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中国や露国に対する軍事的な挑発を強めている米国の特殊部隊などが台湾軍を訓練
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110110000/
2021.10.11 櫻井ジャーナル
アメリカの特殊部隊と海兵隊の隊員約20名が昨年から台湾で兵士を訓練していると伝えられている。明治維新以来、アングロ・サクソンは日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る島々、そしてフィリピンを大陸侵略の拠点と位置づけてきた。日本人と同じように台湾人も自分たちの傭兵だと考えているだろう。
第2次世界大戦後、旧日本軍の将校が台湾軍を訓練するために台湾へ渡ったことが知られている。1949年に蒋介石のグループは岡村寧次大将などに接近、同年4月には岡村の下へ曹士徴を密使として派遣する。当時、岡村はGHQ/SCAPの保護下に入っていた。岡本たちの行動の背後にアメリカがいたのだろう。
曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。
白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授しはじめたが、その工作には陸軍士官学校34期の服部卓四郎、西浦進、堀場一雄、あるいは海軍の及川古四郎、大前敏一らが協力していた。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡り、1969年のことまで顧問団として活動を続けたが、途中で工作の主導権はアメリカが握る。
その一方、CIAの顧問団に率いられた約2000名の国民党軍は1951年4月に中国領内へ軍事侵攻、一時は片馬を占領したが、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻しているが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。
そしてアメリカ大統領は1953年にハリー・トルーマンからドワイト・アイゼンハワーへ交代。新大統領は泥沼化した朝鮮戦争から抜け出そうと考え、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。そして同年7月に休戦は実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
その後、1958年8月から9月にかけて台湾海峡で軍事的な緊張が高まる。ダニエル・エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。そして現在、バイデン政権でも同じことが国防総省で議論されているという。そうした中、アメリカの特殊部隊と海兵隊の隊員が台湾軍を訓練しているわけだ。そうした流れに日本は巻き込まれている。
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