2017.3.17 お坊ちゃんだったが故、ウォリスとの出会いで人生が流転… https://forzastyle.com/articles/-/51211
"世界には想像の遥か上を行く、お洒落な偉人たちがいた"。彼らのスタイルや生き方を学ぶことこそ、スマフォー(スマートな40代)への近道と考えた編集部員たちは『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任した大先輩である服飾評論家 林 信朗氏を訪ね、教えを乞うことに。新連載二回目は、イタリア人でも憧れる英国ファッションのアイコン、ウインザー公についてたずねます。
ヤナカ:う〜ん、ウインザー公のお洒落力、ちょっと圧倒されちゃいますねえ。まさにお洒落に生きた人生、そういう感じがしますよ。だってカッコ悪いウインザーの写真って一枚もないですものね。 林:とくに王子時代は、服に国家予算をふんだんにつかえたわけだし(笑)、従者たちもそのためにとにかく懸命に働いたんでしょうね。
ヤナカ:でもね、先輩、いつだったか先輩がオススメになっていたNetflixの「ザ・クラウン」のシーズン1をぼくも観たんですが、退位してからのウインザー公のことを好意的には描いていませんね。悪巧みをしたり、お金にも困っていたというか、年金の額を増やせとか(笑)、わりとセコイ話がでてきたり。 林:ははは、あったね。取材でもお金とるとかね(笑)。でもね、そのあたりを知るのも大切なんだよ。たとえば、英国人とウインザーについて話す場合も、ファッション以外については、けっこう微妙だよ。ひとつには、政治的に、ウインザーはナチシンパ、ヒトラーシンパだと存命時から思われていたというのがあるね。 ヤナカ:そりゃあ、ヤバイんじゃないですか(笑)。
林:ヤバイ、ヤバイ。英国にとって第二次世界大戦最大の敵ですからね。 ヤナカ:それがまたどうして? ハニートラップとか(笑)。 林:もともとウインザー家というのは、ハノーヴァー・サクス・コバーグ・ゴータ家というのが本名なんだ。英国っぽい名前じゃないでしょ? おじいちゃんであるエドワード7世から始まったドイツ系の王朝なんです。エドワード7世のお父さんのアルバートも、お母さんのヴィクトリア女王もドイツ系だから。だけどあまりにドイツっぽいからって名前を変えたわけ。その間もドイツは敵だったり味方だったりしたけれど、ウインザー公は基本的にドイツ贔屓、それがまずかった。 ヤナカ:まさかドイツと通じていたとか……? 林:そう思われてもしかたがないんだよ。なにしろ1937年、英国王を一年足らずで退位した翌年ですね、ウインザー公とシンプソン夫人はだなあ、あ、もうシンプソン夫人はおかしいな、ウォリスは、非公式ではあるがドイツを訪問、大歓迎を受け、ヒトラーと仲良く記念写真におさまっている。英国王室に徹底的に嫌われたシンプソン夫人もドイツに暖かく迎えられて舞い上がっちゃったんじゃないか。しかも、ウォリスは、駐英ドイツ大使で、後にナチス政権の外務大臣になったリッベントロップとデキていた。性的な関係もあったのです。だから、あなたハニートラップってさっき言ったけど、逆ハニートラップですよ。
ヤナカ:凄まじいダークヒストリーですね! 林:ヒトラーは、どうやら、この二人を利用しようとしたんだね。戦況がドイツ寄りになったら、ウインザーを王にもどし、英国を間接支配しようと。この事実ね、王室の人間がヒトラーの陰謀に加担していたというのは、ほんとにまずいから、戦後チャーチルはこのあたりの情報をすべて隠蔽するんだが、結局ひとの口に戸はたてられない。現在の英国のメディアには、ナチシンパ・ウインザーの話は数限りなく出回ってるんだよね。 日の名残り (ハヤカワepi文庫) カズオ イシグロ著 amazon ヤナカ:なんだかカズオ・イシグロの『日の名残り』にでてくるあのドイツと宥和しようとする貴族のようですね。ちょっと悲しいなあ。 林:どうだろうね、ウインザーは、甘やかされて育ったお坊ちゃんだから、悪気はないでしょう。ウォリスとの出会いが彼の人生を狂わせたような気もするな。 ヤナカ:先輩、こういっちゃなんですけど、ウォリスって、プレイボーイのウインザーが夢中になるほどの美人ですか?
林:いやあ、ごらんのとおり、特別美人というわけでもないでしょう。スタイルだって欧米の感覚からすれば貧弱だよな。服やアクセサリー、インテリアなどのセンスは天下一品ではあるが。 ヤナカ:そういうセンスや趣味的なところがウインザーと気があった、と見るべきですかね。
林:それもあるだろう。二度の離婚など人生経験豊富だから、ウインザーの相談にもいろいろのってあげたんでしょう。でもね、ベッドのほうでもウォリスはたいへんなものだったとチャールズ・ハイアムという作家が書いているんだよ。若いころ香港の娼館で男として自信のない男性をリラックスさせ、喜ばせるテクニックを体得したのだと。ウインザーはモテるのは最高にモテるんだけど、そちらの方面ではコンプレックスがあったらしいから、ふたりはうまくいったんだろうね。 ヤナカ:それだったら別れられないですよね。王位を捨ててまで彼女を選んだ理由、なんとなく理解できるような気がします。
林:いや、もちろんウインザーは退位なんかしたくなかったんだよ。ウォリスもものすごい上昇志向の女性だから、なにがなんでも英国王室に入りたかった。だけど、王室も、英国教会も、政府もそれだけはゆるさなかったわけだよ。ヤナカ君も観た『ザ・クラウン』では、退位してパリ郊外に住んでいるウインザー公夫妻が登場するんだが、あの二人の王室への恨み節がアチコチにでてくるでしょう? ヤナカ:はい。王室は王室で、この夫婦が悪しき前例をつくり、王室を傷つけたという恨みがあるから、できるだけ避けよう避けようとしているというか。
林:まあ、それでもウインザーは死ぬまで好きな女性と過ごせたわけだし。シンプソン夫人も好きなファッションや社交の世界で、驚くほどスタイリッシュな生活をしてたわけだからね。 ヤナカ:ほんとだ、すごくお洒落な家ですね。適度に英国っぽくって。 『The Windsor Style』Suzy Menkes著 amazon 林:そう、これはスージー・メンケスというファッションジャーナリストの”The Windsor Style”という本だよ。ウォリスのスタイルブックと言ってもいいかな。もちろんウインザーのファッションについても詳しく書かれているよ。 ヤナカ:ぼくがまとめるのはヘンかもしれませんが(笑)、パリでこんなお洒落な生活ができるなら、いいじゃないですか。歴史的にみても、ウインザーさんがヒトラーのスパイになって連合国側の情報を漏らしてもらったら困るし(笑)、国王にはマジメな弟のほうが適任だったようですし。
林:そこらへんはね、『英国王のスピーチ』と『クイーン』という映画もセットで観るといいよ。英国王室の近代史が見事に集約されているからね。 https://forzastyle.com/articles/-/51211 ▲△▽▼ ウィンザー公エドワード8世「世紀の恋」 イギリス国王エドワード八世が、王位を捨て二度も離婚歴のあるアメリカ女性 ウォリス・シンプソンと結婚した。それは「王冠を賭けた恋」と一大スキャンダルとなった。 離婚歴のある女性との前代見聞のスキャンダルに王室関係者は眉をひそめた。 写真家のセシル・ビ−トンはウォリス・シンプソンのことを「愛嬌のあるブス」と形容した。 傲慢な性格で二度の離婚歴のある女性にどんな魅力があったのか? 皇太子には、性的な欠陥があり、それをウォリスが克服させた。
「なぜ皇太子が、美人でもないシンプソン夫人にあれほどご執心なのか」 という疑問に、答えられる者は誰もいなかった。 答えは、シンプソン夫人のベッド・テクニックに皇太子が参ってしまったから。 彼女が海軍士官夫人だったころ、夫の赴任先である上海にしばらく住んでいたことがある。 このときに習得した中国式の閨房術によって、エドワードの早漏を治したというのである。 http://www.ebookbank.jp/hochi/ep/item/1-39832/ 「王冠を捨てた恋」の真実が暴露されたのは21世紀に入ってからだった。イギリスの諜報部の資料から、シンプソン夫人はエドワード8世との交際と同時進行で年下のセールスマンとも付き合っていた事実や、ナチスのリッペンドロップとも深い関係にあった事などが次々に暴露されたのだった。
「王冠を捨てた恋」でシンプソン夫人の結婚による王室入りにイギリス政府が難色を示した本当の理由は離婚歴ではなく、シンプソン夫人の正体はナチスの手先で、エドワード8世との結婚によってイギリスがナチス融和路線に転じて国の進路を誤るのではないかと危惧したという事であった。 「王冠を捨てた恋」のロマンスの背後にはヒトラーの影があった。ヨーロッパでナチスドイツの進撃盛んな頃にカリブ海に夫妻が追いやられたのも、イギリス政府がシンプソン夫人の背後にいるナチスを警戒したためであった。 その事実をエドワード8世は知る事はなかったものの、シンプソン夫人との夫婦仲は冷え切っており、それでも意地で外では仲の良い世紀のロマンスのカップルを演じ続けなければいけない苦しさ。「王冠を捨てた恋」はエドワード8世とシンプソン夫人を死ぬまで縛り続け、世間の目を気にして2人は離婚も出来ず、別の伴侶と恋愛の自由を謳歌も出来ず、これなら結婚などせずに愛人関係のままの方がどんなに良かったろうと思った時もあったのではないか。 http://www.geocities.jp/showahistory/history02/11c.html 「ドイツ外交文書集1918−45(Documents on German foreign policy 1918-1945)」という本があります。中身は、第2次世界大戦後ドイツを占領したイギリス軍によって押収され、編集を加えた上で戦後すぐ刊行されたドイツの外交文書です。しかし、その中の、ある文書を出版するとウィンザー公とナチスドイツとの「淫靡な関係」が明らかになろうとしたので、イギリス政府がその部分を抑えたのでした。
ところが、その後60年たって押収されたあと隠されていたその文書の一部が明らかになり、国王エドワード8世のイギリスへの背信行為が白日の下にさらされることになったのです。 そしてさらに、21世紀に入った2002年にアメリカのFBI文書の公開によって、さらに明らかになったことは、実は退位してウィンザー公となった彼の「最愛の妻」シンプソン夫人は、ドイツ諜報部の職業的工作員だったという事実でした。しかもヒトラーの外務大臣リッペントロップのエージェントで、愛人でもあったのです。 ウィンザー公とつまりエドワード8世がハニートラップにあって、国王自身がドイツ外務省のエージェントに成り果てようとしていた。そのことをイギリスのスパイ摘発機関が嗅ぎつけて、それを国王に突きつけたのです。たとえ国王であっても国を裏切る者は許さない、この峻厳さが数百年にわたるあの国の存立と繁栄を支えるものでした。だからこそ、これを「悲恋物語」に仕立てて、王位を去らせたのです。 しかし例え、「王室を守るため」であっても、歴史の真実を独占することは許されません。イギリス政府の隠蔽にも拘わらず、60年後の1995年11月、イギリスの有名な新聞「ガーディアン」が「カイザー・エドワード」と題してウィンザー公と、つまりエドワード8世はドイツのスパイだった、という記事を掲載し、同じく「オブザーバー」は「ウィンザー王室の恥−ナチスとの協力」と題し、60年ぶりに歴史の真実の一端を報じました(それぞれ11月12日、同13日付) 悲恋物語はウソだったのです。しかし、それでもイギリス政府はいまだに隠し続けています。エドワード8世の裏切りに関するイギリス側の公文書の公開は「2044年まで非公開」という決定が下されている。つまり「100年ルール」が適用されることが明らかにされているわけです。このエピソードは。「歴史は誰のものか」を考える意味で、いくつかの重要な問題を含んでいます http://piano-music-life.blog.eonet.jp/default/2009/05/post-0984.html
|