa Subcommittee” / ”Investigation of Nazi Propaganda Activities and Investigation of Certain Other Propaganda Activities,” Public Hearings, Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, December 29, 1934)

その際、クーデター派は新聞を使い、「大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。そうすれば、彼を見て愚かなアメリカ人民はすぐに信じ込むに違いない。」とも話していたとしている。ルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する直前に急死してウォール街がホワイトハウスで主導権を奪還した。その際、ルーズベルト大統領には健康に問題があったと宣伝された。

こうしたアメリカの権力バランスの変化は日本の占領政策にも影響、「逆コース」が推進される。その中心で活動していたのが1948年6月に設立されたACJ(アメリカ対日協議会)、いわゆるジャパン・ロビーである。そのACJの中心的な存在だったのがジョセフ・グルーにほかならない。

ACJはウォール街が創設した破壊工作(テロ)機関のOPCとも人脈が重なっているが、そのOPCはアレン・ダレスの腹心だったフランク・ウィズナーが率いていた。ちなみに、ふたりともウォール街の弁護士だ。

OPCの東アジアにおける拠点は上海に設置されたが、49年1月に解放軍が北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立するという展開になったことから日本へ移動している。日本では6カ所に拠点を作ったが、その中心は厚木基地に置かれた。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。つまり、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。そして1950年6月に朝鮮半島で戦争が勃発する。朝鮮戦争だ。

この戦争でアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は63万5000トンの爆弾を投下したと言われている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トンであり、その凄まじさがわかるだろう。1948年から57年までSACの司令官を務め、日本での空爆も指揮しいたカーティス・ルメイは朝鮮戦争の3年間で人口の20%を殺したと認めている。

その後、ルメイやアレン・ダレスを含むアメリカの好戦派はロシアに対する先制核攻撃を計画、1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると​、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
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76年前の日本軍による真珠湾攻撃の原因を米国の制裁に求めるなら朝鮮に対する制裁も反対すべき

今から76年前、1941年12月7日の午前7時48分(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。ここは海岸が遠浅で攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。非常識とまでは言えないだろうが、攻撃のリスクは高い。それを厳しい訓練でクリアしたということだ。

アメリカ政府の対日制裁でやむなく攻撃した、あるいはアメリカ側は事前に攻撃を知っていたと主張する人がいるが、日本軍は実際に攻撃している。つまりアメリカによる偽旗作戦ではない。

日本に対する制裁には歴史的な背景がある。1872年の琉球併合から74年の台湾派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を本格化、米英の利権と衝突して対日制裁になるわけだ。こうした制裁が軍事行動を誘発すると考えている人は、例えば朝鮮に対する制裁にも反対しているのだろう。そうでなければ矛盾だ。あるいは朝鮮に圧力を加え、戦争を誘発したいと考えているのだろうか?

明治維新から1932年までの日本はイギリスとアメリカというアングロ・サクソン系の国に従属、その手先として動いた側面がある。明治維新はイギリスの思惑と違って内戦が早い段階で終結、徳川時代の人脈が生きていたので完全な属国にはならなかったが、大きな影響下に置かれたことは間違いない。

ここでいうアメリカとはウォール街を意味する。1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震、つまり関東大震災が発生、復興に必要な資金を調達するために日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガンだ。

この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモント。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

この政権が進めた政策はレッセ-フェール、つまり新自由主義的なもので、その責任者で「適者生存」を信じるある井上は失業対策に消極的。その結果、貧富の差を拡大させて街には失業者が溢れて労働争議を激化させ、農村では娘が売られると行った事態になった。一般民衆に耐え難い痛みをもたらすことになったわけだ。

当然のことながら、アメリカでもJPモルガンを中心とするウォール街の住人は強い影響力を持ち、1929年に大統領となったハーバート・フーバーもそのひとり。フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

ところが、1932年の大統領選挙でフーバーは負けてしまう。当選したのは巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。大きな力を持っていたとはいえ、今に比べるとアメリカ支配層の力はまだ小さく、選挙で主導権を奪われることもありえた。

このフーバーはホワイトハウスを去る少し前、1932年にJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。なお、この年に井上準之助は血盟団のメンバーに暗殺されている。

グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻で、グルーが結婚していたアリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后だという。

グルーの皇室人脈はそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

こうした人脈を持つグルーが日本軍の動向に関する機密情報を入手していても不思議ではないが、このグルーとルーズベルト大統領との関係が良好だったとは言えない。情報がきちんと伝えられていたかどうか疑問があるが、JPモルガンへは詳しく伝達されていただろう。

グルーが大使として日本へ来る前年、1931年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こした。この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だ。1932年には「満州国」の樹立を宣言するのだが、この年にアメリカでは風向きが変わっていた。本来なら日本はその変化に対応する必要があったのだが、そのまま進む。そして1937年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしたのだ。そして1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗した。

本ブログで何度か指摘したように、このソ連侵攻作戦はアングロ・サクソンの長期戦略に合致している。その作戦が失敗したことから南へ向かい、米英の利権と衝突するわけだ。ドイツ軍がソ連に対する大規模な軍事侵攻、いわゆるバルバロッサ作戦を開始したのはその2年後、1941年6月のことだ。

この作戦でドイツは軍の主力を投入したが、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張、反対している。日本が真珠湾を攻撃する前で、アメリカは参戦していないが、それでもイギリスがその気になれば、西側からドイツを容易に攻略することができるからだ。この反対意見を退けたのはアドルフ・ヒトラー。この非常識な「判断」との関連で注目されているのがヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスの動きだということも本ブログでも指摘した。1941年5月10日にヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛んでいるのだ。

ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。主力を失ったドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。

その4カ月後、1943年5月に米英両国はワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。このとき、アメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのことである。ノルマンディー上陸作戦の結果、ドイツ軍が負けたと思い込んでいる人も少なくないようだが、これはハリウッドによる洗脳の効果を証明している。

その一方、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した後にアレン・ダレスなどアメリカ支配層はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部たちと接触を始めている。例えば、1942年の冬にナチ親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探るために密使をOSSのダレスの下へ派遣、ドイツ降伏が目前に迫った45年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊の高官、カール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)イタリアとスイスとの国境近くでウルフがパルチザンに拘束された際にはダレスが部下を派遣して救出している。(Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

ドイツは1945年5月に降伏しているが、その前の月にルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはルーズベルトとの関係が希薄。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりとして知られている。
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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)


 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
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米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
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2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/

5. 中川隆[-13555] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:29:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1349] 報告
評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

景気後退にもかかわらず、消費増税を断行。自分で自分の首をしめるがごとく、ことさらに不景気を造っている。

2020年2月号 BUSINESS by 中野剛志(評論家)

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行


野心にとり憑かれた井上準之助蔵相


国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。
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「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き

最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。

〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。(中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉

高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。

〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。(中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉

実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。

〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉

「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。
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「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力

井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。

しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。
https://facta.co.jp/article/202002024.html
 

6. 中川隆[-13545] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:48:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1359] 報告

錬金術師と呼ばれたヒトラー総裁
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


ナチスの経済的錬金術


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(左 : ハイパーインフレに苦しむドイツ人 / 中央 : 札束で遊ぶ子供たち / 右 : 紙幣を燃やして料理を作るドイツ人女性 )


  話を戻す。現在の日本はデフレ経済で苦しんでいるけど、こんな状態になるのは昔から分かっていたんじゃないか。筆者だって長谷川慶太郎の本を読んでいたから、「あぁ〜あ、こりゃ重症になるぞぉ〜」と思っていた。しかし、バブルが弾けた後の処方箋は比較的簡単で、民間企業が元気をなくしているなら、政府が公共投資を増やして景気を回復するしかない。小室直樹先生のファンなら、ケインズの経済学を想い出すかも知れないし、一番分かりやすいのはヒトラーの経済政策だ。
戦勝国から巨額の賠償金を課せられ、ルール地方まで奪われたドイツは、ハイパーインフレの嵐に見舞われ絶望の淵に沈んでいた。(それでも、李氏朝鮮よりマシだろう。) 極度の疲弊は歴史に刻まれている。例えば、

1923年のベルリンではパン1斤の値段が4千280億マルクで
1kgのバターを買うとなれば5兆6千億マルクを払わねばならない。

新聞を読もうとすれば「2千億マルクになります」
と言われ、ギョッとする。

電車賃でさえ1千500億マルクもしたんだからしょうがない。(Constantino Bresciani-Turroni, The Economics of Inflation : A Study of Currency Depreciation in Post-War Germany, G. Allen & Unwin Ltd., London, 1937, p.25.)
さらに、世界大恐慌で失業者が巷にドっと溢れ出したんじゃ、もう泣きっ面に蜂みたいで毎日が青色吐息。

企業の倒産や金融危機が荒れ狂うドイツでは、国内総生産がガタ落ちで、1932年の失業者数は約558万人に上ったそうだ。

(Deutsche Bundesbank, ed. Deutsches Geld und Bankwessen in Zahlen 1876-1975, Knapp, Frankfurt am Main, 1976.)

  このように滅茶苦茶になったドイツを救おうとしたのがヒトラーで、彼は1933年2月に新しい経済計画を発表する。この元伍長は、公共事業による失業者問題の解決や価格統制を通してのインフレ抑制を図ったのだ。一般の労働者を支持基盤にするヒトラーは四年間でドイツ経済を何とかすると約束し、その実現を目指して強権を発動した。

今の日本人はヒトラーを狂暴な独裁者とか、ユダヤ人を虐殺した悪魔と考えてしまうが、当時のドイツ庶民にしてみたら結構評判の良い指導者だった。ユダヤ人に対しては閻魔大王みたいだったけど、ドイツ人労働者に対しては親方みたいな存在で頼りになる。ヒトラーは偉大な救世主を目指したから、国民の福祉厚生に力を入れ、社会の底辺で苦しむ庶民の生活水準を上げようとした。

Schacht 2( 左 / ヒャルマー・シャハト)

  誰でも大々的な公共事業をやれば景気が良くなると分かっている。が、肝心要の「お金」が無い。傘が無ければ井上陽水に訊けばいいけど、資金が無ければ優秀な専門家を探すしかないから大変だ。

でも、ヒトラーは世界的に著名なヒャルマー・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)博士に目を附けた。奇蹟の復興を目論む総統は、シャハトを口説き落とし、ドイツ帝国銀行の総裁および経済大臣になってもらうことにした。

ヒトラーの抜擢は功を奏し、シャハト総裁はその手腕を発揮する。ドイツ経済はこの秀才のお陰で潤滑油を得た歯車のようにグルグルと動く。

マルクの魔術師はドイツの経済状態を診断し、インフレを起こさない程度に国債を発行する。ナチスに元手が無ければ、ドイツ人が持つ「労働力」を担保にすればいい。

労働者を雇っている事業主が、その労働力に見合った手形を発行し、それを自治体が受け取り、銀行に割り引いてもらう。すると、銀行は自治体にお金を渡して、自治体は公共事業を請負業者に発注する。

こうして、仕事が増え、手形がお金に変わって、世の中をクルクルと回ればみんなハッピーだ。「すしざんまい」の木村社長みたいに笑顔がこぼれる。

  ドイツ人のみならずアメリカ人までもが、「シャハト博士は錬金術師か?」と思うほど、彼は金本位制からの脱却に成功した。戦前、通貨の発行は金の保有量を考慮せねばならず、政府が無闇矢鱈に欲しいだけ紙幣を刷るなんて暴挙だった。確かに、当時のドイツを観れば理解できよう。

1935年当時、ドイツの帝国銀行が保有する金は、たったの56mt(メートル・トン)しかないのに、通貨額は約42億マルクもあった。(換算すると1,800,441 troy ounces)

ちなみに、外国が持つ金の保有量を見てみると、

ブリテンが1,464mt、
フランスは3,907mt、
アメリカだと8,998mt、
ネーデルラントは435mt、
ベルギーが560mtで、
スイスは582mt

となっていた。(Timothy Green, World Gold Council and Central Bank Gold Reserves : A Historical Perspective Since 1845, November 1999を参照)

国債反対より、何に使うのかを議論せよ !

Hitler 7Hitler & kids 1
(写真 / ドイツの子供たちから歓迎されるヒトラー)

  ナチスの経済計画でドイツの国民総生産が増大したのは有名だが、注目すべきは公共事業費の流れ方だ。つまり、ヒトラーはアウトバーンなどのインフラ整備を目指したが、その際、末端の労働者に充分な賃金が行き渡るよう心掛けたという。
建設工事にかかる支出の約46%までが労働者の給料になったのだ。これにより、一般労働者の懐が温かくなり、前から欲しかった衣料品を帰るようになった。

日本だと、政府や議員がゼネコンに丸投げし、たっぷりピンハネしてから子会社に仕事を回すのが普通だ。そして、この中抜きには「続き」がある。子会社は更なるピンハネを行って、立場の弱い孫会社に分配するから、下っ端の職人が手にするのは雀の涙ていど。これじゃあ、地上波テレビ局と同じだ。例えば、ドラマを制作するためにスポンサーがフジテレビに1億円払えば、局がごっそりピンハネして、子飼いの制作会社に丸投げ。受注した制作会社もピンハネして孫会社に任せ、その孫請けが曾孫会社を使って実際の番組を作るんだから、出来上がった作品が貧相な代物になるのも当然だ。もしも、このドラマがブラック企業をテーマにした作品なら、お金を払って俳優を雇わず、社員の日常を撮影してドキュメンタリー・ドラマを作った方がいい。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

7. 中川隆[-13544] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:51:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1360] 報告

ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持した理由

 マイナス金利政策を巡る顛末からも分かる通り、現在の日本が抱える問題は、
「特効薬が効かない!」 という話ではなく、普通の薬を飲まず、特効薬を追い求めている、という点に本質があります。

 と言いますか、ここまで一貫して普通の薬(財政政策)から目をそらし、効果のコミットができない特効薬を探し回る光景は、もはや喜劇です。普通の薬は、効果について事前にコミットできるにも関わらず、頑なにそこから目をそらす。

 実は、現在の日本や欧州同様に、主要国の政策担当者が病的なまでに財政均衡にこだわり、国民経済を貧困化させるという光景が、80年前にも見られました。

『[FT]21世紀におぼろに見えるドイツ帝国銀行総裁の影
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO97052220Y6A200C1000000/


 ジョン・ワイツによるヒャルマー・シャハトの伝記『Hitler’s Banker(邦訳:ヒトラーを支えた銀行家)』を読み返したら、これまで筆者が考えていなかった1930年代と現在の興味深い共通点に気づいた。
ヒトラーが再軍備計画の資金を賄うために、配下の中央銀行総裁だったシャハトに頼ったことは、よく知られている。

だが、ワイツは――そしてここが今日のユーロ圏に潜在的に関係するところだが――、シャハトがライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)で非伝統的な政策を追求できたのは、ひとえに独裁者の後ろ盾があったからだとも指摘している。(中略)
 欧州北部諸国に共有されているブリュッセルとフランクフルトの現在の正統的政策には、30年代に一般的だったデフレマインドとの類似点がいくつかある。

今日の政治家と中央銀行家は、財政目標と債務削減に固執している。30年代前半と同様に、正統的な政策には病的なところがある。今日の中央銀行家は、言うことが尽きると「構造改革」に言及するが、そうした改革が一体何を達成するのか決して口にしない。

 原則としては、ユーロ圏の経済問題を解決するのは難しくない。欧州中央銀行(ECB)が市民一人ひとりに1万ユーロの小切手を手渡せばいい。物価の問題はものの数日で解決されるだろう。あるいは、ECBは独自の「IOU(借用証書)」を発行することもできる。

シャハトが行ったのは、それだ。

または、欧州連合(EU)が債券を発行し、ECBがそれを買い上げてもいい。紙幣を印刷する方法はたくさんある。どれも皆、素晴らしい方法だ。そして違法でもある。(後略)』

 ナチスがドイツで政権を握ったのは、デフレーションで国民の間にルサンチマンが蔓延し、「攻撃的」な政党が喜ばれるという形で社会が歪んでしまったためです。

 とはいえ、ナチスが「支持された」のは、これはもう、ヒトラーとシャハトのコンビが、各国が財政均衡主義の魔物にとらわれ、緊縮財政政策を推進する中において、アウトバーン建設に代表される大規模景気対策を打ったおかげなのです。
ヒトラーが率いるナチスは、1932年には43%(!)だった失業率を、五年間で完全雇用に持ち込んでしまいました。

 それはもう、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したのも、無理もない話なのです。

 ちなみに、わたくしは別にナチスを賛美したいわけではなく、「人類」は歴史的に財政均衡主義を「愛し」、デフレ期の財政出動という普通の薬を飲むことができず、デフレの原因を(なぜか)、

「構造改革が不足しているから」

 という、意味不明というか逆効果(構造改革はインフレ対策)の政策を採用。
 緊縮財政と構造改革、つまりは需要縮小策と供給能力拡大策によりデフレを深刻化させ、

「国の借金で大変だ〜っ!」
「構造改革が足りないからだ〜っ!」

 と、バカの一つ覚えのように自縄自縛となる愚かな政策を繰り返してきたという話です。

 特に、デフレ期には単なる「債務と債権の記録」に過ぎないおカネに国民総じて固執し、政府が普通の薬(財政出動)を飲もうとすると、

「政府は無駄なカネを使うな!」

 と、やるわけです。結果、デフレギャップは埋まらず、国民が貧困化し、ルサンチマンが蔓延し、最後には「他の国民を攻撃する」ことで人気を博すポピュリスト政治家が権力を持ち、民主主義が壊れます。

 あるいは、貧困化が行き着くところまで行き着き、国家は虎の子の供給能力を失い、発展途上国化します。

 民主主義の破壊や、発展途上国化を回避するために必要なのは、「特効薬」でも「万能薬」でもありません。しつこいですが、普通の薬、財政出動を中心とした景気対策という普通の政策なのです。

 それにも関わらず、政治家や国民が「普通の薬」について議論しようとさえしない現状に、わたくしは恐怖すら覚えるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12128570302.html

▲△▽▼

現在の状況は、1930年代のヨーロッパとそっくりです。

 1929年のNY株式大暴落に端を発した大恐慌により、ドイツは失業率が43%(32年)に達してしまいました。国民のルサンチマンがピークに達した状況で、ナチス・ドイツが政権を握り、ヒットラーが首相の座に就きました。

 ナチスはヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁)の下で、大々的な財政出動を実施。アウトバーンや国道が建設され、WW2開戦までに、3860kmが建設されました。ナチス・ドイツという独裁的な政権の下で、ドイツ経済は瞬く間に回復。わずか五年間で、失業率が完全雇用の水準に至りました。

 当然ながら、ドイツ国民はナチスを熱狂的に支持します。

 妙な話ですが、現在や大恐慌期のような需要低迷期には、なぜか「民主主義国」の方が大々的な財政出動に踏み切れず、状況が悪化します。逆に、独裁国は政府が剛腕をふるい、財政を拡大し、国力を強化してしまうのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12137232005.html

8. 中川隆[-13536] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:05:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1368] 報告

ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

9. 中川隆[-13497] koaQ7Jey 2020年3月23日 15:10:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1407] 報告

2020年3月23日
【三橋貴明】第二次世界恐慌


【今週のNewsピックアップ】
第二次世界恐慌(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583165088.html

第二次世界恐慌(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583428190.html

第二次世界恐慌(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583662459.html


現在から振り返ってみると、
リーマンショックは「大不況」では
ありましたが、第二次世界恐慌
というわけではありませんでした。

第二次世界恐慌は、今から始まります。

リーマンショックは、
経済成長率が大幅に落ち込み、
その後「V字回復」しました。

恐慌の場合、経済成長率が
「落ちて、落ちて、落ちる」のです。

1929年10月のNY株式大暴落に
端を発する世界大恐慌期、
アメリカの経済成長率(名目GDP)は、

1930年 ▲12% 
1931年 ▲15%
1932年 ▲24%
1933年 ▲4%

と、凄まじい状況となり、最終的に
GDPが55%になってしまいました。

恐慌は、一度目のあまりに凄まじい所得の
落ち込みが、次の所得下落を引き起こす
ことで深刻化していきます。

現在、政府の自粛要請等により、
日本国民は消費を極端に減らし、結果的に
飲食業、宿泊業、タクシー業、イベント関連
など、売上が消滅する状況になっています。

所得を得られない人々は、当たり前ですが
消費を減らし、別の誰かの所得がまたもや
すさまじい落ち込みになる。

所得縮小のカタストロフィを食い止める
ことができるのは、政府しかありません。

『世界の財政出動、史上最大か
 金融危機上回る―新型コロナ対応
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032100427&g=int

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
各国・地域が検討している財政出動額が
200兆円超と金融危機当時を上回り、
年間で史上最大規模に膨らむ見込みだ。
日米欧や中国の巨大経済圏で
ヒト・モノ・カネの流れが滞る前例のない
事態に発展し、景気後退が現実味を帯びる。
(後略)』

恐慌期には、物価と金利が低下するため、
政府の財政拡大の制約は消滅します。

特に、元々インフレ率や国債金利が低かった
我が国には、大規模財政拡大を制限するものは、
本来は何もないのです。

ところが、我が国には「プライマリーバランス
黒字化目標」という緊縮財政強要のルールが
あります。

また、ユーロ加盟国は通貨発行権
(国債のマネタイゼーション)がなく、
どこまで財政を拡大できるかは不透明です。

日本国は、第二次世界恐慌を受け、
緊縮財政の転換(ピボット)ができるのか。
日本国の運命は、国民や政治家の「意思」に
委ねられているのです。
https://38news.jp/economy/15566

10. 中川隆[-13362] koaQ7Jey 2020年3月25日 06:00:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1542] 報告
[NHKスペシャル]] デジタルリマスター版 映像の世紀 第3集




映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望〜人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した〜


11. 中川隆[-13358] koaQ7Jey 2020年3月25日 06:17:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1546] 報告

ナチの実権を握った後も、ヒトラーの生活は質素だった。相変わらず狭いアパート(トーランド本によると8フィート×15フィート)に住んでいた。トーランドは続けて「ウィーンの独身男子寮と大差なかった。そこはその建物の中で一番寒い部屋で、家主のエルランガー氏によれば、『その部屋を借りた下宿人の何人かは病気になりました。いまは物置がわりに使っています。もう借り手は一人もつかないでしょう』」と書いている。

 さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。

 ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。

「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)

 6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。

 東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。

 国粋主義者はそれに反発した。

 ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
 ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。

 ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。

「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)

 この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。

 第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。

 1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。

 政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。

 軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。

 また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17

12. 中川隆[-13314] koaQ7Jey 2020年4月14日 17:03:46 : TGfzBd95kB : Mmt5aUpoY1RKMEk=[20] 報告
2020.04.14
世界支配の道具としての恐怖

 世界をCOVID-19(新型コロナウイルス)という「恐怖」が覆っている。恐怖を利用してアメリカの支配層が被支配層を操ってきたことを考えると、COVID-19の場合でもそうしたことが行われていると推測できる。すでに現象として戒厳令的な情況が作り出され、ソ連や中国との核戦争を想定して計画された社会の収容所化も急速に進んでいるようだ。

 人間が容易に恐怖でパニックになることは1938年10月30日の出来事を考えてもわかる。この日、H・G・ウェルズ原作のドラマ『宇宙戦争』をCBSラジオがオーソン・ウェルズの演出で放送されたのだが、この番組が原因で少なからぬアメリカ人がパニックになったのだ。

 第2次世界大戦後、アメリカの支配層は現実世界で恐怖を使う。本ブログで繰り返し書いてきたが、ウォール街、つまり巨大金融資本の大物たちはファシズムを望んでいた。そのウォール街を1933年からニューディール派が押さえ込むが、45年4月、つまりドイツが降伏する前の月にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死して情況が一変した。

 ルーズベルトはニューディール派のリーダーで、しかも1944年に実施された大統領選挙で副大統領候補は現職の副大統領で民主党員の65%から指示されていたヘンリー・ウォーレスではなく、支持率は2%にすぎないハリー・トルーマンになっていた。

 トルーマンとルーズベルトは親しい間柄ではなかったが、アブラハム・フェインバーグという富豪が後ろ盾なっていた。この人物はリンドン・ジョンソンのスポンサーとしても有名で、後にイスラエルの核兵器開発を支援するひとりになる。

 ルーズベルトが大統領、ウォーレスが副大統領という政権なら、戦争が終わればナチスを支援した人びとの責任が問われた可能性は極めて高い。これも繰り返し書いてきたことだが、JPモルガンをはじめとするウォール街の大物たちは1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、準備を進めていた。

 第2次世界大戦後、ファシズムに反対していた人びとが「アカ狩り」で粛清されている。「アカ」が恐怖に仕立てられ、国民はその恐怖の渦に呑み込まれた。

 イタリアで1960年代から80年頃にかけてNATOの秘密部隊と言われるグラディオが実行した極左を装った爆弾テロも恐怖戦術の成功例だろう。イタリアで支持者が多かったコミュニストにダメージを与え、社会的な緊張を高めて社会の収容所化を進めるという戦術だ。グラディオを動かしていたのはイタリアの情報機関だが、その背後にはアメリカやイギリスの情報機関が存在していた。

 21世紀に入ると「アル・カイダ」と「オサマ・ビン・ラディン」が恐怖の象徴になるが、アル・カイダは​ロビン・クック元英外相も指摘​しているように、CIAの訓練を受けたムジャヒディン(ジハード傭兵)の登録リスト。ビン・ラディンはサウジアラビアの富豪一族の一員で、ムジャヒディンのリクルート担当だった。

 アル・カイダ系武装集団とNATO/アメリカとの関係は2011年に西側のメディアも伝えるほど広く知られるようになるが、その頃からバラク・オバマ政権は新たな戦闘員を育成しはじめる。その危険性をDIAが2012年8月の段階でオバマ政権に警告していたことも繰り返し書いてきた。そして2014年に売り出された武装集団がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)だ。

 ダーイッシュは2015年にロシアがシリア政府の要請で軍事介入してから急速に勢力が弱まる。そこでアメリカなど西側の政府や有力メディアはシリア、イラン、ロシア、中国を恐怖の対象として宣伝しはじめた。

 ここにきてアメリカ政府はシリア、イラン、ロシア、中国とセットでCOVID-19を恐怖として宣伝、社会の収容所化を推進、巨大資本やその資本を所有する富豪が支配する体制を築こうとしている。その新体制では人口を現在の5%、あるいは30%まで削減するという発言があった。

 そうした流れがある一方、COVID-19で支配システムの無残な実態が明らかになり、ファシズム化に反対する人が増えるのではないかという見方もある。実際、世界的に見るとアメリカ離れが進んでいるが、そうした動きが広がるかどうかは不明だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004140000/

13. 中川隆[-13172] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:09:35 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[31] 報告

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/

14. 中川隆[-12758] koaQ7Jey 2020年5月06日 08:31:14 : JiV1eTDCIw : eXZlblBTcFo4T1k=[7] 報告
2020.05.06
新型コロナウイルスが作り出したファシズム化の波に日本も乗っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005060000/


 大きな災害によって経済が大きなダメージを受け、体制を変化させる引き金になることがある。その典型例が1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震だ。これは相模湾を震源とするもので、死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だと言われている。

 多くの企業が苦境に陥り、日本政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円を限度として政府補償を条件に日本銀行が再割引した。ところが銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 日本政府は復興資金を調達するために外債の発行を決め、森賢吾財務官が責任者に選ばれたが、その相手はウォール街のJPモルガン。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助だ。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、実際に指揮していたのはトーマス・ラモント。そのJPモルガンは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えた。

 それ以降、この金融機関は日本の政治経済に大きな影響力を持つようになり、日本に対して緊縮財政の実施と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。緊縮財政で景気が悪化するだけでなく、日本から金が流出して不況は深刻化して失業者が急増、農村では娘が売られる事態になった。

 こうした政策を推進した井上は「適者生存」を信奉していた。強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする新自由主義的な考え方をする人物だったとも言えるだろう。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 アメリカでは1932年に大統領選挙があり、ウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北する。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認め、植民地やファシズムに反対するという立場を表明していた大統領が登場することになったのである。そうした事態に危機感を抱いたJPモルガンをはじめとするウォール街の大物は1933年から34年にかけてクーデターを準備した。

 クーデターの主力部隊として想定されたのは在郷軍人会。JPモルガンは指揮官としてダグラス・マッカーサーを考えていた。マッカーサーが結婚した相手の義理の父親はJPモルガンの幹部だったのだ。

 しかし、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけるのだが、この人物は憲法を遵守するタイプの人物だった。そこで計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言、議会で詳細を明らかにした。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 その当時、ニューディール派より巨大資本に批判的だった上院議員がいた。ヒューイ・ロングだ。彼はルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考えて分かれる。ロングは純資産税を考えていたというが、1935年9月に暗殺された。

 新自由主義的な政策に反発する声は日本でも強く、1930年に浜口雄幸が銃撃されて翌年に死亡、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も引き起こされた。井上はJPモルガンと緊密な関係にあったが、団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。

 ルーズベルトが大統領に就任する前年、ジョセフ・グルーがアメリカ大使として来日している。グルーのいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻。その当時からグルーは政財官界だけでなく、日本の皇室に太いパイプを持っていた。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。

 1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入、翌年の6月にグルーは離日するが、その直前に商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

 こうした流れと並行して日本の治安体制が強化されていく。1922年に「過激社会運動取締法」が提出されたが、当時でも内容が問題となって廃案になる。そうした政策を可能にしたのが関東大震災だ。

 地震の2年後に治安維持法が制定され、1928年3月15日には日本共産党関係者らが大量に検挙される。大半の人は勾引状など正式手続きを経ずに逮捕された。この後、特高警察は組織を拡大、思想検察制度が発足していく。

 こうした政策を推進した内務官僚、思想検察、特高警察などの人脈は第2次世界大戦後も支配システムの中枢として機能した。そうした戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中心にはジョセフ・グルーがいて、その背景にはウォール街が存在していた。

 COVID-19(新型コロナウイルス)が関東大震災と同じ役割を果たす可能性がある。このウイルス騒動はイラクへの侵略戦争を始める口実に使われた「大量破壊兵器」と同じ大嘘かもしれないが、このウイルスを利用して日本のファシズム化を促進、反ファシズムの声を封じるために収容所化を進めたいと考えている勢力は存在するだろう。少なくとも、そう思えるような動きがある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005060000/

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