<■643行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> ケネディを撃ったのは、運転手とグラシノールの丘の狙撃手です。つまり、実行犯として逮捕されたオズワルドは、一切関係なかったというわけです。 この事件は、初めから計画されていたシナリオどおりの暗殺でした。 それにしても、ケネディは、なぜ暗殺されたのでしょうか? 理由の一つは、前にも述べましたが、人種差別問題、CIAとの確執、麻薬とマフィアの撲滅、軍需産業の縮小、ベトナム戦争撤退など、彼の政策は、シークレットガバメントに逆らう行為だったからです。 また、他にも彼は米政府を支配するシークレットガバメントから、自由を取り戻そうとしたり、 連中が支配している貨幣発行権を取り戻したり、 さらには、パレードの日に、シークレットガバメントの存在を、国民の前で発表しようとしていたのです。 だから、邪魔者とされ、この世から消されたのです。 ケネディは暗殺される前に、シークレットガバメントの存在を、彼の愛人だった「マリリン・モンロー」に話しています。 それを聞いたマリリン・モンローは、知人のジャーナリストに、そのことを電話で喋ってしまいました。 電話の内容は、CIAが盗聴。 マリリン・モンローもまた、邪魔者として暗殺されたというわけです。 〈マリリン・モンロー〉 ケネディが暗殺され、マリリンモンローが暗殺され、これだけでは終わりませんでした。
実はケネディの次男も殺され、 三男は車で秘書と共に海に転落させられ、秘書が死亡・・・ 以後、その恐怖で三男は政界から去ってます。 マイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、ダイアナ妃、尾崎豊、中川昭一などは、 ケネディ同様にシークレットガバメントの命令で何者かによって暗殺された人たちです。 ファシズム国家である米国では、政府に反対する発言や行為は非常に危険で、それは警察や軍も敵に回すことになるのです。 ケネディ暗殺後、当時の副大統領だった「リンドン・ジョンソン」が中心となり、 ケネディ暗殺に関する資料や証拠物件をまとめた「ウォーレン報告書」という調査報告書が存在します。 この報告書には、事件の詳細を2万ページにも及んで記載しています。 が、その内容は未だ明らかにされていません。 〈ウォーレン報告書〉 副大統領だったリンドン・ジョンソンが、ケネディの後、大統領に就任しました。
ジョンソンは、フリーメイソンのメンバーでした。 シークレットガバメントは、彼が大統領に就任すれば、米国をコントロールするのに好都合だったのです。 だから彼をケネディの後の大統領に据えたのです。 http://sekainoura.net/oworen.html マリリンを殺した4人の男たち 1960年代アメリカ暗殺史の系譜と符号
「1962年6月、モンローの女優としての評判は下降線を辿っていた。モンローはCIAと組織の陰謀を知っていた上、著しく精神の安定を欠いていた。7月にはボビー(ロバート・ケネディ)との関係も切れ『何もかもばらす』と脅しをかけるようになった。 彼女の電話を盗聴し逐一監視していたCIAは、復讐にかられた麻薬中毒のモンローに全てを暴露されることを恐れ、ムーニー(サム・ジアンカーナ)に彼女の始末を依頼した。 1963年8月5日、殺し屋たちは暗くなるのを待って、午前零時前に自宅に侵入した。すでに彼女はボビーの医師が鎮静剤を打っていたおかげで、ぐったりしていた。 彼らはマリリンを裸にすると、口をテープで封じ、医師が特別に処方したペントバルビタールの座薬を注入した。 口から致死量の睡眠薬を服用させれば嘔吐しかねないが、座薬は肛門膜組織から直接血管に吸収され、胃から検出されるものは何も無い。彼らは彼女が完全に意識を失ったのを確認すると、テープをはがしマリリンの口元をきれいに拭いて、そして静かに消えて行った」 ---「DOUBLE CROSS」by Sam Giancana and Chuck Giancana P370-373より抜粋 モンローの死因を扱ったテレビ番組はこれまで何度か放映されてきたが、その決定的な真相に迫るものは何一つなかった。せいぜい死亡当日にボビーが彼女と言い争いをしていた程度に留まるもので、ためにボビー犯人説を示唆するという、無責任なものであった。
確かにボビーはモンローと会ってはいたが、司法長官という立場上からも暗殺までするとは考えられない。そのことを最も熟知し、徹底して利用したのがCIAだった。しかもCIAはFBIを使ってボビーが訪れた痕跡すら消して、その後の司法長官としてのボビーに圧力をかけるようになる。つまり恩を売ったわけだ。 しばらくは大人しくしていたボビーも、その潔癖な正義感から再び不正に挑むようになる。激怒した彼らは大統領でもあった兄を公開処刑してボビーに警鐘を鳴らす。自分たちに逆らう者はこうなるのだと・・・だが、ボビーはかえってそれを契機に発奮すると大統領選にうって出る。これこそが彼らが最も恐れていたことであった。再び闇の政府が始動する。その結果が1968年6月6日だった。 http://oriharu.net/gabana_n/zaakan/hibi0506/hibi-niisi-050607.htm ▲△▽▼
マリリン・モンローから19歳のインターンまで、ケネディが流した浮名 2013年11月18日 13:45 発信地:ワシントンD.C./米国 http://www.afpbb.com/articles/-/3003473
【11月18日 AFP】ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領は多くの魅力的な女性に囲まれていた。妻のジャクリーン(ジャッキー、Jacqueline Kennedy)はもちろん、大統領就任を後押しした母親のローズ。それから映画スターに、ホワイトハウスで働く10代のインターン、マフィアと関係のある女性……。
50年前に暗殺されたケネディが、多くの女性たちと複雑な関係にあったことに疑いの余地はない。 彼がこうした女性たちを、大統領に上りつめ権力を維持するうえで助けになる人物として大切にしてきたのか。あるいは自分の旺盛な性欲を満たすために、彼女たちをもて遊んだだけなのだろうか。 「ケースバイケースだ」と言うのは、10月に『The Kennedy Half-Century: The Presidency, Assassination and Lasting Legacy of John F. Kennedy(ケネディ半世紀)』を上梓し、ベストセラー作家となったラリー・サバト(Larry Sabato)氏だ。 「JFKは、力や影響力のある人々に対しては上品で礼儀正しく振る舞った。だが彼の性欲は飽くことがなかった。今日で言うなら、彼は若く美しい女性を性の対象として扱っていたのだ」と、バージニア大学(University of Virginia)政治学センターのセンター長も務めるサバト氏はAFPに語った。 ケネディの人生の中心にいたのは、妻のジャッキーだ。旧姓ジャクリーン・ブーヴィエ(Jacqueline Bouvier)は1929年7月、裕福な家庭に生まれた。彼女の洗練されたファッションスタイルには、世界中が注目した。 ケネディがテキサス(Texas)州ダラス(Dallas)で暗殺されたとき、ジャッキーはあのオープンカーで彼の隣に座っていた。その後の数時間、彼女が夫の血が飛び散ったシャネルのピンクのスーツを着替えることを拒んだのは有名な話だ。「犯人たちがジャックに何をしたのか見せてやりたい」と、彼女は言った。 ケネディ家は現代アメリカの恵まれた家庭を象徴するイメージを世間に与え続けたが、大統領のプライベートは愛人に囲まれた生活だった。 最も有名なのは女優のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)だ。ハリウッドのセックスシンボルは、1962年の民主党の資金集めパーティーで、色気たっぷりに「ハッピーバースデー」を歌った。誕生日を祝ってもらったケネディは喜びを隠さなかった。 今年8月に出版された『These Precious Few Days: The Final Year of Jack with Jackie(貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の年)』の著者でジャーナリストのクリストファー・アンダーソン(Christopher Andersen)氏によれば、ジャッキーは2人の関係を知っていただけではなく、モンローに夫を譲ってあげると告げたという。 「あなたがホワイトハウスに入って、ファーストレディーとしての責務を負って、すべての問題を抱えればいいのよ」と、ジャッキーはモンローに語ったといわれる。モンローは1962年8月、薬物の過剰投与で亡くなった。 ジャッキーの言う「問題」には、ジュディス・キャンベル・エクスナー(Judith Campbell Exner)のことも含まれていたかもしれない。彼女がケネディと2年間、熱い関係にあったことは、歴史家たちも認めるところだ。 ホワイトハウスのインターンだったミミ・ビアーズリー(Mimi Beardsley)の場合は、ケネディに言い寄られたときはまだ19歳だった。彼女が言うには、男性と性的関係を持ったのはケネディが最初で、初めてのセックスはケネディ夫妻の寝室だった。その後、2人は大統領のバスタブでアヒルのおもちゃで遊ぶほど親しくなる。2人の関係は1年半続いた。 「後悔していない。私は若かったし、誘惑された。その事実は変えられない」と、彼女は2012年に出した回顧録で記している。 ケネディがいったい何人のバイシュン婦を雇ったのかは誰にもわからない。だが護衛たちが、ソ連との核戦争前夜ともいわれた時代に、スパイ行為や脅迫を恐れるに足る人数だったことは確かだ。 「彼はときに、少し問題がある女性をそばに置こうとする傾向があった」と、ケネディの護衛を務めていたアンソニー・シャーマン(Anthony Sherman)氏は1997年にABCテレビのドキュメンタリー番組で語っている。素性が怪しい女性たちだ。 サバト氏も、「JFKは大統領職と家族を何度も危機にさらした。外国の諜報機関が彼の問題行動について何らかの情報を得ていたのは、ほぼ確実だ」と語っている。 母親のローズ・ケネディ(Rose Kennedy)が息子の女遊びを知っていたのは間違いない。彼女もジャッキーと同じく、夫の数々の浮気に耐えた女性だ。実業家で大使も務めたケネディの父親ジョセフ(Joseph Kennedy)は、1920年代に当時の映画スター、グロリア・スワンソン(Gloria Swanson)と3年間、愛人関係にあった。それは、まるで40年後のケネディとモンローを予兆させるような関係だった。(c)AFP/Robert MACPHERSON ▲△▽▼
モンローの肉体を嘗めたユダヤ人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の糸 (後編) ゴイム(異教徒)を妻にするユダヤ人 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html
マリリン・モンロー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/b/5b3787c8.jpg http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/1/d/1d4d7383.jpg
テレビ東京が2013年頃、朝の時間帯に昔懐かしい「奥様は魔女(Bewitched)」を再放送していた。綺麗なカラー映像に修正されたコメディー番組を観た方も多いんじゃないか。
このアメリカ・ドラマは元々、昭和40年代に放送されたシットコム・コメディーで、主役のサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth V. Montgomery)とダーリン役を演じたディック・ヨーク(Dick York)は今でも有名だ。義母のエンドラを演じたアグネス・モアヘッド(Agnes Moorehead)も意地悪の魔女が板に付いていて、とても印象に残る女優であった。米国にはこういった雰囲気を醸し出す、憎いくらい上手な演技をする脇役がいるからすごい。人気ドラマ「ダイナスティー」のジョアン・コリンズ(Joan Collins)みたいな実力派がいるから、ややもすると緩みがちな連続ドラマが引き締まる。 ちなみに、今回「奥様は魔女」を調べてみたら、日本版も制作されていたそうで、人気女優の米倉涼子がサマンサ役を演じていたそうだ。知らなかった。まさか日本人バージョンがあったなんて。観てないから何とも言えないが、おそらく駄作なんじゃないか。日本人がアメリカドラマを模倣して成功した例は少ないだろう。 ドラマじゃないけど、以前に野口五郎がサンタナのヒット曲「スムーズ(Smooth)」を拝借し、「恋はメラメラ」という題にして唄っていた。サンタナのオリジナル版では、人気歌手のロブ・トーマス(Rob Thomas)を起用して素晴らしい出来だったが、野口五郎の方は一度聴けば恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほどの代物である。元曲をあれほど無惨にしたカヴァー曲も珍しい。 脇道に逸れたから話を戻すと、ドラマの中で美人妻を演じたエリザベス・モンゴメリーは、何とプロデューサーのウィリアム・アッシャー(William Asher)と結婚していたのだ。
彼はユダヤ人の父親とカトリック信徒の母親を持つユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤ人支配のハリウッドでは一般的にユダヤ人制作者と見なされていた。 我々とってショックなのは、貞淑な妻を演じていたエリザベスが、私生活では同性愛者や妊娠中絶を支持する筋金入りの左翼活動家であったことだ。確かに、「奥様は魔女」の中にも人種差別を取り上げたエピソードがあって、黒人を対等に扱うサマンサの姿があった。今から思えば、1960年代後半から1970年代にかけて放送されていた番組だから、リベラル色が強くてもしょうがないと考えられるが、「奥様は左翼だった」じゃ笑えない。 それにしても、売れっ子女優がユダヤ人プロデューサーと結婚するなんて、いかにもハリウッドらしい現象である。もし、彼女が一般人女性のままだったら、ユダヤ人と結婚せずに普通の白人男性と結婚していたんじゃないか。 こんな異人種間結婚を見ているから、ユダヤ人に警戒心を抱く西歐系白人や、藝能界に入りたがる娘を叱る親がいるのだろう。仔羊を狼の群れに解き放つようなものだから、まともな親が反対するのも無理はない。それに、生まれてくる孫がユダヤ人の血統なんて考えただけでも恐ろしい。 左: エリザベス・モンゴメリー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/a/ca119a9f.jpg
中央: ウィリアム・アッシャー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/d/7/d7e46652.jpg 右: 「奥様は魔女」 http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/6/0/603cc28b.jpg マリリン・モンローを取り巻くユダヤ人
ユダヤ人がうじゃうじゃいるハリウッド村は、藝能界というより匪賊や傭兵がたむろする無法地帯と考えた方が的確である。こんな蟻地獄に入って行く若者が跡を断たないんだから、エンターテイメント業界は麻薬に満ちた魔界と呼んでもいい。 米国史の中でも輝かしい1960年代、後世に名を残すこととなった人気女優マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)も、ユダヤ人の魔の手に落ちた悲惨な一例であった。 父親は不明だが、グレイディス・パール・ベイカー(Gladys Pearl Baker)の娘として生まれた、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jean Baker)は、義父の「モンロー」姓をつけて藝能界にデビューした。 彼女はラルフ・グリーンソン(Ralph Greenson/ 本名Romeo Greenschpoon)という名うてのユダヤ人を自分の精神科医として雇っていた。このユダヤ人はモンローが自殺した時のセラピストであった。彼はマリリンの精神を安定させるために、過度な薬物治療を行っていたらしい。何かマイケル・ジャクソンに「プロポフォル(propofol)」を過剰投与したコンラッド・マレー(Conrad Murray)医師を思い出してしまう。 こんな麻酔薬(鎮静薬)を個人の邸宅で与えてしまうなんて信じられないが、アメリカという異常な国では非常識が罷り通る。たぶん、グリーンソンも自信満々の医師で、どんどん睡眠導入剤や鎮静剤をマリリンに与えていたのだろう。彼女の友人が証言していたが、マリリンはグリーンソンに会えば会うほど衰弱していったそうだ。 マリリンの周りには矢鱈とユダヤ人が多かった。グリーンソンの妹エリザベスは、ユダヤ人ミルトン・ミッキー・ラディン(Milton “Mickey ” Rudin)と結婚しており、そのラディンは有力な人脈を持ち、エンターテイメント業界で活躍する法律家であった。そして、彼はマリリンの顧問弁護士も務めていたのである。彼女と昵懇の出版業者アーサー・ジェイコブズ(Arthur Jacobs)や、娯楽企業のMCAで彼女のエージェントを務めるジェイ・カンター(Jay Kantor)とモート・ヴィナー(Mort Viner)もユダヤ人だった。
出演作でもユダヤ人監督に重宝されており、「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」ではビリー・ワイルダー(Billy Wilder)が監督だったことは有名だ。「恋をしましょう」だとジョージ・クコー(George Cukor)が監督で、「帰らざる河」ではオットー・プレミンジャー(Otto Preminger)が総指揮を執っていた。マリリンの個人マネージャーのナターシャ・ライテス(Natasha Lytess)もユダヤ人で、いつも一緒にいたから、二人はレズビアンの関係か、と疑われるくらいだった。また、ユダヤ人写真家のミルトン・グリーン(Milton Greene)も、マリリンのマネージャーになって親しく付き合っていたから、彼女との仲を噂にする者もいたという。 バイシュンの伝統が根強い韓国では、体で仕事を取る藝能人が多いそうで、悲惨な運命を辿った女性も少なくない。
我が国の藝能界でも所謂「枕営業」があるそうで、さほど人気のない女性藝人は、演技力や歌唱力よりも、有力制作者とか大御所に体を提供して、望む仕事を獲得するらしい。 マリリン・モンローも名声と幸運を摑むために、誰彼となくベッドを共にしたという。 ユダヤ人が跋扈(ばっこ)するハリウッドだから、マリリンが「春」を売った相手も当然ユダヤ人だった。ユダヤ人のテッド・ジョーダンによると、マリリンはキャリアを進展させる為なら誰とでも寝たそうだ。 (Ted Jordan, Norma Jean: My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.121) また、アンソニー・サマーズ(Anthony Summers)によれば、彼女がフォックス社と最初のコンタクトを持った時、そのキーパーソンはベン・リヨン(Ben Lyon)で、彼もマリリンと性的関係を持っていたらしい。シェイラ・グラハム(Sheila Graham)も、マリリンが未来のキャリアの為にリヨンと寝たことを述べている。 マリリンの肉体を堪能したリヨンは、キャスティング・ディレクターのソル・ウルツェル(Sol Wurtzel)を呼びつけ、「デインジャラス・イヤーズ」という1947の映画で使ってやれと命じ、マリリンはちょっとした脇役を与えられたという。何とも生々しい裏話だが、藝能界って多かれ少なかれ、こんな横槍が入ってくる。 大物プロデューサーがいきなり素人の小娘をドラマに押し込んだり、ニュース番組の「お天気お姉さん」に任命したり、とやりたい放題の横暴をはたらく。周りのスタッフは大迷惑だけど、有力者に睨まれたら自分の出世が危なくなるから、長いものに巻かれてしまうのだ。 視聴者だって、あまり人気のない女優がどこからともなく新ドラマに抜擢されるから、「どうしてこんな女優が、いきなり重要キャストに抜擢されたんだ?」と訝(いぶか)しく思うだろう。でも、「大人の事情」が絡んでいるから仕方がない。 中央: ナターシャ・ライテスとマリリン・モンロー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/b/7/b74f99ba.jpg
「美女と野獣」という映画があったけど、美女のマリリンに群がる野獣は本当に多かった。
被服業界の大御所たるヘンリー・ローゼンフェルド(Henry Rosenfeld)も、白くて美しい肌を嘗(な)めた薄汚いユダヤ人の一人だった。彼はアトランティック・シティーにある自宅にマリリンを招き、自分のスピード・ボートに乗せて、甘い一晩を過ごしたそうだ。 マリリンは映画業界で顔が利く、悪名高いユダヤ人ギャングのバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)とも寝ていたらしい。彼の伝記は映画化されたので、このシーゲルについて知っている日本人もたくさんいるんじゃないか。日本もそうだが、藝能界と暴力団は裏で繋がっているから、堅気の人間が毛嫌いするのも分かる気がする。 マリリンのセックス・ライフは10代の頃から既に始まっており、17歳の時にはテッド・ジョーダン(Ted Jordan / 本名 Edward Friedman)と交際していて、彼は後に『ノーマ・ジーン』という本を書いて、マリリンとの性生活を暴露していた。
このジョーダンにはテッド・ルイス(Ted Lewis / 本名 Theodore Leopold Friedman)というミュージシャンの叔父がいて、マリリンはこのルイスとも寝ていたというのだ。彼女が麻薬を覚えたのは、このルイスからであった。本当に腐った奴らである。 後に有名女優となる野心家のノーマ・ジーンは、のし上がるためには何でもすると心に決めており、ジョーダンにも、誰とでもセックスをするし、その心構えもできている、と語っていたそうだ。 そこで有言実行のマリリンは、著名なゴシップ・コラムニストで、ユダヤ人のウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)と寝たらしい。しかし、一介のコラムニストと性交したくらいでは、ハリウッドで大女優にはなれない。 まだ無名のマリリンはコロンビア・ピクチャーズのハリー・コーン(Harry Cohn)社長に近づいた。「またユダヤ人か !」とウンザリするが、映画会社の社長や重役にはユダヤ人が多いからしょうがない。 このユダヤ人社長はマリリンを自分のヨットに乗せ、夜のクルージングに誘ったそうだ。美しい獲物を捕まえたコーンは、マリリンに向かって服を脱げ、と命じたという。彼女は言わるままに服をぬぎ始めた。すると、あろうことか、この助平ユダヤ人は、自分のペニスを握りながら彼女に近寄ってきたのだ。 大抵の女性なら、「えっぇぇ!! 何 ! 嫌だ!!!」と真っ青になって叫ぶだろう。マリリンも同じで、彼女はコーンを拒絶したそうだ。そりゃそうだろう。こんな変態ユダヤ人とセックスするなんて、どこか精神が異常じゃないとできない。 マリリンに肘鉄を食らったコーンは、とても激怒したそうで、マリリンは「あんなに怒った人を見たことがない」、と語っていたそうだ。 (Ted Jordan, Norma Jean : My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.91) 左: マリリン http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/2/d/2d1a6171.jpg
自分のペニスを握って近寄ってくるユダヤ人なんて、想像しただけでも背筋に戦慄が走る。いくら出世のためとはいえ、マリリンの眼に映る発情したコーンの姿は、余りにも酷かったのだろう。若い娘なら当然である。
しかし、権力者を怒らせたマリリンは、コーンからの報復を受けた。彼女はコロンビアの撮影所に出入りすることを禁じられたそうである。かつて、マリリンは藝能界の実情を語っていた。 プロデューサーが女優に台本に関して話があるからオフィスに来いという時があるでしょう。でもね、それは台本の打ち合わせじゃないのよ。・・・私はプロデューサーたちと寝たわ。もし、寝ていないと言ったら嘘になるもの。 1955年に20世紀フォックス社と大きな契約を結んだ時、彼女はようやく不動の地位を手にした女優になれた。そして、マリリンはこう呟いたという。 「私はもう二度と、あいつ等のペニスをしゃぶらないわ」、と。 マリリンは年を重ねる毎に反ユダヤ的感情が募ったようで、大御所のジョー・シェンク(Joe Schenck)のことを「あの糞ユダ公(that Jew shit)」と呼んでいたらしい。他のハリウッド・ユダヤ人に対しても、「あのユダ公 ! とか、このユダ公 !」と罵っていたようだ。しかし、彼女は後にユダヤ教に改宗するが、この反ユダヤ感情は妨げにならなかったらしい。やはり、女優の頭はどこか普通と違うのだろう。 中央と右: マリリン・モンロー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/0/4/04566c8d.jpg http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/4/4/44f8de69.jpg
マリリンは性的に弄ばれていたが、政治的にも利用されていたようだ。精神科医のラルフ・グリーンソンは、彼女の指導者みたいな身分になっていたが、彼には別の顔があった。このユダヤ人は積極的な共産党員で、コミンテルンにも係わっていたという。そして、彼の妹エリザベスの証言によれば、兄のラルフは熱心なシオニストで、イスラエルとの太いパイプを持っていたそうだ。
まったく、ユダヤ人のコミュニストって本当に多いんだから嫌になる。かつて、ハリウッドの共産主義者をあぶり出す「赤狩り」が行われたけど、真っ赤なユダヤ人の映画監督や脚本家、プロデューサーなどが至る所にいたから、保守派のアメリカ人が怪しんだのも当然である。 よく知られているのは、左派が多数を占めるユダヤ人に対するチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の警告である。この「アメリカ第一主義」を掲げる大空の英雄はこう述べた。 ユダヤ人は我が国にとって最大の脅威である。彼らは我々の映画界、出版界、ラジオ局で広範囲な所有権を持ち、我々の政府において絶大な影響力を行使しているのだ。 (Harold Brackman, The Attack on “Jewish Hollywood”: A Chapter in the History of Modern American Anti-Semitism, Modern Judaism, Vol. 20 , 2000,p.5.) ユダヤ人の害悪については、リンドバーグのみならず、他の議員も警戒心を強めていた。例えば、ミュズーリ州選出のジョン・ランキン(John Rankin)下院議員は、ユダヤ人が合衆国政府の転覆を狙った最大の陰謀の一つに責任がある、までと述べていたのである。また、彼は大胆さを以て、米国においてユダヤ人は反政府活動の温床である、と喝破していたのだ。 現在の政治家なら絶対に口に出来ぬ発言である。しかし、当時のアメリカには、まだ言論の自由が残されていた。保守派のアメリカ人が1950年代を懐かしんだのも理解できよう。 ついでに言えば、マリリンと結婚した三番目の夫アーサー・ミラー(Arthur Miller)は、ユダヤ人の劇作家であったが、これまたハリウッドのユダヤ人らしく極左活動家で、黒人に対する人種差別に反対し、労働活動にも熱心に係わっていた人物である。彼も真っ赤なユダヤ人仲間を持っていたので、反共の闘士ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)議員に目を附けられていた。彼は下院の反アメリカ活動調査委員会に召喚されたことがあるが、仲間を裏切ることを拒否し、断じて口を割らなかったという。ユダヤ人にとったら、愛国心よりも同胞愛の方が大切だからねぇ。 マリリンがセックスした中で最も権力を持っていた男と言えば、やはりジョン・F・ケネディー大統領だろう。
大統領と姦通したマリリンがもたらす寝物語は、グリーソソンにとって貴重な情報源となったはずだ。いくら大統領とはいえ、惚れた女とベッドを共にすれば、何てことはない雑談の中で、国家機密に繋がる重要な情報を漏らすことだってあり得る。当時は冷戦真っ只中。合衆国大統領がどんな考えなのかを直に知る絶好の機会だ。 特に、コミュニストのグリーンソンは、ソ連やキューバに対する外交方針や、イスラエルに関する大統領の考えを知りたかったはず。だから、セラピストのグリーンソンに何でも打ち明ける、警戒心が全く無いマリリンは「便利な馬鹿(useful idiot)」だった。 大女優になっても精神的に不安を抱えるマリリンは、何でも医者に頼る癖がついていたという。当時のハリウッドでは、リー・シュトラスバーグ(Lee Strasberg)という精神分析医が非常に持て囃されていた。大物俳優といえども、人には言えぬ悩みを抱えているだろうから、誰かしら相談役になる人が必要だったのであろう。だから、こうした弱点を持つ有名人を食い物にするセラピストがいたのも当然で、こうした悪徳医は患者にとっての「神」を演じていたのである。 自分の判断一つで大女優や二枚目男優を操ることができたから嬉しくてたまらない。名優のマーロン・ブランドーには、ベラ・ミッテルマンという精神科医がついていたが、ブランドーはシュトラスバーグについても述べていた。ブランドーの評価では、シュトラスバーグは俳優が集まるスタジオに来る人々を餌食にする冷血漢であったという。しかも、相当な野心家で自分勝手ときている。 彼は自分自身を、まるで神託を告げる司祭か、新興宗教の教祖のように思っていたらしい。彼にたぶらかされた人々は、シュトラスバーグをラビ(ユダヤ教の教師)の如く崇めていたという。ところが、マリリンはこんな類いの精神科医に傾いていたのだ。 日本でもよく藝人が、怪しい霊媒師とか占い師に嵌まることがあるけど、アメリカでも似たような事が多い。マリリンはフロイトの精神分析にも興味を示したそうで、彼女は実際フロイドの娘アンナ・フロイトにロンドンで会っていた。彼女の診断でも、マリリンは相当精神を病んでいたらしい。 左: マーロン・ブランドー http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/e/a/eaa5c4c1.jpg
右: マリリン http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/1/2/12723b9c.jpg 精神的に不安定なマリリンだったから、薬の過剰摂取で死亡したのだろう。だが、彼女はある意味、主治医のハイマン・エンゲルバーグ(Hyman Engelberg)とセラピストのラルフ・グリーソンに殺されたようなものだ。グリーンソンは助手に鎮静剤の投与を指示していたのだ。しかし、投与されたバルビツール酸系薬が多すぎたため、マリリンは副作用を起こして心不全となり、若くしてこの世を去ることになった。助手からの報告を受けたグリーンソンが、彼女の部屋に駆けつけた時には、既にマリリンは死亡していたという。 後に、色々な陰謀説が囁かれたが、実際は薬物中毒による死亡である。それにしても、哀れな最期だ。おぞましい枕営業を経て、大女優への道を駆け上ったのに、その栄光を味わう精神が衰弱していたのとは。 華やかな藝能生活を送っていた人気女優が、裏では薬漬けの日々を送っていたのだ。何の苦労だったのか分からなくなる。 右: マリリンとジョー・ディマジオ http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/0/b/0bc4617d.jpg
何はともあれ、マリリンの人生には色々な男がいた。映画界の大物やマフィアのギャングと寝ていたかと思えば、野球選手のジョー・ディマジオと再婚したり、はたまたフランク・シナトラと浮き名を流したり、と寄り添う男の幅が広い。
中でも、ジョン・F・ケネディーとロバート・ケネディーとのダブル不倫は有名だ。 英雄は色を好むと言うが、このケネディー兄弟は異常である。 世間はハーバード大卒の爽やかな紳士と評するが、一皮剝けば下半身がだらしないアイリス系移民の倅(せがれ)たちである。兄が肉体関係を結んだ女に、弟も手をつけるなんて、恥知らずというか変態に近い。 一方、マリリンにも倫理観がこれっぽっちも無かった。女房や子供を持つ男と姦通しても平気なんだから。これではユダヤ人たちがマリリンのことを「シクサ(Shiksa)」、則ち「穢れたケダモノ」と呼んでも致し方ないじゃないか。 マリリンからすれば、男を踏み台にして出世したつもりだろうが、セックス相手からすれば、精液を噴射できる共同便所に過ぎない。 ただ、ユダヤ人に蔑まれながらも、ユダヤ人のアーサー・ミラーが結婚してくれたんだから、これだけでも彼女にとって救いになる。たぶん、ミラーは本気で彼女のことを愛していたのだろう。 ただし、ミラーがマリリンのことを「トロフィー・ワイフ」と見なしていたら残念だ。仮に、そうであっても仕方がない面もある。冴えない容姿のユダヤ人作家が、世間が持て囃す金髪美女を手に入れたのだ。親戚や友人に自慢したくなるのも無理はない。三番目の旦那なんだから、マリリンだって贅沢な要求はできないだろう。 凌辱される同胞の女性
マリリン・モンローが送った波瀾万丈の人生は、多くの事を我々に教えてくれる。 まづ、藝能界はヤクザの世界、ということだ。堅気の娘が足を踏み入れる職場ではない。 ハリウッドは賤しいユダヤ移民が築き上げた悖徳の帝國で、当初はアメリカ白人に媚びて映画界の社会的イメージを向上させたが、一旦巨大な帝國が出来上がれば、そこに飛び込んでくる白人娘を娼婦と見なした。 憧れのハリウッドに旅立つ女優の卵は、狼の群れに迷い込むひよこと同じだ。 映画での配役を獲得すべく、ユダヤ人達に“輪姦”されても、必要経費としか考えない。娘の藝能界入りを許した両親は、娘が裏で凌辱されている事に気づかないんだから、まさに「知らぬが仏」だ。 日本人の親も充分認識すべき現実である。娘がモデルとかアイドル、女優になりたいと言い出し、それを許すなら、可愛い娘を穢らわしいヤクザや下劣な朝鮮人どもへ「生け贄」として差し出した、と諦めるべきだ。 左: 桃井かおり http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/1/e/1e16a122.jpg
右: 「エロスの甘き香り」 http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/9/c96ff750.jpg ちょっと痛ましい話になるけど、女優の桃井かおりには国際政治学者の桃井眞(ももい・まこと)がいた。1991年に起きた湾岸戦争の時、報道番組に出演していたのを覚えている方もいるだろう。桃井かおりは少女時代、英国にバレー留学していたことがあり、どうも可愛い孫娘が立派なバレリーナになるようと、バレリーナの祖母が望んだらしかった。父親の真は娘をたいそう可愛がったようで、まさしく箱入り娘として育てたらしい。しかし、白人ばかりのバレー教室に通っていたかおりは、黄色いアジア人ということで劣等感を抱き、バレリーナになる夢を断念する。
帰国したかおりは演劇を始め、親に内緒で女優になっていた。一時は勘当されたこともあったそうだ。父親が女優業に反対したのも当然であろう。とりわけ、出演した映画の中にエロ作品があったからもう大変。映画ファンならロマン・ポルノ作品の「エロスは甘き香り」や、70年代らしい「けだるさ」を表現した「もう頬づえはつかない」をご存知だろう。 大切に育てた娘が、見知らぬ男と裸でからむベッドシーンを見て、父親の桃井眞はどんな気持ちだったのか? もしかしたら、劇場へは行っていないのかも。そもそも、娘の裸を銀幕で見たいと思う父親はいないだろう。だって、相手の男優が娘の肌を嘗めたり、乳房を揉んでいるんだぞ。怒りと悲しみで胸が張り裂けてもおかしくはない。映画を観る以前に、涙がこぼれてくるじゃないか。 右: 「もう頬づえはつかない」の桃井かおり http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/3/9/39b00080.jpg
若い娘を凌辱するユダヤ人はトンデモないが、それを平然と行うユダヤ人の心情とは如何なるものなのか? 一番考えられるのは、欲望剝き出しの世俗主義者という点だ。 純情な白人娘を裸にすれば、大金が儲かるからドンドン淫乱な映画を作るのは分かる。だが、その根底には、西歐社会への憎悪が漲っているのだろう。 ユダヤ人にしてみたら、アメリカ社会は西歐白人が作ったもので、彼らの祖先が築いたものではない。米国は散々ユダヤ人をイジメてきた西歐人が建てた国家であるから、彼らの倫理観や価値観、伝統文化をを守る必要性はどこにも無いのだ。 キリスト教徒が仲間の女性に求める貞操観念や立居振舞い、女性らしさ、気高さなんて、むさ苦しい生活を送ってきたユダヤ人にとって、何の意味も無いし、犬の糞みたいに踏み潰しても気にならない。むしろ、踏み潰すことに快感を覚える。 興味深いことに、ユダヤ人の監督や脚本家は、喜んでキリスト教徒の家庭を愚弄するが、ユダヤ教徒の家庭や価値観を馬鹿にすることは滅多にない。 キリスト教徒の西歐系アメリカ人であれば、「そんなに伝統的価値観を毀したいなら、まづ最初に因習的なユダヤ人社会をターゲットにしたらどうか」と提案したくなる。なぜなら、男尊女卑で人種差別の激しいユダヤ人コミュニティーには、リベラル派のユダヤ人が攻撃したくなるような材料がごまんとあるからだ。わざわざ異教徒(ゴイム)たる西歐キリスト教徒に、その矛先を向けていないで、身近な同胞のコミュニティーを批判する方が先じゃないのか。 「社会正義」をふりかざす赤いユダヤ人は、普通に黒人を「黒いケダモノ」と呼ぶユダヤ人のオバちゃんを非難しろ。 中央: ユダヤ人女性 http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/7/8/78fba827.jpg
右: ユダヤ人男性 http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/d/cd348aaf.jpg 米国のユダヤ人を見れば、いかに異人種と共存することが危険であるか、が判るだろう。
現在のアメリカでは同性愛者を擁護したり、黒人を礼讃するTVドラマが着々と作られている。すでに長いこと左翼作品が日常にしっかりと組み込まれているから、一般人はもはやその異常性を不思議と感じないのだ。 日本でも藝能界やマスコミに朝鮮人や支那人が浸透し、正常な日本人の精神を歪めている。 そして、藝能界に魅せられた少女たちが、どんどん卑劣な連中に犯され、それが表面に浮き出で問題になることはない。暴露される前に握り潰されるからだ。 ヤクザ的な藝能関係者やアジア系の大物にとって、日本人娘の肉体は、どれほど侮辱しても構わない肉の塊だ。みんなで廻して凌辱すれば、「あの淫売女め !」と酒場で笑い罵ることができ、ますます酒が旨くなる。大日本帝國に支配された朝鮮人にしたら、祖国の同胞が成し遂げられなかった復讐を、個人レベルで果たしたことになるだろう。 そして、日本人の女を性的に従属させることは、被征服民にとって勝者の証となる。ユダヤ人に加え支那人、朝鮮人といったアジア人に対抗できない気弱な民族は、徹底的に打ちのめされるまで被害に気づかない。毎回言うけれど、後悔が先に立ったことはないんだぞ。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html ▲△▽▼ 2017.10.22 JFK暗殺に関する資料を公開する意思をトランプ大統領は示したが、重要証拠は処分済みの可能性 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710210000/
1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する未公表の資料を10月26日までに公開する方針をドナルド・トランプ大統領は示した。1992年10月26日に発効したJFK記録法は25年のうちに公開することを求めている。 暗殺直後に設置されたウォーレン委員会はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行だとしているが、この結論を信じていない人は少なくない。重要な証拠や証言が改竄、隠蔽、あるいは処分され、非論理的な説明がなされているからだ。そうした批判の声はすぐに広まり、それを押さえ込むために使われ始めた「呪文」が「謀略論」だ。支配層にとって都合の悪い事実、指摘、分析などが出てくるとこの呪文が連発される。 しかし、ケネディ大統領の公式見解に対して疑問を表明する人は後を絶たず、1991年に公開されたオリバー・ストーン監督の映画『JFK』は話題になった。この映画がJFK記録法を成立させた大きな理由だ。 この映画の主人公はニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンがモデル。大統領暗殺に絡み、ギャリソンは1969年に実業家のクレイ・ショーを逮捕、起訴するが、その理由はショーが重役を務めていたパーミンデックスという会社にメスを入れたかったからだと見られている。 ウォーレン委員会が犯人だとしているオズワルドは厚木基地での任務を終えた後、カリフォルニア州のエル・トロ基地でロシア語の試験を受けて不合格になり、1959年9月に名誉除隊、イギリスを経由してフィンランドのヘルシンキにあるホテルへチェックインしているが、この間、軍用機を使ったと推測する人もいる。民間航空を利用すると、日程的に無理があるからだ。そしてフィンランドからソ連へ入る。オズワルドがヨーロッパへ渡る際のチケットを買った会社がインターナショナル・トレード・マートで、その理事にショーが含まれている。ショーはサントロ・モンディアール・コメルシアールやパーミンデックスの理事でもあった。 サントロはイタリアにおける反コミュニスト工作に協力、パーミンデックスはアルジェリアの独立に反対するフランスの軍人グループへ資金を供給していたとイタリアでは報道されている。 その軍人グループとは1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)。イタリア政府もサントロとパーミンデックスを危険な存在だと認識、1962年に国外へ追放する。両者は本部をヨハネスブルクへ移動させた。(Jim Garrison, “On The Trail Of The Assassins”, Sheridan Square Press, 1988) パーミンデックスがスイスで設立された当時の社長兼会長、ルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの破壊工作機関SOE(特殊作戦執行部)の出身。第2次世界大戦後、SOEは対外情報機関MI6に吸収される。MI6とSOEはアメリカの情報活動や破壊活動の師匠的な存在の機関だ。ブルームスフィールドはカナダでシオニスト運動を指導していたとも言われている。 ケネディ大統領の暗殺を調べたウォーレン委員会は委員長がアール・ウォーレン判事、そのほかのメンバーはウォール街の弁護士で大戦後には高等弁務官としてナチスの幹部を保護していたジョン・マックロイ、やはりウォール街の弁護士で大戦中から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレス、FBIと関係の深いジェラルド・フォードも含まれていた。暗殺直後の週末、ダレスはバージニア州にあるCIAの極秘施設、ファームに身を潜めていたという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) オズワルドの単独犯行説を支持していたのはマックロイ、ダレス、フォードの3人で、3人の議員は疑問を持っていた。そのうちのひとり、ヘイル・ボッグス下院議員はCIAと関係が深く、当初は単独犯行説を支持していたのだが、途中で見方を変えている。このボッグス議員はアラスカで飛行中、行方不明になった。 この暗殺では多くの証人や関係者が死亡しているが、そのひとりがマリー・ピンチョット・メーヤー。後にCIAの秘密工作に深く関与することになるコード・メーヤーと結婚、離婚した後にケネディ大統領と愛人関係になったことで知られている。妹はニュウーズウィークの幹部編集者だったアントワネット・ピンチョット・ブラドリーと、大学時代からの親友はアレン・ダレスの側近で破壊活動でも名前が出てくるジェームズ・アングルトンとそれぞれ結婚している。 マリーは機密情報を知りうる立場にいたのだが、ウォーレン委員会が報告書を出した3週間後の1964年10月12日に散歩中、射殺された。ハーバード大学で心理学を教えていたティモシー・リアリーによると、「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」とマリーは語っていたという。(Timothy F. Leary, “Flashbacks,” Tarcher, 1983) ケネディ大統領の暗殺はシャルル・ド・ゴール暗殺未遂、マーティン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺にもつながっている可能性が高く、事実が明らかになるとひとりの暗殺に関する話では済まなくなるだろう。 当然、重要な証拠は廃棄済みで、証人も消えてしまった。マインド・コントロールを目的としたMKウルトラ、キューバへアメリカ軍が直接軍事侵攻、さらにソ連との核戦争を視野に入れていた偽旗作戦のノースウッズ、イスラエル軍がアメリカの情報収集戦リバティを攻撃して多くの死傷者を出した事件などでは証拠が廃棄されている。出てくる資料は廃棄し損なったものだけだ。ケネディ大統領暗殺も似たような状況だろうが、それでも全資料の開示は重要だ。 ▲△▽▼
ケネディ暗殺文書、全面公開せず 米情報機関が延期要請 2017年10月27日 07時56分
【ワシントン共同】トランプ米大統領は26日、これまで非公開だった1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する機密文書のうち約2800件の公開を許可した。残る一部は非公開のままで、今後180日間で公開の是非を検討する。 トランプ氏は、ケネディ暗殺関連の記録について全面公開する方針を表明していた。しかし政府当局者は中央情報局(CIA)など情報機関から公開延期の要請があり、トランプ氏が安全保障上の理由で受け入れたとしている。
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