http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/489.html
Tweet |
(回答先: 30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報 投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 13 日 10:03:16)
日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報
米国はそれを解読していた。
電文の内容は
「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」
ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に
「南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」
と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。
事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、
「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼、之が皇軍か」
と記述している。
※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html
南京陥落の日、天皇裕仁は、皇后の大おじで陸軍参謀長の閑院宮に、
「極めて満足」
と表現し(143)、また、閑院宮は、松井大将に祝電を送り、
「これほどの目覚しい軍事的進展は歴史上かってない」
と述べ(144)、さらに、一月末、ファシスト的な皇后のいとこ賀陽宮は、南京から戻って天皇に、その地で見てきたことの全面的報告をし、そして、ひと月後の2月26日、天皇裕仁は、葉山の御用邸に、熱のある松井、王侯然たる朝香宮、そして熱血漢の柳川を迎え入れ、それぞれに銀の台に菊の紋を浮き出させた一対の勲章を授与した、ということである(145)。
裕仁は、これらの戦争犯罪人のいずれにも、名誉を与えこそすれ、その一人をも処罰せず、今日まで、血縁、朝香宮とともに、温情厚く、生きてきている。
そのすべての責めを一身に担ったのが、結核病みの小男、松井大将であったのは、南京における最大の逆説である。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。