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財務次官 矢野康治は経済が全くわかっていない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1708.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 09 日 18:52:50: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 14 日 18:16:03)

財務次官 矢野康治は経済が全くわかっていない


第290回 緊急生配信 国家財政が破綻するの嘘



 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-16044] koaQ7Jey 2021年10月09日 18:57:19 : yCF5w5sEnQ : TEI1cGhkekR4TlE=[10] 報告
暗雲
2021-10-08
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12702491664.html

 昨夜の地震が、意外に大変なことになっているので驚いています。電車もタクシーも混雑しているため、今日の午前中は混乱が続くのでしょう。
 さて、岸田内閣ですが、鈴木財相が「PB黒字化に取り組む」と発言。早くも(予想通り)暗雲が立ち込めてきました。

『2025年度のPB黒字化達成へ「しっかり取り組む」=鈴木財務相
 鈴木俊一財務相は7日、基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の2025年度黒字化目標の達成に向けて「しっかり取り組む」との考えを述べた。ロイターなど報道各社のインタビューで語った。
 歳出改革を進めるなどして「質の高い2022年度予算を編成する」との意欲も示した。今後策定する追加経済対策の規模には言及しなかった。(後略)』

 岸田総理は、
「公的価格(公共サービス従事者の所得)の引き上げ」
「財政単年度主義の是正」
「経済安全保障強化の投資」
 といった、「長期の財政支出」が必要な政策をか掲げています。


 実は、上記の長期の財政支出とPB黒字化を両立させる術はあるのです。すなわち、
「公的価格引き上げで支出が増えたなら、他を削ればいい」
 と、トレードオフをやればいい。

 とはいえ、何を削るのでしょう? 社会保障? 公共投資? 防衛費? 科学技術予算? 教育? 地方交付税交付金? 削れる予算など、ないのです。

 というわけで、岸田総理の「PB黒字化目標を撤廃せず、公的価格引き上げ等、長期の予算拡大を進める」スタイルは、早晩、袋小路に行き着くことになります。

 あくまで予想ですが、
「PB黒字化目標を残し、財政拡大系は諦める」
 方向になるでしょう。


 岸田内閣が発足し、確かに露骨な「竹中的」な新自由主義は排除されるのかも知れませんが、財務省はむしろ攻勢を強めてきています。

 何と、矢野財務次官までもが、参戦。

『「このままでは国家財政は破綻する」矢野康治財務事務次官が“バラマキ政策”を徹底批判
「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。
 数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」
 そう語るのは財務省事務方トップの矢野康治事務次官(58)。10月末の総選挙に向けて与野党ともにバラマキ合戦のような経済政策をアピールするなか、財源も不確かな財政楽観論を諫めようと、「文藝春秋」11月号に論文を寄稿した。財務事務次官と言えば、霞が関の最高ポストのひとつ。在任中に寄稿するのは異例のことだ。(後略)』

 大和魂と言うのは、あれでですか? 間違った方針に固執して、国民を殺すことなんですか。

【日本の国債発行残高の推移(兆円)】
http://mtdata.jp/data_77.html#kokusai

 矢野は、
「先ほどのタイタニック号の喩えでいえば、衝突するまでの距離はわからないけれど、日本が氷山に向かって突進していることだけは確かなのです。この破滅的な衝突を避けるには、『不都合な真実』もきちんと直視し、先送りすることなく、最も賢明なやり方で対処していかねばなりません。そうしなければ、将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます」
 と、逃げを打っていますが、すでに20年度の国債発行残高は、91年度の5.3倍になっているんだわ。それで? 何か問題起きた?


 タイタニックでも何でも構いませんが、とりあえず「いつ」氷山に衝突するのか断言しろよ。


 「距離は分からない」って何だよ。そんなに適当なのか。


 まあ、適当なのですが、このままで岸田内閣は、新自由主義の転換や格差是正をお題目に「増税路線」に突っ込むことになると思います。


 容赦なく、正しく、批判しましょう。


 特に、野党の皆さん。先日も書きましたが、
「岸田総理の理念は素晴らしいと思いますが、PB黒字化目標を堅持する以上、達成できないですよね。要するに、絵に描いた餅を掲げて総裁選を戦ったんですか? つまり、嘘をついたんですか?」
 と、容赦なく追及してくださいませ。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12702491664.html

2. 中川隆[-16040] koaQ7Jey 2021年10月10日 07:42:42 : MKtlKLYSaM : cGpaQUJRN3pRcjI=[1] 報告
矢野康治財務事務次官の「選挙妨害」
2021-10-10
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12702691806.html


 今月末の総選挙に向けた自民党の公約(重点政策)から、「財政健全化」「財政再建」が消えました。

『次期衆院選における自民党の重点政策が決定』

 所信表明演説において、自民党の総理大臣が「改革」という言葉を使わない。重点政策から「財政健全化」が消える。
 行きつ戻りつ、もやもやしますが、確かに「転換」は始まったのかも知れません。


 というわけで、財務省は相当に焦っているようで、先日も取り上げた矢野康治事務次官の「暴走」に至るわけですね。

『与野党論争「ばらまき合戦」と批判 矢野財務次官、異例の寄稿
 財務省の矢野康治事務次官は8日発売の月刊誌「文芸春秋」11月号に寄稿し、自民党総裁選や衆院選をめぐる政策論争に関し、「ばらまき合戦のようだ」と批判した。財政再建の必要性を訴える内容だが、現役の事務方トップがこのような形で自らの意見を表明するのは異例だ。』

 異例だ。じゃあ、すまないですよ。何しろ、今月末には選挙があるのです。

 与野党の複数の政治家から、
「矢野の寄稿は憲法違反」
「選挙妨害だ」
 という声が入ってきております。


 公職選挙法は、「公務員等の地位利用による選挙運動の禁止」として、


『第百三十六条の二 次の各号のいずれかに該当する者は、その地位を利用して選挙運動をすることができない。
一 国若しくは地方公共団体の公務員又は行政執行法人若しくは特定地方独立行政法人の役員若しくは職員』

 と、公務員の「選挙運動」を禁じています。もっとも、禁じられているのは「選挙」運動であり、政治的な意見を述べる「政治活動」は認められています。(「選挙運動」とは、「誰誰に投票してください」とやることです)


 とはいえ、j実は国家公務員は政治的行為も制限されています。

 具体的には、国家公務員法によります。


『第102条 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。』


 国家公務員は「国民全体の奉仕者」であるため、政治的に中立な立場を維持することが求められます。また、公務員の地位は政治勢力の影響又は干渉から保護されており、政治動向により変動してはなりません。


 というわけで、国家公務員は一定の政治的目的を持つ政治的行為を制限されています。

 人事院が国家公務員に対し、制限している政治的行為に、
『多数の人に接し得る場所で政治的目的を有する意見を述べる』
『政治的目的を有する文書の発行・掲示・配布等』
 があります。矢野康治の文藝春秋における「財政破綻」を煽る寄稿は、完全にアウトです。


 とはいえ、「制限の対象とならない行為」つまりは例外行為に「職務遂行のため当然行うべき行為」が入っています。矢野は、財政破綻を避けるためにバラマキ批判をするのは、「職務遂行のために当然行うべき行為」と逃げを打つでしょう。


 もっとも、そもそも日本の「財政」を決めるのは財務省ではありません。国会議員なのです。


 日本国憲法には、
『〔財政処理の要件〕
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。』
 とあります。


 それにも関わらず、文藝春秋の寄稿のタイトルは、
「国家財政をあずかる現役トップ官僚の告発「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」」
 となっている。もはや、タイトルからして憲法違反でございます。


 国家財政を預かるのは、財務官僚ではないから。国会議員ですから。

 それにしても、憲法、国家公務員法に抵触している(あるいは限りなく黒に近いグレー)な寄稿を上げるほど、矢野康治財務次官や財務省は追い詰められているのでしょうか。


 しかも、選挙前のタイミングですから、「財政出動」を公約に掲げる政治家、政党(少なくないです)が怒って当然です。


 矢野康治は、もしかしたら墓穴を掘ったかも知れません。
 与野党の政治家の皆さん、是非とも矢野康治の「暴走」を批判して下さいませ。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12702691806.html

3. 中川隆[-16034] koaQ7Jey 2021年10月10日 09:10:45 : MKtlKLYSaM : cGpaQUJRN3pRcjI=[9] 報告
雑記帳
2021年09月19日
縄文時代と古墳時代の人類の新たなゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_20.html

 縄文時代と古墳時代の人類の新たなゲノムデータを報告した研究(Cooke et al., 2021)が報道されました。日本列島には、少なくとも過去38000年間ヒトが居住してきました。しかし、その最も劇的な文化的変化は過去3000年以内にのみ起き、その間に住民は急速に狩猟採集から広範な稲作、さらには技術的に発展した「帝国」へと移行しました。これらの急速な変化は、ユーラシア大陸部からの地理的孤立とともに、アジアにおける農耕拡大と経済強化に伴う移動パターンを研究するうえで、日本を独特な縮図としています。

 農耕文化の到来前には、日本列島には土器により特徴づけられる縄文文化に区分される、多様な狩猟採集民集団が居住していました。縄文時代は最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に続く最古ドリアス期に始まり、最初の土器破片は16500年前頃までさかのぼり、世界でも最古級の土器使用者となります。縄文時代の生存戦略は多様で、人口密度は時空間により変動し、定住への傾向がありました。縄文文化は3000年前頃となる弥生時代の始まりまで続き、その頃となる水田稲作の到来により日本列島に農耕革命がもたらされました。弥生時代の後には古墳時代が1700年前頃に始まり、政治的中央集権化と帝国の統治が出現し、日本を定義するようになりました。

 日本列島の現代の人口集団の起源に関する長く提唱されてきた仮説では二重構造モデルが提案されており、日本人集団は先住の「縄文人」と後に弥生時代になってユーラシア東部本土から到来した人々との混合子孫である、と想定されました。この二重構造モデル仮説は、もともとは形態学的データに基づいて提案されましたが、学際的に広く検証され評価されてきました。遺伝学的研究により、現代日本人集団内の人口層別化が特定されており、日本列島への少なくとも2回の移住の波が裏づけられます(関連記事)。

 以前の古代DNA研究も、現代日本人集団への「縄文人」と「弥生人」の遺伝的類似性を示してきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。それでも、農耕への移行とその後の国家形成段階の人口統計学的起源および影響はほとんど知られていません。歴史言語学的観点からは、日本語祖語(日琉祖語)の到来は弥生文化の発展および水田稲作の拡大と対応している、と理論化されています。しかし、弥生時代と古墳時代では考古学的文脈および大陸との関係が異なっており、知識や技術の拡大には大きな遺伝的交換が伴っていたのかどうか、不明なままです。

 本論文は、日本列島の先史時代から原始時代(先史時代と歴史時代の中間で、断片的な文献が残っている時代)までの8000年にわたる古代人12個体の新たに配列されたゲノムを報告します(図1)。本論文が把握している限りでは、これは日本列島の年代の得られた古代人ゲノムの最大のセットとなり、最古の縄文時代個体と古墳時代の最初のゲノムデータが含まれます。また既知の先史時代日本列島の古代人のゲノムも分析に含められました。具体的には、縄文時代後期の北海道礼文島(関連記事)の2個体(F5とF23)、愛知県田原市伊川津町の貝塚(関連記事)で発見された縄文時代晩期の1個体(IK002)、長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡(関連記事)の弥生文化と関連する2個体です。以下は本論文の図1です。
画像

 下本山岩陰遺跡の2個体の骨格は、「移民型」よりもむしろ「縄文人的」な特徴を示しますが、他の考古学的資料は弥生文化との関連を明確に裏づけます。この形態学的評価にも関わらず、下本山岩陰遺跡の2個体は「縄文人」と比較して現代日本人集団との遺伝的類似性の増加を示しており、大陸部集団との混合が弥生時代後期にはすでに進展していたことを示唆します。これら日本列島古代人のゲノムは、草原地帯中央部(関連記事)および東部(関連記事)やシベリア(関連記事)やアジア南東部(関連記事)やアジア東部(関連記事1および関連記事2)にまたがるより大規模なデータセットと統合され、縄文時代の先農耕人口集団と、日本列島現代人の遺伝的特性を形成してきたその後の移民との混合をよりよく特徴づけることが、本論文の目的です。


●先史時代および原始時代の日本列島の古代人ゲノムの時系列

 本論文は、6ヶ所の遺跡で発掘された14個体のうち、新たに配列に成功した12個体のゲノムデータを報告します。平均網羅率は0.88〜7.51倍です。6ヶ所の遺跡は、縄文時代早期となる愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡、縄文時代前期となる富山県富山市の小竹貝塚および岡山県倉敷市の船倉貝塚、縄文時代後期となる千葉県船橋市の古作貝塚、縄文時代後期の平城貝塚(愛媛県愛南町)、古墳時代終末期となる石川県金沢市の岩出横穴墓です。12個体のうち9個体は縄文文化と関連しており、内訳は、上黒岩岩陰遺跡が1個体(JpKa6904)、小竹貝塚が4個体(JpOd274とJpOd6とJpOd181とJpOd282)、船倉貝塚が1個体(JpFu1)、古作貝塚が2個体(JpKo2とJpKo13)、平城貝塚が1個体(JpHi01)です。残りの3個体は古墳時代末期となる岩出横穴墓で発見されています(JpIw32とJpIw31とJpIw33)。これら12個体で親族関係は確認されませんでした。

 縄文時代の9個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はすべてN9bかM7a系統で、両者は縄文時代集団と強く関連しており、現代では日本列島外では稀です。縄文時代の9個体のうち3個体は男性で、そのY染色体ハプログループ(YHg)はすべてD1b1(現在の分類名はD1a2a1だと思いますので、以下D1a2a1で統一します)で、現代日本人には存在しますが、他のアジア東部現代人にはほぼ見られません。対照的に、古墳時代の3個体のmtHgはアジア東部現代人と共通しています(B5a2a1bとD5c1aとM7b1a1a1)。そのうち1個体は男性で、YHgはO3a2c(現在の分類名はO2a2bだと思いますので、以下O2a2bで統一します)で、これはアジア東部全域、とくに中国本土で見られます。

 本論文のデータをユーラシア東部の人口統計のより広い文脈に位置づけるため、日本列島古代人のゲノムが既知の古代人および現代人のデータと組み合わされました。本論文では、現代日本人集団はSGDP(Simons Genome Diversity Project)もしくは1000人ゲノム計画3期のデータであらわされます。ただ要注意なのは、現代の日本列島全体では祖先からの異質性が存在しており、この標準的な参照セットでは充分には把握できないことです。本論文で分析された他の古代および現代の人口集団は、おもに地理的もしくは文化的文脈のいずれかで分類されています。


●異なる文化期間の遺伝的区別

 f3統計(個体1、個体2;ムブティ人)を用いて、古代と現代両方の日本列島の人口集団の個体の全てのペアワイズ比較間で共有される遺伝的浮動を調べることで、時系列内の遺伝的多様性が調べられました(図2A)。その結果、縄文時代と弥生時代と古墳時代の異なる3個体群のまとまりが明確に定義され、古墳時代個体群は現代日本人とまとまり、文化的変化には遺伝的変化が伴う、と示唆されます。縄文時代データセットにおける大きな時空間的変異にも関わらず、ひじょうに高水準の共有された浮動が12個体全ての間で観察されます。弥生時代2個体は相互に他の個体と最も密接に関連しており、古墳時代の3個体とよりも縄文時代の個体群の方と高い類似性を有しています。古墳時代と現代の日本列島の個体群は、この測定では相互にほぼ区別ができず、過去1400年間のある程度の遺伝的継続性が示唆されます。

 さらに主成分分析を用いて、大陸部人口集団に対する日本列島古代人のゲノム規模常染色体類似性が調べられました。古代人が、アジア南部と中央部と南東部と東部のSGDPデータセットの、現代の人口集団の遺伝的変異に投影されました(図2B)。その結果、日本列島古代人はPC1軸に沿って各文化名称に分離する、と観察されます。全ての縄文時代個体は密集しており、他の古代人口集団やアジア南東部および東部現代人とは離れて位置し、持続した地理的孤立が示唆されます。弥生時代の2個体はこの縄文人クラスタの近くに現れ、以前に報告された遺伝的および地理的類似性を裏づけます(関連記事)。しかし、この弥生時代の2個体はアジア東部人口集団の方へと動いており、弥生時代2個体における追加のユーラシア大陸部祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の存在が示唆されます。ユーラシア東部の古代人はPC2軸に沿って南から北への地理的勾配を示します。それは、中国南部→黄河→中国北部→西遼河→悪魔の門→アムール川→バイカル湖です。古墳時代の3個体は黄河クラスタの多様性内に収まります。

 ヒト起源配列(Human Origins Array)データセットでのADMIXTURE分析も、縄文時代末以後の日本列島への大陸部からの遺伝子流動の増加を裏づけます(図2C)。縄文時代個体群は異なる祖先的構成要素(図2Cの赤色)を示し、これは弥生時代2個体でも高水準で見られ、古墳時代の3個体と現代日本人では低水準のままです。弥生時代の2個体には新たな祖先的構成要素が現れ、アムール川流域やその周辺地域で見られる特性と類似した割合です。これらには、アジア北東部現代人で支配的なより大きな構成要素(図2Cの水色)と、ずっと広範なアジア東部現代人祖先系統を表すより小さな構成要素(図2Cの黄色)が含まれます。このアジア東部人構成要素は、古墳時代と現代の日本列島の人口集団で支配的になります。以下は本論文の図2です。
画像


●地理的孤立による縄文人系統の深い分岐

 「縄文人」の他の人口集団からの分離は、以前の研究で提案されているように、ユーラシア東部人の間で「縄文人」が異なる系統を形成する、という見解を裏づけます(関連記事)。この分岐の深さを調べるため、TreeMixを用いて他の古代人および現代人17人口集団と「縄文人」の系統発生関係が再構築されました(図3A)。その結果、「縄文人」の分岐は、上部旧石器時代ユーラシア東部人、具体的には北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)およびモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950〜33900年前頃の女性個体(関連記事)と、アジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)個体の早期の分岐後ではあるものの、アジア東部現代人や、3150〜2400年前頃となるのチョクホパニ(Chokhopani)のネパール古代人や、バイカルの狩猟採集民(前期新石器時代)や、極東ロシアのプリモライ(Primorye)地域の悪魔の門洞窟(Chertovy Vorota Cave)個体(関連記事)や、末期更新世アラスカの幼児個体USR1(関連記事)を含む他の標本の分岐前と推測されます。

 さらに、f4統計(ムブティ人、X;ホアビン文化個体/悪魔の門新石器時代個体、縄文人)を用いての対称性モデル検定により、この系統樹の他の深く分岐した狩猟採集民2系統間の「縄文人」の位置が確証されました。これらの結果から示されるのは、縄文時代開始以降の本論文のデータセットにおける全てのアジア東部個体は、より早期に分岐したホアビン文化個体よりも「縄文人」の方と高い類似性を有するものの、悪魔の門新石器時代個体との比較ではより低い類似性を有している、ということです。これは、以前に提案された「縄文人」をホアビン文化個体関連系統とアジア東部関連系統の混合とするモデル(関連記事)よりもむしろ、ユーラシア東部の異なる狩猟採集民3系統の推定される系統発生を裏づけます。また、検証された全ての移住モデルにわたって、「縄文人」から現代日本人への遺伝子流動が一貫して推定され、8.9〜11.5%の範囲の遺伝的寄与を伴います。これは、本論文のADMIXTURE分析(図2C)から推定された現代日本人の平均的な「縄文人」構成要素9.31%と一致します。これらの結果は、縄文人の深い分岐と現代日本人集団への祖先的つながりを示唆します。

 集団遺伝学モデル化を適用して、「縄文人」系統の出現年代が推定されました。本論文の手法は、ROH(runs of homozygosity)のゲノム規模パターンを用いて、最古にして最良の標本であるJpKa6904で観察されたROH連続体に最も適合するシナリオを特定します。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。

 8800年前頃となる縄文時代個体JpKa6904は高水準のROHを有しており、とくに短いROH(最近の近親交配よりもむしろ人口の影響に起因します)の頻度はこれまで報告された中で(関連記事)最高です(図3B)。このパターンは、縄文時代個体群で共有される強い遺伝的浮動と相まって、縄文時代人口集団が深刻な人口ボトルネック(瓶首効果)を経た、と示唆します。人口規模と分岐年代のパラメータ空間検索では、縄文人系統は20000〜15000年前頃に出現したと推定され、その後は少なくとも縄文時代早期まで、1000人程度のひじょうに小さな人口規模が維持されました(図3C)。これはLGM末における海面上昇および大陸部からの陸橋の切断と一致しており、日本列島における縄文土器の最初の出現の直前です。

 次にf4統計(ムブティ人、X;縄文人、漢人/傣人/日本人)を用いて、「縄文人」がユーラシア大陸部の上部旧石器時代の人々と、分岐した後から日本列島において孤立する前に接触したのかどうか、検証されました。検証対象の上部旧石器時代個体のうち、31600年前頃のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)個体のみが漢人や傣(Dai)人や日本人よりも「縄文人」と有意に密接です。この類似性は、これら参照人口集団を他のアジア南東部および東部人と置き換えても依然として検出可能で、「縄文人」と古代北シベリア人の祖先間の遺伝子流動を裏づけます。ヤナRHS個体も含まれる古代北シベリア人は、LGM前にユーラシア北部に広範に存在した人口集団です(関連記事)。

 最後に、縄文時代人口集団内の時空間的な変動の可能性が調べられました。縄文時代の早期と前期と中期・後期・晩期で定義される3つの時代区分集団は、古代および現代のユーラシア大陸部人口集団と類似の水準の共有された遺伝的浮動を示し、これら3時代区分における日本列島外からの遺伝的影響はわずか若しくはなかった、と示唆されます(図3D)。このパターンは、f4統計(ムブティ人、X;縄文人i、の縄文人j)で観察される、有意な遺伝子流動の不在によりさらに裏づけられます。縄文人iと縄文人jは、縄文時代の3時代区分集団の任意の組み合わせです。これら「縄文人」は同様に、地理により区分されたさいに(本州と四国と礼文島)、大陸部人口集団との遺伝的類似性において多様性を示しません。「縄文人」内で唯一観察される違いは、本州の遺跡群間のわずかに高い違いで、本州と他の島々との間の限定的な遺伝子流動を伴う島嶼効果を示唆します。全体的にこれらの結果は、縄文時代人口集団内の限定的な時空間にわたる遺伝的変異を示しており、アジアの他地域からの数千年にわたるほぼ完全な孤立との見解を裏づけます。以下は本論文の図3です。
画像


●弥生時代における水田稲作の拡散

 弥生文化と関連する西北九州の2個体(図1)は、「縄文人」とユーラシア大陸部両方の祖先系統を有する、と明らかになりました(図2)。本論文のqpAdm分析は、「弥生人」が「縄文人」の混合していない子孫である、とのモデルを却下します。これは、この西北九州の弥生時代2個体を「縄文人」系統の一部に分類した以前の形態学的評価とは対照的です。西北九州の弥生時代2個体における非「縄文人」の祖先的構成要素は、日本列島に稲作を導入した人々によりもたらされた可能性があります。まずf4統計(ムブティ人、X;縄文人、弥生人)を用いて、あらゆる古代のユーラシア東部人口集団が「縄文人」よりも「弥生人」の方と高い遺伝的類似性を有するのか、検証されました(図4A)。その結果、黄河流域人口集団も含めてユーラシア大陸部の標本抽出された古代の人口集団のほとんどは、「弥生人」との有意な遺伝的類似性を示しません。黄河流域では稲作農耕が長江下流域からまず拡大しました。長江流域はジャポニカ米の起源地と仮定されています。

 しかし、「弥生人」との過剰な類似性は稲作と文化的関連を有さない人口集団で検出されました。それは中国北東部の西遼河流域の青銅器時代個体(WLR_BA_o)とハミンマンガ(Haminmangha)の中期新石器時代個体、バイカル湖のロコモティヴ(Lokomotive)前期新石器時代個体とシャマンカ(Shamanka)の前期新石器時代個体とウスチベラヤ(UstBelaya)前期青銅器時代個体、シベリア北東部のエクヴェン(Ekven)鉄器時代個体です。この類似性は、他の青銅器時代西遼河個体(WLR_BA_o)と同じ遺跡で発見された別の2個体(WLR_BA)では観察されませんでした。以前の研究でも、WLR_BA_oとWLR_BAでは系統構成要素に大きな違いが観察されていました(関連記事)。この2個体はWLR_BA_o(1.8±9.1%)よりもずっと高い黄河関連祖先系統(81.4±6.7%)を有しており、検証された古代黄河流域人口集団が「弥生人」の有していた非「縄文人」祖先系統の主要な供給源になった可能性は低そうです。

 ユーラシア大陸部祖先系統の6つの可能性がある供給源をさらに区別するため、次にqpWaveを用いて「弥生人」が「縄文人」と各候補供給源の2方向混合としてモデル化されました。混合モデルはこれらのうち3つで確実に裏づけられます。つまり、バイカル湖の狩猟採集民と西遼河中期新石器時代もしくは青銅器時代個体で、高水準のアムール川地域祖先系統を有します。これらの集団はすべて、支配的なアジア北東部祖先的構成要素を共有しています(図2C)。これら各3集団を第二供給源として用いると、qpAdmではそれぞれ55.0±10.1%、50.6±8.8%、58.4±7.6%の「縄文人」の混合率が推定され、西遼河中期新石器時代および青銅器時代個体を単一の供給源人口集団に統合すると、「縄文人」の混合率は61.3±7.4%となります。

 さらにf4統計(ムブティ人、縄文人;弥生人1、弥生人2)により、「縄文人」祖先系統は「弥生人」2個体間で同等と確認されます。これらの結果は、在来の狩猟採集民と移民の西北九州の弥生時代共同体への寄与がほぼ同等の比率であることを示唆します。この同等性はユーラシア西部の農耕移民と比較した場合とくに注目に値し、ユーラシア西部では最小限の狩猟採集民からの寄与が多くの地域で観察されており、その中にはユーラシアの島嶼地理的極限として日本列島を反映している、ブリテン諸島やアイルランドも含まれます(関連記事1および関連記事2)。本論文の混合モデルで用いられた西遼河人口集団は自身では稲作農耕を行なっていませんでしたが、日本列島への農耕拡大の仮定的な経路のすぐ北方に位置しており、本論文の結果はそれを裏づけます。これは、中国北東部の山東半島から遼東半島(朝鮮半島北西部)へと続き、その後で朝鮮半島を経由して日本列島へと到達しました。

 弥生文化が日本列島へどのように拡大したのか、外群f3統計を用いてさらに調べられ、「弥生人」と各「縄文人」との間の遺伝的類似性が測定されました。その結果、共有された遺伝的浮動の強さが「弥生人」の位置からの距離と有意に相関している、と明らかになりました(図4C)。つまり、縄文時代の遺跡が弥生時代の遺跡に近いほど、その遺跡の「縄文人」は「弥生人」とより多くの遺伝的浮動を共有します。この結果は朝鮮半島経由の稲作の導入と、その後の日本列島南部における在来の「縄文人」集団との混合を裏づけます。以下は本論文の図4です。
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●古墳時代の移民の遺伝的祖先系統

 歴史的記録は、古墳時代におけるユーラシア大陸部から日本列島への継続的な人口集団の移動を強く裏づけます。しかし、古墳時代3個体のqpWaveモデル化は、「弥生人」と適合する「縄文人」祖先系統とアジア北東部祖先系統の2方向混合を却下します。したがって、以前の形態学的研究と同じく、本論文のf3外群統計や主成分分析やADMIXTUREクラスタで裏づけられるように、「古墳人」はその祖先的構成要素の観点では遺伝的に「弥生人」と異なっています。古墳時代個体群の遺伝的構成に寄与した追加の祖先的集団を特定するため、f4統計(ムブティ人、X;弥生人、古墳人)を用いて「古墳人」と各ユーラシア大陸部人口集団との間の遺伝的類似性が検証されました(図5A)。その結果、本論文のデータセットにおける古代もしくは現代の人口集団のほとんどは、「弥生人」よりも「古墳人」の方と有意に密接と明らかになりました。この知見は、弥生時代標本と古墳時代標本のゲノムを分離する6世紀間に日本列島へ追加の移住があったことを示唆します。

 「弥生人」と、「古墳人」に有意により近いと本論文のf4統計から特定された人口集団との間の2方向混合の検証により、この移住の起源を絞り込むことが試みられました。この混合モデルは検証された59人口集団のうち5人口集団でのみ、P>0.05と確実に裏づけられました。次にqpAdmを適用して「弥生人」と各起源集団からの遺伝的寄与が定量化されました。2方向混合モデルは、さまざまな参照セットからの裏づけを欠いていたので、追加の2人口集団においてその後で却下されました。残りの3人口集団(漢人と朝鮮人と黄河後期青銅器時代・鉄器時代集団)は「古墳人」への20〜30%の寄与を示します。これら3集団はすべて強い遺伝的浮動を共有しており、そのADMIXTURE特性では広くアジア東部祖先系統の主要な構成要素で特徴づけられます。

 「古墳人」における追加の祖先系統の起源をさらに選抜するため、「弥生人」祖先系統を「縄文人」およびアジア北東部人祖先系統と置換することにより、3方向混合が検証されました。その結果、漢人のみが祖先系統の供給源としてモデル化に成功し(図5B)、あらゆるあり得る2方向混合モデルよりも3方向混合が大幅によく適合します。「弥生人」と「古墳人」との間で「縄文人」祖先系統が約4倍に「希釈」されていることを考えると、これらの結果から、国家形成段階でアジア東部人祖先系統を有する移民が大規模に流入した、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
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 次に、弥生時代と古墳時代の両方で観察されたユーラシア大陸部祖先系統が、アジア北東部とアジア東部の祖先系統の中間水準を有する同じ供給源に由来する可能性について調べられました。「古墳人」の2方向混合により適合すると明らかになった唯一の候補は、黄河流域の後期青銅器時代および鉄器時代個体群(YR_LBIA)でしたが、これは参照セット全体では一貫していませんでした。「縄文人」を除いて「弥生人」との統計的に有意な遺伝子流動を示さない(図4A)にも関わらず、YR_LBIAと「縄文人」との間の2方向混合モデルも「弥生人」に適合する、と明らかになりました。この黄河流域人口集団は、qpAdmにより推定されるように、アジア北東部祖先系統を約40%、アジア東部祖先系統を約60%(つまり漢人)有する中間的な遺伝的特性を有しています。したがって、これは特定のモデルで「弥生人」と「古墳人」の両方に適合する中間の遺伝的特性で、「弥生人」では37.4±1.9%、「古墳人では」87.5±0.8%の流入となります。これらの結果は、単一の供給源からの継続的な遺伝子流動が、「弥生人」と「古墳人」との間の遺伝的変化の説明に充分である可能性を示唆します。

 しかし、より広範な分析では、遺伝子流動の単一の供給源は移住の2回の異なる波よりも可能性が低そうである、と強く示唆されます。まず、ADMIXTUREで特定されたアジア東部祖先系統へのアジア北東部祖先系統の割合は、「弥生人(1.9:1)」と「古墳人(1:2.5)」との間で際立って異なっていました(図2C)。次に、ユーラシア大陸部の類似性におけるこの対比は、f統計のさまざまな形態でも観察され、「弥生人」がアジア北東部祖先系統との有意な類似性を有する、というパターンが繰り返されるのに対して、「古墳人」は漢人や黄河流域古代人口集団を含む他のアジア東部人とは緊密なまとまりを形成します(図5A)。

 最後に、DATESにより「古墳人」における混合年代から2つの波のモデルへの裏づけが見つかります。中間的な人口集団(つまり、YR_LBIA)との単一の混合事象は、1840±213年前頃に起きたと推定され、これは3000年前頃となる弥生時代の開始のずっと後になります。対照的に、2つの異なる供給源との2回の別々の混合事象が想定されるならば、結果の推定値は弥生時代および古墳時代のそれぞれの開始年代と一致する年代に適合し、「弥生人」に関しては「縄文人」祖先系統とアジア北東部祖先系統との間の混合は3448±825年前、「古墳人」に関しては「縄文人」祖先系統とアジア東部祖先系統の混合は1748±175年前と推定されます。これらの遺伝学的知見は、弥生時代と古墳時代におけるユーラシア大陸部からの新たな人々の到来を記録する、考古学的証拠および歴史的記録の両方によりさらに裏づけられます。


●現代日本人における「古墳人」の遺伝的影響

 本論文で検証対象となった古墳時代の3個体は、遺伝的に現代日本人と類似しています(図2)。これは、古墳時代以降日本列島(の本州・四国・九州を中心とする「本土」)の人口集団の遺伝的構成に実質的な変化がないことを示唆します。現代日本人標本で追加の遺伝的祖先系統の兆候を探すため、f4統計(ムブティ人、X;古墳人、縄文人)を用いて、ユーラシア大陸部人口集団が「古墳人」と比較して現代日本人のゲノムと優先的な類似性を有するのかどうか、検証されました。その結果、古代の人口集団の一部は現代日本人よりも「古墳人」の方と高い類似性を示しますが、そのうちどれも「古墳人」に存在する祖先系統の追加の供給源としてqpAdmでは裏づけられません。意外にも、「古墳人」を除いて現代日本人との追加の遺伝子流動を示す古代もしくは現代の人口集団は存在しません。

 本論文の混合モデル化では、現代日本人集団は「縄文人」もしくは「弥生人」祖先系統の増加がないか、現代のアジア南東部人かアジア東部人かシベリア人に代表される追加の祖先の導入なしに、「古墳人」祖先系統により充分に説明される、と確証されます。現代日本人集団は「古墳人」における3方向混合として同じ祖先的構成要素の組み合わせを有しており、「古墳人」と比較して現代日本人においてアジア東部祖先系統のわずかな上昇があります。これは、ある程度の遺伝的連続性を示唆しますが、絶対的ではありません。

 「古墳人」と現代日本人集団との間の連続性の厳密なモデル(つまり、「古墳人」系統固有の遺伝的浮動がない場合)は却下されます。しかし、「古墳人(13.1±3.5%)」と比較して、日本人集団(15.0±3.8%)における「縄文人」祖先系統の「希釈」はなく、ユーラシア大陸部からの移住により「縄文人」祖先系統が顕著に減少した弥生時代と古墳時代の場合とは対照的です。「混合なし」モデルを伴うqpAdmによる「古墳人」と日本人との間の遺伝的クレード(単系統群)性を検証すると、「古墳人」は日本人とクレードを形成する、と明らかになりました。これらの結果から、歯の特徴と非計量的頭蓋特徴でも裏づけられているように、国家形成までに確立された3つの主要な祖先的構成要素の遺伝的特性が、現代日本人集団にとって基盤となりました。


●考察

 本論文のデータは、現代日本人集団の三重祖先系統構造の証拠を提供し、混合した「縄文人」と「弥生人」起源の確立された二重構造モデルを洗練します(図6)。「縄文人」はLGM後の日本列島内の長期の孤立と強い遺伝的浮動のため独自の遺伝的変異を蓄積し、それは現代日本人の内部における独特な遺伝的構成要素の基礎となりました。弥生時代はこの孤立の終わりを示し、遅くとも2300年前頃に始まるアジア東部本土からのかなりの人口集団の移住を伴いました。しかし、日本列島の先史時代および原始時代となるその後の農耕期と国家形成期に日本列島に到来した人々の集団間では、明確な遺伝的差異が見つかります。「弥生人」の遺伝的データは、形態学的研究で裏づけられるように、日本列島におけるアジア北東部祖先系統の存在を記録していますが、「古墳人」では広範なアジア東部祖先系統が観察されました。「縄文人」と「弥生人」と「古墳人」の各クラスタを特徴づける祖先は、現代日本人集団の形成に大きく寄与しました。以下は本論文の図6です。
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 「縄文人」の祖先的系統は、他のアジア東部の古代人および現代人とは深く分岐しており、アジア南東部に起源があった、と提案されています。この分岐の年代は以前には38000〜18000年前頃(関連記事)と推定されていました。ROH特性を有する本論文のモデル化では、8800年前頃の「縄文人」の分析によりこの年代が20000〜15000年前頃の下限範囲に絞り込まれています(図3)。日本列島は28000年前頃となるLGM開始の頃には朝鮮半島を通って到来できるようになり、ユーラシア大陸部と日本列島との間の人口集団の移動が可能となりました。海面上昇によるその後の17000〜16000年前頃となる対馬海峡の拡大により、「縄文人」系統はユーラシア大陸部の他地域から孤立したかもしれず、それは縄文土器製作の最古の証拠とも一致します。本論文のROHモデル化は、「縄文人」が縄文時代早期には1000人以下の小さな有効人口規模を維持した、と示しており、その後の縄文時代もしくは日本列島のさまざまな島々全域で、そのゲノム特性にほとんど変化が観察されませんでした。

 上述のヨーロッパの大半における新石器時代への移行で記録されているように、農耕拡大はしばしば人口集団の置換により特徴づけられ、多くの地域で観察される狩猟採集民人口集団からの寄与はごく僅かです。しかし、先史時代の日本列島における農耕への移行には、置換というよりもむしろ同化の過程が含まれており、西北九州の遺跡ではほぼ均等な在来の「縄文人」と新たな移民からの遺伝的寄与があった、との遺伝的証拠が見つかりました。これは、日本列島の少なくとも一部が、弥生時代開始期における農耕移民と匹敵する「縄文人」集団を支えていた、と示唆しており、それは一部の縄文時代共同体で行なわれていた高水準の定住に反映されています。

 「弥生人」に継承されたユーラシア大陸部の構成要素は、本論文のデータセットではアムール川祖先系統を高水準で有する西遼河流域の中期新石器時代および青銅器時代の個体群により最もよく表されます(HMMH_MN およびWRL_BA_o)。西遼河流域の人口集団は時空間的に遺伝的には不均質です(関連記事)。6500〜3500年前頃となる中期新石器時代から後期新石器時代への移行は、黄河祖先系統の25%から92%の増加により特徴づけられ、アムール川祖先系統は75〜8%へと激減し、これは雑穀農耕の強化と関連しているかもしれません。しかし、西遼河流域では3500年前頃に始まる青銅器時代に人口構造が変わり、それはアムール川流域からの人々の明らかな流入に起因します。これは、トランスユーラシア語族とシナ語族の下位集団間の集中的な言語借用の始まりと一致します。「弥生人」への過剰な類似性は、古代アムール川流域人口集団もしくは現代のツングース語族話者人口集団と遺伝的に密接な個体群で観察されます(図4)。

 本論文の知見から、水田稲作が、西遼河流域周辺のどこかに居住していたものの、さらに北方の人口集団に祖先系統の大半の構成要素が由来する人々により日本列島にもたらされ、稲作の拡大は西遼河流域の南側に起源があった、と示唆されます。古墳文化の最も顕著な考古学的特徴は、鍵穴型の塚にエリートを埋葬する習慣で、その大きさは階級と政治権力を反映しています。本論文の検証対象となった古墳時代の3個体はそうした古墳に埋葬されておらず、この3個体は下層階級だった、と示唆されます。この3個体のゲノムは、日本列島へのおもにアジア東部祖先系統を有する人々の到来と、「弥生人」集団との混合を記録します(図5)。この追加の祖先系統は、本論文の分析では複数の祖先的構成要素を有する漢人により最もよく表されます。最近の研究では、新石器時代以降人々が形態学的に均質になっていると報告されており、それは古墳時代の移民がすでに高度に混合していたことを示唆します。

 いくつかの一連の考古学的証拠は、おそらくは弥生時代と古墳時代の移行期における朝鮮半島南部からの可能性が最も高い、日本列島への新しい大規模な移民の到来を裏づけます。日本列島と朝鮮半島と中国の間の強い文化的および政治的類似性は、中国の鏡と貨幣、鉄生産のための朝鮮半島の原材料、剣など金属製道具に刻まれた漢字を含む、いくつかの輸入品からも観察されます。海外からのこれらの資源の入手は、日本列島内の共同体間の激しい競争を引き起こしました。これは、支配のための、黄海沿岸などユーラシア大陸部の国家との制度的接触を促進しました。したがって、古墳時代を通じて継続的な移住と大陸の影響は明らかです。本論文の知見は、この国家形成段階における、新たな社会的・文化的・政治的特徴の出現と関わる遺伝的交換の強い裏づけを提供します。

 本論文の分析には注意点があります。まず「弥生人」については、弥生文化と関連する骨格遺骸が形態学的に「縄文人」と類似している地域(西北九州)の2個体のみに分析が限定されています。他地域もしくは他の年代の弥生時代個体群は異なる祖先的特性を有しているかもしれません。たとえば、ユーラシア大陸部的もしくは「古墳人」的祖先系統です。次に、本論文の標本抽出は無作為ではなく、本論文で分析された古墳時代の個体群は同じ埋葬遺跡に由来します。弥生時代と古墳時代の人口集団の遺伝的祖先系統における時空間的変異を調べて、本論文で提案された日本列島の人口集団の三重構造の包括的な見解を提供するには、追加の古代ゲノムデータが必要です。

 要約すると本論文は、農耕と技術的に促進された人口集団の移動が、ユーラシア大陸部の他地域から孤立していた数千年を終わらせた前後両方の期間において日本列島に居住していた人々のゲノム特性を変化させたことについて、詳細な調査を提供します。これら孤立した地域の個体群の古代ゲノミクスは、人口集団の遺伝的構成への大きな文化的変化の影響の程度を観察する、特有の機会を提供します。


●私見

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は縄文時代と古墳時代の複数個体の新たな核ゲノムデータを報告しており、とくにこれまで佐賀市の東名貝塚遺跡の1個体(関連記事)でしか報告されていなかった西日本「縄文人」の核ゲノムデータを、広範な年代と地域の複数個体から得ていることは、たいへん意義深いと思います。これにより、時空間的にずっと広範囲の「縄文人」の遺伝的構造がさらに詳しく明らかになりました。また、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡の1個体(JpKa6904)の年代は8991〜8646年前頃で、現時点では核ゲノムデータが得られた日本列島最古の個体になると思います。日本列島において更新世の人類遺骸の発見数がきわめて少ないことを考えると、この点でも本論文の意義は大きいと思います。

 本論文でまず注目されるのは、「縄文人」は時空間的に広範囲にわたって遺伝的にかなり均質な集団だった、と改めて示された点です。本論文で分析対象とされていない、7980〜7460年前頃となる東名貝塚遺跡の1個体や千葉市の六通貝塚の4000〜3500年前頃の個体群(関連記事)も、既知の「縄文人」と遺伝的に一まとまりを形成します。さらに、弥生時代早期となる佐賀県唐津市大友遺跡で発見された女性個体(大友8号)も、既知の「縄文人」と遺伝的に一まとまりを形成します(関連記事)。時空間的により広範囲の「縄文人」の核ゲノムデータがさらに蓄積されるまで断定はできませんが、本論文が指摘するように「縄文人」は長期にわたって遺伝的には孤立した集団だった可能性が高そうです。これは以前から予測されていたので(関連記事)、とくに意外ではありませんでした。縄文時代にアジア東部大陸部から日本列島にアジア東部祖先系統を有する個体が到来し、日本列島で在来の「縄文人」と混合して子供を儲けた可能性は高そうですが、「縄文人(的な遺伝的構成の個体)」のゲノムで明確に検出されるほどの影響は残らなかったのだろう、というわけです。

 一方で朝鮮半島南端では、8300〜4000年前頃にかけて「縄文人」的な遺伝的構成要素が持続していたようで、遼河地域の紅山(Hongshan)文化集団的な遺伝的構成要素と「縄文人」的な遺伝的構成要素とのさまざまな混合割合の個体が存在し、中には遺伝的にはほぼ「縄文人」と言える個体も確認されています(関連記事)。上黒岩岩陰遺跡の1個体(JpKa6904)から、遅くとも9000年前頃までには「縄文人」的な遺伝的構成は確立していたようですから、朝鮮半島南端の8300〜4000年前頃の個体の「縄文人」的な遺伝的構成要素は、日本列島から朝鮮半島に渡った「縄文人」によりもたらされたのでしょう。ただ、この朝鮮半島南端の8300〜4000年前頃の個体群は、日本列島や朝鮮半島の現代人に強い遺伝的影響を残していないかもしれません。

 「縄文人」の起源について本論文は、ホアビン文化個体関連系統とアジア東部関連系統の混合とするモデル(関連記事)よりも、ユーラシア東部系集団において、ホアビン文化集団よりも後にアジア東部現代人の主要な祖先集団と20000〜15000年前頃に分岐した、とのモデルの方が妥当と推測しています。しかし、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)など非現生人類ホモ属との混合でさえたいへん複雑で、単純な系統樹で表すことが困難ですから(関連記事)、現生人類集団間の関係を単純な系統樹で表すことには慎重であるべきだと思います。もちろん、現生人類がアフリカから世界中の広範な地域に拡散する過程で、LGMのような寒冷期もあり、集団の孤立と遺伝的分化が進みやすかったでしょうから、系統樹で表すことに合理性があることも確かだと思います。しかし、多くの集団は遺伝的に大きく異なる集団間の複雑な混合により形成されたでしょうから、単純な系統樹で表すことに問題があることも否定できないと思います。

 具体的に本論文の系統樹の問題点として、モンゴル北東部のサルキート渓谷で発見された34950〜33900年前頃の女性個体(サルキート個体)が挙げられます。サルキート個体は本論文の系統樹では、出アフリカ現生人類集団がユーラシア東西系統に分岐した後、ユーラシア東部系集団で最初に分岐した、と位置づけられています。サルキート個体の分岐後のユーラシア東部系集団では、まずパプア人、次に田園個体、その後でホアビン文化集団が分岐し、「縄文人」はその後の分岐となります。しかし、他の研究ではサルキート個体は田園個体と同じ系統に位置づけられています(関連記事)。この違いは、サルキート個体にはユーラシア東部系集団と遺伝的に大きく異なるユーラシア西部系集団からの一定以上の遺伝的影響があるため(関連記事)と考えられます。

 本論文の系統樹は正確な人口史を正確には表せていない可能性があり、「縄文人」が遺伝的に大きく異なる集団間の混合により形成された可能性は、まだ否定できないように思います。より具体的には、出アフリカ現生人類集団のうち、ユーラシア東西系統の共通祖先と分岐した集団(ユーラシア南部系集団)が存在し、ユーラシア東部系集団とユーラシア南部系集団との複雑な混合により「縄文人」もホアビン文化集団も形成され、それぞれの(複数の)祖先集団も相互に遺伝的には深く分岐していた、と想定しています(関連記事)。

 本論文の見解で大きな問題となるのは、「弥生人」を佐世保市の下本山岩陰遺跡の2個体に代表させていることです。本論文でも、「弥生人」を形態学的に「縄文人」との類似性が指摘されている西北九州の弥生時代人骨の下本山岩陰遺跡の2個体に代表させていることについて、地域もしくは他の年代の弥生時代個体群は異なる祖先的特性を有しているかもしれない、と指摘されていました。じっさい、弥生時代中期となる福岡県那珂川市の安徳台遺跡の1個体(安徳台5号)は形態学的に「渡来系弥生人」と評価されていますが、核ゲノム解析により現代日本人の範疇に収まる、と指摘されています(関連記事)。同じく弥生時代中期の「渡来系弥生人」とされる福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡の個体も、核ゲノム解析では現代日本人の範疇に収まります。現代日本人の平均と比較しての「縄文人」構成要素の割合は、安徳台5号がやや高く、隈・西小田遺跡の個体はやや低いと推定されています。

 弥生時代の日本列島の人類集団は遺伝的異質性がかなり高かったと考えられます(関連記事)。読売新聞の記事によると、篠田謙一氏は「弥生人の遺伝情報は、地域や時代で差があり、現代の日本人に近い例もある。当時の実態を解明するには、解析する人骨をさらに増やす必要がある」と指摘しており、その通りだと思います。安徳台5号も隈・西小田遺跡個体も下本山岩陰遺跡の2個体に先行し、下本山岩陰遺跡の2個体の頃(2001〜1931年前頃)には、少なくとも九州において現代日本人に近い遺伝的構成の集団が存在したわけですから、下本山岩陰遺跡の2個体を「弥生人」の代表として、弥生時代後期〜古墳時代にかけて日本列島にユーラシア大陸部から大規模な移民が到来した、との本論文の見解にはかなり疑問が残ります。

 本論文が検証対象とした岩出横穴墓の3個体は古墳時代終末期となり、年代は紀元後6〜7世紀です。同じ古墳時代でも岩出横穴墓の3個体よりは古い和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡の第1号石室1号個体(紀元後398〜468年頃)および2号個体(紀元後407〜535年頃)は、核ゲノム解析の結果、「縄文人」構成要素がそれぞれ52.9〜56.4%と42.4〜51.6%と推定されています(関連記事)。おそらく弥生時代だけではなく古墳時代にも、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」の人類集団にはかなりの遺伝的異質性があり、時空間的な違いがあったと考えられますが、今後同一遺跡もしくは地域内で「古墳人」の核ゲノムデータが蓄積されていけば、階層差も確認されるようになるかもしれません。日本列島における現代人のような遺伝的構造の形成は、古墳時代の後もよく考慮しなければならないように思います。

 本論文は日本列島の人類集団の遺伝的構成において、縄文時代から弥生時代の移行期と弥生時代から古墳時代の移行期に大きな変化を見出し、「弥生人」にはアジア北東部祖先系統の影響が「縄文人」祖先系統に近いくらいの割合で見られ、「古墳人」ではアジア北東部祖先系統が優勢になる、と推測しています。しかし最近の別の研究では、現代日本人の遺伝的構成は低い割合の「縄文人」関連祖先系統と高い割合の遼河地域の夏家店上層文化集団関連祖先系統の混合と推定されており、朝鮮半島中部西岸に位置する2800〜2500年前頃のTaejungni遺跡の個体(Taejungni個体)の遺伝的構成が現代日本人に類似している、と指摘されています(関連記事)。これは、現代日本人の基本的な遺伝的構成が朝鮮半島において形成され、一方で朝鮮半島の人類集団ではその後で大きな遺伝的変化があり、現代朝鮮人のような遺伝的構成が確立したことを示唆します。

 上述のように「弥生人」は遺伝的異質性が高かったと考えられ、中には遺伝的に現代日本人の範疇に収まる集団も存在しました。本論文で提示された古代ゲノムデータとともに、本論文では取り上げられなかった日本列島の弥生時代個体群や朝鮮半島の古代人のゲノムデータも含めて、日本列島の人口史を再検討する必要があると思います。本論文と他の研究を組み合わせて解釈した現時点での大まかな想定は、朝鮮半島において紀元前二千年紀後半〜紀元前千年紀前半にかけて、遼河地域青銅器時代集団的な遺伝的構成の集団と「縄文人」構成要素を高い割合で有する集団が混合して現代日本人の基本的な遺伝的構成が形成され、その集団が弥生時代に日本列島に到来して在来の「縄文人」と混合し(縄文時代晩期に日本列島に存在した「縄文人」の現代日本人における遺伝的影響は数%程度かもしれません)、その後で紀元前千年紀後半以降に朝鮮半島では黄河流域集団に遺伝的により近づくような大規模な遺伝的変化があり、そうした集団が古墳時代から飛鳥時代にかけて日本列島に継続的に到来し、奈良時代以降の日本列島内の歴史的展開を経て現代「本土」日本人が形成された、というものです。


参考文献:
Cooke H. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419


https://sicambre.at.webry.info/202109/article_20.html


▲△▽▼

“日本人”に第3のルーツ 富山の遺跡から出土した「人骨」が貢献
その他
2021年9月22日
https://www.tulip-tv.co.jp/news/news_detail.html?nid=6111&dd=20210922

 現代の日本人は、縄文人と弥生人がルーツと考えられてきましたが、遺跡から出土した人骨の遺伝情報、いわゆるゲノムデータの解析で「第3のルーツ」をもつことがわかりました。

 この日本人のルーツに迫る研究に富山市から出土した人骨が大きく貢献しているんです。

 県埋蔵文化財センターで日本人のルーツに迫った人骨を見せてもらいました。

 「これが今回分析に使った人骨の側頭骨の、耳の穴になるんですけど、そこから削って粉上にして分析をしたと」(県埋蔵文化財センター・河西健二所長)

 現代日本人のルーツについて新たな研究成果を発表したのは、金沢大学の覚張隆史(がくはり・たかし)助教を中心とする研究チームです。

 遺跡から出土した人骨のゲノムデータを抽出し解析する「パレオゲノミクス」という手法で、今回、縄文時代から古墳時代までの人骨と中国など大陸から見つかった人骨のデータを比較、解析しました。

 「これまであくまで2つの祖先集団を基本にして考えられているものですけど、今回少なくとも3つ、それ以上になる可能性があるという新しいモデルを提示したことが今回の論文のキモになります」(金沢大・覚張隆史助教)

 解析の結果、早期の縄文人は約2万年前から1万5000年前に大陸からやってきた1000人程度の小さな集団で、弥生時代には北東アジアから人々が日本列島に流入し、さらに古墳時代には東アジアに起源をもつ人々と混血していることがわかったということです。

 今回ゲノム解析された国内の12体の人骨のうち4体が富山市の小竹貝塚(おだけかいづか)から出土した人骨でした。

 「これが耳の穴になるんですが、穴の中の部分がすい体。そこに非常にゲノムがよく残っていると」「我々これ10年前に発掘した人骨なんですけど、10年前の技術ではでなかったんです。ところがどうも人骨の場所によって取れるということがわかってきたのがここ数年でありまして」(県埋蔵文化財センター・河西所長)

 富山市呉羽町の小竹貝塚は現在は海岸線から遠く離れていますが、6000年前はすぐそばに潟湖が広がっていて、人々は貝などを採取しながら定住していました。

 北陸新幹線の建設工事に伴う発掘調査で、小竹貝塚からは縄文前期では国内最多となる91体の人骨が見つかりました。

 人骨の保存状態がいいため、今回、縄文人のゲノムの基礎的なデータ作成に貢献しました。

 今回の研究成果について県埋蔵文化財センターの河西健二所長は。

 「古墳時代の人が現代人のほぼ原型、類似しているということがわかったというのは考古学的にはすごく衝撃的」「古墳時代に須恵器が入ってくるとか金属器が入ってくるという大きな動きがあることはわかっていたんです。それが人を伴って来たのかというところはなかなか検証できなかったので、今回古墳時代に血が混じってきているのがわかりましたから、これまでの研究に当てはめながら検証することができるようになる」(県埋蔵文化財センター・河西所長)

 ゲノムデータの進化した解析技術を使って、県埋蔵文化財センターでは今後、小竹貝塚そのものの謎の解明に着手したいとしています。

 「この12号さんは男性なんですけど、今でも亡くなった人の使っていた物を焼いたりするでしょ。そういう行為は縄文時代からあるんですよ。マイ石斧。この人は磨製石斧、これ7点あるんだけど、砥石を一緒に墓で埋葬している」「この方が他の人骨との兄弟関係とか家族関係とか見えてくるとどんどん面白いストーリーが見えてくるんだろうと」(河西所長)

 ゲノムデータの解析が新たな縄文ロマンの扉を開こうとしています。

 研究が進めば保管された91体以上の人骨の1人1人のプロフィールが見えてくるかもしれません。

 「小竹という土地に住んでいた縄文人がどんな人々でどんな生活をしていたのかが知りたいのが一番ですから。あとは人間関係ですよね、どんな親子関係だったのか、男性が何をしていたのか、女性が何をしていたのか、そういったところまでゲノムの解析で見えてくると、もっとリアルな縄文人の生活が見えてくるだろう」(河西所長)

 「縄文人」といえば「小竹貝塚」と言われるように、謎に包まれた縄文人のリアルに迫りたいとしています。

https://www.tulip-tv.co.jp/news/news_detail.html?nid=6111&dd=20210922


▲△▽▼


雑記帳
2021年10月08日
縄文時代の人類のゲノム解析まとめ
https://sicambre.at.webry.info/202110/article_8.html

 縄文時代の人類の核ゲノム解析数も次第に増えてきたため、私が把握している分を以下の図で一度まとめます。年代は基本的に直接的な放射性炭素年代測定法による較正年代です。mtHgはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ、YHgはY染色体ハプログループです。なお、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の3000年前頃の縄文時代個体(Kanzawa-Kiriyama et al., 2017)については、標本2点の塩基配列を合体して分析していることもあり、今回は省略します。縄文時代の人類遺骸は多数発見されているので、そのうち怠惰な私がこうしたまとめ記事を執筆する気にならないくらい、縄文時代の人類のゲノム解析数が蓄積されることを期待しています。以下は、参考として佐賀県唐津市の大友遺跡の弥生時代早期個体(大友8号)も含めた、核ゲノムが解析されている縄文時代の人類の一覧図です。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/822/60/N000/000/000/163343134066380552189.jpg

 これらの縄文時代の個体は全て、既知の現代人および古代人集団に対して一まとまりを形成します。以下は、東名貝塚標本012とF23とF5と三貫地貝塚遺跡個体とIK002を対象としたAdachi et al., 2021の主成分分析結果を示した図4です。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/822/60/N000/000/000/161796910375111925217.jpg

 大友8号はF23とF5と三貫地貝塚遺跡個体とIK002といった既知の縄文時代個体群と主成分分析では一まとまりを形成し(神澤他., 2021図3)、弥生時代にも遺伝的に縄文時代の個体群と一まとめにできる集団が西北九州に存在したことを強く示唆します。さらに、まだ査読前の論文(Robbeets et al., 2021)で遺伝子型が公表されていないため上記の一覧図には掲載しませんでしたが、沖縄県宮古島市長墓遺跡の紀元前9〜紀元前6世紀頃の個体の遺伝的構成が、六通貝塚の個体群とほぼ同じと示されました。先史時代の先島諸島には、縄文文化の影響がほとんどないと言われています。さらに、朝鮮半島南端の8300〜4000年前頃の人類は、割合はさまざまですが、遼河地域の紅山(Hongshan)文化集団と六通貝塚の個体群との混合としてモデル化されます(Robbeets et al., 2021)。

 縄文時代の人類は時空間的に広範囲にわたって遺伝的に均質で、そうした遺伝的構成の集団は大きく異なる物質文化の担い手になっていった、と示唆されます。もっとも、言語も含めて精神文化では重要な共通性があったと想定できなくもありませんが、それを否定することはできないとしても、証明することもほぼ無理ではないか、と思います。縄文時代の人類集団がどのように形成されたのか、まだ明らかではなく、今後の研究の進展をできるだけ追いかけていき、考えていくつもりです。新たな縄文時代の人類の核ゲノム解析結果が公表されれば、上記の一覧図も更新する予定です。


参考文献:
Adachi N. et al.(2021): Ancient genomes from the initial Jomon period: new insights into the genetic history of the Japanese archipelago. Anthropological Science, 129, 1, 13–22.
https://doi.org/10.1537/ase.2012132


Cooke H. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419


Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2


Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2017): A partial nuclear genome of the Jomons who lived 3000 years ago in Fukushima, Japan. Journal of Human Genetics, 62, 2, 213–221.
https://doi.org/10.1038/jhg.2016.110


Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Research Square.
https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-255765/v1


Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2


神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021A)「佐賀県唐津市大友遺跡第5次調査出土弥生人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P385-393


https://sicambre.at.webry.info/202110/article_8.html

4. 2021年10月11日 09:32:12 : A5sZu4rx0I : YlFmL2IwWFlFYjI=[7] 報告
矢野康治・財務事務次官の国家公務員法102条違反
2021-10-11
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12703079748.html


 さて、財務事務次官・矢野康治の暴走ですが、政治の方から「抗議」の声が上がってきました。

『首相、財務次官の批判にくぎ刺す 政策論争「ばらまき合戦のよう」
岸田文雄首相は10日のフジテレビ番組で、財務省の矢野康治事務次官が月刊誌「文芸春秋」で、衆院選などに絡む政策論争を「ばらまき合戦のようだ」と批判したことにくぎを刺した。「いろんな議論はあっていいが、いったん方向が決まったら関係者はしっかりと協力してもらわなければならない」と述べた。(後略)』

『高市氏、財務次官は「失礼」 「デフォルト起こらない」
 自民党の高市早苗政調会長は10日のNHK番組で、財務省の矢野康治次官が与野党の経済政策を「バラマキ合戦」と指摘したことを「たいへん失礼な言い方だ」と批判した。「基礎的な財政収支にこだわって本当に困っている方を助けない。未来を担う子供たちに投資しない。これほどばかげた話はない」と主張した。
 矢野氏は月刊誌「文芸春秋」11月号に寄稿した。経済成長だけで財政健全化するのは「夢物語」だと指摘した。次期衆院選を控え与野党が提示する給付や減税の案に懸念を示した。
 高市氏は財政規律について「岸田文雄首相は単年度主義の見直しを唱えている」と述べた。「一時的に国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)について凍結に近い状況が出てくる」と説明した。政府は2025年度にPBを黒字化する目標を掲げる。
 高市氏は日本の国債に関して「自国通貨建てだからデフォルト(債務不履行)は起こらない」と話した。』

 ついに、日経にも「自国通貨建てだから債務不履行は起こらない」が載りましたか。


 今さらですが、高市政調会長の、
「自国通貨建てだからデフォルト(債務不履行)は起こらない」
 は、財務省の見解と一致しています。


 「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。(財務省ホームページ「外国格付け会社宛意見書要旨」)」

 矢野の主張は、憲法違反、国家公務員法違反の可能性が濃厚というか、普通に「アウト」に思えるのですが、その上、「政府見解」とも異なっている。
 野党は、矢野の主張が「財務省の主張と異なる」点を徹底的に追求するべきでしょう。


 また、岸田内閣は、国家公務員法第102条に違反した矢野を、法律に定められているように懲戒処分にするか、もしくは「3年以下の懲役又は100万円以下の罰金」という罰則を科すべきです。


 というか、岸田総理、矢野は国家公務員である以上、「いろんな議論」をやることを認められていないことを理解していないようですね。「いろんな議論はあっていいが、いったん方向が決まったら」云々は、自民党の国会議員に対しての話で合って、国家公務員は例外ですよ。何しろ、法律でそうなっているんですから。


 理由は、昨日も書きましたが、国家公務員は、「国民全体の奉仕者」であり、政治的に中立な立場を維持することが求められるためです。また、公務員の地位は政治勢力の影響又は干渉から保護されており、政治動向により変動してはなりません。


 「いろんな議論」に巻き込まれてはならないのが、国家公務員なのですよ。その原則を、矢野は自ら破ったのです。


 ちなみに、鈴木財務大臣は10月8日の記者会見で、矢野の寄稿について、
「麻生前財務相の了解を取っている」
 と、明らかにし、
「個人の思いをつづったと書いている。問題だと思っていない」
 と述べました。


 おいおいおい・・・。それじゃあ、国家公務員が国家公務員法第102条を無視して政治的意見を述べ、発信したとしても、
「個人の思いをつづったもの」
 で話が済んでしまうじゃないか。しかも、麻生の了解を得れば、法律に違反しても良いというのか(そうとしか読めませんが)。


 何だろ、この遵法精神のなさ。

 結局のところ、民主党政権の失敗以降、自民党政権が長く続き、「権力が腐敗した」という話なのでしょうか。

 いずれにせよ、矢野の寄稿はタイミング的にも「選挙妨害」であることは明らかです。与党のみならず、野党の国会議員(あるいは議員候補)の人たちも、大々的に抗議し、政府を動かし、矢野に「処罰」を与えなければなりません。


 それが、財務省主権国家から抜け出る第一歩になる可能性があるのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12703079748.html

5. 2021年10月11日 12:33:31 : A5sZu4rx0I : YlFmL2IwWFlFYjI=[14] 報告
【速報】高市早苗を全否定 財務次官が財政破綻を断言 嘘を言っているのは、どっち?(池戸万作)
2021/10/11


6. 2021年10月11日 12:34:44 : A5sZu4rx0I : YlFmL2IwWFlFYjI=[15] 報告
【Front Japan 桜】室伏謙一 財務事務次官の暴論に徹底反論[桜R3/10/11]



7. 2021年10月14日 00:55:06 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[1] 報告
財務省トップが文藝春秋でデマ拡散「日本は財政破綻する」という大嘘! (室伏謙一)
2021/10/13


8. 2021年10月14日 13:33:47 : g44oCUBLkU : M2E2MzNnLnIvUjY=[9] 報告


『岸田ビジョン』から岸田新政権の経済対策を読み解く(池戸万作)




9. 2021年10月14日 18:36:59 : g44oCUBLkU : M2E2MzNnLnIvUjY=[11] 報告
第295回 矢野財務次官は更迭できない岸田総理とバカを晒す人達
2021/10/14




矢野財務次官はバラマキ批判によって更迭されないのか?
したたかな財務官僚とバカを晒す政治家&マスコミ&財界
10. 2021年10月16日 00:31:09 : 3arTuvWsoQ : UHhWa0FFaE5VT2M=[43] 報告
ウソだらけの「矢野論文」でも、なぜクビにならない? 財務省の裏支配と日本の闇
2021/10/15


11. 2021年10月22日 13:24:50 : mg1TZcTUuA : Lk8zOWw4NDR0YTI=[6] 報告

2021年10月21日
財務官僚の自尊心と大衆の学歴崇拝
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html


アホな官僚が跋扈する財務省

  今月、『文藝春秋』誌の11月号で、財務省事務次官の矢野康治(やの・こうじ)が、高市早苗議員を批判したいのか、政府の“バラマキ政策”を咎める論文を発表した。矢野氏は掲載論文の中で次のように述べていた。

  最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます。(「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」)

Yano 001( / 矢野康治)
  日本の国益をずっと蹂躙してきた財務官僚が、「やむにやまれぬ大和魂」なんて言葉を吐くとは、まさしく笑止千万だが、矢野氏本人は意外と本気なんだろう。だいたい、何で消費税の引き下げが悪いんだ? 平成時代ずっと不況続きで、これといった経済成長もない割に、税金だけはどんどん吸い取られるなんておかしいじゃないか ! 本来なら、消費税をゼロ%にして消費意欲を刺戟すべきだろう。それなのに、財務官僚ときたら国民の生活などお構いなしに、「我々は竹下内閣、いや大平内閣以来、ずっと間接税の導入に奔走してきた。日本の財政を憂慮し、せっかく10%までに上げたのに、それを今更3%やゼロ%下げろとは何だ ! お前ら平民は日本経済の危機を分かっているのか?! 俺達の苦労が水の泡じゃないか!」と激怒する。

  もう、聞いているだけで顎が外れるくらいの傲慢さだが、財務省の役人は自分達が日本の政治を担っていると思っているのだ。さらに、心配なのは総理大臣になった岸田文雄の動向である。財務省の親戚に囲まれた岸田総理は、低所得家庭の日本人なんかに興味が無い。国民から信託を受けても、耳を傾けるのは財務省のレクチャーだ。選挙の結果がどうであれ、岸田総理は金融課税か環境税などの導入に焦点を絞り、もっと税収を上げようと目論んでいる。

  緊縮財政を「善」と思っている矢野氏は、未来への投資でも借金は御免で、別口の税金で賄うべき、と考えているようだ。普通の国民は開いた口が塞がらない。雑誌論文の中で矢野事務次官はビックリするような事を述べていた。曰わく、

  私は、国家公務員は『心あるモノ言う犬』であらねばと思っています。昨年、脱炭素技術の研究・開発基金を1兆円から2兆円にせよという菅前首相に対して、私が『2兆円にするにしても、赤字国債によってではなく、地球温暖化対策税を充てるべき』と食い下がろうとしたところ、厳しくお叱りを受け一蹴されたと新聞に書かれたことがありました。あれは実際に起きた事実ですが、どんなに小さなことでも、違うとか、よりよい方途があると思う話は相手が政治家の先生でも、役所の上司であっても、はっきり言うようにしてきました。

  新たな技術を研究・開発するのに国債発行は嫌だから、「徴税で資金を集めろ !」なんて暴論だ。じゃあ、国防のために新兵器を開発する時も税金で費用を賄い、直接の利益に繋がらない基礎研究も税金で行えと言うのか? おそらく、財務省のお役人は、「消費税を28%あるいは33%にまでアップすればいいじゃん !」と思っているんだろう。「不偏不党」を口にする矢野氏は、私欲・省益を無視するかの如く、「国家公務員は忠犬であるべし」と公言するが、本当に国家への忠誠心から提言を行っているのか? もしかすると、財務省の中枢には、外国勢力に協力するエージェントや手下が居るんじゃないか?

  ここでは詳しく述べないが、敗戦後、財務省や日銀のトップに坐る者は、日本の国益を後回しにして、アメリカの要求に従ってきた。愚劣な国会議員に飽き飽きする高級官僚は、ワシントンやウォール・ストリートにいる旦那衆に向かって忠誠を示し、無理難題を突きつけられても、「仰せの通りに」と彼らの意向で動く。なぜなら、財務官僚や日銀の幹部は、アメリカに逆らっても勝ち目が無いと分かっているから、それなら恭順を示した方が得策じゃないか、と考えてしまうのだ。日本は軍事的に独立していないし、エネルギーの供給や金融システムも西歐諸国に依存しているから、宗主国のアメリカに従うしかない。保守派国民は認めたくないだろうが、日本は軍隊を廃止したコスタリカと同じで属州のままだ。たとえ、自衛隊がイージス艦を保有しようが、パトリオット・ミサイルで防禦しようが、何らかの有事が勃発すればアメリカ軍に守ってもらうしかない。自衛隊に「宇宙作戦隊」ができたって、アメリカの宇宙軍と比べたら月とスッポンだ。平和教育で雁字搦めにされた日本の空軍力なんて貧弱なんだから。

  それにしても、どうして矢野氏のような事務次官が財務省に生まれてしまうのか? もちろん、彼が官房長官時代の菅義偉に仕え、菅氏の秘書官になっていたことが出世の要因なんだろが、もう一つ考えられるのは、矢野氏が「便利な馬鹿だから」という点である。国債を負の遺産のように考え、国家破滅に導く元兇みたいに考えているんだから、経済音痴というしかない。自国通貨建ての国債なんだから、日本がエクアドルとかアンゴラ、スリランカみたいにデフォルトの危機に陥るのか? これは筆者の勝手な憶測なんだけど、なるほど、財務省には現実の経済に疎い官僚が多い。でも、中には狡猾な役人がいて、愛国者のフリをした「確信犯」がいるのかも知れないぞ。こうした人物は憂国の士を装い、同僚に向かって、「馬鹿な議員どもに国政を任せてはならん ! 優秀な我々が日本の将来を担うんだ !」と述べて、プライマリー・バランスの黒字化とかバラマキ行政の歯止めとかを宣伝する。 でも本当は、こうした熱血官僚こそが売国奴で、外国勢力の配下になっている場合がある。

財務官僚上がりの政治家

  所謂「キャリア官僚」の弊害は昔から指摘されてきたけど、何故、霞ヶ関の官僚は政治家を凌ぐほどの権力を持ってしまうのか? 確かに、彼らは特殊分野の専門家で、腰掛け程度の大臣とは違っている。何十年にも亙、り国家行政に携わっているから、普通の代議士よりも遙かに事情通だ。しかし、そうした構造を支えているのは、一般国民が抱く劣等感と高等文官が当然とする優越感である。普通の日本人は子供の頃から筆記試験で評価され、テストの成績で序列化されているから、どうしても難関大学の合格者を“上等な人間”と思いがちだ。「東大生」と聞いただけで、巷の庶民は「何か偉い人なんじゃないか」と勘違いして跪く。

  それもそのはず。受験生の子供を持つ親は、「週刊ダイヤモンド」のような雑誌を手に取り、大学のランキング情報を隈なく読む。それゆえ、最難関の東京帝國大学を御卒業になったお坊ちゃん、お嬢ちゃんは、誰もが認めるエリート人間。) 一方、底辺大学にしか合格しなかった庶民は、東大卒のエリートを羨む。特に、新聞記者などは挫折感の固まりだから、東大出身の高級官僚を仰ぎ見る。「俺は東大を目指したけど駄目だった。慶應義塾も不合格。でも、早稲田に受かったから、そこら辺の一般人よりも上等だ!」と密かに思っている。

  ジャーナリストから馬鹿にされる庶民も同じく学歴に悩まされ、骨の髄まで劣等感が染み渡っているから、有名校の学生は人格的にも“上等”と思っている。例えば、偏差値の低い大学に通っている者、あるいは専門学校生が、痴漢や強姦の容疑で捕まっても雑誌の記事にはならない。ところが、東大生が飲み会で女子学生を強姦したとか、電車内で盗撮を行ったとすれば、新聞の三面記事に載ったりする。なぜなら、赤化した大学や教授会の実情を知らない一般人は、偏差値が高いと倫理観も高いと思ってしまうからだ。実際はそうでもなく、大学の先生にもスケベや痴漢がいると、人権派なのに裏では冷酷なサディスト、あるいは国家転覆を狙うアナーキスト、元学生運動家のマルキストなど、非常識の輩(やから)が少なくない。特に、東大や京大には真っ赤な教師がウジャウジャいるから、そこで仕込まれた学生は無意識の左翼になるか、ピンク色に染まった“なんちゃってリベラル”になるかのがほとんど。教授の言説を鵜呑みにする優等生が、霞ヶ関のキャリア官僚になれば、どんな事をしでかすのか、誰にでも想像できる。

   矢野氏のような人物が事務次官になるのは問題である。しかし、財務省を辞めて政治家に転職する奴はもっと有害だ。原則上、役人は勝手に行政を左右してはならないが、国会議員となれば国政を動かすことができる。(ただし、「通達」という脅迫で民間企業を支配することが出来るみたい。) 財務官僚上がりの政治家を探せば、昔、民主党に属していた古川元久を挙げることができよう。以前、彼はテレ朝の政治番組に出演し、偉そうに経済問題を語っていたから、この議員を覚えている一般人も多いんじゃないか。

Furukawa Motohisa 1( / 古川元久 )
  古川氏は東大法学部を卒業後、大蔵省に入り、1996年にコロンビア大学に留学するが、翌年に戻ってくると、さっさと大蔵省を退官して政界に転職した。これは国費留学の利益を頂いて、スッと役所を去ってしまう典型例である。それでも、国家のために尽力する議員にならまだしも、左巻きの思考で権力を行使されたのでは堪らない。古川議員は野田内閣で国家戦略担当大臣となったが、彼が担当する社会保障政策や宇宙開発の分野で、何か成果を残したのか? 民主党の議員だからしょうがないけど、彼は選択的夫婦別姓や女性宮家の創設に賛成で、それだけでも愚挙なのに、彼は何と移民を1000万人も受け容れようと述べていたのだ。(浅尾慶一郎、大塚耕平、細野豪志、古川元久、松井孝治、松本剛明 「1000万人移民受け入れ構想」『VOICE』 2003年9月号、pp.142-149.)

  筆者は毎月購読していたけど、たまたま当時『VOICE』を読んだ一般国民だって、「えぇぇぇ〜、移民を1千万人も迎えてしまうのぉぉ? マジかよぉぉ?!」と驚愕したんじゃないか。山本モナと浮気をした細野豪志や、伊藤博文の子孫たる松本剛明(まつもと・たけあき)は、こっそりと自民党に潜り込んだけど、過去の発言をどう説明するのか、ぜひ尋ねたい。1000万人の移民というのは、ブリテンやデンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストリアなどからやって来る中流階級の西歐人じゃないぞ。大量に押し寄せてくる移民というのは、見ているだけで不愉快な朝鮮人や図々しい支那人、下層階級を形成するフィリピン人、犯罪率を上げるベトナム人などである。

  古川氏の選挙区に住む愛知県民は、ブラジル人の移民労働者を歓迎したのか? 出稼ぎで来にしたブラジル人は、下層階級の者がほとんどであったから、子供の教育なんかに熱心な訳がない。知的な雰囲気が無い親に育てられた子供は、日本語が拙く、学校の勉強にも追いつけなかった。同じクラスにいる日本人生徒からは嫌われ、学校の負担にもなっていたから、ブラジル人生徒でまともな大人になる者は少なく、中には暴走族やチンピラになった者までいるそうだ。もっと酷いのは、高飛びしたひき逃げ犯で、日本人を轢き殺しても、引渡条約の無いブラジルに帰ってしまえば、日本の警察は逮捕することができない。悔しいけど、被害者の家族は泣き寝入りだ。筆者には「移民歓迎」を掲げた議員が責任を取るとは思えない。古川氏はサギのように身軽で、民進党が解体すると小池百合子の「希望の党」に潜り込み、そこもダメとなったから、国民民主党へ移って代表代行に納まった。今回の選挙でも再選されるだろう。

日本に財政破綻が訪れる !

  話を戻す。財務省出身だから「経済問題」に精通していると自慢する古川議員だが、彼の著書に目を通すと、「本当に金融や経済の事を解っているのか?」と疑いたくなる。矢野事務次官も昔から財政破綻や赤字国債のことを述べてきたが、古川議員も唖然とするような「自説」を述べていた。この議員も財務官僚と同じく、プライマリー・バランス重視の人物で、「赤字国債」の増加・累積は国家崩壊に繋がると仄めかしていた。古川氏曰わく、「財政が破綻すれば、困るのは国家ではなく国民である ! 」と。

  国債の大部分を保有しているのは、国民だ。国民が持っている国債が紙切れになる。さらに、国家財政を立て直すために、緊縮財政、すなわち、大幅な増税と歳出削減を行う。こうして国民は暗くて出口の見えない長いトンネルに追い込まれることになる。(古川元久 『財政破綻に備える : 今なすべきこと』 ディスカバー携書、2015年、p.25)
 
  そりゃあ、国債が紙切れ同然となれば国民は大慌てだが、財務省自体が「自国通貨建ての日本国債は安全です !」と公言しているんだから、古川氏の心配は杞憂なんじゃないか。しかも、財務省はホームページで外国の格付け機関による日本国債の評価が低すぎる、と抗議しているのだ。もし、日本が「赤字国債」の乱発で財政破綻に瀕しているんなら、一般の銀行や保険会社があんなに国債を買うわけないだろう。でも、古川議員は安倍政権の「アベノミックス」に反対したかったのか、矢鱈と危機感を煽り、通貨発行の増加に懸念を抱いていた。財政通の古川議員は、日本のインフレーションに警鐘を鳴らし、次のような事例を挙げていた。

    戦後のハイパー・インフレは100倍になった。(上掲書、p.28)

  元財務官僚という経歴をひけらかす古川議員は、著書が発売された当時、話題となっていたギリシアの金融危機に言及し、日本が債務不履行(デフォルト)になったら大変だ、と騒いでいた。(上掲書、pp.31-32) 彼の著書は2015年に発売されたが、もう月日が経って今は2021年になる。だが、懸念された事態は一向に表面化せず、武漢ウイルス騒ぎになっても、菅政権が倒れて岸田内閣になっても、デフォルトの危機に陥っていないんだから不思議だ。古川氏の予想だと、もう財政破綻になっているはずなんだが、どうしたんだろう? 彼は次のように心配していた。

  長期国債の残高は2015年度末には800兆円を超える。短期国債も含めれば、国債の残高は1000兆円を超える。また、地方政府の債務も加えた政府全体の長期債務残高は、14年度末ですでに1000兆円を突破している。まさに、天文学的数字だ。日本の政府の債務残高はGDPの2倍に達しており、これほどの政府債務を抱えている国は、ほかにジンバブエぐらいしかないといわれている。(上掲書、p.39)

  うわぁぁぁ〜、莫大な債務を抱えた我が国は、いずれジンバブエ並になってしまうのかぁ〜。でも、ジンバブエはGDPの世界ランキングで213ヶ国中115位だけど、日本はジンバブエと同じくらい危ないのか? 確かに、ジンバブエは凄まじいハイパーインフレを起こして、自国の「ジンバブエ・ドル」を四回も変えてデノミを断行した。それゆえ、現地の人々は自国通貨を信用せず、外国の通貨である米ドルか南アフリカの「ランド(Rand)」を用いているそうだ。我が国とアフリカの貧乏国を同列に論じるというのは滑稽だが、古川氏は真面目に債務残高を心配していた。彼は以下のように言う。

  もう20数年前になるが、私がまだ役所にいたときに、財政演説の草稿を書く担当だった時期がある。当時はまだ国債残高が180兆円くらいだったのだが、それでも日本の財政は大変危機的な状態だと書いていた。それが今は長期国債だけで800兆円にまで膨れ上がり、政府全体の長期債務は1000兆円を超えた。まさに、異次元の世界だ。(上掲書、p.42)

  思わず笑ってしまうが、「異次元の世界」とは、古川氏が住んでいる「仮想現実」のことか? なるほど、GDPに対する債務残高の比率を見れば、西歐諸国と比べて日本の比率が高いことに気づく。IMFの「2020年World Economic Outlook Database」によれば、2021年、日本は264%、米国133.6%、英国111.5%、ドイツ72.2%、フランス118.6%、イタリア158.3%、カナダ115.0%となるそうだ。緊縮財政を追求する財務省は、各国の債務残高を表にして、「日本の状況は急速に悪くなっており、最悪の水準になっています !」と騒ぐ。でも、そんなのいいじゃないか。国債の多くは日銀が引き取る訳だし、国債を購入したオッちゃんやオバちゃん達にとっては、ちゃんと「資産」になっているのだ。筆者が学生時代、知人のオバはん達はタンス預金を持っていたけど、賭博要素の強い株への投資は怖いから避けていた。そこで、利回りは低いけど安全ということで、国債をどんどん買っていたものだ。もし、紙屑になると思っていれば、あんなに買わないだろう。

  ところが、古川氏の見解によれば、日銀が日本の国債を買い続けると危機をもたらす、というのだ。

  日銀だけが国債をどんどん高値でも買い続けるという状況は、とても健全な市場とは言えないばかりか、市場が価格形成を通じて発する警鐘機能を崩壊させるとともに、他の投資家の投資額の減少で債権市場の不安定化をもたらし、それがさらなる国債投資の手控えをもたらすという負の循環を生み出していると言える。(上掲書、p.51)

  平民の筆者は「へぇ〜、そうなのかぁ〜」と言うしかないが、さらに驚くのは、古川氏が安倍政権の時代から「金利の上昇」を心配していたことだ。彼の著書によれば、財政破綻の主な要因は金利の上昇で、もしも金利が急騰し、もはや利払いができないような状態になれば、それ以上の資金調達ができなくなり、財政破綻という状況になるらしい。古川先生はこう述べていた。

  「日本の財政が破綻する」などというのは、オオカミ少年だという意見も少なくない。本当にそうならばいい。 ・・・・だが、そろそろ、本当にオオカミがやってきそうな気配だから心配なのだ。(p.63)

   2015年からだいぶ経つけど、「金利の上昇による財政破綻」は何時(いつ)来るんだ? 今年は無理でも来年の2022年になれば、待ちに待った金利の上昇が起こるのか? でもさぁ〜、国債の金利が上昇したら、他の金融商品の金利も上がるから、そんなに被害が増加するとは思えないんだけど。おそらく、元財務官僚あがりのエリート議員には、庶民には見えない恐ろしい将来や刻々と近づく大破綻が見えてしまうんだろう。この様子だと、オオカミ少年はオオカミ老人になってしまうぞ。

  古川氏の著書を読んでいると、「本当に財務省の仲間なんだなぁ〜」と思えてくる。彼も矢野氏と同じく、「プライマリーバランスの黒字化」を目指しているらしい。古川氏曰わく、

   仮にプライマリーバランスの赤字がゼロになって収支が均衡した場合でも、財政収支はゼロにはならず、利払い費分だけ財政収支は赤字になる。(上掲書、p.94)

  プライマリーバランスの黒字化目標の達成が財政健全化のゴールではない。これは一里塚に過ぎず、そこから先の次なる目標を視野に置く必要があり、具体的には公費残高の対GDP比の引き下げや、財政収支の均衡などを次なる目標としていく必要がある。(上掲書、p.95)

  プライマリー・バランスの黒字化を達成するためなら、どんどん歳出を削って節約に努めようという訳だ。しかし、日本経済が縮小し、個人所得も減ってしまったら、愛知県に住む有権者の生活も苦しくなるんじゃないか? 愛知県の支持者だけは被害を受けず、健全な中流階級が維持されるとは、到底思えない。今度の衆院選の中で彼はどんな政策を公約に掲げているのか? 彼のオフィシャル・サイトを覗いてみたら、何と古川先生は「東京一極集中」を避けるため、皆さんに地方移住を推奨し、「居住面積の倍増」まで提言していたのだ。唖然としてしまうが、この古川先生は「広い住宅」を推進する政策を掲げている。しかし、所得が低くなった世帯は新築どころか、住宅ローンを払えず自宅を売却する破目になるんじゃないか?

  でも、大丈夫。古川議員は、ちゃんと日本の成長戦略を考えていた。先生曰く、

  日本の生産、雇用を支えているのは全国の中小企業だ。・・・それぞれの地域に優れた技術があり、それを支えている人材がいるということだ。・・・・地域にある「世界でオンリーワン」の技術には、「グローバル・ニッチ・トップ企業」を生む可能性が秘められているのだ。(上掲書、p.132)

  えっ ! 成長の目玉が「ニッチ産業」なのか? 確かに、「グローバル・ニッチ・トップ企業」のリストを見れば、立派な会社も多い。でも、その中には「どら焼き機械」、「即席麺製造ライン」、「イカ釣り機」、「背もたれ椅子の部品」なども含まれているから、「他の産業も育成した方がいいんじゃないか」と思えてくる。

  古川氏は地元の愛知県を愛しているのか、「地産地消システムの構築」を強調していた。古川氏はハイパーインフレ時代の到来に備えて、地方経済の基盤を強化したいそうだ。

  地産地消のシステムがあれば、万一財政破綻などが起きてハイパーインフレとなり、生活に必要な物資の調達をすることが難しくなった場合でも、その地域社会の最低限の生活だけは維持することができることにつながる「方船」になり得ると思うからだ。(上掲書、pp.133-134)

  でも、ハイパーインフレになったら、都会よりも地方の国民がダメージを受けやすいと思うんだけど・・・。それでも、古川先生の地方主義は根強く、エネルギー政策でも地方重視だ。原発反対の古川先生は、自然エネルギーで必要な電力を賄うつもりらしい。

  実は地域単位で考えれば、電力が自給自足である地域は多い。・・・水力発電に加えて、太陽光や風力、あるいはバイオマスなどを使った再生可能エネルギーの発電施設も、それぞれの地域の特性に応じて導入を進めていくべきであることは言うまでもない。(上掲書、pp.141-142)

  えぇぇ〜、太陽光発電を推進した結果、森林が伐採されて、土砂崩れまで起こったのに、それでも自給自足の電力供給を目指すのか? リベラル派の政治家は再生エネルギーとやらに熱心だが、ギラギラ光る太陽光パネルの近くに住む庶民からすれば、そんなのは大迷惑だ。第一、毎月の電気代を目にすると、請求書に「再生可能エネルギー発電促進賦課金」が記されている。「こんなモノのために、毎月高い料金を払っているのか」と思えば、誰だって腹が立ってくる。無駄としか言い様のない太陽光発電を維持する為に、多くの国民が余計な料金を負担しているなんて承知できない。風力発電だって非効率で、風車を廻すために電気を使っているくらいだ。木材のチップや生ゴミを使ったバイオマス発電なんか、どれくらいの電力需要を賄えるんだ? それに、「地域の特性」というが、温泉が出る地域でも、そんなのは茹で卵を作るくらいの地熱である。

  東大法学部を出た元財務官僚ということで、有権者は古川氏を「優秀」と思っているんだろうが、多少なりとも教養を持つ国民なら、彼の発言を怪しく思うし、その著作を読んだら大爆笑だ。しかし、「なぜ彼が8回も連続当選したのか?」と言えば、もちろん民主党の看板もあったが、彼の華々しい経歴が目に付いたからだろう。確かに、成績の良い者は理解力があって博学だから、巷の庶民は「さすが、名門進学校の人は違うなぁ〜」と溜息をつく。だが、実際に東大法学部の学生が優秀なら、大半が選良憲法の廃止を訴え、国軍と諜報組織の創設を主張するだろう。ところが、私立大学の学生を含めて、法学部に属した日本人は、ほとんど護憲派になる。しかも、地球人なら誰でも有するとされる「人権」の方に熱心なんだから、呆れてしまうじゃないか。

  なるほど、偏差値の高い大学に合格する受験生は優秀だ。しかし、有能に見える高校生でも、実は記憶力が良いだけの人物で、判断力や思考力に欠ける人が少なくない。例えば、高級官僚になる人は、財務省編の『財政学入門』といった教科書をチラッと読んで直ぐ要点を覚える。試験前に担任の先生が、「試験の範囲は25頁から62頁までね !」と言えば、ちゃんと勉強して95点か100点を取ってしまう。しかし、教科書の内容が「おかしい!」とか「間違っている!」とは思わない。それに、出題範囲を超えた質問だと困ってしまう。矢野氏や古川氏は難しい経済用語を混ぜて素人の平民に講義を垂れるが、自分が何を述べて、どんな策略に引っ掛かっているのかを理解しているのか?

  今も昔も財務省(大蔵省)の高級官僚は自尊心が強く、国家権力を背景にしているから民間人はひれ伏しているだけなのに、彼らは自分の“実力”と思い込む。徴兵逃れで総理になった宮澤喜一は典型的な元大蔵官僚で、高等文官試験、すなわち国家公務員試験のT種合格者のみが「真の選良」と信じていた。「我ら富士山、他は並の山」と言って他の省庁を見下す財務官僚は多い。しかし、キャリア官僚の金融や税制に関する知識は怪しく、ひょんな事から実態がバレてしまうこともある。例えば1990年代、大蔵省で主計局畑を歩んでいた田谷廣明(たや・たかあき)と、同じく主計局の総務課長や次長を歴任し、財務研究所の所長にまでなった中島義雄は、スキャンダルで失脚した。両者とも東大卒の「エリート官僚」だった。

  失脚前の田谷氏は、主計局の総務課長であったが、「EIEインターナショナル」(不動産屋)の高橋治則・社長から豪華な接待を受けたことで、マスコミの集中攻撃を浴びることになった。田谷氏は高橋社長の自家用ジェット機で香港に赴き、大名旅行を楽しんだというから、他にも色々な接待を受けたはず。中島氏も「EIE」の高橋氏と昵懇だったが、彼は支那人が経営する「楼蘭」に通っていたことがバレて辞任する破目になった。これは現在でも有名な「ノーパン・しゃぶしゃぶ事件」である。(1998年に発覚した大蔵省瀆職事件) 世間のオッちゃんオバちゃん達はビックリしたけど、この二人は共に税務署勤めの経験があった。田谷氏は室蘭税務署の署長や東京税関長を務めた経歴があり、中島氏も新潟県にある三条税務署の署長を務めていた。(大蔵省のキャリア官僚は、20代の若さで税務署の署長になる。) 彼らは税務署長を経験したのに、スキャンダルが発覚して尋問されると、税法を知らなかったと言い訳をしたので、民間のビジネスマンは驚きを隠せなかった。ちなみに、中島氏は退官後、京セラや船井電機に天下りし、渡り鳥よりも優秀だったので、セーラー万年筆の代表取締役にもなれたという。

  とにかく、我が国のお役人様には色々な奴がいる。日本には防諜機関が無いから露見しないけど、財務省には外国勢力の手先になって世論を操っている奴がいるはずだ。この確信犯は、アホな試験秀才を利用して、本当の狙いを隠している。狡猾な財務官僚や日銀の幹部どもは、誰が真の支配者なのかをよく分かっているから、日本の財務大臣や総理大臣なんかに従うことはない。彼らはヨーロッパの国際会議やワシントンD.C.に参拝し、恭しく大御所様の勅命を持ち帰ってくる。麻生太郎が財務省に従順なのは、官僚を尊敬しているからじゃなく、彼らの背後に居るパトロンを“権力者”と見なしているからだ。軍隊を持たない属州の酋長は、丸腰の藩主と一緒で、幕府から「江戸城の石垣を建築しろ」と言われれば、外様大名は資金と人材を提供せねばならない。これと同じく、ウォール街の旦那衆から、「お前の国は閉鎖的だ ! もっと自由な市場にしろ !」と厳命されれば、竹中平蔵のような買弁が現れて、構造改革とか自由主義で国内企業を売り渡す。貧困化した庶民は抵抗すらできず、「お上に逆らっても仕方がない」と諦めてしまい、あとはディスカウント・ショップにに通って節約生活に励む。悲しいけど、これが日本の現実である。

  別の記事で述べたいが、日本の経済評論家というのは、経済統計や専門用語を使って目先の経済現象を云々する。しかし、もっと重要なのは、世界経済のシステムや枠組み、ルールなどを誰がどのように決めたのかである。YouTube番組に出てくる経済通は、矢野氏の雑誌論文を取り上げ、「アホな奴だなぁ〜」と笑っているが、冷静な日本国民は、裏で糸を引く人物の魂胆を探った方がいい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html

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