バブル経験者は語る自分の投資法を持たれ、成果を上げられている方はほんのわずかです。ほとんどの方は損をしています。 今回はそんな中から極端な例をご紹介します。 その方は相場の経験は浅くと言うか、ほとんどど素人同然でした。元々資産家で商品先物に手を出したのも、ほんの「お遊び」だったようです。 最初、50万円から始められたそうですが、あれよあれよと言う間に儲かって行きました。その時の投資基準は「勘と第六感と度胸」とでも言うのでしょう。儲かった利益をそのまま次の取引に載せていったそうです。 バブル時の長期上昇トレンドに乗った物だと思います。 話を聞いただけで恐ろしくなりますが、素人は怖いもの知らず。1年足らずで資金は2億に届く所まで来たそうです。 そうなるともう怖いもの知らずの行け行けドンドン! 一気に登った坂道を登り詰めると、今度は全力で駆け下りるようだったと聞きます。 気が付いた時にはプラス2億がマイナス2億へ・・・となっていました。 本来、資産家ですからこの程度(!)のマイナスなら持ち応えられたらしいのですが、悪い事は続く物です。 知り合いの建設業者に頼まれてなった保証人。その建築業者が失踪、借金取りが押し寄せて来たそうです。 http://www.harvestchart.com/tonpei/tonppei.htm 暴落する時はあくまで”暴落”であって、それは一気に急落する、信用売りも仕掛けられないほどの暴落なんです。 言ってみれば、急勾配の坂を下る様な個人が信用売りでコントロール出来る様な代物ではなく、足元に突然大きな深い穴が開いて、真下に真っ逆さまに穴の中に落下する様な”暴落”なんです。 だから、暴落時に信用売りを仕掛けても、何しろ値が全然付かないのですから信用売りも約定する事はあり得ません。それほどの恐ろしいものなんです。 暴落の怖いところは、下がるだけではなく、その翌日は逆に値ごろ感を持った投資家が一挙に買いに殺到して反転暴騰して、今度は買いを入れても値が付かず、買い約定も出来ない・・・ そんな状況を総じて”暴落”というのです。 仮に暴落時に信用売りを仕掛けて”運良く”約定しても、その翌日は、逆に一気に全株全面暴騰し、日経平均で何千円も踏み上げられるのです。
そんな状況でも信用売りを仕掛けるのは、余程の”勇者”か余程の”資産家”か余程の”素人”なんでしょう。 ブラックマンデーの様な、又日経39000円からのバブル崩壊の様な ”暴落”はいわば一方方向の暴落なんていう代物ではなく、暴落と暴騰を日替わりで繰り返しながら株価が急落して行く、”ダッチロール”の墜落の様な”暴落”である事を是非理解しておいて下さい。 ネット系の個人投資家は 逆に行け行けドンドンの 横並び体質がありますので、一転暴落が起こったら、過去の暴落以上に売りが売りを呼んで、サーバーダウン等も相まって、過去の暴悪以上の凄まじい想像以上の暴落になると私は思ってます。
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暴落時に空売れると思っている人間が多いよね。
S安貼り付きに売りで並ぶつもりなのだろうか。 本格的な下げか、押し目か判断してから参加するとか言っている人間は一番ダメだな。 暴落の一番オイシイ所を逃すばかりか、押し目だった場合、大底で空売るハメになる。 または「まだ早い、ただの押し目だ」と言い続けて売り遅れ涙目になるのがオチ。 暴落始まったら損切りしたくてもできない。 売れないから。 今現在、株トレードにおいて自分が勝ち組だと思ってるやつも大半はやがて自分も負け組であることを実感する時が来る。 有名なアナリストも株相場はトランプのババ抜きみたいなものといっているくらいだから利益確定してさっさと勝ち逃げするのが賢明 ___________________
ビルに飛行機がつっこんだ。
東証は臨時に値幅制限を半分に。当然のようにS安連発。 自分の持ち株はマーケットメークだったので、1日で確か20%ぐらい下げた。
当時はまだ優良企業であると信じられていた某ソニー。 自分も期待しながらわずか200株だけだけど買ってました。 糞決算発表。確かその翌日は比例配分すらできないような大幅な売りを浴びてS安。その次の日も比例配分のS安。 一応国際優良株と言われ馬鹿でかい規模、こんな株が2日連続でS安っていう衝撃はあまりにもでかかった。 一番すごかったのはメガバンの売られっぷりだけどね。 100万ぐらいしてたのが1年もたたないうちに5万台まで売られた。
そのとき買っとけばよかったじゃんと言うかもしれないけど、とてもじゃないけど買える雰囲気じゃなかった。 某ドイツ証券の人が「東証を閉鎖せよ」っとまじで言ってるのw 自分はみずほ5万台で買ったのが自慢。だけど1株だけな。あのとき100株とか買えるような人がいたら天才か大ばか者のどっちかだな。 _____________________
90年バブルの方はブラックマンデー以降も2年くらいは好景気で株式相場も活況だった。逃げる気になれば逃げられた。もつとも当時は株と土地は長期的に下がることはないと思われていたから「逃げる」と言う感覚がなかった。
ITバブルの方は本当にバブル。一気にはじけた。あれは逃げるのが難しかった。 それでも全銘柄が急落したわけではない。逆張りでオールドエコノミーといわれたセクターに投資した人(バフェットもその一人)はむしろ儲けた。 87年に起こった、ブラックマンデー・ショック直前に、持ち株全部処分してノーポジを自慢してた香具師もいたが、その後の相場にはしっかり乗り遅れた。 現在のような、13年の長きにわたる下げ相場だと、弱気になるのも無理からぬことではある。 弱気筋も、売った持ち株が更に上伸していくさまを何度も見せ付けられて徐々に強気に変わっていくのさ。 そして、誰もが強気を唱えるようになるとき・・・ 「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」 ようになる。 _________________ _________________
1) ブラックマンデー
全銘柄売り気配で始まり何時までも寄りつかず、当時の気配値表示の無い株価ボードが真っ黒に見えたことからブラックマンデーと言われる所以である。
売って逃げたくても逃げられない、売れても大きな損失となる、この世の終わりを迎えるような恐怖が全世界を覆いつくす。 翌日の大きなリバウンドを期待して寄り付きを全力買いする連中がその後のバブル崩壊相場で樹海逝きとなった。 ____________________
破局はいきなり、その日の取引が開始された直後にやってきた。 売買の声が上がり始めて30分後、クライスラー、ゼネラルエレクトリック、インターナショナルスタンダードオイルの株5万株が大口投資家、機関投資家から1度に売られ、 関係者の体を凍りつかせる価格が表示された。
つい数ヶ月前の夏、強気相場の中でも燦然たる輝きをAT&T ピーク時には310ドルをつけた優良株が204ドルという、胸の悪くなるような急落を見せ、 USスチールは190.180.さらに下値へと直滑降を続けた。 110ドルで取引されていたRCAも26ドル以上では買いの入らない状態である。 動転した1部のブローカーが顧客の株を不必要に売りたて、これが値下がりに弾みをつけた。 たれもが浮き足立ち冷静な判断力を失っていた。投資家の一人が奇声を発し凶刃のように証取フロアから走り出していくのを他の投資家、は呆然と見送るばかりだった。 必死で声を張り死に物狂いで何かを訴える無秩序の群れ、狩られる者の怯え、うつろな表情を帯びた多くの顔 ーーそこは追い詰められた者たちの世界だった。ーー そしてほどなく、株式時価総額の減価分が明らかになった。150億ドルにも上る全米投資家の資産が瞬時のうちに消えた。 この直撃を受けて命を絶つ者、血を流すものが続出し始めている。 勤め先の倒産を知って心臓発作に見舞われるもの 絶望してホテルの窓から身を投げるもの 室内の窓を目張りし、瓦斯栓を開くもの、服毒するもの拳銃で頭を撃ち抜くものー 無残な死が世相を一層暗くした。 とどまることのない暴落の津波がアメリカの株価総額の3分の1以上を消滅させた。 _________________________ ブラックマンデーは米国のNY発だからね、翌日の東京市場で、値が付いてたのは、帝石他数銘柄だけだった記憶が。 それ以外は全てストップ安。
90年初からの日本のバブル崩壊による暴落は、引けでは値は付けながらも、ダッチロールの様な日々の下げと上げを繰り返しながら全体がどんどん下げていった。 感じで言えば、 ブラックマンデーは井戸の中を真っ逆さまに落ちた感じ。 日本のバブル崩壊の暴落は、底なし沼に嵌って、もがきながらズブズブと急速に沈んで行く感じ、とでも・・・・ ブラックマンデーの時は、寄りからほとんど全てが総売り気配で始まって、その後帝石他いくつかが値をつけたが、 それ以外の全ての銘柄は、3時の引けまで売り気配・ストップ安の状態でその当日は終わってた
翌日の引け値は、前日の下げ幅ほどは戻さず、その日以降も、上げと下げを繰り返しながら、調整にはかなりの日を費やしたんだよ、日本市場でもね。 ブラックマンデー前の高値を抜くには、東京市場でもかなりの日数を要したんだよ。 ブラックマンデーがあったから、その後の上昇相場があった。
あのとき投げなかった人、 買い向かった人は、 みな大儲けしたんです。 それが「学習効果」といわれ、 その後の調整を難なくこなし、ついにバブルへ。 「学習効果」という呪文がなければ、あそこまで調子に乗らないで済んだかも知れません。 __________________
バブルの崩壊は、ブラマンのように一気に下がるんじゃなくて、ジリジリ下がるんだよ。 上げ相場で下がったら買うのがクセになってる奴が買うからね。
ブラックマンデーは日本株は絶好の押し目を作りこの日買った人が1日で大儲け。 この儲けを羨やんだ人たちがワレもワレもと株を買うきっかけになりその後バブル上昇の最後のきっかけを作った。 その結果バブル崩壊でも押し目と思っては買い、押し目と思っては買い そして、下がって買い、下がって買いの奴が一気に投げたらブラマン=セリクラ=買うべき日となるのさ 2004年5月を思い出すな。確か、
月:暴落 火:暴落 水:リバウンド 木:様子見 金:様子見 月:大暴落 → あのときは俺ここで振り落とされた 火:超絶リバウンド→6月にかけて大きく上げ
あのときは火曜のGDP発表で大反転したっけな。
___________________________ ___________________________ 2) 80年代バブル
その昔、日本は国民総出でバブルに踊った時代がありますたね。
バブルを起こして潰す。 ロスチャイルドの詐欺手口の最たるものですた。 バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。 その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。
最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。 そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。 最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。
これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。 いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。 その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。 澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。 プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。 そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。 借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。 バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。 その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。 それを二束三文で奴らが買い叩く。 昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。
さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。
澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。 そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。 澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。 澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロスチャイルド・フランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。 ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。 http://goldentamatama.blog84.fc2.com/ ”単なる信用売り”のポジションとは別に”裁定取引(アービトラージ)”による売り誘導・売り仕掛けというのはあるんですよ。 現物と先物との裁定、株式と国債との裁定、株式と商品相場との裁定・・・・ こういう裁定取引による利益の確保は、目的を持って売り仕掛けをする事によってあえて暴落を仕掛ける・呼び込む・・・そういう手法もあるんです。 89年の日経の39000円からの暴落の発端は、このソロモン証券による裁定取引による暴落が引き金になりましたね。 87年米国発のブラックマンデーで日本の東京市場も暴落したとき、証券会社の株ボードは、ほとんどが売り気配で値が付いていませんでしたね。 それはそれで、一種壮観な情景でしたね。 一部の人は、今日は仕事にならないと言って、株ボードの前で記念写真を撮ったりしましたよ。 一部、ほんの数銘柄だけが値を付けたと記憶してます。 一番最初に値を付けたのが、「帝國石油」でしたね(笑 私自身は、89年12月の39000円弱に登り詰める過程での数週間で、「何かおかしいなぁ」と、クイックの端末を見ていてそう思ってました。 そうですね、日経平均株価と先物だけが上昇して行くんですが、個々の銘柄はそれほど上昇して行かず、むしろ下げてる銘柄が多かったですから。
原因といえば、買い過ぎた事による株価の自己崩壊という事なのでしょうが・・・ まあ。直接の原因といえば、当時の日銀三重野総裁による”短期金利の高め誘導”による、株価を冷やす金利政策だったと思いますが 私がファンドマネジャーとして会社から運用を任されていた資金については、1989年12月の39000円弱の最高値をつけ行く過程で、 これまで経験した事もない妙な相場に変質してるのを、自分の肌で日々感じてました。
だから、3月の決算を待たずに1989年の年末までに運用のポジションを90%キャッシュにしました。 それでも残り10%の株式で、年明けからの暴落でかなりの評価損を被りました。 会社が投資顧問に委託運用してたファンド部分については、そのかなりの部分が以前株式の組み入れ比率が高かった為に、暫くはファンドを閉じる事も叶わず、我社と投資顧問との間でその運用の責任を巡って、険悪な関係になってしまったもんです。 出入りしてた証券会社(外資系)の担当者は、顧客に大損害を与えたという理由で、半年後にその証券会社を解雇されました。当時は運用のプロ中のプロとも思えた担当者で、でもその本人の過信から損害の傷を大きくしてしまったのです。 私の知ってるファンドマネジャーの何人かも相場の世界から追いやられましたし、多くの証券マン、運用担当者がその職を解かれました。 ああいう場合って、直接の担当者ばっかが責任を問われ・取らされ無謀な運用利回りを命じた上層部は全然責任を取らなかったんですよね。 私もそういう嫌な経験を体験した方々の中の一人です。 だから、その経験を皆様に教訓として生かして欲しいと少しはお役に立てればと、自分の経験をここに書いたという訳です。 本当に、ある意味で”張りのある仕事”でもあり、又”苦い経験をさせられた仕事”でもありました。 大切な事は、自分だけを信じて、横並びの相場観を持たない事です。 損きりの勇気ある撤退の覚悟をいつも持ち続ける事です。 相場で戦うという事は、常に孤独であり、時には他人と意見の衝突も覚悟の精神を持たなければ後々自分が後悔させられるだけです。 ヘーゲルのアウフヘーベンじゃありませんが、相場におけるクラッシュ・暴落というのは、同じ様でいて決して同じではありません。 同じに暴落といっても、過去の暴落とは姿を変えて現われます。 「暴落はいつも違った装いで現われる。でもその実体はいつも変らない」
投資尺度から大きく外れたら、いづれは必ず投資尺度に合った正常な状態にまで相場は調整して行く・・・・・相場の方が実体に合わせるような自立調整をする」 あのバブルに繋がる「内需拡大策」「円高政策」のベースになったのは澄田総裁の前任24代総裁前川氏が退任後政府への諮問資料として提出した所謂「前川レポート」です。 前川春夫氏がまとめた膨大な「前川レポート」が、あの株価押し上げのベースになったのです。
そして、澄田氏の後任の26代総裁三重野氏による短期金利の高め誘導、何度もの公定歩合の引き上げ、資金の総量規制が徐々に市場に効いて来て、それがバブル崩壊後の長い不況をもたらしたのです。 三重野氏は、「バブル退治の鬼平」として当時の多くの庶民から喝采を受け当時はその手腕も高く評価されていたのです。 当然ですね。多くの庶民にとっては不動産の気の遠くなる様な高騰によって自分の持ち家の夢も奪われていたのですから。 その彼等の絶大な支持が三重野氏の金融引き締め政策を後押したのです。 当時は”バブルの崩壊”自体も、バブルに取り残された多くの庶民によって、絶大な支持を受たのです。 郵貯の利率が7〜8%になってるという事は、 公定歩合の何度もの切り上げ、短期金利の高め誘導政策が日銀によって実行されてるという事に他ならないから、そういう時期には、日経株価も 株から債券 へのシフトが進んでいて つまり日経平均株価も全体的に上げの最終局面、或いは下降局面にすでに入りつつあるという事を意味します。
だから、そういう局面では「指をくわえてみてる」だけの方が投資姿勢の態度としては賢明なのかもしれませんね。 私なら、それ程の金利が高くなった時点で、確定利回りの債券運用に、預貯金運用に運用のポートフォリオのシフトを考えますね。 ちなみに、過去のバブル破裂直前の10年物定額貯金、5年利付き債券の利率は年率で7〜8%程度の高金利でした。 個人年金の利回りも、最高の年率5..5%程度でしたから。 信用の金利が高いといっても、現在はあの楽天でも3〜4%程度ですからね。 株式銘柄によっては、株式の配当利回りが信用借入金利より高い銘柄は結構ありますからね。 (勿論、配当利回りの計算は、株価が一定というのが条件ですが・・・・)
高金利局面での信用借入による株式運用というのは本当にきついですよ。 10%近い借金をして、株式運用にリスクを張って、10%以上の収益を得る・・・・ 常識から考えても、そういうのは至難の業なのは明白なんですが。 でも、そういう局面の真中にいると、そういう常識が働かないでやってしまうんですよね。それは、もう投資ではなく、はっきり言って投機、バクチでしかありませんね。
相場というものは非情な物で、”不景気の中から相場の上昇の端緒が生まれ”るのです。 公定歩合の引き下げ、0金利政策の継続等も全て不景気の中から生まれてくるのです。 ____________________
バブルの時は89年秋から日銀が利上げしたのに株式市場は総強気で無視して上げ続けた
11月にベルリンの壁が無くなり、平和の配当と言って買い上げ続けた 立て続けに利上げしてワリコー(長期割引債券)とかに行列ができた 90年1月から株価が原因不明の下落を始める。日本経済は絶好調の真っ盛り、なんの不安もないはずだった。
2月26日株価大暴落。
翌日の朝刊で見る株価欄は見事に▼のオンパレード、体感上はほとんどの銘柄がストップ安に見えた。 この頃のことを知らない人が増えたせいか最近は少し株価が下がっただけで暴落だ暴落だと大騒ぎをするが、バカバカしく思える。 政府の経済官僚は「今の株価は実体経済を反映していない」と文句をたれた。 (まったく同じせりふをITバブル崩壊暴落の時も聞いた。これを見ても政府の経済政策に全然進歩がないことが分かる) しかし邱 永漢さんは「株価がこれだけの暴落をするということは未曾有の大不況がやってくる」と予言した。 それからぼくは政府の言うことよりも株式関係者の言うことを信用することにしている。 最初の暴落ではまだ余裕で見ていた投資家、特に信用トレーダーもダメージが効いてきて、やがて自殺者が出てくる。 当時インターネットはまだ普及してなかったがパソコン通信のPC−VANやniftyがあって、株式掲示板では盛んに情報交換がされていた。 バブルのさなか信用取引で大儲けしていた人も逃げ遅れて追証に追われて骨董類を売りに出したとの書き込みを見た。 大暴落の後は多少のリバウンドがあるが早晩株価は下げに入る。 初日の暴落はそれほどでなくてもその後がキツイのだ。 「株はまた上がるさ」と余裕をこいて買い向かった人はみんなやられてしまった。 この経験からぼくは予想外の急落ではとにかく全部売ってしまうことにしている。 __________________
「失われた10年」といっても96年は日経平均が22000円くらいまで回復していた。 ところがその一方TV番組では東海総研のM谷が「財政赤字で日本は破綻」とコメント続けマスコミも刺激的な論調になった。 で96年の初夏頃に国会で消費税上げ、健保引き上げとか可決。
その頃「国民負担10兆円増」と言われた。当然、株価はその頃天井をうった。 97年年明けから怒涛の株安、円安で「日本売り」という言葉が誕生。 勿論、理由は市場の景気腰折れ懸念だが御用評論家、政治家は「大丈夫」と繰り返す。 97年秋には拓銀、山一破綻。橋本首相は焦って財政措置法案は可決されるも即日廃止、減税を発表するが手遅れで「ジャパンプレミアム」 と邦銀は資金調達にも苦労した。 98年はもう「ビックバン」どころでない。 その頃からアホ評論家連中と日経新聞は(自らの過ちを認めず) 「銀行の不良債権が悪い。構造改革をしろ」と主張を開始した。 96年は「不良債権世界一」にもかかわらず「GDP伸び率先進国一位」という事実に口を閉ざして。(現在も不良債権だらけの中国を礼賛しているが) ___________________ ___________________
3) ITバブル
80年代のバブルの時は全国の地価が上がったが今回は大都市の一等地だけ。 また、当時は地方の中小企業まで金回りが良かったが、今回は東京本社の大企業が 景気が良いだけ。資産インフレを心配するよりデフレを完全に脱却する方が先。
90年の時はPER60倍 2000年の時は一部だけ超過熱
ITバブルん時は古河電工あたりは3500円くらいに暴騰してたっけ。 俺は昔勤めてた経験有って、社員持株会に入ってた事が有り、千株だけ持ってた。
いつの間にか7〜8倍に暴騰してたんだが。その後、あっという間に1/10くらいになったな 実際はあっという間に下がったわけではない。逃げ場がいくらでもあった。 ただ、当時はまた上がるはずだと信じていたから損きりできなかっただけ。
俺、ITバブルの盛衰を体験しているけど、株がどんどん騰がるものだから、乗り遅れないように買い焦る。
で株価が騰がるだろ。 さらに乗り遅れた人が買い焦るという構図・・・ バブルを作り出すのは人々の熱狂。 相場の転換点は後から分かるもので、だいたいは下げても調整でまた騰がるだろうと考えている。そのときはね。 でも成長性だけで無理に買い上げられた株価は維持できるものではなく、やがて下落相場に突入して、信用の追証で売りが売りを呼ぶ展開になる。
なぜかバブルになると国営企業の株が売り出されるんだよな。 まるで売り出したいがためにバブルにしてるようだ。
当時も掲示板とかあちこち見てたけど、高値で上手く売り抜けたりとか下げ相場で売り転換とか、巧みにできたのは一部の経験者でしたね。 長期でもデイトレでも、相場の転換点を見誤ると失敗するんだと実感。 特に信用全開の方は結構あぼ〜んしてたぞ。。。
俺はすっ高値は回避したけど、下げたとこでつかんで、そこからさらに沈んでった。 最終的には(といっても数年たって)ある程度戻して、とんとんくらいか。 でもITバブルってそんな昔の話かな。
ソニーとか京セラが分割するというだけでS高連発して正気じゃなかった。 ソフトバンクとか光通信は明らかに異常だったけど。 あのころはヤフーが1株1億円だったりしたな。 ITバブル時には人気銘柄はあがってたけど、自分が保有してたオールドエコノミー銘柄は下げ基調で100円を切ってきたりして株に幻滅し、値チェックをしなくなったころだったと思います。 ITバブル時にはニューエコノミーとかいわれた一部が高騰した一方で素材関連等ではバブル後最安値をこの時期に更新しつづけた銘柄も多かったように記憶しています。今は全体的にあがっていますね。 ソフトバンク見たいな奴だと、まず脱出不可能だろうが、出遅れ株なら下げても底は知れてる。
やばい銘柄つーと、ソフトバンクに代表されるIT系とかIPOだろうね。 相場が悪くなれば真っ先に売られる。 ________________
ITバブル組33歳だけと
98年から200万で始め当時の一株40万ちょっとのSBを4枚買い その後の基地外上昇も孫に崇拝しきっていたため難なく持ち越し 00年2月時点では一時8000万まで資金が増えました その後の下落局面では、リウンドと言えるほどのリバはなく気づいた時には三ヶ月ほどで、資産十分の一(800万)にまで落ち込んだ 今から思えばその時点でも十分利がのっていて、逃げられたがトレンドを見誤り、さすがに高値を見ていたことと、孫信者であった為にその後も放置してしまった 気がつけは゛02年12月で資金を150万まで減らしてしまっていた ITバブルでの教訓は 「儲けの一部は物に変えろ」 これに尽きます 実はその後、運良く03年4月からの再度市場の流れ(SB関係)に乗ることが出来、今現在7500万まで資金を戻すことに成功しました さすがに今回は上昇過程で3000万ほどは物(車三台、隣接した土地、結婚費用、家の改装)に変えました それと前回で懲りているので、年末に全ての株を利益確定し(ほとんどSB関係)負け犬銘柄ドコモを一点買いしてみました 前回の経験上これ以上はSB関係銘柄は絶対に持つことは出来ません この判断が吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、、、 ________________
当時、崩壊が実際の崩壊が起こる前、確か00年の末ごろに大き目の押し目が来たんだよ。 オレは焦って、半分を現金化した。この利益がオレの利益だよ。
オレが焦った理由はあまりにもNETが高くなりすぎていること、まだ伸びる可能性があるし、おそらくそうだと思うが、充分にそれまでの利益確定を我慢してたから、まず、確定したわけです。 そのとき、オレは証券会社に電話して“○○と××を半分成り行きで売ってくれ”って言ったんだよ。携帯でその日に前日の押し目からさらに下がってるのを確認したからなんだけれど、その担当者はいわば、知人みたいな人なんだけれど “今売ったら、買いもどせなくなるかもしれないよ・・今はまたStop,買い気配に張り付いてる” って言われたのを覚えてる。でも、売った。 その後はまたそれから30-40%程度の上昇はあったんだよ。 でも、その後、01年の年明けに強烈な押し目が来た。終わったと思った。 理由は @当時の東証の時価総額がバブル時の8割に達していたこと、
どう考えてもあの異常なというか、世界中が日本の未来にとてつもない成功を予想していた時代、また日本人もそれを信じていた時代とほぼ同じ時価総額がつくわけがない。 ASBの時価総額がトヨタに迫っていた。
これもSBがいかに日本のNETに金鉱を掘り当てていたとしても、まだ不確定要素が多すぎる企業の株価としては例え、幻想代込みとしても許容範囲を超えている。 と思ったわけです。この時点の押し目で日本のNETバブルはピークアウトがかなり明確に感じられました。でも、まだ上がったんだよ。 ではなぜ、その後も伸びたか。
これはオレは自分の思い込みではないと信じているんだけれど、NASDAQのせいなんですわw。 NETバブル自体は日本単体でも、つまり、アメリカと日本のNET普及にあまり差が無かったとしても起こっていたでしょう。 でも、実際はそうではなく、好景気かつNetが爆発的に成長を始めたアメリカの影響を強く受けたために、日本のNetバブルは上昇率はもちろん、その後のNetの普及に合わせてもう少し時間をかけて 成長すべきところが一気に急上昇をしたわけですが・・ そのスピードと規模に恐れをなし、一旦ピークアウトしたはずのNET関連株は、その後、まだ続いたNASDAQの急騰に無理に引きずられる形でさらに一段高のピークを形成しました。 ボクが見始めた頃のナス指数は2000近辺でしたが急騰に次ぐ急騰で、これは僕の自慢になるけれど、3500を越えたあたりから、ナスは5000を叩くんじゃないか・・と漠然と考えていました。 その後はほぼ同時期にナスの下げ転換、光の重田の飛ばし、CSKの理由は忘れたなんかの悪材料で一気に下げに転じました。 で、ここからが勝負の時だったのです。 僕は急落の初期には押し目買いが入って、もう少し戻したら売ろうとか余裕を持ってました。 でも、押し目買いは殆ど入らなかったのです。 始めに充分に利益を確定しているという慢心があったわけですが・・ それはまだいい、かなり下げてくるとそれまでの高値を知っているだけに下がることを充分予想しながら、めんどくさくなって放置したわけでw そのために明らかに下げ基調を確認してからでも取れたであろう利益を吹きとばしてしまいました。ゆえに以前の確定分の利益とほぼ同額の利益を取れるチャンスを逃しました。 でも、僕はまだいいほうで、それは比較的早い段階でNET関連を買っていたこと、一部確定をしていたからですが・・ 逆にその急上昇につられて、比較的遅くにNETに買いを入れ始めた人達はそれでも急上昇する相場で利益が出るので、ポジションを精一杯膨らませて、直後に下げに転じたわけで・・売ろうにも売れずに悲惨なことになってました。 僕にとってNETバブルの教訓は 下げに転じたと確信したら、それまでのポジションや経緯は関係ない、すぐに売れ。(ここが一番勇気がいる所です。当たり前に聞こえますがw) できれば、空売りも入れればいい、僕もそうですが仕事などで ずっと見れない人はベアファンドにぶち込め。買いだけでは判断を誤らせるもとになる。 など感じました。長々と書いてしまいました。 たいした教訓ではないのですが、自分の読みに理由があるのなら、疑心は捨てて、即行動に移す勇気が崩壊から逃げるために必要充分な条件と考えます。 _______________
一旦逃げるのは割とできるのよ。問題はせっかく逃げたのにまた反騰があったり、材料が出たり、政府が打ち消したりすると単なる押し目の長いのかもしれないって、戻っちゃうことなんだなあ。
最高値を見ているから、すっげえ割安に見えるし、全力で行きたくなるのよ。 最高値まで戻らなくても大儲けなんだから。それでやられる。 ただ覚えておいて欲しいのは、バブルの一番高いときって、 利益も上がるから経営状態はかなりいいんだよね。 PERがいいとかいっても、EPSが嵩上げされてて意味ないことも多い。
暴落直後くらいって、株価は下げてて、EPSは高いからPERは低めになるし、 前の高値を知ってるから、値ごろ感も出て手を出しやすくなるんだよね。 俺のITバブル経験だと
・PER高かったが、マトモな会社は成長率もすごかった。それで買い判断あり。 風向きが変わると「大幅増益予想→大幅下方修正」など出されると厳しかった。
・大きい調整なのか、下落相場へ入ったのかの判断は難しく、後になってわかるもの。 高値覚えで逆判断して損失パターンはあったね。 ・リスク回避に分散は大切。ITバブル利益の一部で日本の電力株を買っておいたのが 俺を救いました。ちなみに、当時の掲示板に「電力株が割安では?」と書いたら 「成長性がなく配当3-4%だけの株を何故買うのか?」とボコボコに叩かれたよ ____________________
そうあの時は下がったときが買いチャンスと思い、大量買い。 さらに下がっても すぐ上がると思いホールド。
さらに下がって、戦争始まるし、ビルは攻撃されるし、ITバブルは急激だしということで、崩壊にはくれぐれも注意と損きりは早めに。 とりあえず調整が来て下がり始めたら最低でも1週間は続くから、下落初日に焦ってつかんではいけない。
5営業日ぐらい経ってから打診買いでちょうどいい。万一、下げ止まらなくても傷が小さくて済む。 米国株だが、ITバブルが終わった時一気に1/1000になった。 下げ始めたらあっという間で、かなり低い値で売りを掛けても買いが付かず逃げようが無かった。
種50万で始めて、500万くらい残ってたから儲けは出てたけど、一気に$200x1000が20セントx1000になったのは泣いたな。 直前に下げ始めた時に損切りしておけば良かったとつくずく思ったよ。 ___________________________________
___________________________________ 4) 2005年小泉バブル
現在(2005年後半時)の日本の株価はバブルではないか?
最近、株価が上昇してますが、日本経済に株価が上昇するようなファクターがあったっけかな?と不思議に思っていました。
GENDAI NETに気になる記述を見つけました 2005年11月30日 掲載
『改革はペテン 5年たったら元の木阿弥の小泉政治』 >1万5000円を突破する勢いの株価上昇の要因に、小泉政権の改革の成果と見る向きが多いが、それはペテンだ。
>日本企業の労働生産性も利益率も米国に比べれば圧倒的に低いのに、株価だけが上がっているのはバブルの再燃をたくらむ投機筋のしわざに過ぎない。 >それは世界中にだぶついているカネが日本になだれ込んできているだけで、小泉改革など全然関係ない。改革、改革と叫んでいるだけで、日本の構造も企業も何も変わらず、小泉政権が5年も続けば、元の木阿弥…。 なるほどそうかもしれない、と思いました。
今年1−10月の3市場の現物取引の売買シェアをみると、外国人投資家が46%、個人投資家が37%で、両者で8割超を占めます。主に年金勘定を表す信託銀行が9%のシェアで3位につけていますが、投信、銀行、生損保といった国内機関投資家のシェアは3%以下…。 '89年のバブルの時期と比べると、個人投資家のシェアが30.3%から37.0%に上昇しているのに対して、海外投資家の割合は、89年当時の11.3%から、今年10月にはなんと46.7%にまで上昇しています。 個人投資家が増えている、といのは最近よく話題になっています。その背景には、ネットで株式の取引を行う投資家の増加があるのは周知の事実でしょう(一日で何回も取引を繰り返して収益を狙う“デイトレーダー”と呼ばれる人たちが増えているようです。もちろんIT商取引のインフラや規制緩和などの背景にはアメリカの圧力があります98566)。 10月23日(日)の「がっちりマンデー!!」という民放番組を見ていると、ゲストに当時の竹中蔵相を招いて「竹中大臣の新日本経済入門U」みたいなのをやっていました。 その番組中で竹中前蔵相は、「それを私の口から言ってしまうと問題がある」とは言いつつもニヤニヤしながら“これから投資の時代ですよ〜”、みたいなニュアンスを醸し出していました。 民放とつるんで、朝からTV漬けの主婦など(竹中氏曰く“IQが低い”)の層を個人投資家として株式市場に参加させ、バブルを起こさせようというのが狙いか?と疑ってしまいます。 それでも個人投資家のシェアは15年前から7%程伸びただけというのが実情。 注目はやはり、15年間で4倍にも跳ね上がって、いまやシェアの半分になろうとしている外国人投資家の方でしょう。
日本の株式市場なのに、国内機関投資家のシェアがたったの3%以下(信託入れても12%)なのに、外国人投資家が46.7%もあるというのも、いかにも異常な感じがします。 国内機関投資家は、体力が無いのと前回のバブルでひどい目にあったので“羹に懲りて膾を吹く”みたいなことでシェアが少ないのかもしれませんが、個人投資家はしっかり37%のシェア。 もしかして彼らは、バブルを経験していない(orその当時ひどい目に遭わなかった?)新興の勢力なのかもしれません。 だとしたら、ゴールドマン・サックスにとっては、投資にそれほど慣れていない(でも、「もうからへんかいな〜」と甘い夢を見ている)連中は恰好の“カモ”に映っているのではないでしょうか(実際、投資経験の浅い学生や主婦がデイトレを始める中心層とよく聞きます)。 もしそうだとすると、いやな予感が脳裏をよぎります。 彼らの投資資金は、ゴールドマン・サックスに揺さぶりをかけられて丸ごと持っていかれる…というシナリオなのではないでしょうか。 1994年:メキシコをはじめとする中南米バブル、 1997年:東南アジアバブル、 1998年ロシア金融危機
など、次々と各地でバブルを演出し、そのたびに自分達だけがっぽり儲けて、地元の経済や社会をボロボロに破壊し、そこに付けこんでIMFを介して世界各国の経済支配を強化してきた勢力( ロスチャイルド )がいます。 今回は、小泉首相をはじめ官庁やマスコミまでがグルになって旗を振って、国民を道連れにバブルに突き進もうとしているかのように見えます。
私達は、それらの勢力やエコノミストたちの戯言に惑わされて、前回のバブル崩壊や中南米・アジアと同じ轍を踏むようなことはあってはならないと思います。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101985 2005年バブル時にデイトレーダーが増えた原因 もはや個人での起業って成立しなくなっている。
なんか逆転現象が起きていて、本来カタギの係わるべきものではない株式等の金融投機のほうが比較的リスクが少なく、 起業は大手も含めて、よほど山師的な才能とコネクションがある人、しかもそういう破滅的な博打と横暴、暴力、不正等々の世界がよほどど好きな人しか参入できなくなっている。 ここで株に行くのは誰もが安易だとは思いつつ、他に手段がない。 今、自分の金で起業するのは無謀です。 企業の資産があるなら、それを株に投資して派遣で働きながら、長期的な視点で投資するなら、そっちの方が成功する可能性あるんじゃない? (自主的、強制的wな)脱サラの行く方向が株しかないので。 ___________________
株の盛り上がりのせいで、労働意欲がどんどん無くなってるそうだ。
会社辞めたり、就職もせずに株。 仕事中に株とか、子供ほったらかしで株。 これって日本にはかなり悪影響。 そろそろ暴落の足音が聞こえてきたと思う。 2006年3月くらいまでには撤退した方がいいかもね。 外資や機関はうまく逃げてるみたいだけど。 ちょっと株という世界が甘くみられてる。 もうバブルなんて何という感じだからね。 内の会社でも何人株で稼ぐといって辞めたことか。 大丈夫かよ、この国と思う。 おまけにデフレは脱却するどころか完全に続いてる。 _______________
株式市場では、バブルそのものの動きが活発化し、いまや大学生・家庭の主婦までもがリスクを忘れて株取引に熱中するという有様であり、これはバブル期そのものの動きとなっています。
これだけ株取引が活況なら、さぞ会社四季報は売れて書店からなくなっているだろうと書店に行きますと、そこには山積みにされた四季報がおいてあります。 横で見ていますと、立ち読みさえしないのです。 バブル期の株ブームとはまた違った一面がそこに見て取れます。 バブル期には、多くの国民が株に熱中しましたが、多くの投資家は会社四季報を買い、勉強していました。 それでも、膨大な損を出したのです。 今のネット取引をしている個人は、そのような会社四季報など必要ないのです。 ネットでの書き込み、そして動く銘柄に飛び乗り、飛び降りるだけなのです。 村上ファンドが買ったからと言って飛び乗り、そして、超高速回転売買を行っている為に、会社の内容を知る必要がないのです。株式投資という次元ではなく、数字の売買にしか過ぎません。 それでも、『儲ければ何でも良い、儲けて何が悪い』ということかも知れませんが、確かにお金に色はついていません。 しかしながら、果たしてそれで良いのでしょうか? この審判がこの2006年、しかもごく初期の段階でつくと思います。 _____________________ _____________________
5) 2006年 ライブドアショック
2005年12月30日の日経先物の主な手口
日経先物3月限は前日比310円安の1万6050円で引けた。出来高は7万9052枚だった。 目立ったのがゴールドマン7517枚の大幅売り越し。 日経先物は現物指数との逆ザヤが一時40円以上ひらく場面があったが、日経先物への恒常的な売りの背景には同社がいたようだ。 TOPIX先物3月限は前日比23.0ポイント安の1643.5ポイントで終了した。 出来高は3万2633枚。 日経先物と同じくゴールドマン1516枚の売り越しが目立った。 ゴールドマンは今週に入り全営業日で大幅売り越し。 5日間の合計で推定8975枚を売り越した計算になる。 2006年1月4日の日経先物の主な手口
売り方 ゴールドマン 売2257買1435計-822 オプションでもコールを大幅に売っぱらってプット大量に仕込んでるんだよな。 GSは何らかの確信を持ってやっているとしか思えん。 ソフトバンクをひたすら買いあがって日経を吊り上げたのはGS 年末にひたすら売りまくったのはGS 誰がバブルを演出しているのか気がつけよ ________________
ライブドア捜査の裏側 − 米資との欲得競争に敗北した堀江貴文 堀江貴文は自民党圧勝の最大の功労者である。だから彼は小泉政権に何でも要求できたし、選挙前の口約束以上の褒美をせがんだとしても不思議ではない。 そしてその分け前を最終的にどう捌くかは竹中平蔵の仕事となった。総務大臣というのは郵政事業と放送事業を所管する。
郵政民営化、すなわち郵貯簡保の金の分配は竹中平蔵のフリーハンドとなり、そしてNHK民営化が竹中平蔵の今年の仕事となった。 二つとも米資が虎視眈々と狙っていた大いなる日本資産であり、涎と垂らしながら竹中平蔵と小泉首相の背中を突っついていた極上の獲物である。選挙に勝ち、目標どおり獲物を受け取る番になった。 恐らくそこに向こう見ずな堀江貴文が立ちはだかって待ったをかけたのだ。俺の取り分を多く寄こせと米資と竹中平蔵に横槍を入れたのだろう。堀江貴文は若いから米資の怖さを知らない。竹中平蔵の調停と 分配案に承服せず、事前の報償の口約束をマスコミに暴露すると脅しに出たのではないか。だから寝首を掻かれたのだ。 ライブドアの分け前が消えれば、そのポーションはそっくり米資の懐に入る。これから数日間、取り分の譲歩をめぐって堀江貴文と小泉政権の間で駆け引きが続くだろう。交渉が決裂すれば堀江貴文は 逮捕される。堀江貴文が譲歩すれば起訴猶予で済み、外資が下落したライブドア株を買いに入って会社も安堵される。そのせめぎ合いになる。いずれにせよ、昨夏に堀江貴文が選挙に出馬して夢見た大儲けは儚く消えた。 http://critic2.exblog.jp/2500792#2500792_1 暴落のキッカケとなりましたのは、ライブドア社が東京地検に証券取引法違反の疑いで家宅捜査を受けたことで、積極的な事業展開を繰り広げていた他のネット関連企業にまで連想が広がったことが株式市場全体の足を引っ張りました。 ただし、お昼休み前後には、日経平均がプラスに転じていたことを踏まえますと、後場から取引時間終了にかけての一段安は、一部のネット証券(マネックス証券=GS元社員)がライブドア株式等の代用有価証券の掛目の引き下げを発表した(信用取引の保証金代用有価証券として評価されなくなった)ことから需給悪化懸念が一気に広がったことの方が、本日の株価急落の直接的な要因と言えるかもしれません。 ちなみにGSは今日大量に先物を売っています。確実なインサイダー取引です。
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ライブドアショックというよりマネックスショックの声も。裏にいるのは?
17日午前は、紛れもなくライブドアショックであったが、株価を大きく下げたのは寄り付かないライブドア関連株と新興銘柄にほぼ限られており、資金はむしろ東証などに流れ始め主力銘柄は値を上げていた。
ところが午後の取引に入って、ライブドアや新興とは関係のない優良株までが突然値を崩し始める。 その引き金を引いたとみられるのが、マネックス・ビーンズ証券。 ライブドア関連の株を担保に信用取引きをしていた個人投資家が、追証から逃れる為に他の銘柄株を投売りしければならなくなった為と思われる。 メールを受けたのはマネックス証券の一部の顧客とされているが、取引時間内にいきなりあちこちで、ライブドアとは関係ない銘柄まで売られ始めるのを目の当たりにしてパニック、狼狽売りにより、売りが売りを招いて全体の暴落につながった様です。 http://asyura2.com/0601/hasan44/msg/381.html マネックス証券株式会社代表取締役社長の松本大はゴールドマン・サックスで史上最年少のゼネラルパートナー(共同経営者)に就任し、会社に残ればストックオプションの権利を行使できたそうだ。 http://chiebukuro.yahoo.co.jp/special/entrepreneurs_1st/matsumoto_ooki.html
今回のマネックス証券の暴挙は米国ゴールドマンサックス証券がライブドア社強制捜査前日に大量に日経先物のプット(売り建て)を仕込んでいたことが大きく関連しています。これは日々開示される手口情報で誰でも見る事が出来ます。
マネックス証券の松本大氏はGS証券出身であり、米国からGS関連ヘッジファンドのトレーダーが何故か来日していた事も明らかになっています。 そして強制捜査の翌日、東証は大幅安で寄り付いた物の日経平均はGS証券の意に反して続伸して、前場を終えました。 それから30分後、マネックス証券からLD関連株の代用掛目ゼロ発表。しかも、かつて前例の無い即日適用。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=FN&action=m&board=1008698&tid=8698&sid=1008698&mid=83548 _____________________
大きく下がるとそこが買い場のように見えるから買い増ししまくったらさらに大きく下げて大損…みたい感じ
超特大規模のナンピン無間地獄 それ以前はずっと騰げ騰げできているから本当に資金が尽きないと、現状をしっかり認識できない 水木金のライブドアみたいな感じと言えばわかりやすい?
年末騰げ続けていたのにいきなり下落、\700は割らないと信じてる者はナンピン、更に昨日、\690、\680と下げてはちょっともどす。 ライブドアで儲けた奴らは更にナンピン\670手前で終了したが、今まで堀エモン人気だけで強気で買いまくってた奴らが連休で頭冷やして、まだまだ下がるのでは?という恐怖感が出たらもう底なし沼、 実態の伴わない会社はジェットコ〜スタ〜、怖いのは集団心理と連鎖反応、バブルの時は多くの会社が実力以上の高株価だったので強気のナンピンがあっという間に、弱気の狼狽売りに変わった、ちょっと下げても持ってる株全てが高掴みだから資金が有れば塩漬け出来るけど信用やってるとヤバイ。 ____________________
金曜日からは、追証資金を調達できなかった個人投資家の持分が一斉処分に入るから「下げが下げを呼ぶ展開」になるよ。来週半ばぐらいが仕込み時かもしれない。
今日の後場は、昨日で維持率10%を切った連中の強制決済の時間。 これでここまで市場が大混乱してるんだからね。 明日の後場に、今日で維持率10%を切った連中の強制決済、 明後日後場に、昨日維持率10〜25%の連中の強制決済が待っている。 更にまだ、ライブドアグループの株、投売りが処理できたわけでもない。 リバがあったところで、たかが知れてるし、持続する見込みも危うい。 レバ狙えると思って小銭に欲出すな 絶対来週半ばまで待て
ちょっと上がり気味なになっても絶対買うな 上がりのペースが速くても勘違いして絶対買うな! 来週半ば以降 それからでも絶対遅くない ________________
今買ってるやつらばかだねぇ。バブル崩壊のときも同じ感じだったよ 押し目買いしたやつが死んでいった
暴落直後は大抵戻すよ。 直後はね…… たった一社の疑惑から日経の下げは一時700円を超え、2日で千円近い下げ。 コツンと聞こえたとしても、こういう調整がきたときは相場にひびが入るのはいつものことです。 とりあえずあの膨大な買残が整理されるまでは、昨年の夏〜3日前のような相場はこないと思います。東証はともかく新興はまだ厳しいでしょうね。
あせって押し目をひろわなくても、キャッシュポジションからまた丹念に銘柄拾いをするほうが吉かなと思います。 それと、電話して知り得た限りの証券会社の営業隊は今日買ったそうです。 ほんとお客さんのことなんか考えていません。本部長らの相場観には恐れ入ります。 お客さんを会社から守ることも仕事のうちだと先輩から教えられましたが、当時は未達を免れるために必死だったんです。 _________________
一昨日午後急落する前もうだいじょぶだいじょぶって 盛り返させといて急激に落ちてきただろ
まさに今日がそう 大丈夫そうに見せといて明日金曜、そしてさらに月曜と追証投げ地獄が来る 何故なら今日上がろうと、一旦割った場合は追証差金を入れなければいけないからだ もちろんLD系関連追証は全員氏亡 投売り ものすごい数来るぞ _____________________
リスクを忘れた投資家は?
昨日、今日で日経平均は900円以上下落しており、目一杯株を買いついてきた個人投資家の中には、パニックに陥っている例もあるようです。 信用取引で買いついた投資家は、いまや全てをなくす直前にまで追い込まれている例も出てきているからです。 まさに、Vol.27 ワールドレポート(2006年1月15日)で指摘しました歴史は繰り返すが今起こっているのです。 このような中、今後どのような動きになるでしょうか? 今日の下げで個人が投げさせられて、そこを本当の勝ち組である外人・機関投資家が買う。 このような動きが今日の株式市場で見られます。 勝ち組は、決して上値は買いにいきません。 投げてくれば、そこを少しずつ買い下がっているのです。 そして、個人が投げ終わった段階で、今度は一気に買いに入るでしょう。 『安く売ってくれて有難う』という形で・・・。 今日の午後以降、相場は非常に面白い動きになると思います。 そして、円相場です。 今日は1ドル115円70銭まで円安が進んできており、この先、円が120円まで売られることになる筈ですが、それは更なる株売りを誘発することになります。 本格的に外資が日本から逃げていくからです。 市場エネルギーが縮小するなか、小型株のまさに乱舞が見られる筈です。 恐ろしい程の乱高下が・・・。 そして、この相場の最後になります・・・。
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