定年後アルコール依存症に陥りやすい人の特徴 「暇だから」「何となく」という飲酒が危険 前田 みやこ 2020/06/27 © 東洋経済オンライン 定年後、わずか数年でアルコール依存症に陥ってしまう人が増えている。そうなる人の傾向とは?(写真:筆者撮影) 新型コロナウイルスの影響で、自宅で過ごす時間が長くなるなか、何となく昼からビールやチューハイに手が伸びるという人も多いのではないだろうか。実は新型コロナ騒動の前から、同じように持て余した時間をお酒で埋め、その結果としてアルコール依存症に陥る人たちがいた。定年退職後の60〜70代男性である。 近年、何の問題もなく定年まで勤め上げた人が、定年退職からほんの数年でアルコール依存症に陥ってしまうケースが増えている。今はコンビニなどで手軽にアルコールが入手でき、値段も安い。ストロング系といわれる、手っ取り早く酔えるアルコール飲料も増えている。 もともと飲酒と親しんできた世代が、自由な時間を埋めるため、生きがいの喪失や孤独感を埋めるために、それほど懐も痛まないお酒に頼るというのは想像に難くない。当事者とアルコール依存症の専門医の話を元に傾向を探った。 定年退職から3年足らずで幻覚が出現
「大きな物音で目が覚めると、子どもを連れた若い女性が庭を歩いていたんです。おかしいなと思って見ていると、今度は落ち武者が現れて……」。下村和志さん(69歳・仮名)が幻覚を見たのは、勤めていた家電量販店を定年退職し、2年10カ月後のことだった。周囲は口を揃えて「お酒のせい」「あんたはアル中や」と言ったが、本人にその自覚はなかった。 40歳を過ぎた頃から酒量が増え、ロング缶(500mL)のビールを毎日6本飲む生活を長く続けてきた。50代で離婚を経験し、食生活が荒れた。朝食を食べなくなったうえに、夜はおつまみとビールだけ。ロング缶6本は多いと思い、3本しか買わないようにして、それで済ませられる日もあれば、コンビニに買いに出ることもあった。休肝日というのは記憶にないくらい毎日飲んでいた。 65歳で定年を迎えるとすぐに日の高いうちから飲むようになった。「なんせ手持ちぶさた。それで朝のビールを覚えた」。それでも下村さんの場合、1日の飲酒量が増えることはなく、6缶を1日かけて飲んでいたという。 「何かせなあかんなとは思てたんですけど、まぁそのとき(定年)になったら何とかなるかなと。結局、酒を飲んでしまったら車にも乗れないし、ずっと家にいることになる」。離婚して子どもを連れて戻ってきた娘は、ずっと家にいてビールばかり飲む父親にいい顔をしなかった。 子どもから「体に良くない」と何度注意されても、下村さんがお酒の量を減らすことはなかった。「たばこが体に悪いという意識はあったんですけど。お酒は頭が痛かったり、喉が痛かったりしても飲んだら治る、良薬というような感覚がありました」。 幻覚をきっかけに娘がアルコール依存症治療の専門病院を予約。なかば強制的に連れていかれ、以来、2週間に1回の通院を続けている。飲まない生活を続けられているのは、飲酒をやめてから体調が改善したことを実感したからだ。家にこもって飲み続けていた頃は、座ったら立ち上がれないくらいに体が弱ってしまっていた。何回も同じことを言っていると指摘されることもあった。 「まさかこんなことになるとは思わなかった。あのまま飲み続けてたら、肝臓つぶしてたと思う。昔の体と違いますからね。仕事もせず、運動もせずにそのまま飲み続けてたら、結局(体が)蝕まれている」。 定年退職後しばらくの記憶がない 小野忠雄さん(75歳・仮名)は、定年退職から4年後にアルコール依存症と診断された。アルミメーカーの営業職として、高校卒業から60歳まで実直に勤め上げ、ようやく自由な時間を手に入れたと思ったら、気付けば病院のベッドの上だったのである。 飲酒が日課となったのは結婚がきっかけだった。27歳で結婚し、晩酌の時間が日々の楽しみとなった。最初は日本酒1合をゆっくり飲んでいたが、徐々に量が増え、一升瓶が2〜3日で空くようになった。飲酒量は多いものの仕事に影響を及ぼすことはなく、家庭も問題ないという認識だった。 それが定年後、2年ほどでつねに飲んでいる状態になってしまった。理由を聞くと、その答えは「ひとことで言うと、暇だから」。焼酎の720mL瓶を2日で3本空けるようになり、つねに酔っぱらっているか2日酔いの状態になった。酒は長年、妻が買ってきていたが、量を制限するようになったため、自分で買いに行くようになった。 「病院はおそらく娘が調べて、嫁が予約をとった。しゃーないなと。体がだるかったから、入院させてくれるならいいと思った」。座卓で飲み続け、立とうと思ってもなかなか立ち上がれない状態まで体が弱っていた。 アルコール依存症治療の専門病院を受診し、即入院となったが、それでも本人にアルコール依存症の認識はなかったという。「飲み過ぎているなと思ったことはあったけど、飲みすぎかな? くらい。どうってことはない、アル中とは違うと思ってた」。 定年後しばらくのことはほとんど覚えていない。「つねに酔っぱらっていたから。入院後も2〜3週間の記憶はない」。3カ月近い入院期間中、患者本人や家族がそれぞれの体験を語る「院内断酒会」に参加したが、当事者の語りを聞いても自分はアルコール依存症ではないという認識だった。「酒を飲み過ぎたら、あんな風になってしまうんやなっていうくらいの感覚」。そんな小野さんの意識を変えたのは、家族の語りだったという。 「嫁さん連中の話はこたえる。女性は特にオブラートに包まんでしょ。ひどい話を聞くたびに、ひょっとしたら自分も嫁さんや子どもに同じようなことをしてたんかもしれんと思う。酔っぱらって覚えてないだけで」。 現在、妻とは会話も増え、良好な関係を保っているが、子ども達の態度は冷たいと感じている。「言い訳なんですよ。酔っぱらっていたからわからんっていうのは。でも(ひどい行いを)やっているかもわからん。いや、やっていたやろうと思う」。 「仕事の上での付き合いしかしてこなかった」 その後悔から、以降いっさい飲酒はしていない。退院後は、ジムに通ったり、図書館で本を読んだりして過ごすようになった。「友達が少ないわけです。仕事上の付き合いしかしてこなかった。ある意味、寂しい人間やね、定年後に暇を持て余して酒を飲むというのは。自分が可哀そうやなと今は思います」。 今もお酒をやめ続けるために、各地の断酒会が行う「一泊研修会」に年6〜7回参加している。そこでもやはり家族の話が心に響く。酒を断って11年になるが、子ども達との失われた関係を修復する糸口は見つかっていない。 アルコール依存症治療を専門とする新生会病院(大阪府和泉市)の院長の和気浩三氏は、定年後はアルコール依存症発症の危険なタイミングであると警鐘を鳴らす。 「定年後には“落とし穴”があります。当院を60〜70代で訪れる方は、多くが定年まで問題なく勤め上げてこられた、いわば真面目な方。現役のときには、まさか自分が依存症になるなんて思ってもみなかった方が、早い人では定年から数年でボロボロになってしまう」 また和気氏は、アルコール依存症患者全体の高齢化を指摘する。「アルコール依存症の治療を始めて約20年になりますが、患者層は高齢にシフトしています。以前は40〜50代が中心でしたが、今は50〜60代が中心。特に65歳以上の患者さんは、以前は少数派でしたが、今は約3割を占めています」。 和気氏は富田林保健所の嘱託医を務めているが、アルコール関連の相談は70代からが圧倒的に多く、問題となるほどの飲酒が始まった年代を調べてみると81.5%が60歳以降だったという。 高齢者は若い世代よりも少量で酔っぱらう。「健康日本 21 推進のためのアルコール保健指導マニュアル」によると、加齢の影響により体内の水分量が低下するため、若い人と同じ量の飲酒をしても高齢者のほうが、血中アルコール濃度が上昇する。高齢者は何らかの薬を服用していることが多く、薬とアルコールとの相互作用により酩酊しやすくなることもあるという。 酒で「ストレス発散」癖ある人は注意 若い頃と同じつもりで飲んでいると、自然とアルコール依存症への道を突き進んでいってしまうのだが、60代の当人に「高齢者」という意識はまだないというのが実際のところではないだろうか。下村さんも、「退職した頃はまだまだ現役という意識があった」と語っている。 また、日本アルコール関連問題学会などがまとめた「簡易アルコール白書」によると、高齢者がアルコール依存症になる要因として、「退職」「配偶者や友人との死別」、それに伴う「社会的孤立」「健康問題」などが挙げられている。若い頃から飲酒によりストレスを発散させる傾向のある人は、こうした高齢者特有の喪失感やストレスをお酒でまぎらわそうとして依存症に陥ることが多いとされる。ただ、和気氏は自身の診療経験からこう感じているという。 「年齢層によってアルコール依存症になる背景には一定の傾向がみられます。例えば、若い人は虐待の既往や不安障害などの精神疾患を背景に、心の傷を癒すためにお酒を飲むことが多いです。中高年であれば、仕事上のストレスや不眠などを紛らわすために飲酒をすることが多い。一方で高齢者の場合には、特にこれといった背景があるわけではなく、ただ定年後にぽっかりと空いた時間があって、それを手っ取り早い手段としてお酒で埋めていることが多いようです」。小野さんの言う「ひとことで言うと、暇だから」である。 特に理由もなく、何となく日中から飲み始めるようになると、問題は間もなく起こり始める。 「60歳以降でアルコール依存症になると、多くの方で『転倒』『失禁』『物忘れ』が起こります。ご本人は酔っぱらっていて覚えていないことが多く、ご家族が苦労しているということが多いですね。また、認知症になるのが早まります。一般的に認知症は70代以降で起こることが多いですが、アルコール依存症者では60代から認知機能の低下が起こってきます」。ある研究では、60歳以上のアルコール依存症者の43.5%に物忘れ以上の認知機能障害がみられたという。 その要因はさまざまであり、まずアルコールに依存する生活になると、十分な食事をとらなくなっていくことから、ビタミン欠乏によるウェルニッケ・コルサコフ症候群になり、その症状として認知機能の低下が起こることが多いと指摘している。また、同研究は、飲酒量が多いと脳梗塞などの脳血管障害のリスクが高くなる、肝障害も脳へ影響する、転倒による硬膜下血腫や脳挫傷が多くなるとも書いている。 家族や介護者を困らせる「暴言」 「暴言」で周囲を困惑させることもある。「年をとって酔いやすくなっていることに加え、おそらく認知機能の低下と関連して自制がきかなくなる面がみられます。これは介護職の方からもよく聞く話です」と和気氏は話す。 関西の介護従事者(ケアマネ、ヘルパー、看護師等)を対象に実施されたアンケート調査では、79.1%もの人が「利用者のアルコール問題を経験した」と回答している。 「酒浸りで生活が荒れている。暴言をはく。そういったことは依存症の病状なのですが、それをわからないまま介護するというのは精神的な負担が大きいと思います」。和気氏は近年、介護従事者を対象とした講演会や講習に呼ばれて話をする機会が増えてきたそうだ。 アルコール依存症は「否認の病」といわれ、本人は自分が依存症であると認めないことがほとんどだ。先の下村さん、小野さんがそうであったように、家族が心配して医療につなぐことが多い。飲酒量が多いことを心配する家族、あるいは介護従事者はどうすればよいのだろうか。 「まず話をするタイミングが重要です。一度、しらふのときに話してみてください。ご家族にうかがうと、『飲まないと約束していたのに酔っぱらっている』というタイミングで話しているケースがよくみられます。それが続くと、家族は口を開くと責めるようになり、本人はまた責められると感じます。しらふのときに、責めるのではなく『心配している』というメッセージを伝えてください」 依存症の状態になり、飲酒が続くと、酒が酒を呼ぶ状態になるという。重症になれば、離脱症状を回避するために飲まざるを得ない。「お酒が切れると苦しいから飲む」ということになってしまう。 「ですからご家族には、『そういう飲み方は、もう本人が好き好んで飲んでいるのではなく、依存症が進んでしまって仕方なくそうなっているのかもしれないですね』というお話をします。考えてみたら不憫ですよね、と。家族がひどいと思っている行いが『病状』であるということを知ってもらえれば、かける言葉が変わり、関係性が変わってくることがあります」。 2014年6月に「アルコール健康障害対策基本法」が施行され、各都道府県には精神保健福祉センターや保健所などに、当事者や家族が気軽に相談できる相談拠点を確保することが盛り込まれた。精神保健福祉センターは敷居が高いかもしれないが、保健所ならアクセスしやすいという人も多いのではないだろうか。相談はもちろん無料だ。 医療機関にかかる場合も、本人が飲酒をやめる気がなくても相談に行くことは可能だという。「診察はご本人の思いを聞くことから始まります。そのときは飲み続けるしかできない人も、すべての支援を拒否するかといったらそうではありません。支援を途切れさせないことが大切です」(和気氏)。 治療においても、高齢者では依存症を認めるかどうかは重視していないそうだ。「若い人の場合は、依存症であることを認めて自分自身と向き合うプロセスが重要になります。一方で高齢者の場合は、自分が依存症であることを認めるかどうかは棚上げして、お酒を飲んでいないほうが、ご飯がおいしく食べられる、体調がよくて快適であるということに焦点を当てたほうが、治療がうまくいくことが多いです」。 高齢者の飲酒、適量は? 厚生労働省が示す「節度ある適度な飲酒」は1日平均純アルコールで20g程度、具体的には「ビール中ビン1本」「日本酒1合」「チュウハイ(7%)350mL缶1本」「ウィスキーダブル1杯」だ。高齢者はどれくらいの量が適当なのだろうか。 「飲酒しないのが一番です。飲むとしても厚生労働省が提示する量の半分。休肝日は多いほうがいいですし、量は少ないほうがいい。一番いいのは繰り返しになりますが『飲まないこと』です。高齢者に限らず、飲酒による健康へのメリットはないと思ってもらったほうがいいです。少量なら健康にいいという説も最近は否定されるようになってきています」。 厚生労働省の発表によると、2018年の日本人の平均寿命は男性が81.25歳、女性が87.32歳と男女ともに過去最高を更新している。定年は区切りであるが、多くの場合、その後約20年にわたり人生は続いていく。いかに過ごすかを考えたとき、「暇だから」「何となく」の飲酒は避けておいたほうがよさそうだ。 1)アルコール保健指導マニュアル研究会:健康日本 21 推進のためのアルコール保健指導マニュアル.社会保険研究所、東京、2003 2)松下幸生、他:厚生労働省精神・神経疾患研究委託費「薬物依存症・アルコール依存症・中毒性精神病治療の開発・有効性評価・標準化に関する研究」総括研究報告書(主任研究者 和田 清)、2007年 3)松下幸生、他:アルコール依存症に併存する認知症.精神神経学雑誌112:774-779、2010 4)関西アルコール関連問題学会:介護現場でのアルコール関連問題Q&A.筒井書房、東京、2009 https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/定年後アルコール依存症に陥りやすい人の特徴-暇だから-何となく-という飲酒が危険/ar-BB161qs3?ocid=ientp
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